Chapter2-26 竜との対峙
ラッカスさんの声を聞き、すんでのところで魔術発動を抑え込む。
光に映し出されたのは馬――ではなく馬車だ。屋根付きで装飾が豪華な馬車の上部からは、淡い光が見える。恐らく周囲を照らす照明――ランタンでも吊っているのだろう。
目を凝らして見ると、馬車の前方で人が手綱を握っているようだ。屋根付き馬車の隙間から見えるドレス姿から、女の人であるのは想像がつく。竜が居て、それに背を向けて馬車を走らせている。状況から察するに、その竜から逃げているという風に考えて間違いないだろう。
魔術の発動を止めていなければ、間違いなくあの馬車を巻き込んでいた。もしそうなっていたら、と考えるとぞっとする。思わずふうと息を吐いた。
けれど安心している余裕はない。竜を倒す前に、馬車を助け出さないといけない。
「ちょっ、エリネ!?」
どうやって助け出すか考える間もなく、傍にいたエリネが勢いよく飛び出して行ってしまった。暗闇の中、エリネの姿はすぐに見えなくなってしまう。
(わたしが竜を引きつけるから、あとはどうにかして!)
(……え、エリネ大丈夫なの?)
(大丈夫大丈夫! エリーはタイミングを見計らって大爆発を使って!)
(わ、分かったよ)
エリネが念話でそう伝えてきた。確かにあの巨大な竜を相手するのは、空を飛べて小回りの効くエリネが適任だろう。ぼくはエリネの言うとおり、いつでも大爆発を発動できるようにしておくべきか。
そうなると馬車のことは――ラッカスさんに指示を仰いだ方がよさそうだ。
「ラッカスさん、エリネが竜を引きつけてくれるそうなので、馬車の人を救助してください!」
「そうなのか! ……分かった。レティ君、任せてもいいだろうか」
「分かりました!」
ラッカスさんの指示を受けて、レティさんは城壁を急いで降りて行った。
そしてラッカスさんは宮廷魔術師たちに、光線を竜の体に当てるよう指示を出していた。顔に向けてしまうとこちらに気付いて向かってきてしまうかもしれない、とラッカスさんは言っていた。先ほど光線を当てても反応は示さなかったけど、その方がいいのだろう。
竜が馬車に追いつく寸前。炎の玉が竜の双頭の片側に直撃する。一瞬怯んだ様子の竜だったけど、炎の玉が飛んできた方向へ体を向けた。
馬車は少し動きを止めていたけれど、すぐにまた走り出した。竜はもうその馬車を追うことはしなかった。竜の視線は、自身を攻撃してきた小さな妖精に釘付けのようだった。
☆
暗闇の平原で、エリネの魔術と竜の火炎が交錯する。
戦局は一進一退。聖域で遭遇した竜を蹂躙していたエリネの風の魔術が、この竜に対してはあまり効いていないようだ。体が巨大なせいか、せいぜい動きを止める程度でしかない。
一方竜の攻撃は、エリネは余裕を持って躱しているようにみえる。機動力のある竜からしても、あの小さな体に攻撃を当てるのは難しいだろう。
エリネの戦いを固唾を飲んで見守っていると、足音が聞こえてきた。その音の方向に目を向けると、レティさんが城壁の階段を上がってきているところだった。
「戻りました」
「レティさん! 馬車の人は大丈夫でした?」
「ええ。無事に救助できたわよ。まあ、ちょっと問題があったんだけど……」
「……?」
「それよりも、あの竜が先ね。……どういう状況なの?」
問題と言うのが気になったけど、今は目の前の竜をどうにかする方が先だ。エリネが使う魔術の効き目が今ひとつなこと、エリネは竜の攻撃に上手く対応していることをレティさんに説明した。
「加勢したいところだけど、あの中に入ったら逆に邪魔になるわね……」
自分ではどうにもならない、とレティさんはもどかしい様子だった。空を飛び回って攻撃を避けつつ魔術を行使するだなんて、普通はできないことだ。そもそも人――エルフ族や他種族も含む――は飛ぶことができない。魔術や精霊術には空を飛ぶものは存在しない。
例えレティさんではなくぼくが助けに入ったとしても、同じく空を飛べないぼくはせいぜい攻撃を避けるだけで精一杯だろう。そしてあっという間に体力が尽きてしまうに違いない。
(エリネ、馬車は保護できたよ!)
馬車の無事が確認できたので、エリネに念話を送ってみる。今なお戦闘中だけど大丈夫だろうか――。
(分かった! この竜、皮膚が堅いみたいでわたしの魔術じゃ攻撃が通用してない。できるなら倒そうと思ってたけど無理だねー……。埒が明かないから、このまま大爆発を使って!)
(……え?)
エリネからは返答がきたけど、その内容に思わず言葉を失うぼく。このまま使ってしまうと、エリネが爆発に巻き込まれてしまう。
(大爆発を使えって……エリネはどうするの!?)
(大丈夫大丈夫! 竜からなるべく離れて発動の瞬間に風の魔術で自分の周りを守るから! それよりもこのままだとわたしが魔力切れになっちゃうから、急いで!)
(わ、分かったよ)
竜はエリネが引きつけてくれていたお蔭で、元いた場所よりさらに城壁から離れたところまで移動している。かつ周りも平原で何も障害物はない。大爆発を発動するなら今だろう。
「ラッカスさん、これから大爆発を使います!」
「何!? まだエリネ君が戦っているが……」
「エリネが大丈夫と言っているので大丈夫です!」
「え、言っているって……話なんかできないわよね……?」
ラッカスさんとの会話にレティさんが口を挟んできた。その言葉にぼくははっとする。念話のことは言ってなかった。
シアや長老にも言ってなかったけど、この念話と言うのは普通はできないことのようだ。勉強したところでは、魔術にも精霊術にもそれらしきものはない。きっとエリネが精霊だから成せることなのだろう。
つまり、これだけエリネと距離が離れてるのに話ができていることは、通常ありえないことなのだ。けど、今はそれを説明している時間はない。
「……詳しいことは後で話します! 今はあの竜を倒すのが先です!」
「あ、ああ、分かった」
(エリネ、行くよ!)
(分かった!)
場所を竜の中心の辺り、制限解除。ぼくは右手を突き立てて、魔術を発動させる。
「大爆発っ!!」
竜の体の中心部から赤い線が登ったあと、凄まじい爆発音と共に炎が竜の全身を包み込む。地響きとともに炎は外側へと広がっていき、ドーム型となって上空まで舞い上がった。
爆発と共に巻き上げられた砂埃が、じきにこちらの方まで迫ってきた。ぼくは城壁の地面に伏せて、砂埃が収まるのをやり過ごした。
地響きが収まり、地面から立ち上がる。竜とエリネはどうなったのかと確認しようと思ったけど、真っ暗闇で何も見えない。
(エリネ、どこ……?)
念話で呼んでみるけど、返答はなかった。
(エリネ……?)
もう一度呼んでみるけど、やはり返答はない。
エリネは大丈夫だと言っていたけど。嫌な予感が頭を過ぎる。
「ラッカスさん! 魔石灯を付けてください!」
魔石灯は魔力の供給が止まってしまったので、光を放っていなかった。すぐさまラッカスさんが宮廷魔術師たちに指示を出して、再び魔石灯の光線を出してもらう。照らす場所は、魔力の供給が途絶える寸前の場所。まだ砂埃が舞っていて、少しぼやけているようだ。
つい先ほどまで竜がいたはずの場所は、巨大な真ん丸のクレーターが生成されていた。そこには竜の姿はなく、欠片すら確認することはできなかった。おそらく、完全に消滅したのだと思う。
――しかし、エリネの姿も見当たらない。
「っ!」
居ても立ってもいられなくなったぼくは、城壁を駆け下りた。後ろから呼び止める声が聞こえたけど、構っていられなかった。走力増加の精霊術を使って、光線の向いている方へ一直線に駆け出す。
爆発地付近まで辿り着き、ぼくは火の魔術で辺り一面を照らした。そしてぽっかりと空いたクレーター部を必死に探し回った。けど、エリネはどこにも見つからない。
「エリネ、エリネーー!!」
大声でエリネの名を叫ぶも、ただ虚しく響くだけ。また叫ぼうとしたところで、ふいにエリネとの会話が思い起こされた。
『魔術師たるもの、常に冷静に状況を見極めないとねー』
そうだ、こういうときこそ冷静にならないと。一度ゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせる。
――これだけ探したのに見つからないとなると、ここの中に埋もれていると言うのは恐らくないのだろう。
そう言えば、なるべく離れると言っていたのを思い出した。となると、少し離れた場所にいる可能性が高いのではないか。そう考えてクレーター部の外へ出て、円に沿って周りを歩き始めた。
しばらく歩いていると、炎の魔術で照らされた光にきらきらと反射するものを見つけた。急いで駆け寄ると、虹色の羽根を背中に持った小さな妖精がうつ伏せで倒れていた――エリネだ。
ひとまずエリネの姿を見つけることができて、安心したぼく。ぱっと見た感じでは、埃で少し衣装などが汚れてはいるものの怪我をしている風には見えない。念のため全身に治癒をかけてみたけど、すぐに光は収まった。治すべき箇所はないようだ。
エリネの体をじっと見つめていると、体が僅かに上下に揺れているのを確認できた。呼吸はある。気を失っているだけかもしれない。
地面にそのままにしておくのはかわいそうだと思い、エリネの体をゆっくりと持ち上げ、胸に抱いた。
「エリネ、エリネ目を覚まして」
地面にそのまま声を掛けつつ、エリネの体を優しく揺すってみる。反応はない。そのまま暫く揺すり続ける。
「んぅ……あ、エリー?」
「エリネ……。良かった……気が付いて」
小さな目を少しずつ開いて、ついに目を覚ましたエリネ。思った通り気を失っていただけのようで胸をなで下ろした。
エリネに話を聞いてみる。魔術発動の瞬間に風の魔術で全身を守っていたそうだけど、途中で爆風に吹き飛ばされてから記憶がないとのことだった。
「ちょっと、疲れちゃった……。たぶん魔力切れっぽいからちょっと寝てもいい?」
そう言うエリネの目はどこか虚ろだった。最後の魔術発動で魔力を使い切ってしまったらしい。魔力切れを起こしたリアの様子を何度も見てきたから分かるけど、立っていられなくなるぐらいだ。ゆっくり休ませた方がいいだろう。
「分かった。……お疲れさま、ありがとうエリネ」
「うんー……」
エリネはそう言うと、目を閉じすうすうと寝息を立て始めた。
――こんな小さい体で、あんな巨大な竜と戦っていたなんて。真っ先に飛び出して竜の引きつけ役を買って出てくれたし、エリネがいなかったらどうなっていただろうか。目を覚ましたら、改めてお礼を言おう。
そんなことを考えつつ、穏やかな顔付きで眠り入るエリネの頭を優しく撫でたのだった。
次話は11月3日(木)の予定です。
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