Chapter2-24 エリネの異変
結局その後も話し込んで、ヴィーラさんの家を出たのは日が傾いた頃だった。レティさんとの待ち合わせの時間に迫っていたので、早歩きで戻る。こういうとき走れないのは不便だ。走ろうと思えば走れるけど、そうするとあとが辛いのでしょうがない。
目的の場所に着いたときには、時間ぴったり。建物の入り口でレティさんが待っていてくれた。
「すいません、待たせてしまったでしょうか」
「ああ、私も丁度着いたところだから大丈夫よ」
もしかしたら、待たせてしまったかもしれない。少し顔色を伺ったけど、怒っているようには見えなかった。どうやら失礼に当たらなかったようで、一安心した。
☆
「初めて来たけど、中々良いわね。泊まらない人も食事できるなんて知らなかったわ」
「ええ、わたしも前回泊まって良いと思ったところなんです」
グラスに注がれたエールを飲みながら、レティさんは満足そうな表情を浮かべていた。
夕食先に選んだのは、ぼくが泊まっている宿のレストランだ。以前泊まったとき、宿泊客以外でも利用できると聞いていたから、レティさんを誘った次第だ。今回も味はなかなかだったし、レティさんにも好評だった。
ちなみにお酒を飲んでいるレティさんとは対照的に、ぼくは果物を搾ったジュースを飲んでいる。一度やらかした手前、同じ轍は踏まないと学習をしたのだった。
レティさんは、お酒に強い方らしい。今飲んでいるエールは二杯目だけど、ほんの少し頬が赤くなっている程度だ。ジュースを注文したぼくに対し、飲まないのかと勧められたけど。この間起こした惨事を話したら、それは飲まない方がいいわねと言われたのだった。
「エリネちゃん、ほとんど食べてなかったけど大丈夫なのかしら」
「うーん……。いつもはああじゃないんですけど……」
この場にエリネはいない。最初は同席していたけど、食べ物を少しつまんだところで食欲がない、疲れたから先に寝ると言い出したのだ。
思えばヴィーラさんの家にいたときから、エリネの様子はおかしかった。どうも言葉が少ないというか、ずっと俯き顔を曇らせていたのだ。それはエリネの、普段の様子とはかけ離れている姿だった。
以前も似たような――ウィルに関する内容――ことがあったけど、そのときの雰囲気と似ていた気がする。
何があったんだろう。思い当たる節は――ない。いや、あった。確か、聖樹の話をしたときだ。けど、何でだろう。少し考えたけど、理由は分からなかった。
☆
食事も終わり。明日のお昼前に門の前で落ち合う約束をして、レティさんと別れた。お昼までは、エリネと買い物でもして時間を潰せばいいだろう。
エリネと一緒に風呂へ入ろうかと思ったけど、エリネのあの様子では難しい気がした。そもそももう寝てしまっている可能性がある。そう考えて、そのまま自分だけでお風呂に入った。
脱衣所へ入った後に気付いたけど、何の迷いも泣く女湯の方へ入っていた。本当に女の子としての生活に慣れきってしまった気がする。まあ、この体では男湯へ入る方が色々まずいだろう。
元の世界に戻ったあと大丈夫なんだろうかとか、そういったことは考えないようにした。頭が痛くなると思ったからだ。
風呂場では、この間みたいに抱きつかれるようなこともなかった。前回が不運だっただけだろう。毎回あんなことをされたら、たまったものじゃない。ただ、チラチラと視線は感じたけど。エルフ族がこうしているのは珍しいからだろう。いつも王都を歩くときに受ける視線と同じ気がしたので、あまり深くは考えなかった。
☆
風呂から上がって、エリネについてあれこれ考えているうちに部屋の前まで来ていた。恐らく、エリネは寝てしまっているだろう。
鍵を解錠して、ゆっくりとドアを開ける。ドアの隙間から暗闇が広がる。室内の灯りはついていないようだ。灯りを付けて出てきたから、エリネ自身が消したのだろう。
部屋に入り、足元のランタンの宝石に魔力を送る。柔らかな光がランタンから漏れ出て、部屋全体を淡く照らした。
そのままベッドに目線を向けると、やはりエリネはそこにいた。横になって向こう側を向いている。その様子から眠っているのだろうとぼくは察した。様子はおかしかったけど、もしかしたらただ疲れてしまった可能性もある。そのまま寝かしておいた方がいいだろう――と思ったのだけど。
そのときエリネの体がぐるんと寝返りを打った。いや、寝返りかと思ったらそうではなかった。エリネの目が開いていたのだ。
少し驚いたけど、もしかしたら起こしてしまったかもしれないと気付く。
「あ、ごめん。起こしちゃったかな」
「…………ねえ、カナタは本当に元の世界に帰るつもりなの……?」
エリネの口から漏れてきたのは、久々に聞いたような気がするぼくの本来の名前。けど、その声はあまりに弱々しくてぼくを困惑させた。
「え……うん、勿論そうだけど……」
「もう少し、居るつもりはないの?」
何を言い出すのだろう。早く帰りたいというぼくの気持ちは、分かっているはずなのに。
そう言うと、エリネはまた体をごろんと向こうへ向けてしまった。
「……ぼくは早く元の世界に戻って元の生活を送りたいし。エリーだって、自分の体に戻りたいでしょ?」
「……え、うん……」
「まあでも、聖樹に話を聞かないことにはどうにもならないかな? あの場所に行くのは気が進まないけど、そんなことは言ってられないし……」
実際のところ、すぐに戻れるかどうかは分からない。けれどぼく自身の戻る手段が見つかった以上、遅かれ早かれ戻ることにはなるだろう。
エリネがどういうつもりで、あんなことを言ったのかは分からない。ただ元の世界へと戻るということは、この世界での生活に終わりを告げることということだ。
色んな出会いや出来事があったけど、これまでなんとかやってこれたかと思う。シアや長老といった支えがあったお陰だろう。もちろんエリネも。世話になった相手は挙げるとキリがない。この世界に突然呼び出されたことは不運だったけど、この身の境遇は幸運な方だったのではないかと思う。
ぼくがそんなことを考えていると、エリネがむくりと体を起こしてこちらへ向く。真剣な眼差し、けれどそれを少し伏せて。先ほどまでとはまた違う態度に、一体どうしたのだろうと戸惑う。
「……エリー?」
「……カナタ。言わないといけないことが……」
次話は19日(水)の予定です。
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