Chapter2-08 宿とお風呂とお酒
そして、詰所への戻り道。行くときよりも増して質問攻めに遭ってしまった。けど、良くない目で見られることがなくなったのは良かったかもしれない。なんとか、師団の皆とは仲良くなれるかもしれない。
詰所へと戻ってきたぼくたち。ラッカスさんは女の人に後の説明を頼むと言うと、なぜかウィルを連れて自分の部屋に引っ込んでいった。
そして残されたぼくは、その女の人――お姉さんから色んな説明を受けることになった。ちなみにその人はさっきお茶を出してくれた人だ。茶色の長い髪に凜とした顔付き。身長はシアよりも高く、ウィルよりも低いぐらいだろうか。細見の体形だけど、出るところは出ている。
聞いた話は、事前にラッカスさんから聞いていた内容とほぼ同じだ。衣装を支給してくれるそうだけど、ぼくのサイズに合うものは切らしているらしく後日わざわざテレスまで届けてくれるとのことだ。
この衣装、黒地に金の刺繍が入っていてすごくカッコイイのだけど、女性用のはやけに短いスカートなのが気になるところだ。目の前のお姉さんが穿いているのを見る限りは。とはいえ、仮に前へ屈んだとしても布が見えてしまうのは、同じく支給される外套を羽織ればそれを回避できそうだ。
あと、面倒そうなイベントが一つ。王族直属の組織という関係上、王宮で開催されるとあるパーティーに参加しなければならないということだ。貴族やら何やらも参加する、という話を聞いただけで面倒そうな感じがする。
そういった相手に対する作法は、全く身に付けていない。学ぼうにもどうすればいいだろう。何はともあれ、本番では隅で丸まっているのがいいだろう。
テレスに支部を作るという話については、支部長は立ててくれるらしいけど実質の支部長はぼくだそうだ。宮廷魔術師団に入りたての、しかも一三歳の初心者魔術師に支部長なんて務まるのだろうか。
不安になって聞いてみたけど、支部長がすることというのは別段ないそうだ。師団の同僚がやってきたら一緒に魔獣退治の巡回をして、月一の会合時に報告書を持って行く。それだけでいいらしい。
どうやら文字の読み書きに苦労したのは、ここで活かされることになりそうだ。とはいえ、書きはまだまだなので練習しながら書くことになるだろう。
正所属だと詰所内に一つ部屋を割り当てられるそうだけど、ぼくは準所属なのでそれはないとのこと。本来ならそこで寝泊りもできるみたいだけど、それは仕方ない。詰所の他の施設は正所属と同じ利用ができるそうだ。
そして、加入の手続き。書類にサインを求められる。そう言えば、エリーの名前でサインすることは初めての経験だ。指示された枠内へ、丁寧にサインをする。お姉さんからは綺麗に書けてるわね、と褒められた。この年齢の子は、上手く書ける方が少ないとのことだ。
書類を確認してもらって、通行証――バッジのようなもの――を受け取る。これを身に付けておけば、ゲートも通れるようになるそうだ。また、王都の入り口の門もこれがあれば通れるようになるとのこと。これで、毎回長老に紹介状を書いてもらう必要はなくなった。
質問はないかと言われたので、付き添いの扱いについて聞いてみた。ウィルやシアと一緒に来た場合のことだ。基本は一緒に付いていれば、詰所の出入りも問題ないとのこと。ゲートでの通行も同様とのことだ。どうやら都度別行動を取る必要はなさそうなので、助かった。
その後は、逆に質問をされた。お姉さんはエリネに興味津々だった。そういえば、他の団員の人らもエリネをチラチラと見ていたような気がする。精霊は珍しい存在らしいから、注目を浴びても仕方がないだろう。
簡単にエリネを紹介すると、抱きしめてもいいかとエリネに聞いてきた。エリネが「いいよー」と言うと、お姉さんはこれまでの凜とした表情を緩めギュッとエリネを抱きしめていた。――漏れ出る声から察するに、どうやらかわいいもの好きのようだった。
お姉さんがエリネを堪能し尽すまで、暫くの時間を要するのだった――。
その後はとくに用事もないようで、お開きになった。帰る間際、ラッカスさんの部屋へ寄る。ウィルはまだそこにいてラッカスさんと何かを話しているようだったけど、ぼくが来たことに気付いたら早々に話を切り上げた。
詰所から出る間際、何の話をしていたのか尋ねてみたけどなぜかはぐらかされてしまった。何か、内緒の話でもあったんだろうか。初対面のはずだったけど。
ここまで予定をこなしたところで、夕方前という時間になっていた。今からテレスへ帰ると確実に森の中で日が暮れるので、今日は王都に泊まっていくことになった。
そう決めてしまえば逆に時間に余裕ができたので、ヴィーラさんに古文書解読の進捗具合を聞きに行こうと考えた。けれど、そこでウィルにはそれを伝えていなかったことに気付く。
ぼくの秘密に関わることだから、正直に言うことはできない。まあ聞くときに上手く誤魔化せばいいだろう、と考えて王立大学へ向かったのはいいものの。
「……え、長期休暇ですか?」
王立大学の受付で聞いたのは、ヴィーラさんが先週から休暇を取っているという話だった。
「何時頃まで取られているんですか?」
「お待ちください……。二か月ほど休暇申請されていますね」
「に、二か月ですか……。先生とは連絡は取れないんでしょうか」
「そうですね……。大学としては休暇中の私的は関与しない方針ですので」
「……そうですか、分かりました」
受付にお礼を言って、王立大学をあとにする。もしかしてと思ってヴィーラさんの自宅も尋ねてみたけど、やはり不在のようだった。今どういった状況か聞いておきたかったのだけど、いないのならどうしようもない。けど、どこに行ってしまったんだろう?
☆
そんなこんなで夕方に差し掛かり、今日泊まる予定の宿へ。ちなみに、シアが以前使おうとした宿とは違う。師団の詰所で説明をしてもらっていた、お姉さんから教えてもらった宿だ。
ここは、シアの言っていた宿よりは一泊の費用が高いけど、その分サービスや治安面で他の宿よりも良いらしい。
お金に関しては、詰所でウィルを迎えに行ったときに、ラッカスさんからかなりの金額を受け取っているので問題ない。何やら初任給だとか、そういうものらしい。金額にすると、長老からもらった額の十倍以上。
さすがに多いのではと言ったのだけど、これでも正所属よりは少ないらしい。若干色はつけてあると言われた。
何やらぼくの魔術を見て負けていられない、と団員の士気が上がったそうで。色はその分だそうだ。そこまで言われると、受け取らないのも失礼だと思ったので受け取った。
元の世界ではアルバイトすらしたことがなかったけど。お金を受け取ったからにはきちんと宮廷魔術師としての務めを果たさなければならないだろうと、気を引き締めたのだった。
閑話休題
さて、その宿の受付。部屋の空きを確認してもらったのだけど――。
「え、一部屋しか空いてないんですか?」
「申し訳ございません。団体様のご宿泊があり、そのお部屋しかご用意できないのです」
そう受付の人から言われた部屋は、ダブルベッドが一つしかない部屋だ。部屋そのものは広いようだけど。鍵はしっかりかかるそうで安全面は保証してくれるそうだ。
ぼくは暫く思案する。本当は別々の部屋の方が良いだろう。やっぱり自分だけの部屋の方が落ち着けるし。ウィルも同じだろう。相手に気を遣いながら過ごすのは疲れるだろうしね。
ただ、今から他の宿へ行っても、そこが空いている保証はない。もう夕方であって時間が遅いのだ。そして探している間にここも埋まってしまったら、それこそ目も当てられない事態になる。
ウィルと同じベッドで寝るというのは少々思うところはあるけど、まあ我慢するべきだろう。兄妹が寝るだけだから、何も問題はないだろう。ベッドそのものは大きいそうだから、体をくっつけて寝ないといけないこともない。
――そう言えばエリネもいた。あの寝相の悪さの対策は、どうしようか。何とかなるだろうか。体を縛りつけるたりするのは、さすがにかわいそうだけど。
「エリー、やっぱり別の……」
「その部屋でいいのでお願いします」
ぼくは受付に泊まる旨を伝えた。ウィルが何か言いかけてたような気がするけど、何だろう?
「おいエリー!?」
「……? どうしたのウィル?」
「同じ部屋ってまずいだろ!?」
「? 何がまずいの?」
「何がって……そりゃあ……」
ウィルはしどろもどろになってそう答える。どういう意味だろう。
「……? よく分からないけど、たぶんここで決めないと、部屋が埋まっちゃうよ?」
「いや……しかしな……」
「……本当は別々の部屋がいいけど、わたしは我慢するし。……ウィルは我慢できない?」
「我慢、我慢か…………。はあ、分かったよ」
ウィルは何か諦めたような顔付きで溜息をつきながらも、了承したようだ。そんなに別々の部屋がよかっただろうか。まあ、一人部屋の方が落ち着けるから、そういう意味でなのかもしれない。そこは我慢してもらうしかないだろう。
そんなことを考えながら、ぼくは受付で宿泊の手続きを取るのだった。
☆
「うわー、広いねー!」
エリネはそう言って、施設内のあちこちを飛び回っている。
ここは大浴場だ。この宿にはいくつかの特色があるそうで、その一つがこの大浴場だ。王都内の他の宿には、ここまで大きい大浴場はないとのこと。そもそもシャワー設備しかなかったり、それすらない宿もあるそうだ。
なぜここへ来たのかというと、夕食前に体を流そうという話になって。ウィルと別れてこうしてお風呂に入りにきている、というわけだ。
当然ながら大浴場は男女それぞれで分かれている。そう、ここは女の大浴場。そのことには脱衣所に入ってから気付いたのだけど。幸いにしてこの時間は誰も入っていないようで、ぼくたちの貸切状態となっていた。
(テレスにはこうした浴場ってなかったからなあ。うっかりしていたな……)
女の大浴場ということは、裸の女性がたくさんいるのが普通な場所であるわけで。自分自身の裸こそ散々見てきたとはいえ、自分以外の女性の裸を見るなんて経験は――ないことはないけど。
目の前にしたらドキドキしてしまいそうだ。
(誰も来ないうちにさっさとお風呂に浸かって、出た方が良さそうだ……)
そう決めたぼくはそこかしこを飛んでいたエリネを呼び戻して、髪と体を丁寧に洗ってあげた。自分の髪と体も同様に。急いでいても浴槽に浸かる前、汗を流すのは最低限のマナーだ。――エルフは汗をかかない、というのはさておいて。
そしてザブンと浴槽へ。湯温は少々温めといったところか。長風呂しても心地よい湯温だろう。
ちなみに髪の毛は湯船に付けずに、上でまとめている。ヴィーラさんとお風呂に入ったときに教えてもらった。これもマナーの一つらしい。
エリネは浴槽に浸かるなり泳ぎ始めた。家の浴槽でも泳いでたけど、その何倍の広さがあるこの浴槽は、エリネにとってはさながらプールのようだろう。他のお客がいたら止めさせるけど、今はいないしいいだろう。
エリネは髪の毛はそのままだけど――まあ泳いでいたらまとめていたとしても意味がない。
ちょうど良い湯温ということもあり、気持ちが良くなってきたぼく。早く上がろうと思っていたのに、朝早く出てきたのも相まって少しうつらうつらとしてしまった。
ガラガラというドアの開く音でハッとするぼく。半分寝てしまっていたようで、大浴場内に別のお客がきてしまったようだ。しかも四,五人のグループ。ぼくよりは年上だけど、それでも十代後半か二十代に入ったぐらいの年齢だろう。出るに出られなくなってしまったぼくは、浴槽の隅で出る機会を伺うことにした。エリネはいつの間にか、ぼくの肩の上にいて足をばたばたさせていた。
しかし出るタイミングを計り兼ねていたところ、グループが浴槽内に入ってきてしまった。目線を合わせないようにしていたけど、そのグループはどんどんこちらへ近づいてくる。そして――。
「かわいいーー! エルフ族の子! えっ……この子精霊? 初めて見た!」
「本当! ねえあなた、どこから来たの?」
お姉さんたちに囲まれて、身動きが取れなくなってしまったぼく。というか、裸の女の人に囲まれて――!
「え、あの、その……」
目線を上げることもできず、下を向いてしどろもどろな答えしかできないぼく。それがさらに火に油を注ぐ結果となってしまった。突然、お姉さんの一人がぼくに抱きついてきたのだ。柔らかいものがぼくの顔に辺り、わぷっという変な声が出てしまった。
「この子、お持ち帰りしたい……!」
抱きついてきたお姉さんがそんなことを言う。そして背中からも、柔らかい感触。処理能力を超えてしまったぼくは考えるのをやめ、お姉さんたちが飽きて立ち去るまで人形と化すこととなった。
☆
「つ、疲れた……」
「あはは、楽しかったねー」
お姉さんたちから解放されたのは、数十分経った後だった。
お風呂で体を休めることはできたかもしれないけど、精神的にはとても疲れてしまった。というか、少しのぼせてしまったような気もする。お風呂に入っていたからというのはもちろんだけど、お姉さん方を、色々見てしまったのもあるだろう。
それについては念話でエリネからは注意をされてしまった。
(エリー、鼻の下伸びてたよー? 目つきがえっちなのバレバレ!)
なるべく見ないようにはしてたけど、見てしまうものは見てしまうのだ。体は今はエリーだけど、心は男なのだ。女性の体は自分自身とヴィーラさんぐらいしか見たことがないのだ。
つい見てしまっても、仕方のないことだ。
そしてぼくたちは、レストランへとやってきた。この宿のもう一つの特色はこのレストランと一体型になっているということだ。宿泊する客は、夕食と朝食が無料で提供される。宿泊していなくてもレストランのみの利用は可能だそう。宿泊費が高めのせいか、客層としてはガラの悪そうな人はいない。それなりの身形をした客が多い印象だ。ぼくぐらいの年齢の客は他にいないようだ。
客席を見渡すと、ウィルが既に席に着いていた。遅くなったことを詫びたけど、ウィルはとくに気にしていなさそうだった。円状のテーブルに向かい合うようにして座る。エリネはとりあえずぼくの肩の上だ。
じきにウエイトレスがやってきて、メニューを渡される。二つのメイン料理から選ぶ形式のようだ。字が読めないウィルに代わって内容を確認する。
肉か魚のどちらかを選ぶみたいだ。あと、飲み物も付いてくるらしい。
「メインの料理を選ぶみたい。肉か魚、ウィルはどっちがいい?」
「そうだな……昼は魚だったから、肉にするか」
「じゃあわたしは、魚かな。……エリネもそれでいい?」
「いいよー」
昼食のときと同じく、エリネにはぼくの料理を分けてあげる。どのみち、自分だけじゃ全部を食べきるのは無理だろうし。
メインの料理を決めたところで、次は飲み物だ。選べるものを眺めていると――。
「あ、お酒も選べるみたい」
「酒か…………。エールってあるのか?」
「えーと……うん、あるよ」
「じゃあそれにするか。エリーはどうするんだ?」
「わたしは……果実酒、にしようかな」
以前ヴィーラさんからエールを勧められたとき、どんな飲み物か聞いたけど恐らくは元の世界のビールだと思う。当然飲んだことはないけど、キーワードから想像するに間違いではないだろう。
それよりも、シアが飲んでいた果実酒と言うのが気になった。シアは甘いから飲みやすいと言っていたし。
「……エリー、酒大丈夫だったか?」
「たぶん? 飲んだことはないけど、前から飲んでみたかったんだよね」
(エリネって、この体でお酒って飲んだことある?)
(ないよー。飲む機会がなかったからねー)
エリネに聞いてみたけど、飲んだことはないとのことだった。お酒に強いか弱いかは、飲んでみないと分からないだろう。
注文して暫くの後、飲み物が運ばれてきた。ウィルの席に置かれたのは、黄金色の液体が注がれていて上部に白い泡のあるグラス。やはりビールのようだ。それに対してぼくに置かれたのは、少し黄色がかった液体の入ったグラス。
恐る恐るグラスを口に運んで、少し口に含んでみる。柑橘系の酸味の中に、甘さがある。アルコールっぽい独特な味がするけど、ジュースみたいでどんどん飲めそうな味だ。
ぼくの膝に座ってもらったエリネにも、少し飲ませてあげる。エリネも「変わった味だけど、甘くて美味しいー!」と言って結構なペースで飲んでいた。
その後すぐ料理の方も運ばれてきて、お酒と一緒に舌鼓を打つ。初めは箸――フォークが進んでいたのだけど、どんどんペースが落ちていってしまった。お腹が膨れたわけではなくて、何というか気分が悪い。ついには全く食べられなくなってしまった。
「エリー大丈夫か? 顔が真っ青なんだが……」
ウィルにそんなことを言われてしまう。顔にまで出てしまったのだろうか。真っ青と言われたけど顔はとても熱を帯びていて、心臓のドクドクという鼓動が顔にまで伝わっている。
気分の悪さが限界に達して、吐きそうになってきた。これはもう持ちそうにない。
「ちょっと……トイレに行ってくるね……」
そう言って椅子から立ち上がった瞬間、顔の熱さが更に増した。しかも、周りから聞こえてきたザワザワという喧噪が、どんどんと遠ざかっているように感じる。
一、二歩歩いたところで足の感覚がなくなり、体のバランスが崩れた。
それが、その夜ぼくが記憶していた最後の瞬間だった――。
次話掲載は31日(日)の予定です。
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