Chapter1-26 絶体絶命
ぼくを庇って弾き飛ばされたウィルは、そのまま後ろ――ぼくの方へと倒れ込んできた。
重いけどそんなことは言っていられない。大丈夫かと言おうとしたのだけど。ぼくの顔に赤く生暖かい液体がだらり、と滴り落ちてきた。
「……っ!」
自分に乗っかっているウィルの体の下から這い出る。ウィルを見ると、竜の獰猛な爪で抉られただろう胸部から、夥しい量の血が流れ出している。この出血量は早く治癒しないとまずい。
けど、目の前には竜がいる。――文字通りの絶体絶命のピンチだ。
「あ、あああ……」
誰でもいいから、助けてほしい。
そう願うぼくに、竜はふたたび腕を振り上げて――。
しかしその時。視界が突然眩しい光に支配された。思わずぼくは目を瞑る。
数秒後に目を開けると、ぼくの目の前に精霊が現れた。後ろ姿しか分からないけど、純白のワンピースに、腰の辺りまで伸ばした金髪を揺らし、背中にある鮮やかな虹色の羽がぱたぱたと動いている。
この精霊ってもしかして――。
竜も突然の光に驚いていたようだけど、雄叫びをあげ精霊に向かって腕を振り下ろしてきた。けど、それが精霊に届くことはなかった。
「突風!」
精霊が魔術を発動させると、ドンと竜の巨体が前へと吹き飛ばされていった。そのまま地面に叩き付けられた竜だったけど、すぐさま起き上がってまたこちらへと近づいてこようとしていた。
「風の刃!」
しかし精霊は攻撃の手を緩めない。何重にもなる風の刃が、竜の体を切り裂く。竜は緑の体液を撒き散らしながら、苦しそうな声を上げる。ただ、まだまだ動けそうな様子だ。
「しぶといなぁ」
精霊はそんなことを言いながら、こちらへちらっと振り返る。以前呼び出したことがある精霊と同じく、可愛らしい顔付きをしている。その精霊はまた顔を竜の方へと戻す。
「カナタはウィルに治癒を! 落ち着いてやればできる!」
精霊はぼくに対してそう言ってきた。ウィルに治癒――そうだ、ぼくは治癒が使える。精霊に言われて落ち着きを取り戻した僕は、一度深呼吸をする。
――きっとできる。大丈夫だ。
シアに教わった内容を思い出す。ウィルの傷口の上に手をかざし、詠唱をする。
《彼の者を癒やし給え》
ぼくがそう呟くと、かざした手から緑の淡い光が漏れ出す。開いていた傷口がみるみるうちに塞がっていく。光が収まって傷口を確認すると、どうやら塞がってくれたようだ。ひとまず、外傷はこれでなさそうだ。
ぼくがウィルに治癒をかけている間にも、精霊は竜と戦っていた。――ほぼ一方的な蹂躙に近い。精霊はかなりの実力があるようだ。
精霊って好戦的なイメージはなかったけど、今は味方をしてくれていることに感謝したい。
体力が切れているけど、足を引きずってリアの元へ行く。あの時は気が動転していてよく見ていなかったけど、竜の攻撃を直接受けた割にはリアの怪我の具合は軽いようだ。
ローブの破れと血は、地面を擦ったものによる擦り傷程度のようだった。
ぼくは治癒をかけ、傷を癒やした。リアは気を失っていて目を覚まさないけど、恐らく問題ないだろう。
周りを見ると、茂みの方でテオがうつ伏せで倒れていた。近寄って確認してみたけど、テオはほとんど怪我をしていなかった。魔力切れだろうか? 念のため治癒をかけておく。たぶん大丈夫、だろう。
「これで終わり! 竜巻ッ!」
テオの治癒を終える頃、精霊は竜にとどめを刺すところのようだった。
精霊が放った魔術は、竜を風の渦へと誘った。それに飲み込まれた竜の体は、渦の複雑な回転に耐えきれず全身が引き裂かれていった。
渦が収まる頃には、細い肉片が地面に散乱していた。
「ふう。何とかなったねー」
精霊は息を吐きそう言うと、こちらの方へと飛んできた。
「君は、あのときの……?」
「そうだよー! また会えたね、カナタ!」
精霊はぼくの前でくるっとターンして、そう言った。
「それよりも、ダメだよ? 冷静にならなくちゃ。魔術師たるもの、常に冷静に状況を見極めないとねー」
そして、精霊にそう諭される。何だか思うところはあるのだけど、ぐうの音も出ない正論なので何も言えない。そもそもぼくが冷静になっていれば、事態がここまで悪化することはなかっただろう。
「うう……」
そんなことを考えていると、近くから呻き声が聞こえた。ウィルのそれだ。足を引きずりつつ駆け寄ると、ウィルが苦しそうな顔で呻いていた。話しかけても応答がない。
「治癒は……かけたんだよね?」
精霊はじっとウィルを見つめ、ぼくにそう言った。間違いなく傷口は塞いだはずだとぼくは答えた。傷はちゃんと塞いだはずなのに何故――。
ふと、シアが言っていたことを思い出した。
『出血がひどい場合は傷を治せても上手くいかないことがある』
――先ほどのウィルは、かなりの出血があった。ぼくの着ている服にも、結構赤いものがかかってしまっているほどだ。地面にも血だまりができていた。
もしかして、これが”上手くいかない”ということなのだろうか。
もしこのままだと、ウィルは助からない――?
そんなのは嫌だ! ウィルはエリーにとっても、ぼくにとっても大切な友人だ。ぼくが冷静になっていれば、ウィルはこのようなことにはならなかったはずだ。
何とか、何とか助けたい――!
ぼくがそう願った瞬間。奥にある大木が光を放ち始めた。聖樹と呼ばれるものだ。
何かに呼ばれた気がしたぼくは最後の力を振り絞り、聖樹の元へ近づいていく。
光を放つ聖樹に辿り着き、木に手を触れた瞬間。体内から何かが抜ける感覚とともに、聖樹の光がより一層強くなった。そして、その光はウィルの元へと注がれていく。
光が収まると、精霊はウィルの周りをぐるぐると飛び回って、こう叫んだ。
「ウィルの顔色が良くなった! 呼吸もしっかりしてるし、もう大丈夫そうだよ!」
その声を聞いたぼくは安堵した。
――何だろう。精霊が話している内容に、さっきから違和感がある。
それの正体が何か分かりそうだったそのとき。猛烈な目眩とともに、視界が暗転する。そのまま地面へと倒れ込んだぼく。そこでぷつりと意識が途切れた――。
1章完結です!
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2016/07/03 全体(表現・描写)を改稿。詳細は後日活動報告にて。