Chapter3-40 操り人形
視線を落とすと、両手で短剣の柄を握り、刀身をお腹の目の前で止めている状態だった。
その異様な光景にぞっとする。お腹に触れるか触れないかというところで止まっていたそれを、動かしたくてもぴくりともしなかった。
「まずいな、エリクシィル君に隷属の首輪が掛けられている」
「……どうにかならないんですか?」
「エリクシィル君の意思に関わらず、オルキデーア卿の命令に服従してしまう状態だ。例えその命令が、服従者自身を傷付けるようなものだとしてもな。下手に動けないな……」
動けないまま、ラッカスさんとレティさんの話を黙って聞いていたぼく。
顔には出せないけど、最悪の気分だった。せっかく皆が来て助かったかと思ったのに。
この男が命令を下せば、ぼくはこの短剣で自分を串刺しにしてしまうだろう。
恐怖で足が竦む。どのみち棒のように動かないのだけれど。
「思いのほか早かったな……。どうしてここが分かったんだ」
「エリクシィル君の同行者が、先に戻っているはずの宿に居ないことに気付いたのだ。催しの参加者に聞き取りをしていると、オルキデーア卿の執事に連れられて馬車に乗せられているところを目撃した人が何人も居て、確証を得てきたのだ」
「……そうか。もう少し足のつかない方法にすべきだったか」
男はそう言いながらもあまり感情を見せなかった。
どうしてそこまで冷静になれるんだろう。
基本的にあまり顔に出さない性格みたいだけど、何かの拍子で顔付きが変わることがある。
「こんなことをしても、もう逃げ道はない。別の宮廷魔術師や国の兵士もこちらへ向かってきている。大人しく降伏するんだ」
「……」
ラッカスさんの声にも、男は黙ったままだった。
そのとき、けたたましい足音とともに勢い良くドアが開かれた。
ドアの方に向けないけど、今度は一体誰だろう――?
「……!? エリー!? 何してるんだ!?」
聞き覚えのある声。ウィルだ。
ぼくに対して声を掛けてくれるけれど、返事をすることはできない。今のぼくは操り人形に近い。
そして遅れて、兵士らしき人らも何名か視界に入った。距離を置いて、男とぼくを取り囲むようにしているようだ。
「ウィレイン君、エリクシィル君は操られていて手を出せない状態だ。下手に動かないでほしい」
「!? それはどういう……」
「エリクシィル君の首に隷属の首輪というものが掛けられているのだ」
ウィルはどういう意味かを察したのか、それ以上は聞いてこなかった。
「くっ、あのときの男か……お前さえいなければこんなことをしなくても済んだ……」
「……? どういう意味だ?」
男はウィルの姿を確認するなり、突然態度が変わったように思えた。表情は見えないけど、声色が違っていた。
ウィルの方はなんのことか分からないという声を上げていた。
この男と面識はないはずだから、当然の反応だろう。
一方的にウィルに対して恨みを抱えている、そんな印象を受けた。
「この娘はお前が好きだから、と私からの求婚を断った」
「……エリーが……?」
ウィルが驚いた声を上げていた。
――最悪だ。こんなときに自分の以外の口から想いを伝えられる結果になってしまった。恥ずかしくて顔を見せられない。
だけど表情は変えられないし、短剣を握らされたままというひどい体勢のまま。自分が惨めで情けない。
「そうだ、だからこの娘はこのまま私のものにする。……悔しいだろう?」
「くそっ……」
迂闊に手を出せないウィルが声を上げた。顔は見窺い知れないけど、きっと苦虫を噛みつぶしたような表情をしているのだろう。
「こんなことをしてしまったのだ、この国に残ればよくても爵位剥奪、悪くて斬首刑だ。……当初の予定通り、この娘を連れてこのまま国を抜ける。道を空けたら一歩も動くな。手を出すのならばこの娘の命はない」
男は落ち着きを取り戻して、冷静にそう言い放った。
囲んでいた宮廷魔術師や兵士たちは少し躊躇した後に、両側へ避けるように移動した。
そのまま前へ歩け、という命令にぼくの足は勝手に動き出した。男は用心しているのか、ぼくの身体に別の短剣を突き出しているようだった。ドアを背に向けたまま、後ろ足で歩いて行く。
「待て!」
「……なんだ」
ドアへと差し掛かった直前、ウィルからの静止の声。
男は立ち止まり、ぼくにも止まるよう命令を下した。
「このまま連れていくだなんてことはさせない! エリーは……エリーは、俺の大事な女の子だ!」
「……目障りな男だ。お前がいなければここまでせずに済んだのだ……」
ウィルからの声に、男は舌打ちをしていた。
声色から明らかに苛立っている印象を受けた。
「……そうだ、よいことを思い付いた」
そういうと男はぼくに対してウィルに向くよう命令した。そして、
「《あの男を刺せ》」
「……はい」
ぼくの口が勝手に開き、命令を了承した。
――そんな、ウィルを!?
「大好きな娘に殺してもらえるんだ、嬉しいだろう? 拠り所を失った娘もこれで心置きなく私のものになれる。一石二鳥だろう」
男からの命令を受けて、短剣をウィルの方に向けて勝手に走り始めた。
ウィルはその声に驚き、固まっているように見えた。
(いやだ、ウィルを刺すなんて!! 止まって、止まってよ……)
ぼくがどう願おうが、身体は勝手に前へと進んでいく。
一歩、また一歩。だけどウィルは一歩も動こうとしなかった。
どうして、ウィルは動かないのか――。
ついにウィルの目の前まで辿り着いて、ウィルの胸へと短剣を突き立てた。
――だけど、短剣は空を切っただけだった。
目の前に居たはずのウィルはいなくなっていた。
「なっ……ぐわあっ!!」
同時に男の悲鳴が聞こえ、物音がしたのを最後に静かになった。
短剣を前に突き出した状態で固まってしまっていたぼくは、何が起こっているのか分からない。
「エリクシィル君、大丈夫だったか。……男は取り押さえた、すぐに首輪を解錠する」
ラッカスさんの声が横から聞こえる。返答はできなかったけどその声に安堵する。
視界にウィルが入った途端、また足が勝手に動き出した。
運良く宮廷魔術師が気付いて、すぐに取り押さえてくれて事なきを得た。
そのまま何かの詠唱のあと、ガチャという金属音とともに首から金属の輪が外れ落ちた。
鈍い音を立てて床に落ちたそれを、ラッカスさんは神妙な顔付きで掴み取った。
「……隷属の首輪の中でも、人格まで操れる強力な代物だ。この王国では所持すら違法なものだが……」
ラッカスさんはそんなことを呟いていた。そんな恐ろしいものを、あの男が持っていたとは。
あのまま連れて行かれていたら、どのようなことをされていたかと考えると背筋が凍った。
ようやく身体の自由を取り戻して、短剣をラッカスさんに手渡した。安心した瞬間に足に力が入らなくなり倒れ込みそうになる。
「大丈夫か?」
そして気付いたら身体が支えられていて、見上げるとウィルが顔を覗き込んでいた。
「……まあ今みたいに早く動ける自信があったし、エリーが離れたときがチャンスだと思ったからぎりぎりまで待ったんだよ。それでエリーが刺そうとした瞬間に動いてすぐに取り押さえ……エリー?」
「ひっく、ぐすっ、ぅ……うわああああああ!!」
ウィルに優しく抱きしめられ、恐怖感から解放されたからか涙が止まらなくなかった。
ウィルは背中をさすって「怖かっただろう」「もう大丈夫だぞ」と声を掛けてくれていた。
だけど、その声とともにどうしても気になることがあって。
涙を手で拭いながら、ぼくはウィルを見上げるようにして。
「ウィル……お酒くさい……」
「…………すまん」
あれだけお酒を飲まされていたのだから、当然なのだろうけど。
ぼくの鼻をすすりながらの指摘に、ウィルは身体を離そうとした。
ぼくはそれを阻止して、再びウィルの胸の中へ。
けっこう強引だったので「うおっ」という声が聞こえた。
ごめんねと心の中で謝って、ふたたびウィルの顔を見て。
「ウィル……ありがとう……」
「……ああ」
頭を撫でてもらって、えへへ、と言葉が漏れ出てしまう。
――ああ、もう。
ウィルがいないと、ぼくはダメみたいだ。
いつまでもいつまでも、こうしていたかったのだけど。
そのあと周りの人たちから見られていることに気付いてしまい、顔を赤くしてしまったのだった。
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