無角童子の侵攻【Part夙】
あちこちで戦火が広がっていく中、無角童子はただひたすら西へ西へと進んでいた。
嫌でも目立つ最強クラスの妖の進路には、援軍でやってきた術士たちがうじゃうじゃと立ちはだかってくる。そんな彼らと戦いたいがために多くの妖たちがついて来てしまったのは鬱陶しいが、露払いと思えば気にはならない。
「ぐあっ!?」
「貴様、那亜という名を知っているか?」
無謀にも挑んでくる術士を片手で捻り、その度に彼女の居場所を訊ねているが、有益な情報は今のところ出ていない。
「那亜は必ずこの街にいる。そう言えば、あの男は街にはいないと言っていたな」
「ねえねえ、無角様。那亜ってどんな妖?」
唯一、それらしい反応をした男がいた。人間だが、物の怪が混じっているような不思議な気配を纏った男だった。まず間違いなく、奴は那亜の居場所を知っている。
となれば、考え得るは街の範囲でありながら街ではない場所。
即ち、山だ。
「無角様がボクを無視する。どんどんスルースキルが上達していっちゃってボクはどう反応すればいいのかな?」
紅晴市の地図を思い浮かべる。北側は海、他を山に囲まれた天然の城塞都市と言えるこの街には、いくつか不自然な気が流れている箇所が存在している。
「中央の小山は違う。あそこはまた別物だな。神域の類だろう。興味はあるが、今はどうでもよい」
「あー、アレは触れちゃまずい類のやつだね」
そうなると候補は南西の山だ。本来は裏鬼門になるはずの方角だが、力の流れが一方通行で人も妖も外側から越えることは叶わない。故に山ン本は鬼門だけに軍を集め、神ン野はわざわざ挟撃するために方位の特性を反転させた。
奴らほどの妖がそこから攻め込むことを考えもしなかった場所。
間違いなく、なにかを隠している。
「調べてみるか」
無角童子は背後から符術を仕掛けようとした術士を振り向くことなく薙ぎ払うと、そのまま前方に見える山影に向かって片手を翳す。
膨大な妖気が渦巻き、収斂していく。
やがてそれは特大の鬼火となり、南西の山の中腹付近へと射出された。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「わーお♪ 無角様ってば大胆!」
盛大な爆発と共に、なにかが砕けるような手応えを感じた。恐らく、結界の類が今の一撃で壊れたのだろう。
奇しくも『白蟻の魔王』と同じ方法でそこへのルートを確立させた無角童子は――
「……ほう、これは面白い」
一気に溢れ出た強者の気配に愉快げな笑みを刻んだ。
さらに――
「あるぞあるぞ! 那亜の気配もあるぞ! 以前感じた気配がこの街で途切れていたから間違いないと考えたが、やはりそこに隠れていたか!」
「えっと、無角様? どれが那亜って妖の気配なの?」
そう、あの山には尋常ではない気配が複数存在している。無角童子とて、このまま突入すれば那亜の下まで辿り着けたとしても満身創痍は免れないだろう。
それは少々、面倒だ。
ならば――
「聞け! 山ン本にも神ン野にも与せぬ妖どもよ!」
周りを巻き込むのが手っ取り早い。
「このまま雑魚しかいない街で暴れても楽しいか? 否だ! 我らが求めるは一方的な蹂躙にあらず!」
山ン本でも神ン野でもない彼らは、ただただ思いっ切り暴れることを目的としてこの百鬼夜行に参加した連中だ。だが、それ故に個の力は非常に強い。ガシャドクロとダイダラボッチに投げ入れられても問題にしないほどに。
「貴様らも感じただろう? あの山に存在する強者の気を!」
南西の山を指差す。周囲の妖たちが釣られてそちらを見やる。
「戦い足りぬ者は我と来い! そこには貴様らを満足させられる手練れがおるぞ!」
周りの妖たちが狂気の笑みを浮かべて南西の山を見やる。無角童子の一声で彼らの興味がそちらへシフトしたのだ。
だが、全員というわけではない。
「いいや、確かにあそこにゃ強ぇ奴らがいるっぽいが、あんなところに行かなくても楽しめそうな相手ならそこにいるだろ」
無角童子の進路を塞ぐように、一体の妖怪が立ちはだかった。
「なあ、無角童子」
筋肉質な巨体に、頭部そのものが一本の太い角のようになっている妖怪だった。ギラつく目は戦いに飢えており、この付近にいた術士程度では満足していないことは明らかだ。
「一角か。貴様、妖同士で戦る気か?」
「その方が面白ぇだろ? 中心部の方が強い術士がいると思ってオレらはこうやって潜入したわけだが、実際はどうだ? 腹の足しにもならねえクソしかいねえ! オレはもうストレスマッハで一秒でも早く『戦い』がしてぇんだよ! 山なんか登ってられっか!」
「ハッハーッ! 確かに一角の言う通りだ。つまんねぇ人間を相手にするより、ここにいる俺様たち妖でバトルロイアルした方が楽しいってもんだ!」
と、拳を打ち鳴らす一角に賛同する者が現れた。
背中に巨大な火のついた車輪を背負った赤髪の青年である。
「おう、話がわかるじゃねえか、火車。じゃあ一発目はてめぇが相手してくれんのか?」
「やってもいいが、いいのか? あれだけ啖呵切って初戦敗退は格好悪ぃぞ?」
「あぁ? ぶち殺すぞ?」
「ハッハーッ! やってみろ」
睨み合い、火花を散らす両者。この場にいる連中は山ン本や神ン野の配下とは違い、ほとんどが馴れ合いを嫌うものたちだ。衝突くらいあっても不思議はないが――
「おやまあ、まるで我慢のできへんクソガキのようどす。あてらで争うたらわざわざ百鬼に加わった意味があらへんえ?」
「これだから脳筋バカどもは。山ン本の軍に入った方がよかったんじゃない? チッチッチ」
敵地のど真ん中で一応は仲間である者同士がドンパチ始めようとすることには、流石に周囲の者たちは呆れた空気だった。
「黙れ絡新婦! 夜雀! てめぇらから潰すぞ!」
「他にここでバトろうって奴ぁいねえか! ハッハーッ! 犬神、茨木童子、お前らはどうだ?」
一角はクスクス笑う女妖怪たちに吠え、火車は賛同者を増やそうと近くにいた二体に問いかける
「断る。おらは人間と人間の味方する奴をぶち殺すために来たぜよ」
「……某を貴様らと一緒にするな」
問われた彼らは興味なさげに数歩下がった。他の妖たちも似たようなものである。
無角童子は小さく息を吐いた。
「くだらん、ここにいる連中は我を含め所詮どこの軍門にも下っておらぬ一匹狼だ。暴れたければ勝手にすればよい。付き合うつもりはないがな」
そう言って無角童子は一角と火車の脇を素通りし、南西の山へと歩を進める。
「おいおい逃げるのか、無角童子? いいからオレと遊んでくれよ!」
「いいや、俺様が先だ。お前は女どもと遊んでなハッハーッ!」
背中を向けた無角童子に、ここぞとばかりに一角と火車が飛びかかる。
「無角様は忙しいんだ。そんなに暴れたいならボクが相手してあげるよ!」
だが、その前に黒い翼の少女が割り込んだ。無角童子の周りをやかましくうろちょろしていた少女妖怪だ。
「烏天狗のガキが。てめえは眼中にねえんだよ!」
「ハッハッー! 無角の腰巾着にゃ用はねえ!」
黒い翼の少女はするっと無視され、一角と火車は背を向けたままの無角童子に躍りかかる。
しかし――
「……鬱陶しい」
やはり振り向くことなく、無角童子は両者の顔面にアイアンクローをかました。そのまま腕の力だけで両者の巨体を持ち上げ――思いっ切りアスファルトの地面に叩きつける。
「がはっ!?」
「ごふっ!?」
陥没した道路に情けなく埋まる一角と火車。ピクピクと痙攣しているから、この程度ではまだくたばらないだろう。
「頑丈な奴らだ。……ふむ、決めたぞ。貴様ら、我の肉壁となれ」
「なん……」
「……だと?」
這いつくばった姿勢で顔を上げる一角と火車を、無角童子は冷徹な瞳で見下す。
「敗者は勝者に従えと言っている」
その底冷えするような威圧に、一角と火車はビクリと震え顔を青くした。
と――
「んな!? 無角様! 肉壁ならボクがなりますって! いや寧ろならせてください!」
烏天狗が鬱陶しくも無角童子の前に回り込んできた。
「というか今止めに入りつつもわざとこのバカどもをスルーしました。オシオキですか? オシオキですよね?」
瞳をキラッキラさせて上目遣いに無角童子を見上げていた烏天狗は――
「ああ、無角様のパワーでお尻ペンペンとかされちゃったらボクもうぐちゃぐちゃになっちゃうかも! いやいっそさっきの術士みたいに鬼火で丸焼きにされたりしたらうへへ……ハァ……ハァ(*´Д`)」
なんか両手を上気した頬にあて、気持ち悪い感じにくねくねし始めた。
「……」
「……」
「……」
「……」
周囲、ドン引きである。
「無角はん、あんさんとこの連れ――」
「連れではない。昔捻り潰してから勝手に付き纏っているだけの変態だ。我にとっては路傍の石以下だ」
「ありがとうございます!」
「チッチッチ、ドMでストーカーの烏天狗とか性質が悪いね」
なぜか哀れみの視線を受けてしまったが、気にしても仕方がないので無角童子は一歩踏み出す。
「……我はもう行くぞ。あの山で暴れたい者だけついてくるがよい」
***
南西の山――異世界邸。
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「「「ぎゃああああああああああああああああッ!?」」」
突然街からぶっ放された禍々しい火の玉が結界にぶつかったかと思えば、大爆発を起こしてあっさり破壊されてしまったのだ。凄まじい爆風に襲われ、トカゲとポンコツとチワワが西部劇の草塊みたいに虚しく転がっていく。
邸も今のでちょっと崩れた。
「ふざけんなよどこのどいつだコンチクショォオオオオッ!?」
絶叫する貴文だったが、フォルミーカの時のようにすぐ敵がやってくる、ということはなかった。もしかしてただの流れ弾だったのだろうか? なんにせよ結界の修復には時間がかかる。あと金もかかる。泣きそう。
「貴文様! 今の火の玉、強者の予感がします! ちょっと行ってきていいですか?」
「持ち場を離れるな駄ルキリーが!」
勝手に飛び出そうとするジークルーネを貴文は竹串で引っ掻けて止めた。ちょっとのことで暴走されたらせっかく迎え撃つ準備をした意味がない。
「今の、わたくしの魔力砲並の威力でしたわ」
「まともにくらったら火傷じゃ済まなさそうだね~」
フォルミーカとカベルネは壊れた結界の辺りを調べている。確かにあんな攻撃ができる妖怪はそういないはずだ。魔王級の誰かだろう。
もし流れ弾ではなく、狙って結界を破壊したのだとしたら――まずい。結界が壊れたということは、それが隠してくれていた異世界邸の気配が丸わかりだということだ。
「お前ら警戒しろ! すぐに妖怪が来るぞ!」
「やつがれは暇である。そも、なぜやつがれがこの場で待機せねばならぬのか? 管理人に従う理由がとんと見つからぬ。よし、我が君の下へ参じようそうしよう」
「持ち場を離れるなっつってんだろうが!? ああほら、馬鹿なことしてる間にお出ましだ!」
焼き払われて見渡しのよくなった山道。そこを無数の異形たちが駆け上っていた。どいつもこいつも単騎でそれなりの妖力を秘めた上位の妖だ。
爆風で転がっていたジョンたちも戻ってくる。
「――ってあの大群はなんなのであるか!? 管理人の言葉通りならここを狙っている妖怪は一体だったはずである!?」
「部下でも連れて来たんだろ。予想できたことだ」
敵の数は見える範囲だけでも百を優に超えている。貴文とて敵が一体だけなら変態羊を入口に置くだけで済ませるつもりだったが、流石にこれでは今の布陣が正解だと痛感する。
悪い予感に従ってよかった。
しかしなんでこう悪い予感しか当たらないのか。そういう星の下で生まれたとしか思えない。
「お前ら戦闘準備だ!」
「約束通り先陣は私が切りますね! えへへ♪」
「いいえ、あなたは下がっていなさいな」
張り切って飛び出そうとしたジークルーネを、フォルミーカが手で制した。
「有象無象が。わたくしの正面から攻めてくるなんて無謀を知るといいですわ」
片手を翳したフォルミーカが白く輝く。あり得ない量の魔力が掌に収斂し――
次の瞬間、特大の魔力砲となって前方へと射出された。
悲鳴も上がらない。
魔力砲に呑まれた妖たちは、まるで最初からそこにいなかったかのように塵も残さず消滅してしまった。山肌に沿うような魔力の光線は街の一部も消し飛ばしてしまったが、そこに人間がいないことはわかった上での一撃だ。
あとの損害賠償は……今は考えない貴文である。
「やったか?」
「おい馬鹿クソトカゲ!? その台詞は――」
生存フラグが立った瞬間、魔力砲の残光から次々と生き残った妖たちが飛び出してきた。
「なるほど、あの程度で終わる雑魚ばかりではないようですわね」
可憐にして獰猛な笑みを浮かべるフォルミーカ。そして今度こそと言わん勢いで大鎌を握ったジークルーネが大群に向かって飛び出した。
「私の相手をしてくれる強者はいませんか? 立候補、大歓迎です♪」
半分とはいえ神の気を纏うジークルーネに妖たちは怯む――ことなどなく、寧ろオレだオレだと押し除け合いながら襲いかかっていく。
斬ッ! スパッ! ザシュッ!
「足りません! まだです! まだまだもっとです!」
大鎌が振るわれる度に魑魅魍魎たちが真っ二つに断ち切られる。上位であるはずの妖をバッサバッサと斬り倒していくジークルーネは、まさに戦場の死神だった。
だが、全員がジークルーネだけを狙うわけじゃない。
「こ、こっちにも来るのである!?」
ジークルーネには見向きもせず攻めてくる妖にジョンが悲鳴を上げる。ここのところ異世界邸のパワーインフレに呑まれ、すっかりヘタレてしまった〈鮮血の番狼www〉だった。
だからなんだと貴文はその尻を蹴って押し出す。
「尻尾を内股に入れてないで番狼ならお前も早く逝って来い!」
「この管理人の方が鬼である!? あと字がおかしい気がするのである!?」
キャインキャインと喚きながら敵の大群に突っ込むジョンだったが、顔をぶんぶんと横に振り、涙で塗れた目に強い意志を宿す。
「わ、我輩はノルデンショルド地下大迷宮第一階層支配者――〈鮮血の番狼〉である! このような輩など本来相手にもならないのであーる!」
目から怪光線。口から火炎放射。マンモス級の巨体から繰り出される鋭い爪と牙が、妖たちを次々と蹴散らしていく。『迷宮の魔王』の城の入口を気が遠くなるほど守り続けた実力は伊達じゃない。普段はアレだが。
「さぁて、久々に管理人に邪魔されることなく思いっ切り暴れてやるぜ!」
「おいトカゲ野郎! どっちが多く討ち取れるか勝負だ!」
「望むところだ!」
「負けた方がなんでも言うこと聞くってルールだぞ!」
トカゲとポンコツも意気揚々とジョンに続く。元から殲滅能力の高い二人は、その辺の多少強いくらいな妖では相手にもならない。見る見る数を減らしていく。
だが――
「チッ、地上だけじゃないってか」
貴文は目線を上にする。夜闇に紛れて無数の黒い影が異世界邸に向かって飛んでいた。
「管理人さ~ん、空から来てるのはわたし貰っていいかな~?」
立候補したのは、片手にワインボトルを持ったままのカベルネだった。黒い翼を広げた堕天使。空中戦においては確かに彼女が最も適任だ。
「任せた」
「報酬は期待してるよ~?」
「……異世界邸の酒蔵にある年代物のワイン三本」
「イエ~イ! 張り切っちゃうよ~!」
暢気な口調とは裏腹に、まるで足下が爆発したかのような加速で夜空へと飛翔するカベルネ。こちらに向かっていた黒い影が一つ二つまた一つと撃墜されていく。
「よし、残りの俺たちは邸の死守だ! 絶対に中に入れるな!」
「承知いたしましたわ」
邸の入口に立って構えたのは貴文とフォルミーカ、そして――
「ん? ちょっと待て、あの変態どこ行きやがった!?」
ちゃんと働けば最も頼りになるはずの羊は、残念ながらどこにも見当たらなかった。