百鬼進軍【part山】
紅晴市の街境。
闇夜に溶け込む小山の天辺――目元を色の濃いサングラスで隠し、黒いコートを羽織った左目の下に傷のある男は彼にしては珍しく「うーん」とただただ無意味に唸っりながら眼下の紅晴市を見下ろしていた。
「いやはや、流石は天逆毎の転生体。鬼門を反転させるとは豪快なことしてくれるねえ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、男――瀧宮羽黒はポケットからケータイを取り出し、通話状態となっているのを確認する。
紅晴市を狙う山ン本九朗左衛門と競り合っている神ン野悪十郎が神話級の怪物を抱き込んだという噂は耳にしていた。とは言え、それはもはや都市伝説と言って差し支えないほどの眉唾物の情報であった。
しかし、紅晴市の鬼門を整え、数少ない防衛力を分散させずに百鬼夜行を迎え撃つよう作戦を進言し、自分の家の当主を修行と称して派遣した身としては無視できる噂でもない。多忙の身の片手間に情報収集を行っていたところ、その怪物が天狗と天邪鬼の祖とも呼ばれる天逆毎の転生体であると判明してさすがに傍観していられなくなった。
そして現場に到着してみたらこの様である。
「やれやれ、俺の面目丸潰れじゃん」
面目などまるで気にするような男ではないが。
とは言え、引き渡した後の現場で不具合が発生し、それを放置したとあっては世間体が悪い。別段生活に困っているわけではないが、良くも悪くも世界の注目を浴びるこの街に加担しておきながらその後を放置しては今後この業界で生きづらい。
「というわけで、そっちは予定通り頼むわ」
『――――――』
と、ケータイの通話口から不満げな声が漏れる。それに苦笑を浮かべながら羽黒はゆるゆると応対する。
「はいはいわーってるって。そっちこそ、お前らに割引券とか引換券とかじゃなく、俺にしちゃ珍しく正規の依頼料出すんだ。しっかり働けよ?」
『――――――』
「おうおうその意気だ。んじゃ、頃合いを見て回収に行くからあと頼んだわ」
通話を切り、ケータイをポケットに戻す。羽黒は「さて」と一息ついて上空を見上げる。
夜空を覆いつくす、瘴気を孕んだ厚く黒い雲の隙間から、時折雷のような轟音と光が降り注ぐ。あっちもあっちで順調らしい。
「どうやったらあの巨体をお手玉できるんだ……我が相方ながら恐ろしい」
無角童子他多数の妖怪たちを投げ入れた後、そのまま自身もその巨体をもって紅晴市を踏みつぶそうと動き出したダイダラボッチを上空に打ち上げ、そのまま地面に降りてこないよう空中コンボをきめ続けている相方には流石に冷や汗を隠し切れない。弟子が管理するこの土地に吸血鬼である彼女が足をつけると目の色変えて襲ってくるため、どうしたものかと話を持ち掛けたらああなった。天逆毎の転生体にも見劣りしない豪快さである。
ともかく。
「向こうが片付いたら撤収すっか。はーあ、社会人はツライネ」
煙草を一本取り出し、ジッポを擦る。しかしガス欠でもないのに火はつかず、むなしくカチカチと火打石が空回りしている。
が、どうせ点かないんだろうと煙草の先を離した瞬間、一瞬だけ金色の炎が宙を焼いた。
「…………」
肩をすくめ、火のついてない煙草を咥えながら羽黒は足場にしていた小山から飛び降りる。
それが合図であったかのように、小山――粉々に打ち砕かれた巨大な骨がカタカタと音を立て始め、寄せ集まり集まり骨格を形成し始める。
「ったく、元気がいいねえ」
カカカカカカ、と最初に復元された顎の骨を笑うように打ち鳴らしながら、巨大な骸骨――ガシャドクロは山をも抉る掌で羽黒に掴みかかってきた。
「おっと」
しかし羽黒は器用にそれを避け、ガシャドクロの手の甲に着地してはるか上空に位置する眼窩を見上げる。闇夜より深い亡者の空っぽの眼光がこちらをじっと見据えてくる。
「悪いが、お前さんの図体でも街に入られると文字通り潰れっちまうからな。もうちょい俺と遊んで行ってくれや」
羽黒は拳に龍麟を集中させ即席の鈍器とし、ガシャドクロの大木のような腕に振り下ろして再び粉砕する作業に入った。
* * *
「言うだけ言って切りやがった」
一方的に通話が途絶えたケータイを親の仇のように睨みつけながら、亜麻色の髪を短く刈った少女は悪態をつく。まあいいけどね、貰えるものは貰えるらしいし、と即座に切り替えて先ほどの相手とは別の番号を呼び出す。
「はーい、こちら梓。そっちからの様子はどう?」
『九朗左衛門率いる百鬼の進軍は順調そのもの。すげーぞあいつら。鬼門が反転して陽気が一番高まったとこからごり押しで切り開きながら進んでる』
「はっ、兄貴も鬼門反転された上で神門からごり押しで入ってくる脳筋は予想できなかったみたいね。ざまあ」
『言ってる場合かよ。珍しく貰うもん貰ってんだから、ちゃんと処理しないと対等な取引先として怒られんだぞ』
「むう、それは確かに癪ね」
『……とりあえず、今半分ぐらい紅晴市に入った。あと3分数えたらそっちも動いて』
「りょーかい。んじゃ、そっちもいつも通りよろしくー」
言って、亜麻色の髪の少女――瀧宮梓は通話を終了してケータイをしまう。そして肩のストレッチをしながら背後で話を聞いていた二人に振り返る。
「そういうわけだから、出発は3分後。それまでに聞きたいことがあったらどうぞ?」
「あー……」
二人の片割れ、年齢不相応にがっしりとした巨体の少年が自信なさげに小さく挙手をした。
「本当に俺らも出るんですか?」
「松のおっちゃんに頼まれたからね。あんたらもいい加減実戦に出したいってさ。てか、そんな図体して実戦怖いん? その筋肉は飾りか!」
「いや、そりゃ演習は何度もしてるけど、流石にこっちの命狙ってくる実戦は怖いですよ……」
「情けない。あたしなんて十歳の頃から常在戦場よ」
「うへぇ」
「何その声。スーくん、ちったぁ後ろのマーちゃんを見習ったら?」
「アレはアレでどうかと思うんですけどね」
大柄な少年――畔井駿河は少し後ろの方で獲物をぶんぶん振り回している双子の姉の真理華に呆れ半分の視線を投げる。
「ふっ! ふっ! ふっ! ふ! どんな強い鬼がいるのか今から楽しみ!」
長い鉄棒の両端に鎖で錘がぶら下がった超重量級の武器――双頭錘から風圧が発生するレベルで回転させている真理華はうっとりと顔を赤らめていた。体を動かして赤くなっているというよりも、恋する乙女の顔である。
「アレ、普段は優等生だけど映画とかゲームとかだと実戦投入されてすぐ躓いて挫折するタイプっすよ」
「士気が高くて何よりじゃない」
「それに私は実戦は初めてじゃないしね!」
ずがん! と爆音を立てながら双頭錘を地面に突き立て、真理華はふふんと自慢げに胸を張る。
「ああ、なんだっけ。魔法少女になったんだっけ」
「ええ! 梓お姉も一緒に侵略兵器サクシアと戦わない?」
「嫌。魔法少女ってガラじゃないし、高校生の魔法少女って結構ギリじゃない」
「でもあの衣装の時はいつもより動けるようになるんだろ? 真理華も素の状態での戦闘は初めてじゃんかー。変身の時とのギャップにやられんなよ?」
「変身中は五感も上昇してるから感覚としては普段とあんまり変わらないわよ。そっちこそ、ビビッて背中向けないでよね」
「それはない。いくらなんでも、ない」
ずがん! 駿河は両手に嵌めたナックルを打ち付けて派手に音を鳴らす。気合十分、話しているうちに緊張も解れたようで何よりである。
「んじゃ、そろそろ時間よ」
「はい!」「うっす」
「まずあたしが突っ込んで、九朗軍本体と後詰を分断する。九朗左衛門自ら率いる先鋒部隊はもう紅晴市の奥の方まで進んじゃってるから戻ってくることはないわ。雑魚三千のうち千も削ってやりゃ義理は立つでしょ。後は頃合いを見て兄貴が回収に来るはずだから合流して撤退までが流れよ」
梓は魔力を練り、言霊を紡ぐ。
「――抜刀、【陽炎】【澪標】」
金色の炎を纏った武骨な鉈のような直刀と、それとは対照的な反りの美しい太刀が両手に具現化する。
同時に梓の右目が赤く染まり、直刀と同じ黄金の火影が渦巻く。
「九朗軍が混乱したら二人も付いてきて、あたしが討ち漏らした連中で倒せそうな奴だけ狙って仕留めて。無理だけはしない、絶対に生き残れ」
「「了解!」」
「戦闘が始まったらあたしもフォローできるか分からないけど、まあ腕のいいスナイパーが見ててくれるから後ろは気にしなくていい。前だけ見てろ。それじゃあ……」
出陣!
その音だけをその場に残し、梓は赤と金色の光の線だけを残してその場から消え失せた。時間を超越したとしか思えないその速度に真理華と駿河がぎょっと目を見開いて反応が出遅れた間に、梓は既に敵陣のど真ん中目指して鬼たちをなぎ倒しながら斬り進んでいく。
「な、何だ!?」
「敵襲! 敵襲!」
「左翼より敵襲! 数は不明! 総員、警戒を――ぎゃあああああ!?」
血気盛んに前だけを見て突き進んでいた鬼の群れはあっという間に阿鼻叫喚の混乱の渦に叩き込まれた。さらに追い打ちをかけるように
ダァン! ダァン! ダァン!
どこからともなく、三発の銃声が響く。
すると梓の周囲に三本の巨大な氷柱が天高く突き上がり、槍のように近くにいた鬼たちを串刺しにする。加えてその氷柱を足場に梓が縦横無尽に跳び回るものだから、その度に直線状にいた鬼の首が景気よく吹っ飛んでいく。
「げ、ヤバい!」
「このままだと梓お姉に全部持ってかれるわ! 何もできなかったて知られたらパパに怒られる!」
「あ、待てよ!」
血相を変え、地面に突き刺していた双頭錘を引っこ抜いて肩に担ぎ慌てて百鬼目指して駆け出す真理華。その後を慌てて駿河も追いかけ、街の外で九朗左エ門軍の戦力を削るべく突っ込んでいった。
* * *
「急報! 急報!」
「何事か」
辺りに立ち込める陽気を瘴気で打ち払い、紅晴の術師たちをなぎ倒しながら悠々と行軍していた九朗左衛門の元に伝令が駆け寄る。
「こ、後続の大隊おおよそ千が謎の一団の襲撃を受け、分断! 錯乱状態に陥り、進軍もままらない状態です!」
「な、何!?」
「戻って救援に行かなければ……!」
その知らせに、九朗左衛門達の側近たちがざわめく。三千を率いる九朗左衛門の大群とは言え、千もの兵卒が孤立したとあれば無視はできない。悪十郎軍は天真子という二大指揮官体制の上、行軍速度で後れを取っている。そこに優位であった兵力差まで詰められては堪ったものではない。
しかし九朗左衛門は変わらず前だけを向き、一つ頷く。
「朧」
「ハッ」
九朗左衛門のすぐ隣に控えていた一本角の大柄な鬼が進み出る。
「貴様に百預ける。後続を救援後、残存鬼兵を纏め我に追いつけ。編成は任せる」
「御意」
朧と呼ばれた鬼はすっと霧のように消える。それを確認した後、九朗左衛門は声を張り上げる。
「聞け! 山ン本の名の元に集いし悪鬼共よ!」
その一声に、その場にいた鬼全ての視線が九朗左衛門へ向けられる。
「これより我らは紅晴の中央に祀られている土地神を目指す! 聞けば彼のカミは人間に安寧だけでなく災厄をも振りまく厄神の顔も持つという! その力を得ることが出来ればこのような地を潰すことなど容易いであろう! 神ン野の子倅などに二度と顔をされないほどの力量差を見せつけることが出来る!」
『おおおおおおおおお!』
「気合を入れ直せ! 心構えを新たにせよ! 語尾は『キー!』であるぞ!」
『キー!!』
……ん? と、九朗左衛門の近くにいた小鬼たちが首を傾げる。
「九朗左衛門様!」
「何用か」
勇気ある一匹が九朗左衛門に近寄り、疑問を投げかける。
「今ノリと勢いで『キー!』と鳴きましたが、『キー!』を付けるのにはどのような意味合いがあるのでしょうか!」
「うむ。良いか、我らは鬼である。鬼とは、人間の敵である」
「そうでありますな」
「人間の敵とは、語尾に『キー!』とつけるのが古くからの礼儀作法である!」
どん! と九朗左衛門が胸を張り、すっぱりと言い切った。
「な、なんと! そのような作法が……不勉強で申し訳ない限りでございます。……否、不勉強で申し訳ないキー!」
「うむ、なかなか様になっておるな。貴様の新たな鬼生を祝い、これを授けよう」
パチンと指を弾くと、小鬼の前に一着の衣が出現した。
「これは……全身くまなく覆う柔らかな手触りの黒い衣……それでいて何と禍々しい紋様でありますキー! これを纏えば百鬼に匹敵する力を発揮できる気がしますキー!」
いそいそと九朗左衛門から賜った黒い衣に身を包む小鬼。付属の覆面まで被ると、親しい者でも元が小鬼であると分からぬほど禍々しい姿へと変貌を遂げた。
「身の丈七尺以下で人型の者は手を挙げよ! 貴様らにもこの衣を授けよう!」
『おおおおおおおおおお!』
次々と手が挙がる九朗左衛門の軍勢。一通り見渡し、九朗左衛門は再び指を弾くとそれぞれの身の丈に合ったサイズの黒い衣が目の前に出現した。
行き届いた衣を全員が身に纏うと、ただでさえ血気盛んであった百鬼が禍々しい悪鬼羅刹の群れへと変貌を遂げる。
「うむ、貴様ら見違えたぞ!」
『キー!!』
「時に九朗左衛門様は語尾と衣はよろしいのですキー!?」
「我は所謂『幹部』であるからして不要である」
「なるほど……これはあくまで、我ら下の者の作法と装いということでございますキー! であれば、我らも早く語尾が不要となるような立派な鬼になれるよう精進いたしますキー!」
「その意気や良し! では行くぞ者共! カミの封じられている彼の地を蹂躙し、世に山ン本在りと知らしめよ!」
『キー!!』
装い新たに、瘴気をながら進軍を再開した九朗左衛門軍を紅晴の並の術者では止める術もなく、着々と被害を増していった。
――魔王の名を継ぐ勇猛なる鬼、山ン本九朗左衛門の趣味は日曜朝の特撮鑑賞であった。