表裏の前座 【part紫】
北の海に面した寺──から少し離れた場所に存在する、閑静な茶室にて。
瑠璃色の着物を纏った『知識屋の魔女』が、茶釜の前に端座している。流れるような手付きで茶筅を操りながら、魔女は静かに口を開いた。
「──うん。その情報に偽りは無さそうだね」
「そうすね。ああいう「名」を継承する妖っつーのは、こういう場面で偽りの情報を流すような「卑怯」な真似はしたがりませんから」
魔女の言葉に応じたのは、竜胆。落ち着いた口調で、彼らが遭遇した妖達とその宣戦布告についての報告を終わらせたところだった。
「卑怯か……。まあ妖怪も色々だけど、「山ン本」の系譜ならそうだろうね」
ふっと息を吐いて、魔女は弧を描くように茶筅を持ち上げ、茶碗を両手で持った。三度回し、滑らせるように差し出す。
「そういうわけで。今宵、百鬼夜行がついに始まる。貴方達にも力をお借りする」
「勿論ですわ。その為に派遣されてきたのですもの、仕事は果たします」
よろしくお願いするよ、と固い表情で頭を下げる『魔女』に愛らしく笑って頷いたのは、白地に赤い彼岸花の刺繍が施された振袖を纏い、金色の簪で自慢の白髪をまとめ上げた白羽。
「あ、でも白羽、濃茶は苦手なのですが……」
「流石に薄茶だよ。練り切りと合わせればそこまで苦くない。無理にとは言わないけれどね」
見かけ相応の発言に微苦笑しつつ、魔女は棗に手を伸ばした。茶匙で次の客用の抹茶を掬いながら、視線だけを次席に向けた。
「名を冠する妖であれど、魔王級の瘴気に血が騒がない妖はいない。契約している妖ならともかくね」
そこで一度竜胆に視線を向け、魔女は茶匙と棗をおろし、茶杓を釜へと伸ばした。
「姫様も承知の上でありますれば」
「償いにもならないが、少しでも力に──とのことでした」
白羽の右側に付き従うように並ぶ2人──ムラヴェイとヴァイスの言葉に、魔女は固い表情のまま頷いた。
「術者達の感情は理解しておりますわ。ですが猫の手も借りたい状況でしょうし、2人は白羽の手伝いとして働いてもらいますわ。ここは白羽の顔を立てると思ってくださいな」
豪快にも練り切りのど真ん中に黒文字をぶっさして持ち上げながら、白羽が場の空気を宥めるように言う。
「分かっているよ。事前に聞かされていたから、根回しは終わっている。貴方の元で働いてくれている間は、こちらからはなにもしない」
裏を返せば、単独行動を許せば身の保証はない。そう暗に告げる魔女に、白羽はにこりと笑った。
「あはっ♪ 白羽が、たった2人の部下も従えられない愚鈍に見えますの?」
「勿論そうは思っていないよ。ただ、こんな短期間で割り切れるほど、街の被害は小さくなかっただけだ」
静かにそう答えて、魔女は2つの茶碗をヴァイスとムラヴェイに差し出し、浅くも頭を下げる。
「それでも。紅晴の歴史をもってしてもかつてない規模の百鬼夜行を、少しでも防ぐ手助けとなるのならば──よろしく頼むよ」
「こちらこそ頼みますれば」
「姫様の顔に泥は塗りません」
一礼して受けとる2人に頷き、魔女は次の茶碗に手を伸ばした。やりとりにほっと息をついた白羽は、そのまま練り切りを丸ごと口に突っ込む。
「それから、君達もだ。今回は、しっかり働いてもらうよ」
魔女が視線を向けた先、ヴァイスから少し距離を置いた右隣に敷かれた座布団に、胡座をかく竜胆は指先で頬を掻いた。
「いや……正直、前回の件については色々思うところがあるんすけど……はい。俺ら鬼狩りとしても見逃せない案件になっちまったんで、しっかりやります」
「帰りたい」
「そうだね、これはただの百鬼夜行じゃない」
棗から抹茶を茶碗に入れ、茶杓で湯を注ぐ手に淀みはない。微妙な表情を浮かべている竜胆には構わず、魔女は続けた。
「山ン本九朗左衛門……百鬼を従える魔王の片割れの子孫。という事はほぼ間違いなく、神ン野悪十郎も来ているだろうね」
「つか、あの時いた5人のうち、それっぽい臭いさせた奴がいたんで、確定で良いと思います」
「そんなおっかないのと戦いたくない! 帰る!!」
「そう……ま、ある程度は覚悟していたことだけれど。鬼狩りとしては、彼らは獲物になるのかな?」
「まあ……つっても、あれくらいになると本来は援助要請出して10以上の鬼狩りで部隊組んで相手取るのが普通なんすけどね」
「だったら今直ぐ鬼狩り呼んでください。そしたら俺帰っても問題無いし」
「何か事情が?」
「戦力として十分って判断されちまったのと……まあ、その。「これ以上足手纏いが増えて堪るか」っつう発言かまされまして」
「だったらチート勢だけで何とかして!? 俺は帰る!」
「……一応聞くけど、誰に?」
「俺らをここに派遣した張本人に」
「そう……君達の境遇に同情が深まるばかりだけど、こればかりはどうしようもないなあ」
「いや俺も、貴方には結構同情してますけど……つか、すんません」
「うん、俺からもマジでごめんなさいだけど、今一番謝られるべきなの俺だと思う。いや謝らなくても良いから帰らせてくださいお願いします」
「いいよ。……何というか、諦めるしかないから。君達の力も、頼りにしている。どうかよろしく頼むよ」
「こちらこそ」
茶碗を1つ三つ指をついて頭を下げる魔女に、竜胆も雑ながらしっかりと頭を下げ返し、茶碗を不器用に受けとる。困ったように茶碗を掲げる竜胆に少し笑って「自由に飲んで大丈夫だよ」と告げ、魔女は顔を4人に向けて表情を引き締めた。
「それじゃ、今晩の動きについてだけど──」
「ねえその前に、いい加減無視しないでこれ何とかしてくださいお願いします!? 帰りたい!!」
「「…………」」
これまで綺麗さっぱり存在を無視していた魔女と竜胆はしばし沈黙し、仕方なく竜胆の右隣に転がっている物体に視線を向けた。
「何か用かな? 仕事前に堂々とサボり宣言をした鬼狩りさん」
「自業自得っつー言葉を覚えろ、瑠依」
「帰りたい!!!」
冷え切った言葉をかけられ、逃亡防止の魔術を施された縄でぐるぐる巻きにされて座布団も与えられず畳に転がっている瑠依は喚いた。
「……白羽様。あの蓑虫のように床に転がっている人間は、戦力になるのでありますれば?」
「見る限り、四家どころか分家の術者風情の力しか感じ取れないのですが」
「……ここは、分家を貶されたと怒るべき所かな?」
「そこは、客分である竜胆先輩の顔を立ててあげてはどうですの?」
「やめてくれ……同情される方が辛い……」
顔を覆って呻く竜胆に、白羽と魔女は顔を見合わせて肩をすくめた。
「気持ちは分かるけど、いやだ帰ると喚きながら貴方に引き摺られてきて、きょうび小学生でもしないような駄々のこね方をした時点で、色々と手遅れじゃないかな」
「隙あらば逃げようとするせいで竜胆先輩が報告出来ないからと、雇い主に魔術で拘束されているのですから完全に手遅れですわね」
「……もうやだ俺、なんでこんなのが主なんだろう……」
「理不尽!!」
ぎゃあと喚く瑠依をなるべく視界に入れないようにしながら、竜胆はこめかみを揉むようにして言葉を絞り出した。
「すんません。マジで、本当に、助っ人としてはあるまじきやる気のなさなんすけど……いざとなったら妖の群に放り込んででも戦わせるんで」
「……君、あれの影響を受けてない?」
「俺も他の仲間ならこんな真似しないすよ。ただ……うん。瑠依は別なんで」
「竜胆この裏切り者!?」
涙目で訴える瑠依をひとしきり眺めて、魔女は小さく吐息を漏らした。
「はあ……まあ、いいか。正直私もどうなのかと思っていたんだけど、この様子だと言う通りにしてもよさそうかな」
「え?」
引っかかる物言いに竜胆が首を傾げる。それを見て魔女は、一度この場にいる全員に目を向けた後、何故かすいと視線を逸らした。
「えぇと……なんというか、残念なお知らせなんだけどね」
「うわ、何となく想像つく……」
「今ので一体何が分かるんですの?」
「経験済みかあ……」
遠い目をする竜胆に同情の眼差しを向けながら、魔女は続ける。
「今回の百鬼夜行は、当然だけど紅晴の存亡に関わる危険性が高い。普段から百鬼夜行に慣れている我々でも、流石に魔王級2体に無角童子は荷が重い」
「あーっと、すんません。ほぼ確定その3体で……残り2体も、似たり寄ったりの強者の臭いがしてます」
不確実な情報なんでさっきは報告しませんでしたが、と竜胆が付け加える。魔女は溜息をついて、頷いた。
「そうだよね。でも、それについての話は後で聞こう。まずは、貴方達の今晩の動きについてだ」
そこで言葉を句切り、魔女は改めて視線を5人に向ける。
「紅晴の存亡に──ひいては中央の山の封印が解ける危険に面した以上、ある男に助力を求める義務があってね」
「何故ですの? 魔女さんの指揮力があれば、これ以上、戦闘以外で外部の力はいらない気がしますわ」
「それは光栄だけどね。……この街の地脈を掌握されているからだよ」
白羽が目を見開く。それは、月波市でいう焔御前と同じ立場──封印された土地神の代行者たる権限を持つということだ。
「幸い、街の守護者たる責任感が、多分一応きっとおそらく、最低限ではあれど、そいつなりの形で僅かながらはあるらしくてね」
「魔女さんらしからぬ曖昧に過ぎる表現ですが、大丈夫ですの?」
「的確な表現過ぎて否定出来ねえ」
「え」
あまりにもあまりな評価につい投げ掛けた疑問が、まさかの竜胆に返答を返されてつい振り返った白羽だったが、続く魔女の言葉に勢いよく視線を戻す。
「貴方からの報告を受けて直ぐ、全身全霊で交渉させてもらった結果……その、貴方達遊撃部隊の行動に全権限を寄越せと言ってきたんだ」
「は!?」
白羽、ムラヴェイ、ヴァイスが目を剥いた。見も知らぬ人間に勝手に行動を指示される立場にされたものとして当然の反応に、魔女は眉を下げる。
「うん。一応、直接の命令だと聞きたくもないだろうから、私が中継する。けど、基本的にそこに拒否権はないそうだ」
「……なんかすっごくムカつきますわ」
「客人相手にこんな事になってしまい、申し訳ない」
そこで一度頭を下げ、魔女は瑠依に渡す予定だった練り切りを白羽に差し出した。
「ただ、まあ、采配そのものは愚策ではない……というか、捻くれてはいるけど的確に目的を果たしてくるから、無謀な特攻をさせられる心配はないと思うよ。基本、生かさず殺さず搾り尽くす勢いで利用するタイプだから」
「安心要素がありませんわ……本当に的確ですの?」
「うーん、そうだね」
当然とも言える白羽の疑問に、魔女は一度頷いてから、蓑虫に目を向ける。
「例えるなら、その2人については「数が多いか厄介なのを見つけ次第、うるさい方をそこに放り込んで、面倒見てる方にどうにかさせろ」だそうだ。逃げ回っている間に隙が生まれるからそこを主戦力に討たせろ、と」
「当たり前のように仲間を囮にするなあの悪魔!! 帰りたい!!」
「……やっぱ、俺がフォローさせられんのか……」
「ちなみに、「ぎゃーぎゃー騒ぎ出すと呪術がジャミングを起こし出すから、複雑な術が得意な奴は遠ざけておけ」だそうだよ」
「あぁ、はい……そうすね」
的確ですよ、と遠い目で頷く竜胆を見て、白羽が顔を引き攣らせた。
「あの……どう聞いても、特攻ではありませんの?」
「うん。私もそう思ったんだけど……」
白羽と魔女が竜胆に向けると、竜胆は遠い目のまま、ぼそりと答える。
「大丈夫です。どーせ瑠依は死なないんで」
「なわけあるか死ぬわ!?」
がおうと瑠依が吠えるも、竜胆は遠い目のまま首を横に振った。
「マジで、何故か本当に死なないんで……むしろ死にそうにならないと逃げるまであるんで、それでお願いします」
「「……」」
基本的に契約相手には絶対服従するはずのオオカミ系妖怪が言う台詞ではなかった。形容しがたい眼差しを瑠依に向け、白羽は1つ溜息をつく。
「一応、了見いたしましたわ。けれどもし、白羽を子供だからと戦線から引き下げるような采配であれば、その時点で白羽無視しますわ」
「大丈夫、それはないから」
「寧ろガキにさせることかよっつうレベルで使い倒される心配しとけ」
2人揃って食い気味に発された保証に、白羽は魔女へと同情の眼差しを向けた。
「……本当に、とんでもない方に街の命綱を握られたものですわね」
「……うん」
「……一応、羽黒お兄様にも軽く報告はしておきますわね。お兄様もお兄様で何やら掴んでいるらしくて、結界もありますので直接手を出す気はないようですが気には掛けていましたので、もう動いている頃合いと思いますわ」
「それは、その、大変ありがたいんだけど……」
「ただの委託業務の後片付けの範疇ですから、魔女さんは気にかけなくて大丈夫ですわよ」
「そう言ってもらえると助かるよ……」
常に飄々と佇み、要所で芯の強さを見せる魔女が、この時ばかりはただ率直に頷いたのだった。
***
その後、竜胆の推測も交えた情報共有を終え、最低限の役割分担や配置を確認した魔女は、1つ息をついて改めて頭を下げた。
「それでは。──来る百鬼夜行において、貴方方のご武運を祈るよ」
「あはっ♪ 楽しみですわ」
「楽しみなのか……」
微妙な顔で白羽を一瞥した竜胆が溜息をつく。対称的な反応をおかしげに眺め、魔女は頷いた。
「頼もしくて何よりだ。申し訳ないけれど、報酬については終わってからとさせてほしい。前払いは、もうさせてもらったけどね」
「え?」
白羽がきょとんと目を瞬かせる。年相応の幼い仕草に少し表情を和らげ、魔女はすいと茶碗を指差した。
「そのお茶に使った水は、門崎の持つ山の清流で汲み上げ、霍見が火入れをしたもの。茶器と茶葉は嘉上が用意したもの。そして、吉祥寺の私が茶会と練り切りを提供させてもらった」
「……四家全て縒り合わせての祝福、か。豪華だな」
「今頃各家、こんな感じでやってるよ」
にこり、と微笑むと、未だ疑問符を浮かべた白羽に説明した。
「四方を守る守護の家が、丹精込めて用意したお茶。それすなわち、この土地の加護を受けるのと同じ意味を持つんだ」
「……あれ、俺の分は?」
「余所者相手に、随分と大番振る舞いですわね?」
「うちの土地神様も、懐が広いところを少しは見てもらわないとね」
軽口を返して、魔女はすいと茶器を指差す。
「とはいえ、常日頃からこの地で修行している術者ほどには恩恵はないけどね。それでも、今回の百鬼夜行で溢れかえるだろう瘴気の影響を受けない程度にはなる」
「それ、十分すげえと思うんすけど」
「ですわねー。これほど簡易な儀式で随分な強度ですわ」
「人間にしてはやりますね」
「茶を点てる立ち振る舞いも、随分と洗練されていたでありますれば」
「そこまで言ってもらえるとは、光栄だね」
「ねえ、俺それもらってないんだけど?」
魔女の説明に感心の(一部疑問の)声を漏らした面々は、改めて居住まいを正した。
「それでは、よろしく頼むよ」
「勿論ですわ」
代表して答えた白羽に、一同は揃って頷いた。
***
「ねえ、無視しないで!? 俺の分の瘴気対策無いってどういうこと!?」
「ぎゃーぎゃー騒いだ自業自得。つか、結界張れば良いだろうが」
「そのくらいは出来ますでしょう? 仮にも竜胆先輩に迷惑をかけ続ける主なんですから」
「……小学生に言われたい放題もどうかと思うし、少しは活躍を期待しているよ」
「帰りたい!!!」
瑠依は結局、最後まで簀巻き蓑虫のままであった。
*****
紅晴市の主要駅の1つ、建物外側に位置する、全国展開のチェーン店。
カフェテラス席の一画で、やけに目立つ面子が揃っていた。しかし、人々の視線は不自然にその一角から逸れていく。
「いやー、面白くなってきたなぁ! こーんなにいろんな「人」が集まるなんて、紅晴の歴史でも初めてじゃありませんかぁ?」
「……」
「そりゃーこんな事がほいほいとあったら、この街今頃瘴気の坩堝で死地になっちゃいますけどねぇ。僕が言うのもなんですけどぉ、あのアパートがこの街に及ぼす影響ってすごいですよぅ!」
「……」
大仰な身振り素振りでニコニコと語るのは、薄い緑色の髪に青い瞳の一目で外国人と分かる青年。190センチはあろうかという体躯を灰色のスラックスとベージュのセーターという年齢にそぐなわさすぎる服装でうきうきと躯を動かすものだから、テーブルからはみ出している。
「とはいえですねぇ、風精霊である僕としては、風にまつわる天狗さんがお客様っていうのが嬉しいんだよねぇ」
「えー、それはウチもおなじってゆーか?」
同席者から相槌が一切返って来ないことなど欠片も気にせずに朗々と語り続けていた青年に、ようやく相槌が入った。しかし、同席者ではない。
「真子っちだけでもお目にかかれて感激だってゆーのにさ、まさかの上級風精霊まで! はるばるこんな街まで足を伸ばした甲斐があったって感じー?」
言葉1つ1つに星マークが付きそうなテンションでまくし立てたのは、高校生から大学生くらいの少女。黒目黒髪で、ややふっくらした顔立ちを化粧で上手にごましている。
年齢がやや曖昧なのは、そんな些細なものを霞ませるど派手な服装──所謂ゴシックロリータドレスのせいだろう。律儀にも幾重にもペチコートを重ねているうえ、ハイヒールブーツまで決めているため、縦横の幅も尋常ではない。
極めつけに、その両手にはクリームやらキャラメルソースやらがこれでもかと山盛りにされた、もはやコーヒーの味するのそれ? という飲み物を持っている。
「ホイ誘薙っち、カフェモカキャラメリゼタピオカ入り生クリームのせシュガーのせナッツのせ砂糖ましまし〜☆ ウチのオススメだよん」
「おぉ! 破壊的な甘ったるさが最高な感じだねぇ。ここに来たって感じするよぉ。馬帆ちゃんは何頼んだの?」
「ウチはカフェモカキャラメリゼタピオカ入り生クリームのせシュガーのせナッツのせ砂糖ましましチョコスティックトッピングだよん」
誘薙がニコニコ笑顔でその砂糖の溶解度に挑戦するような飲み物を受けとる。自分の注文分をテーブルに置き、少女が遠慮なく誘薙の隣に座った。
「あっは☆ そっちのしょーねんは注文いいのー? ウチが適当に頼んどこっか?」
「……」
先程から無言を貫いている少年が、無言のまま首を横に振る。瞑目したままであろうと、見たもの全てを虜にするような美貌の持ち主は、Tシャツにカーゴパンツというありふれた軽装──皮肉にもこの場では逆目立ちしているが──で、腕と組んだまま誘薙の言葉を聞き流していた。
「うーん……誘薙っちー、なんでこのしょーねん呼んだの? なんかつまんなげ〜」
「いやいや、彼は僕達の作戦上絶対に欠かせないってば。馬帆ちゃんも気付いてるんでしょ?」
「ほえ?」
誘薙に促され、馬帆と呼ばれた少女は目を瞬かせる。そのままおもむろに砂糖の塊にかぶりついた。
「んー、おいしー! ……あ、ほんとだー。しょーねん器用な事やってんじゃん」
「馬帆ちゃんのセンサーは糖分が要なんだねぇ」
頬を緩ませた馬帆に、誘薙が感心したように相槌を打つ。2人の視線は、無言を貫く少年、その足元に向けられていた。
少年が常に使う魔法陣は、今は足下には浮かんでいない。だが、明確な意思をのせた「力」が、地面へ──地脈へ向けて流れ込んでいた。
魔力を介した地脈の直接干渉。以前、この街で行われた馬鹿騒ぎのために組み上げた魔術を基礎にしているとはいえ、生半な魔力制御では行えない。少しでも間違えれば地脈は暴走し、災害レベルの被害を引き起こしてしまう。
「なるほどね~。これは確かに、ウチとしても無視できないわ-」
「でしょう? そういうわけで僕が声を掛けさせてもらったんですよぅ」
だが、誘薙や馬帆が感嘆しているのはその程度のことではない。人間には難しいというだけで、風の概念を冠した精霊、前後百年を予知する通力を持つ天狗には「ちょっと面倒くさい」程度の技能だ。それを人間が行っていることに対する感心はあれど、それだけである。
では何故これほどに感心しているのかというと──
「甘味ブースト中のウチでも読み取れないとか、ホント人間って時々意味わっかんないくらい器用な真似すんね~。あっは、おもしろーい」
二人の「目」すらも欺くほどの、複雑怪奇な干渉術。この街のどこに、どのような加護を与えているのか、どのような干渉を仕掛けているのか、すべてが靄のかかったように曖昧になっている。
「大聖域の、長い年月と大人数を費やした聖結界みたいな構造ですねぇ。これがたった一人の魔力で編み上げられているなんて、実際に見なければ納得できませんよぅ」
そして何より、これほど大規模で複雑な干渉を、たかだか魔術師程度の魔力しかない人間一人が行っているということへの賞賛でもあった。
「……どこぞの魔力タンクじゃあるまいし」
「ん~? しょーねん、何か言った?」
「別に」
「というかぁ、話が出来るなら無視しないでくださいよぅ」
「面倒くさいところがやっと終わって、口きく余裕が出来たんだよ。つーかてめえのお喋りはそもそも長えわ」
ようやく口を開いた少年──疾が、ゆっくりと目を開けて二人を軽く睨む。それでも常よりも眼差しや舌鋒の鋭さが鈍っているのは、今も地脈への干渉を続けているからだ。その証か、琥珀の瞳が僅かに金色の光を帯びている。
「とゆーかしょーねん、お名前は~? あとあと、喋る余裕があるならちゅーもんしてちょー。ウチがもらってきてあげるよん」
「鞍馬の大天狗に名前を名乗るほど阿呆じゃねえ。注文はいらん」
鞍馬の大天狗。
鞍馬山を支配する天狗と牛若丸に武術を教えた天狗がごっちゃに認識されているが、彼女は「魔王大僧正」とされる前者だ。金星より舞い降りた「大地の霊王」として、鞍馬寺の本尊で祀られている。日本八天狗の一体であり、山ン本や神ン野と同じく「魔王」級の妖だ。
永遠の16才とも、髭を長く伸ばした仙人とも説があるが──
「えー。ウチゆーて真子っちと同じ転生体だし〜。しかもー、神様と祀られたり天狗と恐れられたりするせいで、転生の時に神様達が厄介事回避ーとかゆってさ、神様成分と天狗成分を切り分けちゃったわけでー。そんなさあ、アイスクリームの半分こじゃないっての。そんなわけで仰々しい神様成分皆無で、天狗成分だけ残ってるわけ〜。ケチくさくね? じゃあ真子っちはどうなるんだよってゆーか」
──こうしてペラペラと軽く語る様子からは、大天狗たる威厳は欠片もなかった。
「……今の説明のどこに、名を名乗っていい理由があった」
「あっは☆ しょーねんってばうける〜。ぶっちゃけただの愚痴だったじゃん?」
「……」
「あとあとしょーねん、こーして席を占領してる以上は注文しないと、めーわくだと思うわけ~」
どこまでもマイペースな馬帆に、疾は溜息をついて返した。流石に集中の大部分を地脈に注いでいるため、言い返すだけの余裕もない。
「……アイスカフェラテ、無糖」
「りょ~かい☆」
スキップしそうな足取りの軽さでレジへと向かった馬帆は、しばらくしてカップを2つ手にして戻ってきた。
「あれぇ、馬帆ちゃん、なんで2つですかぁ?」
「ウチってばもー飲み終わっちゃったので、もう一杯もらっちゃえーと思ったわけ〜。ほら、百鬼夜行前の気付けみたいな? あ、こっちがしょーねんの分だよ」
差し出されたカップを反射的に受けとり、疾は眉を寄せた。
「おい、頼んでねえぞ」
カップの中身は確かにアイスカフェラテのようだが、その上にこんもりと生クリームが盛られていた。
「頭脳労働の時は糖分取らないとよくないっしょ〜。中身は無糖なんだからこれくらいへーきへーき」
「生クリームがどれだけ大量の砂糖入ってると思って……」
「細かい事気にしてっと長生きできないぞー☆」
「…………」
地脈に殆どの意識を注力している疾はそれ以上言い合う気力もなく、また立ち上がって別の注文をする余裕もないため、諦めてカップを手に取った。
「さてと、甘いものも取ったことですしぃ、そろそろ本題に入りますかぁ?」
「ほーい」
「あっま……」
三名が(約1名、意識がいろいろ逸れているが)意識を切り替え、本来の目的を確認する。
「今回の百鬼夜行はぁ、確かに類をみないほど高位の妖が集まってますぅ。まさか彼らの魔王合戦に選ばれるとは、僕も予想外でしたねぇ」
「白蟻の瘴気がそれだけばらまかれたっつうことだろ。つーか、んなもん前から分かってた事だ」
疾が軽く鼻を鳴らす。さりげなくカフェラテクリーム添えを脇に避けながら、視線を誘薙に向けた。
「それでわざわざ、魔王クラスの一角を連れてきた理由は何だ。一方的に情報を与える為じゃねえだろ」
「勿論ですよぅ。馬帆ちゃんからも情報はもらいます」
「え〜? ゆーてウチはそこまで仲良しじゃないしー、詳しくないっしょ?」
誘薙に視線を向けられた馬帆が唇を尖らせる。どこからともなく取り出したデコレーション用のチョコペンを片手に、さりげなく疾のカップを引き寄せながら続けた。
「真子っちに九朗っち、ついでに悪っちの3人組とー、無角っちが別目的なのは知ってるけども。無角っちの周りには、ただ暴れたい系妖が集まってるけどもー」
「そうですねぇ、目的には興味がありますよぅ」
「暴れたい妖とやらの種族もな。ダイダラボッチは確認できてるが」
カップをひったくるように取り戻しながら、疾が付け加える。馬帆が口を尖らせ、今度はクリームを挟んだチョコクッキー入りの袋を取り出して砕き始めた。
「いっぱいいるから全部話すの面倒くさげ〜。てゆーかさー、ウチそこまで人間に肩入れする気はないっしょー?」
「じゃあ何故招集に応じた?」
添えられていたスプーンでクリームを掬い上げて馬帆のカップに盛りつつ、疾が胡乱げな眼差しを馬帆に向ける。袋の口を開けて自分のカップに傾けながら、馬帆は肩をすくめた。
「そりゃー誘薙っちの口車にのせられて的な? 天狗のウチが流されてるってなんかうける〜」
「知るかよ。で、どういうつもりだ、精霊」
「君達随分と仲良いですねぇ」
盛られたクリームに砕いたチョコクリームクッキーを追加して疾のカップに戻そうとする馬帆と、それを阻止して誘薙のカップを犠牲にしようとする疾の攻防に、常にハイテンションな誘薙がツッコミ側に回ったのだった。
「まあ、端的に言うと──馬帆ちゃんとしては、魔王級を減らされては困るのですよぅ」
「そーそ。現代では魔王級のガチもんなおっかなーい妖って、ウチらとしても貴重なわけ〜」
攻防を諦めた馬帆が、代わりにと誘薙のカップを引き寄せてクリームを盛る。くるくるとスプーンでかき混ぜながら、馬帆は軽い口調でさらりと続けた。
「けどさぁ、魔王級の妖が攻めた街に被害がぜーんぜんないってゆーのもなしっしょ? ウチら妖は、多かったり少なかったりはあっても、人間の恐怖がエサなわけー。それなのに、妖最高峰が寄って集って襲っておいて、人間に滅ぼされちゃいましたーとかないっしょ。妖の存亡危機にもなっちゃうかもー?」
「そうですねえ。この世界のバランスとしては、よろしくない結末でしょうねえ」
「かといって、ウチら別に弱いものいじめしたいわけじゃないし? 術者がめちゃ頑張るーってゆーなら、そこそこ出番ないとそれはそれで、駄目じゃんー」
「最低でも危機感を持った日本の全術者が結集して討伐しにかかるだろうな」
クリームをほぼ押しつけ、多少クリームが溶けて甘くなったカフェオレを飲みながら、疾が軽く肩をすくめる。それを横目に、誘薙は更に甘味が増した代物をにこにこと飲んでいた。
「そうですねぇ。パワーバランスが崩れるのは、僕達としても望ましくないんですよぉ。そのまま世界の安定性に影響しますからねぇ」
「ウチらとしても住処なくなっちゃ困るわけー。だからー誘薙っちには、どのくらいまで本気出してもこの街だいじょーぶなのか聞くつもりだったんだけど──」
豪快にクリームにかぶりつき、馬帆はにかりと笑んだ。
「──まさかの、『魔王が死ぬかも』なーんて、ねー? あっは、超ウケるー」
言葉とは裏腹の極寒の風が、テーブルを席巻する。天狗の神通力が渦巻き、並みの術者であれば跡形もなく切り刻まれる不可視の竜巻となった。
が、ここにいるのは「並み」の術者ではない。
「お望みならこの場で土に還してやるよ」
疾が素っ気ない口調で返事をする。いつの間にか手にした銃を馬帆の眉間に突き付け、神通力などないかのような振る舞いで睥睨した。
一触即発の、殺意に満ちた空気は──
「まぁ〜まぁ〜落ち着いてくださいよぉ。別にここで前哨戦するために集まったわけじゃないんですからぁ」
終始のんびりとやり取りを見守っていた誘薙の一言で一気に弛緩した。
「ここで叩く方が楽で良いんだがな」
張り詰めた空気を緩めた疾が、軽く手を横に薙ぐ。たったそれだけで渦巻いていた神通力が掻き消えた。
「……あっは☆ なーるほどねー。誘薙っちが言うだけあるんだーやばげ〜」
馬帆が手を叩いて笑う。心底楽しそうに笑う姿を横目に、疾が軽く息を吐きだして誘薙に尋ねた。
「で? わざわざ俺に引き合わせたっつうことは、その辺りのさじ加減をしろってことか? それともまた大人しくしてろと?」
「いえいえぇ。今回は君にも出番があると思いますよぉ」
「……ほお」
疾がすっと目を細める。が、誘薙は楽しげに笑って、手をひらひらと振った。
「僕の情報はここまでですよぉ。ほら、僕って一応異世界関連の調停役なのでぇ、今回の一件は手出ししちゃ駄目なんですぅ」
「ヒントまでは出せても直接的な情報は言えない……ね。ま、いいだろう」
肩をすくめ、疾は馬帆に視線を向け直す。にっこり笑いかけて、告げる。
「加減はしてやる。が、つまらねえ真似をしてうっかり狩られるような雑魚妖怪なら、最初から魔王と名乗るだけの器がなかったっつうこった」
「あっは、しょーねん最高じゃん♪ いいよお、ウチらも全力で行くから〜、そっちこそ簡単に全滅しないでちょー」
心胆寒からしめる笑みを浮かべて、2人が睨み合う。それを見た誘薙が、聞こえないようにぼそりと呟いた。
「やっぱり仲良いですねえ」
***
その後、幾つかの確認項目を踏まえた上で、3人は協定を組んだ。
「そんじゃ〜ウチは、もうちょっと甘味屋さんで英気を養ってくるわ〜。しょーねんも誘薙っちも、またね〜」
「はーいまたねぇ」
「まだ食うのかよ……」
やけに友好的な挨拶を交わし、馬帆が店を出て行った。そのうしろ姿を見て、誘薙がニコニコと言う。
「いやぁ、スムーズに話が進んでなによりですねぇ」
「……」
無言。
再び地脈干渉に集中し始めたのかと誘薙が様子を伺うと、疾は軽く目を眇めて馬帆の後ろ姿を眺めていた。
「おや、どーしましたぁ? もしかして、馬帆ちゃん結構好みだったり──」
「冗談はその面だけにしとけ」
誘薙の軽口をぴしゃりと叩き伏せ、疾はそれでも視線を固定している。
「──さて、吉と出るか凶と出るか」
「ん〜? 何か言いましたぁ?」
「空耳だろ。つーか、てめえも関連疑われたくねぇならとっとと失せろ」
しっしと追い払うように手で追いやられ、誘薙は不満げに口を尖らせる。
「僕がわざわざセッティングしたというのにつれないですねぇ。まあいいや、では僕はこれで〜」
未だに動けないのだろう疾を置き、誘薙が風に溶けるように消えた。
「……」
しばし、静寂が流れる。
「……さて」
馬帆の気配も、誘薙の気配も完全に消えるのを待って、疾はゆっくりと立ち上がる。
「来る百鬼夜行、楽しみにしてるぜ?」
薄く笑みを履いた口元が、歌うようにそう呟いた。