角なしの鬼【Part夙】
鬼の角は何本か?
そう訊かれると、普通は二本を想像することだろう。だが、よく思い出すと一本角の鬼も見たことがあるような気がしてくるはずだ。
答えだけ先に言えば、どちらも存在する。なんなら三本角や五本角なんて鬼もいる。見たことないと思うかもしれないが、それは我々が普段目にすることのある『鬼』は基本的に創作物だからだ。
本物の鬼は存在する。
そして角は鬼が自らの力を制御するために必要な器官であり、故に力の象徴となる。
本数が多ければ多いほど、角が太く長いほど強大な力を持っていることを意味する。一般的な鬼は二本。少し強い鬼は三本。さらに強い鬼は四本といった具合だ。
だが、何事にも例外は存在する。
一つ目の例外は――一本角だ。
『割ることのできない奇の鬼』と言われるように、一本角はひたすらに強い。彼らは総じて鬼の頭領格であり、中には神話級の力を持つ者も存在する。そしてそれほどの鬼なので絶対数も少ない。
もう一つの例外は――角のない鬼だ。
なんだそれは鬼なのか? とツッコミを入れたい気持ちはわかる。でももう少し話を聞いてほしい。ここからが重要だ。
角のない鬼には二種類いる。
力があまりにも弱く、制御するための角が必要のない者。
力がとてつもなく強く、角が何本あっても制御できない者。
前者は特に語る必要もない。だが、後者は別だ。彼らは生まれた瞬間に己の力で角が爆散し、普通はそのまま死に至る。故に伝承や神話などには語り継がれていない。
しかし、もしそういう鬼が一匹でも生き残ることができたらどうなるか?
万が一の奇跡と角なしで力を制御する才能を持って生き延び、魔王にも及び得る存在。
一本角をも超える、最強の鬼。
それを目撃してしまった今、正直、生きていることが奇跡としか思えない。
あんなものが存在してはいけない。だからこうして語ることにした。
これを聞いた誰かがそれを倒してくれる日を願って。
角なしの鬼――『無角童子』を。
――現代陰陽師兼妖怪研究家・唯野漸康――
***
ちゅどぉおおおおおおおおおおん!!
「鬼が来るぞーッ!」
今日も今日とて爆煙を噴き上げる異世界邸に、幼子の叫び声が轟いた。
「ほれ、逃げるのだジョンよ!」
「吾輩これでも全力疾走なのである!」
マンモス級チワワ――ノルデンショルド地下(以下略)の番犬を務めていたジョンの背中に乗った褐色少年が、邸の敷地内を駆け回っているのだ。
『迷宮の魔王』ことグリメル・トランキュリティである。
そしてその魔王を追いかけている鬼とは――
「最近『モフリティ』という流行り言葉があるそうな。やつがれもそのとれんどに則り、もふもふとやらを体感してみたく存ずる」
史上最強の変態こと『誑惑の魔王』エティスである。
「今日の狙いは吾輩であるかぁあッ!?」
恐怖に駆られたジョンが限界突破しさらに加速する。もはや光線と化す勢いで邸の敷地内を縦横無尽に駆け巡る。
が――
「逃げなくてもよいぞ、お犬よ。やつがれはただしっぽりねっとりもふもふしたいだけ故に」
「ぎゃわぁあああああああん!?」
どんなに加速してもなぜか先回りされ、待ち伏せされ、ついにジョンは足下が狂って邸の中へと突っ込んでしまった。
「こら、ジョン。勝手に邸に入ると怒られるぞ」
「そんなこと言ってる場合じゃないのである!?」
がらがらちゅどん! とその巨体で邸を削り崩しながらジョンは逃げる。
とにかく逃げる。
パリン、となにかが割れる音が聞こえた。
「ジョン!」
「今のは吾輩じゃないのである!」
音は廊下の先――風鈴家がある方向から聞こえた。
「ふむ、那亜になにかあったのか? 心配だ。ジョン、余はちょっと様子を見てくるのだ」
「我が主!?」
グリメルがジョンから飛び降りて風鈴家の方へとトタトタ駆けて行く。それでもやはり、背後から迫って来る羊頭の変態は進路を変えない。
「こっち来るなである!? 管理人はなにをしているのであるか!」
今は確実に自分が天誅されるだろうが、そう叫ばずにはいられないジョンだった。
「管理人は不在と聞いた。やつがれは詳しく知らぬが、病院とやらにていきけんしん? に行くと嫌々出て行ったのを見たぞ」
「なるほどである。放っておくとまた倒れそうであ――」
バッ! と横を振り向くと、さっきまで背後を歩いて追いかけていた羊がジョンに併走してニコリと微笑んだ。
「○#@△♨□☆%$!?」
声にならない悲鳴を上げたジョンは飛び跳ねて横の壁を突き破った。
「う、くさっ!? なんであるかここは!?」
そこは邸一階の奥にある、掃除してないんじゃないかってくらい臭く汚いトイレだった。
う~う~、となんかよくわからない呻きも聞こえる。誰かいるのだろうか? こんな場所が異世界邸にあったとは知らなかった。
「追い詰めたぞ、お犬よ」
両手をわきわきさせ、じりじりと迫ってくる羊。
「く、管理人がいないとこうなることくらいわかっているはずである」
「嗚呼、なんでも、管理人は問題を起こしそうな者を可能な限り先に始末しておいたそうな」
「へ?」
キィイイ、とトイレの扉が開く。
そこには全身をボッコボコに腫らしたトカゲとポンコツがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「……タスケ」
「……ワレラガ……ナニヲシタ」
「――ッ!?」
呻いていたのは彼らだったわけだが、この場では完全にホラーである。
「さあ、お犬よ。やつがれともふもふを楽しもうではないか」
ぺろりと舌嘗めずりした羊が、ぴょんとダイブするように飛び跳ねてジョンへと迫る。
わぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!?
***
風鈴家の厨房。
「那亜さんが食器を落とすなんて珍しいこともあるのです」
那亜がうっかり落として割ってしまった皿の片づけを手伝いながら、アリスは意外なものを見たような声で言った。
異世界邸がいくらちゅどんしても、那亜は今まで決してそういうミスを起こさなかった。今もジョンが変態に追われて邸内を駆け回っているようだが、その程度で彼女がうっかりミスをするなんてあり得ない。
「なにかよくないことでも起こりそうなのです」
そうネガティブに考えてしまうのが、アリスの悪い癖だとは自覚している。
「あらあら、私だって完璧じゃないですよ。昔はそれはもうしょっちゅう割ってましたよ」
「その昔とは何十何百年前なのです……?」
訊くが、那亜は穏やかに微笑むだけで答えなかった。それ以上深入りしない方が身のためだとアリスは悟る。
と――
「那亜! 無事か!」
風鈴家の扉が開き、褐色の少年が飛び込んで来た。
「あら、グリメルちゃんどうしたの?」
「なにかが割れた音が聞こえたのだ。大丈夫か?」
「お皿を落として割っただけよ。怪我もしてないわ」
「それならよかったのだ」
ほっと胸を撫で下ろすグリメル。これが彼の『迷宮の魔王』だというのだから妙な話である。那亜の教育の賜物だろう。
グリメルはこちらに歩み寄ると、不安そうに那亜を見上げる。
「お前になにかあったら余は悲しいのだ。余が手伝えることならなんでもするぞ。その皿を直せばよいか?」
「ふふっ、ありがとう。でも大丈夫よ。お皿はまだたくさんあるから」
優しげに微笑む那亜をグリメルは見上げ――
「那亜よ、なにか心配事でもあるのか?」
「――ッ」
幼い少年にまでそう問われ、那亜は一瞬息を呑んだ。
「なんでもないわ。気にしすぎじゃないかしら?」
「余は魔王ぞ。なにがあっても余がお前を守ってやるのだ」
真剣な目で那亜を見詰めるグリメル。
「魔王の言葉とは思えないのです」
絶対的な破壊者である魔王だが、『創造』の力を根本に据えている『迷宮の魔王』は異端だ。だからこそ、ここまで普通の子供のように変われたのかもしれない。
「ふふふ、ありがとう。その時はお願いするわね」
那亜が心の奥になにを隠しているのか、結局アリスは知ることができなかった。
***
「たまには仕事を忘れて休め」
異世界邸の管理人――伊藤貴文がそう言われて半ば追い出される形で病院から出てきたのは、午後のティータイムを少し回ったばかりの頃だった。
街には学校帰りの学生たちも増え、見た目だけは頭髪の色以外その辺の高校生と変わらない貴文は違和感なく雑踏に溶け込んでいく。カラフルな髪の色なんて昨今、特にこの街ではそう珍しくもない。
「……あのヤブ医者いつかコロス」
ただし、纏っている苛立ちオーラは警官に見つかると職質されるほど危うかった。
なにせさくっと終わる検査のはずが、たっぷり六時間も拘束されてしまったのだ。しかもそのほとんどが待ち時間で、実際の検査は確かにさくっと三十分もかからず、挙げ句「悪いな、ちょっと急患が立て込んでて。結果説明はまた今度来てくれ」と宣いやがったのだから貴文の堪忍袋がプッツンしそうだった。
いや、ちょっと軽くプチッといってあのヤブ医者野郎と一悶着あったわけだが、ちゅどんしてないからなんの問題もないはず(狂った感覚)。
本来、定期健診なんて行くつもりなどなかった。だが、神久夜やこののにまた倒れたらと泣きつかれ、栞那にも邸の設備より病院の方がいいと言われ、渋々仕方なーく嫌々麓の街まで足を運んだらこれである。
「逆に胃が痛くなるわ。邸は大丈夫だろうか?」
六時間も空けてしまったからには何十何百回ちゅどんしているかわかったもんじゃない。そう考えただけで胃腸くんがキリキリしてくる。
「まあ、出かける前にトカゲとポンコツは再起不能にしといたし、もうしばらくは大丈夫だろ。あいつらが起爆装置みたいなもんだし」
他の問題児どももちゅどんすることはあれど、頻度と規模はあの二人がダントツで筆頭だ。多少崩れている程度なら今の鍛え上げられた貴文の胃腸くんにはダメージにならない。たぶん。きっと。恐らくは。
だから――
「ちょっとどこかで憂さ晴らし……もとい、羽目を外してこようかな?」
お父さんは働き詰めじゃないってことを家族に知ってもらって安心させなければ。あのヤブ医者に休息をしっかり取れと注意されたからではない。断じて。
「あれ? 待てよ、休息ってどうやるんだ……?」
その発言が既に訓練された社畜なのだが、貴文は気づかない。枯れ切っている。
「なんとなく駅前の公園に来てみたが……公園で遊ぶ歳でもないしなぁ」
困り果てた貴文はその場に立ち尽くし、なにかないかと周囲を見回してみる。
そして、とある店の看板に目を留めた。
「オフトゥン喫茶?」
喫茶はわかるが、『オフトゥン』という謎単語が貴文の辞書に載っていない。最近の若者言葉だろうか? と考える実年齢五十過ぎのおっさんである。
だが不思議と、そこには猛烈に今の貴文に必要なものがある気がした。
「お帰りなさいませ」
入ってみるか、と思うより先に足が動いて入店してしまった。『いらっしゃいませ』じゃない挨拶が女性の店員から飛んできて一瞬困惑する。まさか巷で噂のメイド喫茶的な系列なのだろうか? メイド……うっ、胃が。
「一名様ですね。お好きなオフトゥンでお寛ぎください」
そう店員に促されて店の奥へと進んでみると――
「……ああ、『オフトゥン』ってそういう」
理解した。店内には敷布団、ベッド、寝袋に至るまで、ありとあらゆる寝具がテーブル席のように設置されていたのだ。
平日でもティータイム過ぎだからか、意外と客はいる。誰も彼もが布団やベッドに寝転がって漫画を読んだりスマホを弄ったり、注文したと思われる飲食物を摘まんだり、爆睡したりと自由気ままに過ごしていた。
しかし、休むための喫茶店だということはわかったが、貴文は布団の中であんな風に寛げる自信がない。本は読まないし、スマホも最低限の機能しか使わない。寝転がって物を食べる気にもなれず、かといって寝てしまうと帰りが遅くなってしまいかねない。
「ど、どうすれば……?」
入って案内されたからにはすぐに出るのも悪い気がする。時間を潰すだけにしても、布団の中で一体なにをすれば――
「ふわぁ~、ああ、オフトゥンちゃん最高ぉ♪ もう俺ここに住んでいいよね?」
幸せそうな声が聞こえたので見ると、そこでは高校生くらいの少年が敷布団に寝転がって毛布を被り、なにをするでもなくただ怠け切っていた。
その蕩けそうな表情は――
「なんて……なんて気持ちよさそうなんだ」
さては休息のプロか。他の客とは一線を画している。まるで胃にかかる負担など知らないような、いや、日ごろのストレスを一気に浄化しているような安らぎの顔だ。
彼に教えを請えば、休息のなんたるかがわかるかもしれない。
「あの、すみません」
気がつくと貴文は話しかけてしまっていた。少年が幸せそうな顔のまま振り向き、「なんか用?」とでも言うように小首を傾げる。
「俺に、君のように休めるコツかなにかを教えてほしい」
「え? やだ。帰りたい」
少年は貴文などいなかったかのようにすっと顔を元の向きに戻した。
「んん?」
今、会話は成り立ったのだろうか?
もしかして話しかけられたのが自分じゃないと思ったのかもしれない。だったらばワンモアチャレンジ!
「あの、お寛ぎ中すみません。俺に寛ぎ方を伝授してほしいのですが」
「店員でもない知らない人にいきなり話しかけられた帰りたい! 俺の居場所が! 俺のオフトゥンちゃんとのイチャイチャがぁああああッ!?」
「ふぁ!?」
あれほど安らいでいたはずの少年は、急に錯乱した様子になって店員を呼ぶベルをバシバシ連打し始めた。
「あの、お客様、店内では他のお客様には不干渉でお願いします」
飛んできた店員が貴文に注意した。しまった、そういうルールだったのか。
「すみません、初めてなもので。あ、席、ここにします」
貴文は店員に謝ると、少年の隣の敷布団に寝転がった。
「ご注文はございますか?」
「えーと、じゃあ、コーヒーをブラックで」
「申し訳ございません。当店のメニューにコーヒーはありません」
「喫茶なのに!?」
「栄養ドリンク等もありません。カフェインは安息の敵です」
「お、おう……」
よくわからないが、とりあえずメニューを見なかった貴文が悪い。
「……じゃあ、この夢心地ふわふわホットミルクを」
「夢心地ふわふわホットミルクですね。ハチミツは入れられますか?」
「あ、はい。お願いします」
「畏まりました」
店員は素早く伝票を記入する。
「それでは、よい安らぎを」
「なんて?」
ちょっと何語かわからない言葉を残して店員はそそくさと立ち去ってしまった。
「……」
布団に入ると、どうしても今日の反省と明日への不安が押し寄せてくる。目を瞑ってしまうと余計に嫌なことを考えてしまう。入る店を間違えてしまったかもしれない。
ふと、隣の少年を見る。彼は貴文など最初からいなかったかのように元の安らいだ表情に戻っていた。やはりプロだ。
なれば、彼を観察して休息のなんたるかを学んでみよう。
「……」
「……」
「……」
「……うぇへへ、オフトゥンちゃん」
起きているはずなのに寝言みたいなこと言っている。
もしや『オフトゥン』と口にすることに安息効果があるのやもしれない。
「お、オフ……オフトゥンちゃん……」
視線を感じて隣を見る。
少年がこっちを見ていた。
「ふっ(オフトゥンちゃんへの愛が足りないな)」
その嘲笑に、貴文は言外に含まれた意思までなぜかハッキリ聞こえたような気がした。
なるほど、彼が安らいでいる理由が少しわかった。
「ふう(わかりました師匠! 布団、いえ、オフトゥンちゃんを愛するのですね!)」
愛するモノと一緒にいる。確かに、家族の傍にいるだけで貴文も安らぎを得ていた。ならばこのオフトゥンを家族や恋人と思って接することが彼のような安らぎに繋がる道である。
やがて夢心地ふわふわホットミルク(ハチミツ入り)が届き、あまりの甘さに胸やけしそうになっていると――店の扉が乱暴に開かれた。
「瑠依! やっぱここにいたか! ほら仕事行くぞ!」
店に入ってきた大柄な少年は、店員が止めるのに一言謝ってから貴文の隣までズカズカと歩み寄ってきた。それからカタツムリみたいに布団の中に潜った少年を引きずり出し、店の外へと連行していく。
「嫌だ帰りたい! 俺はもっとオフトゥンちゃんとイチャイチャするんだ帰りたい! だいたい俺らの仕事って夜が本番なんだから今くらい好きにさせろ竜胆くそう! 帰りたい!」
残りたいのか帰りたいのか意味不明に叫びながら、少年は呆気なく連れ去られてしまった(お会計はしっかりさせられた)。
「……俺も帰るか」
師匠がいなくなったのだから、これ以上ここにいても仕方ない。
あまり遅くなっても仕事が大変になるだけだ。そう考えると胃腸くんが「お? やるか? キリキリ舞うか?」とストレッチを始めるから、仕事のことは胸の奥に封印してお会計を済ませる。
その時だった。
ちゅどぉおおおおおおおおおおん!!
「――ッ!?」
店の外から、異世界邸以外では普通聞くことのない爆発音が轟いた。
***
駅前公園では爆煙がもうもうと立ち昇り、隕石でも落下したかのようなクレーターができあがっていた。
パニックになった人々が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「……妙だ」
貴文は周囲の状況を見回しながらそう感じた。普通、これだけのことが起れば騒ぎにはなるだろうが、好奇心が勝って逆に近づこうとする者も多いはずだ。
なのに、誰も彼もが見向きもせずに去っていく。
その理由もすぐにわかった。
「うっ、これは……」
魑魅魍魎神魔英傑が跋扈する異世界邸の管理人をして、思わず後じさりそうになるほどの――妖気。
普通の人間では意味もわからず恐怖し、本能的に逃げ出してしまうのも必然だろう。
「これは丁度いい。落ちた場所にこの街の異能者か術者がいるとはな」
クレーターの中心。
そこに、この吐きそうなほど強大な妖気を放つ存在がいる。
一体じゃない。二……三……五体。下手するとフォルミーカやカベルネに匹敵しそうな魔王級の存在が五体も同じ場所にいるとなれば、もはや街にとって悪夢以外の何物でもない。
そして逃げ出すことなく、勇敢にも彼らに相対する者は――
「なんで毎度毎度俺んとこにおっかない厄介事が降ってくんの帰りたい!?」
「喚いてる場合じゃねえぞ、瑠依!」
さっきまでオフトゥン喫茶でぬくぬくしていた少年と、彼を連れ戻しにきたガタイのいい少年だった。
どうやら、彼らは一般人ではなかったらしい。
「どういうことだ? 妖は許可なくこの街に入れないはずだ」
ガタイのいい少年が警戒しながら問う。
「ほう、貴様には我らがその程度の雑魚に見えると?」
すると、五体のうち一体がクレーターからふわりと浮き上がってきた。それは江戸時代にいそうな武士風の継裃を纏った男だった。
鋭い眼光に言葉の端からも伝わる強者の気配。奴だけだとしても、この場で暴れたら周囲が更地になるくらいじゃ済まないだろう。
「ぎゃああああこっち来た帰りたい!? なあ竜胆帰ろう!? ていうか帰る!? こんな奴ら相手にするとか絶対俺らの仕事じゃないし!?」
「ちょっと黙れ瑠依! どうせ逃げられねえよ!」
回れ右して一目散に駆け出そうとする瑠依と呼ばれた少年の襟首を、竜胆と呼ばれたガタイのいい少年が掴んで引き留めた。
正解だ。あと一歩踏み込んでいたら、武士風の男がなにかアクションを起こしていた。
「カカッ、そう身構えることはない。此度は挨拶と、宣戦布告をしに来たまで。ここで見て聞いたことを貴様らのお仲間に伝えてもらおう」
快活に笑った武士風の男は、しかし目は笑うことなく、少年たちを指差して言葉を紡ぐ。
「今宵零時、我ら百鬼夜行はこの街に侵攻を開始する。好きなだけ抵抗する準備をしておくがいい。簡単に制圧してしまうとつまらないのでな」
その宣戦布告を聞いた竜胆は、いつでも飛びかかれるよう僅かに身を低くして唸る。
「今ここで、お前らが俺たちに潰されるとは思わないのか?」
「できるなら、問答無用にかかってきておるだろう?」
「……」
「……」
両者睨み合う。片や緊張の面持ち、肩や余裕の笑み。ちなみに瑠依は未だに竜胆に襟首を掴まれたままその場でダッシュしている。本当に一般人じゃないのなら……アレは酷い。気の迷いとはいえ、アレを『師』と呼んでいたことを内心で恥じる貴文だった。
「どけ、山ン本。貴様の要件は済んだ」
と、宙に浮かんでいた武士風の男が急に後ろに弾かれた。
彼を踏み下げて代わりにクレーターの外へ着地したのは――紅い長髪をした青年だった。
細マッチョの上半身はほぼ裸。首に巻いたロングマフラーだけが風もないのに不自然に靡いている。下は男物の袴を穿き、腰には長大な日本刀と脇差。纏う妖気は山ン本と呼ばれた武士風の男と同等か、それ以上だ。
「む、無角童子! なにを勝手な――」
「我は貴様の配下になった覚えはない。それは後ろの三体も同じだ。それぞれがそれぞれの百鬼を率いてこの街での目的を果たすのみ。我々が手を組めたのは、目的が競合しなかっただけだということを忘れるな」
「……フン、そうだったな。だが我を踏んだことは後で必ず後悔させてやる」
静かだが威圧のある声で山ン本を黙らせると、無角童子と呼ばれた青年は少年たちを見据え――
「貴様らに問う。『那亜』という名に聞き覚えはあるか?」
そう、質問を口にした。
「誰?」
「……知らねえな」
少年たちは眉を顰めて顔を見合わせる。だが、その名に聞き覚えがあり過ぎた貴文はつい反応してしまった。
「え? 那亜さん?」
ギロリ、と無角童子が貴文を見た。
「ほう、貴様は知っているようだな」
一瞬。
不意だったとはいえ、貴文でも反応できない速度で目の前に接近されてしまった。
「答えろ。那亜はどこにいる?」
妖気と威圧が貴文を逃がすまいと取り囲む。今さら知らないと言っても、恐らく通じない。
ならば――
「知っているが、この街にはいないぞ?」
「そんなことはどうでもいい。場所を答えよ。那亜はどこにいる?」
「教えるわけないだろ」
瞬間、不可視の一撃が貴文を吹き飛ばした。
「がはっ!?」
背後にあったオフトゥン喫茶の壁を突き破る。凄まじい衝撃。ぶっ飛んだ先にふわっふわのオフトゥンがなければ骨の一本でも折れていたかもしれない。
だが、貴文もただではやられない。
「……今の一瞬で、この我に反撃をするか」
つー、と。
無角童子の頬に一本の線が引かれ、赤い液体が零れた。ちなみに「あぁああぁあああ俺の癒しの場が帰りたい!?」と向こうから叫び声が聞こえているが、それは無視でいいだろう。
「面白い。ならばこれ以上は問わぬ。『この街にはいない』というヒントは得られた。あとは自分で捜すとしよう」
ククッと笑い、無角童子は片手を天に翳した。
すると、上空からなにか巨大な物体が彼らの真上へと伸びてきた。付近一帯に影を落としたそれは、土色の肌をした腕だった。
「ふぁ!?」
「ダイダラボッチだと!?」
瑠依が腰を抜かし、竜胆が目を瞠る。
クレーターの中にいた妖怪たちは巨大な掌に掴まれ、無角童子もその腕に飛び乗る。そしてそのまま引き上げられていき――やがてこの場に満ちていた妖気も嘘のように消え去った。
「あの野郎、今度会ったら串刺しにしてやる」
店から出てきた貴文は、天に消えた彼らを見上げ、手にしていた竹串で地面を小突いた。
と、竜胆が心配した様子で貴文に駆け寄ってくる。
「えっと、あんた、大丈夫か?」
「このくらいなら日常茶飯事だ」
「嫌な日常だな……」
全力で同意である。
「そんなことより今夜零時に百鬼夜行だろ!? あ、俺、急にどっか旅行しに帰りたくなってきた」
「すぐに報告するんだよ! 行くぞ!」
「嫌だ帰りたい!? 絶対死ぬ!? 今回こそ絶対死ぬって!?」
「あーうぜぇ、また瑠依の死ぬ死ぬ詐欺が」
「詐欺じゃねーし!?」
ぎゃーぎゃー喚き散らす瑠依を竜胆が引きずっていくのを見送り、貴文も面倒なことになる前に駅前公園を離れることにした。
「街に干渉する気はねえが、あの野郎の目的からすると異世界邸も無関係じゃなさそうだな」
速足で歩きながら考える。那亜を街の外に逃がせばいいのかもしれないが、そうしてしまうと守られるのは異世界邸だけだ。那亜を生贄にするようなものである。
論外だ。
最も安全なのは、次元規模の戦力が集中している異世界邸で匿うこと。
「非戦闘住民を地下迷宮に避難させて戦闘の準備も整えて……そんで零時か。ああ、仕事山積みで胃が痛くなってきた」
また、邸は無事じゃ済まないのだろう。




