鬼子母神の付喪神【part 山】
「そういえば」
異世界邸昼下がり――深夜の安全帯とは別に、不戦協定が暗黙のうちに結ばれている風鈴家にほとんどの住人が昼食のために集まるため、比較的平穏な時間帯。
そこでミルクと砂糖たっぷりのカフェオレを啜りながら、管理人補佐のアリスは食後の服用分の胃腸薬を飲み干した管理人貴文に何気なく尋ねた。
「私もここに来て結構経ちますが、まだよく分からないことがあるのです」
「なんだよ」
追加の水を飲みながら、話を促す。
「那亜さんなのです」
「那亜さん?」
「なのです。よく分からないで言えばウィリアムさんも大概ですが、あの人はそういう存在だと割り切ってスルーするとして、那亜さんは別にはぐらかされてるわけでもないのに皆よく知らないというのが感想なのです」
世界魔術連盟からの極秘ミッションとして異世界邸に潜伏して早一ヶ月以上が経った。現在の上官である某大魔術師と魔方陣の権威・セシルの橋渡しをしながら異世界邸について嗅ぎ回り、住人についてはおおよその内情は掴んでいた。
例えば、セシルと仲が良いフランチェスカ――彼女は異世界の存在と自分の技術を証明するため渡来し、また自力で帰るために異世界邸に居を構えている。
例えば、フランチェスカがちょいちょいちょっかいをかけているホビットのリック――彼は元いた世界で遺跡の探索中に壊れた転移魔方陣をうっかり起動させてしまい、冷蔵庫に呑まれて異世界邸まで運ばれてしまったらしい。
例えば、たまにリックをチェスの相手として無理やり突き合わせているドワーフのノッカー――彼女は若かりし頃、やはり若かりし頃の大怪盗ウィリアムが50年かけて口説き落とし、異世界邸へ盗み出した彼の至高の「宝」であるとのことだ。
異世界邸でむやみやたらとわちゃわちゃしている住民たちの噂話を取捨選択し、理屈の通るストーリーに組み直して得た情報であるため完全にその通りというわけではなかろうが、おおよそその人の積み上げてきた歴史に沿った内容ではあるはずだ。
だが、こと那亜に関しては、「料理が美味い」「子育てのプロ」程度の話しか集まらないのだ。
「ん? あー、あー……あれ、そう言えば……?」
貴文も思い返してみて、確かに那亜の昔話というのは聞いたことがなかったと気付く。管理人故に他の住人よりかは詳しいが、そもそも貴文がこの世に生まれ落ちる前からこの異世界邸で働いていたため「そういう存在である」としか認識していなかった。
「那亜さんでしたら白羽がちょっとだけ知っていますわよ?」
と、お子様ランチのプレートを持ってアリスたちの方へ近づいてきた白い幼女――白羽。彼女は週末限定で異世界邸を宿として使っているはずなのだが、気付けば異世界邸に入り浸っている気がする。悠希やこののが学校に行っている時にも普通にいたりするが、大丈夫なのだろうか。
「学園には白羽の式神を通わせていますの。後で見聞きした情報は共有できますし、そもそも白羽に初等部の授業なんて不要ですわ」
「大丈夫なのか、それで」
「バレなきゃいいんですのよ」
つまり厳密には違反らしい。そして白羽の兄が羽黒である以上、絶対にばれていると思うのだが、見逃されているのだろうか。
アリスは溜息を吐きながら、美味しそうにエビフライを頬張る白羽に話の続きを促す。
「それで、那亜さんって何なのです? というか、そもそも何で白羽さんが知っているのです?」
「白羽と那亜さんは同郷ですのよ。聞いたことありません? 月波市」
「知らん」
きっぱりと断言する貴文。それに対し若干イラッとした表情を浮かべた白羽を見て、アリスは慌ててフォローを入れた。
「ここから結構離れた場所にある、人口50万規模の大きな街なのです。表向きには平凡な地方都市ということになってますが、何百年も前から様々な幻獣――この国でいう妖怪や、魔術師などの異能者が『人』として共存している地区なのです。その特異性から、世界でも不可侵領域として扱われているのです」
ちらりと白羽の様子を見る。アリスの説明に満足したのか、無駄に優雅なナイフさばきでハンバーグを切り分け、口に運んでいる。
ほっと一息吐く。月波市が不可侵領域――接触禁止扱いされている原因の8割が、目の前の暴力陰陽師一族にあるという情報は、今ここでは口にしない方が良いだろう。
「そんな不可侵領域扱いされてる街があるなら、紅晴も指定してくれよ……!!」
と、貴文が涙目で奥歯を噛みしめた。
「……確かに、あの街がなんで放置されてるのか前々から不思議ではあったのです」
こうしてアリスのような諜報員が普通に出入りしているが、月波市にはそういった活動すら世界的に自粛されている。街の特異性から言えば、月波市よりも紅晴市の方が異常度は高いと思うのだが。
「不可侵扱いされてるってことは、緊急時の援助も望めないってことですわよ。月波市では大抵のことには対応できるだけの戦力と資金力が常に用意されてますが、紅晴市は……ねえ?」
と、渋い表情を浮かべる白羽。実際に麓で地元術者と肩を並べて戦ってみての感想なのだろうが、何とも歯切れが悪い。貴文も完全に無視できる話題でもないため、白羽同様に渋い表情を浮かべて懐にしまった胃薬を再度取り出――そうとして、アリスに没収された。
「ああ! 俺の胃薬!!」
「用量を守れ、なのです。また体壊して入院されたら、次は邸は灰も残らないのです」
死んだ目で貴文を睨み付けるアリス。それを、ナポリタンで口のわきを赤く汚しながら眺めていた白羽は「何だかんだいいコンビになってきましたわねー」と、邸を灰にする要因の一人である自覚皆無に呑気に考えていた。
「で、話を戻しますが、那亜さんですわね」
「ああ、そうだった」
「簡単に言うと、彼女は月波市で生まれた付喪神ですわ」
「付喪神……確か、長い年月使われた道具に魂が宿った妖怪……だったか? 俺はまだ出くわしてないが、ホールの柱時計もそんな感じらしい」
「ああ、アレは完全に付喪神化してますわよ。人前に出てくるかは本人次第なのであれですが、たまに廊下を時計の駆動音を鳴らしながら走り回ってますわよ」
付喪神が近くにいるのならば話が早い。白羽は話を進める。
「那亜さんは元々、安産祈願の社に祀られていた鬼子母神像ですの。母親の子を思う祈りが像に長い年月をかけて蓄積されて、魂が宿ったのが彼女ですわ。まあ、付喪神としては少々特殊なのでしょうか。その出自から、鬼子母神そのものとしての力も宿していますから、その道の専門家でも一目で正体を見抜くのは難しいと思いますわ」
白羽が「専門家」と口にした瞬間、貴文の顔が若干青ざめた。そして無意識に胃薬を探して伸ばしかけた右手を誤魔化し、コップに水を注いでぐいっと一口あおった。何かトラウマでも蘇りかけたのだろうか。
「生まれてしばらくは白羽の一族の乳母係として暮らしていたらしいですわ。それが、百年近く前にどこかの化け物が攫っていったという話ですが、それから結構な期間行方不明だったそうですわ」
「行方不明?」
「……んぐっ!?」
飲んだ水を盛大に吹き出しかけた貴文。貴文もまた、那亜に乳母として育てられた経歴の持ち主だが、まさかその那亜を攫った化け物とやらは身内ではあるまいな、と冷や汗が背筋を伝った。
「那亜さんと再び連絡が取れるようになったのはこの何十年かの出来事らしいですわ。その時には既にこの邸で働いていたらしいですので、当時の当主も無理に帰還させようとはせず、新しく子供が生まれたら一時的な乳母として呼ぶ程度に留めることとしたらしいですわね」
「あ、ああ、それは何度か記憶にある」
貴文が子供の頃から、頻度は低いが那亜は何度か長期的に異世界邸を開けることがあった。その時は何となく聞きそびれていたが、どうやら月波市に戻って仕事を頼まれていたらしい。
「まあ要するに、子供を想う気持ちから生まれた、子供好きの心優しい妖怪ということですわ」
「ははあ、それであんなに子供に影響されているのですか」
そう締めくくった白羽に頷きながら、ちらりとアリスは厨房の中で鬼子母神どころか八面六臂のような動きで大量の注文に単身喜々として対応している割烹着姿の少女に目をやる。
アリスは実際に目にしていないが、少し前はぽっちゃり気味の中年女性の姿をしていたらしい。異世界邸にしばらくの間幼子が不在であったために力が衰え、そのような外見になっていたというが、迷宮の魔王グリメルが赤子姿で異世界邸に現れたため、力を取り戻して30代前半程度まで若返ったらしい。
それが、今や女子高生といっても差し付けないほど若々しくなっていた。以前にもましてきびきびと働けるようになり、最近は料理のレパートリーも増えていた。まさかエビとほうれん草のクリームパスタなんてものを、古き良き小料理屋のようなメニューが主だった風鈴家で食べられるようになるとは思わなかった。
理由は明白で、先日ゲリラ的に行われた栞那懐妊報告から、また力を取り戻したらしかった。
『ふむ、幼子の存在で力を増すとは、やつがれと近しいものを感じるな』
「「「それは絶対に違う」」」
いつの間にか3人と同じテーブルについて山盛りのサラダを貪っていた最強の変態こと「誑惑の魔王」エティス――その頭に竹槍と妖刀と魔拳銃を突き付けながら3人は様子を窺う。特に白羽は諸にこいつの標的圏内の外見であるため、若干引き腰になっていた。
意外なことに普段の食生活はベジタリアンらしい羊頭の魔王は全く意に介さず、貴文へと横長の瞳孔を向けた。
『それはそうと邸の監視者よ』
「何だよ」
『この装いはどうにかならぬのか』
エティスは煩わし気に襟元まで上げられたファスナーを指先で弄る。
それは、えんじ色に椀部と脚部の外側に白い3本のラインが奔った、今時こんな骨董デザインが現存するのかというクッソダサい所謂芋ジャージである。
何度言い聞かせても全裸に呪術的な装飾品をぶら下げて局部のみを隠すという、教育に悪影響しか与えない格好で出歩くエティスに痺れを切らした貴文他多数が決死の覚悟でバトルを挑んで無理やり着せた服なのだが、もちろんただの芋ジャージではない。
ウィリアムの超希少なコレクション素材をフランチェスカが加工し、ノッカーが仕立て、フォルミーカが込めた魔力をもとにセシルが厳重に術式を仕込んだ、数多存在する世界でも間違いなくトップクラスの強度を誇る拘束具となっている。
これを着せてもなお、「何か窮屈」という感想に留まり、貴文とフォルミーカ一派を主軸とした討伐隊を編成してやっと鎮圧できる程度にしか弱体化できなかったというのだから頭が痛い。こんなものを仮にアリスが着たら、身動きが取れないどころか自重で押し潰されて血溜りも残らないほどの効果があるというのに。
「もしそれを無理やり脱いでこののと事を起こそうとしてみろ。次は塵も残さず滅してやる」
『おお、義父君は恐ろしい恐ろしい』
「テメエやっぱぶっ殺す!!??」
『が、やつがれの真の本命はあくまで我が君よ。邸を破壊した罰としてやつがれに与えられる供物は摘み食いしても、他のお子は遠目から眺めるに留めよう。魔王の約定である』
「いや、グリメルも別にあなたに与える気はないのです」
『では我が君が立派なおのこに成長するまで待つとしよう。その時にはやつがれの「とれんど」も変わっていようが、二度もやつがれの「とれんど」に刺さった我が君こそ、運命の相手よ』
「やっぱこいつ、純粋に気持ち悪いですわ……」
『幼子を自分好みのおなごに育てて娶った男の物語が流行った国の民の末裔とは思えぬ発言よな』
「「何故知っている!?」」
非常に大きな曲解を含んではいるが、完全に否定できないのが辛い日本人二人は頭を抱えた。
『兎も角、この邸には我が君もいるし、つまみ食いできる供物も定期的に供給される。飯も美味い故、やつがれは大層気に入っている。滅多なことはせんよ』
「あーそうかい……」
げんなりとテーブルに突っ伏す貴文。会話をするだけで疲れる。
と、表情の読めない獣の瞳をぎょろりと巡らせ、エティスは言葉を続ける。
『故に一つだけ忠告してやろう――「角なし」には気をつけよ』




