始まりはいつも突然に【Part夙】
「マジカルナース☆ユーキちゃん、アニメ化決定おめでとうございます!!」
巷を賑わす超人気作品『異世界邸シリーズ』を手掛けるライトノベル作家――呉井在麻が出版社の打ち合わせブースに呼び出されたかと思えば、担当編集者から開口一番にそんな言葉が飛んできた。
「え? 早くね? まだ一巻も出てないんだけど?」
「それだけ期待されているということです。なにせ今作は実際にこの街で起こった魔法少女騒動が元ネタじゃないですか? だから話題性も抜群なんですよ」
異世界邸シリーズもほぼノンフィクションだったりするのだが、そこは言っても冗談にしか聞こえないから黙っておく。
「なんだったんでしょうね、あの魔法少女。先生の原稿だとそういうパラレルワールド扱いでしたけど」
「本当に異世界から来てたりして」
「あはは、またまたぁ」
やーねー先生ったらお上手、的に笑って手を振る担当編集者。真実が伝わることは永久に来ないだろう。
もっとも、一般人には真実が伝わらないような魔法でぼやかしているのだが。
「というかちょっと待って、仮にアニメ化できたとしてもだよ」
「仮にじゃなくてもう決定しています」
「原作者に事後報告で決定してんのはこの際置いといて、一巻しかないんだから話のストック的に厳しいんじゃないの? 引き延ばしたりオリジナル入れたりしちゃあたぶん炎上するよ?」
「そこは大丈夫です。まだ『制作が決定』しただけですので」
「というと?」
「これからどんどんマジカルナース☆ユーキちゃんの原稿を持ってきてください。多少異世界邸シリーズが遅れても構いません」
「アレって一応異世界邸シリーズの外伝って位置づけなんだけど。ていうか本編もまだアニメ化の話来てないよね?」
なぜまだ世に出回ってすらいない外伝の方からアニメ化されるのか? こればっかりは在麻が裏でなにかをやったわけではない。超常的存在の悪意を感じる。
「あっ……先生、もしかして、アニメ化ってお嫌いでしたか?」
「大好きです! 目指せ劇場版!」
「よかったです! 映画製作会社にも一報入れておきますね!」
「行動が速い!」
担当編集者は早速スマホを取り出してどこかに電話をかけた。声がバネ仕掛けのように弾んでいる。どうやら色好い返事を貰えたらしい。
「それでは二巻の原稿、お待ちしております!」
「オッケー。任せちゃって!」
在麻はぐっとサムズアップした。さっきまで否定的だったように見えたって? それは錯覚だ。
アニメ化最高!
***
昼休み。
中西悠希は教室でいつものコロッケ弁当を食べていた。
「最近退屈ねぇ」
くっつけた机にぐでーと親友の畔井真理華が垂れかかった。見た目中学生とは思えない美人がそんなだらしない格好をしていると嫌でも注目されてしまう。
「また異世界から侵略者でも来ないかな。私好みのめっちゃ強い生命体」
「冗談が過ぎますよ真理華。平和が一番です。あと真理華の中で『ヒト』の定義は生きてりゃいいんですか?」
真理華の理想のタイプは『強い』という一点にのみ集約されているのだ。悠希は親友として非常に心配だった。
「いやほら、あれっ切り『サクシア』も現れないじゃない? もうただの日常では満足できない体になっちゃって」
「いいこと教えてやります。非日常が日常になるってことは、毎朝爆発を目覚ましにガスマスクを装備して崩れる邸から這々の体で逃げ出し暴れた馬鹿どもの手当てを手伝わされるループに陥るってことです」
「なんか妙に真に迫ってるわね……」
事実なのだから仕方ない。今日だって登校するまでに三回ほどループしたのだ。仮にも神や高性能ロボットを名乗っているのになんで学習できないのだろうか?
「とにかく、何事もないのが一番。自分たちの力も使わない方がいいんです」
悠希はペットボトルのお茶を飲んで荒みかけた心を落ち着ける。非日常を知っているからこそ、悠希は日常の素晴らしさに気づけるのだ。
「おい聞いたか! マジカルナース☆ユーキちゃんがアニメ化だってよ!」
「ぶふぅ!?」
「ちょ、悠希汚い!?」
クラスの男子連中から聞こえてきた単語に悠希はお茶を思いっきり噴霧した。
「マジカルナース☆ユーキちゃんってアレだろ? 異世界邸シリーズの外伝で、来月一巻が発売されるっていう」
「なのにもうアニメ化なのか? マジカルナース☆ユーキちゃんってどんだけだよ」
「異例すぎる。マジカルナース☆ユーキちゃん、絶対おもしろいだろコレ」
「俺、原作出たら買うわ」
「俺も」
「俺も」
「俺も」
ワイワイとマジカルナース☆ユーキちゃんについて語り合う男子たち。そこに同じシリーズのファンである女子も混ざって随分と賑やかな空間ができ上っていた。
「……」
悠希は――顔を耳まで真っ赤にして机に突っ伏していた。
「えーと、悠希、大丈夫?」
「いっそ殺してほしいです」
異世界邸に住む大先生が異世界邸で実際に起きた出来事を小説にしていることは知っているが、まさか外の街で起こった事件まで取り上げてくるとは思わなかった。
いや、悠希が関わっているのだ。寧ろなぜ取り上げられないと楽観していた?
文字と少しの絵がつくライトノベルだけならまだしも、アニメ化も決まっただと?
話をつける必要がある。
「真理華、ちょっと用事ができたから今日の放課後は一人で帰ります」
「え? あ、うん、わかったわ」
放課後なら、たぶん、まだ邸には帰っていないはずだ。
***
出版社を出た呉井在麻は、取材のため街の人々に聞き込みをしていた。
自分がシナリオを手掛けた魔法少女騒動とはいえ、他者の視点での感情などは流石にわからない。一巻は既に書き終わっているが、二巻以降の方向性に一般人視点の意見もとても貴重な参考資料となる。
一般人に迷惑をかけない。寧ろ一緒に楽しんでもらう。それがマジカルナース☆ユーキちゃん計画のコンセプトの一つなのだ。
もっとも、一般人じゃない人々には多大なるご迷惑をおかけしているのだが、そっちはぶっちゃけ知ったことではない。
「魔法少女? そういえばそんなのあったらしいね。俺は見てないけど」
「あー、アレか。俺たちが裏路地でやべー奴らと戦り合ってた時の」
「うげ、思い出させんなよ竜胆! 帰りたくなるだろ!」
「その辺詳しく!」
「あ、いや、なんでもないから」
「街に出たおっかない怪物を倒してくれたんだよね? だったら俺は魔法少女大賛成! 悠々と帰れるし!」
「……瑠依、お前な」
「貴重なご意見ありがとうございまーす。お礼にサインあげちゃう」
「マジで! ちょっと待って家から小説取ってくる!」
「おい瑠依待てまだ仕事が――」
あれだけ街を騒がせたからには否定的意見が多いかと思ったが、意外にも好意的な意見ばかりで驚いた。ちなみに異世界邸シリーズのファンだという少年たちはサインを貰うため全速力で帰っていった。
「いやぁ、あんな文字列無理そうな少年まで読んでくれてるなんて嬉しい限りだぁね。これは頑張って続き書かないと」
方向性は概ね一巻と同じで大丈夫そうだ。あとは二巻ならではの新要素を追加できれば完璧である。
問題は――
「ありゃりゃ、ここも淀んでるなぁ」
街の北東側。
そこは今や瘴気の吹き溜まりと化していた。『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランの襲撃により撒き散らされた瘴気だ。これに引き寄せられる形で悪鬼羅刹の出現頻度が異常なほど上昇している。
『サクシア』のようなお遊びとは違う、本物の脅威。
今はまだ動ける街の術者で対処できる程度だが、近い内に必ず大規模な事態に発展するだろう。
瀧宮羽黒が出禁になる前に整えてくれたおかげで、四方八方から攻められることだけは防げたのは幸いだった。とはいえ、弱体化した街の術者たちに対処できるかは不安である。
街の術者たちが全滅しようが在麻にはどうでもいいが、この街がなくなれば異世界邸シリーズはそれでいいとしても、マジカルナース☆ユーキちゃんは続きを書けなくなってしまう。
今はちょっと、それは困る。
「干渉するのは不本意だけれど、話の進む先を調整するのも作者の役目だぁね。すこーしだけ手助けの伏線を張っておくか」
在麻は懐から薬剤ケースを取り出すと、一粒口に含もうとして――
「見つけましたよ大先生!?」
後ろから聞こえた声に手を止めた。
危なかった。おっさんの姿では彼女が接近していることにもギリギリまで気づかなかった。今後はもう少し注意しよう。
「おや? 悠希ちゃんじゃないか。こんなところで会うとは奇遇だね」
「奇遇じゃねえです! 水矢ちゃんにあんたの居場所を聞いて来たんです!」
悠希がどうやって在麻を見つけたのか疑問だったが……なるほど、使い魔の水矢ならば主人の居場所など手に取るようにわかる。とはいえ悠希は在麻と水矢の正体を知らないはずなので、単に仕事仲間だから知っているのではないかと思っただけだろう。
「オレになんか用なの? あ、もしかして取材手伝ってくれるとか?」
「その逆です! なんですかアニメ化って!」
アニメ化。
悠希の口からその言葉が出たとなると、要件はそれしかない。
「そうなのよ! 今度出す新作がもうアニメ化決定しちゃってなんてえの? ウッハウハ? わざわざお祝いの言葉を言いに来たんだよね。別に帰ってからでもよかったのに」
「違ぇつってんでしょうが! 今すぐアニメ化も書籍化も取り止めてください!」
がるる、と犬歯を剥き出して威嚇する悠希。在麻はきょとりと首を傾げる。
「なんで?」
「本人が許可してねえんですよ!?」
「本人って、マジカルナース☆ユーキちゃん? いやぁ、魔法少女の正体が誰でどこにいるかなんてオレみたいなおっさんにはわかんないからさぁ」
「清々しいくらい白々しい!?」
マジカルナース☆ユーキちゃん=中西悠希であることには気づいていないことにする。それは異世界邸住民の暗黙の了解である。
「もう無理だぁよ。出版社もアニメ制作会社も動き始めているからね。どうしてもっていうならオレじゃなくてそっちと話をつけてくんないと」
「ぐぬぬ……」
悠希は悔しそうに歯噛みした。一般中学生が意味のわからん理由でクレームを入れたところで相手にされないだろうし、それでも意見を通そうと思ったら関係者の目の前で変身|してみせねばならない。
彼女の性格からして絶対にやらないだろう。
「まあ、安心するといいさ。異世界邸シリーズもそうだけど、身バレするようなことにはならないように書いてあるか――」
瞬間、おっさん化して鈍った在麻の感覚にもはっきりわかるほど〈淀み〉が強くなった。
「悠希ちゃん、ちょっとこっちおいで」
「わっ!?」
在麻は悠希の手を無理やり引っ張って引き寄せる。すると、今しがた彼女がいた空間を巨大な質量が薙ぎ払った。
それは全体的に丸い体をした人型だった。
ただし、首もなければ腕や足の先に指もない。いや、正確にはあるのだろうが、身体との区別がつかない。一頭身の肉の塊と表現するのが妥当だろう。
「な、なんですかアレは!?」
「肉人――ぬっぺふほふだろうね」
「なんて?」
ぬっぺふほふ。
江戸時代の妖怪絵巻に描かれている怪物だ。のっぺらぼうの一種とされ、古いヒキガエルが化けたものや狐狸の類だという説もある。中国にも出現し、その肉を食べると力持ちになれると言われている。が、今回食べられるのは在麻たちの方だ。
「そろそろ逢魔が時だから出てきても不思議はないか。逃げるぞ悠希ちゃん」
在麻は悠希の手を引いて走った。おっさんのままで戦えば五秒と持たない。悠希がいる手間、元の姿に戻れないのだから今は逃げるしかないのだ。
ドスドスと背後から重たい足音がついてくる。
「追ってくるんですけど!」
「実際に怪物に追われる経験! 参考になるかも!」
「言ってる場合ですか!?」
北東側は瘴気のせいで簡易的な人払いがされている。非常識側の在麻や悠希には効果が薄かったので入れてしまったが、幸か不幸か周囲には誰もいない。
人払いの効果範囲外にまで出れば誰かはいるが、あんな化け物が現れてはパニックに陥るだろう。
――まあ、別にいいか。
犠牲は出るだろうが、街の術者がテキトーになんとかするはずだ。作品にはなんの影響もない。
いや、寧ろ大勢の前で悠希を唆してマジカルナースに変身させて退治してもらうのもアリ……ダメだ。まだ『影の世界編』が終わっていないのに『サクシア』以外の敵と遊ばせるわけにはいかない。
「ぎゃっ!?」
「悠希ちゃん!?」
あれこれ考えながら走っていると、悠希が足を縺れさせて転んでしまった。
「そこはもっと女の子らしい悲鳴を上げようよ作品映え的に」
「言ってる場合ですかぁあッ!?」
足首を捻ったのだろう、立ち上がれない悠希にぬっぺふほふが迫り来る。
「く、こんな時、マジカルナース☆ユーキちゃんがいてくれたら」
「おいクソやめやがれ!?」
一般人が誰も見ていないこの場であれば変身して妖怪を倒しても問題ないのだが、本人は嫌なようだ。とっても。
だが、そうも言っていられない。
潰れたように丸い手が、悠希を掴もうと伸ばされる。
「あーもう! チクショーメ!」
それを見た悠希はヤケクソ気味でカバンからステッキを取り出した。なんやかんやで常備しているのだから出し惜しみしなくてもいいのに。
「レッツ・リリカ――」
だが、今回は変身の必要はない。
悠希が文言を唱え終える前に、ぬっぺふほふの巨体が割って入った何者かに蹴り飛ばされたからだ。
「うわっ、なにこれ『鬼』!? きもい!?」
「いや、俺たちのいう『鬼』っつーより、妖怪っぽいな」
そこには先程聞き込みをした少年たちが立っていた。ぬっぺふほふをぶっ飛ばしたのはガタイのいい青年であり、もう一人の少年は手に文庫本を抱えたまま顔を青くしている。
「『鬼』じゃないなら専門外だから! 帰りたい!」
泣きそうな声で少年――伊巻瑠依は叫んでいた。
彼らが鬼狩りという組織に所属している異能者だということを、在麻は一応知っていた。街の術者とは違うのだが、人手不足のため援軍という形で警備を手伝っているらしい。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます……」
青年――竜胆に手を差し伸べられ、悠希は戸惑ったようにお礼をいいながら立ち上がった。幸い足は軽く挫いたくらいだったらしい。それを見て、竜胆がほっと息をついた。
「怪我しなくてよかったけど、気をつけろよ。この辺ちょっと危ないから」
「は、はい」
「てか、普通入れないはずなんだが……結界が効いてないのか?」
不思議そうに疑問符を浮かべる竜胆だったが、ぬっぺふほふが起き上がってきたのでそちらへと向かった。
格闘術だけで巨体を圧倒し、文字通り肉片に変えていく。
「あ、そうだサイン! お願いしますっ!」
と、在麻の元へ駆け寄ってきた瑠依が抱えていた文庫本を差し出した。
「お、おう。いいのあっち、手伝わなくて?」
「え? 俺が手伝う必要あんの? あるなら帰りたい」
あっけらかんと答える伊巻瑠依。竜胆を見れば楽しそうに肉塊を解体している。確かに手伝いはかえって邪魔になりそうだ。
「本当に持ってきたんだ。しかも全巻」
「ファンですから!」
こんな状況で……流石は伊巻の問題児である。この少年だけは在麻も面白おかしく操る気にはなれなかった。
在麻は手早くきゅっきゅと文庫本全部にサインした。そして大はしゃぎするファンの少年を尻目に、そっと踵を返す。
「この区域からはもう離れた方がよさそうだぁね」
「ちょ、大先生まだ話は終わってねえんですけど!?」
その後も悠希からあれやこれやと言われたが、結局アニメ化撤回など当然することはなかった。
***
その夜――再び街の北東区画。
呉井在麻、もとい〝魔王生み〟『降誕の魔女』ことアルマ・クレイはビルの屋上へと転移した。
おっさんではなく、青みがかった黒髪を二股テールにした少女――本来の姿である。
「さてさて、時間がないからパパっと終わらせないとね」
アルマは口元をニィと歪めると、北東区画のあちこちに同時に魔法陣を展開した。
今も街の術者が警戒を行っているが、誰もこの異常には気づいていない。とてつもない魔力と術式が作用しているのに、アルマがそれを完璧に隠蔽しているからだ。伊達に億単位以上の年月を生きた魔女ではない。この程度なら朝飯前である。
「アハハ、これは〝伏線〟だよ。来るべき時に誰かがピンチになると発動する、ご都合展開の魔法さ。ま、ボクから手伝えることはこのくらいかな」
魔法陣が夜闇に溶けて消えていく。セッティングはこれで完了だ。
「さあ、ボクの仕事は終わりだ。あとは君たちで頑張りなよ」
アルマの足下に転移の魔法陣が出現する。景色が変わる直前に、近くの路地で鬼狩りの少年が涙目で逃げ回っているのを見つけた。
アルマは楽しそうに笑う。
「全滅してもいいけど、せめてこの街だけは守ってよね」
それだけ言い残し、アルマの姿は影も形もなく消え去った。
***
同時刻――街の外側のどこか。
薄闇の空間に、無数の魑魅魍魎が蠢いていた。
「ついにこの時がきた。あの街に攻め込む嚆矢が」
魑魅魍魎の中心で強大な力を持つ存在が静かに囁く。その声に周囲の悪鬼たちが鬨の声を上げた。
「百鬼夜行。随分と集まったものだな」
と、中心の妖に何者かが声をかけた。実際は百鬼どころではない群れの中で、そいつは中心の妖とは別の強い存在感を放っている。
強力な妖は他にも何体もいるが、そいつだけは纏う雰囲気が違っていた。
「どうした? 決戦前夜だというのに落ち着いているな」
「我は街になど興味はない。我は我の目的を果たすためにこいつらを利用するだけだ」
「酔狂な奴だ。好きにしろ」
中心の妖はくだらなそうにそう言うと、群れの中へと溶け込んでいく。それを見届け、彼は牙を剥いて夜天を仰いだ。
「待っているがいい――那亜よ」