バレンタイン☆クッキング!【part 紫】
「ねえねえ、悠希、真理華。バレンタインって2人ともどうしてるの?」
「げ」
「あら」
こののが発した問いかけに、悠希は心底嫌そうな、真理華は驚いた様な声を上げた。
魔法少女の件以降、悠希と真理華、こののは時折3人で放課後に遊ぶようになっていた。元々真理華は悠希と登下校を共にしているし、いつも──遅刻ギリギリの登校はともかく──下校はこののと悠希は異世界邸まで一緒であることが多い。真理華とこののが知り合えば、必然的に揃いやすい3人が放課後に遊ぶ頻度は増える。
今日も今日とて、市営の図書館で待ち合わせ、各々が自販機で買った缶ジュースのプルタブを開けたところで、冒頭の問いかけに繋がったのだった。
「あら、こののちゃん。誰か上げたい男の子がいるの?」
興味津々という顔で真理華が身を乗り出した。こののはもじもじしながらも、輝く笑顔で答える。
「お父さんとお母さん! あとあと、那亜さん……いっつもご飯作ってくれる人にもあげたいな!」
「あら、いいわねえ」
純真無垢を絵に描いたような答えに、真理華の相好が崩れた。逆に悠希は、酷くそっぽを向いている。
「去年まではどうしていたの?」
「お小遣いで買えるチョコをプレゼントしてたの。でも、学校の先生が手作りを上げるのも素敵ですよってお話をしててねー」
「迷惑な」
ぼそっと呟かれた悠希の言葉は、幸いこののには聞こえなかったようだ。真理華は聞こえたのかちょっと気になる顔をしたが、こののが話を続けたのでそちらに意識を戻した。
「だけど私、チョコの作り方だなんて知らないし……、悠希とか真理華が作るなら、一緒に作らせてもらえたら嬉しいなあって思ったの」
「なるほどねー」
納得した真理華が頷く。しかし、直ぐに困り顔になった。
「でも困ったわあ……私、料理は何とか出来るけれど、お菓子までは作ったことないのよねえ」
「真理華はバレンタイン、上げてないの?」
「一応父様には……、近所のパン屋で買ったチョコレートを」
「パン屋??」
「これが美味しいのよ〜。今度買ってきてあげる」
「ほんと! 楽しみ!」
こののが喜んだが、話は脱線している。普段ならばこの辺りで適切な突っ込みが入る頃だが、悠希は相変わらずそっぽを向いたままで話に参戦してこない。
「じゃあ、悠希は?」
「…………」
真理華が話を振るも、悠希はぶっすーとした顔で答えない。だが、それだけでこののが悟った。
「……悠希、お父さんにあげてないんだ?」
「誰があんな変態にっ」
「あら? でも確か、悠希って去年、学校中から大量にもらったバレンタインチョコのお返しにってホワイトデーのマドレーヌ配ってたでしょ? 手作りの奴」
「うっ」
「えっ、じゃあ悠希はお菓子作れるんだ!」
「ぐっ」
余計な事をつるっと漏らした真理華と、きらきら期待のお目々なこののという連携プレーに、悠希はノックアウトされかかった。ぐびぐびとサイダーを飲んでから、こののに目を向ける。
「一応、まあなんとか、多分、自分が作れるとしてですよ。どこで作るんです? うちもこののんちも提供出来ねえでしょう」
安全面で。と目だけで訴えると、流石にこののもそれは理解出来ていたのか大人しく頷いた。
「じゃあ私の家にする? 父様がお菓子作り上手で、筋骨隆々とした素敵な肉体にピンクのフリフリエプロン着て丁寧に教えてくれるわよ」
「嫌ですよ!? 何ですかそのえげつない視界の暴力!?」
「それは私もちょっと……」
うっかり想像しかけて粟立った肌を撫でさすりながら、悠希は真理華の提案を無かった事にして話を続けた。
「つーことはですよ、場所がないから作れないって事になります。どうしようもありませんね、諦めましょうか」
「ううん、学校で作ろう!」
「……へ?」
予想外も予想外の言葉に、悠希が素っ頓狂な声を上げる。こののが両手をぎゅっと握って、訴えた。
「先生がね、バレンタインの前の日、放課後家庭科室を開けてくれるの! だから作れるよ!」
「……小学生用の家庭科室……」
悠希は思わず真理華を振り返った。小首を傾げる、高校生以上にしか見られない友人をとっくりと眺め、悠希はこののに振り返り端的に告げる。
「自分達が入ったら、多分通報ものです」
「えー!? なんで!? 大丈夫だよう!」
一生懸命こののが訴えてくるが、普通に無理だろう。どう考えても怪しさ満点で通報されかねない。
「というか、小学生用のサイズだと小さくてやりにくいです」
「そんなー。悠希のけちー!」
「あ、じゃあこうするのはどうかしら」
ぽん、と真理華が手を打ち合わせる。同時に振り返った2人に、真理華は笑顔で提案した。
「最近通ってるジムのバイトさん、女子高生なんだけど。確かチョコレートを作るって言ってたから、一緒に作れるか聞いてみましょ」
***
「今日はバレンタインのちょこ作りじゃ!」
物凄く気合いが入った神久夜の言葉に、みっちゃんが「おー!」と勢いに流され握り拳を振り上げた。
「姐さぁん……」
「またこの流れかよお……」
何も知らぬまま連れてこられたポンコツ&トカゲが嘆き声を上げる。世界を滅ぼしかねない力を持つアンドロイドと竜神が、狐耳の少女に希う姿は滑稽極まりなかった。
「最近忙しくて体調を崩してばかりおる貴文の為にも、妾は最高のちょこれーとを作るのじゃ!」
「おー! 旦那様大好きな奥様、素敵なのです!」
「ふふ、そうじゃろそうじゃろ!」
よく分からないながらもおだてまくるみっちゃんに、神久夜のテンションがダダ上がる。ポンコツとトカゲのテンションがダダ下がる。
この流れが大変よろしくないことくらい、邸破壊では反省のはの字も学習のgの字もないポンコツやトカゲでも楽勝で分かる。ああ分かるとも、普通に逃げたいわ。
「なあ、姐さん。バレンタインのチョコ作りなら、女性だけでした方がいんじゃねえのか?」
「そうだな。魔術師殿や科学者、医者先生に風鈴家の女将など、適役がいるであろう」
せめてものささやかな抵抗として代打になりえる名前を上げたが、神久夜の答えは無情だった。
「医者先生は那亜を連れて実家で作ると言ったのじゃ。フランとセシルは誘っておるぞ、今特設キッチンを用意してもらっておる!」
うわあやべえ予感しかしねえ。
ポンコツとトカゲの心は一致した。
もはやどんな魔化学兵器を作る気なのかと戦々恐々とする2人を余所に、神久夜は物凄く楽しそうな笑顔で続けた。
「ちょこれーとは、カカオから出来ておるのじゃ。この日のために、妾は活力の風からげっとしたカカオ豆を育てたのじゃ!!」
「カカオ豆があるならそのままチョコレートになるんじゃねえのか!?」
「姐さんそれ確実に意図的な魔改造だろ!?」
2人のツッコミをものともせず、神久夜は2人の腕をがっしと掴み、意気揚々と振り上げた。
「さあ、まずは畑にカカオを獲りに行くのじゃー!」
「おー、なのです!」
「「ついに漢字が植物対象じゃなくなった!?」」
***
「こんにちはー、真理華ちゃん! 後ろにいる2人がお友達かなー?」
「こんにちは、常葉さん。はい、こっちが悠希でこっちがこののです」
「お世話になります」
「初めまして!」
あの後。真理華が予定の日を尋ねるべくSNSで連絡を取ると、速攻で真理華の端末に電話がかかってきた。丁度今から作るからおいで、とのお誘いに、幸いこの後の予定もなかった3人は素直に応じた。
「悠希ちゃんとこののちゃんねー? 私は常葉! 丁度お父さんがいないから、チョコ作ろうと思ってたんだー☆」
テンション高めではあるが、にこにこと愛想良く喋る常葉に、悠希は密かにほっとした。真理華の知人というからどんなマッチョが来るのかと身構えていたが、考えすぎだったらしい。
少し癖のある茶味がかった黒髪をポニテにした、ぱっちり目が可愛らしい女の子だ。制服のスカートからすらりと伸びた足は細く、健康的な印象を与える。嗚呼、普通って素晴らしい。
「そうだ、ねえねえ真理華ちゃん! チョコ作りの後時間があったら、私の推しをこっそり見に行かない? すっごく綺麗な筋肉なんだよう♪」
「ああ、前に言っていた人達ですか?」
「うん! そりゃーもう、うっとりするくらい綺麗なバランスで筋肉が付いてて、躍動的に動く様なんてもはやジャスティス! ちらっと見るだけで一目惚れ間違いなし☆」
「是非1度手合わせしてみたいわあ……」
悠希は己の浅はかさを深く恥じた。真理華の友人が真っ当なわけがなかったのだ。
「……マッチョな友人じゃなくて、マッチョが大好きな友人って事ですか」
「それは違うんだよ悠希ちゃん!」
両手を掬い上げて握りしめ、常葉は死んだ目の悠希に滔々と語り出した。
「ただの筋肉積み上げただけの熱重苦しいマッチョなんて見てて鬱陶しいだけ! 全ての筋肉が無駄なく必要十分に使いこなされてこその筋肉なんだから、筋肉を増やすだけの筋トレなんて何の価値も無いの! 目的に合わせて必要な筋肉を強化するから筋肉は美しいんだよ!? それを──」
「ハウス!!」
「きゃんっ!?」
どこからか現れた手刀が常葉の頭上に容赦なく落とされた。やや高い少年の声が遮ってくれた熱すぎる情熱に目眩がし始めていた悠希は、どこぞの誰とも知らない少年に密かに感謝した。
「いい加減にしろいたいけな子供まで汚すな!? とゆーかお袋様を使ってまで俺を呼び出した理由は何だよ!?」
「買い出しッパシリ!」
「帰る!」
「ふっふーん、帰れるものなら帰ってご覧なさい! 瑠依の携帯ゲームは私の手中にあるのだ♪」
「なんつー人間に預けてるんだよお袋様!?」
「竜胆君をおいてきた瑠依なんてパシリ以外に価値なんてないよう!」
「俺の扱い!!」
眠たげな目を精一杯吊り上げた緩い雰囲気の少年が全力でツッコミをしていたが、何やらあっさりと常葉に言い負かされてチョコレートの追加購入へと向かっていった。「帰りたい……」と哀愁漂わせる背中に、悠希はほんの少し申し訳なくなる。
「えっと、あの、自分達で買いに行けますよ?」
「気にしないでー? というか悠希ちゃん、瑠依なんかに同情してちゃ駄目だよー。瑠依はほんとーのほんとーに、やる気なさ過ぎてダメダメさんだから!」
「はあ」
生憎と、分単位で邸を消滅させる学習能力0の問題児共を知っている悠希は、いくら変な趣味があろうと、高校生の言う「ダメダメ」なんてかわいいもんだよな……という気持ちにしかならなかった。
「大体、竜胆君を置いてくるとか、気が利かなすぎるんだよー! 真理華ちゃんに是非あのジャスティスを見せたかったのに!!」
「あら、あの人の身内かなにか?」
「うん、親戚さんです。凄いんだよー、握力50kgは軽いと思う♪」
「それは是非手合わせを頼みたいわねえ」
……むしろ、こっちの2人組の方が問題児寄りに感じてならない悠希である。何故自分はこんなのばっかりと関わるのでしょうか、と悠希は遠くを見た。
「でも、竜胆君が来ないならしょーがないね。チョコ作りの準備しましょー♪ どうぞ上がって!」
「はあ……じゃあ、お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」
***
「これがカカオじゃ!」
「知ってた……知ってたけど……!」
「やっぱり違う……!」
はしゃいでぴょこぴょこと飛び跳ねる神久夜の傍ら、ポンコツとトカゲはがっくりと肩を落とした。言わずもがな、見慣れた野菜から見た事もない生物形態までが飛び交っている神久夜の家庭菜園が2人の眼前に開けているのだ。
「これが、『見て楽しい、食べて楽しい、香って楽しい、刺激的なちょこれーとライフを送れる』と評判のスフェーンマリー産カカオなのじゃ!」
そして今回の謎生物もまた、なんともまあ大層気持ち悪かった。
確かにカカオらしく楕円形をしていたが、どいつもこいつも微妙に歪んだ天使の羽らしきものが生えてへろへろと飛んでいる。移動手段は主に飛行らしいのに、棒きれのような手足が生えているのがまたなんとも気持ち悪い。
「なぁ……姐さん」
「なんじゃ?」
「スフェーンマリーってどこだ……?」
「知らぬ! じゃが、こんな素晴らしいものを生みだしているとなると、さぞ美しい世界なのじゃろうな!」
もしその通りであればその世界は美しいとおぞましいが同義なのだろうなと、ポンコツとトカゲは声に出さずにそう思った。
「これが……」
「姐さんの作ったカカオ……」
決して『育てた』という単語は使いたくない2人としては、寧ろこの家庭菜園の為せる合成作業だと信じて疑わないのだ。
しかも、あちらこちらでカカオ同士が会話をしている。
「Hey, Do you know who are they?」
「Dunno, but looks like bad men!」
何故か英語で。無駄に良い発音に、なんとなくトカゲとポンコツは顔を見合わせて身震いした。
「なあ、なんか寒気がしねえか……」
「兄弟、お前もか。足先から冷えていくような感覚と、腹を下したような嫌な感覚を覚えたな」
「それこそがカカオの特性なのじゃ!」
「「分かってたけどやっぱそれカカオじゃねえ!?」」
言わずにはいられないポンコツとトカゲであった。
「なんだよこれ、膝掛けとポケットカイロ必須かよ!? 暖房設置されているのにスイッチ入れちゃダメとか頭おかしいんじゃないのか!?」
「兄弟落ち着け! なんかよく分からない電波を受信しているぞ!!」
「はっ! 俺は今何を!?」
普段は喧嘩で掴む胸ぐらを、必死の救出活動として掴んで揺さぶったポンコツに、トカゲは辛うじて真冬の狂気から引き戻されるのであった。
「Hi, are you ok?」
「「うわああああ!?」」
そしてカカオはやっぱり大変気持ち悪いのであった。
「さあ、お前達! この中でもっとも寒々しい気持ちにさせる鳴き方をしているカカオを捕まえるのじゃ! 寒ければ寒いほど、チョコにすると食べたものを温めてくれるのじゃ!」
「「それもうなんかやばい成分入ってるよな!?」」
「今ひとつ寒くなれない鳴き方のを手に入れると、食べさせた相手を強制的に惚れさせてしまうのじゃ! 最初は良いけど最終的に依存・ヤンデレレベルまで中毒症状が進むから気を付けるのじゃ!」
「「なあこれ何のイベントだ!?」」
***
「真理華、ストップ」
悠希は5回目のストップを真理華にかけた。じっとりとした目つきで睨み付ける。
「今手に持っているものを捨てやがれです」
「えっでもこれ、新製品で結構な値段が」
「す て ろ」
その無駄にでかい胸に抱え込もうとする真理華の手からブツを取り上げ、悠希はぺいっとゴミ箱に捨てた。
「悠希ひどい!」
「いい加減にしやがれです真理華! いくら自分でも我慢の限界です!!」
「だって、だって父様ならきっと喜んでくれるもの!」
「どこの世にプロテインとビタミン製剤入りのチョコを喜ぶ破壊的味覚の持ち主がいやがりますか!!!」
悠希の吠え声が、キッチンに響き渡った。
「うーん、呼吸筋をフル活用した素晴らしい発声だね♪」
「常葉、声でもいいんだー……」
外野が何事か言っているが、悠希はもはや忍耐も限界と怒りのベクトルを真理華に固定しているので聞こえない。
「良いですか、真理華。初心者に必要なのは、レシピの遵守です。独創性やら一工夫ってのは、中級者以上のスキルなんです。自分や常葉さんに作り方を教わっている真理華が、勝手にレシピに無いものを入れるなんてありえねーんです!」
「でっでも、父様は」
「仮に真理華の父親がどんな激マズチョコレートでも愛娘からのプレゼントなら喜んで食べる勇気ある人だとしてもですよ! そんな他人の優しさに甘えたクソマズいチョコレートを上げてバレンタインとか片腹いてーんですよ!!」
悠希の剣幕に言葉を失った真理華に変わって、こののがちょこんと首を傾げた。
「悠希、嫌そうだったのに気合い入ってるねー」
「手作りは拘る派なのかなー?」
常葉がこののに応じるのを余所に、少し冷静になった悠希が告げる。
「とにかく! プロテインやビタミン剤を飲ませたければ単独で渡してください。チョコはチョコ、別物です!」
「はぁい。……ねえ、ちょっとだけでもだめ?」
「だめ!!」
どきっぱりと言い切られた真理華は、唇を尖らせながらも大人しく頷いた。チョコレートを割りつつボウルに入れる作業をしていた常葉が、軽く首を傾げて悠希に尋ねる。
「ねえ、悠希ちゃん。美味しくないチョコレートにやたら敵対心を持ってるのは、なんで?」
「……小5の時、クラスメイトからもらったチョコで、自分は1週間寝込みました」
「ちなみに相手は女の子ー?」
「そうですがなにか?」
「ううんー。予想通りだなって☆」
ぐっと親指を立てた常葉に悠希は座りきった眼差しを向けたが、可愛いものを愛でるような眼差しを返されただけだった。ぐぬぬと唸り、悠希は事情説明を続ける。
「学校を復帰して初日、言われたんですよ。『チョコレート美味しかった? お返し楽しみにしてるね!』と」
「……無邪気って怖いねー」
あの時以来、手作りのプレゼントにやや恐怖心を植え付けられた悠希である。1つ溜息をついて首を横に振ると、微妙な顔をしている真理華に改めて振り返った。
「良いですか真理華。善意ってのは被害が出れば下手な悪意より怖いんです」
「……そう、ね。うん、悠希が正しいと思うわ」
神妙な顔で頷いた真理華は知らないが、悪意を持たずに家を爆破する意味の分からない連中を相手にしている悠希は、信念レベルでそう信じている。
「あとで詳しく調べさせなきゃ……」
「? 何か言いました、真理華?」
「ううん、何も。じゃあ続けましょうか」
お願いします先生、とにっこり笑った真理華に、悠希は首を傾げながらも頷き返した。
***
「いっぱい獲れましたね!」
「これだけ獲れればちょこ作りには十分なのじゃ!」
つやつやした顔でハイタッチを交わすみっちゃんと神久夜の傍ら、SAN値が削られそうな謎生物を籠に入れて運ぶ野郎どもがぐったりしていた。
「もういやだ……寒い……」
「竜神なのに悪寒がする……帰りてえ……」
げっそりとやつれたポンコツとトカゲに、神久夜は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたのじゃ2人とも? 今回のかかおには食べるだけで「帰りたい」が口癖になる成分は入っておらんぞ?」
「今回のにはって、入っているのもあんのかよ!?」
思わず項垂れていた頭を勢いよく持ち上げて尋ねたトカゲをスルーして、神久夜は「とにかくなのじゃ!」と目を輝かせて拳を振り上げた。
「かかおを手に入れたからには、ちょこれーと作りを始めるのじゃ!」
「おー! なのです!」
「「あ、じゃあ俺らはここらで──」」
「「お前達は試食係じゃ(です)!」」
「ちょっと待った!? そこまで付き合わされるとは聞いてないぞ!?」
「我等は収穫だけ手伝えば十分だろう!?」
必死にどうにか逃れようとするポンコツとトカゲ。彼らの脳内には、以下のような公式が燦然と輝いていた。
『姐さんの生みだしたカカオ』+『マッドサイエンティスト共が用意したキッチン』=『バイオハザード以上の危険物』
よって、試食係などという名誉ある仕事は絶対に阻止しなければならない。そんな思いが2人の脳内を占めていた。
もしここに悠希がいれば、「普段からそのくらい常識的な思考を回して邸爆発を回避しやがれです!」と言ったに違いない。
「ダメじゃ! 今回、私に協力してくれるのはセシルとミス・フランチェスカ、みっちゃんだけなのじゃ! 貴文に内緒なのは確かじゃが、殿方の好みの味は殿方にしか分からないのじゃ!」
「管理人とは生まれた世界から違うのだからして、好みの味が一致するとは思わぬ! だから我等にはその役割は力不足だ!!」
「そうだぞ姐さん! 俺達には無理だ!」
「そんな事言わずに、お二人も来て下さいよ〜。身体が冷えた分、チョコレートで温まりましょう?」
みっちゃんの勧誘にも頑として首を横に振るポンコツとトカゲに、神久夜は肩を落とした。
「そうか……それなら仕方ないの」
「悪いな、姐さん」
「それでは我等はここで──」
「かかおの鳴き声を聞いた者は24時間以内にちょこれーとを食べねば、全身にニキビが出来てそこから大量の膿が出て干からびる呪いにかかるらしいんじゃが、無理だというなら仕方がないのう」
「俺達は! 姐さん作の!」
「チョコレートを食べてみたいっ!」
「おお! そうか!」
肩を組み血涙を流して叫ぶ2人の様子をどう受けとったのか、神久夜が嬉しそうに手を叩いた。みっちゃんは相変わらずにこにこしている。
「さて! そうと決まれば特設キッチンにごーなのじゃ!」
「ごーごー!」
ぴかぴかの笑顔と死相の浮かぶ笑顔の4人組が、スキップしながら移動していった。
「おー来たね♪ 収穫お疲れ様☆」
「また随分とすごい見た目のカカオだね〜」
待ち構えていたセシルとフランが4人組に気付いて手を振った。彼女達の背後には、なんだかやたらでっかい建造物がそびえている。
「おお! きっちんも完成しておるのじゃ!」
「すっごくおっきいです〜」
神久夜とみっちゃんが手を叩いて喜ぶ。一方、ポンコツとトカゲは首を傾げた。
「おい、マッドサイエンティスト殿。何故、チョコレートを作るのにミサイルが必要なのだ?」
「俺の目には火炎放射器が見えるぞ……?」
そこにあったのは、どうみても「これからちょっくら防衛戦があるので備えました」な、籠城兵器が勢揃いした城であった。デザインまで塔や塀、鉄砲穴まで備えた砦であり城である。
「違うよ〜。チョコレート作りをセシルちゃんと一から見直した結果、これが一番効率的だって判明しただけだも〜ん」
「考えてみればチョコレート作りって温度管理が重要じゃん♪ ってことは、セシルちゃんとフランちゃんの普段の研究が生きるってもんだ☆」
「高温には爆薬、冷却には人間を瞬間冷凍させる兵器、型作りにはレーザービームっていうのはロマンだよね〜」
「お城だから区画分けもばっちり♪ だぜ☆」
「……チョコレート作りってそんなんだったか、兄弟?」
「さあ、俺は作ったことがないから断言出来ないが……そうなのか?」
「そんなわけないのです!?」
涙目アリスの魂の叫びがその場に響いた。
「……いたのか、嬢ちゃん」
「もう本当に! いい加減にしてくださいなのです!? なんでチョコレート1つ作るのに籠城兵器を取り揃える必要があるのです! こんなものをアパートの隣に作ったらまたアパートが倒壊するのです! 管理人の胃が壊れるのです!?」
「お、落ち着け? 大丈夫じゃアリス! 私のちょこれーとを食べれば貴文もきっと元気になるのじゃ!」
「こんなトンデモ兵器と異世界邸崩壊の胃痛を治すチョコレートなんてチョコレートじゃないのです!!」
アリスが涙目で必死に訴えるも、その場にいるのは邸破壊の常連者ばかり。邸が壊れるからヤメテ、という訴えに耳を傾ける常識人は不在だった。
「そもそもなんでこんなに凝った城が出来上がるのです!?」
「あ、それはグリメルちゃんがてつだってくれたからだよ〜」
「さっすが元魔王様♪ あっ☆という間に見事なお城が出来ちゃったぜ♡」
「那亜さんに怒られますよ!?」
教育係《鬼》のいぬ間に好き放題な問題児どもにアリスが怒鳴るも、馬耳東風。そもそも、本来ならば注意する側であるはずの神久夜が主犯なのだ、補佐でしかないアリスに止められるわけもなく。
「さーって、それじゃあ始めようかチョコ作り♪」
「お〜!」
「どんなちょこれーとが出来るのか、楽しみなのじゃ!」
「お手伝いするのです!」
***
中西悠希は困惑していた。
「何故……何故、こんな風に……?」
レシピ通りの分量、レシピ通りの手順。加えて初心者向けの簡単な作り方。悠希1人で作れば、殆ど何も考えなくても普通に仕上がるはずの、チョコマドレーヌ……になるはずだったものを前に、悠希は困惑していた。
「……なんか、ごめんなさい」
「チョコ作りって難しいんだね、悠希」
「うーん、まあ初めてならこんなこともあると思うよ〜」
気まずげに視線を彷徨かせる真理華と、しょんぼりするこののを、常葉がやや困り気味の笑顔で慰めているが、悠希は納得いかない。
改めて完成品を眺める。目の前には、やたら生っぽいのに黒焦げになったマドレーヌが無残な姿で陳列していた。
「真理華のは膨らまなくて、このののはやたら焦げましたねえ」
「うーん、ちゃんと分量は悠希にチェックしてもらったのになぁ」
「私のも真理華と一緒に焼いたのに、私のだけ焦げちゃった……」
「うちのオーブン、焼きムラ出来るっけなー?」
常葉も少し不思議そうだが、確かにその可能性は悠希も考えた。家庭用のオーブンだ、もう少しこまめに置き換えた方が良かったのかも知れない」
(去年は那亜さんに風鈴家のオーブンを借りて焼いたから油断しましたね……)
あれこれと真理華に駄目出ししまくった悠希としては、でかい口を叩いたのに失敗させてしまったわけで、少々の罪悪感もあった。
「……折角だし、味見はしてみない?」
「へ? 真理華?」
「うん、せっかくだし!」
「このの?」
しかし、明らかな失敗作を前に出たこの発言に悠希が驚く。てっきり落ち込んでいると思った2人は、悠希の予想に反して割合に楽しそうだった。
「初めて手作りしたし、みんなと作るの楽しかった!」
「だから、美味しくないのも食べておけば思い出になるかなあって」
「うんうん、分かるなー♪」
「は……はあ」
このの、真理華の言葉に常葉が楽しそうに頷くが、悠希は困惑気味だ。
「お腹壊しても知りませんよ?」
「一口くらいなら大丈夫大丈夫♪」
「いえ自分はお腹壊したんですが……」
「その時が運が悪かったのよ、きっと」
「私お腹丈夫だから大丈夫!」
心配するもイイ笑顔でサムズアップする3人に、まあ良いかと悠希は肩をすくめた。たまにはこんな無茶も悪くないだろう。
「じゃ、自分も」
「おー、食べよ食べよ!」
「じゃあ私もご相伴ー」
女子4人姦しく食べたチョコマドレーヌは、べっちょりしてたりやたら苦かったり甘かったりと何とも言えない味だったが、なんだか思うよりも嫌な気分にはならなかった。
「今日はありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「件の素敵な筋肉の人には、また会わせてくださいね」
「まかせて〜☆」
最後の最後で微妙なやりとりに微妙な気持ちにさせられながらも、ほぼ午後いっぱいお世話になった常葉の家を出た3人は帰路についた。
「……で、結局バレンタインどうするんです?」
ふと悠希が問いかける。別に渡す相手がいない悠希はともかく、こののは貴文に毎年渡しているのだから、失敗するとなると次を考えないとならない。
「うーん……」
「あ、じゃあ私がいつも買っているお店で揃える?」
「あ! そうする!」
真理華の提案にこののが俯きがちだった顔をぱっと上げた。嬉しそうな顔に少しほっとして、悠希は軽く手を上げた。
「じゃ、自分はこれで」
「えー! 悠希も行こうよ!」
「そうよ悠希。お父さんの分とか」
「絶対嫌です」
食い気味に却下する悠希に、真理華もこののも呆れ顔になった。
「もー、悠希ってばー」
「じゃあ、普段お世話になっている人とかは?」
「む……」
確かに貴文に渡すのは考えていなかったと、悠希は唸る。父親などより遥かに世話になっている苦労人に──ちょいちょい悠希を使おうとするのには物申したいが──、労いの意味も込めてチョコレートを送るのはいいかもしれない。
「……じゃあ、自分も行きます」
「わーい!」
「じゃあ、そうと決まればね」
こののが笑顔ではしゃぐのにほっこりしながら、悠希はチョコレートのお買い物に足を向けた。
「結構、遅くなりましたねえ」
「そうだねー」
無事チョコを購入し、真理華と別れた帰り道。こののと2人並んで異世界邸に繋がる西山を登っていた悠希は、ふと思いだした用にこののは放った発言に固まった。
「あ、そういえば、お母さんも今日はチョコレート作りするって言ってた気がする」
「え゛」
蛙が潰れたような声をだして振り返った悠希に気付かず、こののが笑顔を浮かべる。
「お母さんの方はどんなチョコレートが出来たのかな!」
「…………そういや、先生もチョコレート作るからって管理人に休みもらっていやがりましたねえ」
普段は栞那も風鈴家で作るのに何故実家なのだろうと不思議に思っていたが、なるほど。あれは緊急避難的な意味も持っていたのかと悠希は今更ながらに納得した。
……帰りたくない。
普段から帰宅には多大なる覚悟と勇気を必要とする異世界邸だが、今日は殊更に嫌な予感がする。なんというか、このまま戻ったら大変後悔しそうな予感に、勇気の足が自然と鈍る。
「悠希どうしたの? 疲れた?」
「いや……その」
こののが心配そうに見上げて来るが、悠希は言葉を濁した。流石に、面と向かって彼女の母親が作ったチョコレートが不安要素すぎて帰りたくないとは言いづらい。
しかし、そんな躊躇を悠希が後悔するのは僅か30秒後の事だった。
ちゅどおおおおおおん!
「ああ、やってやがりますねえ……」
「帰ってきたねー」
にこにこしているこののには悪いが、流石にこれを「帰ってきた実感」にしたくない悠希は、乾いた笑いで誤魔化した。
「で。今度は誰の暴走なんですかねえ」
どっかんばっかんとやかましい爆音に負けない様に声を張り上げつつ、悠希は1つの疑問を抱いた。普段ならばこれだけ騒がしくしていれば貴文の怒声が一緒に聞こえるはずなのだが、それが全く聞こえない。
「さあ? そういえばお父さんも今日いないはずだよねー」
「は!?」
ぎょっとしてとんでもない情報について詳細を聞き出そうとした悠希は、爆音を縫って聞こえた自分達を呼ぶ声に顔を向けた。
「あ、おっかえりー♪ 良いところに帰って来たね☆」
「ほんとだ〜。おかえりなさい〜」
異世界邸爆発常連のうち2人が手を振っていた。悠希が何となく警戒するのを余所に、こののが不思議そうに首を傾げる。
「あれ? ねえ2人とも、なんか変な建物が増えてない?」
「へ」
気付いていなかった悠希は、こののが見ている方向を振り返り──硬直した。
「これじゃ! これなのじゃ! どうじゃ2人とも、今度こそ最高のちょこれーとじゃろう!?」
「もう……もう勘弁してくれ……!」
「俺達そろそろなんも食べたくねえ……!」
攻城戦に備えてでもいそうな武器満載の城を背景に、はしゃぎながらなんだかグロテスクな物体を掲げる神久夜と、泣きながら皿を抱えるポンコツとトカゲ。それだけでも大概カオスな光景ではある。
だが絶対にこれだけでは済むまいと直感した悠希は、泣きながら三角座りでブツブツ言っているアリスに親近感を覚えつつ近付いた。
「……アリスさん。止められなかったことは誰も責めやがりませんから、取り敢えず状況説明をお願いします」
「うう……こんなカオスな状況をどう説明しろというのですか……もう嫌なのです……」
実に尤もなことを言いながらアリスが説明するには。
張り切りすぎた神久夜が、ポンコツとトカゲを使って収穫してきたカカオモドキの魔生物を、フランとセシル謹製の城もといチョコレート製造キッチンに放り込んだまではまあ、まだ良かったらしい。既にツッコミどころは多いが、確かに異世界邸ではよくある事かも知れないと納得する程度には、悠希もここに毒されている。
が。いざカカオモドキがチョコレート製造過程に投入された途端。
「何故か知らないのですが、カカオが増殖したのです」
「なんて?」
カカオを高圧の放水機で洗浄したのに砕けなかった時点で嫌な予感はしていたのだが、その後にカカオ豆剥き用の魔法陣に乗せたところで異変が発生したらしい。
「剥いた皮がカカオになって、砕いた粉がカカオになる様はもはや悪夢だったのです……」
「それもうカカオじゃねえです」
真っ当な悠希の感想に今更反応出来なくなっているらしいアリスが、死んだ目で続ける。……まだ続きがあるとか、神久夜の家庭菜園やばい。
「それを見た迷宮の魔王が目を輝かせて喜びだして……セシル様とミス・フランチェスカと一緒に、如何にしてカカオを粉にするかの討論を始めだして」
「明らかにカカオじゃない物でもチョコレート作りは諦めやがらないんですね」
「あの連中にそういう常識を求めても無駄なのです」
「そうでしたね」
うん、と頷いてやるせなさを共有し合い、アリスの説明が再開された。
「魔術が良いか科学が良いかの大議論で、既に邸と城には少なからぬ被害が出ていたのですが、結局は皮むきをミス・フランチェスカが、砕くのをセシル様が担当する事になったのです。それで、迷宮の魔王が2人の要望通りに城を改造しだして」
「グリメル……」
弟分の度重なるやんちゃに頭を痛める悠希に、死んだ目でアリスが問いかけた。
「ただでさえやたらと張り切って収穫されたカカオが、皮から粉から増殖したのを、全て上手く粉にした場合どうなると思うです?」
「……!」
顔を引き攣らせて青醒めた悠希がそれ以上の説明を拒絶するより先に、アリスが一気に吐きだした。
「その後は順調に魔科学融合魔王謹製城でチョコレート作りは進んだのです……10人がお腹いっぱいになるまで食べてもなおまだ余る量が」
「……それで、あれですか。え? じゃあ今神久夜さんが城から取り出しているものは?」
「まだカカオは半分しか消費出来ていないのです」
「…………」
切実に、栞那のいる玖上家に行こうかと検討し始めた悠希を追い込むように、アリスは死んだ目で言う。
「最初に出来た分はあそこのポンコツとトカゲが平らげて、何やら麻痺毒にでもやられたような反応だったのです。それを見た奥様が、あれこれと工夫を凝らして「美味しいチョコレート」なる物を作ろうとした結果が……」
「あのグロテスクな物体と、この爆発騒ぎの原因ってわけですね。分かりたくないけど、分かりました……はあ」
アリスの言葉を引き取り結んだ悠希は、溜息をついてこののを振り返った。きょとんとした顔をしているこののに告げる。
「取り敢えず、ここで大人しくしていましょうね。折角の買い物が炭にならないように」
「あっ、そうだね」
「えっ」
「というわけで、アリスさん。説明ありがとうございました」
「待ってください待ってください!?」
アリスが悠希に涙目で縋り付いた。
「高みの見物は酷いのです!? ここは悠希さんが何とかしてくれる流れでしょう!?」
「ぜってー嫌ですよというか無茶言わないでください!? 自分1人であんな大量の問題児共をどーにか出来る訳ないでしょうが!?」
「そこはほら、いつもの魔法少女で──」
「い や で す !?」
無茶を言うなと悠希が吠えた。ポンコツとトカゲを吹っ飛ばすくらいならば確かに魔法少女の力でなんとかなってしまうが、更にフランとセシルまで加わった狂乱をどうにか出来る力は悠希には無い。ついでに言えば、主犯が神久夜の時点でもはや勝ち目はない。お世話になっている管理人夫妻に頭が上がらない程度には、悠希は義理堅いのだ。
「そう言わず! どうか!!」
「だから無理ですって!?」
ぎゃーぎゃー言い合っていた2人のやりとりは、「あぁあぁあああ!?」という聞き慣れた悲鳴によって終止符が打たれた。
「また邸が!? おい今度はどこのどいつだコンチクショーメ!?」
片手で胃の辺りを押さえながら貴文が叫んだ。反対の手には既に竹槍が握られ、騒動の問題児共を成敗する準備万端である。
アリスと悠希は迷わず叫んだ。
「マッドと刺青、グリメルといつもの2人組です!!」
「はあっ!?」
「ちょっと待て嬢ちゃん達、俺達は今回──」
「せぇえええいばぁあああああい!!!」
目を血走らせた貴文が振るう竹槍が、最初にポンコツとトカゲを星にした。そういえば今回あのコンビは破壊行動に出ていなかった気がするが、あのバカ騒ぎに荷担していた時点で同罪だと悠希は思う事にした。
「おいてめえらこの城はなんだ!? 邸を壊すなって言ってるだろーが!!」
そのまま、いつものように問題児共の鎮圧と説教に入る貴文を見て、悠希はしみじみと思った。
やっぱり、管理人は偉大である。
悠希が日々、命の危険を覚えながらも邸の下敷きにならず日々を送れているのは、ひとえに貴文が胃袋を犠牲にしながら戦ってくれているからだ。
「ほんと、管理人には頭が上がらないですねー……」
「同感なのです」
アリスと頷き合い、悠希は騒動が一段落した時点で貴文に歩み寄った。胃の辺りを押さえながらもいつもの黒光りマッチョに連絡をする貴文に声を掛ける。
「管理人」
「ん? あぁ悠希か。いつもの事ながら騒がしくってごめんな」
「いえ、いつもの事ですし。……あ、でも」
そう言って、悠希は手にしっかりと持った袋から箱を1つ取りだし、手渡した。きょとんとした貴文に、悠希は心を込めて言う。
「いつもいっつも、異世界邸の管理人、ほんっとうにありがとうございます」
「あ、悠希ズルイ! 私も、はいお父さん!」
「え? は??」
目を白黒する貴文に、悠希とこののは悪戯げに顔を見合わせて、笑う。
「今日はバレンタインデーですからね」
「お父さん、いつもありがとう!!」
この言葉に滂沱の涙を流して崩れ落ちた貴文を、慌てふためきながら介抱するまでが、中西悠希のバレンタインデーであった。
「……って、患者の看病は先生の仕事じゃねーですか!?」




