素敵な夢を魅せましょう【part 紫】
いつものようにいつものごとく、馬鹿コンビの騒ぎが強制終了した後。
トントントントン……
包丁が規則正しくまな板を叩く音を縫うようにして、那亜の声が通る。
「というわけで、フォルミーカさんは本日からダイエットメニューですね。野菜を多めに使い、消化に優しい七宝粥でも作ってみましょうか」
「……はあ」
「ヴァイスさんとムラヴェイさんは、森から木を切り倒して、木材に加工したものを食べるそうです。管理人が交渉して、加工木材の6割は修復用の木材になるそうですよ」
「それはまあ……良い事だと思いますけど」
「それから、ヴァイスさんとムラヴェイさんは、この世界の常識を一通り学んだ後は、街に降りて稼ぐ許可が下りそうです。フランさんの口利きで、畔井さんの所で最初は行儀見習いすることも可能だとか」
「あの見るからにヤクザなとこで学んだら常識がずれそうな気がしますけどね……そんなことより、ですよ那亜さん」
「あら、どうかしたの、悠希ちゃん?」
にこっと微笑む那亜は相変わらず天使だと思う。顔を上げながらも包丁を操る手が止まらないのは凄いなあとも思う。思うがしかし、悠希は言いたい。
「なんで自分は、那亜さんの手伝いをさせられてるんですか……?」
「あらあら」
素朴すぎる疑問に返ってきた答えは、無情だった。
「そりゃあ、メニューが増えれば手間も増えるからね。管理人に相談したら、悠希ちゃんに手伝ってもらえって」
「中 学 生 働 か せ る な !」
清々しい朝に、悠希の吠え声が響き渡る。那亜がすかさず窘めた。
「悠希ちゃん、まだ寝てる人も多いんだから、大きな声出さないの」
「はいそうですねって言えますか言えませんよ!? 何で自分の許可なく手伝いが決まってやがるんですか! 自分は先生の手伝いなら吝かではありませんけどね、それ以上の事はしませんよ!?」
反論しながらもきっちり小声で叫ぶ時点で、何故手伝わされているのかが明らかな悠希であった。
「栞那先生の許可ももらっているわ。「娘はもう少し花嫁修業した方がいい」ですって」
「そっくりそのまま本人に返して下さい! あの人より自分の方がよっぽど家事出来ますけど!?」
物凄く納得がいかず、悠希は身を乗り出して反論した。栞那よりは部屋の管理も料理もきっちりやっているし、何なら最近は週末に小学生の食事まで作っている悠希である。これ以上どんな花嫁修業が必要だというのか。
「うーん、でも、手伝って貰えると嬉しいわねえ。最近人が増えて、手が回らなくなってきているのよ。先生は朝は何とかなるからって言ってくれたし」
「じゃあ何で自分今まで手伝わされていたんですかね納得いかない! そしてだから自分以外に手伝って貰えばいいんじゃないんですかねえ!?」
器用に小声で怒鳴りながらも、悠希はあちらから包丁を取って野菜の皮をむき、こちらで鍋に水を満たして火を掛け、と手を止めることなく働き続けている。つまり、そういう事なのだが、本人だけが気付かない。
「まあまあ、良いじゃない。折角悠希ちゃん、料理上手なんだから、私の技を盗んでいって。美味しいご飯が作れると、殿方の胃袋を掴めるからね」
「えー……自分、そういうのどーでもいいんですけど」
中学生相応の反抗的な態度も、異世界邸の聖母たる那亜には通用しない。にこにこ笑顔に流されて、悠希は渋々手伝いに本腰を入れた。
「あ、悠希ちゃん、冷蔵庫から牛乳を取って頂戴」
「はーい」
軽やかな足取りで冷蔵庫へ向かった悠希は、何の疑いもなく取っ手に手を掛け──バッ! と飛び退った。
ドォッカーーーーン!
盛大な爆発音と、ついでに何故かカラフルな煙がもうもうと溢れ出し、あっという間に風鈴家の台所を占拠する。
「火事!? ゆ、悠希ちゃん、火を消して!」
「了解です! ああもう畜生今度は何ですか! 今ガスマスクが手元にねーんですよ!?」
混乱しつつもばたばたと駆け回る2人の耳に、やけに眠気を誘う声が届いた。
「あらら、薬が暴発しちゃいましたかー。んー、なんだか寒いですね?」
悠希が煙にけほけほとむせながら、声を上げる。
「聞こえていやがりますか? 聞こえてたら、この煙をどうにかしやがれです!」
「んー? あ、これ?」
きょとんとした声が返って来たと思うと、ざあっと音がしそうな勢いで煙が散っていった。涙の滲んだ目を指先で拭って、悠希は目を凝らす。
「あれ? ここどこでしょう?」
ぱちぱちと目を瞬かせるのは、10代後半から20代前半くらいの青年だった。黒のシルクハットとタキシードに身を包んだ青年は、ぺたんと床に座り込んで辺りを見回している。
やけに目立つ服装だが、悠希はそれ以上に、青年の持つ色彩に視線を奪われていた。
シルクハットの下から覗く、自らが光を放つような青白色の短髪。まん丸く見開かれた、白金色の瞳。淡い色彩を彩る、抜けるような白い肌。
明らかに、この世界のものではない色合いに、悠希は深く深く息を吐きだした。
「……那亜さん。管理人を呼んでもらえます?」
「私がここに残るわ、悠希ちゃんが行ってらっしゃい」
「いえ……いざとなれば、自分の方が何とか出来ると思うので」
那亜が名乗り出てくれた理由は分かる。ここ異世界邸の冷蔵庫は、住人に対して悪意を持つ「人」を招くことはない。が、悪意なく危険をばらまく「人」はそうとは限らない──というか、そんなんばっかり来てる気がしないでもない悠希である。現実逃避はしてない、多分。
だからこそ、那亜は悠希を心配してくれたのだろうが、戦う力のない那亜よりは、なんの因果か何故か一応魔法少女をやってる悠希の方が安心だろう。……変身するのは心底、とっても、物凄く嫌だが。
「なるべく早く戻るから、無茶は駄目よ」
「はい」
悠希の意思が固いのを悟ったのか、那亜が何度も振り返りながら風鈴家を後にした。残った悠希は、相変わらずぽかんとしている青年に話しかけた。
「えっと、自分の言葉は理解出来ますか? 自分は、中西悠希といって、このアパートの住人です」
「はあ、ご丁寧に。ボクはソーニョ・ソンジュといいます。ソーニョと呼んでください……あの、ここはどこですか? あぱーと? とは一体?」
困惑しきりな青年ソーニョに、悠希はほんの少し警戒のレベルを下げた。少なくとも、現れるなり嘔吐して邸を破壊したり、戦闘相手を求めて大鎌をぶん回したりするような、群を抜いた非常識ではないらしい。
「ボクは確か、いつものよーに上手くいかない薬草の調合を四苦八苦して頑張ってたはずなんですがー。多分、薬が爆発したんですよね。それでどうして、貴方のような見慣れぬ美少年と対面しているのでしょうか」
「誰が少年ですか、うぜえ」
悠希はソーニョの評価を大幅に下方修正した。薬を調合して爆発させるとか、ミス・フランチェスカの同類ではないか、非常に危険なバイオテロリストである。
あとついでに、あくまでついでに主張するが、悠希は立派な女子である。
「えーと、詳しい話は後で管理人がしてくれると思いますが、まず、ここは貴方が住んでた世界じゃありません。ウチは「異世界邸」と言って、異世界から迷い込んだ客人を受け入れるアパート……所謂集合住宅なんですよ。もちろん、貴方の出身世界が調べ上げられれば、元の世界に戻る事も出来ますがね」
「はー、すごいですねー」
分かっているのかいないのかよく分からない反応だが、悠希は構わず続けた。
「で、自分は、この住宅の医務を担当する先生の娘です。一応、ここはみんなが食事をいただける場所なんですが……まあ、どこの冷蔵庫も異世界への扉へなる以上、それは不幸な事故って事でいいんですけどね」
そこで悠希はびしっとソーニョを指差し、まなじりを決した。
「ここで自分が貴方に求めることは、唯一つ──「平穏」です。良いですか、まかり間違っても薬品を作ると言ってアパートの一室を吹っ飛ばすのを日常にしやがるようなら、容赦なく管理人にぶっとばされやがるんですよ! 分かったら大人しくしやがれです!」
「あー、それは無理ですね」
「はあっ!?」
迷わず却下されて、悠希は毛を逆立てたネコのように威嚇した。人1人くらい視殺出来そうな視線に突き刺されたソーニョは、しかしどこまでもおっとりとした声を上げる。
「だってボク、「夢魔」ですし。大人しくしてたら飯の食い上げですよー」
「むま……?」
聞き慣れない言葉に、悠希が首を傾げた。それを見て、ソーニョも首を傾げる。
「おや、ご存じないんですかー?」
「自分はあくまで一般人なので、人外関連は一切知りませんよ。……というか、貴方人間じゃねーんですか?」
「ええと、人間というか、人族ではないですねー。魔族幸夢種の夢魔です」
「は……? いえ、いいです。取り敢えず人間じゃねえってことですね」
ぽかーんとしつつ、悠希は理解を放棄した。取り敢えず人間以外の種族と分かれば問題ないだろう、ここ堕天使に魔王までいるし。一人や二人人外が増えても今更である。
「む、信じてませんねー?」
「いえ、信じますよ。ここにも人外は複数いますし。ただむまとやらが何なのかまでは、わかんねーってだけです」
「では、体験してみてくださいよー」
「は?」
疑問の声を上げた悠希は、白金の瞳が淡く輝くのをばっちり見てしまい──猛烈な眠気に襲われた。
「な……ん……」
「夢魔は文字通り、夢を見せる魔のものですからねー。ご安心ください、ボクは良い夢見せるのがお仕事ですから」
「あ……ぅ」
眠い。頭がフワフワして、体が重くて、瞼が勝手に落ちてくる。悠希はフラフラとその場に座り込み、崩れるように床に倒れ込んだ。
「では、良い夢をー」
その言葉を最後に、悠希の意識は途切れた。
***
「──き。悠希?」
「え? あれ?」
悠希は瞬いた。視界いっぱいに広がる真理華の顔が、心配そうに悠希を覗き込んでいる。
「あれ……?」
「大丈夫? なんかぼーっとしてたよ」
「え……っと」
きょろきょろと見回すと、いつもの帰宅路。中央の山を目指すという分かりやすい道を進んでいる途中だ。
「あれ……? 学校……終わってるんです?」
「なに悠希、寝惚けてる? 歩きながら寝られるなんて、凄いバランス感覚ね。どんな鍛え方しているの?」
「いや、鍛えてませんから」
反射的に言い返した悠希に、真理華が怪訝そうな顔をする。
「……本当に寝惚けてるの? なんで私相手に敬語を使うわけ?」
「あ……れ……?」
何かが変だ、と悠希は瞬く。言われてみれば、そうだ。何で、自分は。
「……そう、だよね?」
「そうよ?」
「……うん、ごめん。なんだか私、寝惚けてたみたい」
苦笑して、悠希は誤魔化しがてら制服のスカートをはたく。真理華がくすくすと笑った。
「悠希らしくないのね、面白い」
「面白いって言わないでよね」
むう、とむくれて見せて、悠希は真理華と顔を見合わせて笑った。
他愛のない会話で笑い合って──真理華は若干筋肉に話が偏っていたが、悠希はいつものようにさらっと流した──いた途中で、真理華が思い出したように悠希に尋ねる。
「そういえば、お父さん、今日出張から帰ってくるんだっけ? 今回どこ行っていたんだったかしら」
「あ、そうそう。ドイツだって」
「いいなあ、美味しいお土産かしら」
「どうかな。楽しみ」
思わず笑顔になる悠希に、真理華がくすりと笑う。
「相変わらず、お父さん大好きなのね」
「えっ、いや、そんな大好きって訳じゃないけど……まあ、仲良い方だとは思うけど」
反論の声も最後はごにょごにょと曖昧な物言いになってしまう。悠希はちょっと頬に熱が集まるのを感じながら、少し声を大きくした。
「もう中学生なんだから、べったりはしないってば」
「やだ、それくらいは分かってるわよ」
悠希も中学生、お父さんとべったりというのは気恥ずかしいし、何よりファザコンと呼ばれるのは嫌だ。小学校の頃は所構わずハグしたがる父親だったけれど、卒業後にきっぱり拒否した。暫くしょげていた父親だったが、母親のフォローもあり立ち直ったらしい。
「けど悠希の家って忙しいのねえ。お父さんはしょっちゅう出張だし、お母さんは病院勤務で日夜問わずのお仕事なんでしょ? 大変なときとか、うちに泊まりにきても良いのよ」
「真理華の家にお泊まりも楽しそうだけど、大丈夫だよ。私も家事は一通り出来るし、一応セキュリティもちゃんとした家だし。それに何だかんだ言って、お父さんもお母さんもいない日って案外ないんだよね」
真理華の指摘通り多忙を極める両親だが、スケジュールを互いに調整し合っているらしく、留守番が必要な日はあまりない。それに、悠希も忙しい2人を少しでも手伝おうと、日常的に家事をこなしているのだ。
「へー。家事出来るんだ悠希、凄いわね。私なんてお皿割っちゃうわよ」
「真理華の握力凄いもんね……。まあ、私もそんな器用に家事をこなすわけじゃないよ、普通だよ」
悠希は言葉を切り、足を止めた。ありふれた一軒家のうちの一つ、中西家に到着したのだ。
「じゃあ真理華、気を付けてね。また明日」
「ありがと。悠希もまた明日ね」
手を振り合って別れ、悠希は鍵をとりだし家に上がった。
「ただいまー」
「お帰り、悠希」
リビングから聞こえてきた声に、靴を脱いでいた悠希は顔を上げる。笑顔で声を弾ませた。
「お父さん、おかえりっ」
「ただいま、悠希」
リビングから顔を覗かせた父親の翔は、既に室内着に着替えてくつろいでいるようだった。鞄を持ったまま、悠希は廊下を進んで父親に歩み寄る。
「いつ帰ってきたの?」
「んー、さっき荷解きが終わったところだし、30分前くらいかな。俺がいない間、問題なかった?」
「うん。大丈夫だよ」
笑顔を返すと、翔は頷き返して手に持っていたものを悠希へ差し出した。
「はい、ドイツ土産。今珈琲を淹れてるところだから、着替えておいで」
「ありがとう!」
目を輝かせてお礼を言って、悠希は階段をぱたぱたと駆け上がる。鞄はベッドに放り投げて、着替えもそっちのけで渡された紙袋を開く。
「可愛い!」
ふわふわしたテディベアを1度抱きしめて、悠希は制服を着替えて下へ降りた。廊下には珈琲豆の香ばしい匂いが立ちこめている。
リビングに入ると、翔は台所でドリップをしているようだった。オープンキッチンを覗き込んで、悠希は声をかける。
「手伝うこと、何かある?」
「もう終わるから大丈夫だよ。座ってな」
「はーい」
大人しく椅子に腰掛けたところで、玄関が開閉する音が響いた。悠希がぱっと顔を上げる。
「ただいま……ってなんだ、2人ともあたしより先か」
「お母さん、お帰りー」
「ぴったりのタイミングだな。お帰り、栞那」
栞那が顔を見せたのにそれぞれ挨拶を交わすと、栞那は表情を緩めた。丁度翔が、珈琲を3人分運んでいる所だからだろう。
「良い仕事するな、翔」
「それはどうも、お褒めに与り光栄ですよ」
わざとらしく偉そうな栞那とおどけて返す翔のやりとりにくすくす笑って、悠希は手渡されたカップを両手で包み込んだ。
「いただきまーす」
「はい、どうぞ」
「相変わらず手が混んでるな。良い香りだ」
3人揃って──悠希はミルクと砂糖のたっぷり入ったカフェオレだが──珈琲を楽しむ一時は、悠希のお気に入りの時間だ。
「お母さん、今日は仕事は?」
「夜勤。一眠りしたら行ってくる」
「おや、早出からの夜勤とはフルコースだね。程々に休みは申請しなよ?」
「……申請しても休めるとは限らないだろうが」
恨めしげな目で睨む栞那は、翔が院長である中西病院の救急医だ。慢性的な人手不足もあり、かなりハードなシフトで働いている。そのシフトの最終決定者である翔にそう言われても、ということらしい。
「ま、俺もこうして帰ってきたわけだし。身重なんだから、無茶は禁物だぞ」
「……へーへー」
「え?」
何気なく出て来た言葉に、悠希はぎょっとして顔を上げる。びっくりした様子の悠希に、栞那と翔は顔を見合わせた。
「おや栞那、まだ内緒だったのか」
「いや気付いてるかなって思ってたんだが……悠希、案外鈍いんだな」
「えっ、えっ、じゃあ……」
聞き間違いじゃないと悟った悠希が、目を輝かせる。それに対して栞那はやや照れくさそうに、翔は家族にしか見せない優しい笑顔で、頷いた。
「うん。悠希はもうすぐ──」
──ぱちん。
音が、消える。
「あ、れ?」
悠希は瞬いた。目の前で、翔の口は相変わらず動いていて、栞那と翔も笑顔のままなのに、声だけが聞こえない。
──パチン。
ふうっと、世界がぼやけた。
「な、なんで……?」
なんで、急に私は、いや、わたし?
──き。
「あ、れ……? なん、で」
──悠希。
貴文の声が耳に届くと同時、悠希の視界は暗転した。
***
「……つまり、夢魔ってのは夢を見せる「人」ってことだよな。幸せな夢を見せて、眠っている間に人間から精気でも奪うのか?」
「にゃ、違いますにゃ。検索結果を見るに、この夢魔は「夢を見せる」のが、それだけが仕事にゃ。魔法でも薬でも良いから相手を眠らせて、夢を見せられた時点で糧になるのにゃ」
「へー、そりゃとんでもなく平和な生き物だな」
世界録片手に夢魔の出身地を検索していた三毛の解説に、すっかり基準が問題児レベルとなっている貴文は、そんな感想を漏らした。
「そう考えるのは早計ですにゃ。幸せな夢を見せる夢魔もいれば、悪夢を見せる夢魔も、えっちぃ夢を見せる夢魔もいますにゃ。どれもこれも上質な夢で、しかも本人の無意識を取り込んで作り上げるもんにゃから、夢と現実の見分けが付かなくなって、夢に取り込まれてしまう場合もありますにゃ」
「えっちぃって……いやいいけど。とにかく、やっぱり迷惑なヤローなんだな」
「いきなり眠らされて、書類仕事が溜まったらどうしますにゃ?」
「やめろ考えただけで胃が!?」
高速で胃薬を飲み込み、貴文は三毛の不吉すぎる予言を忘れ去った。こほんと咳払いをして仕切り直し、しかし貴文は何とも言えない表情を浮かべて続ける。
「それはそうとして、だ。こいつは幸せな夢を見せるタイプっつーわけだが、その夢は基本、本人の願望が反映されるってわけだろ?」
「……はいですにゃ」
「……じゃあ何だ、この惨状」
「さあ……」
三毛と貴文は、そこでようやく、敢えて目を背けていた惨状を改めて直視した。
「うう……いたいですよー」
「アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢アレは悪夢……」
「ゆ、悠希ちゃん、ごめんなさい、私が1人にしたばかりに……」
ボッコボコにされてうつぶせになっているソーニョに、悠希が部屋の片隅で三角座りになって延々とぶつぶつ独り言を繰り返している。荒みきった表情とどんよりしきった空気に、那亜がおろおろと背中をさすっていた。
悠希に頼まれた那亜は直ぐに貴文を探し出して来客を伝えたが、丁度というか相変わらずというか、貴文は何度でも邸を壊す馬鹿どもの制圧に繰り出しており、直ぐに対応出来る状態になかった。ひとまず三毛を呼びだし一足先に戻った那亜は、くったりと倒れ込む悠希を見て半ばパニックになった。
三毛がとりなし、ひとまず悠希を医務室に運んだところで貴文が到着。ひとまず異世界邸の良心に手を出した当然の報復として心を込めた制裁(物理)を加えた後、三毛に世界録の検索を行わせる傍ら、那亜と協力して悠希を起こしたのだが──
「悠希が半狂乱になってマウントとって往復ビンタする様とか、俺は見たくなかった……つーか初めてあの栞那さんの娘なんだなって思ったぞ」
「同感ですにゃ……」
目を覚ましてしばし呆然としていた悠希が、状況を理解したのか2人がどん引きする勢いで夢魔をひっぱたきまくった一面は、貴文も三毛も思い出したくないほどひでえ有様であった。
そしてその後、ひとしきりの怒りを発散した悠希は、異世界邸の癒しである那亜の慰めにも応じずに1人どんよりと落ち込んでいる。
「ていうかお前、一体悠希にどんな夢を見せたんだ」
場合によっては抹殺するぞあぁん? という凄みを見せつつ貴文が尋ねる。悠希の父親代わりを自認する貴文としては、自分の目と鼻の先、それも栞那がおらず預かっている状況での狼藉は見逃せるものではない。
貴文の凄みに若干びくつきつつ、ソーニョは涙目で顔を上げた。
「うう……知りませんよー。ボクはただ、いつものように「本人が望む幸せ」を楽しんでもらおうと暗示を掛けただけですもん。実際、内容も別に変なものじゃなかったですしー」
「え、お前、内容わかんの?」
「はあ、まあ一応、今後も楽しい夢を見てもらえるような努力と言いますか、そういう意味でも覗かせてもらいますけど、何かすっごく平和な夢でしたよ」
「平和な?」
「にゃぁああああああ!?」
素っ頓狂な声に、ソーニョと貴文、三毛はその場で飛び上がった。
「ゆ、悠希?」
「悠希にゃん?」
貴文と三毛が驚いて声をかけるも、悠希は既にソーニョにロックオンしていた。
「ちげーんですよ! あれはそうじゃなくてっ、というかっなんであんな夢っ、忘れやがれですぅううううう!?」
「あわわわっ、やめてくだ、さ、揺すらないでぇ!?」
ゆっさゆっさと首が痛むほどに揺さぶられるソーニョが悲鳴を上げるも、悠希はとまらない。顔を赤くし涙目な悠希は更に大きくソーニョを揺さぶって悲鳴を上げた。
「もういやぁあああ!?」
「おおおおちつけ悠希、たかが夢だし! な!?」
「そそそそうですにゃ! 犬に嚙まれたと思って忘れて──」
いつにない悠希の剣幕に、貴文と三毛が全力で止めにかかる。世にも珍しい騒動の最中、那亜はこっそりと微笑み、誰にも聞こえないように呟いた。
「悠希ちゃんの望みだなんて、誰だって分かるわよ。認められずに八つ当たりするのだって、可愛い可愛い成長の一環じゃない。ふふっ」
結局夢魔の進退を決められぬまま、その日の朝は過ぎていったのだった。




