戦乙女たちの忘年会【Part夙】
神界〈アースガルズ〉。
神々が管理し、数多の世界から導かれた英雄たちが暮らす都市――ヴァルハラに最近できたカフェテラスにて、七人の乙女たちが優雅なティータイムを過ごしていた。
乙女は乙女でも、武器や鎧で武装した戦乙女たちであるが。
「ねえ、今年の忘年会ってどこでやろっか? ウチ、幹事任されちゃってさ」
「そんなのテキトーでいいだろ。どうせ神々は来ないし、毎年集まるの戦乙女らだけだぞ」
「……どうでもいい」
「でしたら去年と同じ酒場はどうですかね? あそこのキャロットステーキは超絶品でしたがねじゅるり」
「黙れ馬野郎。アレを美味い美味いと食べていたのは貴公だけだ」
「ライテお酒飲めないし酒場やだなー」
「というかぁ、なんか人数が足りない気がするわぁ」
円卓に並んだ紅茶と茶菓子に舌鼓を打ちながら、戦乙女たちは取り留めのない雑談に花を咲かせる。真昼間なのに仕事はどうしたと聞かれれば、優秀な彼女たちは今月のノルマを既に達成して自由が与えられているのだ。
「二人ほど足りないですかね」
「ヒルデとルーネだろ」
「ヒルデってこの前まで幻獣界を担当してたわよねぇ? 今どうしてるのかしらぁ?」
「奴はどっかの人間の魔術師にご執心だ。一時期世界が閉ざされて戻って来れなかったようだが、最近は週に一回は顔を見せるぞ」
「ルーネは? 最近全然見てないんだけどなー」
「あのお馬鹿はまぁーたノルマを達成できなくてオーディン様に怒られてたっしょ。標準世界のナントカって人間を導くまで帰るなって言われてるっぽい」
「……どうでもいい」
彼女たちの他にも戦乙女は大勢いるが、この場に集まっている七人は同時期に戦乙女となった者たちだ。友でありライバルである彼女たちは頻繁にお茶会を開いて互いの近況を報告したりしている。
戦乙女の主な仕事は〈英雄の魂〉をヴァルハラに導くことだ。それには月ごとにノルマが設定される。人間で言えば営業マンのようなもので、ノルマを達成できなければ相応の処罰が与えられてしまうわけである。
出世をして担当世界を持つようになればノルマは関係なくなるのだが、彼女たち同期の中でその域に達している者はこの場にいない二人の優秀な方だけだった。
「標準世界ね。あの脳筋戦闘マニアが手古摺る人間ってどんなだ?」
「ルーネもきっとラウテにだけは脳筋だ戦闘狂だって言われたくないわぁ」
「ねえねえ、その人間ってイケメンかなー? ヒルデが狙ってる魔術師はおっさんだったけど」
「……どうでもいい」
「リンデはもう少しいろいろ興味持った方がよろしいんじゃないですかね?」
「色ボケた話なら我は帰るぞ?」
「わぁ! 待って待ってルヒル! 本題は忘年会の場所決めだか……ら……」
席を立って帰ろうとした者を止めようとした一人が、無言になってなにかを考え込み始めた。
そして――口の端をニヤリと吊り上げる。
「……ヴィーゲ、どうした?」
「あは☆ ウチ、いいこと思いついちゃった☆」
眠そうな声に、きゃぴるん! という擬音がピッタリの口調で返す。
「碌なことじゃなさそうだわぁ」
「うっさいよグリム! えっと、忘年会の場所だけどさ……標準世界にしない?」
唐突な提案に、他の六人がキョトンとした顔で彼女に注目した。
「あのお馬鹿が手を焼いてる人間、見てみたいっしょ?」
***
戦乙女・ジークルーネの朝は早い。
空が白み始める頃に起床し、日課の筋トレと走り込みを行うのだ。強者と存分に戦うためには己もまた強者でなければならない。元々ある天賦の才に加えて、日頃の努力も惜しまないジークルーネは日に日に戦闘力を増していく。
「貴文様は一気にお強くなってしまいましたからね。えへへ、私も負けられません!」
超高速で周辺を駆け回りながらジークルーネは楽しそうに笑った。なにが原因で覚醒するかわからず、こちらの想像を超えた力を手に入れる可能性を秘めている。人間とはかくも面白い存在でジークルーネは大好きだった。
そうして基礎トレーニングが終わる頃には異世界邸の目覚ましが鳴っており、飛び起きた住人たちで一気に邸は賑やかになる――のだが、今日はずいぶんと静かだ。
「あれ? 目覚まし、故障したのでしょうか?」
いつも起爆性の消臭スプレーという謎アイテムを使っているトカゲの顔を思い浮かべる。とはいえ、異世界邸とて毎日毎日朝ちゅどんで始まるわけではない。たまにはそういうことだってあるのだ。
まあ、トカゲやポンコツなどはもはやジークルーネの眼中にはない。
「早く追いつくためにもう少しメニューを増やしましょうか」
自室に戻ったジークルーネは、虚空から大鎌を取り出して素振りを始めた。
この邸において、ジークルーネが認めている自分よりも強い存在は三人いる。
一人は『白蟻の魔王』――フォルミーカ・ブラン。
悪名高い魔王連合の最上位クラスに席を置いていただけあって、一撃で伸されてしまったあの夜は記憶に新しい。異世界邸に住み着いてからも隙を見ては勝負を挑んでいるが、簡単にあしらわれてジークルーネが満足できる戦いになった試しがない。
二人目は『呑欲の堕天使』――カベルネ・ソーヴィニヨン。
こちらも『堕天使』の名に恥じぬ化け物であり、一度半日戦い続けた結果敗北している。恐らくまだまだ彼女は本気ではなかっただろう。いつか全力を出させてみたい。
最後の一人はいわずもがな、異世界邸の管理人こと伊藤貴文だ。あらゆる面で人外の力を備えているというのに、あくまでも人間の身であることがジークルーネにとって大変興味深い。というか、彼は戦乙女本来の仕事――〈英雄の魂〉としてヴァルハラに導く人間の最有力候補なのだ。神界に帰る時は彼の魂も一緒でないと上司に超怒られる。
ただ、その三人は現時点で異世界邸に住んでいて、尚且つジークルーネがハッキリ『自分より強い』と認識している者たちだ。
他にも血沸き肉躍る強者は数多く存在する。例えば管理人代行や雑貨屋の店主。管理人の奥さんである伊藤神久夜も底知れないし、『迷宮の魔王』も今は子供だが成長すればどうなるか未知数だ。ユーキちゃんにはいつも逃げられる。麓の街にだってちらほらと強者の気配はするものの、残念ながらまだ『これだ!』という者には出会えていない。
「なんにしても、もっともっと強くならないと達成できない目標ばかりです。頑張りますよ!」
ブォン!
大鎌で空気を薙ぐ。発生した鎌鼬が壁を斬り抉って飛んで行った。ジークルーネが素振りをする度に異世界邸に次々と大穴が穿たれていく。
だが、訓練に夢中になっているジークルーネは気づかない。気づいても、気にしない。どうせ放っておけば勝手に直るし。
ブォン! ブォン!
「貴文様がちゃんと私の相手をしてくれるほど強く!」
ブォン! ブォン! ブォン!
「カベルネ様の一撃にも耐えられるほど硬く!」
ブォン! ブォン! ブォン! ブォン!
「ユーキちゃんに逃げられないほど速く!」
ブォン! ブォン! ブォン! ブォン! ブォン!
疲れ知らずのジークルーネは大鎌を振れば振るうほど無駄が減り、速度が上がり、やがて鎌鼬が局地的な竜巻へと進化する。
ちなみに、こういうことが度々あるためジークルーネの部屋は他の比較的常識的な住人たちとは離れた位置にあてがわれている。
近くの部屋には同じ物理的被害を出す問題児たちや、そうした被害を物ともしないデタラメ共を配置しているわけで――
「それ以上は姫への狼藉となります。今すぐに素振りをやめていただけませんか?」
隣の部屋の住人が迷惑だからと押しかけて、昆虫化した腕を竜巻に突っ込みジークルーネの大鎌を受け止めた。
ボーイッシュなショートヘアをした、執事服の女性だった。
「む? 魔王フォルミーカ・ブランの部下ですね? 今の私は自主練中です。邪魔をしないでくれませんか?」
「邪魔をされたくなければ場所を変えていただけると嬉しいのですが?」
フォルミーカ・ブランが眷属召喚で蘇らせた魔王軍の幹部――ヴァイス。最近正式に住人登録がされ、フォルミーカ・ブランと部屋をシェアすることになったらしい。要するに隣の部屋だ。彼女も相当な強者ではあるが、今のジークルーネなら勝てない相手ではないと思っている。
「わたくしは別によろしくってよ、ヴァイス。丁度いい感じにスライスされた木片が飛んで来たので朝食にしましょう」
見通しのよくなった壁の向こうから、フォルミーカがティーカップを片手に寛大な言葉を投げかけてきた。
「しかし姫、彼女は我らの領域に攻撃を仕掛けて来たのです。居城に穴を開けられて黙って見過ごすことは魔王軍の面子に関わります」
「あの程度の攻撃がわたくしに傷をつけると? その気になればいくらでも結界で部屋ごと保護することはできますわ。まあ、この邸は勝手に修復されるのでそうしたところで魔力の無駄ですわね」
「それはそうですが……」
「なのにちょっと齧っただけで怒るんですのよ? 意味がわかりませんわ」
「姫の仰る通りです」
管理人が聞いたら胃を押さえて悶え苦しみそうな会話をする白蟻たち。その会話にはジークルーネにとっても聞き捨てならない言葉が含まれていた。
「私の攻撃が効かないって言いました? えへへ、流石は魔王です。物凄い自信ですね。でしたらちょっと全力で戦って試してみませんか?」
大鎌を構えてジークルーネは壁にできた大穴から隣の部屋へと飛びかかる。しかしその穴を塞ぐようにしてヴァイスが回り込んだ。
大鎌と昆虫の腕が甲高い金属音を奏でる。
「やはり放置はできません! 姫、この慮外者を黙らせる許可を!」
「……わかりましたわ。好きになさい。朝食の席の見世物として丁度いいですわね」
フォルミーカの許可を得たヴァイスはとてつもない膂力でジークルーネの大鎌を弾き、ドレスアーマーの腹に強烈な蹴りを入れて吹き飛ばした。
いくつもの部屋の壁をその身で貫いたジークルーネは、一瞬で追撃を仕掛けてきたヴァイスに歓喜の笑みを浮かべる。
「なるほどなるほど、そうですよね。いきなり魔王と戦っちゃダメですよね。まずは幹部から倒すのがセオリーでした♪」
ドゴォオオオオオオオン!!
いつもの爆発とまではいかないが、凄まじい轟音が邸を揺らした。
「いいですね! 思っていた以上に強いじゃないですか!」
「どうやら、前任の私が【学習】した戦闘力とは大きな齟齬があるようです」
刃が閃き、邸の残骸が飛び散る。
虫腕が貫き、住人たちと邸が悲鳴を上げる。
邸の中をめっちゃくちゃにしながら激しく戦闘を繰り広げる二人だったが――
「お取込み中失礼安定です」
唐突に、ゴスロリのメイド服を纏った女性が割って入った。
「「――ッ!?」」
ジークルーネの大鎌とヴァイスの虫腕が機械の手で受け止められる。
「この辺りは先程レランジェが掃除安定した場所でして、早々に散らかされると――とても不安定です」
暴れる両者を止めた彼女――レランジェは、感情の一切ない灰色の瞳で二人を交互に睨みつけた。
静かな殺気を向けられた二人は微かに唾を飲む。
だが、すぐに三人とも弾かれたように後ろへ飛んだ。
「あなたは『黒き劫火』の幹部ですね。邪魔をするのでしたら、そこの半神諸共まとめて潰しますよ」
「えへへ、実は前々からレランジェ様とも戦ってみたかったのです♪ なんなら二対一でもいいですよ?」
「どうでもいいですが、女性の敬語キャラはレランジェだけで充分安定です」
殺気と闘気が渦巻く、はち切れそうな空気。
睨み合いは、一瞬だった。
***
吾輩はジョンである。犬である。
今とっっってもご機嫌である。
なぜなら昨日、我が主君が吾輩の城をリフォームしてくださったのである。ただのみすぼらしい犬小屋から、それなりに広い中庭の空間リソースを贅沢に使った三階建ての豪邸になったのである。
一階は無駄な壁を除去し、吾輩の大きな体でも軽く駆け回れるほどのスペースを確保。巨大な滑車も設置してくださり、雨の日でも運動ができるようにしてくれた機転には感服である。
二階に駆け上がると、そこは吾輩だけのリビングルームになっているのである。中央に置かれてあるのは巨大な吾輩でも寝そべられるソファー。部屋の四隅にある背の高い観葉植物は緑を忘れない配慮である。
リビングを出ると、そこは吾輩専用の食堂。刺青女が転送魔法陣を設置してくれたおかげで、毎朝毎晩我が聖母のご馳走が届く仕組みになっているである。
そして最上階は吾輩の寝室である。ふかふかベッドのすぐ傍にはトイレも完備。隣の部屋は浴場になっているであるが……吾輩、風呂は嫌いである。しかし我が主君と我が聖母が綺麗な吾輩を望んでいるとなると、まあ、その、我慢するである。
「クックック、この素晴らしき吾輩の城。人間どもの邸なぞ霞んで見えるのであーる!」
おっと、つい嬉しすぎて口元がにやけてしまったである。
「中だけでなく、外見も素晴らしいであるな」
一歩外に出てみれば、高々と聳える我が居城が天を突いているである。以前はテキトーな木材で継接ぎ建築されたゴミのような廃屋だったであるが、今は……なんということであるか!
染み一つない白亜の壁!
両脇に突き出た尖塔!
もはや周囲の邸がおまけにしか見えない荘厳さ!
見上げるだけでいつまでもウットリできそうな優美さすら兼ね備えた吾輩の自慢の城が――縦方向へと真っ二つに割れたである。
「――って吾輩の城がぁあああああああああああああッ!?」
続いて無数の線が縦横無尽に走ったかと思えば、一口サイズのブロック状に細切れにされてしまったである。
「吾輩の城ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!?」
さらになにかがピカバリッ! と輝いた瞬間、極太のビームが発射されて崩れていた城は破片も残らず消滅してしまったである。
「ぎゃわぁああああああああああああああああああんッ!?」
文字通り一瞬で跡形もなくなった我が居城。吾輩は今の今まで壮麗に聳えていた姿を幻視しながら前足を折って泣き崩れるしかなかったである。
否、泣いている場合ではないである。
「どこのどいつであるか!? 吾輩になんの恨みがあるであるか!?」
吾輩の城を、我が主君に造っていただいた大切な家を破壊した奴に報いを与えてやるである!
「いいですよいいですよ、滾ってきました! えへへ♪」
「どうにもしぶといですね。ですが、そろそろ私も【学習】してきました」
「バージョンアップしたレランジェの機能試験に安定です」
いつの間にか、吾輩を中心に三人の女が睨み合っていたである。とんでもない殺気である。しかし吾輩は怯まないであるよ! 今回ばかりは吾輩だって激おこなのであーる!!
「くぅん……」
ハッ!? なぜ吾輩は腹を見せて服従のポーズを取っているであるか!? 違うのである!? 吾輩はこの三人を血祭に上げないといけないのである!?
「そろそろ決着をつけさせていただきます」
「えー、もっと楽しみましょうよ。私は七日くらいなら戦い続けられます!」
「新機能のOPM兵装を使う時が来た安定です」
三人が同時に地面を蹴って吾輩に向かってととととと突撃してきたでででである!? 助けて我が主君ぉおおおおおおおおッ!?
「今日はお前らかいい加減にしろ!?」
途端。
無数の竹串が吾輩の周囲に降り注いだである。
「ぎわぁああああああああああああああああん!?」
吾輩で犬型を取るように掠める位置へと絶妙に突き刺さる竹串を見て、争っていた女たちは急ブレーキをかけて止まったである。ちょっと漏らしたである。
「邸を壊すなって何回言えばわかるんだ!? 喧嘩すんなら余所でやれ余所で!? うっ、胃が……」
空から降ってきた管理人は、邸の惨状を見て胃の辺りを押さえていたである。
「では、レランジェは掃除に戻る安定です」
「時間切れのようです。姫がお世話になっている以上、彼には逆らえません。命拾いしましたね」
急激にクールダウンしたメイドと執事が踵を返して立ち去って行ったである。残ったのは駄ルキリーだけであるが――
「貴文様! 今日こそ私と戦ってくれるんですね!」
炎を閉じ込めたような赤い目をキラッキラさせて大鎌を構え、果敢にも管理人に飛びかかって行ったである。阿呆なのである。
「却下だ誰が戦うか!? お前もちょっとはあの二人の聞き分けの良さを見習えよ馬鹿野郎!?」
猛ダッシュで逃げていく管理人を、駄ルキリーが嬉しそうに追って行くである。
これは、いつもの光景であるな。
吾輩の城……くすん。
***
「はぁ、結局また貴文様は戦ってくれませんでした」
ガックリと肩を落としたジークルーネは、今は大鎌ではなく竹箒を握って前庭にポツンと突っ立っていた。自分で散らかした邸の破片を掃除しろと貴文に命じられてしまったのだ。後片づけもできないような奴の相手なんかまともにやってる暇はない、などと言われてはジークルーネとて引き下がるしかなかったわけである。
ちなみに邸はとっくに修繕されている。さっきすれ違った黒光りマッチョが「そろそろ転移陣でも置いてくれやせんかねぇ?」とか呟いていた。
だが、邸は綺麗に直っても、散らかったものはそのままだ。
「仕方ありません。掃除、やりますか」
渋々、ジークルーネは箒を動かして掃き始めるのだった。
「ほう、駄ルキリーが掃除をしているとは珍しいこともあるな」
と、邸の玄関が開いて一人の女性が歩み出てきた。白衣を着ていなかったから一瞬誰かわからなかったが、悠希の母で異世界邸の専属医である中西栞那だ。
「お出かけですか、栞那様?」
栞那は非常に優秀な人間だが、戦闘力は皆無に等しいためジークルーネも戦いを挑んだりはしない。普通に隣人として接している。
「ああ、麓に用があってな。二・三日ほど帰らないから、あまり暴れるんじゃないぞ」
「私がいつ暴れたと言うのですか?」
「今朝のことはもう頭から抜けたのか? それとも自覚がないのか? どっちにしろ重症だ。手の施しようがない。諦めろ、管理人」
栞那は立ち止まると、どこか遠い目をして邸の方を振り返った。
「あ、そうでした。私もこの後アルバイトがあるんでした」
「トレーニングジムのトレーナーをしているんだったな。大丈夫か? 一般人相手に戦いを挑んだりしていないだろうな?」
「そんなことしませんよ。私をなんだと思っているのです?」
「頭に筋肉が詰まったバトルオタクの駄ルキリー」
「失礼ですよ!?」
ジークルーネは確かに戦いが大好きだ。しかし、それはあくまで強者との戦いである。人間の範疇に収まる程度の強さではか弱すぎて逆に守ってあげたくなるくらいだ。
現に悠希には勝負を仕掛けたりしていない。ユーキちゃんの時にだけバトルを申し込んでいる。逃げられてしまうが。
「とにかく、また管理人に倒れられたら事だ。少しは自重することを覚えるといい」
それだけ告げると、栞那は歩みを再開して山を下りて行った。具体的に麓でなにをするのか気にならないわけではないが、わざわざ呼び止めるほどの興味もない。ジークルーネは軽く手を振って見送った。
しかし、同じ戦闘力皆無だと思っていた娘の悠希が突然よくわからない力に目覚めた前例がある。いつ栞那も英雄と呼べる器になるかわからない。そう考えるとワクワクしてくるジークルーネだった。
「ちゃんと掃除はやってるみたいだな」
邸の二階の窓が開き、朝から非常に疲れた様子の貴文が声をかけてきた。
「貴文様――戦いですか?」
「違うわ!? 不満そうな顔すんな今はそれどころじゃねえんだよ!?」
唇を尖らせるジークルーネに対するツッコミも、今朝に比べてどこか弱々しい。心なしかやつれているようにも見える。
「どうかされたのですか?」
「……戦友が逝ってしまってな。疼く傷を慰めるためにせめて今日一日は平和でいたい」
「よくわかりませんが、万全じゃない貴文様と戦っても楽しめませんね」
たった今栞那に自重しろと言われたばかりだ。ジークルーネも貴文が倒れてしまうのは困る。それはそれでまた代行の彼が来るのであればリベンジしたい気持ちもあるが、あの様子を見るになにか不幸があったに違いない。今日はそっとしておくべきだろう。
貴文が倒れて命を落としてくれた方が戦乙女的には仕事が進むのだが、その辺りの事情はすっぽ抜けているジークルーネである。とはいえ、戦死ではなく胃痛とストレスで死んだ英雄というのは非常にかっこ悪い。
「俺が見てなくてもちゃんと掃除やっとけよ。わからんことがあれば中庭を掃除してるレランジェに訊いてくれ」
「わかりました」
ゆらゆらと危うい足取りで邸の奥に消えていく貴文を見送り、ジークルーネは掃除を再開することにした。
まだまだ破片は散らばっている。向こうで同じく罰を与えられたヴァイスが作物を収穫するように物凄い勢いで破片をダンボールに詰めているが、ゴミ袋じゃなくていいのだろうか?
と――
「へえ、さっきの男があんたが手古摺ってる〈英雄の魂〉候補ってわけね」
突然背後から少し馬鹿にしたような言葉が投げかけられた。
ぶるりとする冷気に振り返ると、そこには先程まで存在していなかった巨大な冷蔵庫が出現していた。
冷蔵庫の扉は開いており、その手前には七人の武装した少女たちが並んでいる。一瞬身構えそうになったジークルーネだったが、すぐに警戒を解いた。
顔見知りだ。
「けっこうイケメンだったけどー、ライテの好みとはちょっと違うかなー」
「なんだかげっそりしていましたがね。病気ですかね?」
「だが、アレは本当に人間か? 貴公は一体なにを相手にしているというのだ?」
「……本質は確かに人間だったし、どうでもいい」
「つーかよ、ヒルデの奴も標準世界にいるって話じゃねえか。今から呼んでやろうぜ」
「ダメよぉ。ここは日本。あっちはイギリス。お国が違うわぁ」
それぞれワイワイと勝手に喋繰り出す乙女たちを代表して、純白のドレスの上から軽鎧を纏った羽根兜の乙女が軽薄に笑いかけてきた。
「久しぶりっしょ、ルーネ」
「お久し振りです、ヴィーゲ。なぜこの世界に来たのですか?」
ヴィーゲ――〈兜の揺り籠〉は〈勝利のルーン〉の質問に対し、流れるような金髪をふさりと手で払い――
「――ってなんか寒いと思ったらなんなのよこの門!? なんで冷蔵庫なわけ!? 意味わかんないし!? 馬鹿っしょ!?」
薄っすらと消えゆく背後の冷蔵庫に文句を言い始めた。ジークルーネも最初は似たようなことを思ったものだ。
「まさか、貴文様を横取りするつもりですか? あの人は私の英雄です! 渡しませんよ!」
竹箒を捨てて手元に大鎌を出現させるジークルーネ。彼女たちは同僚で同期で友人でもあるが、だからと言って譲ってあげる気など毛頭ない。
すると、ガシャリと音を立ててプレートアーマーで全身を包んだ乙女が歩み出た。
「それは早とちりですかね。確かにあなたが苦戦している人間を見に来ましたが、それはあくまでついでですかね」
馬型の兜から美しい白銀の髪を背中まで伸ばしている彼女は――〈騎乗の白き乙女〉。常にフルプレートを纏っているため、彼女の素顔をジークルーネは見たことがない。
「私たちはぁ、もうとっくにノルマは終わらせているのよぉ。他人の獲物を奪ってまでサービス残業する気はないわぁ」
男を誘惑するような妖艶な口調でそう続けたのは――〈仮面の守護者〉。ピンクブロンドのふわっとした巻毛に、肩と胸元を大きく露出させたドレス。頭には兜の代わりに厳つい仮面を乗せている。
「……ふぁ、これ以上働きたくない」
眠そうに大欠伸をして目を擦っているのは――〈穏やかな切っ先〉。紫がかった銀髪に金の瞳。薄緑色のゴスロリ姿でなぜか枕をぬいぐるみのように抱いている。
「まあ、ライテ好みのイケメンだったらちょっとは考えたかもねー」
七人の中で一番背の低い、小悪魔的な笑みを浮かべている少女は――〈剣の支配者〉。ゆるふわのクリームブロンドに翠の瞳。白いローブの背中からはカラスのような黒い翼が生えている。
「案ずるな。此度は別の目的でこの世界へ来た。貴公にも関係あることだ」
巨大な槍を背負った堅苦しい口調の乙女は――〈戦いの槍〉。魔術師のようなフード付きのマントを羽織り、切れ長の赤い両眼に冷徹な色を浮かべている。『ヒルデ』だと被ってしまうので愛称は『ルヒル』だ。
「私にも関係あることですか?」
ジークルーネは小首を傾げた。そう言われても思い当たる節はなにもない。
「忘年会だ忘年会。ヴィーゲの思いつきで今年は標準世界でやることになったんだ。んで、どっかいい場所ねえかって下見に来たっつうわけ」
男勝りのさっぱりとした口調でそう言ったのは――〈戦場の勇気〉。褐色の肌にオレンジの髪。異様に露出度の高いビキニアーマーを恥ずかしげもなく着ている。
「なぜこの世界で? 去年のようにヴァルハラの酒場でいいじゃないですか?」
「毎回毎回同じ場所じゃ飽きるっしょ? せっかく世界を渡る特権があるんだし、他世界の美酒に酔いしれるのもいいかなぁって」
提案者らしいヘルムヴィーゲが悪びれもなく言う。悪戯っぽい笑みを浮かべているのは、職権乱用だということを理解した上で提案しているのだ。
だが、『他世界で飲み会をしてはいけない』なんていう法律はない。こうして彼女たちがこの世界に渡れたということは、神々も黙認しているのだろう。
「それにルーネって仕事終わるまで帰れないんでしょー? だったらこっちでやった方が参加できるよねー」
「私は別に参加しなくてもいいんですけどね」
「んな冷てぇこと言うなよ! 上司はどうせ来ねえんだから羽目外して楽しもうぜ!」
ジークルーネの両脇をシュヴェルトライテとヴァルトラウテが挟み込んだ。ヘルムヴィーゲがジークルーネの正面に立ち、他の四人も遠巻きに囲ってくる。
逃がしてなるものかと言わんばかりの陣形だった。
「てなわけでルーネ、街を案内してよ」
「はぁ? どうして私が?」
「だってウチら、この世界のことあんま知らないし。ね? この通り!」
両手を合わせてお願いしてくるヘルムヴィーゲに、ジークルーネは少し逡巡してから深く溜息をついた。
「……わかりました。ですが、一つだけ条件があります」
「ふぅん、条件ね。なに? 言ってみ?」
いくら友人でも無償で願いを聞き届けるほどジークルーネはボランティア精神に溢れていない。
先程捨てた竹箒を拾い上げ、ヘルムヴィーゲへと差し出した。
「掃除、手伝ってください」
***
掃除を終え、管理人に「友人たちが遊びに来た」と事情を伝えたジークルーネは、異世界邸の正門前に待機していた七人と合流した。
「お待たせしました」
「おせーよ! 待ちくたびれたぞ!」
「まさか知らないお邸のお掃除をさせられるとは思わなかったわぁ」
「……めんどくさかった」
「なんでライテが掃除なんてしなきゃいけないのー? 言い出しっぺのヴィーゲだけでよかったじゃん!」
「まあ、皆でやった方が早いですかね」
「しかし掃除をしながら感じたが……この邸、異様な気配が複数存在しているようだぞ」
「それな! 上位の魔王級がちらほらとかどんな伏魔殿に住んでんのよあんた!」
どうやら異世界邸は様々な修羅神仏天魔英傑と関わってきた戦乙女たちを持ってしても異常な場所のようだった。
「それはそうと、あなたたちまさかその格好のまま街へ下りるつもりですか?」
ジークルーネは戦乙女たちの格好を改めて見直した。甲冑だったりドレスアーマーだったり羽根付きローブやマントだったりと、どう控え目に見ても一般の街を練り歩いて店に入れるような服装ではなかった。
「あ? なんか変か? 普通だろ?」
「ビキニアーマーのあなたが一番ヤバイです」
「そうよねぇ。下は一般の人間の街よねぇ? 私たちの格好じゃちょっと目立つわぁ」
「服装だけなら『こすぷれ』という概念がこの世界にはあるのでなんとか言い訳できますが、武器は隠してください。この国では所持しているだけで犯罪のようです」
「なんだと? 我の槍もか?」
「それがセーフなら私の大鎌だってセーフです!」
「……枕は?」
「枕はいいですけど、日中の街を持ち歩くのは変ですね」
「世界が違うとはいえ、ルーネに常識を諭されるとかなんかムカつくんですけど」
「ふふん、私はこの世界にもう何ヶ月もいますからね!」
「それって仕事が終わらず長引いている証拠ですがね?」
「ぐぬぬ……」
「ねえねえ、この世界ってどんな服が流行ってるのー?」
「そうですね。流行りはわかりませんが、私が普段街に下りる時は――」
ジークルーネは一歩下がると、纏っていた白銀のドレスアーマーを虚空へ消した。
その下から現れたのは全裸――ではなく、ドレスチェンジの術で召喚されたバイト先のロゴが刺繍されたタンクトップとハーフパンツだった。
「こういう感じですね」
「うわ、クソダセェ」
「それはそれでエロいけどぉ、もう少し女の子らしい服はないのかしらぁ? あと絶対寒いわぁ、それ」
「ルーネが仕事できないのって女子力が低いことも原因だと思うなー。男の英雄ならライテたちの魅力で篭絡しなくっちゃねー」
「……どうでもいいけど、ライテが連れてくる英雄はロリコンの変態ばっかり」
「イケメンなら変態でも可なのー!」
「あなた本当に顔しか見てないんですかね」
「なぜ槍がダメなのだ!」
「まだ言ってるんですかルヒル! ダメなものはダメです!」
「てかルーネの美的センスは信用できないっしょ? 誰かそういうアドバイスできる人いないわけ?」
「アドバイスできる人ですか……」
栞那は先程出て行ってしまったし、現役女子中学生の悠希は男物の服ばかり着ているからあてにならないだろう。フランチェスカもネグリジェ姿しか見たことなく、魔術師のセシルもそっち方向に詳しいとは思えない。神久夜やこののは奇抜さに突っ走りそうだし、那亜ならまともかもしれないがセンスは古そうだ。カベルネはジークルーネとそう変わらない。フォルミーカやヴァイスもこの世界の流行には疎いはずで、レランジェはゴスロリメイド服のまま普通に街を闊歩しているらしいからアウト。男たちは論外。
「なんか、詰んだ気がしますね」
この異世界邸に一般的な服装の感性を持つ女子がいるわけ――
「あのー、なにかお困りでしょうか?」
声に振り向くと、邸支給のメイド服を着た少女がキョトリとした様子で立っていた。
両手には大きな籠を持っており、中身は収穫されたばかりと思われる新鮮な野菜。たぶん野菜。口のような暗黒空間から「オォオオオ」と禍々しい悲鳴を上げる名状しがたい大根のようなものも、きっと野菜。
キャラの濃すぎる住人たちが暮らす異世界邸においては、影が薄くなりがちなアルバイトのメイド――円美智子だった。
「ルーネさんのお友達ですかー? あ、お野菜が採れたてなんですけど食べませんかー?」
そう言って円美智子が差し出してきたのは、なんかピヨピヨと鳴き声を発しているトマト的なナニカだった。
「いえ、野菜はけっこうですが」
「おいしいですよー?」
がぶりとトマト的なナニカに齧りつく円美智子。ピギィ!! と悲鳴じみた音が鳴って赤い液体がぶしゃっと飛び散った。
「「「「「「「……………………」」」」」」」
百戦錬磨の戦乙女たちもドン引きである。神久夜の家庭菜園に通い続けたせいでSAN値が消し飛んだのではないかと疑ったが、よく考えたら彼女は最初からこうだった。
感性を問うにはその辺の住人よりも激しく不安である。しかし、もう背に腹は代えられない。
「みっちゃん様! お願いがあります!」
ジークルーネは博打をする覚悟で円美智子に自分たちのコーディネートをお願いすることにした。
***
結論から言うと、博打には勝つことができた。
円美智子はファッション雑誌を定期購入していて、意外にも今時の女子高生らしく普段はオシャレにも気を使っているのだとか。
さらに面白そうな匂いを嗅ぎつけて呉井在麻と蘭水矢が乱入してきたのだ。今の時代を舞台に小説とイラストを手掛けている二人もその手の資料は豊富に持っていた。まあ、オッサンは追い出したが。
資料さえあれば、あとは神力で好みの服を具現化させるだけである。
ジークルーネはこの後アルバイトがあるのでタンクトップ&ハーフパンツで行くことにしたが、他の乙女たちはキャッキャしながらそれぞれがドレスチェンジを行ってちょっとしたファッションショーになっていた。
「見てこれ、超可愛いっしょ?」
ヘルムヴィーゲはフリルをふんだんに使った長袖のポロシャツにカーディガンを合わせ、コルセット付きのスカートを穿いてセクシーさを強調している。羽根兜を被っていた頭には造花のカチューシャ。全体的に赤をセレクトしており、白い肌と金髪がよく映えている。
「へへ、アタシはこういう感じで行ってみっか」
ヴァルトラウテはパンク系の黒いGジャンをチョイス。首には棘付きチョーカーをつけ、ミニスカートからはガーターベルトが覗いている。胸元は大胆に露出させているが、ビキニアーマーだった頃よりはこの世界の常識的だろう。
「ライテはこれかなー? あは、どうしよう。この世界のイケメンをみんな悩殺しちゃうかもー♪」
シュヴェルトライテは短めでスッキリとしたモッズコート。タートルネックセーターとワンピースで可愛らしさを前面に押し出している。黒い翼は彼女から生えているわけではなくローブの装飾だったので、今は普通に可憐な少女へと変身していた。
「……どうでもいい」
オルトリンデは猫耳フードのワンピース型パーカーだった。縞模様のニーソックスを履き、サングラスをかけている。そしてやっぱり枕だけは手放さなかった。
「我の象徴たる槍を出してはならないなど、なんと暮らしにくい世界だ……」
ゲルヒルデはロングタイプのダウンジャケットにロングマフラー。パンツはブーツインで履いていてスッキリしており、ダウンジャケットのもっさり感を薄れさせている。槍は出さないようにきつーく説得しておいた。
「この世界は可愛い服装がいっぱいあって迷っちゃったわぁ」
グリムゲルデは長袖のワンピースにニットタイプのポンチョを合わせている。全体的にゆったりとしたイメージで、この世界は寒かったのか露出度は下がっていた。頭の仮面は外し、代わりにUVカットの帽子を被っている。
「皆着替えは終わりましたかね。では、出発しましょうかね」
ロスヴァイセはゆったりめのトレンチコートにTシャツとジーンズでラフな着こなし。それでいて首から下げたペンダントがオシャレ感を醸し出しており、頭に被っている馬型の兜が全てを台無しにしていた。
「ちょー待てヴァイセ!? 兜取り忘れてるって!?」
意気揚々と先陣を切って下山しようとしていたロスヴァイセをヘルムヴィーゲが全力で阻止した。
「なにを言ってますかね、ヴィーゲ。これはこういうファッションですかね」
腰に手を当てて自信満々に大きな胸を張るロスヴァイセ。あまりの自信に本当にそういうファッションがあるのかと思いかけたが、どの資料にもそんな奇抜を通り越して通報物のコーデなど存在していない。
「いや絶対違えし!? てかあんたが兜取ったとこ見たことないんだけど!?」
「そのままじゃ行けないよねー。無理やり取っちゃおうかー?」
「そうだな。アタシが取ってやるよ。ちょっとこいつ抑えとけ」
「なっ!? だ、ダメですかね!? 素顔なんて見せたら恥ずかしさで死んでしまいますがね!?」
「往生際が悪いですよ、ヴァイセ」
「これを機にぃ、素顔デビューするといいと思うわぁ」
「我が槍を仕舞ったのだ! 貴公も兜を脱ぐがよい!」
「……どうでもいい」
抵抗して暴れるロスヴァイセをジークルーネが羽交い絞めにする。ニヤニヤと嫌らしく笑うヴァルトラウテの手が馬型兜へと伸びる。
「ヒャメテぇえええええええええええええええッ!?」
絶叫も虚しく、ロスヴァイセの兜はヴァルトラウテの馬鹿力によって野菜のように引っこ抜かれてしまった。
ふさっと銀色の髪が舞う。
果たして兜の下から現れた素顔は、他の戦乙女たちにも負けず劣らずの美形だった。だのになにが恥ずかしいのか白磁の顔を真っ赤に染め、赤紫色の瞳には涙を浮かべている。
へなへなと膝を折って崩れるロスヴァイセを、ヘルムヴィーゲが呆れた顔で見下した。
「超普通じゃん! 隠すようなものなんてないっしょ!」
「恥ずかしいですがね……恥ずかしいですがね……うえぇえん」
ロスヴァイセは両手で顔を覆って啜り泣き始めた。流石にガチで泣かれてしまうとジークルーネたちも悪いことした気になってしまう。
「……サングラス、かける?」
「マフラーで口元を隠すがよい」
「私の帽子もあげるわぁ」
哀れに思ったらしいオルトリンデがサングラスを、ゲルヒルデがロングマフラーを、グリムゲルデがUVカット帽子をそれぞれ分け与えることになった。
「ううぅ、すみません皆さん。これでなんとか大丈夫ですかね」
顔が隠れたことで立ち上がることのできたロスヴァイセだが、馬型兜よりはマシとは言え今の姿も変質者一歩手前だった。
「き、気を取り直して街へ出発! ほらみんな急いで、時間は有限だし!」
「あ、ちょっと待ってください」
今度こそ出発しようとしたヘルムヴィーゲをジークルーネが呼び止めた。
「まだなんかあんの!?」
「ありますよ。注意事項です。街に入る前に戦乙女の力を人間レベルまで落としてください。でないとこの世界の術者や能力者に見つかって厄介なことになってしまいます」
「うわー、標準世界ってめんどくさいなー」
「それと当たり前ですが、街で力を振るうことは原則禁止です。トラブルが発生しても許可なく騒ぎを起こしてはいけません。私が貴文様に怒られてしまいます」
「あなた本当にあのジークルーネですかね!?」
「脳筋戦闘マニアが常識人に見えるわぁ」
「フン、街の人間が我らになにかしない限りは手を出すことなどあるまい」
「あと私はこれからアルバイトがあるので、街の案内はその後になります」
「は? てめえ人間の街で働いてんの? なんだそれウケるわ! 面白ぇからバイト先見学してやろうぜ♪」
「いいですけど、大人しくしててくださいよ?」
「……どうでもいい」
そうして文句もそこそこに、ジークルーネたちはようやく街へと下りることとなった。
***
麓の街――紅晴市の駅前公園の傍に先日オープンしたばかりのトレーニングジムがある。
ジークルーネはそこのオープニングスタッフとしてアルバイトに応募し、その常人離れした美しい容姿と身体能力から関係者や客にも好かれる看板娘となっていた。
午前十時。朝からジムに通っている客たちが各々自分に合ったトレーニングメニューをこなしている中、ジークルーネは職員用の入口から入ってジムのオーナーに挨拶をした。
「ルーちゃん、今日もよろしくね」
「はい、よろしくお願いします。あっ、今日は私の友人が見学したいそうなのですが、よろしいですか?」
「あらやだ、みんな別嬪さんじゃないの。いいわよいいわよ。好きなだけ見てってちょうだい。なんなら体験してみるといいわ」
元ボディビルダーのオーナーは筋骨隆々とした肉体にジークルーネと同じタンクトップとハーフパンツを着ている。ごつい男性なのに女性みたいな言葉遣いをするから最初は少し戸惑った。ニューハーフとかいう標準世界の新人類らしい。
人間としてはかなり強い部類に入ると思われるが、戦乙女が求めるような英雄には程遠い。魔術や異能などとは無関係のただの一般人だ。
今日はジークルーネが友人たちを専属で案内していいということになり、さっそくトレーニングウェアに着替えてもらって筋トレルームへと連れて行った。
「へえ、すっげえな! 人間っていろんなトレーニングアイテムを思いつくんだな!」
「このバーベルなど実に持ち応えがある。我が槍を振るう特訓になろう」
反応がよかったのは戦いを意味する名を持つヴァルトラウテとゲルヒルデだった。片手で百五十キロのバーベルを持ち上げたり、腹筋マシンで最高記録を叩き出したりしている。
「私たちは見学でいいわぁ」
「汗臭い男ばっかり。イケメンいないのー?」
「なんか注目されてませんかね!? や、やっぱり兜を」
「だーかーらダメだっつってんでしょう?」
「……疲れるのやだ」
筋トレに興味のない五人は後ろのベンチでスポーツドリンクを飲みながらお喋りしているだけだった。
「ここが退屈でしたら二階がリラクゼーションルーム、三階が大浴場になっていますよ。来年の夏には地下に五十メートルプールができる予定です」
「それなら、私は二階に行ってるわぁ。マッサージしてもらおうかしらぁ」
「……お風呂」
「ライテもお風呂―」
「ウチも風呂っとこ。ヴァイセもどう?」
「全裸なんてとんでもないですがね!?」
提案しておいてなんだが、ジークルーネの体は一つしかない。案内したいところだが、一番問題を起こしそうな脳筋たちから目を放すのはマズイ気がする。
さてどうしたものかと悩んでいると、見知った常連客とアルバイトのスタッフを見かけた。
「真理華様! 常葉様! 申し訳ありませんが、この人たちを上の階に案内していただけませんか?」
中学生なのにグラマラスな肉付きをしている少女は、初日から毎日通ってくれている常連客の畔井真理華。数日に一回は双子の畔井駿河も一緒に通い、ジムの客の中でも飛び抜けた才能を披露してくれる。ちなみに悠希の友人だ。
そんな彼女と話している女子高生は、ジークルーネと同じくオープニングから働いている﨑原常葉だ。彼女の考えたトレーニングメニューはオーナーも唸るほど効率よく美しい筋肉がつくと評判である。
「いいですよー。この人たちルーネさんのお知り合いですか?」
「お姉さんたちみんなすんばらしい体つきしてますね! 是非マッサージさせてくださいッ!」
快く引き受けてくれた真理華と常葉に五人を任せて、ジークルーネはトレーニングを満喫している残りの友人二人に視線を戻し――
「あれ!? いない!?」
さっきまでそこで筋トレしていたゲルヒルデとヴァルトラウテがいなくなっていることに気がついた。
「ちょっと目を放した隙に……問題を起こしていなければいいのですが」
普段は自分が管理人たちにそう思われていることなど棚上に放り投げて、ジークルーネは消えた戦乙女たちを探してジム内を駆け回った。
「――ッて、お二人ともなにをしているんですか!?」
すぐに見つかったのはよかったが、ゲルヒルデとヴァルトラウテはなぜかプロレスのリングへと上がっていたのだ。
レフェリーの位置にはオーナーが立っている。
「二人が格闘技に興味があるって言うのよ。なんか二人とも強そうじゃない? ちょっと好きに戦ってもらおうと思ってね」
「おう、ルーネも来いよ! 久々に戦ろうぜ!」
「貴公の腕が鈍っていないか見定めてやろう」
パンチンググローブを装着した二人がくいくいとジークルーネに登れと命じる。そんな勝手をしたらまた貴文に怒られてしまうのではないかと思ったが、今のジークルーネたちは力を人間の範疇にセーブしている。滅多なことにはなるまい。
それに――
「試合なら、いいですよね。えへへ♪」
ジークルーネも二人と戦ってみたいという気持ちには勝てなかった。
***
時は流れ、ジークルーネの勤務時間が終了を迎えた。
「で、ウチらが休んでる間にあんたらなーにやってたわけよ?」
ヘルムヴィーゲの真っ白い視線が、戦いのおかげでお肌がツヤツヤしている三人に突き刺さった。
「かぁーッ! 負けた負けた! 相変わらずアホみたいに強ぇなルーネは!」
「腕は鈍るどころか上がっていたぞ。ルールありの肉弾戦とはいえ、我ら二人を相手に勝利してしまうとはな」
「えへへ、お二人ともなかなかお強かったですよ♪」
ジムを出て街をぶらつきながらお互いの健闘に拳を重ねる三人。あまりのバトルの激しさに他の客は見入ってしまい、オーナーなんて「取れるわ! この子たち世界を取れるわ!」と感激していたほどだ。
「やっぱりこのお馬鹿たちを放置したのは失敗だったわぁ」
「……ルーネがまともに見えたせい」
「結局本質は変わらないんですかね」
「別にいいじゃん人間の範疇だったしー。それよりライテお腹空いたー」
そういえば戦いに夢中で忘れていたが、昼食をまだ食べていない。ジークルーネの今日のシフトは十時~十五時だったため、時間的にはランチではなくティータイムだ。
「そもそも忘年会の場所決めに来たんですよね? 酒場が開くのはだいたい夕方からですよ?」
それに当日の参加者はこの八人だけではない。戦乙女は大勢いるため、軽く見積もっても三十人は入れる店でないと宴会などできないだろう。となると貸切で予約を取るしかない。
「今更ですけど、この国のお金持ってるんですか?」
「そこは大丈夫ですかね。こちらに渡る前に神界で替えておきまし――この香りは!?」
ロスヴァイセが突然鼻をすんすんさせたかと思えば、踵を返して脇目も触れずに疾走を始めた。
「ちょっと、どこ行くのよヴァイセ!?」
ヘルムヴィーゲが止めるもロスヴァイセは既に彼方。〈白き馬〉とも訳される彼女の走力は戦乙女の中でも群を抜いているのだ。
なんとか見失わずに追いついてみれば――
「揚げたてのニンジンコロッケはいかがッスかぁ~? 肉屋に負けない八百屋のコロッケッスよ~?」
「五つ貰えますかね!?」
商店街の八百屋で鼻息を荒げてニンジンコロッケを買っていた。サングラスとマフラーと帽子で顔を隠しているから本気で変質者にしか見えない。
ロスヴァイセはマフラーを下げ、買ったばかりのニンジンコロッケに我慢できないとばかりにその場でかぶりついた。
「美! 味!」
ほわぁ、と魂が抜けたように一瞬だけ本心したロスヴァイセは、そのまま物凄い勢いで残りのニンジンコロッケも平らげてしまった。
「衣はサクサク! 中のニンジンはほくほくあまあま! 絶品ですかね! 忘年会ここにしませんかね!?」
「しねーよ八百屋だぞ!?」
興奮し切ったロスヴァイセの後頭部に、ヴァルトラウテが呆れた様子でチョップを振り下ろした。
ジークルーネたちは八百屋にお騒がせしましたと頭を下げ、まだ買う食べる足りないと叫ぶロスヴァイセを引き摺ってその場から移動。ひとまず駅前公園の噴水広場へと向かった。
「あなたたちも食べてみればわかりますがね!? あのコロッケの素晴らしさと言ったらやっぱりあと十個は買いたいですかね!?」
「……ヴァイセ、うるさい」
「貴公、我のマフラーをヨダレ塗れにしおって」
「帽子も返してもらうわぁ」
なおも駄々を捏ねる人参中毒者を黙らせるため、オルトリンデたちは貸していたサングラスとマフラーと帽子を引き剥がした。
「ひゃあん!? は、はははは恥ずかしいですかね!? 恥ずかしいですかね!?」
手で顔を覆って蹲るロスヴァイセだったが、今度は誰も慈悲を与えない。もはや彼女のことはスルーして忘年会の場所決め相談を再開させるのだった。
駅前公園の周囲は様々な店が軒を連ねており、この噴水からなら付近を一望できるためいい店が見つかるかもしれない。
と、さっそくシュヴェルトライテがなにかを見つけた。
「あ、ライテはそこがいいなー」
「なるほどオシャレでよさそうな店――ってホストクラブじゃないの!?」
「ライテの見た目じゃ絶対入れない場所ですよ」
「ぶー」
可愛く頬を膨らますシュヴェルトライテ。見た目小学生の彼女は下手すると居酒屋にも入れない可能性がある。モラルの問題で、夜とか特に。
次にずっと俯き加減だったオルトリンデがハッとした様子で顔を上げた。
「……ここがいい」
「オフトゥン喫茶? なんだその腑抜けそうな店は? 客など来るのか?」
「……あそこ」
訝しむゲルヒルデに、オルトリンデは店の入口付近を指差す。
「やだ俺ここに入るっていうか住む!? オフトゥンさせろ!?」
「ダメだって言ってるだろ仕事行くぞ! 冥官がお呼びだっつの!」
「どうせまた人鬼だろ!? 俺ダメだって何度言えばわかるの契約違反!? 帰りたい!!」
なんか店の前でさっきのロスヴァイセみたいに喚いていた男子高校生が、がっしりとした体格をした別の男子高校生に俵のように抱えられて連れ去られていた。
「ハッ! 今強者の気配がしました!」
「でも人外っぽいから連れて帰れねえぞ?」
「そんなのは二の次ですよ! とにかく強者と戦えるならえへへ♪ えへへぇ♪」
「あなた、自信満々に語っていた注意事項は覚えているのかしらぁ?」
「そういうグリムだって、その仮面どこから持って来たのー?」
「そこの骨董品屋で売ってたのよぉ。呪われてそうでステキだわぁ♪」
「……いつの間に」
うっとりと厳つい鬼の仮面を眺めて頬を朱に染める〈仮面の守護者〉。傍から見れば色っぽいのに理由がどこか残念である。
「あーもう!?」
すると、ついにヘルムヴィーゲが苛立った様子で地団駄を踏んだ。
「あんたたち真面目に場所探す気あるわけ!? ちゃんと広くてお酒や料理が美味しくてついでに温泉とかあってウチらがちょっと騒いでも問題なさそうな場所を見つけ――」
彼女の言葉は、最後まで続かなかった。
ゾクリ、と。
一般の人間には感じることすらできない不穏な風が、戦乙女たちの鋭敏な肌を纏わりつくように撫でた。
これには膨れていたシュヴェルトライテも、恥ずかしさに蹲っていたロスヴァイセも真面目な顔になって全員同じ方向を振り向く。
「なぁーんか、嫌な気配を感じるわぁ」
「この感じ、死者だよねー?」
「それどころか『魔』に堕ちてるみてえだぜ」
「向こうの三叉路の方からですかね? 淀んだ気が溜まっているようですがね」
「……これ、冥界の仕事」
「そうです。だからダメですよ関わっては。そういうのはこの街にちゃんと対処する人間がいますから」
「でもルーネ、これはちょっとばかし腕の立つ程度の人間じゃどうしようもなくない? 今ウチらが動かなかったら、大勢死ぬっしょ?」
「他世界だからと、か弱き人間を見捨てるのは我の矜持に反する」
七人の視線がジークルーネに集中する。
「いいのですか? サービス残業ですよ?」
「現場に居合わせちゃったらしょうがないわぁ」
「……無視して帰ると、あとが怖い」
一番やる気のなさそうな二人がそう言うのだから、他の戦乙女たちの意思も固いだろう。
「関わらないという選択肢は、ないんですね?」
ジークルーネが最後に確認すると、やはり七人とも一瞬の躊躇いもなく頷いた。
この前は悠希が許可を出してくれたからジークルーネも暴れられた。だが今回、異世界邸の関係者はジークルーネしかいない。
言いつけを破る責任は、自分で全て負う必要がある。
これほどの負の力に気づいておいて見過ごすわけにはいかないだろう。ゲルヒルデほどの正義感はないけれど、ここで退いては〈勝利のルーン〉ではない。
「……わかりました。私が後で貴文様に怒られるだけです」
諦め、折れ、そして――
これから相まみえるだろう強敵へと想像を膨らませ、ジークルーネは口元に楽しげな笑みを浮かべた。
***
日は傾き――逢魔が時。
異世界邸の冷蔵庫とは別の法則で異界と繋がり易くなる不安定な、時の境界。
三叉路の淀みが一段と濃くなる。もはや視認できるほどの〝ゆらぎ〟が周囲の空間に満ちていく。
その様子を眺めつつ、ジークルーネは指示を出す。
「グリム、結界をお願いします。あなたが一番得意だったはずです」
「了解したわぁ」
グリムゲルデは妖艶に微笑むと、ドレスチェンジで最初につけていた仮面――神々を模した神聖な仮面――を被り、周囲に三つの晶球を浮かべた。
「――〈神域〉」
刹那、世界から色が失われた。
だが、すぐに元の景色へと戻る。先程と違う点は、帰宅ラッシュで周囲を行き交っていた大勢の人間たちが消えていることだ。
ここは既に神の領域。余計なものを排斥し、一定の空間ごと切り取って隔絶した不可侵の世界である。元の世界で見える者が見れば、陽炎のように歪んだ空間の壁を感知することができるだろう。が、入ることは容易くない。
グリムゲルデの『神術』は戦乙女の中でもトップクラスだ。たとえ外の術者が結界をこじ開けようとしても、人間の魔術とは根本から異なる理論で展開された神術を破るには相当な時間がかかるだろう。並の術者ではまず不可能だ。
「さあ、来ますよ」
ジークルーネは白銀のドレスアーマーを纏い、死神のごとき大鎌を出現させた。他の戦乙女たちもせっかくコーデした服装を一度消し、それぞれ最も戦い易い武装へとシフトさせる。
三叉路の淀みから、まずは魔と化した犬や猫などの動物が無数に飛び出てきた。凄まじい怨念を身に纏う彼らを、この国では『鬼』と呼称している。
馬の嘶きが轟いた。
「先陣を切らせてもらいますかね!」
召喚した武装白馬に跨ったロスヴァイセが突撃槍を構えて疾駆する。彼女の全身はプレートアーマーで覆われており、先程素顔を晒して恥ずかしがっていた乙女とはもはや別人だった。
「アタシらも負けてられねえなぁ!」
「この我が槍術で後れを取るわけにはいかぬ!」
ビキニアーマーのヴァルトラウテがアクロバティックに戦斧を閃かせ、フードマントを羽織ったゲルヒルデが巨大な槍を文字通り光速で乱れ突く。
「……早く終わらせる」
こんな時も眠そうな声のオルトリンデは、抱いていた枕を木製の長弓へと変化させた。薄緑のゴスロリ姿で優美に弓へ番えたものは、矢ではなく三本の鋭い剣。射出されたそれらは光の軌跡を描いて遠方にいる鬼の心臓を正確に貫いていく。
「うじゃうじゃ鬱陶しいなー」
黒い翼のローブを纏ったシュヴェルトライテは天へと飛び上がった。彼女の周囲に無数の光の剣が出現し、地上に蠢く鬼の大群へと雨霰のごとく降り注ぐ。彼女の殲滅力は八人の中では最強だろう。
「ちょっとライテ! ウチらに当てたら承知しないっしょ!」
羽根兜と軽鎧のヘルムヴィーゲはラウンドシールドで鬼の攻撃を防ぎつつ、長剣を振るって着実に数を減らしていく。余裕があれば神術を唱え、風や炎を巻き上げて鬼たちを一気に消し飛ばす。
半神である戦乙女の一撃一撃に込められた神聖な力は鬼たちが纏う瘴気を一瞬で浄化し、技や術を行使する度にダース単位で消滅させていく。
「えへへ、なんだか久々に戦争を見ている気分です♪」
ジークルーネは意外にも戦いには加わらず、近くの建物の屋根に上って戦場を俯瞰していた。
「突っ立ってないであなたも働きなさいよぉ!」
肩と胸元を大きく露出させたドレス姿のグリムゲルデが、三つの晶球から光線を放って鬼を焼き尽くしながら戦わないジークルーネに文句を飛ばしてきた。
「雑魚には興味ありません」
ジークルーネは戦いが好きだ。しかしそれは蹂躙や無双とは違う。
「出てきてください。いるのでしょう?」
最も淀みの濃い場所――三叉路の中心をジークルーネは睥睨する。すると次の瞬間、揺らいだ空間から白い巨腕が生えるように伸びてきた。
巨腕は近くにいた鬼たちを一掴みすると、次に出て来た丸々と肥え太った頭部の大口に放り込んだ。
ぐしゃりぐしゃり、と咀嚼する音。
「グヘヘ」
白い巨人の鬼が下卑た笑い声を漏らした。
「オレァ……〝暴食〟のトード様ァ……食わせろォ……もっと食わせろォオッ!!」
「その体にこの魔力……魔王の眷属が魔に堕ちるとは滑稽です。余程いたたまれない最後を遂げたのでしょうね」
周囲に蔓延る鬼たちを掴んでは喰っている白い巨人の鬼の前に、ジークルーネはふわりと降り立った。白い巨人の鬼――トードと名乗った元魔族は、恐らく『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランの眷属だ。異世界邸の襲撃組にはいなかったが、麓の街を襲っていたのだろう。
トードは周囲の鬼を喰えば喰うほど己に纏う瘴気と魔力を際限なく膨れ上がらせていく。
「あァ……? へっへっへ」
やがて、赤い瞳がジークルーネを捉えた。
食欲の対象が変わった。
「では、参ります♪」
それを合図にジークルーネは大鎌を構えてトードに飛びかかった。トードは右の巨腕を伸ばしてジークルーネを掴もうとするが――斬! 肉厚でぶよぶよの腕が肩口から豆腐のように切断された。
赤黒い液体と共にどす黒い瘴気が傷口から噴出する。
「厚いだけで意外と柔いですね。白蟻の装甲はもう少し硬かったと思いましたが?」
異世界邸を襲撃してきた白蟻たちは雑兵を含めても防御力はかなり高かった。トードも生前はそうだったのかもしれないが、これほどの瘴気を放って手応えがないのは拍子抜けである。
そう、ジークルーネが幻滅しかけた直後だった。
斬り落としたトードの右腕が、映像を巻き戻しするかのように元の肩口へと接着したのだ。トードはくっついた腕の具合を確かめ、ニマリと嗤って両拳を合わせるようにして振り上げる。
豪快に振り下ろされた巨拳を、ジークルーネはバックステップでかわした。
「なるほど、再生するタイプですか。なかなか厄介で面白いですね♪」
拳が地面を叩き、アスファルトが地割れを起こしながら爆発する。凄まじい膂力だ。まともに受けていたらトマトのようにピギャっと潰されてしまうだろう。
「これならどうですか?」
ジークルーネは瓦礫の散弾を横に跳んでかわし、大鎌を振り被って投擲した。高速で回転しながら宙を飛ぶ大鎌は――
「ひョ――」
トードのほとんど肩と融合してしまった首を容赦なく刎ねた。
ゴトリ、と頭部が地面に落ちて鈍い音を鳴らす。首の切断面から血と瘴気がブシャーと飛び出す様はなかなかのホラーだった。
「ダメですか」
もっとも、ゴロゴロと転がって重力に逆らい、その傷口に戻っていく頭部に比べたら可愛いものだろう。
「がァ!!」
「――ッ!?」
頭部が接合するや否や、トードの開いた大口から凝縮された凄まじい魔力が放出された。破壊に特化したエネルギーはジークルーネの脇を掠め、背後にあった十階建てのビルを貫く。
爆散したビルの向こう側数百メートルが、虚無と化していた。
「えへへ、今のは魔力砲ですね。威力は魔王ほどではありませんが、思っていた以上に強者みたいでワクワクしてきました♪ この街の人たちはよくコレを倒せましたね」
魔に堕ちたことで能力が飛躍したことを鑑みても、これほどの魔族を討ち倒せる者は間違いなく強者である。この街にいるのだとすれば是非とも会って手合わせしたいものだ。
「ルーネ!? 遊んでないでさっさとやっちゃいなさいよ!?」
と、流石に看過できなくなってきたのか、雑魚の相手をしながらヘルムヴィーゲが怒鳴ってきた。
「えー、これから面白くなるところですよ?」
「あなたの悪い癖ですがね!?」
むくれて文句を言ったら白馬の上からロスヴァイセに怒られた。人参中毒者の彼女には言われたくない。
「喰ウ!!」
余所見をしていたら接近され、拳骨が振り下ろされた。大鎌を盾にして防ぐが、バゴン! と両足がアスファルトを砕いて膝辺りまで埋まってしまった。
「おっと、凄い腕力です♪」
ジークルーネは重たい腕を受け流し、くるくると大鎌を器用に回転させると――
「みんなが焦れているので、申し訳ありませんがこの辺りで決着させてください」
一跳びで埋もれた地面から抜け出し、擦れ違い様にトードの肉体を細切れに斬り裂いた。
「あゥ……」
変な声を漏らし、トードだった肉片がボロボロと崩れて小山を形成する。瘴気が溢れて吸い込みそうになるが、そこは大鎌を一振りして薙ぎ払った。
いくらなんでも、どこかにあるだろう核ごとここまで細かくされては再生できまい。
「こっちは終わりましたよ」
「終わってないっしょこのお馬鹿!?」
「えっ?」
ぎょっとした声で怒鳴ったヘルムヴィーゲの視線の先を、ジークルーネは弾かれたように振り向く。
瞬間、巨大な質量がジークルーネの体を跳ね飛ばした。
まるで十トントラックが突っ込んできたような衝撃が、ただ殴られただけと気づいたのは背後の鉄筋コンクリートを陥没させた後だった。
「あ……は……驚きましたね。あそこから再生するんですか」
しかも再生は途中だったらしく、無数の挽肉がうにょうにょと蠢いてトードの下半身を構成していく。
「うえー、きもいー。もしかしてこいつ、不死?」
「……不死なら死んで魔堕ちしたりしない」
上空のシュヴェルトライテが気持ち悪さに吐きそうな顔をし、オルトリンデが弓に剣を番えながら最悪の可能性を否定する。
そして――
「全員伏せよ!?」
切羽詰まった怒号をゲルヒルデが上げた刹那、完全に再生を終えたトードの大口から先程の魔力砲が横薙ぎに放射された。
ジークルーネたちはゲルヒルデのおかげで咄嗟に回避できたが、周囲の街並みは扇状に消し飛び焼き尽くされていた。
「うっひゃあ、焼け野原だぜ。グリム、結界は大丈夫か?」
「なんとか破られてはいないわぁ」
結界さえ無事なら、発動時に世界の情報をバックアップしているので復元は可能だ。あとで騒ぎになるようなことはない。
「でもぉ、さっき誰かが結界内に侵入してきた感じがしたのよねぇ」
「あなたの〈神域〉をこれほど早く破る力を持った人間? 強者ですね!」
「うぅん、人間だけじゃなかったと思うわぁ」
「?」
歯切れの悪いグリムゲルデにジークルーネは小首を傾げるが、すぐに今は戦闘中だからどうでもいいと思い直す。
「げヴ……」
向き直った先で、トードの左胸に背中から突撃槍が突き刺さった。的確に心臓を貫いたのはロスヴァイセだが、脈打ちが止まらないそれを見て小さく舌打ち。即座に撤退する。
「心臓を潰しても再生しますがね!?」
「……それは今さら。さっき細切れから復活した」
そう言いながらも、オルトリンデは剣の矢で頭部や胸や股間といった弱点と思われる個所を探るように射抜いていく。
さらに天から光の剣が降り注ぎ、ハリネズミ状態になったところを戦斧と巨槍が豪快に斬りつける。
ヘルムヴィーゲとグリムゲルデが雷や炎や氷の神術で物理以外から攻める。
しかし、その悉くをトードは再生してみせた。
「グへ」
嫌らしい笑みすら浮かべ、どこか余裕の表情で剛腕を振るい、魔力砲をぶっ放す。
「えー、こんなのどうやったら倒せるのー?」
「チッ、無敵かこいつ!」
流石に攻めあぐねて回避に転じ始めた戦乙女たちだったが――
「……いえ、このまま攻撃を続けていればいずれ勝てますよ」
戦いながらトードの様子を観察していたジークルーネは、気づいた。
「最初よりも弱くなっているようです」
「確かにぃ、瘴気の量は減っているわぁ」
魔に堕ちた者を倒す時の基本だ。奴らにとって、瘴気とは鎧であり力の源。戦乙女たちの攻撃はそれを浄化するのだから、攻め続ければやがて枯渇するはずである。
「だが、奴は際限なく魔を呼ぶぞ。それを喰らい続ければ力を回復されてしまう」
ゲルヒルデの言う通り、トードはこちらへの攻撃の手を弱めて周囲に鬼を召喚し始めた。その鬼を捕まえ、貪り、消耗した瘴気をも再生させていく。
パシン! とヴァルトラウテが拳を打ち鳴らした。
「だったら話は簡単だぜ! さっきみたいにこのデカブツの相手と雑魚の相手で役割分担すりゃいい!」
「いかにも脳筋な戦法だわぁ」
「……でも現状、それが一番手っ取り早い」
「もうなんでもいいからこの気持ち悪いの消しちゃおうよー」
「迷ってる暇はないっしょ! そいつの相手は脳筋のあんたら三人に任せる! ウチらはサポートしつつ雑魚の殲滅! 異論は?」
「我は構わん」
「私は一人で戦いたいです!」
「はい却下ですかね!」
その作戦で決定し、戦乙女たちは即座に散開する。一瞬遅れて、先程まで彼女たちがいた場所へカエルのように跳ねたトードがボディプレスで落下してきた。
ジークルーネが大鎌を、ヴァルトラウテが戦斧を、ゲルヒルデが巨槍を振り抜いて三方から斬りつける。
ロスヴァイセは戦場を駆け回り、シュヴェルトライテが天空から光の剣で雑魚を一掃し、オルトリンデとグリムゲルデが遠距離から討ち漏らしを屠っていく。
近距離も遠距離もこなすヘルムヴィーゲは状況を見て手の足りない場所の補佐に回る。
そうして、長いようであっという間の時が過ぎ去った。
「ォ……ご……ぐガァアッ!?」
もはや立つこともままならなくなったトードは、言語にならない言語で取り囲む戦乙女たちへと怨嗟を喚き散らしていた。
「なかなか楽しかったですよ。残念ですが、あなたはこの世にいてはいけない存在です。トドメを刺さなくてはいけません」
ジークルーネが大鎌を振り上げる。
「荒ぶる魂に、どうか安らぎを」
***
流石の戦乙女たちも疲労困憊であり、結界を解いた後は忘年会の場所決めなどやってられずに異世界邸へと戻っていた。
ロビーに設置された来客用ソファーにぐだーと座り込む。
「ぐっはぁ! いやぁ、今日は久々に戦いまくった気がするぜ!」
「あーあ、こんなことならもうちょっとイケメン探しとけばよかったなー」
「そういえばさ、グリムの結界に侵入してきた奴ってなんだったわけ?」
「さぁ? 冥界の関係者じゃないかしらぁ?」
「我らの後始末をしてくれるとはご苦労なことだな」
「ところでルーネはこそこそと観葉植物の陰に隠れてなにをしているんですかね?」
「〈神域〉の中とはいえ街であんなに暴れたんですよ!? た、貴文様に怒られます!?」
「……流石にまだ情報は行ってないかと」
上司に怒られてもあんなにビクビクしなかったジークルーネが、英雄候補の人間の機嫌を窺っている姿が友人たちにはとても滑稽に映っていた。
「あー、そうだ。結局どうしよっか、忘年会?」
「今から街に戻る気力はないわぁ」
「そんなことよりライテ喉渇いたー」
「……お腹空いた」
「ヴァイセ以外昼飯も食ってねえからな」
「貴公、もはやニンジンでも構わん。余っていないか?」
「あったら自分で食べてますがね!?」
「貴文様は……いない! よ、よかったです」
疲れ切った乙女たちの、きゅるるるぅ、という空腹を訴える可愛らしい音がそろそろ遠慮しなくなってきた。
「あっ……」
と、ジークルーネがなにかを思い出したようにマヌケた声を発してヘルムヴィーゲを見た。
「ヴィーゲ、忘年会の場所ですが……広くてお酒や料理が美味しくてついでに温泉とかあって私たちがちょっと騒いでも問題なさそうな場所がいいんですよね?」
「んあ? そうだけど、そんな理想はもうどうでもいいっしょ」
ウトウトと船を漕ぎかけていたヘルムヴィーゲが諦めたようにそう言うが、ジークルーネは名案を思いついた顔で自分の足下を指差した。
「だったら、ここでいいじゃないですか」
広くて――戦乙女三十人くらいなら余裕で入る。
お酒や料理が美味しい――風鈴家の那亜の料理は絶品。
ついでに温泉とかあって――地下には万能の湯。
自分たちがちょっと騒いでも問題ない――ちょっとどころかガチで暴れても異世界邸なら日常である。
悩む必要など、街へ赴く必要など、最初からなかったのだ。
***
そして、二日後の夜。
「――ってなんじゃこりゃあああああああああああああッ!?」
風鈴家でどんちゃん騒ぎをする大勢の見知らぬ乙女たちを目撃した管理人の貴文は、補充した戦友を高速で飲み干して絶叫していた。
「あ、貴文様も忘年会混ざりますか?」
「てめえ駄ルキリー!? なんなんだこれは!? 許可取ってねえだろうが!?」
「取りましたよ一昨日に!? 貴文様だって真っ白に燃え尽きた感じで『うん……いんじゃね?』って言ってくださったじゃないですか!?」
「あれえぇ!?」
全く見に覚えがない。だがジークルーネの様子からして嘘はついていないだろう。そう言えば、記憶が一昨日の朝に栞那が出て行くと言った辺りから今朝『活力の風』に胃薬を補給してもらった辺りまで曖昧である。
「よう、ルーネの英雄! お世話になってるぜ!」
「……場所提供感謝」
「我が槍を隠さなくてもよい場所が標準世界にあるとはな」
「ここのニンジンフルコース美味しすぎて死にそうですかね!?」
「お酒もお料理も最高だし! さっき見てきたけど温泉も凄いっしょ!」
「ライテ好みのイケメンはいないけどー、ルーネってばいつもこんな贅沢してるなんてずるいー!」
「私もここに住んじゃおうかしらぁ?」
いつの間にかジークルーネの友人たちが貴文を取り囲んでいた。彼女たち以外の戦乙女も貴文を見て頬を染めキャッキャしている。
酒を飲めと勧められたり、料理を無理やり口に詰められたり、やたらと露出度の高いお姉さん系戦乙女たちが左右から豊満な胸を押しつけるようにして貴文の腕を取り合い、それを見たジークルーネが「私の貴文様です!」とか叫んで暴れ始めたり――なんだこれ?
自分は今、なにに巻き込まれたのだろうか。
こんなに騒いだら女将の那亜が黙っていないだろう。そう思って助けを求めて厨房に視線をやるが、「今日は宴会らしいので」とアイコンタクト。貴文に味方はいないらしい。
「貴文、ナニヲシテオルノじゃ?」
「――ッ!?」
声にハッとして振り向く。風鈴家の入口から妻の神久夜がハイライトの消えた瞳で覗き込んでいた。
「ち、ちがっ、神久夜、これは……うっ、胃が」
ちゅどぉおおおおおおおん!
「ナイスタイミングだ馬鹿野郎ども!?」
貴文は戦乙女たちを振り切って風鈴家から逃げるように飛び出した。
またトカゲとポンコツ辺りが喧嘩を始めたのだろう。まったく仕方ない奴らだ。今日は時間をかけてじっくりこってり説教してやろう。
そういかにしてあの場へ近づかないかを考えながら、貴文はいつもの問題児たちを制圧するべく竹串を取り出すのだった。