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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
異世界邸へ、ようこそ
8/171

一時の休息【part山】

 ――ぐきゅるる


 腹から聞こえてくる情けない音に、貴文は朝起きてから初めて時間を確認した。

 館のエントランスにそびえ立つ古く巨大な柱時計(去年辺りから鐘の音に混じって子供の笑い声がするようになったため多分付喪神化してると思われる)の針を見ると、時刻はとっくに午前十時半を回っていた。

 朝っぱらから暴れてくれやがったトカゲとポンコツを処断し、半壊した館の修理を依頼し、阿呆研究者による毒ガステロを医者母娘と対処し、仕事から戻ってきた執事の報告を聞き、新人の駄ルキリーの処遇を決定しと、なんだか一般サラリーマンならば一年分相当の仕事量をこなした気がするのだが、まだ十時半。

 とは言え、もう十時半。

 朝食を摂るには遅すぎるし、昼食には早すぎる。

 しかし朝っぱらから働き続けていい加減腹の虫が泣き喚いているのには耐えられない。

 かと言ってこの時間から食事の支度を始めるのは面倒というもの。

「まだ何か残ってるといいな……」

 悩むべくもなかった。

 貴文は迷いのない足取りで、一階エントランスから続くやや奥まった廊下に向かった。

 入口に立つと、他と同様にずらりとどこまでも続く廊下に沿って等間隔で扉が設置されている。その扉群の一番手前、自己主張の激しい連中ばかりが集うこの異世界邸においては珍しい、極々控えめな文字で『風鈴家』と書かれた表札が下がっている扉に向かった。

「どーもー」

 簡単に挨拶をして扉を開ける。

 すると扉の内側に吊るされた風鈴がチリンチリンと涼しげな音を立て、貴文の来訪を告げた。

 その部屋は、入り口だけを見れば普通の一室だったが、中に入ると他の部屋とはまるで違う造りになっていた。

 五部屋分の壁をぶち抜いた広々とした空間。一番奥の部屋があったスペースだけはカウンターで区切られていてここからだとよく見えないが、手前四部屋分の床はよく掃除されたタイル張りで、土足OKとなっている。そこに並べるだけ並べられた簡素なテーブルと椅子が、なんだか遺伝子に刻まれた記憶を呼び起こさせ、懐かしさを感じさせる。

「…………」

「あ、おはようございます。ミセス・ノッカー、今日も暑くなりそうですがお体は大丈夫ですか?」

「…………」

 そのテーブルの一番端の席に着いていた小柄な老婆。

 絵本に出てくる魔女のようなしわくちゃの顔に年齢不相応の鋭い眼光と屈強な腕を持ち、それに対してやけに短い脚と胴体という不釣り合いなフォルム――いわゆるドワーフの老婆は読んでいた新聞から一度顔を上げてこちらを一瞥し、何も口にせず、すぐに新聞の文字を目で追い始めた。

 気難しいことで有名な彼女だが、どうやら今日は機嫌が良いらしい。

 普段ならば一瞥もくれずにガン無視のはずだ。

「那亜さん、那亜さん? いますかー?」

「はーい?」

 それはともかく、今は目的のために仕切られている部屋の一番奥に向かう貴文。声をかけるとすぐに女性の声が返ってきた。

「あら、管理人さん。こんな時間にどうされました?」

 カウンターから出てきたのは割烹着の眼鏡の中年女性。

 艶やかな黒髪を後ろで一本にまとめ、三角巾を頭に巻いている。ややぽっちゃりとしているが、それ以外は美しく年齢を重ねたと言った感じで、笑顔が魅力的と住民たちの間でも評判だった。

「お腹が空きました。食べ物をください」

「あら、食べ損ねちゃいました?」

「そうなんですよ。もう今日も朝から忙しくて……」

「うふふ、いつもお疲れ様です」

 はああああああ荒んだ心が癒される。

 貴文は近くの椅子に腰かけ、ホッと息をついた。

「もう時間も時間なので朝の余り物しかないんですけどいいですか?」

「いいよいいよ、もうすぐにでも何か腹に入れたい」

「わかりました、少し待っててくださいね」

 そう言って仕切りの奥に消える那亜。

 貴文がしばしボーっと虚空を見つめていると、言葉通りすぐに戻ってきた。

「はやっ」

「本当にお腹が空いていたようですので。こんなものしか残ってなかったんですがよろしいですか?」

 そう言って那亜が貴文の目の前に置いたのは、お盆に乗った少し大きめの丼とお碗に入った白米と味噌汁。そしてタッパーにギュウギュウに詰められたキュウリの漬物だった。

 白米と味噌汁からは湯気は上がっていないところを見るに、冷めてしまっているらしい。

 だがこの二つの組み合わせに、貴文はほっこりと口元を綻ばせた。

「なんか、たまにはいいな」

「ごゆっくり。食器はカウンターに置いといてくださいな」

「はいはーい」

 カウンターの奥へと去っていく那亜を見送り、貴文は「いただきます!」と手を合わせる。

 まずは淀みない手つきでお椀の味噌汁を丼の白米の上にかける。どうやら今朝は豆腐とワカメというシンプルな具材だったらしく、それらの欠片も白米の上に舞い落ちてきた。

 そしてすかさず箸を手に取り、冷めて固まった白米をほぐすようにといていく。

 白米がサラサラと味噌汁の海を泳ぐようになったら完成。

 いよいよ至福の時である。

 大きめの丼を左手に持ち、右手に箸を構える。

「よっし……」

 丼の淵に口をつけ、傾けて一気に口の中に流し込む。

 ゾゾゾゾゾと下品に冷めた味噌汁と白米を掻き込み、ろくに噛まずに喉を素通りして胃の中に流れていくのを感じ、一心地着いたところで「ふう」と丼から口を離す。

 だがまだ終わりではない。

 間髪入れずに今度はタッパーに入ったキュウリの漬物に手を伸ばす。恐らくは他の連中も口にするものであろうから、直箸ではなく箸の後ろ側で三枚ほど摘まみ、味噌汁に浸された白米の上に一時避難させる。

 それを持ち直した箸で掴み、カリッと半分だけ齧る。

 少しだけ強めの塩で漬けられたキュウリの風味が口全体に広がる。そして最後に鼻を抜けるシソの香り。どうやら細く刻んで一緒に漬けているらしく、シソの強い香りもまたいいアクセントとなっている。

 そしてそこに再び味噌汁と白米を流し込み、続けざまに漬物で塩分の追い討ちをかける。

「くぅ……」

 このコンボが溜まらん。

 貴文はすきっ腹をひたすら味噌汁掛けご飯で満たす作業に没頭した。

 だだっ広い部屋には貴文が丼をすする音と、開けられた窓から入ってくる風によって微かになる扉の風鈴の音、そして部屋の端でノッカーがたまに新聞をめくる音だけがしている。

 先程までの喧騒が嘘のような穏やかな空間。

 異世界邸一階に存在する、五部屋分の広さを誇る食事処『風鈴家』――ずさんな体調管理と生活習慣が大手を振って歩いているような住人達を愁いた那亜が、貴文の先代管理人の時代に開いた、いわゆる食堂である。

 朝昼晩と基本的な食事を格安の価格設定で出す他、貴文のようにフラッと中途半端な時間に訪れても何かしら出してくれる温かみ。しかもどの料理にも心にゆとりをもたらしてくれる深い味わいがある。

 さらに那亜の穏やかな人柄もあってか、常にどこかしらで騒ぎが起きる異世界邸において、住人の間で不戦不争の協定が結ばれている唯一の空間でもある。

「ふう……ご馳走さま」

 最後に漬物を一切れ食べ終え、手を合わせて挨拶を口にする。

「那亜さん、ご馳走さまー。代金はいつも通り家賃から引いとくよー」

「はーい、またどうぞー」

 カウンターの奥で昼食の仕込みをする那亜に声をかけ、風鈴のかかった扉に向かう。その途中、ノッカーの近くを通った際に「ではお先に失礼します。また暇な時にでもドワーフ式チェスを教えてください」と声をかける。

 するとノッカーはいつも通り無言で、しかし皺だらけの顔全体を伸ばすような大きな欠伸をした。もちろん、その口元が少し上がっていたのを貴文は見逃さなかった。

 どうやら今日は相当機嫌が良いようだ。


「――だぁかぁらぁよぉっ――」

「――ふざけんなテメェ――」


 ドアノブに手をかけ、扉を開けようとした貴文の耳に、何やら叫び声が聞こえてきた。

 どうやらまた何か揉め事らしいとうんざりするが、不思議と、今朝方のような苛立ちは沸かなかった。

「っし、午後も頑張るか!」

 気合を入れ直し、思いっきり力を入れて扉を開ける。

 チリンリチンと風鈴が鳴るのを背中に感じながら、貴文は喧騒の方へと走り出した。


「オイィッ! 今度は誰が何やらかしてんだッ!!」

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― 新着の感想 ―
[一言] 異世界邸飯、開幕。 いや、こういうのでいいんだよこういうので。 みたいな感じなものが脳内再生されました。 良いですよね。白米。良いんですよ白米。 こういう朝食も悪くないですが、たまには温かい…
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