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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人、おかえりなさい
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勇者の進むその先【part山】

「本当にもうよろしいのですね?」

「はい、3人で話し合って決めたことですから」

「できれば皆様揃ってお見送りしたかったのですが……」

「管理人が戻っていてようやく平常運転始まったんでしょ? みんな忙しそうだし、気を遣っちゃう」

「……さようにございますか」

 異世界邸の裏庭。そこに集まった3人に、ウィリアムは最後の確認をする。

 彼の前に立つ3人は、大魔導アルメル、竜騎士カーラ、そしてめでたく肺疾患の見本市から驚異の復活を遂げ退院を果たした戦神スティードだ。彼らの生まれ故郷であるベーレンブルスは、白蟻の魔王フォルミーカにより滅ぼされたと思われた。しかしそのフォルミーカ本人からベーレンブルス未だ健在の事実を聞いてから、彼らはすぐに帰郷の準備を始めていた。

 と言っても、3人ともその身一つで異世界邸に流れ着いたようなものだ。こちらの世界で集めた物も多少はあったが、処分するほどの物もない。

 では何をしていたかというと、アルメルがとある筋から入手した、建築物修復の呪符の解析である。

 それが昨夜、無事完了した。

「いやはや、間に合って何よりだ。我が新しきご主人様も人使いが荒い。否、人形使いが荒い」

 ウィリアムの足元から渋いバリトンボイスが聞こえる。目線を下げると、そこにいたのはマジシャンの装いをした垂れ耳が愛らしい黒兎の人形だった。

「ありがとうございます、ラピさん。あなたのおかげで呪符の解析が捗りました」

「なんの。本来であれば我が新しきご主人様の仕事であったはずなのだ。あいにく彼女は新しい魔導書(おもちゃ)に夢中故に手が離せなく、門外漢である我が対応してしまい、逆に申し訳ない限りだよ」

「そんな門外漢だなんて……私こそ、勉強させてもらいました」

 アルメルが手を振る。ウサギのぬいぐるみに申し訳なさそうにするその姿は傍から見ると滑稽だが、このウサギ、異世界邸の地下に出現したノルデンショルド地下大迷宮第6階層支配者――「貪欲の黒兎」と呼ばれていた魔族である。先日の迷宮暴走事件の際にセシルの使い魔として契約することで迷宮の暴走の鎮静化に一役買ったが、その後も迷宮の魔王グリメルの子守と並行してセシルの研究の手伝いをしていた。

 ちなみに、ラピというネーミングはセシルによるものである。


「最初はこののちゃん案のラビットの『ラビ』にしようとしたんだけどね、元々暴走状態だったのを使い魔にして無理やり正気に戻したわけだから安全面でちょっと不安だったんだな♪ だからちょっと音を変えて、セシルちゃんのファミリーネームから取って――名を名で縛って『ラピ』にしたんだ☆ 名を縛るってことは存在を縛るってことと同義だから、セシルちゃんがこの世にいる限りもう大丈夫っしょ♡」


 とは、セシルの言である。

 最初不服そうな態度を浮かべた貪欲の黒兎――ラピだったが、幸いにして己を客観視できる性格だったらしい。最終的には納得し新しい名を受け入れていた。

「できればもう少しお話ししたかったんですが」

「君にはやるべきことがあるだろう。それに今生の別れというわけでもあるまい。一度つながった世界とは何度でも行き来できる……そうだろう、ウィリアム殿」

「その通りにございます」

 ペコリとウィリアムが恭しく低頭する。

「アルメル様の聖杖を鍵に、でベーレンブルスへの扉を開けさせていただきます。その後はわたくしに限りますが、行き来は自由自在にございます故、その際にこちらに帰ってくることは可能でございます」

「で、あれば寂寥の想いなど不要。またいずれ会おうぞ、同学の士よ」

「はい……!」

 目尻を淡く涙で湿らせながら、アルメルはにっこりと笑った。

 ……それを見ていたカーラとスティードは、「なんで元魔王軍幹部があんな紳士的なんだ……」「声も渋くて格好いいし、スティードとは大違いね」「そこで俺を引き合いに出す意味ある!?」と勇者として微妙な表情を浮かべていた。

「お待ち」

 と、3人の背後から年老いた鴉のようなしわがれ声が聞こえてきた。振り向くと、何やら小さな包みを抱えたドワーフの老婆ノッカーがノシノシとこちらにやってきていた。

「おお、ノッカー様。その様子ですとそちらも間に合ったようでございますな!」

「…………」

 ウィリアムが手を叩いて喜ぶのを尻目に、ノッカーは手にした包みを押し付けるようにカーラに渡した。受け取ったカーラは困惑の表情を浮かべながら視線でノッカーに説明を求めるも、彼女はいつもの憮然とした表情を浮かべてだんまりに入った。

「まあまあ、開けてみてください」

「はあ……」

 ウィリアムに促されるままカーラは包みを解く。アルメルとスティードも何事かと覗き込むも、その包みから出てきたのは、

「これ、鉢植えか?」

「芽は出てるけど……なにこれ、小さいし見たことない」

 小さな小さな素焼きの植木鉢。そこに薫る黒土が敷き詰められ、中央には小さくも生命力あふれる若芽が顔を出していた。

「そ、それって……」

 と、アルメルはその正体に気付いたのか、ぎゅっと守護者の加護を受けた杖を握りしめて手の震えを抑え込んだ。

「流石はアルメル様。お気付きになられましたか」

 ウィリアムが少年のような悪戯な笑みを浮かべる。

「お察しの通り、こちらは樹精(ドライアド)の新芽にございます。……それも、とある世界で世界樹とさえ呼ばれていた個体の枝を接木して芽吹かせたものにございます。ちなみに、わたくしめのコレクションの一つです」

「……それだけじゃ、ないですよね」

「おお、お目が高い。……大変失礼ながらアルメル様、わたくしアルメル様からとあるものを少々盗ませていただいておりまして」

 言うと、ウィリアムはアルメルの聖杖を指さす。


「その守護者の加護を受けた魔導具ですが、ほんの少しだけ削らせていただきました」


「……っ!」

 アルメルは息をのむ。

 憤りではない。視線はカーラが手にした植木鉢から外せない。

「そのおが屑をノッカー様がさらに丁寧に丁寧にほぐし、奥様の家庭菜園の土に混ぜて鉢に詰め、その芽を移植いたしました。――その土で育ったドライアドは、世界の守護者として十分な力を持つことにございましょう」

「「……!!」」

 事の重大さにようやく気付いたカーラとスティードが目を見開く。

 ベーレンブルスはかろうじて滅んでいなかった。勇者である剣聖リュファスも生存している可能性が高い――だが守護者はどうだ? フォルミーカはリュファスに関しては殺したにしては手ごてがなさ過ぎたために生きているかもしれないと言っていた。しかし守護者は殺したと明言していた。

 守護者亡き世界はどうなってしまうのか――アルメルは数週間前に会った男との会話を思い出した。


「世界の復興を望むなら、遅かれ早かれ新しい守護者を立てるんだ」

「新しい守護者、ですか?」

「守護者亡き世界は進展しない。見てくれは復興しても、そこから前に進めない。ただひたすらに緩やかに滅びに向かう。俺がかつて旅した世界がそうだった。……幸い、その世界は外からの漂流者の吹き溜まりみてーになってたから、外部からの刺激と指導で緩やかに進んでいたから滅びは免れていたが、嬢ちゃんの世界でもそう上手くいくとは限らねえ。……最悪、異世界を知る嬢ちゃん達自身が守護者と言わんまでも、世界の指導者になる必要があるかもしれん。その覚悟はしておけ」

「……ご助言ありがとうございます――羽黒さん」


 スティーブの見舞い初日、アルメルたちを異世界邸の麓まで送り届けた男との車内の会話だった。ちなみに、カーラはおかわりしたサンドイッチで満腹になって後部座席で爆睡していた。

 その時の会話を2人にもなんとなくではあるが伝えていたため、3人揃って緊張の糸が一本解れた。

「本当に、何から何まで……!」

「見ず知らずの俺たちに、なんだってそこまでしてくれるんだい?」

「おやおや、何をおっしゃいます。……そうですね、例えば」


 ちゅどおおおおおぉぉぉぉぉん!!


 いつものように、邸が爆発する音が正面玄関のほうから聞こえてきた。そして間髪置かずに響く竜神とアンドロイドの怒号、そして貴文が二人をしばき倒す気合の掛け声。

「……例えば、坊ちゃまがあの二人を元の世界に叩き帰さないのは何故だと思われます?」

「えっと……」

「何故って言われても……」

「そう言えば、何でなんだ? あれだけはた迷惑な連中、さっさと元居た世界に帰せばいい。あの管理人にならそれも可能だろう?」

「ええ。ですが坊ちゃまはそうはいたしません。……何故なら、異世界邸に暮らす者は皆等しく家族なのです」

「家族……」

 正面玄関のほうからひと際大きい貴文の声が聞こえてきた。そして戦闘音が鳴り止み、静かになる。

「ええ、家族です。異世界邸管理人は一家の大黒柱――親にございます。おいたをした我が子を叱る親はいても、家から追い出す親はいません。いるとしても、それは親ではありません」


 ガコン!!


 今度は屋根の一角がごそっと崩れ去った。貴文の怒号がここまで聞こえてきたが、どうやらフォルミーカが重要な柱を摘まみ食いしたらしかった。

「異世界邸の住人は家族。それが善人であろうが狂人であろうが、勇者であろうが魔王であろうが関係ございません。故に、坊ちゃんは邸の住人を追い出すことはありません」

「…………」

 カーラはきゅっと鉢を握る。

「ウィリアムさん」

「はい、何でございましょう」

 ウィリアムが低頭する。

「またすぐ、この世界に来ます。多分向こうは食べるのにも困ってるはずだから……こっちの世界の保存食と野菜の種を、定期的に買いに来ます。お代はすぐには払えないけど……」

「お待ちしております、カーラ様」

 にこりとウィリアムは笑った。


 ガコン


 大きな音がする。

 フォルミーカが壁を喰い破った音ではない。

 3人が振り返ると、そこに先ほどまではなかったはずの白くそこそこ巨大な物体――冷蔵庫が出現していた。

 扉は開け放たれ、中を照らす豆電球の奥に瓦礫の山が続く荒野が広がっている。

「最後になりますが、こちらをお持ちください」

 ウィリアムは懐から小さくも豪奢な装飾の施されたベルを取り出し、アルメルに手渡す。

「わたくしめにご用事があればそれを鳴らしてください。遅くとも1日以内にそちらに向かいます。また鳴らすにはには一定の魔力をためる必要があるため連続での使用はできませんのでご注意を」

「ありがとうございます」

「では――お三方の今後の健闘をお祈り申し上げます」

 ウィリアムが深く深く低頭する。すると冷蔵庫の中を照らしていた豆電球がフィラメントが焼き切れんばかりの強烈な光を放った。

 その光に包まれるように、3人は冷蔵庫の扉を潜った。



        * * *



「「「…………」」」

「…………」

「「「うわぁっ!?」」」

「な、なんだ!?」


 扉を潜ったその先に、半裸のガチムチゴリマッチョの大男がいて3人は悲鳴を上げた。


「な、何なんだお前たちは、どこから現れた!? まさか、魔王に属する者――ん?」

 が、驚かされたのは大男のほうも同じだったらしい。肩に担いでいた角材の束をぶちまけ、両拳を構えて臨戦態勢をとる。

「ま、待て落ち着け!? 俺たちゃ怪しいモンじゃ――え?」

 スティードが女子二人を庇うように大男との間に入る。しかし二人揃ってお互いの顔を確認した瞬間、茫然と腕を落とした。

「お前、スティード……? じゃあそっちは、アルメルとカーラか……?」

「リュファス……」

 その時、背後からどさっと何かが倒れる音がした。振り向くと、アルメルが涙を流しながら腰を抜かしたように地面に膝をついていた。それを支えるようにカーラが肩を貸しているが、彼女も動揺からか力が入っていないように見える。

「よかった……よかったよぅ……本当に、生きっ、てた……!」

 子供のように泣きじゃくるアルメルに、リュファスもまた呆然と勇者らしからぬ表情を浮かべている。

「お、おい……お前たち、今までどこに……それに、その恰好は?」

「ああ、そう言えば向こうの格好のまま戻ってきちまったのか」

「向こう?」

「話せば長い。……人の目もあるみたいだし、どっか落ち着ける場所はねーか?」

 スティードは周囲を見渡しながら提案する。一見瓦礫の山のように見えたそこは、よく見ると家屋と言えなくもない石を積み上げた簡素な造りの建物が立ち並んでいた。そして窓と思われる隙間から訝しげな視線をいくつか感じる。

 ……本当に滅んでいなかったのか。

 蟻天将アーマイゼに取り憑かれていた時に見知っていた情報だったが、実際に目にすると途端に安堵の気持ちがあふれてくる。スティードもまた大きく溜息を吐いた。

「それなら、俺の家に行こう。狭いしボロいが、立ち話よりはましだろう」

「助かる」

「が、その前にスティード――この角材を運ぶの手伝ってくれ」

 リュファスは地面にぶちまけられたままの角材を指さし、そう言った。



     * * *



 周囲の仮設住居と呼ぶにもおこがましい瓦礫を積み重ねたキャンプに比べると、リュファスが寝床にしているという小屋はかなり丈夫な造りになっていた。かつてベーレンブルスに立ち並んでいた立派な構造の建築物からすると廃屋も同然だが、建物と認識できるだけマシだろう。

 そんなリュファス邸で行われた情報交換は、日が落ちてからも続いた。

「そうか……魔王フォルミーカはいまだ健在か」

 指が白くなるほど力を籠め拳を握るリュファス。それを見てスティードは軽薄に笑う。

「行こうと思えばいつでもフォルミーカがいる世界に行けるぜ? 今度こそ滅ぼしに行くか?」

 ちらりと壁に立てかけてある大剣に視線を向ける。未だその輝きは失せず、守護者から与えられた清浄なる加護は衰えていないようだ。そんなところまでフォルミーカの予想通りとは複雑な気分だが、リュファスとこの聖剣が健在であれば打倒フォルミーカも完全に不可能というわけではない。

 だがリュファスは首を横に振った。

「否。既に世界の脅威でない以上、無益な争いは避けるべきだ」

「俺たちの世界は滅ぼされかけたぜ? 復讐するには十分な理由だが?」

「……復讐が何も生まないことは俺たちが一番知っているだろう、スティード」

 リュファスの目くばせにスティードは肩を竦ませる。アルメルとカーラはそれに首を傾げたが、かつて勇者として世界を旅していた時に復讐に取り憑かれて自分たちに刃を向けてきた少年兵の話を、この二人にするつもりはない。

「それに今は自分たちのことでさえ手一杯なんだ。異世界で首輪をつけられ大人しくしている魔王のことなど気にかける余裕はない」

「OK、どうやら本物のリュファスらしいな」

「なんだ、疑っていたのか」

「念のためにな。俺みたいな美男子は世界中探してもそういないが、リュファスクラスはわからんからな」

「どの口が」

 苦笑を浮かべるリュファスにスティードは肩を震わせて笑った。

 こうして再び軽口を叩きあえるとは正直思ってもみなかった。

「そう言えばリュファスはどうやって助かったの?」

 カーラの質問にリュファスは大きく頷く。

「フォルミーカの攻撃が当たる直前、俺は異空間に転移させられたんだ。どうやら守護者がいつの間にやら俺の鎧にも加護を与えていたらしくてな、致命的な一撃が迫った時に一度だけ発動する魔法が組まれていたようなんだ。どれくらい異空間を漂っていたかは俺にも分からないが、元に戻った時には白蟻は一匹も残っていなかった」

「……守護者は……『彼女』はどうなったの?」

 アルメルがきゅっと唇を噛む。

 童姿で無邪気にアルメルのローブにまとわりついてきた守護者の姿を思い出し、心が痛む。

「……恐らくは、もう……」

「そっか……」

「……異空間から解き放たれてから、守護者の気配を全く感じないんだ。辛うじて聖剣には加護が残されていたが、何というか、今までずっと聞こえていた歌が急に途切れたような感覚なんだ」

 4人の中でも幼少の頃より最も守護者に気に入られ、多大な加護をその身に宿して育ってきたリュファスが寂しそうに語る。

「しんみりしてるとこ悪いが、いつまでも偲んでばかりいられねーぞ。俺たちは泣き喚くためにこの世界に帰ってきたわけじゃない」

「そうね。……『彼女』の想いを繋ぐためにも、私たちは前を向かないと」

 カーラが頷き、リュファスもそれにおうと応える。

「まず目下の問題として、復興が遅々と進んでいない。そもそも王都はこの通り壊滅状態だし、地方の山村もここよりはマシというだけで大打撃を受けたことには変わりない。頭を務められる者が俺以外いなかったから地方からの流民を受け入れて復興の指揮を執っているが、見た通り仮設住居も間に合っていない」

「ああ、あのボロ屋……屋っていうのもどうなんだ、アレ? 大工の知識があるやつは生き残ってないのか?」

「いないこともないが数が少なく手が回っていない」

「その大工さん、ずっと現場に出てるの? 他の筋がいい人に教えて指導者を増やしていった方が効率が良くない?」

「それなんだが……」

 カーラの意見にリュファスは渋い顔をする。


「何故か知らんが、どうも皆覚えが悪いというか、全くと言っていいほど技術が向上しないんだ。元々農民は自分たちの身の回りのものは自分たちで拵えて生きていたから最低限の雨風のしのぎ方は身についているが、そこから先に進まんのだ。かれこれ半年以上そんな状況で、復興の『ふ』の字も見えてこない」


「「「……っ」」」

 3人は大きく息を呑んだ。それに訝し気な表情を浮かべ、リュファスは首を傾げる。

「な、なんだ?」

「リュファス、今、半年以上経ったって言ったか?」

「あ、ああ。魔王が攻めてきたのが春先だったろ? 今が秋口だからそろそろ半年だと思うが――」

「「アルメル!」」

 スティードとカーラの視線がアルメルに集まる。それに応えるように、アルメルは形の整った眉を歪めながら小さく頷く。

「たぶん、守護者がいなくなった弊害の一つだと思う。あの冷蔵庫をしょっちゅう使ってるウィリアムさんが時間座標の制御を失敗するとは思えないし」

「でも世界が進展しないっていうのは聞いてたけど、時間まで歪むってどういゆこと?」

「あくまで私の予想だけど――進展しないってことは、無為に時間が進むってことでもあるんだと思う」

 その言葉に二人は息をのむ。そしてもし三人の帰還がもっと遅れていたらと思うとぞっとする。復興が何も進まないまま、この野営地も同然の旧市街で生き残った数少ない人々は冬を越さなければならなかったのだ。

「本当に、間に合ってよかった……」

 アルメルは懐から紙の束を取り出してリュファスに見せる。

「それは」

「向こうの世界で……その、親切? な人にもらった魔術を参考に、私なりに改良した建造物修復の魔術具。解析もそうだったけど結構作るのに手間がかかったから100棟分くらいしか用意できなかったけど」

「100! その直せる建物の大きさに制限はあるのか!?」

「えっと、まだ不慣れだから王宮とか大聖堂クラスは直せないけど、ちょっと大きめの民家くらいなら……」

「さすがだアルメル!」

 リュファスは身を乗り出し、アルメルの手をその大きく厳つい手でやさしく握った。

「それだけあれば今王都に逃げ延びてきているほぼ全ての世帯を救うことができる! ありがとう、本当にありがとう! お前こそ、本当の意味での英雄だ!」

「え、あの、ちょっと……その……」

 熟れた果実のように顔を真っ赤にしながらしどろもどろになるアルメル。久しぶりに見るその光景に、スティードとカーラは苦笑を浮かべる。

「はいはい、それ以上はアルメルが爆発しちゃうからちょっとタンマ」

「爆発……? なんだカーラ、どういうことだ」

「後でじっくり説明してやるから、いいから気にすんなって。それよか、明日からの方針を再確認して今日はもう寝よーぜ」

 スティードがわざとらしく欠伸をしながら話を進める。いまいち納得できていないリュファスも、とりあえずアルメルの手を放して大人しく自分の席に戻った。

「とりあえず、家屋をどうにかするのが先決だろう。白蟻に食い荒らされて森がほとんど消えちまった以上、石材に頼らざるを得なかったからな。食糧問題もあるが」

「それに関しては伝手があるわ。私に任せて」

 カーラはいまだ顔を赤くしてふらふらしているアルメルからベルを預かり、リュファスに見せる。

「これがあれば向こうの世界から食料を届けてもらえる。……代金はツケだけど」

「なるほどな。後は――」

「後でかい問題は守護者の不在だが、そっちも何とかなりそうだ」

 スティードが部屋の隅に置かれた鉢植えに目をやる。日が暮れ、古びたランタンだけが頼りの暗い室内において、淡い光を発しているその若芽からは、やはりただならぬ力を感じる。

「で、だ。俺に考えがあるんだが」



     * * *



「――そうして我々はついに魔王フォルミーカを追い詰め、異世界へと追い返した!」

 かつては王都に訪れる者を真っ先に出迎える最も美しいと言われたルクシオ広場。今や見る影もない瓦礫の山と化したそこにこしらえられたお立ち台で、スティードは饒舌に『勇者と魔王の激闘』を語っていた。

「だがそれだけではこの世界は魔王の恐怖から解放されたとは言えない! 大魔導アルメルの力を借り魔王フォルミーカを追撃した我々は、奴が新たに目を付けた世界で打ち滅ぼした!」

 スティードが両腕を開いて声を張り上げると、それまで固唾を飲んで聞き入っていた民衆は一斉に歓喜の声を上げた。

「……すごいわね、スティード」

「流石は元義賊の頭領。人を導く喋りが上手い」

「でもこれもリュファスがこの世界で一生懸命復興に尽力してくれたからでしょ。でなきゃ私たち、魔王が去った世界にのこのこ帰ってきた愚者一行だったわよ、石投げられてもおかしくない」

「俺は自分ができることをしているだけだ」

 スティードの語りは続く。

「だが魔王を倒したところで失われたものは帰ってこない! 我々は家を、仲間を、家族を――神すら失った!」

 沸いた民衆が一瞬で静まり返る。各々、苦渋の表情を浮かべている。

「しかしそこで立ち止まり、下を向いていては何も生まれない! 緩やかに滅ぶだけだ! そうなれば地獄へ叩き落した魔王をただ喜ばせるだけになってしまう! 我々は前へと進まなければならない! そこで本日今日この時をもって! かの旗印のもと世界を蘇らせる!!」

 その時。

 ざわめく広場に少女の歌が聞こえてきた。


『――我は鍬 割れた大地をおこすものなり』


『――我は雨 枯れた大地を潤すものなり』


『――我は光 死せる大地に命を吹き込むものなり』


 歌の合間に言霊が混じる。

 それに応じるかのように、地面がかすかに揺れ始める。


『――汝は水 命を生み出す母なる海』


『――汝は土 命を包む雄大なる大地』


『――汝は風 命を運ぶ悠久の旅人』


『――汝は炎 命を照らす厳格な案内人』


「あ、あれ……!」

 民衆の一人が指をさす。それにつられてその場の全員がかつて王都の関所があった方向に視線を向ける。


 そこに、先ほどまではなかったはずの大木が聳えていた。

 しかも大木はいまだ目に見える速度で成長を続け、枝を伸ばし続けている。

 さらにそれだけでは飽き足らず、次々と枝に花を咲かせ、実をつけ、落ちた実が即座に芽吹きだす。


『――草木を跳ねる虫』


『――空を羽ばたく鳥』


『――木々掻き分ける獣』


『――森の命を その先に』


 一本の大木から始まった緑の浸食のごとき遷移は止まる気配を見せず、次第に樹海と呼ぶにふさわしい規模の森林へと姿を変えた。

 森は瓦礫の山と化した王都をぐるりと取り囲み、広がっていく。

 そして変化はそれだけではない。

 かすかな地鳴りは人々の足元にまで迫り、大きくなる。


『――風の怒りを鎮める石よ』


『――水の嘆きを受け止める樹よ』


「う、うわあ!?」

 悲鳴が至る所から聞こえてくる。だがそれはすぐに「すごい……」という感嘆に変わった。

 広場の跡地を中心に、瓦礫の山が徐々に崩れ去る。しかしそれは次第に一つの塊へとまとまっていき、石材になった。

 石材は再び姿を変え、まるで映像を早送りするかのように積み重なり――一軒の家屋が出来上がった。

「あ……あれ、ばーさんの家……」

 誰かがそう呟く。

 それを皮切りに、雨後の筍のごとき速度で街並みが生え揃っていく。それぞれはつくりも甘く、無駄も目に見えるが一冬を越すには十分すぎる。


『――太陽よ』


『――大地よ』


『――大樹の精よ』


 魔力のこもった歌がひときわ大きく響き渡る。


『――世界に木漏れ日を与え給え』



     * * *



 梢の隙間から光がこぼれ、水面を照らす。

 森の中の泉に素足をつけながらうたた寝をする少女に、リュファスは苦笑しながら声をかける。

「アルメル」

「ん……あ、リュファス……おはよう」

 ふわあと伸びながら欠伸を漏らすアルメル。覚醒しきっていない目をこすりながらゆっくりと顔を上げ、見下ろすリュファスと視線を合わせる。

「もう飯の時間だ。帰ろうか」

「え、もうそんな時間?」

「もうそんな時間だ。……今日は俺が作ったから味に保証はないが」

「えー、私リュファスのご飯好きだけどなー。……あれ、今日ってカーラの当番じゃなかった?」

「今朝がた補給の申請が来て向こうに行ったよ。スティードも荷物持ちで同行だ」

「そうなんだ。じゃあ今日は3人きりね」

「……そうだな」

 視線を泳がせ髪を掻くリュファス。ほんの少しだけ頬が赤いのに気付いたアルメルは小さく笑みをこぼし、膝の上で眠っていた幼子に声をかけた。

「ツユハ様、お食事の用意ができたそうですよ」

『……うにゅ? ごはん?』

 ゆっくりと体を起こす新緑色の髪を持つ少女。髪飾りのように髪の隙間から咲いている薄紅色の花を撫でながら、アルメルは微笑む。

「はい、ツユハ様が大好きな蜂蜜茶もお出ししますから、起きてくださいな」

『おきた!』

 ぴょんと跳ねるように立ち上がる少女。その愛らしいしぐさにアルメルだけでなくリュファスも笑みを浮かべた。

『はちみつ! はちみつ!』

「はいはい、先にご飯食べてからですよー」

『うん!』

 アルメルの手をぐいぐいと引っ張り立ち上がらせる少女。焦る気持ちを小さな手から感じながらサンダルに履き替えたアルメルは少女の仰せの通りに歩き出す。

『りゅふぁす! りゅふぁす!』

「ん、ああ」

 少女が満面の笑みを浮かべながら、アルメルの手を握っている方とは逆の手をリュファスに差し出す。

 リュファスはそれを大きな手でたどたどしく握り返した。


 豊穣世界ベーレンブルス――

 木漏れ日が差し込む世界樹の森を、3人はゆっくりと歩き出した。

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