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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人、おかえりなさい
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おかえり管理人、ありがとう代行【part夙】

 異世界邸の管理人――伊藤貴文の退院祝いのパーティが盛大に開かれた翌日。

 酔い潰れた問題児たちが目覚めるよりも早い時間に。

 分単位で爆発炎上する邸の中でも安全地帯として定評のある管理人室では今、三人の人物が秘密裏に……というわけでもなく普通に会合していた。

「管理人の伊藤貴文です。挨拶が遅れて申し訳ありません」

「代行を務めさせていただきました白峰零児です。こちらこそ、結局一度も挨拶にお伺いできなくて申し訳ありませんでした」

 高校生くらいに見える少年同士が堅苦しく交互に頭を下げる。互いに異世界邸での苦労が身に染みた者同士、通じ合うなにかを言葉にしなくとも共感できているようだった。愛と勇気と胃薬だけが友達さ!

「いや、病院は家族以外面会謝絶でしたし、ここでの日々を思うと抜ける暇などなかったでしょう?」

「そうですね。いつあの馬鹿どもが暴れ出すかわかったもんじゃありませんでした」

「俺も外出する時は数時間目覚めないくらい徹底的にボコボコにしてましたから」

「……その手があった」

「まったくあのトカゲとポンコツ、俺がいなくても同じことを」

「フランチェスカさんとかセシルさんとか……もうちょっと安全面を考えてほしいですね」

「あの脳筋駄ルキリーには困りませんでした? 戦え戦えうるさかったでしょう」

「ホントそれです! 水矢って子のラクガキにもほとほと困らされましたよ!」

「でも風鈴家は癒し」

「わかります! 那亜さんが療養で里に戻った時はどうなるかと」

「え? 那亜さんいないんです?」

「あ、一昨日戻られましたよ」

 ちなみに本来この会合は昨日のパーティ中に行う予定だったのだが……酒の入った問題児がいつも以上に問題を起こすため碌に会話もできず、それぞれで鎮圧行動を取っていたら日付が変わっていたわけである。

「あの、愚痴り合いはその辺にして早く引き継ぎを済ませるのです」

 このまま酒場に行って飲み交わしそうな勢いの二人に、この場にいる三人目の少女がげんなりした様子で進言した。

「ああ、そうですね。俺がいない間に増えた住人や変わった環境を把握したいので、まずそこを教えてください」

 昨日のパーティでも貴文の知らない顔がちらほらいた。混乱しないためにも、どんな問題児が追加されたのかなによりも先に知っておく必要がある。もしかすると一秒後にそいつらのせいでちゅどおおおおん!! ってなるかもしれないのだ。

「環境の変化、とは?」

「急に地下にダンジョンが出現したり、温泉が出現したり、馬鹿どもの暴走回数が増えたり減ったりとかですかね」

「ああ、なるほど。そういう意味でしたら、良くも悪くも環境に変化はありません」

「あるとすれば諸々の請求額が少々――」

「待った!」

 なにか聞きたくない単語が聞こえかけたので貴文は咄嗟に少女を手で制した。

「その話はやめましょう。今は、まだ」

「……? 了解なのです」

 胃の辺りを押さえて呻くように告げた貴文に少女は首を傾げたが、とりあえず言われた通りにするつもりのようで助かった。

 病み上がりにセーキューという呪言は厳しいのだ。

「増えた住人というのは、俺が代行中に住人手続きを行った人を言えばいいですか?」

「お願いします。あ、その前に――この堅苦しい敬語はやめないか?」

「だな。お互い喋りやすい言葉の方がやりやすい」

 ふう、と貴文と零児は息を吐いた。敬語は別に苦ではないが、代行が務まるほど貴文に近い存在と距離を取って話すのはなんだか妙な気分だったのだ。

「入居順に話してもいいが、まずはここにいるアリスさんから紹介する」

「え? 彼女は君と一緒に代行してくれてたんじゃないのか?」

「いや、代行は俺一人だ。話くらいは行ってたと思うが……」

 驚いた。当たり前のように管理人室にいたもんだから、てっきり零児と共に来た助っ人だと思っていた。だが確かに、代行が二人もいるなど聞いていない。急激にそこの少女が不審に思えてきた貴文である。

「アリスさんは先日正式に入居したんだ。事情は後で本人から訊いてくれ」

「……まさか、彼女も問題児じゃ?」

「失礼なのです! 私をあんなデタラメどもと一緒にしないでほしいのです!」

「じゃあ、なんでこの場にいるんだ?」

「アリスさんはここに住む条件として管理人補佐を務めてくれているからな。今のでわかったと思うが、いいツッコミを持っている常識人だ」

「なんて素晴らしい人材だ!?」

「素直に喜べないのです!?」

 がっしと感涙すら流して両手でアリスの手を取る貴文だった。

「他の入居者はどうする? 名簿を見ながらでもいいが、直接会って紹介した方がいいか?」

「そうだな。それで頼――」


 ちゅどおおおおおおおおおおおおんっ!?


「「ほら来たぁあああああああああああッ!?」」

 窓の外で邸の一部が吹っ飛んだのを目撃し、貴文と零児は同時に叫んで同時に管理人室を飛び出した。毎日の反復練習が実を結んだ瞬間だった。

「……朝っぱらから心臓に悪いのです」

 深い溜息をついたアリスも、二人を追って現場へと向かった。


        * * *


 目玉焼きにはソースか醤油かという塩胡椒派の貴文にはどちらも嘲笑物のくっだらない理由で争っていた竜人とアンドロイドを零児と協力して瞬殺し、いつもの懲罰房(きったないトイレ)に縛って放り込む。

「流石は本家管理人。見事な手際だった」

「そっちこそ。ずいぶんと管理人業務に慣れてくれたみたいで頼もしい限りだ」

 モザイクがかかるレベルでボコボコになった馬鹿どもを前にして、貴文と零児は熱く握手を交わすのだった。

「問題発生から解決まで一分三十秒。代行一人でやっていた時の半分以下なのです」

 二人の後ろでは、時間を測っていたらしい管理人補佐がタブレットに記録を保存していた。

「代行も今日までと言わず、私と一緒に補佐をしてくれた方が効率もよくなるのです」

「……勘弁してくれ。本業ずっと休んでこっちをやってたんだ。そろそろ戻らないと本気でヤバイ」

 貴文としても引き留められるなら引き留めたいところだが、零児には零児の事情があることも理解している。入院中だけでも代行を務めてくれたことは感謝してもし切れない。

「あら? もう終わってしまいましたの?」

 トイレを出ると、廊下の向こうから髪の毛から爪先まで真っ白い幼女がとたたたっと駆け寄ってきた。

「残念、白羽もお手伝いしたかったですわ」

 キョトリと可愛らしく小首を傾げる幼女がそう言うと、零児とアリスは複雑な表情をして目を逸らした。いい子そうに見えるが、貴文にとっては知らない顔である。

「この子は?」

「瀧宮白羽。街の術者の手伝いをするために週末だけこの邸に泊まっている子だ」

「術者の手伝い? こんな子供がか?」

「むむ? 白羽の実力が疑われていますわ……」

 怪訝に眉を顰める貴文を、白羽と呼ばれた幼女はぷっくりと頬を膨らませて睨め上げ――


「てめぇ確かこの邸の正式な管理人だろうが! そっちの代行より見る目ないんじゃねえか? 舐めてんのかあぁん?」


 あどけなく愛らしかった顔がチンピラ……いや、そんな低俗な連中とは比べ物にならない迫力を持って歪んだ。そう、まるでヤクザである。

「は?」

 どこからともなく白い日本刀を取り出した白い幼女は、あまりの豹変ぶりに呆けている貴文の懐へと一瞬で飛び込んできた。

「――なっ!?」

「白羽、とっっっても強いですわよ?」

 にこぱっとヤクザの顔が幼女の無垢な笑顔に戻る。ただしそんな笑顔のまま日本刀を振り抜くもんだから、貴文は回避が一歩遅れた。斬られた前髪がハラリと床に散る。

 ゾッとするのも束の間、白羽は笑いながら畳みかけるように刀を振り回す。一撃一撃が幼女とは思えぬほど速く、重い。しかしこんな子供に反撃していいのかわからず、貴文はなんとか紙一重で避け続けることしかできなかった。

「あははっ♪」

 幼女は刀を振るう度に加速していく。

「百裂剣五分の一」

 もはや速過ぎて連撃なのに一撃の領域に踏み込んでいる。勇者の力を得、自分でもよくわからん覚醒をした『白蟻の魔王』との戦い以前だったら避けることなどできなかっただろう。

「ちょ!? なんなんだこの子!? うわ危なっ!? どうなってんの!? マニュアルを!? 取扱マニュアルをプリーズ!?」

 貴文はいつの間にか安全な距離に避難していた零児とアリスに助けを求める。

「リトル駄ルキリーだと思ってくれれば」

「最悪だぁあああああああああああああああああああっ!?」

 結局貴文も竹串を取り出す羽目になり、白羽が満足するまでたっぷり三十分ほど防御に徹して逃げ回った。

「流石は正式の管理人さんですわ。白羽の攻撃が最初の不意打ち以外掠りもしませんでしたわ」

 満足そうに刀を虚空に消す白羽は、思っくそ暴れまくったおかげか瑞々しいほっぺをさらにつやっつやさせていた。

「ぜえ……ぜえ……こ、子供のくせに、相当強いじゃないか」

 肩で息をしながらちょっと強がる。子供のバイタリティ怖い。問題児は問題児でも、竜人やアンドロイドみたいになんの気兼ねもなくボコボコにしてトイレに放置できる存在がどれほど有り難いか身に染みた貴文である。

「相当もなにも、あの瀧宮組の現当主なのです」

「なんだと……?」

 ぼそりと嫌そうに呟かれたアリスの言葉に耳を疑う。瀧宮組といえば、あの黒光りマッチョこと畔井松千代が所属する会社(?)の元締めだったはずだ。話でしか聞いたことなかったが、まさかその頭首がこんな子供だとは驚きである。

 もとい、こんな問題児だとは驚きである。

 大丈夫か、その会社?

「お手伝いすることがないのでしたら、白羽は街でお仕事をしてきますわ」

「……お、おう。頑張って」

 なんとなくルンルン気分で出て行く白羽を、貴文は複雑な気分で見送った。すると零児が同情するように隣に並んで肩に手を置いた。

「お疲れ。胃薬飲むか?」

「飲む」


 ちゅどおおおおおおおおおおおおんっ!?


「「また来たぁああああああああああッ!?」」

 上の階から聞こえてきた爆音に、貴文と零児は同時に叫んで同時に階段を駆け上った。毎日の防災訓練が活かされた瞬間だった。

「……今日もいつも通り振り回されそうなのです」

 深い深い溜息をついたアリスも、二人を追ってとぼとぼと階段を上って行った。


        * * *


 青紫色の煙が蔓延する部屋から、ガスマスクを装着した貴文と零児が加害者のフランチェスカを引きずって救出し医務室へと放り込んだ。

「流石は本家管理人。迅速な対応だった」

「そっちこそ。常にガスマスクを携帯しているとは管理人の鑑だな」

 医者の中西栞那が愚痴を零しながら治療を施している様子を前にして、貴文と零児はガスマスクを装着したまま熱く握手を交わすのだった。

「問題発生から解決まで二分十三秒。これも代行一人でやっていた時の半分以下なのです」

 二人の後ろでは、管理人補佐が今回のタイムもタブレットに記録していた。

「やはり代行、私と一緒に補佐をしてほしいのです」

「……だから勘弁してくれって。向こうでもちょっと問題が起きてて、早く帰れって言われてんだよ」

 零児は高校生をしながら異界監査官という仕事もやっているらしい。確か誘薙の妹が最高責任者を務めている組織だと聞いているが、貴文は詳しいことをあまり知らない。知らない方がよさそうだ。

「まったく毎日毎日、片づけするこっちの身にもなれってんです!」

 医務室を出て現場の後始末に戻ると、まだ少し残っていた青紫色の煙をフリッフリのドレスを纏った女の子が巨大注射器で浄化していた。

「ハッ!? こ、ここここれは違っ!?」

 こっちに気づいた魔法少女っぽい格好をした女の子は――かぁああああっ。一瞬で耳まで真っ赤にして硬直した。

「アレはマジカルナース☆ユーキちゃんだ。最近、稀によく出没する」

「ああ、アレは知ってる。動画サイトにアップされてた」

「なに珍しい動物が現れたようなノリで自分を紹介してやがんですか!?」

「正体は謎だ」

「そうか。誰なんだろーなー」

「もういっそ馬鹿にしてくれた方が気が楽なんですが!?」

 ギャーギャー騒ぎ立てたかと思えば、マジカルナース☆ユーキちゃんは涙目で走り去ってしまった。他人の趣味は否定しない。貴文は心を広く持つことにした。

 どうやら後始末はマジカルナース☆ユーキちゃんがやってくれていたらしい。まるで中西悠希みたいな働きぶりである。大変助かった。

「マジカルナース☆ユーキちゃんのおかげで予定より時間が空いたし、朝飯でも食べないか?」

「いいね。風鈴家も今日からやってるはずだ」

「この朝の騒動を『予定』と言ってしまえるところがもうなんとも言えないのです」

 少し心が晴れやかになった貴文たちは、異世界邸の一階にある食事処『風鈴家』へと赴いた。

 そこには貴文の知らない先客が二人いた。

「うぃ~、ヒック、いやはや朝から飲むワインは最高だね~」

 奥の席で何本もワインボトルを開けているらしい長身の女性。美人だが、赤紫色の髪の毛はぼさぼさであり、酔っぱらった顔には色気など微塵もなく『酒に溺れている』という言葉がそのまま受肉したような感じである。

「今夜はハンバーグがいいのだ! でもピーマンとニンジンを混ぜたら許さないのだ!」

 厨房にいる那亜さんに向かって行儀悪く身を乗り出している褐色肌の男の子。五歳くらいの子供に見えるが、那亜にずいぶんと懐いている様子。療養していた里から連れて帰ってきたのだろうか?

「あの二人は?」

 零児に問う。すると零児は探す手間が省けたと言いたげな顔で、まずは奥の席でワインボトルをラッパ飲みしている女性を見た。

「あっちの飲んだくれは『呑欲の堕天使』カベルネ・ソーヴィニヨン。察しの通り先日入居した問題児だが、ワインを渡しておけばとりあえずは大人しい」

「扱いやすい問題児か。それは助かる」

「ただワインボトルを割ったりするとブチ切れて世界を滅ぼしかねないから気をつけろ」

「リスクがでかい!?」

 ここから感じる力だけでも魔王クラス。怒らせると貴文とて本気を出しても無傷じゃ済まない相手だということはよくわかる。

 ワインで懐柔できるのなら、あとで『活力の風』に頼んで最高級を用意させよう。

「そっちの子供は新規入居者じゃないが、『迷宮の魔王』グリメル・D・トランキュリティって言えばわかるんじゃないか?」

「はぁ!?」

 貴文の知っている『迷宮の魔王』は生まれて間もない乳飲み子だったはずだ。それがちょっと入院している間になにが起こればあそこまで成長するというのか。

「いろいろあったんだ。詳細は管理人室に報告書があるからそれを見てくれ」

「私も拝見したのですが、アレは報告書を読むだけでも戦慄物だったのです」

「できれば、思い出したくないな」

 零児は疲れたように表情を陰らせた。なるほど、つまり入院していなかったら貴文がこんな顔をしていたわけだ。彼には毎年お歳暮とお中元を欠かさないようにせねばなるまい。

 嫌な気分は美味いもので吹き飛ばそう。

「さて、腹も減ったし注文しようぜ」

「だな。那亜さん、今日の朝メニューは?」

「私はトーストとバターがあればいいのです」


 ちゅどおおおおおおおおおおおおんっ!?


「「メシくらい食わせろおらぁあああああああああああああッ!?」」

 邸を破壊して降臨した得体の知れない怪物に、貴文と零児は同時に叫んで同時に風鈴家の窓から飛び出した。毎日の戦闘修錬が遺憾なく発揮された瞬間だった。

「……あの人も優秀なようでいて迷惑かけることに一切躊躇がないのです」

 深い深い深い溜息をついたアリスは、二人を追うことはせず運ばれてきたトーストにバターを塗った。


        * * *


 謎の魔法陣によりどこぞの異界から召喚された怪物を撃退し、元の世界へと放り込んだ貴文と零児は、元凶の魔術師セシル・ラピッドに無駄と知りつつたっぷり三十分も説教をくれてやった。

「流石は本家管理人。いい説教だった」

「そっちこそ。あのセシルの悪びれない言い訳を上から押し潰すような問答無用さに感服だ」

 怪しい魔法陣の描かれた扉を背にして、貴文と零児はもはや自分たちがなにを褒めているのかわからなくなりながら熱く握手を交わすのだった。

「例によって問題解決までの時間は半減なのです。ただ説教は二人分になったので倍増なのです。いい気味なのでもっとやれなのです」

 管理人補佐は廊下で食後のコーヒーを啜りながら記録をタブレットに入力していた。

「代行、補佐が無理なら説教係はどうなのです?」

「どういう係だよ!?」

 説教係……なるほど、管理人業務を細かく分類してそれぞれ担当の係をつければ胃の負担もだいぶ楽になるかもしれない。とはいえ貴文や零児のような素質ある者がそうそういるわけもないので、この案はお蔵入りだろう。

「まあ、とりあえず風鈴家に戻って今度こそメシに……ん? はぁ!?」

 貴文は己の目を疑った。

 廊下の丁字路を、純白のドレスを纏ったホワイトブロンドの少女がなにやらこそこそした様子で横切ったのだ。

 あの強烈な姿を忘れるわけがない。

 だが、そんな馬鹿なことがあっていいわけがない。

 なぜなら奴は、貴文がこの手で彼方へと吹き飛ばしたはずからだ。


 ドクン。ドクン。ドクン。


 心臓の鼓動が早くなる。

 冷や汗がとめどなく流れる。

 落ち着け。きっと気のせいだ。ここで貴文が血相変えて今の少女を追いかけても、実はさっきの白羽って子の姉ちゃんかなにかで駄ルキリー三号の餌食になるオチだろう。

「あ、今のフォルミーカだな。丁度いい。新規入居者はあいつで最後だ」

「気のせいじゃねえのかよぉおおおおおおおッ!?」

 貴文は頭を抱えて膝をつき絶叫した。『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブラン。貴文が入院することになった原因の原因を生み出しやがった災厄が、なぜこの邸に住み着いているのか。問題児なんてレベルじゃない。白蟻ってことだけでも一般的に建造物の敵だ。

「どうなってんだぁあッ!? どうなってんだよぉおッ!?」

「お前こそどうした血涙で!? ちょ、縋りつくのやめて!? ああ、そう言えば一度敵対したんだっけか?」

 ちなみに、昨日のパーティではフォルミーカが貴文を避けて引っ込んでいたため姿を見ていなかったわけである。

「管理人! 代行! 『白蟻の魔王』がこちらに気づいて逃げ出したのです!」

「追いかけるぞ!?」

 貴文は血相を変えて全力疾走した。慌てて零児とアリスも追いかける。が、零児はともかくアリスは人外クラスのデタラメに追従できるはずもない。結局零児が米俵のように抱えてダッシュすることになっていた。

「待ちやがれ『白蟻の魔王』!?」

「なんで追いかけてくるんですのぉおッ!?」

 逃げるフォルミーカはなにかを抱えているようだ。角を曲がった時にちらりと見た感じ、恐らく大皿。角ばった茶色の物体を山盛りに積んでいた。

 木片だ。

「貴様その木片はどこから喰い千切りやがったぁあッ!?」

「喰い千切ってなどいませんわ!? 邸の食糧庫に保管されていたのを頂戴しただけですわ!?」

「修繕用の建材じゃねえか!? 物置は食糧庫じゃねえよ!?」

 経費削減のため、多少の破損は依頼をせず自分たちで直すことにしている。とはいえ、いつも被害は『多少』では済まないから余りまくっていたりするのだが、だからといって奴の餌にするくらいならキャンプファイヤーにでも使った方がマシだ。

 やがて廊下の隅にフォルミーカを追い詰めた。

「……まだあなたと顔を合わす覚悟はできていませんのに」

 壁を背にしたフォルミーカは悔しそうに奥歯を噛んだ。

「貴様が邸と住人になにをしたのか、忘れたとは言わせんぞ?」

「その件については謝罪しますわ。住人の皆さんにも頭を下げましたの。処罰も、受けることになっていますわ」

「謝って済む問題か! 処罰なら今この場で俺が下してやる!」

 両手に二本の竹串を出現させる。フォルミーカは臨戦態勢ではないが、彼女は歩く核兵器たる魔王だ。どんな状態だろうと油断はできない。


「姫に手出しするのならば、私も黙ってはいられません」


 と、天井から知らない声――いや、一度どこかで聞いたことのある気がする声が響いた。

「だ、ダメですわ!?」

 焦ったようにフォルミーカが叫ぶ。直後、天井の一部が開いて何者かが貴文の頭上に降ってきた。

 ギラリと光る、鎌状に曲がった昆虫の脚部。

 キィン! と。

 貴文の首を狙って振り払われたそれは、しかし間に割って入った日本刀によって防がれた。

 管理人代行――白峰零児だ。

「やっと姿を見せたな。あんただろ? フォルミーカがこそこそメシを運んでいた相手は?」

「本来は私が姫に行うべき給仕でございます。心苦しい限りでした」

 米俵のように担がれたアリスが「ひぇええええっ!?」と悲鳴を上げる中、もう一度剣戟音が鳴り響き、貴文を狙った何者かはフォルミーカを庇うように立ちはだかった。

 きっちりと着こなした執事服。ボーイッシュなショートカットに中性的な整った顔立ち。しかし女性であることは胸元の膨らみから明らかな――貴文が一度戦い、死にかけてまでしてようやく勝つことのできた相手。

「なっ!? お前は……確かにこの手で斃したはずだ!?」

 戦慄する。フォルミーカも大概だったが、覚醒する前の力で相対したこの執事女の方がどちらかと言えばトラウマ度は大きい。

「ヴァイス……あれほど隠れていなさいって言いましたのに」

「申し訳ありません、姫」

 諦めたように肩を落とすフォルミーカに、ヴァイスと呼ばれた執事女は丁寧に頭を下げた。

「彼女はわたくしが新しく生み出しましたの。以前の記憶は知識として持っていますが、あなたが戦ったヴァイスとは別人ですわ」

 生み出したと聞いて、後ろの零児が納得したように唸った。

「……なるほど、魔王の眷属って奴か」

「い、いつまで私を担いでいるのです代行!? これからデタラメを通り越した神話レベルの戦いが始まりそうなのです!? 巻き込まれたら私なんて間違いなく消し飛ぶのです!? というか既にちょっとチビりかけたのですぅ!?」

「うわっ、ちょ、暴れるな!? 落ち着けって!?」

 泣きながら叫び散らすアリスを不憫に思ったのか、零児は今にも衝突しかねない貴文たちから距離を取った。それでいい。この件で彼らを巻き込むつもりは貴文にもない。

「本人だろうが別人だろうが関係ない。また邸が喰い潰される前に、今度こそ貴様らに纏めて引導を渡してやる!」

「管理人も落ち着け!? 今のそいつに危険はない!? 魔王だからって理由なら俺だって魔王だぞ!?」

「肩書きの問題じゃないんだ、代行。魔王だからって理由で排除するんだったら、俺は那亜さんに邪魔されようとも『迷宮の魔王』を滅ぼしていた」

 異世界邸で発生する争い事を鎮圧する。管理人業務としては零児の対応が正しいものの、こればかりは貴文にも譲れないものがある。

 それはフォルミーカも充分以上に理解しているようだった。

「あなたの恨みは当然ですわね。住人たちも最終的にあなたの判断に任せるという意見でしたの。まだ成すべきことを成し遂げていないので抵抗はさせていただきますが、あなたに滅ぼされるのなら文句は言えませんわ」

「覚悟は決まっているみたいだな」

「姫、まずは私が」

「いいえ、ヴァイス。二人纏めて、が彼の希望ですわ」

 二対一。冗談きついが、やってやろう。


「「「その勝負ちょっと待った!!」」」


 一触即発の空気を破ったのは、騒ぎを聞きつけてやってきたらしい三人の男女だった。

「管理人さん、悪いけれど、因縁の問題なら私たちが先約です」

「魔王の保留は了承した。でもあの幹部はベツィーの仇。絶対に許さない」

「病み上がりにはきちぃーが、ここで会ったがなんとやらだ」

 異世界から傷つき漂流してきたところを預かった二人の少女――アルメルとカーラ。

 そしてフォルミーカの部下に寄生され、貴文よりも少し先に入院していたらしい青年――スティード。

 同郷の勇者たちが、貴文と『白蟻の魔王』の戦いに異を唱えたのだ。

「記憶を照合。確かに前の私があの少女の竜を殺しているようです」

「……そうですわね。いい加減、蹴りをつけますわ」

 貴文を押し除けるようにして進み出る勇者たち。覚悟の決まった顔でそれぞれの武器を握り、圧倒的な力の差をわかっていながら魔王と対峙する。

「待て! あんたらじゃ――」

「手出しは無用でお願いします、管理人さん」

「異世界邸の被害はお金だけ。私たちは大事な仲間と、世界を失った」

「アルメルとカーラが世話になったあんたにゃ感謝してるが、こっちにゃこっちの勇者としての矜持ってもんがある」

 スティードは退院が同時だったので病院前で少し会話したのだが、あの時軽薄な態度でナースをナンパしていた彼とは別人の顔つきをしていた。

 命を賭して敵に立ち向かう――勇者の顔だ。

 アルメルとカーラも同じ顔をしている。

「どうする? 止めるべきか、止めないべきか」

「せめて表でやれなのです!?」

 零児たちも混乱している様子だった。管理人の貴文からして戦うつもりだったのだ。代わりに戦う勇者たちを止められるはずもない。

 誰もが勇者と魔王の激突を諦めたその時――


「そこまでだ」


 なんの気配もなく、静かに間に割って入ってきた和装の中年が、両者に手を翳してストップをかけたのだ。

「大先生!?」

 驚愕する貴文。呉井在麻――彼は特異性こそあるが一般人だ。なのに全く近づかれていたことに気づかなかった。

 否。一般人だからこそ、強烈な気配が充満するこの場では空気のような存在だったのだろう。

「……」

 フォルミーカが神妙な顔をして在麻を睨んでいる。なにか文句を言いたそうで言えない、そんな感情が如実に表れていた。

「復讐劇ってのも面白いからオレは好きだけど、今はそんなシリアス求めてないんだわ。オレが描く異世界邸はやっぱカオスでコメディチックな感じが望ましい」

 なにをするつもりなのかと思えば、在麻はいきなりトンチンカンなことを口にした。『小説にできないからもっと楽しい感じの馬鹿騒ぎをやってくれ』と言っているのだ。

「しょ、小説の話はしていません!」

「ノンフィクションで書きたいならカットして」

「誰だこのオッサン……?」

 当然のように勇者たちは激昂する。スティードだけ知らないオッサンに混乱しているようだが……。

「在麻さん! 危ないですから下がってください!」

「あの人、確か魔法少女になった悠希さんより一般人なのですよね?」

 零児たちも注意しているが、在麻はそよ風のように流している。貴文が退院した以上、代行では発言権が弱い。

 だから、管理人の貴文が言う。

「今は大事で真面目な話をしてるんだ。大先生、あんたのおふざけに付き合うつもりはない」

 凄みを込めて告げると、在麻はやれやれと肩を竦めて大きく溜息をついた。

「はぁ、どいつもこいつも……あんまり作者(オレ)は直接干渉したくないんだがねぇ」

 それから気だるそうな流し目でフォルミーカを見る。

「しろあり姫よ。お前さん、この勇者たちに黙っていることがあるよね?」

「……ッ!?」

 フォルミーカが息を飲んだ。隠し事があると言わんばかりの反応だったが、彼女は在麻を睨み返して否定する。

「……ありませんわ」

「嘘はいかんよ嘘は。ほら、彼らにとって朗報なんだからちゃんと教えてあげなさい」

「うっ!?」

「姫!?」

 途端、どういうわけかフォルミーカが苦しそうに首を押さえた。元々白かった顔面がさらに蒼白になっていく。

 やがて諦めたように、彼女は勇者たちに向き直った。

「……あなた方の世界は、完全に滅んだわけでありませんわ」

「えっ?」

「どういうこと?」

「……」

 戸惑うアルメルとカーラだったが、スティードだけは静かに目を眇めた。なにか思い当たる節があるようだ。

 そんなスティードにフォルミーカは視線をやる。

「記憶はおぼろげでしょうが、アーマイゼが寄生していた彼なら知っていますわね? わたくしが滅ぼしたのは各国主要都市と軍隊だけ。それ以外のところに手を出す前に、わたくしはこちらの世界へ渡りましたの。復興力は充分に残っていますわ」

 素直に事実を告げるフォルミーカ。スティードもまだ黙っているつもりだったのか、頭の後ろを掻きながら言葉を引き継ぐ。

「そういうこった。〈ベーレンブルス〉では突然魔王がいなくなったことになってるんじゃねえか? たぶん、俺たち四英雄が相打ちで撃退したって思われてるだろうな。だが――」

「ええ、だからと言って被害がゼロになるわけではありません」

「リュファスとベツィーも殺された」

 勇者たちの殺意は揺るがない。

 完全な冤罪でない限り、許しなど得られるはずもない。

 だが、フォルミーカが秘匿していた事実はそれだけではなかった。


「あなたの飛竜には申し訳ありませんとしか言えませんが、そのリュファスという殿方なら生きているはずですわ」


 瞬間、勇者たち三人の纏う空気が変わった。

「えっ!? リュファスが!?」

「……嘘! お前が消し飛ばしたのをちゃんと見た!」

「それは俺も知らねえ情報だ」

 構えていた武器が僅かに下がる。世界については驚くだけだったのに対し、今回の情報は酷く心を動揺させているようだ。

「……なんだか蚊帳の外からさらに蚊帳の外に追いやられた気分なのです」

「アリスさんしーっ!」

 零児たちの気持ちは蚊帳の外に追い出された貴文にはよくわかる。これはどう足掻いても空気の読める人間には立ち入れない領域だ。蚊帳の外の外にいる二人はよっぽどだろう。

「姫、その情報は私の記憶にも存在しません。確かなのですか?」

 ヴァイスも臨戦態勢を解いてフォルミーカに確認した。フォルミーカはゆっくりと頷くと、思い出すように窓の外に目を向ける。

「あの時すぐには気づきませんでしたが、魔力砲の手応えがあまりにもなさすぎましたの。仮にも守護者の力を宿した勇者。肉体は消滅してもあの武器まで消えることはあり得ませんわ」

 フォルミーカは己の右手を持ち上げ、開いて閉じる。それを無意味に繰り返す。

「彼を助けたのは、恐らくわたくしが滅ぼしたはずの守護者。魔力砲に呑まれる直前、彼を異空間に引きずり込んだようですわね。彼はあの世界の切り札でしたもの。死なせるわけにはいかなかったのですわ」

 語り終えたフォルミーカには、嘘はなかったと思われる。そもそも最初から嘘をつくつもりだったのならば、在麻に指摘される前に言っているだろう。

 それを理解したのか、アルメルが瞳に大粒の涙を浮かべて崩れ落ちた。

「リュファスが……生きてる……?」

「アルメル!? しっかり!?」

 彼女を支えるカーラも、今にも泣きそうな表情をしていた。それでも愛竜を殺された事実は消えず、気丈にもフォルミーカを睨め上げている。

「あーあ、戦意失せちまったな。聖人だの英雄だの言われても、結局俺たちは人の子だ。やっぱ本心じゃ世界より仲間の生死の方が大事だったってことかよ」

 スティードも双剣をくるくる回して鞘に納めた。そしてこれ以上争わないことを告げるように諸手を挙げる。

 一段落。

 ようやく貴文も口を挟める。

「お前、黙って仇で在り続けようとしたのか?」

「仇であることには変わりませんわよ。話す必要性を感じなかっただけですわ」

 つん、とそっぽを向くフォルミーカ。ツンデレなのかどうかよくわからん態度である。

「『白蟻の魔王』はそこの管理人が一度滅ぼした。あんたたちはこれ以上勝てもしない仇を追い続けるより、早く元の世界に帰ってあげることが健全じゃあないかね? 世界が復興するにも『旗印』ってえのは必要だぁよ」

「……その通りだ」

 在麻がそう宥めすかすと、スティードは頷き、言葉を発せられないほど泣き崩れたアルメルに肩を貸して立ち去って行った。カーラだけはやはり最後までフォルミーカを睨んでいたが、一人で襲いかかるような無謀をしない程度の理性はあるようだった。

 三人が見えなくなった後、在麻は貴文に問う。

「んで、お前さんはどうするよ?」

「……」

 言われ、貴文はしばらく黙考し――

「あんた、成すべきことがあるって言ってたな?」

 問答無用で叩き潰すのをやめ、話をすることにした。

「ええ、言いましたわね」

「なにをする気だ?」

「わたくしを魔王に変えた魔女を、今も誰かを魔王に変えようとしている奴をこの手で滅ぼすことですわ」

「その魔女ってのは誰で、どこにいる?」

「それは言えない制約ですわ。そうですわね……この世界にいる……これは伝えられますわね。よかったですわ」

 ホッと胸を撫で下ろすフォルミーカ。制約とやらがなんなのか知らないが、彼女の意思でどうにかできるものではないことは理解した。

 だから貴文はそれ以上踏み込まない。

「わかった。あんたたちの入居を認める」

「ほ、本当ですの!?」

「よかったですね、姫」

 ぱぁあああっとフォルミーカはその美人顔を輝かせた。

「ただし、条件がある」

「条件ですの? いいですわよ。なんでも仰ってくださいな」

 まるで見た目相応の少女のように張り切るフォルミーカに、貴文はどことなくやり難さを感じながらも条件を提示する。

「あんたがこの邸や街に齎した被害はでかい。自分でやらかしたんだから、償いも尻拭いも全部自分でやれ。それを実行する時だけは外出も許可する」

「……え?」

 途端、フォルミーカはその赤い瞳を大きく見開いた。なにか焦ったように在麻に近づき小声で耳打ちする。

「(この邸、外出は許可が必要でしたの!?)」

「(あ、そういや外出防止の結界も張られてたっけ。オレはその辺自由だから忘れてたよ。てへぺろ☆)」

「(わたくしもカベルネさんもひょいひょい外に出てますわよ!? 結界なんてあったんですの!? そう言えば出る時ちょっとチクリとしましたわ!?)」

「(あの結界で防げるのはジークルーネちゃんレベルまでだからねぇ。魔王レベルなんて普通想定しないよ。そこはまあ、代行くんの責任ってことで)」

「(なすりつけましたわこの人!?)」

「ぶるっ」

「どうしたのです、代行?」

「いや、今なんか寒気と胃痛が……」

 蚊帳の外から見ていた零児が震えたかと思えば、なんか胃薬を放り込み始めた。恐らく思い出し胃痛だろう。貴文もよくある。

 そんなことよりフォルミーカの件だ。

「それで、この条件が飲めないなら今すぐ出て行ってもらうぞ?」

「あ、『滅ぼす』だったのが『追い出す』にまで優しくなっているのです」

「アリスさんしーっ!」

 蚊帳の外にツッコミを入れたいがとりあえず我慢しておく。

「飲みますわ。元よりそうするつもりでしたの」

「ならばよし!」

 即答で返事をしたフォルミーカに貴文は腕を組んで頷いた。ここから先は管理人と住人の関係だ。

 そのつもりで、貴文は手を差し出す。

「ようこそ、異世界アパート『異世界邸』へ。過去のことは水に流し、俺はあんたたちを歓迎しよう」

「ありがとうございますわ!」

 喜びを露わにしてフォルミーカは貴文の手を握り返し――

「……ちゃんと金入れろよ?」

「へ?」

 ぼそりと囁かれた一言に目を点にした。

「当然だろう! うちの被害は最終的に金だけなんだ! 関わってもいない麓の請求までなぜかうちも払わないといけないことになって桁がおかしかったんだぞ! アルバイトでもなんでもいい! うちに償うってんならとにかく金になることをやれ! 以上だ!」

「わ、わかりましたわ! 頑張りますわ!」

「姫が働くまでもありません。ここは私が」

「どっちもだ馬鹿野郎!?」

 ヴァイスが過保護すぎるのもどうかと思うが、とりあえずこれで一件落着と思っていいだろう。

「どうやら、無事に解決したみたいだな」

「蚊帳の外の外だったのに、非常に疲れたのです」

 本気で非常時になれば動くつもりだったらしい零児たちには、礼と言ってはなんだが風鈴家でなにかを奢ることにしよう。


        * * *


 そして夕刻。

 全ての管理人業務の引き継ぎが終わり――管理人代行・白峰零児が邸を退去する。

「今まで本当にありがとう。もしまた俺になにかあった時は頼む」

「そうならないように今度から体調管理はちゃんとしといてくれ」

「善処する」

 貴文と零児は互いに苦笑を交わし、握手も交わす。

「貴文に重ねて礼を言うのじゃ。病院にずっと通っていた私はあまり話もできず申し訳なかったのう」

「お父さんのお仕事大変だったでしょ?」

 神久夜とこののも深くお辞儀をした。いやいやと謙遜する零児だが、その顔には『思ってた以上にハードだった。精神的に』と書いてあった。

 そのくらい世話になったのだ。零児の見送りには住人のほぼ全員が出て来ていた。

「おう! もう戻ってくんなよ管理人代行! さっさと出て行けチクショー!」

「だがたまになら顔を出してもいいぞ! コノヤロー!」

「……どっちだよ」

 竜人とアンドロイドは暑苦しく漢泣き。

「結局一度も戦ってくれなかったのは残念です。あ、そうです今から戦りませんか?」

「戦らねえよ!?」

 未練がましいジークルーネは大鎌を構えてにじり寄る。

「素直に助かったと言っておく。なにかあった時は中西病院を訪ねるといい」

「代行に貰った大楯は大事に使わせてもらいます!」

「あ、あの楯なんだが……俺がいなくなったら消えるぞ?」

「ふぁ!?」

 中西母は感謝の意を告げただけで邸に戻り、中西娘は明日からの絶望に蒼白する。

「またいつでもご飯を食べに来てくださいね」

「ありがとうございます、那亜さん。風鈴家の味は忘れられません」

「次に会う時は死んでいてください、ゴミ虫様」

「てめえはシフト入ってない時はいつも会うだろうが!?」

 那亜の母なる笑顔に送り出され、レランジェの毒なる無表情に背中を刺される。

「わおーん! わおーん!」

「うるさいのだ、余の番犬よ」

 なんやかんや寂しさに泣くジョンは、背に乗せたグリメルにぺちぺち叩かれていた。

「オレの小説の新巻出たら連絡するから買ってね♪」

「そこはタダでくれよ!」

「にゃー、先生はそういうとこケチだし」

「代行していたのがあなたで助かりましたわ、『千の剣』。『黒き劫火』にもよろしくお伝えくださいませ」

「なんでわざわざ魔王名で呼ぶんだよ」

「姫が感謝しているので、私も感謝しておきます」

「まったく感謝してない顔!?」

「異界監査局の技術には興味あったんだけどなー」

「フランチェスカさんの技術も無視できないだろうし、今度見学できるか訊いてみるよ」

「あ、帰る前にセシルちゃんのお願い♪ 管理人代行の〈魔武具生成〉を解析させーて☆」

「嫌だよふざけんな!?」

「……」

「ミミさん後ろから羽交い絞めしようとしないで!?」

「零児様、これはとある異世界のお守りです。どうぞ餞別にお持ち帰りください」

「あ、ありがとうございます、ウィリアムさん。……手の平サイズの髑髏?」

「オイラからも愛用していたコンパスをあげるよ。古いけどまだまだ使えるはずさ」

「サンキュー、リック。使い道があるかわからんけど」

「……」

「ノッカーさんが無言で凄い精緻な木彫りの熊を押しつけてきた……え? 貰っていいの?」

「じゃあ、私はこのワインを~……あげ……あげ……ゴクゴク……あげる~」

「今全部飲み干したよね!?」

「わふ」

「太い骨とか貰っても困る!? なんの骨だよ!?」

「代行、モテモテなのです。では私からもこれを。ここに判を押してほしいのです」

「アリスさん、これ『管理人補佐申請書』とか書かれてるんですけど?」

 

 そうして住人たちに囲まれて思い思いの別れの挨拶を済ませ――

 白峰零児は異世界邸を去って行った。


 ありがとう、管理人代行。

 本当にありがとう。

 またいつの日か、会える日まで。



 ~完~



























挿絵(By みてみん)



「せめて聞こえない距離まで離れてからにしろよくそがぁあああああああああッ!?」

 台無しだった。


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