年末年越し大掃除&餅つき大会【part 山】
「大掃除をしようと思う」
「…………ッ!?」
その日の業務の休憩時間、突如そう切り出した異世界邸管理人・貴文に、管理人補佐・アリスは驚愕に目を見開いた。
「つ、ついに管理人が迷惑住人の一掃を決意したのですッ!?」
「そうじゃない!?」
貴文はアリスのぶっ飛んだ、しかしどこか納得いく異世界邸らしい解釈に絶叫する。
「掃除は掃除でも普通の意味での大掃除だ!?」
「…………」
どこかから箒と塵取りを取り出して見せつける貴文に、アリスは冷ややかな目を向けた。そしておもむろにポケットからケータイを取り出し耳に当てる。
「もしもし、中西病院なのです? 管理人がまたトチ狂ったみたいなので救急車を――」
「ほあああああぁぁぁぁぁっ!!」
光速でアリスのケータイを奪い取り耳に当て、「もしもし!? 今のは間違い電話だからな!?」と叫ぶ。しかし通話口から聞こえてくるのは「午前10時30分ちょうどをお知らせします――」という時報の案内音声だった。
「…………」
「それで、一体どういうつもりなのです?」
貴文からケータイを回収しながらアリスは表情を崩さず尋ねる。
「アリスはこの国に来て間もないから知らないのかもしれないが、日本には年の暮れには大掃除をする伝統がある」
「それは知っているのです。確か、その年の厄を翌年に持ち越さないために綺麗にするのですよね?」
「そうだ。そして今年の異世界邸はこれまでに類を見ない多くの災厄が持ち込まれたわけだが」
「大掃除したところで払えるような厄ってどれくらいあるのですかね……?」
「悲しくなるようなことをいうんじゃない。今の俺たちにはもはやそれくらいしかできることがないのだ」
「管理人、今日で何徹目なのです?」
「4徹目だがそれがどうした?」
「……もしもし、中西病院? 管理人がそろそろ限界なので受け入れの準備をお願いするのです」
「はっはっは、もうその手には乗らんぞ」
「……はい、はい。いつにも増して言動が不安定なのです。今倒れられると大変なので早めの処置を――え、年末で急性アル中と喧嘩沙汰のダース単位入荷で一般病棟がてんてこ舞い? そこを何とか」
「そぉいっ!?」
明らかに電話口と会話が成り立っているアリスからケータイを毟り取り、即刻電源ごと落とす。それをテーブルに叩き付けるように返却しながらアリスに詰め寄る。
「ともかく、大掃除だ! クリスマスを平穏に過ごせて余裕ができた今しかやるタイミングがないんだ!!」
「……まあ、管理人がそう仰るならお手伝いしますが……(ついでに不可侵地区にも入れたら棚ぼたなのです)」
「何か言ったか?」
「何か聞こえたのです?」
* * *
「さて、今日お前たちに集まってもらったのは他でもないのじゃ!」
「「…………」」
異世界邸中庭。
そこに引きずられるように集められた竜神とアンドロイドは、目の前に並べられた道具たちに嫌な予感をヒシヒシと感じていた。
そこに並べられたのは、どこからかガスホースで繋げられたコンロと大きな蒸し器。そして木製の臼と杵。トドメに大きいボウルに入った「もち米」とペンで書かれた袋。そこから導き出される答えは一つしかないが、二人を呼び出したのが神久夜というだけで、期待値はマイナスに全振りされる。
「今日はお前たち二人に餅つきをしてもらうのじゃ!」
やっぱりな、と二人は警戒の視線を餅つきセットに向ける。逃げ出すなら今のうちなのだろうが、どうせ管理人にチクられて連れ戻されるに決まっている。であれば端から諦めて――自分ではないもう一人に被害を押し付ける方が賢い判断だ。
「餅つきねえ……何でまた急にそんなことを」
「正月の餅であれば那亜殿がいつも準備しているではないか。俺たちで用意する理由がないだろう」
「私がやりたいからじゃ!」
「「…………」」
どうしようもなく純粋で、どうしようもなく回避困難な理由だった。
だがこれで単純に逃げるという手段は封じられたわけだ。
「いや、姐さん。それなら俺は必要なかろう。餅つきは二人一組でやるものだ。姐さんとこのトカゲ野郎とやればよい」
「いやいや、ポンコツ、テメーがやりゃいいだろう。俺の腕力じゃうっかり杵と臼を割っちまう。テメーのポンコツ具合が餅つきにはちょうどいい」
「トカゲ野郎、冬なのに冬眠もしないでさぞ辛かろう。せめて少しでも体を動かして体温を上げるがよい。餅つきなんてちょうどいいのではないか?」
「…………」
「…………」
「誰がトカゲじゃい!! 冬眠なんてせんわボケェ!!」
「貴様の腕じゃ杵を持ち上げるのでさえ精一杯だろう!! 臼を割れるもんならやってみやがれ!!」
「おうやってやらぁ!! テメーにゃできねえことを俺なら余裕だってこと見せてやんよ!!」
「それはこちらの台詞だ!! 兵装など不要、この身一つで貴様ごと叩き割ってくれるわ!!」
突如殴り合いの喧嘩を始めた二人に、神久夜は溜息交じりに呟く。
「何じゃ、お前たち二人でつくのか……まあ、ここは年長者として譲ってやるか。では私は先にもち米を蒸すかの」
言うと、神久夜はもち米の袋を逆さにしてボウルに全部空けた。
「ふっふっふ、今日のために丹精込めて育てた異世界のもち米――その名も銀シャリじゃ!」
「「……ん?」」
耳慣れない単語に、殴り合いの手を止めて竜神とアンドロイドは顔を見合わせた。
* * *
「実は大掃除と言ってもやることはあんまりないんだ」
「そうなのです?」
山のように抱えた箒やハタキ、濡れ雑巾の入ったバケツを全く苦にせず、貴文はコードレス掃除機一つで手一杯になっているアリスに声をかける。
「普段迷惑ばかり振り撒くトカゲとポンコツ、あと駄ルキリーだが、こいつらは所有物が少ない。トカゲは寝て起きて食えればそれでいい奴だし、駄ルキリーもそんな感じだ。ポンコツの部屋は色々とゴチャゴチャ物が置いてあるが、そっちはあいつの妹機が管理していて俺たちの出る幕はない」
「へえ、意外なのです」
「その分ただただ迷惑なだけなんだがな。あと、ゴチャゴチャしているが管理が行き届いているという点では、先生とノッカーさん、あとウィリアムもだな。特に先生の部屋なんて勝手に掃除したらこっちが殺される」
「先生はともかく、ノッカーさんとウィリアムさんもなのです?」
「ノッカーさんは昔鍛冶屋をやってたらしいんだよ。その時のノウハウを生かして今は細工師で生計を立ててる。ウィリアムと買い物に行ったことあるだろ? その時、よくノッカーさんからのリクエストを見るはずだ」
「ああ、そう言えば他の方々よりもリクエストの頻度が高いのです。あれって細工師としてのお仕事の材料なのです?」
「そういうこと。で、出来上がったアクセサリーや小物をまたウィリアムに売りに行ってもらって、得た収入の一部を家賃として落としてる。ウィリアムの部屋……つーか、倉にはその在庫とか、あいつ自身のコレクションとかが大量に保管されてる」
「……それだけ聞くと異世界邸に相応しくない真っ当な人に聞こえるのです……」
「周りが変なだけだ。……というわけで、最初の部屋がここだ」
「ここは……」
表札をみると、中西悠希と書かれていた。歩いている途中でフランチェスカの部屋の方に向かっていたから心の準備をしていたのだが、拍子抜けだ。
「おーい、悠希ー?」
貴文が軽くノックをする。するとドタドタと駆け寄る音がした後、ドアが小さく開いた。
「あ、管理人」
「よう。いきなりで悪いがこれ、掃除用具。部屋の大掃除よろしく」
「あ、了解です」
言うと、悠希は大人しく掃除用具一式を受け取って部屋の中に戻っていった。
「…………」
「言いたいことは分かる。だが、これが本来の集合住宅での大掃除だ」
「ですよね……」
「だが簡単なのはここだけだ。次から気合入れていくぞ!」
言うと、貴文は掃除セットの山を抱え直して隣――フランチェスカの部屋へと向かった。
「大掃除の時間だオラァ!!」
* * *
「「…………」」
「蒸しあがったのじゃ♪」
神久夜が差しだしてきた蒸し器の中を見ながら、竜人とアンドロイドは微妙な顔を浮かべる。
神久夜が持ち出してきたもち米を見ながら「なんか形が変じゃね?」「まるで卵のような形と艶……」「だがサイズは米なんだよなあ……」とか囁き合っているうちに蒸しあがった米は――
ピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨ
どう見ても、ヒヨコだった。
「「なんじゃこりゃ!?」」
「このいきのいい鳴き声と羽ばたきが新鮮な銀シャリの証なのじゃ!」
「「いやいやいやいや!?」」
普段いがみ合っている二人が仲良く揃って首を横に振る。
「それのどこがもち米だよ!?」
「蒸し器の中で湯気上げながらピヨピヨ鳴いてる米粒サイズのヒヨコにしか見えんぞ!?」
「お前たちは何を言っておるのじゃ……?」
心底理解できないという顔を浮かべ、声を荒げる二人を見つめ返す。
「これは銀シャリ、異世界のもち米じゃ。これ以外でお餅を作ってももっちりふわふわの食感にならんのじゃ」
「なるぞ!? 市販のもち米でも美味い餅は出来るぞ!?」
「ちょっと今からでも補佐のねーちゃんに頼んで下まで買ってきてもらおうぜ!?」
「アリスちゃんは今日は貴文と一緒に大掃除なのじゃ。邪魔してはいかん。そんなことより」
言うと神久夜は蒸し器から臼にもち米(?)を移し、竜神に杵を差し出した。
「……は?」
「餅つきしたいんじゃろ? 本当は私がやりたかったんじゃが、ここは年長者として譲ってやろう」
「え、いや……」
「餅つきのやり方は知っておるな? 最初はもち米を荒く潰して塊にするんじゃ」
「…………」
竜神はそっと視線を臼の中に向ける。
ピィヨピィヨピィヨ
「…………」
ピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨ
「………………」
ピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨ
「……………………」
ピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨ
「…………………………」
ピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨピィヨ
「……すまん兄弟、代わってくれ……!!」
「絶対嫌だ!」
「そこを何とか、頼む……!」
頭を下げながらも杵を押し付けるようにアンドロイドに差し出す。それを神久夜は若干イライラしたように声を上げた。
「何をしているのじゃ! 早うつかんと冷めて成長しなくなってしまうじゃろ!」
「あ、悪ぃ姐さ――今何て?」
聞き捨てならないことを言った気がする。
「これではらちが明かん。もういっそ恨みっこなしのじゃんけんでどうだ」
「まあ、いいだろう」
「よぉし……」
腰を低くし、拳を構える。
勝負は一瞬。
「「最初はグー! じゃんけんポン!!」」
竜人→パー
アンドロイド→チョキ
「ちくしょーーーーー!!」
「ざまあああああ!! 人に押し付けようとするからそうなんだよ!」
「いやだあああああ!? 米粒サイズのひよこを杵で押し潰すとかなんだその鬼畜の所業!?」
「普段邸を爆破しておるくせに何を言っておるんじゃ」
言うと、神久夜はむんずと竜神が抱える杵の頭を掴み――無理やり臼の中に突っ込んだ。
ビィィィィィィィィィィィ!?
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!?」
臼から上がる甲高い悲鳴のような鳴き声。そして杵を通して手元に伝わってくる、こう、何というか、プチプチとした生々しい感触。
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!? い“や”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!?」
「ほれほれもっと腰に力入れるんじゃ」
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!!」
「うわぁ……」
頭を押さえられ無理やり臼に叩き付けられる杵。神久夜が力を入れるたびに臼から悲鳴が上がり、竜神も絶望の声を上げる。その地獄絵図を遠巻きに眺めながら、アンドロイドはドン引きしていた。
* * *
「ふっふっふ、いいジャブだったぜ……」
「どこがなのです!? 一件目から既に満身創痍なのです!?」
フランチェスカの部屋から出てきた貴文とアリスは頭をアフロにしていた。
「ふわぁ~、ありがとね二人とも~。すっごい綺麗になった~」
「どこ行ってたのですこのマッドサイエンティスト!!」
「邪魔しちゃいけないと思って~、隣の寝室で寝てた~」
「シャアアアアアっ!?」
暢気に欠伸を交えながら現れたフランチェスカにアリスは牙を見せる犬猫のような形相で詰め寄る。
「何でちょっと瓶に触れただけで爆発するような謎の薬品が床に転がっているのです!? 馬鹿じゃないのです!?」
「最初は整理しようって思うんだけどね~、だんだん面倒くさくなってきてその辺に置いちゃうんだよね~」
「汚部屋生産の理屈で薬品を放置するななのです!?」
「…………」
噛みつくアリスを隣で眺めながら貴文はジーンと心に温かみを感じた。
これまでは貴文が一から十まで説教し、怒鳴り散らしていたのだが、今はアリスが代わりにやってくれている。トカゲやポンコツ、駄ルキリーの抗争を物理的に鎮めるのは変わらず貴文の仕事だったが、たったこれだけの業務分担だけでここまで胃の負担が減るとは思わなかった。
これまで自分は一人でこの邸を守らねばならぬと気張りすぎていたのではないか。
周囲に助けを求めることを無意識に拒んでいたのではないか。
人は、一人では生きていけないというのに――
「管理人! 何感慨深そうにしているのです! さっさと次行きますよ! もう年明けまで時間がないのです!」
「あ、ああ。すまん、行こうか」
暖簾に腕押しなフランチェスカが手を振りながら部屋に帰っていくのを見送り、二人は次の部屋を目指した。行先は――289号室だ。
* * *
「うむ! いい感じになって来たではないか!」
「…………」
「……おい、無事か?」
一塊になってきたもち米(?)に満足そうにツヤツヤする神久夜に対し、竜神は1ヵ月絶食でもしたのかというほどゲッソリしていた。思わずアンドロイドも心配そうに声をかけるほど。
臼の中は――あえて語るまい。SAN値が下がる。
「さて、準備はこれくらいでいいじゃろう。さあ、これからが餅つきの醍醐味じゃな!」
「ああ、そうだな……」
アンドロイドが臼の中を死んだ目で眺めていると、神久夜は水の入ったバケツを目の前に置いた。
「……なんだこれ」
「? 見ての通り水じゃが? いかにお前が機械化されてても熱いものは熱いじゃろ」
「いや、それもそうなんだが、え、何でこれを俺に――」
と、言いつつ気付いた。
このSAN値が下がる謎儀式、あくまで餅つきなのだ。
そしてもち米を荒く潰し終えた次の行程と言えば、こねの作業だ。
「……おっと、俺は用事を思い出した。TX-002にばかり部屋の掃除を任せるわけにはいかんからな!」
「逃 が す か」
肩を万力で締め上げられるが如き怪力で掴まれた。振り返ると、さっきまでゲッソリとやせ細って見えた竜神が比喩でも何でもなく全身の筋肉を隆起させ膨れ上がっている。
「待て、待ってくれ。ドラクレアの覇炎ドラクル・リンドヴルムよ」
「あぁ?」
「俺とお前の中じゃないか。一度くらい見逃してくれても――」
「見逃すわけねーだろうが!」
ずぼっ
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!?」
アンドロイドの右手を無理やり臼の中に突っ込む竜神。その右手に、その、なんというか、グチッとかヌチャっとか、そういう生々しい感触が。
「このトカゲ野郎!? 貴様ぁぁぁぁぁあああああっ!?」
「あーはっはっは!! 俺だけにやらせようとか狡いこと考えるからそうなるんだよ!!」
「ほれほれ、トカゲも早う餅をつけ」
「あ」
ずんっ ヌチッ
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!!」
「ポンコツも早うこねい!」
ヌチャァ……
「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!!」
「ほれほれほれ! もっと腰入れて! タイミング合わせて!!」
「「あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”!!」」
* * *
「し、死ぬかと思った……」
「管理人のバカあああああ!?」
289号室――魔術師セシルの部屋からほうほうの体で逃げ出した貴文とアリスはお互いをお互いで支え合いながら廊下を歩いていた。
「あの部屋の掃除は細心の注意が必要なのです! 管理人ならそれくらい知っていてくださいなのです!」
「いや、まさかあんなに怒られるとは……」
激怒するアリスに貴文は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
『掃除? ああ、確かに掃除の必要があるね――今すぐこの部屋から出ていけ、管理人♪ 今貴様が右足で踏んでいる紙切れだが、そこに書かれている魔方陣だけで200万円の価値がある☆ 左足の下には600万と1500万だ……出て行きたまえ♡』
全身の魔方陣を一度に起動させ、魔王すら凌駕しそうな邪悪な気配を漂わせた小柄な女性に、一度は勇者の力を授かった貴文でさえ一歩も動くことができなかった。金が関係したセシルには絶対に触れてはいけないと、アリスは再認識した。
「なんかもう、2部屋回っただけで今日はもう限界な気がする……」
「そもそも無謀な挑戦だったのです。端から分かっていたことなのです」
「いけると思ったんだがなあ……」
「あ、管理人」
一般居住区画まで戻ってきた辺りで声をかけられた。顔を上げると、掃除用具を抱えた悠希がこちらにやって来ていた。
「掃除終わりました。道具、ありがとうございます」
「ああ、どうも……」
「? どうかしました?」
「いや、他の連中の部屋も大掃除しようと」
「阿呆ですか」
「そこまで言う!?」
「管理人、入院してから思考が激甘になりやがったんですか? 困ります」
「追撃が厳しい!」
補佐だけでなく異世界邸数少ない常識人にまで辛辣な言葉を投げかけられ、貴文は心折られて膝から崩れ落ちる。それを気にする風もなく、悠希はアリスに声をかける。
「中庭で神久夜さんが餅つきをしているみてーなんです。アリスさん、一緒に見に行きませんか?」
「ありがとうなのです。ご一緒させていただきます」
崩れ落ちた貴文を放置し、アリスは悠希と共に中庭を目指す。裏口を潜ったあたりで既に周囲にはもち米を炊いた時のいい香りが漂っていた。その匂いにつられるように、臼の周囲には既に何人かの人影が出来ていた。
「…………」
「…………」
「…………」
しかし、発起人の神久夜を除く全員が、微妙な表情で臼を眺めている。
「……? 何があったのです?」
「いや……」
「何というか……」
杵を抱えた竜神と、その横で腰を低くしたアンドロイドも周囲と同様に何とも言えない表情で臼の中を覗き込んでいる。
「最初は……いや、最初から全てがおかしかったが、最初はこんなんじゃなかったんだ……」
「あれは嬢ちゃんたちは見てはいけない映像だったな……」
「いや、一体どういう意味――」
と、悠希も臼の中を覗き込んだ。するとその中には
「ほもー」
一羽の雄鶏がちょこんと収まっていた。
丸くデフォルメされたフォルムに凶器を孕んだ濁った眼光、そして妙な鳴き声。全てが絶妙に可愛くない。
「これじゃ! これこそが至高のもち米銀シャリで作ったお餅なのじゃ!」
唯一、神久夜だけが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねている。
「餅……餅? これが餅なのです?」
「そうじゃ! これこそ至高のお餅なのじゃ! 焼いてよし、煮てよし、お汁粉にしてよしのお餅の完成形なのじゃ!」
「ほもー///」
何故か臼の中の雄鶏も照れ臭そうだ。
「最初は米粒サイズのヒヨコだったんだ。それがついているうちにこう、一塊になって成長? して……」
「どういう意味なのです!?」
「残念ながら、言葉通りの意味なのだ……」
文字通り雄鶏のような餅と触れ合っていた竜神とアンドロイドも困惑の表情が崩れない。
「さて、これにもう一手間加えることで銀シャリのお餅は完成じゃ!」
「「まだ俺たちに何かしろっていうのか!?」」
竜神とアンドロイドが絶望の声を上げる。しかし神久夜は「ああ、お前たちにはできないことじゃ」と手を振る。
「最後の仕上げは女の子しかできん」
「女の子なのです?」
「……っ!」
その時、雄鶏を目にした時から硬直していた悠希がびくっと肩を震わせる。それを見た雄鶏が「ニマァ……」と濁った眼光を細めて笑った。
「ほもぉ……」
「ひっ!?」
一際ねちっこく気色悪く鳴いた雄鶏に、悠希は竜神から毟るように杵を奪い取る。
「せええええええええええばああああああああああいっ!!??」
ドゴォッ!!
とても一介の女子中学生とは思えない完成されたフォームと破壊力で杵を雄鶏に叩き付ける。
「あふん」
ギャグマンガよろしくもっちりと変形した雄鶏は、なぜか恍惚の鳴き声を上げて頬を赤らめる。そして鬼気迫るオーラを漂わせていた悠希が杵を持ち上げると、そこにはホカホカと湯気を上げる餅があった。
鶏でもヒヨコでもない、正真正銘の餅だ。
「おお! 流石悠希なのじゃ! 教えずとも銀シャリ餅を仕上げて完成させるとは!」
ホクホクとした表情を浮かべながら餅の肌艶を確認する神久夜。どうやら満足いく出来栄えだったらしく、「よし!」と頷く。
「さあこれを風鈴家に持って行って那亜に調理してもらうのじゃ! お汁粉にお雑煮、黄な粉に磯辺焼きもいいのう! 今から年越しが楽しみじゃな!」
「「「そんな餅食えるかあああああ!!」」」
悠希と、制作過程をじっくり観察させられた竜神とアンドロイドが揃って悲鳴を上げた。




