暗躍する者達【part 紫】
「ねーねー」
「……」
「ねーってば。聞こえないの?」
「……」
「あのさあ、僕を無視しようとかイイ度胸だよねー?」
「……」
「ねー、ノワール。仕事増やすよ?」
「……総帥」
「お、やっとこっち向いた」
今まで意味もなく声をかけてくる上司を綺麗さっぱり無視して、目の前に山積みになった書類に集中していたノワールは、ついに我慢出来なくなり、振り返った。ソファーの座面に膝立ちになり、背もたれに肘をついて握った手に顎を乗せた体勢でにこにこしている子供の姿を、じっとりとした目でみやる。
「暇なんですか?」
「うん。とーってもヒマ」
「そうですか。俺はとても忙しいので、他の幹部に構ってもらってください」
「えー。なんでそんなに忙しいの?」
「……貴方に指示された、大量の報告書のせいでね」
「報告書ぉ? あははっ」
ツボにはまったように笑い出した総帥は、手を叩いて笑いながら言った。
「始末書の間違いだろ?」
「……」
苦虫を何十匹と噛み潰したような顔をして、ノワールは机に向き直った。構わず、上機嫌に笑う総帥は続ける。
「それはさー、当たり前だよね? あのクソガキと、馬鹿みたいな自棄起こしてうちに迷惑かけたバカを好き勝手のさばらせたんだよ? 幹部の目と鼻の先であんな好き勝手やらかされたら、ねえ?」
「……」
「横着するからそうなるんだよ。さくっと事態収めて恩売りつけちゃえば良かったのに。お陰であの街貰い損ねたじゃないか」
「欲しかったんですか?」
少し意外に思ってノワールは手を動かしながら総帥に尋ねる。確かに少々変わった街だが、魔法士協会の在る世界に比べれば大気中の魔力量も少なく、稀少な魔物が出るわけでもない。少なくとも報告書を読んだ限りでは、総帥が執着する程のものがあるとは思えなかった。瀧宮羽黒の住む街の方が、余程変わっているだろう。
「んー、そうだねえ。手に入れるのもなかなか気分良いかなあって思うけど」
「はあ……?」
「なぁんか色々隠してそうな街だし。ね、そう思わないかい?」
「……」
無言を返せば、くすくすと笑い声がノワールの執務室に響いた。
確かに、今回ノワールは魔力線へ干渉してみて違和感を覚えていた。中央の山を封印する為に集まる力は、妙に揺らぎが強かった。瀧宮羽黒が修正したようだが、余計にしっくりこないような印象。
そう、まるで揺らいでいる状態が正しいかのように。
「ま、それはそうと。君さぁ、バカどものバカ騒ぎをこれ以上放置するのは拙いと思わないの?」
「……過去形ではないのですか」
非常に嫌な予感を覚え、ノワールはペンを走らせながらも顔を上げた。ソファの背にだらしなくもたれかかったまま、総帥はひょいと手を上げる。
半透明のスクリーンが何もない空間に浮かび上がった。始めノイズが走っていたそれは、やがてチャンネルが合うように1つの映像を浮かべる。上空から撮影されたようなその街並みは、不本意ながら見覚えがあった。
「……あの街ですか」
「うん。具体的には、騒ぎの次の日からだね」
事も無げに訂正され、ノワールは感心半分、呆れ半分の表情を浮かべた。
ノワールが魔石を用いて行ったように、離れた地点のサテライト中継を行う魔術は、魔法士達にとっては然程難しいものではない。動画通話のような真似も可能であり、普及した技術だ。
だが、他世界の時間軸に干渉し、過去の光景を映し出すなどという技術は別次元の代物だ。それを雑談の合間の手遊びに成し遂げてしまうのは、1世紀以上協会の頂点で居続けた人外が人外たる所以か。
映像では、やけに人相の悪い男達が忙しなく街を動き回り、建物や道路の修復を行っていた。幾人かは魔力線の修正を行っている。
「瀧宮の系列は相変わらず柄が悪いよね、品がないというかさ」
「まあ、ヤクザですからね」
「ヤクザってマフィアだっけ?」
「……枠組みとしては」
生粋の西洋人——次元は違うが、あちらとこちらの世界は非常に良く似通っている——である総帥に、ヤクザを完全に理解出来るとは思えないノワールは、曖昧に誤魔化した。
「だからこうなっちゃったのか。あはは、愉快だなあ」
総帥が笑うと同時、画面が切り替わる。派手派手しい家屋の中、羽黒の手元をクローズアップした映像に、さしものノワールも顔を引き攣らせた。
「……1兆とはまた……」
「ちなみに君の請求額は?」
「……何の事でしょう」
「またまたあ。貰ったんでしょ? 個人的な依頼の報酬」
アクセントを付けた物言いに、お見通しだと悟ったノワールは正直に答えた。
「……15億」
「へー。じゃああのクソガキ、20億もぼったくったのか」
「どう見ても引っ掻き回しただけでしたがね……」
というか迷惑を掛けられた記憶しかないノワールである。慰謝料でも請求したいくらいだ。
「さて、これをどうしたのかというとだ」
言葉と同時、また画面が切り替わる。『魔女』と羽黒のにこやかな握手に、危うくノワールは書類にインクのシミを作りかけた。
「なーにを考えてるんだろうね。うちの接触禁止生物と協定を結ぶなんてさ、喧嘩売る気かな?」
「……彼が協会にまで喧嘩を売っているとは知らないのでは? 卸店としての利益を手放す真似をするようなタマではないですし」
寧ろ利用するだけ利用してノワールに丸投げする程度にはイイ度胸をしている女傑である。そういえば警告もしていなかったと思い出した。
「ふうん。じゃあま、警告はしておきなよ? あんまり仲が良いようなら、こっちも考えないといけないし?」
「承知」
軽い口調で下された命令に、ノワールは言葉短に答えた。
「山は……うーん、結界が邪魔。何だかんだ言って干渉無効系統の魔術は強いよね、あの世界。時間軸を超えると山の中は視えないや」
「総帥の魔法で、ですか……」
この人外の魔法を弾く結界など、ノワールでも現状では不可能だ。幾ら時間に干渉している分だけ難易度が上がっているとは言え、やはり西山の結界は規格外であるらしい。
「ま、あれは半分以上世界が違うから良いんだけどさ。『魔女』が満足気だって事は、相当額押しつけたんだろうね」
「……それで、こうなったと」
救急車から病院へと運び込まれる高校生くらいの青年を見て、ノワールは溜息をつく。勇者の力を纏った彼は、一瞥で分かるほど精神を病んでいた。
「魔王との決着後に億単位押しつけられたらこうなるかもね。ノワールだったらどうする?」
「魔石を各世界に売り払います」
「……そういえば、君って人間鉱山だったね」
人外に呆れた顔をされる筋合いはないと思う。普通なら魔力が多い土地にある貴石が10年から100年かけて魔力を蓄えて成る魔石を、余剰魔力を練り固める事で人工的に作れるという、ちょっと変わった特性があるだけだというのに。
「さて。山の管理者がいなくなったせいか、その後もなかなか騒がしい」
揺らいだ結界から覗き視える、燃え上がったアパートを見ながら、総帥がくすくすと笑った。
「……ああ、しかもあのバカ、まーだうろちょろしてるんだ」
「は?」
思わず問い返したノワールは、羽黒が堂々と病院を闊歩している映像に目を疑った。どうやら、他世界の勇者が入院していたらしいが……何故、入院費用を払った上に仲間の勇者の面倒を見ているのか。
「相変わらずだね、あの御節介は。君もそのクチだし?」
「……ええ、まあ成り行き上、仕方なく」
他に答えようのないノワールは、答えをはぐらかした。ただ刀の扱い方を教えるだけでなく恩を売りつけてきたあの男は、コレが自分の生き様だと言い切っていた。
「ま、だから接触禁止なんだけどねえ。迂闊に関われば、返さざるを得ない大恩を与えられる。そこに打算はなく、息をするように御節介を焼くからこそ、関わった人達は抗えずにその人柄に惹かれていく」
くすくすと、総帥は笑って。
「そうやってあのバカは自分だけでなく、その味方を含めて脅威とした。——アホだよねえ、騙される奴ら。あーんな空っぽな男相手にさ」
「……」
無言を持って答えとする。ある意味ノワール以上に自暴自棄な様子は、今回も垣間見ていた。
「……無だからこそ、あらゆるものを吸収できる。総帥が言った通りですね」
「ホントに。あのクソ巫山戯た魔術を模倣するとか、もう頭おかしいよね」
「まあ、似たもの同士ですからね……真似はしやすいのでしょう」
正直、羽黒と疾は混ぜるな超危険だ。なんで自分が離れた直後に遭遇してしまっているのか、タイミングの悪さに物申したいノワールである。
「似たもの、かなあ? どうだろ」
くすくすと笑い、総帥はひょいと手を振った。また画面が切り替わる。再び上空からの街の光景を映し出した映像に——
巨大なデフォルメされたクマが、画面一杯に映った。しかもメガネ。
「……」
「……」
思わず手を止めたノワールと映像を消した総帥が、顔を見合わせる。
「……何今の」
「……妙なものが見えた気がしますが」
そのまま黙りこくった2人だったが、気を取り直したように総帥が映像を再度映し出した。
タヌキが投げた蒼い人影を、トナカイの角が打った。
「……おー、ホームラン」
「そんな事を言っている場合ですか」
驚きが1周回ったのかずれた感想を漏らした総帥に、ノワールが律儀にツッコミを入れる。
「というか……なにこれ? 何やってるの、あの街」
「さあ……」
素朴かつ至極真っ当な疑問に、当然ながらノワールは答えられない。総帥が混乱するような状況を、自分が理解出来るものか。
「……音声を入れれば、多少は情報が増えるのでは?」
「君、仕事良いの?」
完全に書類仕事の手が止まってしまっているノワールに総帥は苦笑を漏らしながらも、提案通りに魔法を操作すると。
『変態ですか!?』
『ほもー』
『変態ですかッ!?』
奇妙な鳴き声を上げた白い雄鶏が、ふりっふりの服を着た中学生くらいの少女を、カメラを手に物凄く嫌な笑顔で追いかけ回していた。しかも、よく見ると、シャッターを切る度に衣服が消えていく。
「……変態だね」
「……そうですね」
他に言い様がなかった。
「にしても……変だねえこれ」
「は?」
急に楽しそうな声を上げだした総帥に胡乱げな声を上げたノワールだったが、改めて奇怪な光景を映し出す映像に視線を戻し、気付いた。
「……冷静すぎますね」
異様な光景に注目を持って行かれたが、周囲にいる一般人に目を向ければその異常さは一目瞭然だった。何かの娯楽のように拍手喝采で、自分の身に危険が及ぶ可能性など微塵も考えていない。衝撃波で自分達が吹き飛ばされたというのに、だ。
「平和ボケしているとはいえ、実害があると分かれば冷静な判断が下せる人が1人や2人くらいはいそうなものですが」
「揃いも揃って娯楽扱いだ。しかも、平日の昼日中だろ? これ。アミューズメントパークでもないわけだ」
「通常なら違和感を感じたり、マスコミが騒ぎ立てたりする筈のものが……ただの見世物扱い。異常ですね」
尚、この会話の間、2人揃って努めて雄鶏を視界から外していたのは蛇足である。
「ふうん……術者どもは気付いたみたいだね」
総帥が操作すると、思い思いの魔法具——彼らが呼ぶところの術具を手にした術士達が、白い少女とワインレッドの女性と交戦している。それを見て、ノワールが軽く目を見開いた。
「……白蟻の魔王」
「え?」
「……一連の襲撃の、主犯です」
ノワールが手近にあった書類を総帥に向ける。一瞬で目を通した総帥が、軽く頷いた。
「確かに外見情報は一致するね。倒されたんじゃなかったの?」
「いえ。実際には吹き飛ばされたようで、直接死んだところを確認したものはいないそうですが」
「ふうん。流石にゴキブリと同種なだけはあるわけだ。にしては、誰も殺さないのが妙だけどね?」
楽しそうに笑いながらも、総帥の目は冷え冷えとしていた。
「しかもだ。この異常を探査出来ないと来た。……気に入らないな」
「……」
ぽつりと落とされた最後の一言は、ノワールをして首筋に刃を突き付けられたような冷たさを感じさせた。
「ノワール」
「はい」
「コレを見た以上、その報告だけで十分だなんて、まさか言わないよね?」
「……はい」
苦い顔で同意したノワールは、続く言葉を寸分違わず予測した。
「じゃ、ちょっとあの街に行って調べておいで。今度はちゃんと、後片付けもしてくるんだよ」
「……承知」
溜息を押し殺し、ノワールは拝命の礼を取った。
***
——『知識屋』
「……分かった、教えてくれてありがとう。とりあえず、瀧宮との直接的な関わりは持たない方が良いわけだ」
「まあ、そうなるな」
唐突な訪問にもかかわらず、ノワールが事情を説明すると『魔女』は丁寧にお礼を言った。そして直ぐに眉を下げる。
「でも、その……既に、あの男と契約せざるを得なかったんだけど。そっちの方がマズイんじゃないのかな」
「脅されたというのは報告済だ」
事情を聞いて、流石に気の毒になったノワールである。相手が悪いので、幹部会でも納得されるだろう。多分。
「あはは……ありがとうと言えば良い? それともごめんかな?」
「…………仕事だ。気にするな」
折角誤魔化したのにばれたのは直ぐに悟られたらしい。僅かに視線を外してはぐらかしたノワールは、『魔女』が苦笑する気配を感じた。
「ま、『知識屋』としては魔術の資格持ちに魔術書を売るのは当然だから、何言われても変わらないけど」
「おい」
「そういうスタンスは今更だろ。『吉祥寺』としては最低源の関わりに済ませるよ。……この街に系列の家がある限り、縁は切れないし」
「その辺は、まあ、お国柄だな」
清濁が複雑に絡み合うこの国のややこしさは故郷にも似通ったものがあるため、ノワールは軽く頷いた。その辺りの説明は以前に苦労して済ませてあるので問題無い。
「今回は忠告だ。……既に奴が総帥の不興を買っているのはともかくな」
「……巻き込まれないよう、切に祈るよ。あと、これはちょっと不確かな情報だけど」
「何だ? 珍しいな」
知識屋の『魔女』が不確かな情報というのはらしくない。意外に思って眉を少し上げたノワールに、戸惑い気味に『魔女』は言った。
「その不興を買ってくれた誰かさんからの情報なんだけど……瀧宮羽黒はもう、この街には入れないみたいだよ?」
「何だと?」
「ノワールも知らない情報って事は……何か企んでるのかな』
そこで苦々しい表情を浮かべた『魔女』に、ノワールは深く追求せずに引き下がった。正直、第一被害者は彼女と思われたため。
「……何か街に仕掛けた可能性は高い、とだけ言っておく」
「!? ……それは……ちょっと、対価が払えないくらいの情報じゃないか」
青醒めながらも感謝の表情を浮かべる『魔女』の言葉を、首を振ってノワールが否定する。
「そうでもない。……どうせ売りつけられたんだろう? 寄越せ」
「ああ……うん……扱いに困るとは思ったけども……無料で持って行かれるのかぁ……」
苦い顔で、『魔女』が足元から1冊の魔術書を取り出す。それをぱらぱらとページを繰って確認し、ノワールは札束を渡した。
「え」
「釣りだ。大方とんでもない値段だっただろうしな」
盛大に破壊して爆破したその知識を、対価はぼったくれるだけぼったくる男が金にしない訳がなかった。勿論、その分価値はかなり高いのだが。
だからこその取引に、『魔女』がほっと息をつく。どうやら、相当持って行かれたらしい。20億も依頼金ふっかけたくせに。
「本当に、正当な対価を真っ当に請求してくれるノワールがありがたいよ……2000億まだ残ってるし……」
「……8割も削ったのか」
8000億を搾り取ったとは、流石であろう。呆れた顔をしたノワールは、用は済んだと踵を返した。
——公衆電話
「それで、もう首を突っ込む気はないんだな」
『あーないない、てか行けねえし。てかよくこの番号調べたな』
「行けないのは何故だ?」
『結界。フツーに愚妹は通したのに俺は弾かれて、賢妹共々笑われたぜ。アレなんだ?』
「空間制御に自信があるなら自分で調べたらどうだ」
『俺が調べて分かんねえから聞いてんだ。ああ、それとついでの電話で悪いが、あの街の龍脈どうなった? 俺の予想が正しけりゃ今頃――』
「情報提供感謝する。2度と関わるな」
『おいおい、連絡してきたのはそっち——』
ガチャ。
——病院
HCUに真っ直ぐ向かったノワールは、青年が魘されてるのを見かけた。
「うう……幼女が、白い幼女が……」
「……ねえどう思う?」
「スティード……幼女にまで手を出してたの? 元々軽いとは思っていたけど……」
青年が寝かされているベッドに付き添う少女たちが白けた目で彼を見ていた。
「白いって、白蟻のことかも」
「私たちの知らない蟻天将がいたってこと?」
「白い幼女が……ううっ」
「こんなに魘されてるし」
「苦しそう。もし本当にそうなら、やっぱりあの魔王を許すことはできないわ」
「白い幼女が……ふみふみ」
「「ふみふみ!?」」
表情を暗くしていた少女たちが突然の謎言語に愕然して顔を見合わせた。
「……どう思う?」
「最低ね、スティード」
なんだか謂われもない悪評を見舞客に囁かれている青年は、確実に「勇者」のはずなのだが。明らかに被害者なのに加害者扱いされている様に、事情を知るノワールはそっと溜息をつき、壁越しにベッドの目の前で1度、カツンと靴を鳴らした。
「!?」
「アルメル?」
「い、ま……何か、凄い魔力を感じた……!」
「え……って、スティード!?」
歓喜と驚愕の声を背に、もう1人の「勇者」を探す。特別個室管理である貴文を苦もなく探し出したノワールは、
「ちょっとまって、耳! 尻尾! このの何考えて……可愛すぎる……!」
「あはは、確かに可愛いけども。落ち着きなよ、興奮すると体調崩すぞ?」
「んな事言って嬉々として録画してるの誰だよ!? 普通に目がやばいぞ!?」
「そっくりそのまま返すけど?」
何か無駄に悶えつつ盛り上がってて気持ちの悪い、高校生くらいの男性と壮年の白衣を纏った医師が動画に夢中になっているのを見た。
「……」
物凄く元気そうだったので見捨てたかったが、彼にはバカ騒ぎの第二弾がないよう頑張ってもらわねばならない。何となく握りしめていた拳を緩め、気配を断って背後に忍び寄っていたノワールは、軽く右手を翳した。
「……ん?」
「お? なんかすげー力がみなぎってきたというか……ああっ動画が!?」
……つい勢いで、雄鶏がドアップで映っていた画面を余波で割ってしまったらしい。音も無く、騒ぐ馬鹿どもを放置してその場を離脱した。
——街の中央ほど近く。
「……どうなっている」
数時間の調査後、ノワールは戸惑ったような呟きを漏らした。
あれだけ巨大な物体が暴れ回った以上、最低限の破壊はあって然るべき筈だが、その痕跡もない。魔術的に修復した形跡もない。そもそも、何も破壊されていないかのように。
「質量があったのは確かだが……そういう設計だとでも言うつもりか?」
ノワールは総帥に見せられた映像の中で、白蟻の魔王が操作してあのファンシーな物体を暴れさせていたのは確認済だ。となれば、あれは人工物であり、質量があり——なければ野球の真似事は出来ない——、なおかつ指定した者以外には一切の被害を与えない設定になっていた、という事になる。
そして、それは——
「質量のある幻、か。……あれはどこの世界だったか」
——明らかに『異世界』の技術だった。
ついでに言えば、涙目のフリフリ服少女が振り回していた魔道具の、魔法陣の同時展開などという悪趣味な見た目に似合わない物騒な技術も、この世界にはあり得ないものだ。
そこまで結論を出したノワールは、溜息をついて髪を掻きむしる。流石にここまでの知識の流出は見逃せない。こうなったら元凶達を確保して道具を回収、事情を聞き出した上で記憶を消すのが定石だ。
が、そうも言っていられないのが、もう1つの問題だ。
「……疾、今度は一体どういうつもりだ」
『魔女』にもたらされていた、瀧宮羽黒を阻む結界。
何故、瀧宮羽黒だけが街に出入りできなくなったのか。その仕組みは何か、そしてそれを何故疾が知っているのか。その全てが不明で、しかも——。
「……ここも駄目か」
幾つ目かの魔力溜まり……龍穴に干渉したノワールは、苦く溜息をついた。
関係者を、疾を捜索出来ない。それが何よりもノワールを困惑させていた。
あれだけ目立つ顔ぶれであり、居場所も西山とまで把握できている。それなのに、個々の居場所を特定しようとすると、ノイズのような妨害が走って位置情報が失われてしまう。それの繰り返しだった。
更に、襲撃時に行った、龍脈に魔力を流してどのような力の流れがどのような意図でどのような魔術、あるいは術を発動しようとしているかを探る事すら出来なくなっている。
だが、龍脈が羽黒が正す以前の淀みと歪みを取り戻しているのだけは、それがまたこの街に厄介事を招きかねないのは、はっきりと分かる。
——それはすなわち、瀧宮羽黒の努力が全て、水の泡と化したことを意味していた。整えた鬼門により、辛うじて街が均衡を保っているという意味では、貢献しているが。
おそらく、近々とんでもない規模の百鬼夜行が、この街を襲うだろう。それを、今の『家』が、耐えきれるのか——。
「……まあ、それは良いとして」
いざとなったら総帥を喜ばせる真似——問答無用で一掃——をすればいいだけなのだ、問題はそこではない。
——肝心の手段が、目的が、分からない。どんな魔術を使ったのか、読み取れない。
完全に調査が行き詰まっているという事実に、ノワールは強い違和感を覚えていた。
齢17の若さで幹部の椅子に座るノワールの実力は伊達ではない。その辺の魔術師に出し抜かれるような鍛え方はしていないし、魔術オタクと呼ばれてしまう程度には魔術の知識は豊富だ。にも関わらず、何者かの妨害に手も足も出ない。
ここまでノワールの裏を出し抜けるのは、総帥と、彼の師匠。そして——
「わざわざ姿を見せたという事は、説明する気があるのか?」
「はっ、んなわけねえだろ」
独り言のように投げ掛けた問いかけを嘲笑い、夜闇に紛れていた人影が浮かび上がる。ノワールは、驚きもせずに睨み付けた。
「疾。何をした」
「答える義理はねえが」
「そうじゃない」
魔術の種明かしをしろと言われてする馬鹿はいない。が。
「これほど広範囲に、複数の魔術を同時に行使できるような魔力はないだろう。それを補った協力者はどこにいる。そして」
隠していた魔力を解放し、ノワールは低い声で恫喝する。
「あの馬鹿馬鹿しい騒ぎに真っ先に首を突っ込みそうな、瀧宮羽黒が何故いない。たった数日前まで彷徨いていただろう」
「ははっ」
返答は、失笑。
「職務熱心なこった。どうでもいいんだろ? こんな街も、あの野郎も」
腕を組んだまま、傲然と顎を持ち上げて。
「それなのにストーカーよろしく行動を監視して、嗅ぎ回って……いつの間にそんな立派な総帥の駒に成り下がったんだ、ノワール?」
「……」
「ま、大方俺達に関わったせいとでも思ってるんだろうし、それでも別に構わねえが。そもそも、ノワールが気にしている問題は、これだろ?」
疾は、足元を指差した。不自然なほど元通りの揺らぎを取り戻した龍脈を——そこに混じる疾の魔力を示した。
「俺が、何故、何の為に、龍脈に干渉しているのか。今も、その痕跡を残しているのか。街の心臓を、鷲掴んでいるのか。そうだろ」
「……ああ」
そう。災厄が街の要に干渉している。その結果、ノワールが、総帥が——魔法士協会が、街を探れなくなっている。
それが示す意味が分からない程、ノワールは愚かではない。
「くくっ」
楽しげに、笑って。
「ま、そこで見てろよ」
「何……っ!?」
2歩3歩と下がった疾に言いようのない不安を感じたノワールが、詰め寄るより先。
——膨大な魔力が、街中から吹き上がった。
真っ直ぐに天を突く魔力が、空に巨大な魔法陣を描く。
「…………!?」
「はははっ! てめえのそんな顔が見られるなんてな!」
驚愕に言葉をなくし、目を見開くノワールに心底楽しげに笑って、疾は両手を広げた。
「さあ、とくとご覧あれ。って、な!」
魔法陣が輝く。強風が荒れ狂う中、ノワールは確かに見た。見てしまった。
——魔法陣に呼応するように輝いた龍脈が、大きく脈動するのを。
「疾……お前……!」
何故。
魔法士にもなれない、上級魔術も厳しい魔力量しかないはずの、疾が。
どうやってこんな、大規模な魔術を仕掛けているのだ。
「ああ、今から干渉したって無駄だぜ? 何せ」
——これはデモンストレーションだからな。
そんな、とんでもない脅迫を口にして。
「さあ、情報を持って帰れよ。ノワール。この街に手を出すというのがどういう事なのか、その結果何が待っているのか。もう分かるだろ?」
疾は——災厄の名を体現した青年は、笑う。
「この街に宿る全ての力を、俺は掌握した。バカ騒ぎが起ころうと誰1人違和感を感じられないなんて序の口だ。さてさて、次は何が起こるだろうな?」
「何が狙いだ」
「さあ?」
にいと、笑って。
「ま、とりあえずだ。てめーは魔法士幹部らしく、この調査結果を持ち帰り、何がベストかを——下手に街に手出し出来なくなっちまった理由を、報告するんだな。今のノワールに……魔法士に出来る干渉は、そこまでだぜ?」
街に手を出せば、疾が無尽蔵の魔力を持って対峙する。
対策もせず疾を殺せば、街は沈み、幾万もの人間が死ぬ。
そんな脅しを、心底楽しそうに、暗に示し。
ついとノワールを指差して、命じる。
「とっととケツまくって帰れ。また、遊ぶ機会はあるだろうよ」
傲然と。傲岸に。
「……災厄が」
「はっ。最高の褒め言葉だな」
極上の笑みを浮かべて、疾はその『呼び名』を受け入れた。
***
無表情ながらどこか悔しげな気配を漂わせて街を去ったノワールの、魔力の余韻すら消え失せたのを確認した疾は、その場でどさりと腰を落とした。
「あー……」
脱力しきった声が、誰も居ない路地に響く。小刻みに震える両の手を目の前に掲げ、疾は乾いた笑みを浮かべた。
「……ギリッギリ、だな」
一世一代……というにはしょっちゅうやっているが、その中でも最大級に神経を使うハッタリだった。正直、上手くいくかは五分五分だった。
「ったく、これだから歩く原子炉は。自分が出来るからって、丸々信じやがる」
苦く笑い、疾はそのまま仰向けに倒れた。魔法陣の余韻ひとつない夜空を眺め、吐き出す。
「出来る訳、ねえだろうが。街中の力を引き出して操るなんて、な」
龍脈に干渉して適宜調整出来るよう魔力の一部を流し込み、一般人の認識を歪める。龍脈中の魔力を介して『魔法士』の干渉を無効化し、龍脈の力を吹き上げて空に魔法陣を描き、それらしく龍脈を活発化させる。ありったけの魔石を使って、出来たのはたったそれだけ。
魔石——誘薙が用意しただけあって質は極上——と比べて、1つ分にも達しないのではと思えるほど魔力量の少ない疾には、例え源泉が無尽蔵にあろうと、それを操るだけでもとんでもない重労働だ。
なにせ、街中にくまなく配置した100を超える魔石から魔力を取りだし、それぞれの場所から魔石の魔力で龍脈に干渉、土地の特徴も捉えて全体のバランスを保ちつつ龍脈を操るのだ。演算力と魔力操作の限界に喧嘩を売る離れ業だった。
ましてやさらに大規模魔術を発動させるなど、——今の疾にはとても出来ない。
どんなに足掻いても、ノワールのように、被害なく街を守り抜くなんて事は、出来ない。
だから。
「……これで満足か? 土地神よ」
小さく呟いて、疾は口元を歪める。
「龍脈を不安定にし、来る百鬼夜行はかつてない規模。鬼門のちっぽけなカミが最後にして唯一の砦。——安定からはほど遠い」
だから、と疾は瞑目して囁いた。
「……だから、魔法士どもの干渉阻止くらい、見逃せよ」
魔力不足で怠い体から力を抜いて、疾は息を吐き出す。
『魔女』は良い。仕事に関わるからと、電話指示1つで動きを封じられた。だが、あれほどの騒ぎを起こしては、幾ら腰の重いノワールでも見逃すわけもなく、またその干渉を止める方法もなかった。
ただでさえ今後、この街は荒れる。それを理由に魔王襲撃では運良く回避された、魔法士協会の干渉が始まる危険は高い。それを防ぎ、街を『家』が守っている状態を維持する為に。魔力枯渇で死ぬリスクを冒してまで、疾は示威行為をして見せた。
言葉にはせず、行動だけで、嘘を容易く見破る魔法士幹部を欺き、魔法士全ての干渉を阻む。
龍脈への干渉内容を探れない、たったそれだけの、認識阻害魔術から毛が生えたようなちゃちなトリックと、ノワールのなけなしの良心だけを手札に、魔法士達に「この街には手出し出来ない」という判断をすり込んだ。
それを安定の為と取られるか、土地神の為と取られるか。それは、この土地に来て日の浅い疾には判断がつかなかった。
「……ま、そんときゃそん時だ」
災厄らしく、自分の為に滅びを受け入れよう。
微かに笑みを浮かべて呟いたその時、突き抜けて脳天気な声が響いた。
「……疾、何でこんな所で昼寝してんだ? 姉ちゃんじゃあるまいし」
「いや、瑠依、今は夜だからな? 昼寝はおかしいだろ」
目を開けて、上体を起こす。ぽかんと口を開けているあちこちに包帯を巻いた瑠依と、苦笑してずれた事を言う竜胆が疾を見ていた。そういえば新月か、と思い出す。
「いや、姉ちゃんってどうしても眠いとその辺で寝るからさ。疾もそのクチかなって」
「阿呆。お前達と同じ言動を取るようなお粗末な頭をしてねえよ、俺は」
「酷い言われよう!?」
「ほお。じゃあそのなっさけねえ姿で真後ろに妖がいる事にも気付かねえのには理由があるんだな、言ってみろ」
「いやそれは……って、はいっ!?」
「なっ……!?」
なんともタイミング良く隠形全開でにじり寄っていた妖を示唆する言葉に、瑠依と竜胆が愕然と振り返るが、遅い。
——タンタンッ。
抜きざまに引き金を引き、妖の急所を捕らえた抗魔の弾が命を狩る。
「じゃ、助けてやった対価な。今日はわんさか鬼が出るぞ、死にものぐるいで働きやがれ」
全く素晴らしいタイミングで妖が現れたものだ。魔力枯渇寸前の疾としては実に恩の売り甲斐がある。
「はい!? 術者の手伝いに加えて鬼狩り!? 無理に決まってんだろ帰りたい!?」
「知るか、どっちもてめえが蒔いた種だろ。死ぬ気で刈り取れ」
「死ぬ気でって死ぬし!? 無理無理無理無理こないだの2人組から逃げ切るのだって何度死ぬかと思ったんだぞ竜胆が!」
「俺かよ……うん、俺だな。主に瑠依の引き当てる絶望的な危機的状況のせいで」
「竜胆さん!?」
騒々しいやり取りをするお人好し2人を鼻で笑い、疾は足に力を入れて立ち上がった。
「じゃ、せいぜい頑張れよ」
「ちょま、本気で帰るとか鬼か!? 待ってマジで帰りたい!」
「還れば良いだろ、土に」
「死ねと!?」
ぎゃーぎゃー騒ぐ瑠依を放置して——どうせ竜胆が適当に宥める——、疾は背を向けて歩き出した。
(……にしても)
先日のバカ騒ぎを思い出し、疾は小さく肩を揺らす。
心底馬鹿馬鹿しくて、愉快な茶番だった。あの筋書きを書いた輩は相当に性根がねじ曲がっている上、素晴らしく悪ノリというものを心得ていた。
「流されてた奴もいたけどな……それも含めてアホらしくて楽しめたぜ?」
何故かノリノリで参戦した2人はともかく、最後の最後まで渋った挙げ句に涙目で自棄を起こしていた少女の様子も見ていて面白かった。なんというか、気付けよ。という意味で。
「どう聞いたって演出を意識した「設定」だろうが、都合が良すぎる。一般人のくせに信じるってどうなんだ」
中途半端にこちら側に関わってしまったせいで、あれほど都合良く出来た物語をまるっと信じ込んでしまったとは不幸に尽きる。ただの一般人なら頭から信じないし、少しでも知識があればあちこちに見受けられた矛盾に気付けただろうに、「そういうのもありなのだろう」と判断してしまうとは。
それを見越した上で、より「創作」として利用しやすいよう作られたシナリオなのだろう。が、それにしたって、周囲にああいう悪ふざけが大好きな連中がいたら、もう少し疑り深くなれよと疾は思う。
「ま、面白かったけどな」
それも含めて、少女の反応はいちいち面白かった。舞台を整えた甲斐があったというものだ。
肩を揺らした疾は、ふらついた体を立て直し、ひとまず休養を取ろうと重い足を出来るだけ早く動かした。




