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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人不在の異世界邸
70/175

爆誕!マジカルナース☆ユーキちゃん【Part夙】

「時は満ちた」

 床に立てられた心もとない蝋燭の明かりだけが頼りな暗闇の中、野太い男の声が絡みつくように浸透した。

 部屋には他に五人。曖昧なシルエットで老若男女の区別は判然としないが、まるでなにかの儀式をしているかのように蝋燭を取り囲んで座っている。

「舞台を整えるための準備に少々手間取ってしまったが、その分、良質なモノを用意することができた」

 ごとり、と。

 白い布で包まれた棒状と思われるなにかが蝋燭の手前に置かれる。布越しに感じ取れる異常な気配に周囲から感嘆の声が漏れた。

 触ってみたいと手を伸ばしそうになった者もいたが、すぐに自制して引っ込める。

 その様子に、男は満足げに頷いた。

「君たちの協力を得られたのも大きい。まあ、君たちなら喜んで協力してくれるとわかってはいたがね」

 ニヤリ、と男は見透かしたような笑みを無精髭の生えた口元に浮かべた。すると五人のうち一人が抗議の反応を示したが、男は無視して話を進める。

「お誂え向きに、異世界邸の管理人は入院中だ。例の代行がもし動けば厄介だが……所詮は部外者。我々を止めることはできまい」

 男は白い布で包まれたなにかを回収すると、代わりに懐から三枚の写真を取り出した。それを実行役の三人に一枚ずつ手渡す。二人余るが、それらには別の重要な役割がある。

「ターゲットはその三人だ。君たちには姿を偽った上で接触してもらいたい」

 すると写真を渡された一人が悩むような仕草をする。ターゲットが気に入らないのではなく、そのターゲットが本当に思う通りに動いてくれるか心配な様子だった。

「なに、問題はない。抵抗されるのは計算の内だ。必ず我らの理想通りに事が運ぶようシナリオを考えている。君たちは思う存分に事態を楽しむといい」

 それを聞いて安心したらしい三人が写真を蝋燭の火に翳す。火は一瞬で移り、じわじわと燃え広がってやがて写真は塵と化した。

「さあ、始めよう」

 男は蝋燭の火を消し、静かに立ち上がった。


「『悠希ちゃん魔法少女化計画』を!」


        * * *


 中西悠希。

 この街に住んでいる者なら極一部を除き誰でも一度はお世話になるだろう中西病院――その最高権力者の夫婦を親に持ち、地元民すら滅多に近づけない山奥のアパートで多種雑多な異種間コミュニケーションをしながら暮らし、そこでの朝はだいたいガスマスクと管理人代行に生成してもらった機動隊の盾(ライオットシールド)から始まる、そんなどこにでもいるちょっぴりボーイッシュな極々普通の女子中学生である。

「普通な要素が一個もねえですけど!? ――はっ!?」

 パチリ、と悠希の閉ざされていた瞼が開かれる。


 ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!


 という爆発音を聞く寸前、悠希は長年育まれた危機察知能力をフル稼働して微睡んでいた意識を覚醒させた。ほとんど転がるようにベッドから飛び降り、ガスマスクと盾を引っ手繰って数秒後には吹き飛んで来るだろう壁に向かって防御態勢。なんか寝言で叫んだ気もしたがもう忘れた。

 素早くガスマスクを装着。いつもいつも隣の部屋の狂気科学者マッドサイエンティストがわけのわからない実験に失敗して実に目覚めのいい爆発(モーニングコール)をやらかしてくれるのだ。体に『覚えるな』と言う方が土台無理な話だろう。

 だが――

「あれ?」

 今日はどういうわけか、爆発が起きなかった。

 盾の陰から恐る恐る顔を覗かせる。短くカットした髪に、ガスマスクで隠れているが両親譲りの中性的で端正な顔立ち。無駄な肉のついていないスレンダーな体つきは、パッと見では男子だと思われても仕方がない。

 そのまま十分ほど警戒を続けるが……窓の外から小鳥の囀りと、竜神と()アンドロイドの()口論からの()爆撃音()が轟くだけで実に静かで平和な朝だった。

「今日は大人しく寝てんですかね?」

 それはそれで妙な感じがして落ち着かない悠希である。

「フランチェスカなら留守だし」

「あー、いねえんですか。それなら納得――誰!?」

 自分だけしかいないはずの部屋から聞こえた声に、悠希はぎょっとして周囲を見回した。だが不気味なことに誰もいない。

「悠希ちゃん、悠希ちゃん」

 なのに、声だけがする。廊下に誰かがいるわけではない。声は明らかにこの部屋の中から聞こえてくる。獣人・妖怪・機械・半神・勇者・魔王……様々な異形人外が暮らす異世界邸だが、オバケだの幽霊だのといった類はいなかったはずだ。

「こっちこっち」

 声がする方に恐る恐る視線をやる。すると窓のところにちょこんと一匹の仔猫が行儀よく座っていた。

「みゃー」

 綺麗な赤い毛並みをした仔猫である。

「猫? いやまさか喋るわけ」

「おはよう、悠希ちゃん」

「うん、この猫だ」

 悠希は一般的にありふれた普通の女子中学生であるため、たかが猫が喋ったくらいでは驚かないのだ。

「またどっかの異世界から迷い込んできやがったんですかね? とりあえず代行に連絡して――あれ? でもなんで自分の名前知ってやがるんです?」

「それはウチがずっと悠希ちゃんを見ていたからだし」

「……どういうことです?」

 ただの迷い異世界生物じゃない。明確な目的があって悠希に接触したようだ。

 怪訝に眉を顰める悠希に、赤い仔猫は神妙な口調で語り始める。

「もうすぐこの街が、いや放っておけばこの世界自体が大変なことになるし。もしかしたら既に大変なことが起こっているかもしれないし」

「いきなりスケールがでかい話でついて行けそうにねえんですが?」

 漠然と『大変』とか言われてもピンと来ないが、世界一平和なアパートに暮らしている悠希からするとただのイカれた妄想だと一蹴することはできない。

「この世界と対になる世界があるのは知ってる? こっちが光とすれば、あっちが影的な感じの」

「初耳です」

「その影の世界を支配している『ドクトル・マルアー』っていう悪者がこの世界も征服しようと企んでいて、手始めに次元の壁が緩いこの街をゲートにするために動いてるらしいし」

「それはなんともまあ無謀な」

 彼の『白蟻の魔王』を街一つで撃退したこの世界に攻め込もうとは余程自信があるのか、それとも馬鹿なのか。

「ウチはドクトル・マルアーの野望を阻止するためにやってきた影の世界のレジスタンスだし。名前はミヤげふんげふん!? えーと、ミャータンと呼んでほしいし」

「ねえ今なんで咳き込みやがったんです?」

 胡散臭い。

 ミャータンと名乗る赤い仔猫は悠希からあからさまに視線を逸らして窓の外を眺め始めた。

「ウチらはこっちの世界だと魔力が抑えられてこんな小動物の姿でしか活動できないし」

「あ、強引に話を進めやがりました」

「そこで、こっちの世界の適正ある人間に協力してもらおうってことになったの」

 バッ! と改めて悠希を振り向いたミャータンは、仔猫の短い前足を精一杯広げたポーズでそう言った。

「まあ、この邸なら戦闘力だけ言えば適正ありまくりな人いっぱいいやがりますね。とりあえず管理人代行でも紹介すればいいんです? ほら、今、窓の外でトカゲとポンコツを叩き落とした人」

「その人たちじゃダメだし、悠希ちゃんじゃないとドクトル・マルアーは倒せないし」

「え? 自分?」

「そう。だからお願い、悠希ちゃん」

 ミャータンは前足の肉球を祈るようにくっつけて――


「ウチと契約して、魔法少女になってよ/(◕ ω ◕)\」


「帰りやがれです♪」

 バタン!

 悠希は笑顔でそう告げるとミャータンを残して部屋からさっさと出て行った。これ以上話していると学校に遅刻するのだ。普通の女子中学生で優等生の悠希は遅刻など決してしてはいけないのである。

 ミャータンはお願いのポーズのまま数秒固まっていたが、悠希の気配が遠ざかっていくのを確認して溜息を吐いた。

「にゃあ、センセーの言った通りになったし。でも動物に変身してれば案外バレないもんだね」

 ミャータン――もとい、蘭水矢は面白そうに口元を歪めると、仔猫の姿のまま器用に窓を開けて外に飛び出した。

 

        * * *


「やっぱり何事もない朝って自分にはないんですかねぇ」

 朝食を食べ、学校の支度を終えた悠希は愛用のマウンテンバイクに跨って一気に山を駆け下りていく。ちなみに服装は中学校のセーラー服――ではなく学ランである。本人曰くマウンテンバイクに乗るかららしいが、それだけならば別に体操服とかでも構わないわけで、もしかしたら男装癖があるのでは? という噂が密かに巷で囁かれていたりする。

 麓の駐輪場にマウンテンバイクを停め、そこからは徒歩での登校となる。

 異世界邸に比べ、街はなんというかもう『平和』の一言だ。

 通勤や通学で行き交う人々、渋滞している交差点、開店準備で忙しそうな商店街。あの隔離的紛争地域に暮らしているとそれら全てが尊く思えてしまう。

 山を下り、こうして街の様子を見ているとようやく一般の世界に戻れた気がして生きた心地がするのだ。


「にゃあ、悠希ちゃん魔法少女になろうよ? 楽しいよ、魔法少女」


 赤猫のミャータンがいつの間にか引っついていなければ。

「今だと初回限定SSRの武器がついてお得だし」

「ソシャゲの勧誘か!?」

 悠希の肩に飛び乗った仔猫がごろごろと喉を鳴らしながら頭を擦りつけてくる。そんな普通の猫みたいな仕草をされたって悠希は騙されない。もふもふしたい気持ちは……ちょっとだけしかない。

 気を強く持とう。

「だいたいもし本当にそのドクトル何某が攻めて来たとしても、自分が戦わなくたっていいじゃねえですか。自分はただの中学生ですよ? 自分より強い人なんて腐るほどいやがるでしょうが」

 ミャータンが自分を選ぶ理由が塵ほどもわからないのだ。異世界邸までやってきてわざわざ一般人と変わらない悠希ではなく、それこそ管理人代行や駄ルキリーや白蟻姫にお願いすれば一瞬で解決しそうな問題である。だがトカゲとポンコツはダメだ。火の海と化すのが異世界邸だけの話じゃなくなってしまう。

「だからそれじゃダメなんだし。悠希ちゃんは魔法少女になれる素質があるし。ドクトル・マルアーの侵略兵器は魔法少女の力じゃないとダメージすら与えられない設定だし」

「今、設定って言いませんでした?」

「言ってないし」

 バッ! と顔を明後日の方向に逸らすミャータン。悠希が協力できない最大の理由はこの怪しさである。影の世界だかなんだか知らないが、実際にこの目で見ないことにはとてもじゃないが信じられない。

「素質がどうとか知ったこっちゃねえです。自分はこれから学校があるんですから他の人をあたりやがれです」

 ミャータンを肩から下ろすと、悠希は逃げるように早足で歩き始めた。

 その時――


 グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 突風を起こすほどの雄叫びがビルの合間を縫うように響き渡った。

「っ!? なんですかこれは!?」

 咄嗟に耳を塞いで身を屈める悠希。すると周囲の人々がざわめき始め、一様に斜め上空に視線を向けていく。悠希も皆に倣って首を持ち上げ――

「は?」

 絶句した。

 さっきまでなにもなかった空間に、十階建てビルにも匹敵する巨大な生物らしきナニカが出現していたのだ。

「なんだアレ?」「でけえ」「怪獣?」「いや、宇宙人か?」「映画の撮影とか?」「マジで?」「私もついに映画デビュー?」「最新のAR技術進んでんなー」「いやそれはねえだろ」「なにかのイベントじゃないか?」

 周囲の人々は驚いてはいるようだが、パニックになったりはしていない。携帯を翳して写真を撮ったり、カメラを探して辺りを見回したり、巨大生物を指差してきゃっきゃ騒いでいたりと反応はどうも好意的だ。

 それもそうだろう。

 なぜならその巨大生物というのが――デフォルメされたファンシーなクマのぬいぐるみにしか見えなかったからだ。胸の辺りに三日月模様があるからツキノワグマがモチーフになっているのだろう。あとなぜかメガネをかけている。

「今日ってなんかお祭りでもやるんですかね?」

 悠希もザ・イッパンジンな感想を零しつつ、すぐに興味を失って学校へと足を進めようとしたが――


「待って悠希ちゃん! アレがドクトル・マルアーの侵略兵器だよ!」


 例によってミャータンが悠希の進路を阻むように仔猫の前足を広げて立ち塞がった。

「……」

「あ、信じてない顔してるし!?」

「いやだって、ね」

 確かに巨大だが、侵略兵器と呼ぶには可愛すぎる。ドクトル・マルアーが男性なのか女性なのか知らないが、本当だったならちょっと趣味を疑うレベルだ。

 それにさっきから全然動いていないのも気になる。最初の雄叫びだけだ。

「アレじゃこれっぽっちも侵略される気がしねえんですけど」

「そう言ってられるのも今の内だし。すぐに恐ろしいことが起きるよ」

 ミャータンの声は真剣なようで、そうでもないようで……表情は猫なのでよくわからない。

「じゃあ、自分は急いでるんで」

 踵を返してさっきよりも早く歩く。頭ごなしに否定している悠希だが、実は可愛い見た目だが巨大な危険生物に心当たりがないわけではなかった。なにかが起こる前に逃げ出したい気持ちがあっても仕方ないだろう。

 放っておけば勝手に平和になっている。

 今から数秒後まで、悠希はそう信じていた。


        * * *


 そんな悠希たちの様子が見える位置――もっと言えば、巨大クマさんの真後ろにある狭い路地裏でホワイトブロンドの少女がげんなりと肩を落としていた。

「どうして、わたくしがこんなことをしなければいけませんの?」

 路地裏には似合わない豪華な白いドレスを纏った美少女――フォルミーカ・ブランは、地面に取りつけられた謎の装置と手に持った説明書らしき紙を交互に見て眉を顰めた。

「(置いてきたあの子が心配ですわ……)」

 自分にしか聞こえないほどの小声で呟いて溜息を吐く。いつか魔女への切り札になるかもしれないと部屋に隠している眷属が誰かに見つからないことを祈る。彼女がフォルミーカの命令に逆らって勝手に部屋を出るようなことはあり得ないが、場所はあの異世界邸だ。いつまた崩壊するかわかったものではない。

「だったら~、やらなければいいのにぃ~」

 近くに積み上げられた木箱の上から呂律の回っていない間延びした声がかけられた。見上げると、一人の少女が木箱に腰を下ろしてワインの瓶をラッパ飲みしていた。

 鮮烈なワインレッドの長髪は寝起きのようにボサボサだが艶があり、背は高く、スタイルも女性の理想形と言えるプロポーション。着ている服は安物のシャツとジーンズだけだが、素材がいいせいか非常に扇情的に見える。

 カベルネ・ソーヴィニヨン。

 フォルミーカより少し後に異世界邸へとやってきた飲んだくれの堕天使である。常日頃とワインを飲んでいるため、ついたあだ名が『呑欲の堕天使』。意外と本人も気に入っていたりする。

「故あって逆らえないのですわ」

 フォルミーカは『降誕の魔女』に心臓を握られているのだ。でなければフォルミーカがこのような茶番に付き合うことはない。憎き魔女からの命令というだけで虫唾が走る。

「あなたこそどうしてあのおっさんに付き合っているんですの?」

「高級ワイン貰ったから~」

「賄賂ですの……」

 持っていたワインの瓶を軽く振ってみせるカベルネにフォルミーカは大きく溜息をついた。

「まあ、いいですわ。あなたも裏方なら手伝ってくださいな」

「ここは一人でいいんじゃない~?」

「……」

「……」

 飲むだけで動こうとしないカベルネ。フォルミーカが腰に手をあてて睨んでもどこ吹く風な態度である。

 魔王と堕天使。

 力でぶつかり合えば本人たちより街や世界が無事では済まない両者の睨み合い(?)は、二秒ほどで終わった。

 折れたのはフォルミーカだった。

「えーと、オートにするにはどう操作すればいいんですの?」

 カベルネはいなかったものとして装置に向き直る。この装置は〈現の幻想〉と呼ばれ、『質量ある幻』を生み出す非常に高度な技術で作られた魔導具らしい。頻繁に異世界邸にやってくる雑貨屋の守護者から取り寄せたと聞いたが、どうにもこういう複雑な機械は苦手なフォルミーカである。

「もうテキトーでいいですわよね。ポチっと」

 よくわからないままよくわからないボタンを押すと、巨大クマさんが再び咆哮を放って天高く跳躍した。

「おぉ~、跳んだ跳んだ~、すご~い~」

「よかったですわ。ちゃんと動きましたわ」

 たぶん、上手くいった。ほら、立ち去ろうとした中西悠希の正面に着地して攻撃態勢を取っている。質量ある幻とはいえ、ちゃんとセーフティがかけられているため現実の街に被害は出ない……はずだ。あとは放っておいても大丈夫だろう。

「悠希さんには申し訳ありませんが、せいぜいあいつを満足させてやってくださいませ」


 フォルミーカたちの役割は三つ。

 一つは今やったように魔法少女の『敵』となる幻影の作成。

 二つ目はもし本気で悠希が危険になったら助けること。

 そして――


「お前たち!? そこで一体なにをしている!?」


 声に振り返ると、和風のローブを纏った術者らしき人間たちがフォルミーカたちを包囲し始めていた。

「あー、こういうことですのね」

「仕事が速いねぇ~」


 三つ目は、邪魔に入るだろう街の術者たちを()()()()こと。


「あのクマは貴様らの仕業か!」

「妙な装置から生み出していたのを見たぞ!」

「なにが目的だ! 答えろ!」

 それぞれが武器を構えて詰問してくる。答える義理はない。寧ろ彼らの邪魔を通せば魔女の計画をご破算に持ち込めるかもしれないが――

「わたくしは今、とってもイライラしていますの」

 術者たちに最悪討ち取られてもあまり問題のないフォルミーカやカベルネに面倒な役割を押しつけた辺り、魔女の性格の悪さが滲み出ている。

 カベルネも木箱から降りてだらりと手を構えた。ここはちゃんと働いてくれるようで内心で安堵しつつ、フォルミーカは凶悪な笑みを術者たちへと向けた。


「あいつの意図通りに動くのは癪ですけど、せめて殺さないように鬱憤を晴らさせていただきますわ!」


        * * *


 悠希は走っていた。

 それはもう全力全開の猛ダッシュだった。

「なんで追ってきやがるんですかあのクマはぁああああああああああッ!?」

 突然巨大クマさんが飛び上がったかと思うと、悠希の前に着地して襲いかかってきたのだ。嫌な予感はしていた。していたが、まさかピンポイントで狙われるなどと夢にも思っていなかった。

「あいつは悠希ちゃんに秘められている魔法少女の素質に反応してるんだよ!」

「そんな迷惑なもん自分持ってねえですよ!?」

「悠希ちゃん早く! 早くウチと契約して魔法少女になるし!」

「そうなったら余計追っかけてくるんじゃねえですか!? 魔法少女を狙ってんでしょう!?」

「大丈夫! 魔法少女になれば勝てるし! 特殊なステッキをあげるから、ウチに合わせて『レッツ! リリカルメイクアップ!』って叫んで!」

「こんな街中でそんな恥ずかしい台詞言えるわけねえです!?」

 せめて街に被害が出ないよう、異世界邸まで引っ張っていけばあとは管理人代行とかがなんとかしてくれるはず。そう考えながら走る悠希の前方に、見慣れた人物が立っているのを目撃した。

「真理華!?」

 悠希の友人でクラスメイトの畔井真理華である。双子の兄の畔井駿河は姿が見えないが、どうせまたどっかの運動部の朝練に飛び入り参加しているのだろう。

「逃げてください真理華!? なんかやばいのが追ってきやがるんです!?」

「大丈夫よ、悠希。ここは私に任せといてー」

「はい?」

 真理華は巨大クマさんを見たにも関わらず全く動じず、なんかおもちゃ屋さんに売っていそうな女児向けアニメのステッキみたいな物体を取り出した。

 それに……彼女の肩。

「さあさあマリカちゃん♪ せっかくの初陣だよ☆ 教えた通りに変身してド派手に決めちゃおう♡」

 刺青のような模様が顔の左側以外をびっしり埋め尽くした、ぎょろっとした目玉のトカゲ――いや、カメレオンが乗っていた。

「あのカメレオン喋って……まさか、真理華」

 冷や汗を掻く悠希の予感は、次に彼女が高々に叫んだ言葉を聴いて確信に変わった。


「レッツ! リリカルメイクアップ!」


 瞬間、真理華の中学生とは思えないグラマラスな体が眩い光に包まれた。それと同時にどこからともなくテンポのいいファンタジックな音楽が流れ始める。

 光はリボン状になってうねり、手足や胴体に絡まって――ピコン! とマヌケな音を立てる。すると光のリボンがパァンと弾け、アイドルが着るようなフリルたっぷりのカラフルな衣装が出現した。

 白とオレンジを基調としたノースリーブのドレス。スカートの丈は学校の制服よりも短く、手に持っていたステッキは――百五十キロクラスのバーベルへと変わっていた。


「人々に害なす悪い子は、正義の拳で殴り倒す! マジカルマッスル、推参!」


 バーベルを槍のように振り回して決めポーズを取る真理華。ドカーン! と背景でオレンジ色の謎の爆発まで発生していた。

「筋肉を使ってー、お仕置きよ♪」

 ノリノリだった。

 なんだこれ?

 しかもちょっと時間のかかった変身シーンを巨大クマさんは律儀に足を止めて待っていたし、悠希も友人が大衆の面前で恥ずかしいセリフを吐き始めた辺りから頭が真っ白だった。

「真理華、えーと、その格好……」

「ふふふ、聞いてよ悠希。私、魔法少女になったんだ」

 やっぱりだった。

 できれば違って欲しかったがもう否定する要素がどこにもない。

「ちょっと待ってて、あのメガネかけたクマさんをさくっと倒してくるから!」

 真理華は重そうなバーベルを顔色一つ変えずくるくると回し――ダン! とアスファルトを蹴って高く跳躍した。

 それを見て巨大クマさんも動き出し、巨大というところ以外全く脅威を感じないもふもふの腕を振りかぶる。真理華はその腕に着地してさらに跳躍。巨大クマさんの巨体を翻弄するように駆け回る。あそこだけ半重力なんだろうかってくらい飛び回っている。

 明らかに人間の動きじゃない。

「真理華!? ちょっと真理華!?」

 悠希はもうよくわからず友人の名を叫ぶことしかできなかった。

「あらら♪ 悠希ちゃんはまだ魔法少女になってないんだね☆ 真理華ちゃんは二つ返事でオーケーだったのに♡」

 いつの間にか例のカメレオンが悠希の足元にいた。心なしかミャータンが少し怯えたように悠希の後ろに隠れながら――

「……そっちは上手く契約できたみたいだね、セシールン」

「やあやあミャータン♪ 猫の姿も可愛いよ☆ 今度もふもふさせて♡」

「にゃあ!? 絶対嫌だし!?」

 シャー! と毛を逆立てて威嚇するミャータン。

「やっぱり知り合いなんですか?」

 訊くと、ミャータンはどことなく嫌そうに頷いた。

「そうだよ。セシールンもウチと同じ影の世界のレジスタンスだし」

「ご覧の通り、マジカルマッスル☆マリカちゃんと契約したパートナーさ♪」

「なんて?」

 友人の名前が非常に面白いことになっていた。それよりこのセシールンとかいうカメレオン……誰かに似てるような気がする。


 グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 と、可愛い見た目には似合わない咆哮が巨大クマさんから轟いた。

 見ると、真理華がバーベルで巨大クマさんの顎を突き上げているところだった。ちなみに周囲の人々はもう完全に最新鋭ARによる映画かなにかの撮影だと思っているようで、邪魔にならないように存在しない空気を読んで少し離れた位置から楽しそうに見物している。

 異常事態を異常事態だと呑み込めないことが一般人だと言うのなら、悠希はもうその枠には戻れないのではないかと思ってきた。

「トドメ行っくよ!」

 真理華が巨大クマさんの頭を蹴って上空に飛び上がる。浮遊しているんじゃないかってくらい長い滞空時間。片手で持ったバーベルを後ろに引いた。

「ジャスティス・メテオアターック!!」

 そのまま槍投げの要領でバーベルを投擲。見上げていた巨大クマさんのメガネを砕き割って貫いた。

 ドゴン! と重たい音が響く。空気が抜けていくように巨大クマさんが萎んでいく。

 さらに――

「ジャスティス・メテオキーーーーーック!!」

 真理華が上空から今度は自分自身が槍となって巨大クマさんを頭から踏み潰した。トドメからのトドメとかえげつない正義もあったものである。

 ボフゥン!! とマヌケな大爆発を起こして巨大クマさんは完全に消滅する。

「勝利!!」

 アスファルトに突き刺さっていたバーベルの上に着地した真理華が、ガッツポーズで勝利宣言。するとテンションの上がっていた観衆たちから盛大な拍手喝采。悠希はもうホントにわけがわからない。

 大丈夫かこの街は?

 割と本気で、そう思ってしまった。


        * * *


 遅刻寸前で学校に到着した後は、特になにか事件が発生することもなく日常的に時間が過ぎていった。

 昼休みになればいつも通り購買に駆け込み、いつも通りコロッケ弁当を入手して教室に戻る――ことはせず、今日は中庭のベンチで食べることにした。

「あら、悠希が外で食べるなんて珍しい」

「教室じゃゆっくり話もできませんからね」

「魔法少女の件だろ? いいねえ。オレもその侵略兵器と戦ってみたいぜ。魔法とかはどうでもいいけど」

 悠希の両隣には畔井兄妹が陣取っている。魔法少女当人である真理華は当然として、兄の駿河も話だけは聞いていたようだ。この中学生にしては肩幅の広い男子も魔法少女になってたらどうしようと吐き気を催す想像をしていたが、そこは杞憂に終わってよかった。ホントよかった。

「この脳筋鍛錬マニアは放っておいて、なんでまた真理華は魔法少女なんてもんになっちまったんですか? 筋肉じゃねえんですよ?」

 小さい頃から魔法少女に憧れていた――なんていう可愛い夢が『自分より強い人と結婚したい』とか脳筋な願望を抱く真理華にあるとは思えない。

「そっちの脳筋と一緒にしないでよ。ちゃんと考えがあってのことなんだから」

「考えですか?」

 これは意外だった。なにかをちゃんと考えられるくらいには真理華の脳は筋肉に侵されていないらしい。いや、流石にそれは失礼か。

「魔法少女になったら、すごく強い敵が襲って来るのよね?」

「そうですね。既に襲われましたし、そこは疑いようはないかと」

「だったらその中に私より強い人がいるかもしれないでしょ? いたら即結婚を前提にお付き合いを申し込むわ! 今朝のクマさんはちょっと惜しかったけど」

「お願いですから恋愛の守備範囲をせめて人間の枠に収めやがれです!?」

 前言撤回。失礼でもなんでもなく脳の隅々まで筋肉だった。

「わかってんですか? 危険なんですよ? 下手したら死ぬかもしれねえんですよ?」

「死闘を乗り越えた先に真の強さがある」

「脳筋は黙ってろです!?」

「私を死ぬほど追い詰められる相手……素敵」

「だからそのまま死ぬっつってんでしょうが!?」

 なんかもうこの脳筋兄妹を真理華ベースでフュージョンさせたら駄ルキリーになるんじゃないかと思えてきた。


 どうしてこんなのと友人になってしまったのだろう?

 どうしてこんなのと友人になれてしまったのだろう?

 どうしてこんなのを友人として心配してるのだろう?


 もはや幾千幾万と繰り返してきた疑問で今日も頭を痛くさせる悠希だった。

 とりあえずは、これ以上彼女を『非日常が日常』の世界に引き込むわけにはいかない。本人の説得が平行線どころか次元が違って成り立たない以上、悠希にできることは一つ。

「……どうせそこらにいやがるんでしょう、ミャータン」

「悠希ちゃんがついに気配を察知できるようになったし!?」

「そのうち空飛んだり手から気功的な光線を出したりするんじゃない♪」

 ガサガサ。

 ベンチの正面の花壇から赤い仔猫と刺青模様のカメレオンが這い出てきた。

「勝手に自分を超人にしてんじゃねえですよ!?」

「おお、ホントに猫とカメレオンが喋ってる!」

「ごきげんよう、ミャータン、セシールン。コロッケ食べる?」

「「食べる!」」

「それ自分の!?」

「だって悠希全然食べてないし」

「食べる暇をくれやがれです!? あと猫とかカメレオンにコロッケなんてあげていいんですか!?」

 と、そうやって毎回ツッコミを入れ続けるから箸が進まないのだ。悠希は弁当を守るように抱えて急いで口に放り込んだ。

「けほっ」

 ちょっと咽た。

「大丈夫、悠希ちゃん? 魔法少女、なる?」

「ならねえです」

 心配そうに悠希の顔を覗き込みながら心配してないことを口にするミャータン。ここぞとばかりに営業してくるから油断ならない。

 悠希は紙パックのお茶を飲んで落ち着くと、ミャータンとセシールンを睨んで問う。

「真理華が一般人に戻るにはどうすりゃいいんです?」

「あら、私は別に戻らなくても――」

 なにか言いかけた真理華を悠希は目力だけで黙らせる。それほどの迫力が今の悠希にはあった。

「シンプルに言えば、ドクトル・マルアーを倒すことだね♪ そうすれば契約が完了して真理華ちゃんは普通の女子中学生に戻れるよ☆」

 答えたのはセシールンだった。

「途中で破棄はできねえんですか?」

「一度結ばれた契約はウチらでも解除できないし、できたとしても魔法少女の素質が消えるわけじゃないから狙われてより危険になるだけだし」

 今度はミャータンがそう答えた。

「ドクトル・マルアーはウチらがこっちに来ていることに気づいてるし。だから侵略を開始する前に邪魔になる魔法少女を排除しようとしてるんだよ」

「それであのクマさんは私や悠希を狙ったのね」

「そもそもなんでクマなんですか?」

「ドクトル・マルアーの侵略兵器――通称『サクシア』は十二の動物がモデルになってるのさ♪ その動物を選んだ理由は不明だけどね☆ たぶん趣味じゃない?」

 十二の動物……最初がクマの時点で十二支的なものではなさそうだが、つまるところあんなのがまだ十一体もいるのか。

 考えるだけで気が重くなった。

「そのドクなんとかって本人は強いのか?」

 駿河がなんかウズウズした様子でそう訊ねた。戦いたいんだ、この脳筋は。

「筋肉的な意味だと微妙じゃないかな?」

「じゃあいいや」

 ミャータンの答えにマッハで興味が失せた様子。

「ドクトル・マルアー本人はいろんな武装をしてるだろうから、厄介って言えば厄介だね♪」

「道具頼りはなー。ちょっとなー」

 駿河の興味がもう完全にどっか行った。悠希としてもこの件に関わってほしくないし、なにかの間違いで魔法少女化しても気持ち悪いのでこれでいいと思う。

「そういえば、あんたらレジスタンスは何人来てんです?」

 人数が多ければ早く済む……と思いたい。

「ウチら合わせて三人だし。この街で魔法少女の素質がある女の子が三人だけだからね」

 それは悠希も含めて三人ということか。敵は侵略兵器だけで十二だというのに……頭がさっきよりズキズキしてきた。

「じゃあ、もう一人は?」

「そのうち会えるよ♪ 悠希ちゃんもよく知ってる子だから☆」

「はい?」

 朝からずっと嫌な予感ばかりだ、今日も。


        * * *


 悠希たちの中学校から少し離れた位置に建つ出版社ビルの屋上で、和装の中年男性が愉快そうに口元を歪めつつ景色を眺めていた。

 眺めている先は無論、悠希たちの中学校である。

「なかなか粘るねぇ、悠希ちゃん。まあ、ここまではオレのシナリオ通りっちゃ通りなんだけど」

 ミャータン、もとい水矢に仕掛けておいた盗聴器で彼女たちの会話は筒抜けだった。助手兼相棒の水矢は当然として、セシルたち協力者も『設定』を詳細に理解してくれているから質問されようが話をスムーズに進めている。

「趣味が悪いですわね。魔王のわたくしが言えたことではありませんが」

 と、男の背後の空間がぐにゃりと歪み、真っ白なドレスに包まれた美少女が姿を現した。続いてワインレッドの髪のやはり美少女が天から舞い降りてくる。

『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブラン。

『呑欲の堕天使』カベルネ・ソーヴィニヨン。

「ん~、覗き見盗み聞きが悪趣味だって言うならオレだけの話じゃないだろう?」

 男は軽く空を仰ぐ。しかしすぐに意味がわからず疑問符を浮かべるフォルミーカとカベルネに向き直った。

「そっちもおにごっこは終わったようだぁね」

「援軍がわらわらと湧いて来て面倒でしたわ。あなたに扱き使われているストレスを発散するにしても、大して強くもない術者が五十人程度では物足りませんでしたし」

「わたしとミス・フォルミーカで五十人ずつね~」

 魔王と堕天使を相手に術者たった百人とは無謀すぎる。いや、この街の現状戦力を考えるとそれが限界かもしれない。

「殺してないよね? こんな『お遊び』で死人を出しちゃコメディ作品として成立しないんだけど」

「だいじょ~ぶ~、問題な~い~。手加減したから~、放置しなければ死ぬことはないと思うよぅ~……ふあぁ」

 テキトーな調子でそう言ってワインを飲むカベルネ。そろそろ酔いが回ってきたのか、大きな欠伸をしていた。

「当然ですわね。あなたの思惑で人が死ぬなどまっぴらごめんですの。まあ、骨の二・三本は折ったかもしれませんわね」

 純白ドレスの美少女――フォルミーカ・ブランは苛立ちを隠そうともせず階段室の壁を素手で抉り取った。そのコンクリートの塊を握力だけで握り潰し、小粒になった欠片をチョコレートでも摘むような上品な仕草で口へと運ぶ。

「あら美味しい」

 思わずほっぺが緩んだので手を添える。

「……よくそんなもん食べれるね」

「あなたがわたくしを()()()()のでしょう!?」

()()()()()のは君自身だ。まあ、オレもメシにすっかね。午後からも楽しいイベントを用意しているから今の内に食っとかないと」

 愉快そうに男は笑う。フォルミーカは酔い潰れて眠り始めたカベルネを横目で一瞥し、今なら大丈夫と判断して男に問う。

「あなたはそもそもなにがしたいんですの? 悠希さんを魔王にするつもりですの?」

 眉を顰めるフォルミーカに、男は面倒そうに頭の後ろをぼりぼりと掻いた。

「あー、そろそろ勘違いを正しておこうか。オレは常にオレの作品のためだけに計略しているわけで、別に魔王を生み出すことが目的じゃあない。退屈な世界に刺激を与える『役割』として魔王は最適だってだけさ。逆に魔王側が強すぎたら人間側に手を貸すことだってある。あと悠希ちゃんは魔王じゃなく魔法少女にするつもりだし」

「わけがわかりませんわ」

 フォルミーカは男の訂正を吐き捨てるように一蹴した。彼の思惑がどうであれ、フォルミーカがされた事は変わらない。

 フォルミーカが納得しようがしまいが関係ないといった様子で男は踵を返す。

「君らには午後からも頑張ってもらうよ。オレも黒幕として登場だけはするつもりだ」

「黒幕ですの? まあ、黒幕ですわね」

「そう!」

 よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりの声を上げて立ち止まった男は、振り返り様にバッ! と纏っていた和装を剥ぎ取った。


「影の世界の悪しき侵略者! ドクトル・マルアーとして!」


 どこから調達したのか知れない薄汚れた白衣を纏い、怪しげなサングラスをかけたおっさんがそこにいた。

「……」

 協力者には動物化の術式を授けたというのに、これで変装しているつもりの男にフォルミーカは平らな視線を向ける。

「バレバレですわ」

「えっ、マジで!?」


        * * *


 放課後。

 侵略兵器『サクシア』が学校に攻めて来たらどうしようと心配していた悠希だったが、結局何事もなかった。だが安心はできない。もしかしたら別の場所――例えばもう一人の魔法少女候補がいる場所に出現していたのかもしれないと思うと不安である。

 やっぱりこういうことはちゃんと戦える人に相談すべきだ。異世界邸に帰ったらトカゲとポンコツ以外の誰かに話をしてみよう。できれば常識人の管理人代行がいいのだが、あの人は正直異世界邸だけで精一杯だろう。

「ねえ、悠希。駅前の公園近くに新しいトレーニングジムができたらしいんだけど行ってみない?」

「そんな新しいクレープ屋さんができたようなノリでジム通いはしたくないです」

「えー、もしかしたら凄く強くてマッチョなイケメンとかいるかもしれないよ? それに今ならプロテイン一杯無料だってさ」

「プロテインで喜ぶ女子中学生は真理華くらいです!?」

 特に部活など入っていない悠希と真理華は並んで帰路についていた。真理華の家に行ったことはないのだが、方向は途中まで同じなのだ。ちなみに駿河は空手部が強豪校と練習試合すると聞いた瞬間喜んで飛んで行った。


「あ、悠希だ!」


 不意に嬉しそうに弾んだ声が悠希の背中へとかけられた。振り返ると、長い黒髪を犬の尻尾のように振り乱してトタタタタと駆け寄って来る小学生の女の子がいた。

「こののじゃないですか。帰り道で会うなんて珍しいですね」

 彼女は異世界邸の管理人(絶賛入院中の方)の娘であり、妹のように可愛がっている悠希の親友の一人である。当然、あの人外魔境の住人であるため普通の人間ではない。そのせいで定期的に学校を休まねばならないのだが、今日はちゃんと行ける日だったようだ。

「このの――ハッ!」

 手を振って迎えようとした悠希だったが、そこで日に日に精度が増していく嫌な予感センサーがビービーと警報を鳴らした。


『そのうち会えるよ♪ 悠希ちゃんもよく知ってる子だから☆』


 今はどこかに消えている――どうせ近くにはいる――刺青カメレオンことセシールンの言葉が蘇る。悠希のよく知っている同年代の女の子と言えば、同じ中学校を除けばこののくらいなものである。

 まさかと思い、目を眇める。

 ワンピースタイプの小学校の制服にランドセル、手には体操着の袋だけ……妙なステッキや妙な動物の姿は見受けられない。

「悠希、怖い顔してどうしたの?」

「いえ、なんでもないです」

 心中でほっと胸を撫で下ろす。よかった。たまには嫌な予感センサーも外れるらしい。

「この子、誰? 悠希の知り合い?」

 真理華が首を傾げて問う。こののも怪訝そうに真理華を見た。そういえば二人は初対面だった。

「えーと、この子は伊藤このの。自分と同じ異せゴホンゴホン!?」

 危ない。もう少しで口を滑らせるところだった。

「いせ?」

「い、いせ、伊勢市から引っ越してきた近所の子供です」

「あら? 悠希って三重県出身だったっけ?」

 思いっ切りこの街生まれだが苦笑いで誤魔化すことにした。

「それでこっちは畔井真理華。自分のクラスメイトです」

 追及されたらマズイのでさっさと真理華の紹介へとシフトする悠希だった。

「い、伊藤こののです。よろしくお願いします」

 たどたどしく挨拶してぺこりと頭を下げるこのの。それを見て真理華がなにを思ったのか、いや絶対なにも考えず反射行動だったと思うが……なんかハートを撃ち抜かれたような顔をしてこののを自分に引き寄せ、ぎゅっと抱き締めた。

「ふぇ!?」

「なにこの可愛いイキモノ!? よくわからないけど無性にもふもふしたくなったわ!? こんな子と知り合いならもっと早く紹介してよ悠希!?」

 気持ちはわかるが、今のこののは狐耳も尻尾も出していない。まさか真理華は本能的に正体を感じ取っているのだろうか……?

「あ、でも筋肉がタリナイ」

「結局そこですか!?」

 急速に冷めて行く真理華に悠希は真っ白い視線を浴びせた。可愛いモノにまで筋肉を求めないでもらいたい。切に。

「真理華、もう放してあげてください」

 ただこののは筋肉こそ一般女子小学生だが、()()に関しては異世界邸の魑魅魍魎どもにも劣らないことを悠希は知っている。その気になったらあくまで人間の域を超えていない真理華なんて簡単に振り解いて吹き飛ばすことくらいできるだろう。

「こののも帰るとこですか?」

 真理華から解放されて羞恥で顔を赤らめてたこののに悠希は問いかけた。話題を変える意味もある。

「ううん、今からお父さんのお見舞い。あ、悠希も行こ? お父さんも喜ぶと思うよ」

「そうですね。病院が違ってたら行ってもよかったんですがねぇ」

「……行かないの?」

「うっ」

 やめてほしい。少し潤んだ上目遣いなんてされたら悠希の心がぐらっぐら揺れてしまうではないか。会わないように気をつければ問題ないかと考えて頷きかけたが、母親から聞いた情報によるとあの野郎は管理人の専属になったらしい。つまり、鉢合わせは不可避。

「ごめんなさい、このの。ちょっと真理華と先約がありまして」

「あら? 悠希、ジムに行ってくれる気になったの?」

「……致し方ねえです」

 歯を食い縛る思いだった。

「ジム?」

「こののちゃんも興味ある? ほら、丁度あそこでビラを配ってるやつよ」

 ちょこんと小首を傾げるこののに、真理華は街角でビラ配りをしているお姉さんを指差した。冬も近づいてきた寒空の下、トレーニングジムのマークが入ったタンクトップとハーフパンツ姿で眩い笑顔を振り撒いている高校生くらいのお姉さんは、遠目で見てもとんでもない美人さんだった。

 整った顔。健康的な白い肌。ほどよく引き締まっているが、同姓の目すら惹きつける扇情的なモデルスタイル。そして最も目立つのは、染めているわけではなさそうな流水のごとく綺麗な蒼い髪。

「は?」

 ……違う。知り合いじゃない。きっと別人だ。タンクトップを白銀ドレスアーマーに変えて大鎌を持たせたらそっくりだとかそんなわけ――

「あ、ルーネだ」

 こののが知り合いを見つけたわんこのように駆け寄ってしまった。

「おや? このの様に悠希様じゃないですか。街で出会うなんて奇遇ですね」

 もはや誤魔化しは効かない。自分にも、真理華にも。

「また悠希の知り合い?」

「一応。近所の人」

 それ以上は答えようがないから詮索するなオーラを全開にする悠希である。

「なにしてやがんですか?」

 まさか三人目……と思ったが、それはないだろう。だって魔法少女の前に駄ルキリーだから。

「なにって、アルバイトですよ?」

 当たり前のように返され、悠希はポカンと目を見開いた。

「私だってタダでアパートに住まわせてもらっているわけではありませんからね」

 意外とまともな理由だった。異世界邸を『アパート』と言った辺りちゃんと素性は隠している。異世界邸での姿しか見ていないから誤解してたのかもしれないが、普通にしていれば案外まともな――

「なんでトレーニングジムなの?」

「えへへ、どうせなら強い人間を見つけようかと♪」

「寒くないの?」

「そこは気合いです♪」

 駄ルキリーは結局駄ルキリーだった。

「このお姉さん強そう。そして気が合いそう」

「関わらないことをオススメしますよ、真理華」

「そちらは悠希様の御友人ですか? 人間にしては意外と……んー、でも惜しい。もう少し鍛えれば」

「真理華! ここのジムはやめときましょう!」

 まじまじと真理華を見詰めるジークルーネに、悠希は真剣に友人の命の危険を感じて間に割って入るのだった。


「残念だけど、世間話は後にしてほしいし」


 下からの声。

 いつの間にか赤猫のミャータンが悠希の足元に四足で立っていた。真理華の足元にも刺青カメレオンのセシールンが現れている。

「異様な気配が高まってるよ♪ 真理華ちゃん構えて、『サクシア』が来るよ☆」

「わかりました」

 セシールンに言われて真理華がカバンからステッキを取り出す。何度見てもそこら辺のおもちゃ屋で売っていそうなチープなデザインだった。

「ゆ、悠希……?」

「こののは自分と一緒に下がってください!」

 悠希はこののを背中に庇って数歩後ずさる。本来は彼女の方が強いのだが、そこは年上としての意地だった。

 警戒する悠希たち。

 すぐに雲を吹き散らす勢いで咆哮が轟いた。


 それも、二つ。


「冗談じゃねえです」

 悠希は唸るように呟いた。街の人たちがお祭ムードできゃっきゃしながら道を開けたその先――ビルとビルに挟まれた大通りからぬぬっと巨大な影が現われた。

 前、そして後ろからも。

 挟まれた。

「うわぁ、大きい」

 こののがそれらを見上げて感嘆の声を漏らした。

 前方はデフォルメされた巨大な雄鹿……いや、アレはトナカイだろうか。ドヤ顔を浮かべていて見ただけでどことなくムカついてくる。

 後方は頭に木の葉を乗せた、たぶんタヌキ。アライグマかもしれない。こっちはなぜか微妙にリアルである。

「う~ん、動物的にはクマさんの方が強そうな気がするんだけど……まあ、戦ってみればわかるよね!」

「勝てそうですか、真理華?」

 少々物足りなさげに笑う真理華は頼もしいやらなんとやら。彼女にこういう非日常での頼もしさを感じたくなかった悠希である。

 できれば真理華も一緒に逃げてもらいたいが、そんなことをしてもどうせ追いかけてくる。それに街に余計な被害が出てしまうかもしれない。

「あれ……?」

 侵略兵器『サクシア』に阻まれた景色に、悠希はどことなく違和感を覚えた。その正体にはすぐに気がつく。今朝はそれどころじゃなかったから気にも留めなかったが、明らかに不自然な点が一つある。

 街の人たちは普通にいるのに、車が一切走っていないのだ。

 あんな巨大生物が堂々と闊歩していたら交通なんて成り立たないのに。

「弱めの結界が張られているようです」

 その答えはタンクトップのお姉さん――もとい、戦乙女ジークルーネから聞かされた。

「そうだ! 今はルーネがいるじゃねえですか! 真理華、ここは彼女に任せましょう!」

「え?」

 悠希は今にも恥ずかしい変身セリフを唱えそうだった真理華を引き留め、ジークルーネを見る。

「なんだかよくわかりませんが」

 ジークルーネは巨大トナカイと巨大タヌキを交互に見やり――

「アレらを倒せばいいんですね?」

 ニヤァ、ととっても好戦的な笑みを口元に浮かべた。

 瞬間、彼女の足元から白く輝く風が舞い上がった。思わず目を庇った悠希が数秒して瞼を開くと、そこには白銀のドレスアーマーを纏った蒼髪の乙女が死神のような大鎌を握って立っていた。

「ビラ配りも退屈になってきたところです。えへへ、楽しませてくださいね♪」

 シュン! と。

 静かに風を切る音だけを響かせてジークルーネの姿が消えた――かと思えば、もうトナカイの顔面近くまで飛び上がっていた。

「あ、あの人も魔法少女だったの?」

「えっ? あっ……そ、そう! そんな感じです!」

 非常事態だから仕方ないと思っていたが、どうやら真理華はジークルーネの存在を自分が理解できる範疇で認識してくれたらしい。悠希としては魔法少女も常識の埒外なわけだが。

「えへへ、まずはご挨拶です♪」

 ジークルーネが大鎌を振るう。それだけで樹齢云千年の巨木より太そうなトナカイの首が飛んだ――ように見えた。

 実際は傷一つ追っていない。だが、大鎌は確かにトナカイの首を捉えたはずだ。

「……手応えがありませんでした」

 一番驚いているのはジークルーネのようだった。燃えるような赤い目を瞠り、さらに何度も大鎌を振り回す。しかし、まるで幻を相手にしているかのようにトナカイには掠り傷もつけられない。

 そうしているうちに――ガシッ。

 背後から接近していたタヌキがジークルーネの体を鷲掴みにした。

「――ッ!?」

 タヌキはジークルーネを握ったまま野球選手のような投球フォームを作る。

「ちょっ!?」

 ピッチャー・タヌキ、振り被って――投げた。

「待っ!?」

 バッター・トナカイ、自慢の角を豪快にスイング。


 カキーン! 

 という爽快な音が響きそうな勢いで、打たれたジークルーネは呆気なく夕空の星となった。


「弱っ!?」

 真理華が愕然と叫んだ。いや、ジークルーネが弱いなんてことはあり得ない。タヌキやトナカイが特別強いようにも見えなかった。

「だから言ったでしょ? ドクトル・マルアーの侵略兵器は同じ技術で作られた魔法少女の技じゃないと傷もつけられないし」

「チートじゃねえですか!? あとそこまで詳しくは聞いてねえです!?」

 それが本当なら――いや、実際そうだということを見せられたわけだが、要するに自分たち以外の人に頼ることができなくなってしまった。

「(まあ♪ 『サクシア』を投影してる魔導具を壊せば誰にでも解決可能なんだけどね☆)」

「(『白蟻の魔王』と『呑欲の堕天使』が守ってるそれを壊すのは誰でもは無理だと思うし)」

「なんか言いやがったですか、今?」

 ミャータンとセシールンがこそこそ話してたので問いかけると、二人とも全力で首を横に振った。怪しい。

「やっぱり私がやるしかないのね」

 真理華がどこか嬉しそうにステッキを構えた。すると、真理華に合わせるようにこののが覚悟を決めたような顔で悠希の前に出た。

「私も戦う」

「待ってくださいこのの! さっきの話聞いてました? 魔法少女じゃないと攻撃しても意味がねえんですよ?」

「うん、だから私も戦うの」

「え?」

 嫌にはっきりとそう告げられ、悠希は言葉に詰まった。再び嫌な予感センサーがビービーと反応する。そう言えば、こののはミャータンやセシールンを見ても特に物珍しい様子も見せなかった。異世界邸の住人だとしても、駄ルキリーと違ってまともな感性があればなにかしらのアクションはあってしかるべきだ。

 なのに、こののは平然としていた。

 つまり、ミャータンたちの存在をあらかじめ知っていたことになる。

「フララ、起きて!」

 こののが巨大トナカイと巨大タヌキを見上げて叫んだ。すると、彼女が背負っていたランドセルが開き――ひょこっと。眠たそうに大きな欠伸を掻く小動物が顔を出した。

 薄い桃色の毛並みをした胴長の四足獣――イタチ、いや、フェレットか。

「ふわぁ~、あ、おはよう~、こののちゃん。ミャータンとセシールンもおはよう~」

 ピンクフェレットがこののたちを見回して呑気な挨拶をした。

「悠希ちゃんもおは~」

 このほんわかのんびりした感じ、誰かに似ている気がしないでもない。

「フララ、いないと思ったら寝てたんだ……」

「こののちゃんの魔法少女化に失敗したんじゃないかと思ったね♪」

 嫌な予感センサーが鳴り止んだ。確定してしまったからだ。

「つまり、やっぱり三人目はこののだったってことですか」

 疲れがどっと押し寄せてくる悠希だった。元から強いこののが魔法少女化するのだ。恐らく真理華よりはまだ心配いらないだろう。

「フララ、ステッキ出して」

「わぁ~、『サクシア』が二体もいる~。了解了解ぃ~」

 一度ランドセルに潜ったピンクフェレット――フララが棒状の物体を取り出した。リコーダーであってほしかったが、どう見ても真理華と色違いの魔法のステッキである。

「じゃあこののちゃん、合わせて行くよ!」

「うん!」

 真理華とこののが二人並んで『サクシア』と対峙する。どうでもいいが、なんで二体とも律儀に待ってくれているのだろうか。


「「レッツ! リリカルメイクアップ!」」


 恥ずかしいセリフと共に光が爆発する。どこからともなくファンシーなBGMが流れ、二人の体を包む光がポップな効果音を発しながらフリフリの衣装へとチェンジしていく。

「人々に害なす悪い子は、正義の拳で殴り倒す! マジカルマッスル、推参!」

 まずはバーベルを振り回した真理華が物騒な台詞と告げて決めポーズを取り、

「悪戯する子は許さない。もふっと懲らしめてあげる! マジカルフォックス、参上!」

 肉球手袋を嵌めたこののが危うく和みそうな台詞を言って決めポーズを取った。

 真理華が白とオレンジを基調としたノースリーブの大胆なドレスに対し、こののは白と赤が基調となった布地の多いゴスロリワンピースだった。

 しかもこののは頭に狐のお面を被っていて、隠していたはずの耳と尻尾もぴょこんと飛び出してしまっている。

「このの、その姿!?」

「大丈夫! マジカルフォックスだから!」

「どういうことです!?」

 本人がいいのならいいのだろうか……今のこののを貴文に見せたらたぶん卒倒するだろう。八割ほど可愛さのせいだろうが。


 うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!


 二人の変身が完了した途端、今まで黙って待っていた巨大トナカイと巨大タヌキが咆哮を上げて動き出す。

 蹄で踏み潰しにかかってきたトナカイを、真理華は横に飛んでかわしてバーベルを叩きつける。トナカイから悲鳴が上がり、痛そうに踏みつけた足を上げて飛び跳ねた。

 一方タヌキは両手でこののを掴もうと襲いかかってくる。こののは高くジャンプしてかわすと、タヌキの頭の葉っぱを踏みつけて背中に回り――両手の肉球手袋をぽふんと叩いた。

「フォックス・マジカルフレア!!」

 その瞬間、こののを中心とした周囲にぽわっと赤白い炎の玉がいくつも出現した。それらが一斉に射出され、巨大タヌキに殺到して連続して爆発を引き起こす。

 タヌキが悲鳴を上げて仰向けに倒れた。

 そこへバーベルで横顔を殴り飛ばされたトナカイが重なるように転倒する。

「決めるよ、こののちゃん!」

「任せて!」

 今日初めて会ったのに息ピッタリで頷き合う二人。

「ジャスティス・メテオアターック!!」

「フォックス・マジカルブレイズ!!」

 タヌキとトナカイの両脇から加速したバーベルとぶっとい熱光線が放たれる。だが、それらが衝突する前にタヌキが頭の葉っぱに手を置いて吠えた。

 ボン! 白い煙が爆発的に広がる。

 その中でバーベルと熱光線が激突し、さらなる爆風を生んだ。悠希は電信柱に掴まってどうにか踏み止まれたが、割と近くにいた一般人たちは紙くずのように転がり飛んでいく。

 煙が晴れた時、トナカイとタヌキはそこにいなかった。

 倒した……はずがない。

「真理華、上!」

 こののが叫ぶ。

「まさか、瞬間移動したの?」

 上空から降ってきたトナカイを真理華とこののは転がって回避した。あまりの衝撃に街全体が揺れる。

 タヌキはトナカイの背中に乗っていた。そこから葉っぱを手裏剣のように飛ばしてくる。真理華は回収したバーベルで弾き、こののは火球で燃やして対処した。

 トナカイが突進する。

 真理華はすぐに横へと飛んだが、こののが足を縺れさせて転倒した。

「ひゃっ!?」

「こののちゃん!?」

 すぐに駆け戻った真理華がこののを抱いて逃げなければ、トナカイに踏み潰されていただろう。

 なにかおかしい。

 悠希はこののを見ていてそう思った。

「どうしたんですか、このの!? こののならもっと動けるんじゃねえんですか!?」

 こののは元々身体能力が常人の云倍ある。それが魔法少女化したならより強くなるはずなのに、どういうわけか動きが鈍っているように悠希には見えた。

「なんか、この服動きにくい」

「慣れと気合いの問題じゃないかな?」

 ゴスロリのスカートを摘まんでちゅくんと唇を尖らせるこのの。真理華の言うように慣れの問題なのだろうか。

 いや、どちらかと言えば真理華がおかしいのかもしれない。いきなり身体能力が何倍にも強化されて、普通の人間がまともに動けるはずがないのだ。

「(こののちゃんは元が強いから、変身したら弱くなる設定なんだけどね~)」

「(本来は素で倒されちゃうからね♪ それじゃ困るってもんだ☆)」

「(にゃー、これ考えたセンセーってば本当に性格悪いし)」

 悠希から離れたところでミャータンたちが固まってごにょごにょ言っていた。よく聞こえないが、今は無視でいいだろう。

「敵が重なってるなら丁度いいね」

 葉っぱ手裏剣とトナカイの突進踏みつけをかわしつつ、真理華がニヤリと笑う。

「こののちゃん、あの爆発するやつってまだ使える?」

「うん、できるよ」

「じゃあ、それ私に使って」

「えっ!?」

 ぎょっとするこのの。悠希も真理華がなにトチ狂ったこと言い出すのかと叫びたくなった。

「直撃させるんじゃなくて、こう手前の足元を狙う感じで」

「……わかった。危ないけど、やってみる!」

 真理華がトナカイに向かって跳ぶ。こののはすぐに肉球手袋を合わせて複数の火球を生み出し――

「フォックス・マジカルフレア!!」

 前を走る真理華の足元後方の地面を直撃。火球が盛大に爆発を起こし、真理華はそれを踏み台にするようにして更なる速度で跳躍した。

 空中で体勢を変え、片足を進行方向に突き出す。


「ジャスティス・メテオキーーーーック!!」


 突進していたトナカイと衝突し、その巨体を真っ二つに引き裂いた。兵器だからか、血が噴出してグロい映像になったりするようなことはない。今朝のクマと同じように、ガソリンにでも引火したかのように大爆発した。

 巻き込まれたタヌキが黒焦げになって落ちてくる。それをこののが標準を定めるようにじっと見詰め、重ねた肉球手袋をタヌキに向かって突き出した。


「フォックス・マジカルエクスプロージョン!!」


 赤く燃える火炎が空中のタヌキを包み込む。それは次第に収縮していき――やがて、ビッグバンのごとき爆光と爆熱と爆風を放って街の上空を真っ赤に彩った。

 木っ端微塵だ。

「……」

 悠希はもう言葉も出なかった。

「ねえねえ、見てた悠希? 私、魔法使ったよ!」

「ええ、ハイ。ソウデスネ」

 嬉しそうにピョンピョン飛び跳ねて狐耳をピコピコ、尻尾をフリフリしているこのの。明らかにやりすぎだと感じるのは悠希の気のせいじゃないと思う。でもまあ、可愛いから別にいいか。

「こののちゃん、私たちいい魔法少女コンビになれそうだね」

「うん! 真理華もすごかったよ!」

 両手を繋いで小躍りする二人を、悠希はただ真っ白な頭のまま眺めることしかできなかった。ナンダコレ?

 と――

「二人とも! まだ終わってないし!」

 浮かれていたところに警告を叫んだのはミャータンだった。セシールンもフララも真剣な顔をしている(カメレオンとフェレットの表情なんて悠希にはわからないが)。


「いやいや、よくもまあオレの侵略兵器を三体も倒してくれちゃったねぇ」


 ふっと悠希たちの周囲に影が落ちる。

 すると――バサリバサリ。たった今大爆発した空から大きな羽音が聞こえてきた。

「なん……ッ!?」

 見上げて悠希は絶句した。ハヤブサのような猛禽類を思わせる巨鳥が舞い降りてきていたのだ。しかもその巨鳥の頭に誰かが乗っている。

 薄汚れた白衣を纏い、サングラスとマスクとニット帽という変装に失敗したような格好の胡散臭そうな男だった。

 着地した巨大ハヤブサの上から、男が悠希たちを見下して愉快そうに口を開く。

 

「初めまして、魔法少女諸君。オレが噂のドクトル・マルアーだぁよん♪」


        * * *


 路地裏。

「げっ」

 本日の予定では最後の装置を設置し終えたフォルミーカとカベルネが会話もなく寛いでいると、誤って犬の糞でも踏んでしまったような短い悲鳴が聞こえた。

 二人は視線だけそちらに向ける。

 どこかの高校の制服を纏った者が二人。一人は緩く頼りなさそうな印象のどこにでもいそうな少年、もう一人は対照的にがっしりとした体格の青年だった。

「おやおや~、迷子かな~?」

「そんなわけありませんわ」

 ただの一般人が迷ってこの場に辿り着けることはあり得ない。フォルミーカたちの前に姿を現せたということは、恐らく午前中に遊んであげた術者たちの同類だろう。

 体格のいい方の少年が獰猛に笑う。

「トラブルに突っ込むことにかけては流石の引き運だな、瑠衣。手配書にあった通りの二人だ。……にしてもどっちもえらい美人だな」

「だからこっちに行くのは嫌だったんだよ!? 訓練された術者と百人組手やらかして余裕で勝ってるような怪物を俺がどうこうできるわけないだろ帰りたい!? オフトゥンさせろ!?」

「んなこと言っても、出会っちまったもんはしょうがねえだろ」

「こんな時にあいつはどこ行ってんの!? 怪物の相手は怪物がやるべきだ!?」

「さあ? またどっかの建物吹っ飛ばしてるんじゃねえのか?」

「帰る!」

 小柄の少年の方がなにやら涙目でギャーギャー叫んで逃げようとしているが、大柄の青年がそんな彼の後ろ襟を掴んで放さない。青年の方からは戦意をビシビシと感じる。

「逃げるなら追いませんわよ?」

「ほら! 見逃してくれるって! だから帰ろう! な!」

「見逃す見逃さないはこっちの台詞だろうが」

 ぐわしと頭を掴まれて無理やりこちらを向かされる小柄な少年。いっそ憐れに思えてきたが、本人の意志に関係なくあくまで邪魔をするというのならこちらも相手をせざるを得ない。

 立ち上がったカベルネがワインボトルをきゅぽんと口から抜く。

「ふふふ、やる気満々みたいだねぇ~」

「竜胆がね!? 俺は違うよ!?」

「今朝の術者たちとは一味違うようですわね。少しは楽しめそうですわ」

「それも竜胆だけだね!?」

 竜胆と呼ばれた大柄の青年が徒手格闘の構えを取る。それを見て瑠衣と呼ばれた小柄な少年が泣く泣く呪符……と見せかけて、何故か鉛筆を取り出した。

「丁度二対二だ。瑠衣、俺は赤紫の姉ちゃんと戦うから、白い方頼むぞ」

「俺一人で!? 無理無理無理帰りたい!?」

「……逃げ回るだけでいいから。すぐ加勢する」

「たぶんそれフラグ!?」

 瑠衣が引き止める間もなく、竜胆は地面を蹴って一瞬でカベルネへと切迫した。振り抜かれた拳をカベルネはワインを持っていない方の手で受け止める。

「やるぅ~」

「そっちこそ。久々に初見で防がれたなっ、と!」

 そのまま激しい格闘戦を始める二人を一瞥だけし、フォルミーカは襲撃者の片割れへとゆっくり歩み寄る。そして生まれたての仔鹿のように足をガクブルさせる少年を見て溜息をつく。

「わたくしもあちらの殿方がよかったですわね」

 右手の人差し指を瑠衣に向ける。その先端に魔力が収斂していく。

「でも、このくらいは防げますわよね?」

 ニッコリと可憐に笑ったフォルミーカの指先から、極細の白い光線が射出された。


 打撃音と白光と悲鳴が他に誰もいない路地裏を包み込む。


        * * *


 そんな裏方の戦いなど知ったこっちゃない状況が悠希たちには続いていた。

「ドクトル・マルアー……アレが?」

 悠希は足元のミャータンに訊く。巨大ハヤブサの『サクシア』を操っているから間違いはないのだろうが、どうしてもただの変質者にしか見えないのだ。

「そう。顔隠してるけど間違いないよ」

「ミャータンたちはこっちの世界だと魔力が抑えられて小動物の姿じゃないと行動できねえんでしたっけ?」

「そうだけど?」

「じゃあ、なんであの人は普通に人間の姿なんです?」

「……」

 悠希の素朴な疑問にミャータンは沈黙した。

「……」

「……」

「みゃー」

「みゃーじゃねえです」

 ぐいっと首を明後日の方角に向けるミャータンを悠希は凍えるような視線で射貫く。赤い仔猫の後ろ姿はだらだらと冷や汗を掻いているようにも見えた。

「ドクトル・マルアーは私たちと違って、魔力自体を持ってないんだよ~」

「抑えられる魔力がないから、こっちの世界でも普通に活動できるのさ♪」

「そう! そんな感じだし!」

 我が意を得たりとばかりに捕捉してくれたフララとセシールンを猫手で指すミャータンだった。なんかどうも胡散臭いがとりあえず悠希はそれで納得しておくことにする。

「フフフ、なったばかりの魔法少女でオレの侵略兵器を倒せたことは素直に誉めてやろう。だが、これ以上の邪魔をさせるわけにはいかんよなぁ」

 ドクトル・マルアーが巨大ハヤブサの翼を滑り台のようにして地面に降り立った。マスクのせいでぐぐもった声。サングラスのブリッジをくいっと持ち上げて不敵に笑う姿はもう怪しいなんてもんじゃない。なにかの犯人として連行されてもおかしくないレベル。

「迷惑なんで大人しく帰ってくれませんかね?」

「それはできない相談だ。少なくとも侵略が完了するまでは」

 試しに説得を試みようとした悠希だが、やはりというか聞く耳を持たない。

「なんだっていいけど、ノコノコ出て来るなんていい度胸ね」

「あなたを倒せばこの戦いも終わる!」

 魔法少女になっていない悠希を庇うように真理華とこののがドクトル・マルアーの前に立ちはだかった。ドクトル・マルアーは二人の魔法少女を恐れるどころか、なにが可笑しいのか少し吹き出しそうにプルプルしてから一つ深呼吸。落ち着いた辺りで片手をバッと振り上げる。

「フハハ! オレが戦いに来たんじゃあない。君たちと戦うのはこいつだ! 侵略兵器No.Ⅵ――最凶の『サクシア』! その名も『SILVER HAWK』!」

 巨大ハヤブサが「キエェェェ!!」と甲高く叫んだ。同じ猛禽類の『HAWK(鷹)』はいいとしても、どの辺りが『SILVER(銀)』なのかよくわからない。

 だが、あのハヤブサが今までの侵略兵器とは格が違うということはわかる。トナカイとタヌキを二体同時に葬った真理華とこののを相手に単騎で差し向けてきたことがなによりの証左だろう。

「このままじゃちょっとマズイかもね♪」

「マジカルマッスル☆マリカちゃんもマジカルフォックス☆コノノちゃんも~、連戦で消耗してるし~」

「変身時でもその名前で呼ぶのやめやがれです」

 だが確かによく見ると、真理華もこののも肩で息をしていた。圧勝したように見えても、あれだけ力を使ったのだから疲労していない方がおかしい。

「もう、悠希ちゃんが魔法少女になるしかないし」

 ミャータンが悠希の肩に飛び乗って囁く。だからと言って「じゃあなります」と簡単に頷けるくらいなら悠希は最初から抵抗などしていない。まだピンチより羞恥の方が悠希の中で勝っていた。

「大丈夫。まだ戦えるよ。ね、こののちゃん?」

「うん、悠希を危ない目には遭わせないから」

 頼もしいことを言って真理華とこののは巨大ハヤブサに突撃していった。巨大ハヤブサは大きく翼を広げると――ブワッ! 一回の羽ばたきだけで暴風を引き起こした。

 真理華とこののは立ち止まって顔を庇った。暴風は指向性を持って二人の周辺で渦を巻く。巻き上がる風に二人の体がふわりと浮き上がり、高速で回転しながら天高くへと放り出された。

「このの!? 真理華!?」

 悲鳴を上げる悠希の視線の先で、二人はなんとか空中でバランスを取って体勢を立て直した。もう完全に空を飛んでいる。今日初めて魔法少女になったはずなのに、実は前々から訓練していたのではと疑いたくなる慣れ様だった。

「ひゃあ、今のはビックリしたなぁ」

 真理華はパチクリと目を見開いていた。いやビックリしたじゃ済まない。普通。

「ダメ! 私たちが空にいたら悠希が危なくなっちゃう!」

 こののは流石異世界邸の住人と言うべきか、状況を正確に判断して急いで地面に戻ろうと動いた。

 だが。

 それよりも、ハヤブサの方が速かった。

 無防備になった悠希を襲ったのではない。

「こののちゃんストップ!?」

「あっ!?」

 巨翼を広げ、こののと真理華に向かって真っ直ぐに突撃していたのだ。

 ハヤブサは降下していたこののと衝突し、彼女の小さな体をまるで羽虫のように簡単に撥ね飛ばした。

「確かに、今までとは違うかも」

 入れ替わりに真理華がバーベルを振り回し、ピタリと前方に構えて高々と叫ぶ。

「ジャスティス・メテオレイン!!」

 真理華の周囲の空間が歪む。するとそこから無数のダンベルが出現し、ハヤブサに向かって一斉に射出された。魔法なのに物理すぎる。

 赤熱する勢いで宙を翔るダンベルの雨を、しかしハヤブサは羽ばたき一つでその場を移動してかわした。今までの『サクシア』とはスピードが段違いだ。

「フォックス・マジカルエクスプロージョン!!」

 戻ってきたこののが両手の肉球手袋を揃えて翳す。ハヤブサの周囲に火炎が発生し、取り囲んで収縮を始める。タヌキの『サクシア』を爆発霧散させた恐らくこのの最強の技は――ハヤブサがその場で高速回転をしたことで吹き散らされてしまった。

「そんな!?」

 ハヤブサが片翼で空を薙ぐ。

 トラックで撥ねるような衝撃が突風となって二人を襲う。

「二人が押されてやがります……ッ!?」

「悠希ちゃん! 早くウチと契約して魔法少女になって加勢するし!」

「いや、でも、ですが」

 迷っている場合ではないと悠希の理性は告げている。だが本能が魔法少女になることに並々ならぬ抵抗を示しているのだ。

 なんだかわからないが、ここで魔法少女になってしまっては誰かの思う壺のような、今後の人生に死ぬほど響くような……そんな確信にも似た予感が悠希の決断を鈍らせていた。

「こののちゃん、もう一度コンビネーションで行くよ。さっきの技、お願いできる?」

「フォックス・マジカルエクスプロージョン? たぶん、あと一回しか撃てないと思うよ」

 真理華もこののもまだ諦めていない。

「充分充分。さっきの見た感じ、アレは避けられないみたいだからね。動きがその場で固定されるなら――」

「真理華の攻撃が、あたる?」

「そう、よくできました♪」

 頭を撫でられたこののはえへへと笑って尻尾を振った。それからすぐに凛とした表情になり、肉球手袋を二人の周囲を旋回しているハヤブサに向ける。


「最大パワーを込めるよ!! フォックス・マジカルエクスプロージョン!!」


 ハヤブサを真っ赤な炎が取り囲む。そして動きが一瞬止まったところへ、真理華がバーベルに魔力を乗せて思いっきり振り被る。


「ジャスティス・メテオアターーーーーーック!!」


 轟!!

 空を割るような軌跡を描いてバーベルがハヤブサを捉えた。咄嗟に翼でガードしたようだが、バーベルは一切の抵抗感も見せずに翼ごとハヤブサの胴体を一気に貫く。


 キエェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!?


 絹を裂くような悲鳴。

 体と翼の中心に風穴が穿たれたハヤブサは、力なく地面へと落ちていく。

「やったですか!?」

「待って悠希ちゃん!? その台詞はやってないフラグだし!?」

「なっ!?」

 地面に落下したハヤブサの全身から目を覆いたくなるほどの強い光が放出し始めたのだ。様子がおかしい。今までの『サクシア』であればこれで爆発していたはずである。

「フッフッフ、アレで倒されるようでは普通の『サクシア』と変わらないさ」

 離れたところからドクトル・マルアーがサングラスをくいくいさせながらそう言った。

「製造No.Ⅵ『SILVER HAWK』には二段階目が存在する!」

「なんですって!?」

 驚愕する悠希がドクトル・マルアーからハヤブサへと視線を戻す。輝きの中でハヤブサが立ち上がり、かろうじて目視できるシルエットが形を変えていく。

「二段階目!?」

「進化するの!?」

 上空に浮遊する真理華とこののも目を見開いていた。

 光が収束していく。

 元のハヤブサより一回り小さい。だからと言って侮れない。ただでさえ速かったスピードが増すだけでも脅威度は跳ね上がる。

 ハヤブサの名前は『SILVER HAWK』だ。

 つまり、それは本来の姿に対してつけられた名前なのだろう。茶色のハヤブサが銀のタカへとランクアップするのだろう。想像しただけでも手強そうで、悠希は思わず身震いした。

 光が収まる。

 シルエットが鮮明になる。

 鳥足でしっかりと地面を踏み締め、美しく白い羽を舞い散らして現れたその姿は――


「ほもー」


 雄鶏だった。

 全体的に丸いフォルムをした、デフォルメ(?)されたニワトリの姿だった。子供のラクガキのような生理的な狂気を感じる双眸。醜悪に歪んで見える小さな嘴。赤い鶏冠はなにかを探っているかのようにピンと立ち、武器だろうか、畳んだ白い翼になにか四角い物体を抱え込んでいる。

「……」

「……」

「……」

 少女たち三人は言葉を失っていた。真顔だった。

 なんだ、あれ?

「なんか、思ってたより弱そうになりやがったんですけど」

 逸早く我に返った悠希が皆の心意を代弁する。『SILVER HAWK』に近づくどころか余計に離れてしまった気がするけれど、きっと気のせいではない。

「見た目で判断するとは愚かなり! さあ、『SILVER HAWK』よ! お前の恐ろしさを存分に示してみろ!」

 ドクトル・マルアーの指示を受けて巨大ニワトリが「ほもー」と鳴く。なにその鳴き声?

「気をつけて、こののちゃん!」

「わかってる!」

 警戒する真理華とこののに向けて、ニワトリは翼に抱えていた四角の物体を顔の前で器用に構えた。

 それは――

「カメラです?」

 だった。

 パシャリと響くシャッター音。

 すると、真理華とこののが唐突に浮遊力を失ったかのように地面に吸い寄せられた。

「わっ!?」

「な、なに!?」

 キラン! と目を光らせてニワトリがダッシュした。そしてどうにか着地しようとした二人の真下へとスライディングで割り込む。

 パシャリ。

 まるでスカートの中身を盗撮するようにシャッターを切るニワトリの腹を、真理華とこののは思いっ切り踏みつけた。

「あふん」

 ニワトリは物凄いイイ笑顔だった。

「なんなの、このニワトリ!?」

「なんか気持ち悪い」

 ぶるっと震えた二人が咄嗟に飛び退る。そこへすかさずカメラがフラッシュ。今までそれがどういう攻撃なのかさっぱりわからなかった悠希だが、三回目にして写真を取られた二人にはっきりとした変化が生じていた。

 ソックスの片方がなくなっていたのだ。

 よく見たら、靴も消えている。

 まさか――

 パシャリ。パシャリ。パシャリ。

「きゃあ!?」

「服が!?」

 写真を撮られる度に魔法少女の衣装が部分的に消えていくのだ。それに気づいた二人は攻撃する余裕もなく逃げ回ることしかできなくなっていた。

「クックック、いいぞその調子だ! 変身さえ解けてしまえば魔法少女なぞ恐るるに足らぬわ!」

「変態ですか!?」

「ほもー」

「変態ですかッ!?」

 ハヤブサだった時ほどの危機感はない。

 だが、このままでは真理華たちの命より尊厳が危ない。恐らくあのカメラで魔力を消しているのだろうが、それが魔法少女の場合だと服が脱げることと同義らしい。

 まずい。

 いろんな意味で、まずい。

 早くなんとかしないと。

 悲鳴を上げて逃げ回る半裸の少女たちをニヤけきった変態顔で追い回すカメラを持ったニワトリ、という図。

 その光景は、本能の警告を無視する決断を悠希にさせるには充分すぎた。

「もうどうにでもなりやがれです!? ミャータン!!」

「契約だね!」

「あーもう嬉しそうに!? どうすりゃいいんです!?」

 悠希はもうヤケクソになって問いかける。ミャータンは頷くと、その場でジャンプしてくるんと一回転した。するとどこからどうやって出てきたのか、例の変身ステッキが悠希の足元に転がった。

「そのステッキを持って、『レッツ! リリカルメイクアップ!』って叫んで。上手く変身できればそれで契約も完了だし」

 悠希はすぐにステッキを拾い上げる。

 が――

「ぐぬぬ……レッ……リリ……ップ……」

 かぁああああああああああああああっ。

 決断しようと恥ずかしいもんは恥ずかしかった。叫ぶなんてできるはずもなく、顔をリンゴのように真っ赤に染めてぼそぼそ囁くような声で言うのが限界だった。

 当然、それで許されるはずもなく。

「聞こえないし! もっと大声で!!」

「ええいチクショー!? レッツ!! リリカルメイクアーップ!!」

 友のピンチだと自分に言い聞かせ、悠希はもう涙目で必要以上に叫び散らすのだった。

 ステッキが反応する。

 どこからともなくテンポのいい曲が流れ始める。謎の光が悠希の全身を包み、学ランだった服装がマヌケな音と共に変化していく。

 ピンクと白が基調となったフリル過多のドレス。赤十字のシンボルが刺繍された大きな帽子が頭に被さる。握っていたステッキも肥大化して形を変え、子供が裸足で逃げ出しそうな巨大な注射器となった。

「あ、変身が終わったら頭の中に決め台詞と決めポーズが浮かんでくるから、それを十秒以内にやってね。じゃないと魔力が定着せずに変身が解けちゃうし」

「これをやれって言いやがるんですか!?」

「変身が解けるってことは、つまり服が弾けて全裸になることだし」

 選択肢はなかった。世の中はなんて非情なのだ。


「こ、この世に湧いた悪しき病原体(やまい)を駆逐する! ま、マジカルナース、見参!」


 片足の爪先で立ってくるりんと一回転し、注射器を脇に挟むように構え、片目の横でピースを作って決め台詞を叫ぶ悠希。冗談ではなく頭から湯気が出ていた。

「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ」

 決めポーズ完了と共に背景が爆発する。悠希は堪らずその場に蹲った。

「上手くいったよ()()()()()()!」

「……死にてえです」

 いっそ人思いに殺してほしい。

「あら? 悠希、その姿は」

「悠希も魔法少女になったんだね!」

 逃げ続けていた真理華とこののが悠希を見て歓喜の声を上げた。大事なところだけは死守しているようだが、二人とも既にかなり際どい格好になっている。

 悠希はカメラを構えて走るニワトリを睨んだ。

「全部……全部てめえらのせいです!?」

 こうなったら()るしかない。

 悠希の頭の中に自然と自分ができることが浮かんでくる。そのこと自体がとても不自然だったが、もはやいちいち気にしていられるほどの余裕はなかった。

 注射器を構える。

 技名を叫べと脳内チュートリアルが言っている。死ぬほど恥ずかしいが、ここまで来たら技名の一つや二つ叫んだところで変わりはしない。


「メディカルフォース・ブレイバー!!」


 注射器の先端から凄まじい魔力の光線が放射された。魔王の魔力砲にも匹敵しそうな光線はニワトリの巨体を呑み込んで丸焼きにする。

「イイ……」

「黙りやがれです!?」

 ぽっと顔を赤らめたニワトリに怒号をぶつけ、悠希はさらに注射器へと魔力を込める。ニワトリが卑猥な表情でカメラを構えたが、シャッターを押す暇など与えはしない!


「メディカルフォース・エクセキューション!!」


 無数の魔法陣が注射器の先端周囲に展開。超高密度の魔力が散弾となってニワトリに襲いかかる。カメラを弾き、翼を貫き、瞬く間にその巨体を蜂の巣に変えた。

 怒りのあまり般若のオーラを纏った悠希はそれでも攻撃を止めない。

 この程度じゃ収まらない。

 敵が二度と悠希たちに関わりたくならないように徹底的に叩き潰す。


「メディカルフォース・ホーリーノヴァ!!」


 立てるように構えた注射器から光の波動が天へと打ち上がる。それは蜂の巣になって爆発寸前のニワトリへと降り注ぎ――カッ!! と街全体を包み込んで余りある強烈な爆光を発生させた。

 音はない。

 衝撃もない。

 熱すらない。

 誰もが視力を奪われたその中で、技を放った悠希だけがニワトリの消滅を確認した。


        * * *


 光に対象以外に対する破壊力はなかったようで、光が収まった時には街は無事なままだった。

 サングラスをしていたドクトル・マルアーは光の中でも動けたようで、気づいた時にはあの変質者的な姿は影も形もなかった。

「やったねユーキちゃん♪ 凄かったよ☆」

「魔法少女最強はユーキちゃんかもね~」

「え? 最強ってことは私より強いってことだから……悠希、結婚して!」

「眩しかったけど、光がぱぁってなって綺麗だったよ」

 まだ変身したままの悠希の下へみんなが集まってくる。街の人たちも感動したように拍手喝采していた。

 だが――

「……」

 悠希は俯いたまま黙っていた。

「ユーキちゃん? どうしたし?」

 顔を覗き込んできたミャータンを、悠希はぐわしと掴み取る。

「がるるるぅ!」

「にゃあ!? ユーキちゃんが狂犬化してるし!?」

 ぎにゃー!? と絶叫して暴れるミャータンだったが、魔法少女化した悠希の握力からは逃れられない。ぎしぎしと軋みを上げる赤い仔猫はやがて力尽きたようにだらりと四肢を下げた。

「ううぅ、こんなの、恥ずかしくて死にます……」

「だ、大丈夫! 似合ってるよ、悠希!」

「可愛いと思うよ、悠希!」

 真理華とこののがフォローしてくれるが、そういう問題ではないのだ。ちなみにすぐそこでは地面に捨てられて口から魂が抜けてそうなミャータンを、青い顔をしたセシールンとフララが恐る恐るつついていた。

 と、悠希の前に誰かが立った。

「見てましたよ、悠希様。いえ、マジカルナース☆ユーキちゃん」

 顔を上げると、なぜか頬を上気させた駄ルキリーがそこにいた。白銀のドレスアーマーに大鎌という戦闘スタイルのまま、楽しそうに、愉しそうに、悠希を見詰めている。

 嫌な予感センサーがビービービー。

「ルーネ? ま、待ちやがれです!? あなた、なに考えて――」

「まさか悠希様が変身すると強くなる人間だったなんて気づきませんでした! えへへ、是非一度手合わせをお願いします! 今すぐにでも!」

「やっぱりですかぁああああああッ!?」

 悠希は反射的に注射器を振り回した。それを戦闘開始と捉えたのか、ジークルーネは蕩けるような笑顔を浮かべてバックステップでかわす。

 しかし、悠希にこの戦闘狂と戦う意志などない。

 踵を返し、注射器に跨り、後方から魔力を放ってロケットのように驀進した。こういうことができることも頭の中に入っている。

「逃がしませんよ、マジカルナース☆ユーキちゃん!」

「追ってくんじゃねえですよこの駄ルキリーがぁあああああああああああああああッ!?」


 その後、悠希とジークルーネの鬼ごっこは数時間にも及び――結果、動画サイトにアップされるレベルで街中にその姿を見せつける形となってしまったのは言うまでもない。


        ***


 夜――異世界邸の一室。

「『悠希ちゃん魔法少女化計画』の成功を祝って……カンパーイ!!」

「「「「カンパーイ!!」」」」

 ビールやワインがなみなみと注がれたジョッキとグラスを打ち合わせる五人。人間の姿に戻った水矢、セシル、フランチェスカの三人と、裏方役だったカベルネ、そして今回の企画者であるドクトル・マルアー――もとい呉井在麻である。フォルミーカだけは輪に加わって堪るかという態度で壁際にて木片を齧っていた。

「いやぁ♪ 楽しかったよ大先生☆ 悠希ちゃんのあんな可愛い姿なんて滅多に見られないからね♡」

「にゃあ、ルーネが来た時はどうしようかと思った」

「実態ある幻を使うなんて~、そうそう考えつかないよね~」

「グビグビゴクン……ウィー、こんな美味しいワインが貰えるならいつでも手伝うよぅ~」

「当然、まだこの話は完結してないからね。続編にも期待したまえ」

 ワイワイとテンション高く飲み食いしながら今日の感想を楽しそうに言い合う五人。それを眺めるフォルミーカだけが冷め切った目をしていた。

「……最低ですわ、この人たち」

 呆れの溜息を吐きつつ、白ワインのグラスを口に運ぶ。見た目はミドルティーンの少女だが、気の遠くなる時間を生きて来た魔王に未成年がどうとかは通用しない。その理屈は他の女性陣も同じである。

 と、部屋の窓が勝手に開いた。

「ちわーっす。毎度お世話になっております。雑貨屋『活力の風』でーす。おつまみとお酒の追加をお届けに上がりましたぁ!」

 窓から風を纏って侵入してきたエプロン姿の青年に、五人は待ってましたと言わんばかりの顔を向けた。早速とばかりに女性陣がつまみと酒を引っ手繰り、在麻が受領書にボールペンでサインする。

「君も混ざらないかい?」

「いえいえぇ、僕は小道具をお届けしただけですしぃ」

 ニコニコと営業スマイルを振り撒く青年――法界院誘薙に、在麻はすっと目を細めてニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

「ほう、では一般人が疑問に思わないように()()()()()()()()()のは誰かな? 他にも裏で余計なことやらかしちゃってくれちゃったっぽいけど?」

「さてさて、そこまで僕は関与してませんよ。まあ、彼はこのような宴会には来ないだろうねぇ」

 窓の外――恐らくその『誰か』がいるだろう方向を眺めて誘薙はそう呟いた。

「ただ、問題が一つ」

「なんだい?」

「ちょーっと街の術者が怪我人多数で足りなくなっちゃったんだよねぇ。最後に戦った二人は上手く逃げてくれたみたいだけど」

 在麻は素直に感心した。本人たちに追う意思がなかったとしても、あの『白蟻の魔王』と『呑欲の堕天使』を相手に無事に逃げ切ったとはなかなか優秀ではなかろうか。

「術者が足りないと、街はどうなるんだろうね?」

「わかっていながらそう言うとは性格悪いですねぇ。まあ、一言でいうと――」

 誘薙は苦笑し、遠いようで近い未来を見据えながら口を開いた。


「今後、荒れるかもしれないねぇ」


        ***


 夜が明け、朝が来る。

 昨日あれだけ疲労したというのに、いつもより少し早い時間に目が覚めてしまった悠希は部屋の棚の上に置いてあるステッキを見て大きな溜息を吐いた。

「夢じゃねえんですね……」

 虚ろな瞳で全てを諦めてしまったような笑みを浮かべる。あれが夢だったらどれほどよかったか。小学生じゃあるまいし、自分みたいな男女が魔法少女なんて一体どんなギャグなんだって話である。

「でも」

 ベッドから降りる。

 棚に歩み寄ってステッキを手にする。

「あの衣装は……確かにちょっと可愛かったですね……」

 じーっと、悠希はステッキを見詰める。

 ……。

 …………。

 ………………。

 気がついたら鏡の前に移動していた。

「ちょ、ちょっとくらいなら」

 念のため誰も周りにいないことを確認し――


「レッツ、リリカルメイクアップ!」


 ステッキが反応する限界まで絞った声で叫び、悠希はマジカルナースへと変身した。フリフリのザ・女の子の夢な衣装を検分し、くるっと一回転。スカートがふわっと靡いた。

「魔法少女……なっちまったんですよねぇ」

 言葉とは裏腹に、少し楽しそうな色が悠希の表情に現れていた。

 と、その瞬間だった。


 ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおん!!


 例によって例のごとく、隣の部屋の壁が爆発した。さらに続けて二人の怒号と共に外側の壁がごっそりと抉り取られる。さらにさらに、なにかの咀嚼音が聞こえて床の一部が抜け落ちた。

「わぁ~、悠希ちゃん魔法少女だ~」

 隣の部屋からのんびりした口調のネグリジェ美女が這い出てニマリと笑う。

「おらポンコツ!? またてめえのせいで邸が――!?」

「最初に燃やしたのは貴様であろうトカゲやろ――!?」

 外から部屋を覗き込んできた竜神とアンドロイドが悠希のフリフリな姿を見て絶句。

「あら悠希さん、ごきげんよう。とっても似合っていますわよ」

 床の穴からひょこりと顔を出した白髪美少女は、たぶんさっきまで床だった部分を口の中でもぐもぐしている。

「またかお前ら!?」「悠希! 大丈夫!」「へあっ!? 悠希が可愛いのじゃ!」「あらあらまあ」「せっかく書いたオイラの地図がぁあああっ!?」「掃除安定です」「おやおや、悠希様。気合いの入ったお召し物でお出かけですか?」「わふ」「貴様らいつも朝からうるさいのであーる!」「マジカルナース☆ユーキちゃん、今度こそ勝負です!」「わお♪ 悠希ちゃんフリッフリだね☆」「うっぷ、ワイン飲みすぎた~……だが後悔はしてない」

 なんか、今日に限って爆破崩壊された悠希の部屋へと住人たちが集まってきた。

「……」

 頭が真っ白になった悠希に、ポンと誰かが手を肩に乗せる。

 母親の栞那だった。

「あー、なんだ、趣味は人それぞれだから」

 その言葉が、トドメだった。


「これはちげえんですよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」



(つづく)


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