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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人不在の異世界邸
63/175

蘇る白き天災【part 夙】

 異世界邸の地下には広大なダンジョンが広がっている。

 どこぞの異世界から丸ごと転移してきた魔王の城――ノルデンショルド地下大迷宮。異世界邸の選抜メンバーによって第六階層まで無血攻略済みのそこは、今やただの廃墟であることが判明している。

 各階層を守護していた魔族は第一階層の〈鮮血の番狼〉を除いて消失しており、肝心の魔王はどういうわけか第六階層にて赤子の姿で発見された。

 第七階層以降については不明だが、ラスボスが無力化されている以上、特に危険性はなさそうというのが管理人の判断である。念のため封印を何重にも重ねがけして処理を終え、攻略もひとまず打ち切られた。


 そんな地下迷宮の――第一階層。


 本来は〈鮮血の番狼〉ことジョンが守護していた魔王城の城門にも等しいフロアは――現在、真っ白い湯気が立ち昇る天然の温泉施設と化していた。

 ここより下にもフロアが広がっているのに一体どこから湧いているのか?

 そんな些細なことはどうでもいい。たぶん空間がねじ曲がっているとかそんな感じ。

 特筆すべきは、温泉の効能にある。

 肩凝り、腰痛、疲労回復云々は当たり前。肩まで浸かればどんな大怪我も一瞬で治癒し、消費した魔力やらなにやらもMAXまで回復する天然の万能薬(エリクサー)だ。「こんなんあったら医者いらへんやん!」と言いたくなるが、生憎と病気は治らないし、一瞬で治癒するということはそれ相応の負担が体に圧し掛かるわけである。例えば、寿命が縮むとか。

 とはいえ『寿命』という概念が存在しないような連中であれば気にする必要もないわけだが、この温泉の治療目的での使用は中西栞那の許可なくしてはできないルールになっている。

 ただ、温泉からすれば来るもの拒まず。

 誰であろうと、分け隔てなくその効能を与えるのだ。


 そう――

 天井を這っていた今にも死にそうな一匹の白蟻が、力尽きて湯船へと落ちたとしても。


 バシャーン!!

 白蟻が落ちた場所から水柱、もといお湯柱が立ち昇った。

 煌めく飛沫を纏い、白く華奢で、それでいて扇情的な肉付きをした肢体が現れる。脱色したものとは違う、純白の陶器のごとく艶やかな長い髪が水を吸い、シミ一つない輝くような肌へと貼りつく。女性的な膨らみを携えた一糸纏わぬその姿は、たとえ同性であろうと誰もが目を奪われ魅了されるだろう。

 少女の閉じられていた瞼が、ゆっくりと開かれる。

 その奥から現れた紅玉の瞳は――驚きに揺れていた。

「……どういうことですの? わたくしは、魔力も底を尽いていたはずですわ」

 少女は己の体を検める。この世界の勇者(?)に敗れ、『降誕の魔女』にトドメを刺されたはずの傷は、僅かな痕すら残っていない。最後の力でかろうじて命を繋ぎ、醜い白蟻の姿となって魔女の気配だけを頼りに野山を彷徨っていた疲労も吹き飛んでいる。

 どうやってここまで辿り着いたのかもう覚えてもいないが、これは幸運だったとしか言えない。

「このお湯ですわね」

 両手でお湯を掬い、口へと持って行く。お湯が聖なる属性であるならば魔王である自分は逆にダメージを負うはずだが、そんなことはない。一口分を嚥下しただけで体の内側から活力が溢れてきた。

 もう一口飲む。

「?」

 もう一口。もう二口。三口。がっつり。

 何度か飲んでみたが……最初の一口以降、体に変化はなかった。

「……どうやら、上限を超えて力を得られるようなものではないようですわね」

 少女は残念そうに肩を落とす。このお湯に付与された力は『回復』止まりのようだ。

 とはいえ――

「万全、ですわ」

 肉体の損傷も、魔力の消耗も、体力の疲労も一気に回復した。唯一『降誕の魔女』に奪われた魔王因子だけは戻らなかったが、あんな悍ましいものはもう必要ない。

「わたくしは『魔王』……その事実は変わりませんわ」

 魔王因子と入れ替わりに取り戻した『人間』としての良心が、今まで行ってきた蛮行に悲鳴を上げそうになる。

 だが、押し潰されることはない。今更そんなことで発狂するほど『魔王』たる少女の心は弱くなどないのだ。

「ふふふ」

 唇が綻ぶ。

「おーっほっほっほっほ!!」

 高らかに哄笑することで、この世界に宣言する。


 今ここに――『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランが復活したことを。


「さあ、今度こそブチ殺して差し上げますわ! 『降誕の魔女』!」

 目的はこの世界に来た当初と変わらない。だが理由は決定的に違う。

 最初は魔王らしい自己中心的な理由だった。しかし今はそうではない。魔王を生み出し続ける悪しき魔女を、この身を賭して倒すこと。それが幾多の世界を滅ぼした自分にできるせめてもの贖罪だ。

 魔王因子を抜かれても、魔王の力は衰えていない。因子は力を破滅的な方向に振るおうとするだけの心の有り様でしかないからだ。

 フォルミーカが万全の状態であれば魔女であろうと負けはしないだろう。たとえ力が及ばずとも、今の『降誕の魔女』は確か長時間の戦闘は行えないはずだ。

 勝機は充分にある。

「うふふ、首を洗って待っているといいですわ!」

 魔王の凶暴性がまだ残っているのか、フォルミーカは肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

 その時――


「あー、やっと医者先生の許可が出たぜ」

「治りかけた傍からなぜか怪我していたからな」


 男のものと思われる二つの声が温泉に反響した。広々とした空間の最奥の角から、ノシノシ、ガシャガシャと人間とは思えない足音が近づいてくる。

「つーか機械が風呂入ってもいいのかよ? 錆びるぞ?」

「元より人間だったこの体。入浴程度ノープロブレム。貴様こそ風呂の時くらいその重そうな鎧脱いだらどうだ?」

「これは鱗だ!?」

 角を曲がって現れた者たちは、やはり人間ではなかった。

 片や竜の頭と尻尾と翼を持った、赤い鱗と筋肉で覆われたドラゴノイドの雄。

 片や全身の至るところが機械仕掛けとなった男性型アンドロイド。

「俺の自慢の鱗を馬鹿にしやがって。温泉で回復したら覚えてやが……あ?」

「こちらの台詞だトカゲ野郎。俺を水で錆びる程度のポンコツだなどと……は?」

 タオルを肩にかけ、桶を脇に挟んだ全力の入浴スタイルの二人と、先客だったフォルミーカの目が合った。

「……」

「……」

「……」

 沈黙。

 機械男の方は、フォルミーカは知らない。だが、竜人の方には見覚えがある。魔女が隠れていたと思われる邸を守っていた戦士だ。そういえばヴァイスから機械男と交戦したような報告を受けた気もする。

 つまり彼らは魔女の仲間であり、敵だ。

「わたくしの力、本当に回復したのか試すいい機会ですわ」

 口の端を吊り上げて笑うと、フォルミーカは目をマヌケに見開いたまま硬直している二人に向かって湯船の中を一歩ずつ進む。恐らく恐怖で動けないのだろう。当然だ。この『白蟻の魔王』の力を彼らは身をもって知っているのだから。

 フォルミーカが湯船から出たところで、ようやく二人はハッと正気づいた。

「どわぁああああああ!? おい姉ちゃんそんな格好でなにやってんだ!?」

「ここは()()ぞ!? 女湯はそこの壁の向こうだ!?」

 ピタリ、と。

 フォルミーカの足が歩みを止めた。


 オ ト コ ユ?


「あっ……」

 今更ながら、フォルミーカは思い出す。

 この湯気に満ちた空間は、どう見たって温泉施設だ。そして自分の姿は一糸纏わぬ生まれたままである。まあ、魔王として生まれた瞬間は白蟻だったのだが、そんなことは関係ない。

 異種族異形とはいえ、異性に裸身を見られたことに対する羞恥が顔を赤く染める。

 それになにより、先程あの機械男はなんと言った?

「おとこ、ゆ?」

「ああ、そうだ。場所間違えたのか? さっきまで作家のおっさんが入ってたはずだが……てか、あんた誰だ?」

「い、いや待てポンコツ……この顔、髪の色、まさか、馬鹿な!?」

 おとこゆ……男湯……。

 フォルミーカは、この温泉で最初になにをした?


 ()()()


 湯を。

 しかも、おっさんが直前まで浸かっていたらしい湯を――がっつり。


「ひっ」

 喉が震える。顔が強張る。全身が怖気と寒気に襲われる。

 プツン。

 フォルミーカの理性はそこまでだった。


「いやぁあああああですわぁああああああああああああああああああああああッッッ!?」


 羞恥や嫌悪や絶望やその他いろいろな感情が綯交ぜになった悲鳴を上げ、白い魔力の光線がトカゲとポンコツもろとも温泉施設の天井を斜めに貫いた。


        ***


「はぁ……はぁ……うぉえ」

 トカゲとポンコツを吹き飛ばしたフォルミーカは、改めて自分がしでかした悍ましい行為に胃酸が逆流しそうになっていた。

「そうでしたわ。あの魔女はナントカの呪いでおっさんになっているんでしたわ」

 魔女がさっきまで入浴していたのならば、魔女の気配を追っていたフォルミーカがここに辿り着いたことは必然だろう。白蟻の状態だと意志力が本当に虫並みになってしまうから困る。寧ろよく今まで生き延びて来られたと自分を褒めたくなるほどだ。

「今度はなんの騒ぎだ!? またあのクソドラゴンとガラクタか!?」

 と、天井に穿った大穴から誰かが飛び降りてきた。湯気の満ちる温泉の床に着地したそいつは……見た目だけ言えばどこにでもいる普通の人間の少年だった。

 が――

「この魔力の気配は……ッ」

「クソドラゴンとガラクタじゃない? 待て、この力は――」

 向こうもフォルミーカの正体に気づいたようだ。顔を上げ、身構えるフォルミーカを睨みつける。


「魔王か!?」

「魔王ですわね!?」


 お互いが魔力を解放させ、その波動が周囲の湯気を吹き飛ばす。一瞬、異常な力でフォルミーカを討ち破ったあの男かと思ったが……違う。顔に見覚えはない。

「――ってなんて格好してやがんだ!? 服着ろ服!?」

 急に少年が顔を赤くして手で目を覆って首を捻った。フォルミーカは未だスッポンポンなのである。

「~~~~~~~~~~~ッ!?」

 かぁあああああっ。

 フォルミーカも頬が沸騰しそうなくらい熱くなる。魔王だった頃ならば裸を見られたところで羞恥など欠片も感じなかったが、人間の心を取り戻した今はなんかもう全力で恥ずかしい。

「ふ、不埒者!? 向こうを向きなさい!?」

「向いてるよ!? 見てねえからさっさとなんか着ろ!?」

 とても魔王同士の会話とは思えなかった。

「……どうして、わたくしがこんな辱めばかり」

 涙ぐんで愚痴りながら魔力を編む。魔王にとって着替えなど一瞬。魔力を衣服として具象化させ、純白のドレスでその身を包んだ。手には愛用の白い日傘を作り出し、その先端をコツンと床に突き下ろす。

「もうよろしいですわ」

「あ、ああ……」

「……」

「……」

 なんとも言えない気まずい沈黙が下りる。

「いや、なんかその……すまん」

「貴方が謝る必要はありませんわ。なにせここは男――うえぇ」

「大丈夫か!?」

 思い出し吐き気に膝を折って背中を丸めると、少年が心配そうに駆け寄ってきた。フォルミーカはすぐにハッと正気づいて飛び退る。

「と、とにかく、貴方も魔女の手先ですの!?」

「魔女? なんだそりゃ? セシルさんのことか?」

「どこまでも惚ける気ですわね!」

 日傘を少年に突きつける。


「喰らって差し上げますわ――〈喰魔の白帝剣(ブランシュテイン)〉!!」


 先端から柄尻まで全て真っ白な長剣に変化した日傘から、物質を空間ごと呑み込んで消し去る波動が放たれる。無音で不可視のそれを、少年は直感じみた動きで横に飛んで回避した。

「いきなり魔王武具かよ……やる気満々じゃねえかチクショー!?」

 少年の後方にあった壁が綺麗に消失する。この地下空間が崩壊しないように加減はしたが、それで倒せる相手ではなさそうだ。

 壁の向こうも温泉だった。となるとそちらが女湯なのだろうが、今は誰もいない。

「見覚えがないってことは住人じゃねえな。外敵を排除するのも管理人の仕事だっけ」

 少年の両手に見事な反りのある細い片刃剣が出現する。アレが彼の魔王武具かと思って警戒するフォルミーカだが、そこまでの力は感じない。能力で生成されたただの武器といったところか。

 睨み合いも一瞬。

 湯気が爆ぜ飛ぶほどのスピードで両者は同時に床を蹴った。

 ギィン!! と。

 刃が激突した衝撃で温泉の景観を形作っていた岩が近いものから砕けて散る。

「なにが目的だ!?」

「魔女ですわ! 差し出せば命は助けてやりますわよ!」

 剣戟音がけたたましく木霊する。〈喰魔の白帝剣(ブランシュテイン)〉の消滅波動を織り交ぜて攻防しているフォルミーカだが、相手の少年は致命的な一撃だけはどういうわけか神がかった動きで回避される。

「それじゃわかんねえよ!? ここに魔女なんて奴はいねえ!?」

 足下。

 無数の刀剣が突き上げる。フォルミーカはギリギリで後ろに飛んだ。すると少年が剣先を銃火器の照準を合わせるようにまっすぐフォルミーカに突きつける。

 大技が来る――魔力砲か。

 フォルミーカも左掌を突き出す。

 魔力を帯びた刀剣の奔流と白い閃光が衝突。絶大な力のぶつかり合いは、局地的な大気の乱れを発生させて周囲どころか上の建物まで竜巻のごとく吹き飛ばした。

 人の悲鳴は聞こえない。これだけ暴れてしまえば既に避難しているのだろう。

「邸が――って言ってられる相手じゃねえな」

 刀剣の勢いが増す。フォルミーカの白い閃光が徐々に押し負けてくる。

「なんですの、その力? 魔力砲ではありませんの?」

「本質的には同じだ。俺は『魔剣砲』って呼んでるけどな」

 力では勝てない。そう判断したフォルミーカは魔力砲を捨てて横に飛んだ。空振った刀剣の奔流は地下空間の壁を抉って長大なトンネルを形成する。

 すぐに次の手を――打とうとして、フォルミーカは目を見開いた。

 アレほどの大技を使った後だというのに、少年の周囲の空間に無数とも言える刀剣群が浮かんでいたのだ。それらが全てフォルミーカをロックオンしており、戦場に降る弓矢の雨のごとく一斉に射出された。

「なかなかやりますわね!」

 フォルミーカは〈喰魔の白帝剣(ブランシュテイン)〉を振るう。自分と周囲に直撃する部分だけを喰らい消してやり過ごす。

「ですが、わたくしの勝ちですわ!」

 パチンと指を鳴らす。

 次の瞬間、少年の周囲から夥しい数の白蟻が津波となって殺到した。戦いながら仕込んでいたフォルミーカの最下級眷属である。剣で斬るだけでは防ぎ切れない。魔剣砲を使っても一点に穴が開くだけだ。

 あとは群がった眷属たちが生きたまま骨も残さず喰らい尽すだろう。ここで終わらせなければ、これ以上は魔王同士の本気の衝突になる。そうなればまさしく世界の滅亡だ。

 人間の良心を取り戻したフォルミーカはもう世界を滅ぼしたくなどない。

 しかし、相手の魔王もここで倒れるつもりはないようだった。


「〈魔武具生成〉――魔帝剣ヴァレファール」


 両手の刀を捨てた少年が、新たに波打つ真紅の刃を備えた両手持ち大剣を生成した。その剣身に――ボワッ! と。目を惹かれるほど純粋に黒いオーラが纏う。

「黒い炎……ッ!?」

 今度こそ本気で驚愕するフォルミーカの前で、少年はぐるりと身を捻り一回転。全方位から飛びかかっていた白蟻の群れを、放たれた黒炎が一瞬で飲み込んで焼き尽くした。

 まさか、彼が『呪怨の魔王』が警告していた『黒き劫火』――かつての〝魔帝〟の血族だというのか。

 そんな奴が魔女の手先に成り下がっている……?

 ありえない。

 確認の必要がある。

「下位の魔王ではないことはわかりましたわ。わたくしはフォルミーカ・ブラン。『白蟻の魔王』ですわ。貴方の名前を聞いてもよろしいですの?」

「白峰零児。異界監査官で今はこのアパートの管理人代行だ。魔王としては……『千の(つるぎ)の魔王』らしい」

 魔王名を告げる時は物凄い抵抗を感じたが、とにかく聞いたことのない名だった。かといって見縊ることはできない。それだけの力をたった今見せられたからだ。

「貴方ほどの魔王が、どうして魔女に?」

「やっと話をするつもりになったらしいな。まず言っておくが、俺は本当に魔女なんて知らない。たぶん、この邸に住んでる連中も同じだ」

「そんなはずは……」

 ないと言いかけて、フォルミーカはこの邸で戦った他の住人たちを思い出す。誰もが魔女のためというよりも、邸自体を守るために戦っていた。フォルミーカを一度討ち取ったあの男は特にそれが顕著だったように思える。

 魔女は、正体を隠して住人に溶け込んでいる?

 そうだ。今の魔女は――おっさんだった。

 では、フォルミーカは関係ないことでここまで暴れてしまったことになる。この白峰零児とかいう魔王も、先程吹き飛ばしたドラゴノイドとアンドロイドも、無関係?

「だとすれば、貴方たち相手に戦う必要はありませんわね」

 敵意を消し、剣を日傘に戻す。

 と――きゅるるるるるぅ。

 張り詰めていた気が解かれた途端、フォルミーカの腹部辺りが可愛い鳴き声を発した。

「……お腹が空きましたわ」

 顔を赤くしたフォルミーカは力が抜けてぺたんとその場に腰を落とした。

 空腹のあまり近くに転がっていた木片を摘んで齧る。

 温泉の味がした。

「うぇえええ」

「だから大丈夫か!?」

 思い出したら吐きそうだった。


        ***


「はははははははは! 大将の代行が来てちったあ回数は減ったが、まだまだよくぶっ壊れるなぁ!」

「なんかもう本当に申し訳ありません!」

 いつものように黒いマッチョの建築業者が一瞬で邸を直してくれたことに、白峰零児はもう土下座くらいしてやろうかという勢いでペコペコと頭を下げていた。なんなら願わくば諸事情で崩壊した自宅も直してくれませんかね? と訊ねて提示された見積金額に胃薬がマッハで消えたまである。


 そして――

 その向こうでも同じように、しかし零児よりもずっと深く低頭して謝罪の意を伝えている真っ白な少女がいた。

 言うまでもなく、『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランである。

「えーと」

「事情はわかったようなわからないような……?」

 魔王の誠心誠意な謝罪を受けた住人たちは皆が困惑している様子だった。中西悠希と管理人の娘らしい伊藤こののなんかは顔を見合わせて眉をハの字にしている。

 住人代表としてフォルミーカと対面している中西栞那が大きく息を吐いた。

「はぁ……とりあえず、あんたを許す許さないは管理人が退院したら決めてもらう。それまでは保留だ」

 結果的に管理人が入院するほどの被害を出してくれちゃった魔王を、誰もが本音のところでは許すことなどできないだろう。フォルミーカも許されたいとは思ってはいない。なにより自分が一番許せないのだから。

「ただ、それは異世界邸の住人としてだけだ。こいつらがどうするかについて我々は関与しない」

 栞那が後ろ指を差した先には、フォルミーカを親の仇以上の怨嗟を込めて睨んでいる少女二人がいた。

「私たちのこと、覚えてますよね?」

「ベツィーにリュファス、私たちの世界にしたことを忘れたとは言わせない」

 この世界の一般的な服装と思われるシャツとスカートを履いているが、その顔には見覚えがあった。

「ベーレンブルスの勇者たちですわね。忘れてなどいませんわ。人間の心を取り戻したとはいえ、わたくしが魔王として行ってきたことは消えませんもの」

 最後に滅ぼした世界。

 取り逃がしていなければ命を奪っていただろう少女たちだ。

「私たちにはあなたを処断する権利があります」

「殺されることも覚悟しての謝罪だと受け取った」

 アルメルが杖を、カーラがナイフを構える。アルメルの杖は守護者の力が宿った神器だが、カーラのナイフはその辺にある日用品のようだ。彼女の神器だった槍はフォルミーカが美味しくいただいてしまったからなくて当然である。

 嫌でも罪を感じてしまう。

 フォルミーカは静かに瞑目した。

「そうですわね。殺されても仕方ありませんわ。でも、それはわたくしの目的を叶えてからにしてもらえませんの?」

「なに? 世界征服とかだったら今殺す」

「待ってカーラ。話は聞きましょう」

 今にもフォルミーカの喉元を掻っ切りたくて仕方ないといった様子のカーラを、かろうじて理性的なアルメルが手で制す。

「わたくしを魔王に変えた『降誕の魔女』。彼女がいる限り、本来生まれないはずの魔王が生み出され続けることになりますの。だからわたくしが魔女を討つ。その後でならば、この命好きにしてくださって構いませんわ」

 これは命乞いではない。刺し違えてでも魔女を斃すという意思を真摯に告げる。

 アルメルとカーラ、それに他の異世界邸住人たちも『魔女』という単語に怪訝な表情をしていた。やはり、誰一人として正体を知らないらしい。

 だったら、ここで盛大に暴露してやることで奴を追い詰められるかもしれない。

「その魔女はどこに?」

「それは、このやし――うッ!?」

 話そうとしたその瞬間――首筋にチクリと嫌な感覚が走った。

 続いて首輪のような痣が浮き上がる。何者かに術をかけられたと認識した時には既に遅い。首は締まり、心臓は圧迫され、死のイメージが頭の中に怒涛の如く雪崩れ込んでくる。

「あ、あぁああぁあああぁぁぁああああぁああぁあああぁぁぁあああぁあぁああぁあああぁぁぁあああぁあぁああぁあああぁぁぁあああぁぁあッ!?」

「どうした!?」

 堪らず悲鳴を上げて崩れるフォルミーカに、医者の栞那と魔術師のセシルが駆け寄った。栞那は容体がわからず首を振るが、セシルはフォルミーカの首の痣を見てなにかに気づく。

「う~ん、これは呪いだね♪ その魔女とやらについて喋ったりすると死ぬ系の呪いだ☆ しかも恐ろしいくらい超強力❤」

「セシル、解呪はできるか?」

「無理♪ 状態異常なんてオール無効な魔王クラスでもかかる呪術だよ? 門外漢のセシルちゃんが解くってぶっちゃけ不可能だよね☆」

 お手上げのポーズを取るセシル。幸いにも考えることをやめたら苦しみは徐々に減っていった。そもそも思考そのものを奪われるため、余程に強い意志力でもない限り抗うことはできないだろう。

「これが、あの『白蟻の魔王』……?」

 みっともなく這いつくばるフォルミーカに、カーラが構えていたナイフを下げた。

「アルメル、どうする?」

「魔女の存在は確かなようだし、魔王を生み出すってことなら私たち――ううん、どの世界にとっても放置できない問題だと思う。だから――」

 アルメルも杖を引く。

「この魔王は貴重な情報源ってこと?」

「そう。呪いで喋れないみたいだけど、解呪されるまでは処分しない方が得策かな」

「アルメルが言うなら、わかった」

 殺気も収めたカーラが背中を向けて去っていく。アルメルも踵を返すが、最後に一度だけフォルミーカを振り向いた。

「そういうことです。今はなにもしないでおきます。ただ、そちらから私たちには関わらないでください」

 それだけ言い残し、アルメルもフォルミーカの視界から消える。

 去った二人を見送ってから、栞那が腕を組んで今後のフォルミーカの処分を言い渡す。

「あっちも保留ってことなら、このまま監視の意味も込めて異世界邸に住んでもらう方がいいな。戦闘力は申し分ないし、見たとこどっかの馬鹿どもよりは常識的なようだ」

「おいおい医者先生、この邸に非常識な奴らがいるのかよ?」

「少なくとも我らのことではなかろう。戦乙女(ヴァルキリー)の姐御のことでは?」

「どうしてですか!? 私はちょっと戦うのが好きなだけで常識人ですよ!?」

「お前ら全員だ馬鹿野郎」

 本気ですっ呆ける問題児三人組に疲れた表情でツッコミを入れる栞那。ようやく体が楽になってきたフォルミーカは、なんとか上体を起こして咳き込みつつ礼を言う。

「けほっ、はぁ……はぁ……感謝、しますわ」

 だが、彼女の視線は栞那たちに向けられていない。

 紅玉の瞳は直ったばかり異世界邸――その屋根の上に立つ小さな人影を見据えていた。


        ***


 騒ぎが解散した後、フォルミーカは真っ先にその人影を追いかけた。

「見つけましたわ。呪いなどと、卑怯なことをしてくれましたわね」

 先程屋根の上に見たのは小柄な少女っぽい人影だったが、フォルミーカが追い詰めた人物は和装の中年男性だった。

 人違いなどではない。この男こそ、フォルミーカが復讐すべき〝魔王生み〟――『降誕の魔女』ことアルマ・クレイだ。

 おっさんの姿では呉井在麻と名乗っているこの魔女は、カラコロと笑いながら無精髭の生えた顎を擦った。

「そりゃあ、ここはオレの家だからねぇ。家族にこんなおっさんが実は魔法少女でしたなんて知られたら気持ち悪がられちまう」

「なにが魔法少女ですの。魔女でしょう」

「それにしてもよく生きてたねぇ。白蟻はゴキの仲間らしいし、しぶとさはまさしく超魔王級だよ」

「わたくしをあのような気色の悪い虫ケラと一緒にしないでほしいですわ!」

「おー、怖い怖い」

 射殺す勢いで睨みつけるフォルミーカを在麻は飄々と受け流す。そんな態度にいちいち腹を立ててなどいられず、フォルミーカは魔力を収束させた掌を翳した。

「まあいいですわ。わたくしに呪いをかけた時に元の姿に戻っていたのでしょう? だったらしばらくは戻れないのではなくて? その姿で、今のわたくしに勝てますの?」

「勝つ必要はないなぁ」

 ニヤリと在麻が不敵に笑う。

 途端、再び首に痣が浮かび上がり、先程の死ぬに死ねない苦痛が押し寄せてくる。

「ぐっ、また……」

 すぐに攻撃の意思をやめる。するとやはり、苦しみは引いていった。

「わかったかい? オレのこと喋るだけじゃないぞ。オレや水矢に害なそうとした時も発動するんだ。覚えておくといいんじゃね?」

 死ぬ気で挑めば……いや、元よりフォルミーカ死ぬ気だ。それでも本能的に身を引いてしまうほどに呪いの苦痛は強烈だった。

 これでは魔女を殺せない。

「この呪い、どうすれば解けますの?」

「いやいや、それを術かけた本人に聞いちゃう? まあ、そうだな。ちょこーっとおっさんの仕事を手伝ってくれたら教えてやらんこともないなぁ」

「わたくしに魔王を生む手伝いをしろと言うんですの!?」

 そんなことをするくらいなら自害する。だが、次に在麻の口から紡がれた言葉はフォルミーカの頭では理解できない内容だった。

「実はオレの書いてるラノベがコミカライズすることになってさ」

「は?」

「漫画を水矢先生が書くことになったんだよね」

「はい?」

 なにを言っているのだ、このおっさんは?

「この異世界邸に出入りできるアシスタントが欲しかったんだわ。いやぁ、丁度いい人材がいて助かったなぁ。だから、お ね が い☆」

「はぁああああああああああああああああああああああッ!?」

 意味がわからない。わからないこその絶叫だった。

「よーし、さっそくトーン貼りの練習だ!」

「ちょ、どこに連れて行く気ですのぉおおおおおおおおおおおおッ!?」

 在麻に腕を捉まれて引っ張られる。抵抗すれば呪いが発動。もはやわけがわからないままついていくしかないフォルミーカだった。


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