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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人不在の異世界邸
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諜報員活動記録【part山】

「うーん、一見すると何ともないっすねー」

 横に立つ大柄な男ののほほんとした口調に苛立ちを覚えながら、私は望遠魔術と盗聴魔術を維持して対象の監視を続ける。

「実に平和な地方都市って感じっす」

「…………」

「本当に魔王の襲撃なんてあったんすかねー」

「……………………」

「ていうか、魔王ってどうやってこの世界に来たんっすかね? 今この世界って次元の壁が分厚くなってて往来が困な――」

「うるせえですねこの木偶の坊!!」

「ひっ!?」

 隣でグチグチうるさい男に牙を剥くように一喝を入れる。

「こっちは高度望遠魔術と盗聴魔術の併用でいっぱいいっぱいなのです! だというのに貴様はいつまでくっちゃべっているつもりなのです!」

「す、すみません……沈黙が続くとなんか気まずくて……」

「この木偶! 貴様には諜報員としての自覚がないのですか!」

「うぅ、ごめんなさい……」

「あと魔王がどうやってこの世界にやって来たのか調べるのが私たちの今回の仕事なのです! それを私に聞いてどうするつもりなのです! ちったぁ頭で考えてから発言しやがれです!」

「は、はいぃっ!」

 一通り罵声を浴びせた結果、今いる高層ホテルの屋上の隅っこで膝を抱えて大人しくなった相棒を確認し、私は再び魔術を練り直して対象の観察に戻る。

 全く、こいつと組む羽目になってから碌なことがない……。

 依頼された情報は確実に入手し、または偽情報を流して敵組織を攪乱する。素顔は直属の上司以外知らない、エリート中のエリート諜報員と定評のあった私が新人諜報員を押し付けられて早半年。ミッションの成功率は明らかに下降傾向にある。

 というのもこの木偶があまりにもポンコツすぎるのだ。

 そもそも体がデカく、隠密行動に向いてないのにミッション中にお喋りをするわクシャミをするわと酷い有様だ。かと言って手先が器用かと言えば、盗聴器の設置をミスって監視対象の目の前で落としたり、怪しいメールに添付されていた情報抽出用コンピューターウイルスに気付かず開封したりと、こっちもこっちで目も当てられない。

 おかげでこっちの成績にも響いている。何度木偶の坊と罵ってもこちらの胃が癒えることはない。

 ……いや、褒める箇所が全くないわけではないのだが。

 この男、何故か現場撤収能力――逃げ足だけは無駄に優秀だった。それで窮地を脱することができたのは一度や二度ではない。もっとも、窮地に陥ったのは全部こいつのせいなのだが。

 ああ、思い出しただけで腹が立ってきて魔術が雑になる。

「…………」

 大きく深呼吸し、魔術の維持を意識して努める。

 私の精神衛生と出世街道への復帰のため、さっさとこのくだらない新人研修を終えねばならない。そのためにも、この街でもミッションを完璧に遂行してポイントを稼がねば。

 ……しかし。


『うわ、こいつはダメかもしれねーぜ♪』


 盗聴魔術で聞き取った会話の内容に、私は「やはりダメか」と気分が沈む。

 今回私たちが所属組織である世界魔術師連盟から言い渡された任務は、次元を超えて世界を渡り歩く魔王の魔術を奪うことだった。

 先程隣の木偶も言っていたが、今この世界はどっかの部署の魔術師が大規模実験の失敗をした弊害で、ただでさえ困難な次元渡航の難易度がさらに上がっている。その現状を打開するためにも、魔王の次元転送系統の魔術は有力な手掛かりとなる。

が。

「頼みの綱の魔王の空中要塞がアレだけ派手に破壊されては、手掛かりどころか痕跡もクソもないのです」

 望遠魔術によってもたらされる海岸の映像には、地元の魔術師の手によってサルベージされた空中要塞の残骸が映し出されている。しかしそれは何とか戦艦の形を留めているだけで、この距離からでも魔術回路はメタメタであることは分かる。

「無駄足だったのです」

「どうしましょう、先輩」

「とっとと報告して本部に帰還するのです。あの異世界の素材でできた空中要塞の残骸は魅力的ですが、地元術者に不用意に接近するほどの価値はないので――!?」

 私は息を呑んだ。

 海岸で空中要塞のサルベージと解体作業を行っていた地元の術者と思われる六人の人影のうち、白衣を纏った小柄な女――先程までは後姿と左側の横顔しか見えなかったため気が付かなかったが、隣の背の高い女性と何やらじゃれ始めたことで振り返り、その人相の全貌を掴めた。

 彼女は顔の左半分を除く、右眼球に至る隅々まで隈なく、魔方陣の刺青が彫られていた。思い返せば、盗聴魔術がとらえた胡散臭い口調も資料映像で耳にした記憶がある。加えて、傍らに控える褐色の肌を持つメイドも、ここ数週間の間に行方不明となっていた、かつて彼女に従事していた魔術実験体に酷似している。

「魔方陣の権威にして連盟指名手配犯セシル・ラピッド……ここ数年音沙汰がないからついにくたばったかと思いましたが、こんなところに潜伏していたのですか」



          *



 セシル・ラピッドは世界魔術師連盟では魔方陣の構築と解読、簡略化の分野において権威とすら称されていた魔術師であった。どれほど複雑で奇怪な未開の魔方陣であっても、彼女の手にかかればたちどころに解体され、分解され、解読され、簡略化された。

 彼女の手によって、いくつもの高難易度の魔術が簡易的な魔方陣と始動呪文詠唱で扱うことができるようになり、連盟の魔術界での地位は向上していった。

 ある者は彼女を、高級フレンチのフルコースを熱湯3分で完成するインスタント食品で表現し、なおかつ味と満足感は全く劣らせることなく作り替えることのできると言っていた。

 だが、それも30年以上前の話だ。

 30年前のある日を境に、セシル・ラピッドは魔方陣の研究からは手を引き、魔方陣とは似て非なる分野であった魔導書の研究を狂ったように推し進めた。


「何て言えばいいのかな? セシルちゃんもまだよく分かってないんだ♪ でも魔導書そのものを起点にして魔術を発動させる――『魔導書使い』とでも呼ぼうかな☆ 彼らの存在を知っちゃったら、もう魔方陣なんてカビ臭いこと研究してらんねーよ! あははっ、あと50年もしたらこの世界の魔術の半分はアレに取って代わられてるかもしれないぜ♡」


 当時を知る者曰く、それが連盟の中で彼女との会話が成立した最後の記録であったという。

 とは言え、彼女の事情はともかく、連盟がそう易々とそれを許すはずもなく。

 魔方陣分野から手を引いた後も引っ切り無しに舞い込んでくる仕事に嫌気が差したのか、セシル・ラピッドは連盟全体が転覆しかねないほどの巨額の研究資金を無断で持ち出し、人知れず自身の研究所から行方を晦ましたのだった。

 大幹部クラスの魔術師の離反というだけで連盟の沽券に係わるうえ、持ち逃げされた額も額だった。連盟はすぐに彼女を追ったが、端から隠す気がないのか彼女の行動は派手で、その奇特な容姿も相まって足取りだけはすぐに掴めた。しかし悉く追っ手が撒かれ、撃退され続けて早30年である。未だに指名手配は解除されておらず、当時彼女が持ち逃げした資金を超えるほどにまで膨れ上がった本末転倒な懸賞金だけが伝説として連盟に残されている。

「まさかこんな田舎であんな大物を見つけられるとは、ついているのです……!」

 海岸でサルベージを終え、その場にいた青年に空中要塞の残骸の運搬を依頼した後、一行は車に乗り込んでどこかへ向かっていた。

 隠蔽魔術に隠蔽魔術を折り重ね、さらに道行くセシル・ラピッドが同乗する車と距離100メートルは確保しながら、魔術によって高めた身体能力を用いて単身で追跡する。木偶は当然置いてきた。邪魔。

 セシル・ラピッドは常に気を張り詰めているような戦闘向きの気質ではないとは言え、その分彼女に付き従う魔術実験体の方がボディーガードの役割を担っているため、不用意な接近は危険すぎる。さらに一緒にいるもう一人の女が未知数であるため、強硬手段による捕縛はやめておいた方が無難だろう。

 だが奴のアジトを特定できるだけでも、この新人研修から解放されて本部直轄に戻るには十分なポイントになるだろう。独断専行によるミッションだが、失敗は許されない。

 家屋の屋根を伝い、一行の乗った車を追跡すること十数分。

 山の麓の月極パーキングに駐車した一行はそのまま徒歩で入山していった。

「この山……全体に人払いと認識阻害、それに侵入防止の結界がかけられているのです」

 なるほど、こんなところに引き篭っていたのか。どうりでここ数年何の情報も出ないわけだ。

「流石に何の準備もないままの侵入は愚策なのです」

 だが居場所は掴んだ。

 あとは確実な証拠を持ち帰れば……自然と笑みがこぼれた。



          *



 後日。

 私は隠蔽魔術をさらに上乗せし、山を駆け上る。今日も当然一人である。木偶は邪魔。

「結界の中に侵入する術式はいくつか準備してきたのです。流石にこれだけあれば足りると思いたいのです……」

 しかしそれは、結局のところ杞憂であった。

 人が何度も通っている形跡のある個所に沿って歩いていると、フッと体に違和感が生じた。どうやらここが結界の境目らしいと気付いて強固な意思を持って足を進めると、すぐに違和感は消えてなくなった。

「……? 結界がほとんど機能していないのです?」

 そこにあるが、あるだけだった。

 まるで主が鍵をかけ忘れた家に侵入するような呆気なさ。

「セシル・ラピッドの潜伏先にしては不用心な……もしかして、先日の魔王騒動で何らかの問題が生じたのです?」

 だがこれはこちらにとっては好都合。

 心置きなく大手を振って不法侵入させてもらおう。

 そこからさらに数分。

 木々が生い茂る山道が急に開け、巨大な洋館が目の前に現れた。どうやらここが彼女の潜伏先のようだ。

 しかし……。

「何なのです、この洋館は……」

 ソナー形式の簡易的な索敵魔術を飛ばしてみたが、反応が何一つ返ってこない。空間そのものが歪んでいるのか、見た目通りの広さの建築物ではなさそうだ。こんな訳の分からんところに住み着かれちゃ、連盟も探し出せないわけだ。

「さて、ここで戻ってもいいのですが……念のため、中も確認しておくのです」

 この未知の洋館についても報告は必要そうだ。情報は多い方がいいだろう。

 ガチャリと大きな扉のドアノブを回す。鍵はかかっていないようで、すんなりと開いた。

 扉の向こう側は大きな玄関ホールとなっていた。中央に立つ古く巨大な柱時計が特徴的なホールからいくつも伸びる廊下を見るに、やはり空間が捻じ曲がっているらしく、外見以上の広さを持つことは間違いなさそうだった。

「ここからセシル・ラピッドの寝床を探すのは骨が折れそうなので――」


 ゴオッ!!


「っ!!??」

 突如目の前のホールが火の海に沈んだ。

「な、な、なっ!?」

 あまりにも唐突に視界を埋め尽くした業火に、私は集中を切らして纏っていた魔術の一切合切を消し飛ばしてしまった。

 まさかセシル・ラピッドに尾行を勘づかれていた!?

 もしやこの洋館そのものが追跡者を焼き殺すトラップだったのか!?

「に、にげ――」


 どごんっ!


 踵を返して逃げ出す直前、目の前を人間大の大きさの物体が二つ、ものすごい速度で通過していった。二つの物体は反対側の壁にぶつかり、床を焼く炎の中に落下していった。


「だあああああらっしゃあああああ!!」


 どこからともなく轟く雄叫び。

 次の瞬間、ゲリラ豪雨のような強烈な水量が天井から降り注ぎ、ホールの床を焼く炎を一瞬で消し飛ばした。

「…………」

 目の前の光景を何一つ理解できず、私は黒く焦げたずぶ濡れの床にペタンと腰から崩れ落ちた。尻が冷たかったが既にずぶ濡れ故に構うものか。

「ったく! 毎度毎度派手に暴れやがって……これを毎日処理してた管理人って本当に何者なんだよ……ミス・フランチェスカの水鉄砲があったからいいものを、また全焼するところだったぞ」

 二階へと続く階段から誰かが下りて来た。鎮火の煙でよく見えないが、右手に日本刀、左肩に巨大すぎる玩具のバズーカを抱えた少年と言っても差し支えなさそうな男だった。

 しかもその魔力、空中要塞の残骸に残っていた魔王の魔力とどことなく似ている。話に聞くような狂気は漂わせているようには見えないが、何者だ?

 少年は先程飛んでいった二つの物体へと近付き、懐から包帯のようなものを取り出してそれらをまとめ上げるように縛り付けた。

 あれは……幻獣ドラゴニュートの雄体? それにもう一つは一見すると人間に見えるが、体の大部分が機械化されていた。アンドロイドという奴だろうが、明らかにこの世界の技術ではない。どちらも気を失っているのか微動だにしない。

「一体……ここは……?」

「ん……? あっ!?」

 思わず口からこぼれた声に、少年が耳聡く反応した。

 しまった、隠蔽魔術がきれていたのだった!

「す、すみません! まさか人がいるとは思わなくて! 大丈夫ですか!?」

「……あ、あの……」

「あれ? 見ない人ですね」

 ヤバい。

 一瞬でこの後の逃走経路を脳裏に描き切る。最悪、少年にはこの数分の記憶を改竄させてもらわなければならない。

「もしかして、新しく飛ばされてきた人?」

「失礼な!」

「え?」

「……じゃなくて、どういうことなのです?」

 危ない危ない。

 確かに本部から新人研修担当に飛ばされたが、彼はそういうことを言っているわけではないはずだ。

 それにしても幸いなことに、向こうはこちらが不審者であるとは気付いてない様子だった。流れに身を任せ、私は「何やら巻き込まれて事態を把握できていない通行人」を演じることとした。

「きゅ、急に炎が……それで……」

「ああ、すみませんすみません! うちのバカ共がホント申し訳ない! 怪我はしてないですか?」

「怪我は、ない、と思うのです」

「――ってずぶ濡れ!? すみませんそれは俺のせいです!」

 それについてはマジで謝れ。

「と、とにかくこちらにどうぞ。まずは着替えと、あと簡単に現状説明を。あなたのお話も聞きたいですし」

「あ、はい……」

 少々まずいか?

 ぼろを出す真似はするつもりはないが、事情聴取に対応するためのシナリオを早急に用意しなければ……。



          *



 那亜と名乗った子持ちの女性が貸してくれたこの国の民族衣装に着替え、私は管理人室と思しき部屋で少年から事情を説明された。

「ここは通称異世界邸と呼ばれておりまして、何らかの理由で次元転送に巻き込まれたり、自分から渡航してきた人たちがこの邸に冷蔵庫の形をした(ゲート)に飛ばされて、自然と集まって共同生活をしている所なんです」

「は、はあ」

 それが本当であれば、是非ともその門は調べされてもらいたいものである。

 しかし何故冷蔵庫。

「管理人代理。検索結果が出ましたのにゃ」

「お、早いな」

 二足歩行をする猫のような生き物――三毛と名乗った獣人がトコトコとこちらにやって来た。

 先程出身地の検索をするから握手をして欲しいと言われたが、まさか異世界人が集まる共同住宅だとは思っていなかったため素直に応じてしまった。何とか誤魔化さなければ……。

「こちらの方、生まれも育ちもガイア――この世界の出身ですにゃ」

「そうなのか?」

「はいですにゃ」

「同じ世界って……そういうことってあるのか?」

「珍しくはありますにゃ、ないわけじゃないですにゃ。今いる住人の中だと、中西親子とセシルにゃんがこの世界の出身ですにゃ。セシルにゃんは魔導書の実験に失敗して冷蔵庫を介して転送されてきましたのにゃ」

「へー。普通の『次元の門(プレナーゲート)』とはまた違うんだな」

 誤魔化す必要はなかったことに静かに息を吐く。

 というかセシル・ラピッド、自分の実験に失敗してこんなところに飛ばされてたのか。案外間抜けというか何と言うか。

「じゃあこの場合はどうすりゃいいんだ? この世界のどこかから飛ばされて来たんなら、頑張れば帰れるだろ」

「にゃ。そこは本人次第ですにゃ。セシルにゃんみたいに居着くも良し、帰るも良しですにゃ。そもそも異世界から飛ばされてきた人たちも、帰りたい人はさっさと帰るですにゃ。元いた世界と強いつながりのある物を所持していれば、ウィリアムにゃんが冷蔵庫を開けられますからにゃ。今いる住人の大抵の場合は、世界を繋げられるほどの物を持ち合わせてなかったり、そもそも帰る気がない連中ばっかりですにゃ」

「ふーん、なるほどな」

 聞けば管理人代理の少年――白峰零児はつい最近この仕事を任されたらしく、まだまだ勉強中であるとのこと。一応は客扱いではある私の前であれこれ質問するのはどうかとは思うが、その勤勉さには好感が持てる。あの木偶の坊に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 ともかく、白峰零児が熱心に三毛の話を聞いている間に私はテーブルの下を指先で探っていた。

 盗聴器を仕掛けるためである。

 画鋲ほどの大きさの極薄の盗聴器だが、この部屋の中の会話を探るには十分な性能を持ち合わせている。管理人室で交わされる会話であれば、重要な情報が含まれていてる可能性もある。

「……ん?」

 仕掛ける場所を探していた指先に何かが触れる。

 目の前の二人に気付かれないようそっと外してテーブルの下で確認すると、超小型の機械――型は違えど、盗聴器であった。

 先客がいたのか……? だとしたらこの場所に仕掛けるのはまずいな。この盗聴器はもちろん持ち帰って解析するにしても、誰かは知らないが回収に来た曲者と私の盗聴器を交換するという阿呆なことになりかねない。

 さて、ではどこに仕掛けようかと頭の片隅で考えていると、白峰零児が「それで、どうしますか?」と尋ねて来た。

「どうする、とは……?」

「すぐ帰りますか? それとも滞在しますか?」

「うーん……」

 あまり長居しすぎてセシル・ラピッド本人と出くわして感づかれるのは大変まずい。かと言ってこの屋敷を調べたいという気持ちもある。明らかにこの屋敷は連盟も把握していない技術で建てられているし、特にその冷蔵庫は是非とも調べたい。情報は少しでも欲しい。

「……うん、そうなのです。近いうちに国には帰りたいのですが、特に急ぎの用もないので2、3日程度は滞在して行こうと思うのです」

「了解です。えーっと、短期滞在用の書類は……これだな。こちらにサインを。あとこれ、ほとんど機能してませんが規約集。あ、日本語と英語がありますが」

「あ、日本語で結構なのです」

 出された書類にサインと必要事項を記入していく。もちろんすべて嘘っぱちだし、筆跡も変えてある。念には念を入れて契約魔術を無効化できるよう、本来の利き手ではない左手で記入した。

「えー、アリス・ユニさん。イギリス出身……16歳!?」

「な、なにかおかしかったのです?」

 しまった、祖国では実年齢より幼く見られるから低めで書いたのだが、もう少し低くした方が良かったか?

「まさか年下とは……そうですよね、欧米の方って、日本人より大人っぽいって聞くし」

 んなこたぁなかった。

「ではアリスさん。短い間ですが、よろしくお願いしますね」

「はいなのです。よろしくお願いするのです。……あの」

「なんでしょう?」

 結局盗聴器を仕掛けるチャンスを逸してしまった。少しでも時間を稼いでこの部屋を観察し、あわよくば白峰零児の注意を逸らせて盗聴器を仕掛けたいのだが。

「ちょっと気になったのですが、この地下……」

「地下?」

「地下に、何かいませんか?」

 実はこの部屋に入ってから、足元から妙な気配を感じていた。

 この不自然に不可思議を織り交ぜて煮詰めたような屋敷に置いて、なおも違和感を覚えざるを得ない気配。隠蔽魔術か何かをかけられているのか、よく注意しないと気付けなかったが、この気配は何なのだろう。

 どちらかと言えば、あの空中要塞の残骸にこびりついていた魔王の魔力残滓に似ている。が、あれほど純粋な邪悪の権化のような物でもなく、かと言って神聖の対極に位置しているような、私もこれまで感じたことのない謎の気配。

「えーと、地下地下……確か温泉以外は……あー、確か入り口周辺は見取り図があったな。すいません、確認するのでちょっと待ってください」

 と、白峰零児は席を立って執務室へと向かってこちらへ背を向けた。

 ……今がチャンス!

 私は背後の本棚に手を伸ばし、その裏に盗聴器を――

「ああ、あったあった。この管理人室の真下ですけど、食堂の那亜さんが管理してるワインセラーが――」


「邪魔するぜ」


「っ!?」

 あまりにも唐突に開かれた管理人室の扉に、私はびくっと肩を震わせた。すんでの所で本棚へと伸ばした腕は引っ込めたが、危うく盗聴器を落としそうになった。

「なっ!? 誰だあんたいきなり!?」

 慌てて振り返った白峰零児も驚きの表情を浮かべた。どうやら予期せぬ客人であったらしい。

「ん? あ、先客か?」

 そう言いながらも無遠慮に部屋に入って来たのは全身黒ずくめの短髪の男。左頬に横一文字に奔る火傷のような刀傷に色の濃いサングラスをかけた、あからさまに不審な様相をしていた。

「羽黒お兄様、ノックくらいはいたしませんと。流石に不躾ですわ」

 と、黒い男のインパクトが強すぎて気付くのが遅れたが、男の隣に立つ少女も少女で異様。男の対極に位置する、ワンピースを始めとした全身白ずくめの装いはともかく、髪の色まで白鳥の羽根のような純白だった。

 何だこの二人組……。

「だから誰だあんたら? その様子だと新しく飛ばされた人ってわけじゃなさそうだが?」

 白峰零児もその異様な二人に私の時とは違い警戒を隠していない。

「管理人のにーちゃんはどうした?」

「……なんか心労で倒れたらしくて入院中だ。俺はその間の代理で入ってるバイトみたいなもんだ」

「ははあ、そいつはごくろーさん。戻って来たらお大事にって伝えておいてくれ」

「なあ、その、そろそろ名乗ってくれないか? 管理人の知り合いみたいだけど」

 傍若無人にどっかと私のすぐ隣に勝手に腰かけ、男は足を組んで心にもないような口ぶりで見舞いの言葉を言伝る。そのあまりにも堂々としすぎた態度に白峰零児はどこか気圧されながらもなんとか問いを投げかける。

「俺は……まあ、俺は今回どうでもいい。保護者みてえなもんだしな。それよりも」

 と、男は傍らに立つ白い少女の背中を押す。

「初めまして。白羽と申しますわ」

「白羽?」

 やけに簡素な名乗りに白峰零児は首を傾げる。

「おい、ちゃんと名乗れ」

「えー。白羽、あの無駄に重っ苦しい肩書、嫌ですわ」

「阿呆。自分でもぎ取ったんだからちゃんと名乗れ」

「はーい」

 男に苦言を刺され、少女は渋々と言った風にスカートの裾をちょんと摘まんだ淑女の礼をした。


「改めましてお初にお目にかかりますわ。わたくし、八百刀流『瀧宮』二十四代目当主、瀧宮白羽と申します。しばらくの間、この邸に滞在したく参りました」


「…………」

 やおとりゅう。

「……………………」

 たつみや。

「………………………………」

 とうしゅ。

「…………………………………………っ!!??」


 八百刀流「瀧宮」当主!?


「ほらほら白羽、ちゃんと名乗りましたわ。羽黒お兄様、えらい? えらい?」

「はいはい、えらいえらい。言われなくても名乗れたらもっとえらかったな」


 そして「羽黒」で「お兄様」と呼んだか!?


「…………っ」

「どうしましたアリスさん?」

「はぇっ!?」

「顔色が悪い……っていうか本当に顔色大丈夫か!? なんか顔面蒼白を通り越して紙みたいな色になってんだけど!?」

「いいいいいえ! お気遣いなくなのです!」

 まずい!

 まずいまずい!!

 非常にまずい!!

 何で連盟に接触そのものを規制されている一族のトップがこんなところにいるんだ!?

 しかもその兄の瀧宮羽黒だと!?

 ふざけるのも大概にしろ、こいつ個人、どこぞの世界を股に掛けるきょう魔術集団かいに接触規制どころか接触禁忌生物指定されていただろ!! 一体何をやらかしたのか知らんが、そんなのがホイホイやって来るって、この洋館どんな魔窟だ!!

 もし連盟関係者である私が接触してしまったことがバレたら、今までギリギリのところで均衡を保っていた協会と連盟の軋轢を生むことになりかねない!

 手配書の写真と比べかなり様相が変わっていたため気付くのが遅れてしまったのが致命的だ。気付いていたらなりふり構わず全力で逃避していたというのに!

 いや、それに加えてこの当主だという少女、さっき何と言った!?

「ここに滞在?」

「ええ、その通りですわ」

「なんでまた、こんな伏魔殿に?」

 事の重大さ、というか「瀧宮」について知らないのであろう白峰零児は暢気にもそんなことを聞き返していた。

 瀧宮羽黒が答える。

「まあざっくり説明すると、しばらくの間こいつを毎週末麓の街に通わせることになったんだ。まあ塾通いみたいなもんだと思ってくれ。だがさっきも名乗った通り、ちょいとヤンゴトナキご身分でな」

 何がヤンゴトナキご身分だ、暴力陰陽師一族(ヤクザ)の間違いだろう!

「本当は麓の街のホテルでも取ろうと思ったんだが、地元術者に『万一の時責任が取れない』って猛反対にあってな。先日の魔王騒動でピリピリしてる連中を刺激しかねんし、流石に無視はよろしくないだろうという話になってな。そこで友人に相談したら『ならばここに泊まればいい』と推薦された次第だ。あ、これ紹介状な。ここの医者先生に渡してくれたら分かるってよ」

 くそ、一体どこのどいつだ! こんな危険人物にこんな謎すぎる屋敷を紹介した奴は!!

「は、はあ……まあそういうことなら」

「とりあえず、向こう1か月ほど部屋を貸してくれ。実際に滞在するのはこいつ一人。可能なら今日から居座らせてもらいたい。基本的に毎週金曜日の夜に来て日曜の夜には帰る。送迎は俺がやるんでちょいちょい顔出すが、よろしく」

「あ、待ってくれ。書類を」

「白羽、自分で書けるな。俺は麓で寺湖田組の会合に顔出しに行かねばならん。印鑑は持ってるな」

「当然ですわ。レディですもの」

「何かあったら那亜を頼れ。じゃ、そゆことで。家賃とかは次来た時に俺に請求してくれ。後ヨロシク」

 そう言うと、瀧宮羽黒はさっさと立ち上がって扉へと向かった。

「お嬢ちゃん」

「ひっ!?」

 部屋を出て行く寸前、瀧宮羽黒は振り返ってこちらに視線を移した。

「仲良くしてやってくれや。そいつ友達いねーから」

「失礼ですわね!! 友達くらいいますわよ!」

「はっはー。んじゃ、また日曜に迎えに来るわ」

 そう言ってひらりと手を挙げた瀧宮羽黒。

「……っ!?」

 冗談抜きで呼吸が止まった。

 一体いつスられたのか。

 瀧宮羽黒はこれ見よがしに、先程回収した盗聴器と私が用意したものを指に挟んでいた。



          *



「――――――――――っ!!」

「あ、先輩、お帰りなさげぶらぁっ!?」

「木偶ぅっ!! 早く! 早く撤収するのです!! 一刻も早く!!」

「あ、えっ?」

「一ヵ月! 少なくとも一ヵ月は連盟にも居場所を気取られずに潜伏しなければならないのです!! 早く! 早く!」

「ちょ、待ってくださいっす! どういうことっすか?」

「質問はもう全部後なのです!! 早く! 私をここではないどこかに連れて逃げるのです……! お願いだから……早く……!!」

「は、はいぃっ!」


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