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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
管理人不在の異世界邸
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サルベージ【part紫】

『と、いうわけでしばらく異世界人が出入りする。見逃してやってくれ』

「了解。患者の見舞いって言うならどっちかと言えば『中西』の領分だし、上手くやってもらえればそれで良いよ」

『そいつは重畳』

「じゃあこの話はそういう事で。それで、本当に良いのかな? 今からの作業にてっきり1枚嚙んでくるかと思ったけど」

『……流石に、あんな後始末押っつけちまった案件で、儲けとろうとは出来ねえ。そこは頑張った『魔女』様のご褒美だとでも思ってくれや』

「おやおや、太っ腹だね。それじゃあ遠慮なく始めさせてもらうよ」

 そう言って、肩に乗せた蛇と会話していた『魔女』は、目前の海岸線に視線を戻す。


「——この、異世界製の飛行艇、サルベージ作業にね」


 街の北に位置する海。砂浜の広がる浅瀬には、ボロボロに破壊され、黒焦げになった巨大な物体が沈んでいた。次空艦<グランドアント>だ。

 街中を食い荒らした白蟻の巣であり、街1つ消し飛ばしかけた魔力砲の発射装置であり、最後は盛大に大爆発を起こしその大質量と炎を持ってして町を破壊しかけた、街の人々にとっては忌々しい代物である。

 ……一部人災が混ざっているが、そこはもういっそ纏めて魔王のせいにしてしまった方が気が楽であるため気にしない。

 とはいえ、苛立ちに任せて破壊してしまうのは余りにも勿体ない。なにせ異世界の素材を用いた、魔導回路で動く飛行艇だ。飛行術式すら使える人がほぼいないレベルであるこの街の……いや、おそらくこの世界の術者にとって垂涎もの。

 素材1つ、回路1つが一体いくらの額になるのか。その辺りは腕の見せ所だが、まずは解体しつつ回路を調べようというのが、本日のサルベージ作業だ。


「さてと……まずは引き上げる所からだね」

「あんなものを無理矢理引き上げたら、崩れ落ちるだろう」

 抑揚のない声に反論されて、『魔女』は視線を落とした。冷めた瞳で飛行艇を見やる声の主に、にこりと笑い返す。

「保護魔術で状態を維持しつつ引き上げればなんとかなるだろ」

「……何故俺が。他の術者達を動かせば良かっただろう」

 嫌そうな顔をするのは、公立中学の学ランを纏った少年。あからさまに気の乗らない様子なのは、2人の他に術者が1人もいないことに嫌な予感を覚えているのだろう。大正解だ。

「仕方ないだろ。今は人件費も惜しいし、怪我人だらけで通常業務もかつかつ。となればちょっと勘当されているものの日々魔術の研鑽をしている親戚に頼っても、ね」

「俺1人をこき使おうとする理由は」

「おや? 言うまでもないだろうに。私と梗の字以外、魔術に対する造詣がある人がいないからに決まっている」

 梗の字と呼ばれた少年が微かに眉を寄せた。構わず『魔女』は続ける。

「知識の混乱は時に術の誤作動に繋がる。今は特に、1人の損失も出したくないしね。新しい知識への対処に慣れた梗の字以外にはちょっと任せられない」

「涼平さんは?」

「嫌だな梗の字、これは『吉祥寺』の仕事だよ。『知識屋』の店員がどうして動くんだよ」

「……貴方は本当にあの人には甘いな」

「さあ、どうだろうね。ほら、取り敢えず状態固定の魔術をよろしく。こっちで引き上げる準備するから」

「全く……」

 小さな溜息をついて、少年が歩き出す。その背中を見送っていた『魔女』の背中に、思いがけない声がかかった。


「……眞琴、か?」


 久々に自分の本名を呼ばれた『魔女』は、驚いて振り返る。


 随分とくたびれて見えるパンツルックを纏った女性が、隈をがっつり作った目を見開いていた。その隣には、不思議そうに首を傾げる、頬に入れ墨のある女性が1人。その背後に無表情で佇む、何故かメイド服を纏った褐色の肌の女性が1人。

 幻術の類で誤魔化してはいるが物凄く怪しげな3人組に対し、『魔女』は驚きと共に破顔した。

「まさか、こんな所でお目にかかれるとは。お久しぶりです、栞那さん」

「やっぱり眞琴か……すっかり成長したから迷ったよ。いい女になった」

「栞那さんにそう言っていただけるとは、光栄です」

「いっちょ前に敬語まで使えるようになって。今更必要ないぞ」

「あはは、栞那さんらしい」

 軽やかな笑い声を上げて、『魔女』は栞那に歩み寄った。隣にいた女性が声を上げる。

「栞那ちゃん栞那ちゃん、お友達なのかな? セシルちゃん初めて♪」

「そりゃ街の人間だからさ。眞琴、こいつはセシルといって、異世界邸に住む魔術師だ。セシル、彼女は眞琴。あたしの友人の妹分……って紹介でいいよな」

 最後の言葉は『魔女』に向けられたものだ。苦笑して、『魔女』は頷いた。

「うん、その方が互いの為なんだけど……とんでもない人を連れてきたものだなあ、栞那さんも」

「? なんだ、知ってたのか」

「データ上でね。よく麓に下りてきたね? 世界魔術師連盟指名手配犯、セシル・ラピッド殿。もしも私が連盟のご機嫌取りをしたら……とか、思わなかったのかな?」

「おやおやあ?」

 入れ墨の女性——セシルがびっくりしたように目を見開いた。栞那をちらりと伺ったようだが、栞那本人もたまげている。

「セシルちゃんの素性を知ってるとか、びっくり♪ 栞那ちゃんのお友達とはいえ、何者なのかな☆」

「おいセシル、その言い草はどういうこった」

 栞那の反論は2人とも流し——互いに「まんまだろ」と思っている——、『魔女』がさらりと答える。

「何者と言われると困るけどね。ちょっとこの街で魔術書を売らせてもらっている一介の魔術師、かな?」

 さらりと肩書きを使い分けた『魔女』に苦情を言う人間は、砂浜の向こうで魔術作業中だ。

「連盟に加盟している魔術師さん達にも贔屓にしてもらっているから、自然手配書は回ってくるんだよ。名前とその特徴的な外見で、ね」

「あはは♪ なるほど☆なるほど、そいつはセシルちゃん迂闊だったぜ♡」

 ケタケタと笑いながらも、セシルの目は笑っていない。それに気付いた『魔女』は、肩をすくめて両手を挙げた。

「私は戦闘は専門外でね、貴方達を同時に相手どるような度胸はないよ。ここは1つ、互いに栞那さんの知り合いって事で済ませない?」

「セシルちゃんにとっては願ったり叶ったりだけどね♪ 良いのかな、折角のご機嫌取りチャンスだよ☆」

「この街の術者にとって、連盟はアテにならない組織だから」

「……流石にそこまで言い切っちゃうなんて、セシルちゃんもびっくり♪ 栞那ちゃん、この子何者ー?」

 さらっと毒を吐いた『魔女』が以外だったのか、セシルが目を白黒して栞那を仰ぎ見る。栞那は溜息混じりに首を横に振る。

「あー、セシルばっかり知られてるのもフェアじゃないな。眞琴、吐け」

「勘弁してよ」

 苦笑を滲ませながらも、『魔女』は素直に従った。

「私は『知識屋』で魔術書や魔導書を売っている店主。その一方で、この街の守護を司る家が一、『吉祥寺』の術者でもあるんだ。『魔女』と呼ばれている」

「次期当主様だからな、優秀だし街の事情もよくご存知だぞ」

「もう……栞那さん、そこまでばらす?」

「ここまで知られたら、セシルを突き出すような無謀はしねーだろ」

 言い切られ、『魔女』は昔のように苦笑いを浮かべた。

「栞那さんには敵わないなぁ。少しは追いつけたかなって思ってたのに」

「10年早い。それと……今『魔女』と言ったか」

「うん? ああそうか、栞那さんは知らないよね。ここ4,5年でその名前が定着したんだ」

「……時の流れは速いな」

 栞那が苦笑した。1つ首を振って、気にかかったことを聞く。

「街でうっかり巻き込まれたって『魔女』は眞琴だったのか」

「ええ……まあ。全く、とばっちりも良い所だよ」

「日頃の行いだな。というかまさか……先日異世界邸に管理人もひっくり返るような請求書持ってきたのって」

 貴文のうわごとを思い出して半眼で見据えられ、『魔女』はにこりと笑った。

「街を守護する善良な一術者として、当然の行いかと。私の最優先は、この街を守り続けることだからね」

「いや、管理人を言いくるめるたあ見事なもん……おい眞琴。まさかトラウマ抉ったんじゃないだろうな」

「嫌だな、目的果たすには手段を選ぶなと言うのは、貴方達の教えじゃないか」

 半目で睨み付ける栞那を、『魔女』はにっこりと笑って躱す。それを見た栞那が額を手で押さえた。

「あー……本当に、あんな馬鹿ども放置して下りれば良かった……。那亜が向かったからって安心したあたしが馬鹿だった……」

「ああ……ええ、栞那さんが来ていたらちょっとまずかったかなあ」

 『魔女』が苦笑する。その場合は羽黒が頑張っていたかもしれないが、もう少し街の負担が増えていたかもしれない。羽黒にとっての那亜が、眞琴にとっての栞那や、栞那の旦那や友人達だ。


 運が良かった、と心から思いつつ、今度は『魔女』から問いかけた。

「それで栞那さん、今日はどうしたの?」

「ああ、サルベージのおこぼれ貰いに来た」

「……あの。流石にそれはちょっと」

 さらっと爆弾を落としてきた栞那に身構えながら、『魔女』は慎重に断る。それを見た栞那が、口元だけに笑みを浮かべた。

「なあ、眞琴。なんであたしがこの時期に山を下りたか分かるか?」

「……いいえ」

 慎重に答えた『魔女』に、栞那は簡潔に言った。

「逃げてきた」

「え?」

「雨後の竹の子と化した書類と、分単位で全焼全壊する邸、途絶えぬ怪我人の訴え、安心して眠れない夜。諸々が耐えきれなくてな、ちょっくら逃げ出した」


 ちなみにどこまでも要領の良い母親にまで見捨てられた中学生が涙目で絶叫しているのだが、栞那的には学校行ってるだけうらやま案件なので無視だ。


「ええと……」

「先日どこかのお客さんからとんでもない請求書を突き付けられて、管理人ぶっ倒れてな」

「え? あれくらいで倒れちゃう様には見えなかったけど……」

「いや、これまでの積み重ねだ。が、そっちは翔に任せたからどうにかするだろ。寧ろ今は、倒れたあとの異世界邸が問題なんだ」

 はあ、と溜息をついた栞那は、確かに『魔女』もおかしいとは思っていた。


 あの、中西病院でエースだった中西栞那が、いくら怪我人が多いとは言えアパート1つの医務を司った程度でこんなやつれた様子になる筈がない。会話のテンポが普通だからうっかり流しかけたが、見かけは軽く病みかけているようにすら見える。


「一体何が……」

「いや、あたしもここまでとは思わなかったんだけどな……管理人の有り難みを知ったよ」

 ふう、とまた溜息をついて、栞那が腕を組んだ。

「管理人が今まで抑えてきた問題児が一斉にバカ騒ぎし放題でな。今あのアパート、30分おきに全壊している」

「…………は?」

 さしもの『魔女』も唖然とさせられる。栞那は真顔で頷いた。

「冗談だと思うだろう? だがマジだ。幸い避難場所はあるから怪我人は案外少ないんだが、いかんせん命の危機にさらされる回数が多すぎる。夜もおちおち寝られないんだ」

「あはっ♪ 栞那ちゃんが寝られないなんて繊細な一面あるなんてセシルちゃんびっくr……おっとあぶねえ☆」

「黙れ元凶の1人が! てめえもこんな時期くらい魔術研究やめろ、そろそろ修理費ぼったくるぞ!」


 割と本気で人体の急所を狙いメスを突き出した栞那の目つきを見て、『魔女』は納得した。なるほど、これは確かにヤバい。明らかにメンタルにきている。

 そして『魔女』は悲しい哉、かつてメンタルの限界値を超えた栞那が何をしでかしたのか、よーく知っていた。


「……栞那さん。それで、サルベージは何が狙い? 流石に管理人の代理は私達からは出せないよ」

 よって、若干の歩み寄りを見せることにした。誰だって我が身が可愛い。


「金」

 栞那の答えはシンプルかつ、身も蓋もなかった。


「はあ……まあそれはうちも同じだけど」

「そんなレベルじゃない。良いか眞琴、30分おきに全壊するという事はだ、30分おきにあの歩く筋肉だるまに依頼をするんだぞ」

「筋肉だるま……ああ、畔井さんか。……それは、うん、大変だね」


 確か、と『魔女』は記憶を辿った。あの建築会社に術での立て直しを頼むと、相当な金額になる。今現在2000億ほど請求されているが、確か一戸当たり。


「2億の請求が30分おきに積み上がっていくのは悪夢でしかないぞ」

「はは……」


 何だたった2億か、と一瞬思いかけたのはひとえに1兆なんて数字を目の当たりにしてしまった為であって、普通に詰んでいるなあと納得した。


「管理人が退院早々に請求書見てぶっ倒れても困るだろ。あたし達で少しでも金策をばと思って思い付いたのが、こいつだ」

 そういって、栞那が飛行艇を顎で示す。

「経緯は知らんが盛大に爆発して墜落したのを海に軟着陸させたって聞いたぞ。しかもその後の謎の流星群とやらで、飛行艇の存在がいい具合に関係者の記憶から薄れてくれた。ともなりゃ少しくらい失敬してもいけるだろってんで、魔導回路の分析が出来るセシルを連れてガメに来たんだよ。まさか眞琴が一足早いたあ思わなかったが」

「……相変わらず筒抜けだなあ」

 異世界邸から麓の様子は目視できないはずなのだが、見事な情報漏洩ぶりである。経路は聞くまでもないので、『魔女』も苦笑程度で止めておいたが。

「よく言う。考えたことは同じだろ?」

「まあね。魔術書の元になりそうな知識は是非とも欲しいもの」

 軽く頷いた『魔女』に、栞那はにっと笑った。

「困った時はお互い様。セシルならいくらでもこき使って良いから、少し分け前を寄越せ。何、丸ごと金目のものを掻っ攫う気は無いから安心しろ」

「はあ……ここで断ったら碌な事無さそうだし、どうぞ。目を盗んで盗るのはやめてよ?」

「よしよし、眞琴が相変わらず素直な良い子であたしは嬉しいよ」

 満足げに頷く栞那の隣で、セシルがぴっと手を上げた。

「よーし♪ そういう事ならセシルちゃん、あっちで作業してる少年のお手伝いしに行こうか☆ 壊さないように引き上げればいーんでしょ♡」

「うん。かなりボロボロだけどよろしく」

「任せろ♪ では——」


「んー、ちょっと待ってもらえるかな?」


 一陣の風と共に、『活力の風』と書かれたエプロンを来た美青年が3人の前に立ちはだかった。


「ちわーっす! 毎度お世話になってます、「活力の風」でぇーす!」

「おや、どうした精霊」

 栞那が声をかける。唐突な世界精霊の登場に一瞬思考が止まった『魔女』も、その声で我に返った。

「どうされましたか?」

「お久しぶりだね、『吉祥寺』のお嬢さん。異世界のものを解体しようとしてるってお話を聞いて、参上したよ」

「……別に、この世界の法則(ルール)からは外れていないかと存じますが」

 慎重に答えた『魔女』に、雑貨屋の美青年――法界院誘薙はにこにこと頷いた。

「ええ、解体も解析もご自由に。ただもしかすると拙い素材があるかもしれないからね、監視だけはさせてもらうよ?」

 誘薙の仕事は、この世界の守護。同時に、可愛い可愛い妹の手伝いをするために、異世界関連のものを監視する役割も担っている。

 それを知る『魔女』は、苦笑して頷いた。

「それは仕方ないですね。管理人が珍しく放置してくれましたし、それくらいは構いませんよ」

「まいどありー! それじゃあ僕はのんびり見学させてもらうから、ごゆっくりどーぞ」

「面白おかしく神久夜辺りに売るなよ?」

 栞那がそう言うと——バッ! と顔を背けた。何故か『魔女』は、ちょっと八つ当たりしたくなった。


 それを堪えてセシルに視線を向けると、セシルは輝く笑顔で敬礼した。

「よーしっ、行くぜミミちゃん♪」

「……(こく)」

 スキップでもしかねない足取りのセシルと、無言のまま静かに歩くミミが海岸の向こうへと向かう。今までこちらの様子に気付いていなかったのか熱心に魔法陣を砂浜に記していた「梗の字」が顔を上げる。

「はろー少年♪ ご機嫌いかがかな☆ 頼れるお姉さんがおてつだいしちゃーうよ♡」

「…………」

 無言でセシルを見上げた「梗の字」が、『魔女』に冷めた視線を向けてきた。苦笑して言う。

「優秀な魔術師だよ。折角だし手伝ってもらいな」

「……貴方のその、10分前の発言はなかったことにする精神はどうにかならないのか」

 溜息をつく「梗の字」に、セシルがぽんっと肩を叩く。

「過去に生きちゃつまらないぜ少年♪ 前を向いて生きないとね☆」

「セシルが言うと説得力が半端じゃないな」

「説得力あっていいのかって気もするけどね……」


 見物人顔で栞那と「魔女」が眺める先、魔法陣を書き上げた「梗の字」はセシルと二言、三言話したあとで魔法陣に魔力を流し始めた。セシルが合わせるように魔法陣を展開する。


「流石の構築速度だなあ」

「眞琴もあれくらいは出来るだろ?」

「さあ? 私はどちらかと言えば魔導書の扱いが得意だ」

 はぐらかした『魔女』の見る先で、魔法陣が輝いた。呼応するように、海に沈む飛行艇が淡く輝く。

「ほーい♪ これで飛行艇の保護は完☆璧だぜ♡」

「そのまま維持よろしく。栞那さんは少し下がっててね」

「あいよ」

 大人しく後退する栞那を見て、『魔女』はポケットから小さめの魔導書を取り出した。栞していたページをぱらりと開き、呟く。


「——起動」


 魔力を孕んだ風が砂を巻き上げた。激しい力の奔流は、しかし静かに、そして繊細に世界へと作用していく。

 ずず、と飛行艇が動く。波に押されるように、風に流されるように、緩やかに飛行艇が動いていく。

 大質量の物体が動いているが、波は殆ど立たない。それほどに飛行艇は緩やかに、自然の力に逆らわないように移動していった。

 だが不思議なことに、飛行艇が完全にその巨体を陽の元に晒すまで、さして時間はかからなかった。


「……よし」

 『魔女』が勢いを付けて魔導書を閉じる。パタン、という音と共に魔力が静まった。


 ぱちぱちぱち、と拍手が響く。

「おー、すっげ♪ ミミちゃんミミちゃん、見た見たー? とーっても綺麗な魔術だったね☆」

「……(こくり)」

「お褒めに与り光栄だね」

 にこやかに賛辞を受け止めた『魔女』は、さて、と視線を飛行艇に落とした。

「まずは解析から始めようか。梗の字、準備は出来てる?」

「勿論だ。だが……これは」

 「梗の字」が言葉を濁した理由は、『魔女』にも分かった。自然、表情が渋いものとなる。

「ちょっと無理かなあ……」

 辛うじて燃え残った飛行艇の素材には確かに魔力の痕跡がある。が、どうにも法則性がない。もっと言えば、法則性が引っ掻き回された形跡がある。

 そう、例えば……魔力の流れをしっちゃかめっちゃかに掻き回してショートさせ、挙げ句に構造ごと破壊したような。


 そして『魔女』は不幸な事に、こういう事をしでかす輩に心当たりがある。


「うわ、こいつはダメかもしれねーぜ♪ 結構派手な戦闘だったのかなー?」

 最後の頼みの綱であるセシルもお手上げのようだ。唯一魔術の心得のない栞那が首を傾げる。

「セシルでもダメだと? どういう事だ」

「魔導回路が跡形も残らないくらいぐっちゃぐちゃなんだよ♪ もはや原形も留めないレベルで掻き乱されてて、再構築も難しいね☆」

「無理か」

「いくら不可能を可能にするセシルちゃんでも、他人様の魔法陣をヒントなしに当てるのはねー♪ まーでもちょいと試してみよっか☆」


 そう言って、セシルが魔法陣を展開する。そのまましばらく魔術を発動していたが、やがて首を横に振って止める。


「無ー理♪ 戦闘の余波かと思ったら、魔導回路の破壊によるオーバーヒートを熱源にして飛行機能を破壊したみたいだね☆ こんな無茶苦茶な魔道具の使い方を見るのはセシルちゃんも初めてだぜ♡」

「魔道具制作者への冒涜だな」

 低い声で「梗の字」が吐き捨てた。今まで無表情だった顔にくっきりと嫌悪が浮かんでるのを見て、セシルが笑う。

「少年は魔術ラブなんだねー♪ まーでも確かにこれはひっでーぜ☆ 普通の神経を持った魔術師なら忌避するような使い方だよ♡」

「ああ……うん……」

「うん? 眞琴、心当たりでもあるのか?」

 目敏く栞那が尋ねてくる。『魔女』は顔を背け、ふっと息を吐きだした。

「街にいる人なんだけどね。魔術の心得はあるけど、正式な魔術師ではないんだ。ただちょっと色々あって、この街の守護の指揮権握られているけど」

「オイ何があった」

「まあ、いろいろね……」


 ふう、とまた息をついた『魔女』の横顔が黄昏れていた。栞那が妙な表情でセシルと顔を見合わせる。


「麓に異世界邸並みの濃いキャラがいるとはな」

「ほんとだねー♪」

「で、そいつがこれを墜落させたのか?」

「そう。街の真上で大爆発。しかも受け止める方策も準備せず」

「……守護の指揮権握ってるんだよな?」

「常識が通用しないんだよ……」


 栞那は察した。多分あれだ、これはあの駄ルキリー並みに関わっちゃダメな奴だ。ついでに、もう1つ思い出した。


「守護獣が従ってるとかいう奴か?」

「……いくら何でも情報が漏れすぎてないかな」

「母親との雑談でちょっと耳に挟んだ程度だぞ、気のせいだ」

「あの人相変わらず豪傑だなあ……」

 はあ、とまた溜息をついてから、『魔女』は首を横に振った。

「うん……どうせ近々魔術書にして高値で売りつけてくるだろうから、知識は手に入るのでよしとして、素材だけ回収しておこう」

「横取りした知識を売りつける……?」

「ちょっとセシルちゃん、イラッとさせられるなーその人……」

 流石に絶句する2人に、『魔女』は真顔を向ける。

「関わらないのが一番だよ。出会った事がないことを羨ましく思うくらいだ」

「オーケーそうする。ふざけた奴は異世界邸の中だけで十分だ」

「……栞那さんの旦那さんも、十分にふざけたお方だけどなあ」

「何のことかな」

 涼しい顔で言い切った栞那に苦笑して、『魔女』はパンと手を叩く。

「ま、こうなっては仕方がない。解体して、無事な部分を分配しよう」

「解体ならお任せ♪ ミミちゃん、よろしゅうー☆」

「……」


 指名されたミミがこくりと頷き、解体作業に入った。手際の良い作業を眺めつつ、栞那が大きく伸びをする。


「あー……久々の海で、すっきりしたな」

「そりゃーよかった♪ 栞那ちゃん最近やつれてたしねー☆」

「誰のせいだコノヤロウ」

 据わりきった目で睨み付ける栞那だったが、当のセシルはへらへらと笑っていた。

「おっやー? 私はてっきり、栞那ちゃんが最近頑張ってる禁煙のせいかと思ったんだけどな♪」

「え? そうなの?」

 栞那のヘビースモーカーぶりを知っている『魔女』が驚いて尋ねる。栞那はセシルを睨んでから、ややばつの悪そうな顔で頬をかく。

「あー……まあちょっと、気分的にな」

「ふっふっふー♪」

 にやにやと笑うセシルと、栞那のらしくない表情に、『魔女』も思わず笑みを浮かべた。


 栞那がかつて禁煙を試みたのは、およそ14年前のことだ。


「ふうん。なるほどね、そういうことか。相変わらずだなあ」

「うっせえ。ちょっと気分を変えたくなっただけだよ」

 ぷいと顔を背けたその時、ミミが戻ってきた。

「セシル様、おおまかな解体が終わりました。」

「おー、アリガトね♪ さって、それじゃー山分けといこーぜい☆」

「ん、そうだね」


 頷いて、女3人姦しく、少年を時に弄りながら——


「ねえ君達、これはちょーっとやりすぎだと思わない?」

「気のせいだよ」


 ——誘薙が顔を引き攣らせるほどかんっぺきに、素材回収を終わらせたのだった。

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