困った時は助け合い【part山】
中西病院・集中治療棟。
全身黒ずくめに左頬に大きな傷という、命を預かる病院にいるにしては不吉な格好の男――羽黒は、手に頑強な造りのアタッシュケースを携え、一人病棟の廊下を歩いていた。
「GRYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――!!」
「貴文が!? 貴文がなぜか魔王と戦っていた時と同じモードになったのじゃ!?」
「お父さん!? しっかりして!?」
「鎮静剤!! 鎮静剤をありったけ持ってくるんだ!?」
何やらすさまじい叫び声が聞こえてくる病室の前を横切り、羽黒は廊下の一番奥の部屋を目指した。
「……お、あの二人だな」
廊下に面して設置された窓から中の様子は窺えるものの、中への立ち入りは関係者以外立ち入り出来ぬよう別室からのみ行える堅牢な造りの集中治療室。その窓に張り付くように中の様子を覗き込む二人の少女の姿があった。
どちらもジーパンにパーカー、黒髪を適当に切り揃えた地味な格好をしているが、見るものが見ればその衣装や容姿はまやかしであると気付く。羽黒には二人は日本どころかこの世界ではまず見られない服装と髪色に見えていた。
「勇者アルメルに、勇者カーラだな?」
「「……っ!」」
窓に嚙り付いていた二人の少女――異世界邸への来客である勇者アルメルとカーラは、弾かれるように一歩下がって羽黒と対峙した。
「あの、どなたですか……?」
「この建物には関係者以外立ち入れないよう結界が張ってあるはず……あなたはこの世界の医術師にも見えないし、何者?」
警戒心を剥き出しに投げかけられた質問に、羽黒は肩を竦める。特にカーラの方は、羽黒の気配から何かを感じ取ったのか嫌悪感を隠そうともしいない。
「おいおい、なんか初対面から嫌われた? 別にそんな警戒せんでも――そこで眠ってるにーちゃんについて話をしに来ただけだぜ?」
言いながら、羽黒はクイと顎で病室の中を指す。
そこには酸素マスクや点滴などで全身管だらけで横たわる、一人の青年の姿があった。
「スティードについての話……?」
「何者か知らないけど、帰って! せっかく一命をとりとめたっていうのに、もうこれ以上ややこしい話を持ち込まないで! 彼に関わらないで!」
「……やれやれ。随分と警戒されちまったな」
肩を竦める羽黒。さてどうしたものかと考え始めたその時、背後から声がかかった。
「それはまあ、あなたの外見の胡散臭さを思えば、彼女達の警戒も無理もないかと思いますよ。あと、病院ではお静かに」
「お?」
振り向くと、白衣を纏った分かりやすく医者然とした壮年の男がこちらに歩いて来ていた。きちんと整えれば見目麗しい容姿をしているのだろうが、あいにくとここ数日の多忙によるものなのか顔色は悪く、隈とこけた頬の陰影が酷い事になっている。胡散臭さでとやかく言われる筋合いはない。
「瀧宮羽黒さんですね。院長の中西です。避難の件について、私からも一住民として御礼を」
「仕事だ、気にすんな。こっちこそ、何人か寺湖田組の連中も世話になったらしい。怪我人の受け入れ感謝する」
「それこそ、我々の仕事ですから。――寺湖田さんからお話は伺っています。どうぞこちらへ。そちらのお二人も、ご一緒願えますか」
にこりと笑って二人の勇者を手招きし、踵を返す中西。彼の介入により多少は緩くなった警戒心を背中に感じながら、羽黒もそれに続いた。
しばらく歩き、案内されたのは院長室と書かれたプレートが掲げられた一室だった。
「散らかっていて申し訳ありませんが、どうぞお掛けください」
世辞ではなく、書籍やらファイルやら何やらで本当に散らかっている院長室の床を縫うように移動し、テーブルに着く。中西が早々に上座に腰かけてしまったため、羽黒は自然と下座、勇者二人がそれと対するように椅子に腰かけた。
「…………」
「…………」
二人の刺すような視線を感じながら、羽黒は全く意に介せず中西へと向き直った。
「じゃあまず、簡単に現状把握と行こうか」
「ではまず、あの病室で隔離されている彼についてですが――」
中西が事前に異世界邸の医療担当より受けていた情報と、自身が実際に見聞きした情報を羽黒に開示する。
曰く、アルメルとカーラが元いた世界で二人と同じく世界の守護者に勇者として選定された、戦神とさえ呼ばれた腕前を持つ戦士・スティード。彼は白蟻の魔王フォルミーカに敗れた後、彼女の配下である蟻天将・アーマイゼによりその肉体を奪われ、この世界への侵攻に随従していた。
しかし先の襲撃の最中、アーマイゼの支配からは脱していたものの、何故か胸部に支配とは関係なさそうな深刻なダメージを受けた状態で発見され、中西病院まで担ぎ込まれたのだった。
「胸部への深刻なダメージ」
「具体的には気胸と肺炎、あとARDSの併発ですね」
「何その肺疾患の見本市」
「一医療関係者からすれば、何で生きてるのかが不思議なくらいですよ。彼は異世界の勇者だったそうですが、その恩恵がなければとっくに死んでいたでしょう」
「…………」
羽黒が顔を顰め、額を指で押さえる。アルメルとカーラは事態が呑み込めず、ただ何となく、勇者の肉体がなければ仲間の命はとうに燃え尽きていたと理解することにした。
「しかし妙な話だ。あの邸からの報告では、彼は心臓に埋め込まれた寄生虫の魔術で操られていたそうです。私は魔術には疎いですが、心臓の虫をひっぺがして肺にあれほどまでのダメージがいくものなのでしょうか」
「…………」
羽黒は額を押さえたまま深い溜息を吐く。そして暫しの沈黙の後、重い口をようやく開いた。
「蟲妖――とりわけ、寄生して肉体の所有権を乗っ取るタイプへの対処法は、現代では大きく分けて2つある」
「今後の参考までに伺っても?」
「まず一つ、宿主を衰弱させ身動きを封じた上で、慎重に、手術等の方法で物理的に引き剥がす方法だ」
「衰弱させる意味は?」
「宿主を拘束しやすくする意味もあるが、何よりも蟲が取り除きやすくなるからだ。宿主が死ぬと自身にも影響があるからな。死にかけの肉体への執着は薄く、引き剥がすのは容易となる」
「なるほど。それで、二つ目は?」
「二つ目は、蟲を宿主に取り憑かせた状態のまま、蟲だけを滅する方法だ。ただしこれには、外から蟲の位置を正確に割り出すだけの高度な座標特定魔術と、宿主を傷付けることなく蟲を殺す術の精密さが求められる。しかし何よりも難しいのが、蟲を即死させなければいけないという点だ」
「即死?」
「ああ。蟲と宿主は感覚が完全にリンクしている。故に、中途半端に蟲に刺激を与えると宿主にまでそのダメージが降り注ぐ。これを回避するため、蟲に断末魔を上げる隙を与える暇なく即死させる。だから少しでも事故率を下げるため、宿主に余計なダメージを与えない状態で行う必要がある。宿主が衰弱した状態だと、下手したら蟲の断末魔でショック死するからな」
「なるほどなるほど。分かりやすい説明をありがとう」
うんうんと頷く中西。その芝居がかった動作に羽黒は再び溜息を吐き、問いかける。
「それを踏まえた上で、中西院長。彼が運び込まれた時、肉体の方はどういう状態だった?」
「そうですね。全身の損傷を魔術で無理やり修復したような痕跡がありました。けれど完璧に治っていたわけではなく、いたるところで筋損傷が起きていた。元々負っていたと思われるダメージと治癒魔術の酷使で、彼自身も随分と衰弱していましたね。それでいて、君が言うような、蟲を物理的に除去した形跡はなし」
「肺のダメージの原因は?」
「さあ? ただ彼を運び込んだ寺湖田組の方曰く、一瞬だが完全に心臓が止まっていたそうですね。その対処として行われた心肺蘇生法が、こう言ってはなんですが、かなりずさんでして。ここに辿り着いた時には本当に危なかったですよ」
「…………」
頭を抱えて蹲る羽黒。対して「何か心当たりがあるようですね」と冷徹に追及していく中西に、置いてきぼりをくらっていたアルメルとカーラも息を呑む。
「……うちの妹……」
「うん?」
「うちの妹が、倒れていた彼の第一発見者だったらしい。そのままにしておくわけにもいかず、『応急処置』だけして寺湖田組を呼んで運ばせたと言っていたが……どうにも様子がおかしかったから問い詰めた」
「妹さんは何と?」
「あのじゃじゃ馬、何かが取り憑いているのを承知で宿主を消耗させ、しまいには『飽きたから』と適当に蟲を斬り殺したらしい」
「…………」
「おそらく、その時のショックで宿主となっていた彼は心肺停止。そこに聞きかじった程度のずさんな蘇生法を実施して肺への追い打ち……というのが真相だろう。本当に、申し訳ないことをした」
「…………」
「…………」
呆れ100%の視線を、目の前の男を通して滅茶苦茶をしてくれたという妹御へと投げつけるアルメルとカーラ。蟲だけを斬り殺したという腕前を聞く限り、スティードが助かることができたのは彼女のおかげなのだろうが、素直に感謝できないというのが心情だった。
簡潔に言って、やるならもっと丁寧にやって欲しかった。
「さて、2人とも」
「あ、はい」
中西がアルメルたち二人に向き直る。
「今聞いた通りです。スティード君が必要以上に重傷化したのは、どうやら彼の妹さんに原因があるようですね。そして彼には、謝罪の意思があるように見える」
ちらりと、羽黒が持ってきていたアタッシュケースに目をやる中西。それを受け、羽黒はテーブルの上に乗せて中身を開示した。
中にはぎっしりと紙幣の束が詰め込まれていた。
「一千万ある。これを彼への医療費に当ててほしい」
「え、え……!?」
思いがけない展開にアルメルは狼狽する。先程まで羽黒を睨みつけていたカーラも、目の前の紙幣の価値は分からずとも思わず呆然と眺めていた。
「足りないというのなら、多少は時間がかかるだろうが追加は可能だ」
「……ふむ。彼の勇者の肉体を考慮に入れれば、集中治療室で1か月、さらに一般病棟で1か月の入院といったところかな。異世界人ゆえに保険なんて利きませんが、よほどのVIP待遇をしなければこの金額で十分でしょう。正確な金額は事務に聞かんと分からないけれど」
「それを聞いて安心した」
「それで、どうします?」
「えっと……」
目を泳がせるカーラ。この胡散臭い男の話にホイホイ乗ってしまって良いのだろうかと助けを求めるように横に座るアルメルに目を移すと、彼女は神妙な面持ちで頷いていた。
「そういうことでしたら、こちらは使わせていただきます」
「アルメル!? そんなあっさり……」
「カーラ、落ち着いて考えて。今スティードを助けられるのは先生だけよ。例え助かったとしても、今の私たちに対価を払う術はない」
「それは……そうだけど……」
「それにこうして分かりやすい形で示された誠意を無下にするのは、逆に失礼だと思うの」
「…………」
諭され、カーラは腕を組んで悩ませる。しばし眉間に力を入れて頭を動かすも、アルメルの言う通り、スティードの治療に対価を用意する術は思いつかない。
結局のところ、この胡散臭い男の好意に甘えるのが手っ取り早いというわけで。
「……わかりました。受け取ります」
「そうしてくれると、こちらも肩の荷が下りる」
「あと、妹さんにお伝えください。……手法はどうあれ、あなたのおかげでスティードは一命をとりとめました、と」
「……あんまり褒めると調子に乗る質だから気は進まんが、ま、伝えておこう」
苦笑しながら羽黒はアタッシュケースのふたを閉め、中西へと受け渡す。
「確かに受け取りました。彼が無事に退院するまで、私が責任も取って担当させていただきますよ」
「ああ、よろしく」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとう……ございます」
アルメルに続き、カーラもぎこちなく頭を下げる。
先程まで警戒心全開で睨みつけていた相手から差し出された救いの手に、戸惑いがないとは言わない。実際は裏に何か思惑があるのだろうと勘ぐってしまうのは仕方のないことだ。
「ところで」
と、羽黒が立ち上がり、アルメルとカーラに視線を移した。
「このあとお時間宜しいかな、お嬢様がた」
「…………」
やはり何か企んでんじゃないの?
* * *
「……なんでこんな所に?」
羽黒とかいう胡散臭い男に連れられてきたのは、商店街の裏路地にひっそりとたたずむ古着屋だった。色とりどりの衣類が整然と並べられた若干カビの匂いが染みついた店舗の奥から、なにやらキイキイと軋む音が聞こえてくる。
「おい、いるんだろさっさと出て来いクソババア!」
ズカズカと奥へ踏み入った羽黒は、無遠慮に扉を乱暴に開けながら暴言を放った。
「誰がババアだこのクソガキ!!」
と、それに返すように罵声と古めかしい糸束が羽黒目がけて飛んできた。
糸束をキャッチし、扉の中へとアルメルとカーラを手招きする羽黒。それに従って恐る恐る足を踏み入れると、部屋の中で一人の若い女性が古い糸車で糸を引いていた。
「……なんだお客さん連れてきたのか。それならそうと先に言いなよこのクソガキ」
「おーおー相変わらず口の悪いババアだな」
「いいかい羽黒坊。次アタシのことをババア呼ばわりしたら針でその目玉を抉り出してやるからね」
「はいはい、相変わらず元気そうで何よりだ糸島さん」
「ふん!」
糸島と呼ばれた女性は糸車を動かす手を止め、羽黒が連れてきた二人の少女に向き直り、手を差し伸べる。
「糸島真希ってんだ。この坊主の叔父貴分に世話になってる、古着屋兼仕立て屋だよ」
「は、はあ……」
「どうも――」
と、アルメルが手を握り返そうとした瞬間、先程まで艶のある黒髪を持つ若い女の姿をしていたはずの糸島が、一瞬にして白髪の老婆へと姿を変えた。
「ひっ!?」
「あはは! なんだか久しぶりに驚かれたね! 妖怪冥利に尽きるとはこのことだわさ!」
「やっぱババアじゃねえか――あぶねえ!?」
左目目がけて飛んできた紡錘針をすんでの所で避ける羽黒。ちっと舌打ちする糸島は、既に元の若い女の姿に戻っていた。
「ま、魔物……!?」
身構えるカーラ。しかし当の糸島はケラケラと笑いながら勝手に話を進める。
「アタシは糸引き娘さ。糸を引いてる時に声をかけてきた奴を老婆の姿に変身して驚かすのが大好きなんだ」
「変身? 本性現すの間違――今度は右目!?」
「老婆に変身して驚かすって……それだけ?」
「ああ、それだけだよ」
「…………」
「突っ込みたいことは色々あるだろうが、この国の妖怪――魔物の類なんて、こんなのばっかりだぞ」
「なんというか、平和な国ですね……」
苦笑を浮かべながら今度こそ握手を交わすアルメル。
挨拶もそこそこに、羽黒に向き直り本題に入る。
「それで、どうしてこの方の所へ?」
「ああ。スティード何某が2か月入院することになったわけだし、お前らも見舞いとかで麓に降りることもあるだろう。異世界人のお前らだけで下山するのはアレだろうから付き添いは必要だろうが、その度に服に幻術をかけるのも手間だろう。だからもういっそのこと2、3着くらい外出用の服持っとけ」
「え、でも……」
「金なら心配すんな。入院費に服代5、6着加算したところで大して変わらん。というわけで糸島さん、予算10万以内で見繕ってくれ。髪の色を変える帽子とか髪飾りがあったら頼む」
「はいはい毎度ありー。なんかよく分からんが、この子らが普通に出歩けるようにすればいいんだね」
「そういうこと。んじゃ、俺は表通りの方で茶でも飲んでるから、終わったら声かけてくれ。山まで送るわ」
そう言うと、羽黒は懐からポチ袋を取り出してカーラに押し付けさっさと店を出て行ってしまった。
ぽかんとその黒い背中を見送るカーラ。手にしたポチ袋を何度も見直し、その間にも糸島に押さえつけられて寸法を測られているアルメルを目にして深い溜息を吐く。
一体何なのだあの男は。
あんな歩く不信要素の塊のような分際で、今のところ自分たちに不利益になるようなことは何一つしていない。いくら彼の妹によってスティードが無意味に重傷化したとは言え、その対価は治療費を肩代わりしたことで清算されているはず。
「ただのお人よしには見えないし……一体何のつもりなんだろう……」
視線を手にしたポチ袋に落とし、中身を確認する。
すると先程羽黒が中西に渡した紙幣と同じものが10枚、やや窮屈そうに折りたたまれて入っていた。これで服を買い揃えよということなのだろうが、意図が全く読めない。
「それにしても不思議な世界ね……紙が通貨になってる上に、こんな簡単な入れ物まで紙製だなんて。ベーレンブルスじゃ紙なんて高級品、公式の書面ぐらいにしか使われないのに……ん?」
アルメルの採寸が終わるまで手持無沙汰でポチ袋を眺めていて気付いた。
この紙製の小さな袋、内側に何やら模様が描かれていた。
「何かしら……?」
袋を形作る接着部分を丁寧に剥がしていく。糊でしっかりと止められ、紙幣が溢れないようにされていたはずなのに、思いのほかスムーズに剝がれていく。
「これは……?」
折り目を正し、一枚の紙へと姿を戻したポチ袋を見て首を傾げる。
白い紙地に、流れるような殴りつけるような、不思議な黒い紋様が奔っている。一見すると落書きにも見えなくもないが、左右でバランスが取れている所を見るに何かしらの意味があるようだ。
「……? なんだろ、これ。この世界のルーン文字か何かかな?」
だとしたら、竜に乗り空を駆け、武術一辺倒だった自分に解読は無理だ。専門外もいいところだ。こういうのは自分よりも――
「た、ただいまー……」
「あ、お疲れアルメル」
「次はカーラの番よ」
「あ、うん。分かった」
「……? どうしたの、その紙」
「ああ、これ。ちょっとアルメル見てくれない? たぶん私よりもアルメルの方が何なのか分かると思うから」
「え、なになに?」
首を傾げながら紙切れを受け取るアルメル。そこに記された紋様に気付くと何度か回したり光に透かしたりしながら観察する。その間にカーラは糸島に捕まり全身の採寸を取られながら、アルメルの様子を窺う。
そして採寸が終わり、糸島が在庫を漁りに店頭へと消えて言った時、「あっ」とアルメルが声を上げた。
「何か気づいた? ……アルメル? 顔色が悪いよ?」
「これ……」
息を呑むアルメルに、カーラも顔をこわばらせる。
「ちゃんと見えなかったから記憶が怪しいけど……これ多分、あの邸を一瞬で直した体の大きな魔術師が使っていたのと、同じものだと思う」
* * *
「お、似合ってんじゃねえか。どっからどう見ても休日の女子高生だ」
購入した服を着て古着屋を後にし、記憶を頼りに表通りまで出ると、宣言通りオープンカフェで羽黒が暢気にコーヒーをすすっていた。
「あ、あの……こ、これ――」
「待った」
アルメルが胸に抱えるように握り締めた紙――寺湖田組秘伝の呪符に視線をやると、羽黒は芝居がかった動作でアルメルの発言を右手を挙げて止め、口に指をあてて沈黙させた。
「軽く食事にしよう。サンドイッチとスープだがお前らの分も注文してある。具は適当にいくつか選んだが、まあ好きなのを食ってくれ」
「えっと……」
脈絡のない会話に戸惑いながら追求しようとする――が、アルメルが呪符について口にしようとすると、不思議と声が出なくなった。横にいるカーラも戸惑っている所を見るに、彼女も同じ状態らしい。
あの一瞬の動作だけで言動を制限した……?
アルメルは息を呑み、大人しく羽黒が進めた椅子に腰かける。アルメルほどの最高位の術者を、不意打ちとは言え手玉に取ったこの男に抵抗するのはリスクが大きすぎる。何より現状、彼から敵愾心は感じられない。大人しく従った方が安全だろう。
「さ、食ってくれ。こっちの食事が口に合えばいいんだが」
運ばれて来たサンドイッチというパン料理を勧める羽黒。みずみずしい葉物野菜と赤い果実の輪切り、燻製肉とチーズの薄切りが挟まっている豪奢なものだったが、その一つ一つがアルメルたちが知っている物よりも格段に美味しかった。
何よりも衝撃だったのが、
「このパン……すごい柔らかい……」
「ね! それにこっちのスープに入ってるベーコンこんなに分厚い! それに胡椒も入ってる! 香辛料なんてどれくらいぶりだろう……」
先程まで警戒心全開で羽黒に対していたはずのカーラは、サンドイッチに一口で陥落したらしい。ちょうど昼時で空腹だったこともあるのかものすごい勢いで皿の上が片付いていく。
「気に入って頂けて何より」
「……あ」
ようやく羽黒の前だったのを思い出したのか、カーラは目だけは羽黒を睨みつける。しかし手と口だけは休むことなくサンドイッチとスープを消費する作業を続けていた。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
これだけ落ち着いて食事ができたのはどれくらいぶりだろうか。
ベーレンブルスで白蟻の魔王フォルミーカの侵攻が激化してからは行動食どころかそもそもまともに食事をとる暇もなかった。それ以前にしても旅から旅への連続で、石のように硬い保存用のパンと野菜くずが入っているだけの塩味のスープばかりだった。
温かく美味しい食事が身と心に染み渡る。
「…………」
カチャリと、スプーンを置く。
故郷のことを思うと、自分たちばかりこのような食事をしていていいものかと、途端に罪悪感がこみ上げてきた。
フォルミーカの侵攻によりベーレンブルスは完全に滅んだのだろうか? アルメルとカーラがこちらに来て、ほぼ間髪置かずにこの世界に何者かを探しに現れたフォルミーカを見るに、人類を完全に絶滅させる前に転移してきた可能性は高い。
ベーレンブルス復興のチャンスは十分にある。
そのためには――
「そいつをどう使うかは、お前さん次第だ」
「……っ!」
テーブルの上に置きっぱなしだった呪符に手を伸ばしたところで、羽黒から声がかかる。
この呪符について改めて聞こうとするも、未だ言動を制限されているのか思うように口が動かない。羽黒に目をやると、カップのコーヒーをすすりながら口元に軽薄な笑みを浮かべていた。
「……なぜ、あなたは私たちに良くしてくれるのですか? 私たちは何か恩返しできるわけでもないのに」
呪符についてでなければ問題なく問いかけることができた。
先程の病院における中西院長とのやり取りをみると、どうやらこの男は貸し借りについてはきちんと清算する商人気質であるように感じた。
じっと羽黒を見つめると、苦笑しながらカップを置いた。
「大した理由じゃないさ。俺も昔、異世界を旅してた頃にそこの連中に助けられた――俺の目的のため、技術提供もしてくれた。俺の乳母の言葉じゃないがね、『困った時は助け合い』ってやつかね」
だから俺はこの世界で困ってる異世界人には手助けしてやることにしている、と。
まるで照れ隠しのように、羽黒はカップをあおって顔色を隠した。
「……ねえ、カーラ」
「ん?」
アルメルの呼びかけに、カーラは小首を傾げる。
「スティードのお見舞い、基本的にあなたに任せていいかしら? もちろん私も少しは顔を見に行くけれど」
「え、別にいいけど……どうしたの?」
「スティードが元気になるまでの2ヵ月、それまでにやらなきゃいけないことが出来ちゃったから」
そう言ってアルメルは呪符をたたみ、しっかりと懐へとしまった。
まずはこの呪符の解析と簡易化だ。量産化までこぎつければ文句なしだが、最低限自分で制御できるよう改良・複製が目標か。
「2か月後、スティードを連れ帰ったら、ベーレンブルスを立て直そう!」