貴文、入院する【Part夙】
【塵も積もれば山となる】
一つ一つは塵のごとく小さくとも、長年積み重なれば大きなものになるという意。
だが、その一つ一つの塵が既に馬鹿でかいものだったとすれば?
削っても削っても減ることはなく、秒単位で重積していくとすれば?
それが金や人脈や愛情などならば、なるほど、そいつは素晴らしい成功者だろう。
しかし、世の中とはそんなに甘くない。寧ろ成功者とは逆の方向に積み重なっていく者は多聞にして知っている。
逆とは言ったが、失敗者を例に挙げているわけではない。
積み重なっているものの方向性が逆なのだ。
借金? それも近いが、今回はそういう話とはまた違う。
これは借金になる前の、請求という段階。
今までも毎日毎日数えたくなくなる桁数の請求書を処理し、
つい先日、身に覚えのない責任を負わされて計算ミスを疑う額を提示された異世界邸の管理人が、
積もりに積もった精神的負担で、ついに鋼鉄を誇っていた胃を限界突破させてしまった。
「金……請求……金……カネ……カネカネカネカネカネカネ魔女帰れ」
などと意識なく壊れた人形のように譫言を呟き続ける管理人に、異世界邸専属医の中西栞那は決断した。
「無理。これは異世界邸にいちゃ絶対に治らん。入院だな」
担架で運ばれていく管理人――伊藤貴文と、心配でついていく妻と子を、異世界邸の住人たちはただ呆然と眺めていることしかできなかった。
彼が完全復活するまで、果たしてどれくらいか?
現時点では、不明。見通しもつかない。
なにせ犬猿の仲たる中西医院の院長が目の前に立っても、彼は譫言を呟き続けるだけでなんの反応も示さなかったのだから相当だ。
さて、真の問題は彼の安否ではない。
管理人を失った異世界邸だ。
龍神やアンドロイドなど普段から管理人にボコられている連中が「ざまあみろ」と内心でニヤついているのに対し――
事態の深刻さを逸早く察した者たちは、誰もがこう思った。
――え? これどうすんの?
と。
***
「というわけで、管理人の代行を決めたいと思う」
緊急異世界邸会議に召集された住人たちに向かって、中西栞那は面倒そうに目下の最優先事項を告げるのだった。
住人全員に声をかけたのだが、絶対安静のウィリアムや作家の呉井在麻を始めとした何人かが来ていない。とはいえ、それは別に構わない。頭が痛くなる事態ではあるが、普段から忙しい人たちを無理強いするつもりはなかった。
栞那も含め、既に外での仕事や異世界邸での役目のある人物に管理人業務の追加は重過ぎるからだ。
「基本的に暇な奴、挙手しろ」
命令だった。
住人たちはお互いに顔を見合わせ、おずおずと何人かが手を挙げる。
「よし……トカゲ、ポンコツ、駄ルキリー、ノッカー……あとフランとセシルと悠希で管理人業務を回せ」
「は!? ちょっと待ちやがれです!? 自分手なんて挙げてねえですけど!?」
会議なんて一ミリもせずに勝手に決められ、真っ先に文句を飛ばしてきたのは娘の悠希だった。他にも納得いかない連中がぶーぶーと騒がしくなる。
「私は納期が近くて忙しいんだけど~?」
「セシルちゃんも依頼されてた魔術解析の結果が白蟻襲撃で吹っ飛んじゃったからやり直さないといけないんだよ?」
「そんなのお前らが本気出せば片手間で終わるだろう」
この二人に関してはどれだけ炎上案件抱えていようが問題ないと栞那は判断している。
「ちょっと待て、なんで俺らが管理人の仕事なんて面倒なことやらなきゃいけねえんだ!」
「そうだ! 別に管理人などいなくてもよかろう!」
龍神とアンドロイドは管理人不在の状況こそ都合がいいと思っているのだろうが――
「黙れ! お前らに少しでも管理人業務の理解があれば今後あいつが戻ってきた時に胃の負担が軽くなるんだ!」
管理人不在も大問題だが、不在になる原因となった環境を改善しなければまた同じことの繰り返しになってしまう。馬鹿どもを管理人代行として働かせることで大人しくなるのではという狙いが栞那にはあった。
が――
「貴文様の業務といえば……戦闘ですね! ならば私に文句はありませんえへへ♪」
蕩けるような笑顔を見せる駄ルキリーこと戦闘狂ジークルーネは、いろんな意味で危険な香りしかしないため外した方が平和かもしれない。
「だから! なんで自分まで加わってんですか!?」
「いいか、悠希。管理人業務に必要な能力は大きく分けて三つある」
栞那はわかっていない娘に溜息をつき、皆にも見えるように手を翳して一本ずつ指を立てる。
「一つ、暴れる馬鹿どもを黙らせられる戦闘能力」
「既にねえですけど!?」
「二つ、大量に積まれる書類の整理能力」
「それもねえですけど!?」
「ああ、だからこれは仕方ないから私と那亜で空いた時間にやっておく」
こればっかりは流石に脳筋どもや非常識人や中学生には任せられない。非常に面倒なことで、管理人がぶっ倒れた一番の原因でもあるわけだが、やれる人間が少ないのだから割り切る他ないだろう。
「そして三つ。これが一番重要だ」
栞那は三つ目の指を立てる。
「常日頃と負荷に堪えてきた丈夫な胃とツッコミ能力」
「絶対それ一番いらねえやつです!?」
「いや、一番重要だ」
見事なツッコミに我が娘ながら適任だと思いつつ、栞那は誤解を解くようにわかりやすく説明する。
「要するに常識的な考えができる奴が必要なんだ。戦闘力だけあっても、ストッパーがなければ今まで以上の被害が出る。悠希、お前に戦えと言っているわけじゃない。常識人のお前が馬鹿どもを上手くコントロールするんだ」
「いや、それ別に自分じゃなくても……」
言い分は納得したらしい悠希は役割を擦りつけようと周囲を見回す。
自分以外の常識人を探す。
「……」
悠希の冷や汗が尋常じゃない。一瞬、今こうして仕切っている栞那に目を向けはしたが……娘にこんな馬鹿げた役を押しつける親のどこに常識があるのだろうかと悩んだ末に諦めたらしい。栞那自身もそう思う。別に面倒なわけではない。別に面倒なわけではない。ここ大事。
那亜にも視線をやる。魔王だとかいう赤子をあやしている彼女に押しつけるなんて悠希の良心が許さないだろう。
そして――折れた。
「あーもう! わかりましたよ! でも自分には学校ってもんがあります! その間は他の人がやってくださいよ!」
幸いなことに今日は休校日だ。悠希にとっては不幸以外の何物でもないだろうが。
「ではこれで決定だ。管理人がいない今、お前ら代行が協力して業務を遂行すること! わからないことがあれば管理人室へ行け。確かマニュアルがあったはずだ」
言外に自分のところには泣きついて来るなと告げ、栞那は会議を締め括る。
「はい、じゃあ、解散!」
***
三十分後――
異世界邸
***
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待てぇえッ!?」
ごうごうと燃えゆくアパートに栞那は堪らず絶叫した。キャラじゃないとかそんなことは最早どうでもいいレベル。『白蟻の魔王』が攻めて来た時も全壊まではかろうじてしなかった住居が、いともたやすく燃え尽きていく様を見れば誰だって叫びたくなる。
魔王の時と違うことと言えば、住民全員が無傷で避難できたところか。
「なんでだ!? なにがどうなったらこうなるんだ!? おい説明しろそこの馬鹿ども!?」
栞那は庭の隅に正座させている五人を尋問する。無論、トカゲとポンコツと駄ルキリーとセシルとフランチェスカだ。こいつら以外に犯人はあり得ない。
すると、端っこで正座していた龍神から罰が悪そうに牙の並んだ口を開いた。
「いや、俺たちはあんたに言われた通り管理人室にあるマニュアルを取りに行ったんだ」
「でもね♪ ほら管理人室の鍵って管理人が持ってるでしょ☆」
「開いてなかったから~、仕方なく扉をどぉーんって爆破しようとして~」
「そこのクソトカゲが爆煙吸い込んでクシャミしやがったんだ。……姉御の顔に」
「火炎放射の一撃、実に強烈でした♪ 思わずこちらも一発入れちゃったんですが、えへへ、そのままヒートアップしますよね普通!」
それぞれの言い分でなんとなく状況がわかってきた。まさか始まってもいなかったとは。
既に頭は痛いが、栞那は気力を振り絞って言葉を紡ぐ。
「要するに?」
「「「「「自分たちのせいです! ごめーんね☆ てへぺろっ♪」」」」」
殴りたい、この笑顔。
「ああ、初めて管理人を尊敬したよ……」
書類がストレスの一番の原因?
違う。
その書類を雨後のタケノコよろしく生み出すこいつら馬鹿どもが一番の原因だ!
管理人はこれに毎日堪えていたのか。今度からはもっと労おうと心に誓う栞那だった。こんなことなら無駄に頑丈な馬鹿どもの看病などせずトドメとなった交渉の場に自分も行けばよかったと後悔する。
「ノッカー、やってくれ」
とりあえず、彼らの後ろに立っているノッカーに指示を出して金槌で頭をぶっ叩いてもらった。五人それぞれが短い悲鳴を上げて漫画のようなタンコブを作っている。
ちなみに、ノッカーは通常の管理人業務をある程度知っていたらしく、一人で庭の掃除を始めていたため罰則はなし。
「そうだ! 悠希は? 常識人のあいつがいてどうしてこんなことに……」
言いかけた栞那は、庭の隅のさらに奥で壁に向かって膝を抱えて座っている我が娘を発見した。
「ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ」
壊れたオルゴールのように同じ言葉を吐き出し続ける娘を見て、ようやく栞那は悟った。
なぜ、気づかなかった。ちょっと考えたらわかることだ。
力のない常識では、力ある非常識に太刀打ちできないことを。
管理人が入院した事態が、栞那の正常な判断を鈍らせていたのかもしれない。娘は恐らく、よくやった。自分ができる範囲で邸を守ろうとしてくれた。
だが、現実はこれだ。
残っている物と言えば、当たり前のように最高位の防御が施された管理人室と――
「冷蔵庫……扉が、開いている?」
***
その頃――中西医院。
「GRYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA-―!!」
「貴文が!? 貴文がなぜか魔王と戦っていた時と同じモードになったのじゃ!?」
「お父さん!? しっかりして!?」
「鎮静剤!! 鎮静剤をありったけ持ってくるんだ!?」
***
「彼らを降せるほどの強者であり、丈夫な胃を持っているツッコミ役安定な人材が必要……という認識安定でよろしかったでしょうか?」
炎が完全に鎮火し、連絡して飛んできてくれた黒井松千代が修復作業を始めている中、これは管理人もぶっ倒れるわと改めて納得していた栞那に機械的な確認の声がかけられた。
「レランジェ……だったか?」
そこには邸のメイド服を纏った意思を持つ機械人形――ポンコツとは違いゼロから機械な存在だ――が感情のない灰色の瞳で栞那を見詰めていた。
「心当たりがあるのか?」
「はい、一人だけ」
確か彼女は雑貨屋『活力の風』の店主――法界院誘薙の妹から紹介されたアルバイトだ。謎が多いものの信用はできる誘薙の関係者ならば、この危機を救ってくれる救世主になり得るかもしれない。
「この際だ。異世界邸の事情はなにも知らなくていい。誰だって構わん、実力と常識があれば代理を頼みたい」
「了解安定です。では、ゴミ虫様にそうお伝えします」
……ゴミ虫様?
なんだか急激に不安になってくる栞那だが、もはや背に腹は代えられない。ゴミ虫だろうがクソ虫だろうが、この状況をなんとかできるなら縋ってやろう。
「恐らく説得に少々お時間をいただくことになるかと思われます。二~三日ほど、どうかご無事でお待ちいただければ安定です」
「二~三日……」
たった三十分で邸が文字通り焼け消えたのに、そんな時間を空けてしまってはこの山の原型すら危ういかもしれない。山は山で別の守護者がいるらしいから大丈夫とは思いたいが……。
だが、欲しい人材は『常識人』だ。異世界邸の話を聞いてすっ飛んでくるような奴は駄ルキリー性戦闘狂症候群の疑いがある。時間がかかるのは仕方ないと思うべきだろう。
「わかった。こっちはなんとかしてみる」
あの馬鹿どもも少しは反省したはずと願いつつ、
このままどこかに高飛びしたい欲求を押さえ込んで、
まったくもって自分のキャラではないが、栞那は数日間に渡る忍耐との戦いに誰を巻き込むかを算段し始めるのだった。




