決着の時。魔王と勇者。【part夢】
貴文が異世界邸のたどり着いた時……最初に見えたものは絶望……その一言であった。
異世界邸が……我が家が。愛しき家族と、そして住民たちと過ごしてきた異世界邸が、今まで何度も破壊されたことはあったが、今回はそんなレベルではない。
ほとんど残っていなかった。
瓦礫と化した我が家。その中でぼろ雑巾のようになったウィリアムに、倒れた巨大な犬……。あれはジョンか? ジョンが一人の少女の前で倒れている。
純白の両刃長剣を手に持つ少女。その少女はあまりにも整い過ぎた体を持っていて、その容姿は美しいものであったが……その美しさとは真逆の禍々しい気配を発していた。
それは先ほど倒した強敵。あの白蟻に似た……。
……いや、違う。
こいつは親玉だ。あいつよりも何十倍にも濃い匂いが、こいつから匂う。
それにあの体から放たれる圧倒的な殺気。全身に剣山でも押し付けられているのかと思うほどに痛みを伴うレベルの殺気が伝わってくる。
「……あら? また魔女さんではない人が出てきましたわね? 貴方も魔女さんのお友達ですの?」
そう尋ねる少女は笑っていた。
その笑みは決して喜ばしい。そんな気持ちを帯びているものではない。
明らかに苛立ち。憎しみ。そして、悲しみ。本来その表情から伝わってこないはずの負の感情を帯びているもので、その憎悪の矛先がこちらに向けられている。
貴文は思わず臆しそうになるが……その感情を胸に抑え込み。
「てめぇか……俺の大事な我が家と……みんなをやったのは?」
そう、言い放つ。
すると少女は……いや。
「えぇ……わたくしですわよ。この白蟻の魔王・フォルミーカが……貴方もすぐに皆もろとも私に食べられますわ」
「食べられる? 面白いことを言うな。白蟻流のジョークか?」
貴文は余裕を見せるようにそういうが、その内心焦りを感じていた。
白蟻の魔王。まさかあの絵本が伏線になっていたとは。
しろあり姫に登場したお姫様。それがこのフォルミーカと名乗った少女だというのか。
醜い白蟻の姿ではないが、ここまで白蟻の匂いが強いと本質的にはそれだというのがよくわかる。
一番来てほしくなかった相手。よくもまぁ、お約束と言わんばかりに来てくれたことか。
だが……それも仕方ないだろう。
厄介ごとが吸い寄せられる家。それが異世界邸。
厄介な客人ばかりやってきて、毎回毎回館が見事なまでに破壊され、もう跡形もないことになることも多いのだが……。
今回は違う。
今回は本気で我々に敵意を持って現れている。
目的は……さっき言っていた「魔女」という人物か。
どちらにせよこの魔王は退けなければならない。速やかにお帰りして頂けると嬉しいのだが……見る感じそこまで聞き分けはよくなさそうだ。
ならば……。
「で? ここまでうちの家を破壊してくれちゃってるわけだけども……ここで退き下がってくれるのであれば、まだ許すけど? まぁ、きっちり修理費の請求はするが」
「何を言ってますの? 貴方、今自分が置かれている立場が分かっていますの?」
分かっている。
こいつの強さは殺気や、この存在感で十分わかる。
自信に満ちた口ぶりも、俺に確実に勝てるという確信があってこそだろう。
だが、だからといってこちらもはいそうですかと引くわけにはいかない。
この館は何度も壊されて自分の胃のようにボロボロだが、くそったれな住民たちの帰る家なのだ。
他の住民たちは見当たらないが、ウィリアムなどが食べられていないあたり、どこかに逃げているだろう。いや、逃げていてもらわないと困る。
あんな奴らといえど、家族のような存在だ。もしそれがこいつらに消されてしまっていたとしたら……。
俺は間違いなくプッツンするだろう。
「まぁ、退くつもりはないと?」
「当たり前でしょう?」
「そうか……ならば」
排除するしかない。
貴文は今まで休めていた体に電撃を走らせるが如く、命令を送る。
中途半端ではやられてしまう。ならば、この体の全力を出させよう。筋繊維一本一本にくまなく命令を伝え、誰もが休むことなく……。
襲撃を行う。
【戦いを始めよう】
その時、脳裏にそんな誰かの声が響いたが貴文は気にする暇はなかった。
いや、認識できなかったというほうが正しいかもしれない。
背中に刻まれたムカデ型のあざが赤く輝き、脳髄に何者かの意識を染み込ませていく。
体がそれを喜々とせんばかりに貴文が大きく振り上げた足は鋭く振り下ろされ……。
「――っ!?」
フォルミーカの頭上へと走る。
それをなんとか左腕で受け止めたフォルミーカであったが……。
その時に加わって衝撃に自分の感覚を疑った。
その力は尋常なものではなかった。受け止めたにも関わらず、衝撃はそのままフォルミーカの体を貫通し、己が立っていた地面を粉砕。周囲六百メートルの地面を粉塵へと変える。
無茶苦茶だ……何だこいつは。
先ほどまでただの雑魚……。さっき相手をした犬や老人と同じような気配であったのにも関わらず、その空気がわずか数秒で変化した。
魔王……己と同じ魔王の気配。
勇者と形容するにはあまりにも禍々しく好戦的で、戦いを楽しんでいる異形の気配。
風を纏ったかかと落としはフォルミーカの腕を軋ませ、そのままへし折ろうと今も食い込んでくる。
このままではやばい……力勝負では分が悪い。フォルミーカは素早く腕を払い、衝撃を斜めに流すが……。
その衝撃は大地を両断した。
山の頂上部を崩壊させ、まるでモーゼのように二つに裂いていた。
馬鹿な……どこにそんな力が……。
「おいおい……余裕はどうしたよ【小娘】」
耳元で声色の変わったあの男の声が走る。
振り向くと、貴文はもう左腕を引き絞っていた。
その腕の筋肉は人間とは思えない程肥大化し、筋繊維が衣服からはみ出している。表面には緑色の風が渦巻いており、これが直撃すれば自分も負傷どころの騒ぎではない。
攻撃ごと抹消しなければ。
「<喰魔の白帝剣>――!」
痺れのない右手に剣を持ち変え、そのまま能力を発動させる。
振りぬかれる剣。世界が一瞬暗転したかと思うと、貴文の腕はもうそこにはなかった。
切り口ともいえる腕の付け根からぼとぼとと血が流れる。
これで普通のものは背筋が凍り、戸惑いや絶望の顔色を見せるものだが……。
「……ひひ……」
「……っ!?」
貴文は笑っていた。
自分の腕が消し飛ばされたのにも関わらず、それを良きとせんばかりに不気味な笑みを浮かべていた。
その笑顔はまるで戦いに飢えているケモノが良き挑戦者に出会ったとき浮かべるような感情。人間のそれとは違う、ケモノとしか思えない歪な本能のままの感情。
よき遊び相手に出会った。そう言わんばかりの喜びの笑み。
「何なんですの……何なんですの!?」
フォルミーカは背筋に走る悪寒を振り払うために再び剣を振りぬき、今度は貴文を抹消しようと能力を発動させるが……。
(ぐん……)
貴文はそれをいともたやすく避けていた。
その避け方も異常で、腰から上をまるでへし折るようにありえない角度で体を曲げていたのだ。ブリッジとは程遠い、腰から逆方向に折れた体。無茶な変形によりその骨は皮膚を貫いて飛び出し、血がだくだくと流れる。しかし、それについて表情はまったく動いていない。
その体は能力が過ぎ去ると同時に、起き上がり胴からはみ出た折れた肋骨がパキパキとその体の中へと収まっていく。
まさに異常であった。
死を恐れぬケモノ。いや、そもそも死という概念の存在しない化け物。
この世界の者たちは異常な強さを持っているものばかりであったが、こいつはそのレベルを遥かに超えている。人の形をした化け物。こいつと戦ったヴァイスは一体どういう気持ちで戦ったのだろう。
おそらく、恐怖に支配されていただろう。得体のしれないどころではない。そもそも生き物というものは己の死というものを恐れるものだ。それはどんな生き物も同じ。たとえ不死と謳われているものでさえ、己の消滅を前にすれば恐れ、おののくもの。
……アンノウン。
正体不明すぎてもうどう戦えばよいのか分からない。しかし、ダメージが通っていないわけではない。実際、腕は再生していない。つまり、頭をつぶす……いやそもそも喰ってしまえば問題ないということ……。
勝てないわけではない……。
「ならば……喰らいつくすまでですわ……」
フォルミーカは素早く地面を蹴り上げるとそのまま宙を舞う。そしてそのまま円を描くように剣で軌跡を描き……、
「切り取れ……!」
貴文のいた場所ごと抹消する。
今度は当たった。貴文の小指を残して、空間ごと削り取りその部分が自分の一部に変わる。
やった……これで……。
(ズズ……)
「……倒した……はず?」
突然、フォルミーカの背後に凄まじい気配が広がる。
全身に突き刺すような痛みすら覚える殺意。いや……殺そうとしていない。これは純粋な悪意。
まるでおもちゃをこれからどう遊んでやろうかと言わんばかりの悪意。
フォルミーカは恐る恐るその背後に目をやると……。
「嘘……ですわよね?」
そこには、貴文が立っていた。
いや……違う。貴文の形をした何かだ。
体の表面はほぼ筋繊維。まるで人体模型を見ているような気分にすらなるほど、中身がむき出しの体。しかし、その筋繊維は黒く染まっていた。目のある場所から赤い眼光が漏れ、その視線はフォルミーカへと向けられている。
「なんでですのごっ!?」
フォルミーカが言葉を言い終わる前に、貴文が繰り出した蹴りは腹部へと食い込んでいた。
モーションすら見せずに繰り出された一撃はそのままフォルミーカを遥か上空へと打ち上げる。
そして、それを見上げた貴文はゆっくりと黒い影となった口を開くと……。
「GRYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA-―!!」
人とは思えぬ……獣のごとき咆哮をあげたのだった。
***
「何が……起こっておるのじゃ」
神久夜は異世界邸に向かって走っていた。
自分の愛する夫の戦う姿を見て、危機が迫っていれば手助けをしようと思ってのことであったが、そんな暇もなく自分の愛する夫の姿は意外な形で目にすることとなってしまった。
一言で言うなら化け物であった。
元々貴文の一族には色々と謎が多い。自分自身にもその血が流れている分何か自分でも分からない何かに支配されそうになることは時々ある。
突然誰かの号令にしたがってお座りしてしまったり、貴文と一体となって戦ったり、本来の人とはかけ離れた力を持っているのは知っていた。
しかし……これは知らない。
何なのだ……夫のあの姿は。
異世界邸から走った地割れは神久夜のすぐ近くに広がっている。いくら神久夜と合体してもここまでの力を出すことは出来ない。
しかも遠目で見たが、あれは敵が攻撃をいくらか受けたうえでの反動のようなものだ。ようするに力の一割程度。それでこれである。
夫に何があった。
いや……それだけじゃない。異世界邸も消し飛んでしまっているのが見える。
異世界邸にかつてない危機が迫っている? まさか……。
そこまで考えたときに、ふと神久夜の脳裏にかつての父が。貴文の父親である人物が言っていたことを思い出した。
【この館はな……生きている。他の建物とは違ってこの館は大きな一つの生き物だ。そして、その生き物はこの館の管理人となる者とリンクしている。もし、この館に危機が迫ることがあれば、館は禁じられた世界に門を繋げるだろう】
【禁じられた世界?】
【かつて、我々のご先祖様がいたとされる世界。その世界には、世界というなのたった一人の生き物……我々の祖先にあたる者が住んでおり、その世界には他の世界を滅ぼすほどの力が眠っているという。館はその者によって生み出されたものであり、もし、核となるものが壊れそうになればその世界から力を引き出し、管理人に与えると言われている】
……管理人に力を与える。
もしかして……今の貴文の姿はその力が与えられた状態なのだろうか。
神久夜は足を早め、異世界邸の裏庭があった場所へと急ぐ。
どちらにせよ、今の起こっている異変はただモノではない。
何かがまずい……このままでは。
神久夜の尾が何かを警告するように逆立つ中、神久夜は自分にもてる最大の速さで走った。
今起ころうとしている異変を止めるため。
そして……このままでは、自分の夫が帰ってこなくなるようなそんな不安が脳裏に走ったため。
神久夜は目的の場所へと足を早めるのであった。
***
力が……制御できない。
貴文はどす黒い意識の奔流の中でもがいていた。
何だ……この状態は。
絶え間なくあふれ出してくる誰かの意識と、嘆きの声。
【何故だ……何故殺した】
【ママ……どこに行ったの?】
【私は世界で一番優れた魔導士になるはずだった。それが何故……】
……どれも何かを悔い、悲しみ、絶望しているような声。
その声の持ち主も老若男女様々なもので……一定ではない。
何十、何百、何千、何億の意識が自分の中で暴れている。
【これが……我々の力の根源なのだ……】
「……誰だ」
突如、無数の意識の中で、こちらに向けられた声が響く。
どす黒い液体のような意識達がはいずりまわる中、その中にひとり、現れた人影はこちらに指を突き出すと。
【我々はずっと喰らってきた。この世界に来る前、さまざまな世界の様々な者たちをその存在ごと飲み込んできた。ゆえに、我々はどの世界の魔王よりも、災厄よりも強く、強靭な力を手に入れた】
「なに?」
【我々はかつて滅ぼすものであった。その世界の罪を裁くために、その世界そのものを終わらせるものであった。そして、その役目をある完成形である我々の中の一人が終わらせ……次は作ることを選んだ】
「何がいいたいお前は……」
言っている意味がさっぱり分からない。滅ぼすもの? 一体こいつは何を言っているんだ。
貴文がそう問うが、影は力なく首を振ると、
【始祖はお前たち管理人にその創る時代を任せることにした。そして、その創る時代を保つための防衛策として、お前たちの命を選んだ】
「要するに何がいいたいんだお前は!」
貴文はついにしびれを切らして影に怒鳴ると、影は頭を上げて言うのだった。
【簡単に話を要約するなれば……お前はもうすぐ死ぬ。館を守るために己の命を削ってな】
「……何……だと……」
貴文は驚愕する。
しかし、その驚きさえ、無数の意識の波の中に飲み込まれてゆき、再び貴文の意識は闇の中へと消えてゆくのであった。
***
神久夜は息を飲んでいた。
それもそうだろう……。異世界邸がほぼ残っていない。それはさっきも見えてはいたが、目の前にするとその絶望は先ほどの比ではない。
いや、それよりも……。
「何じゃ……あれは……」
異世界邸跡地の中央にて赤く輝くもの。
それは古い冷蔵庫。あの、様々な世界から来訪者を吐き出す異世界邸のいわば門である冷蔵庫であった。
それが赤く発光し、その扉は開け放たれている。
一体何が起こっているのだ……。
神久夜は急いでその冷蔵庫に駆け寄る。近くまで来てみると、その冷蔵庫の背に文字が浮かんでいることに気づいた。
その文字は見たことのない言語でかかれたものであったが……。
「読める……この文字の意味が分かる……」
神久夜には読めていた。一度も見たことのない文字でありながら、その意味はまるで頭の中に染み込むように流れ込んでくる。
それは次のようなものであった。
【館の危機が迫りし時、禁忌の扉を開く。その扉を開いた時が、現管理人の命の終わるときである】
「どういうことじゃ……?」
神久夜はその言葉の意味が分からなかった。禁忌の扉? それは館が管理人に力を与えることを言っているのだろうか。では命が終わるというのは?
そこまで考えた時、冷蔵庫に新たな文字が浮かび上がる。
【管理人に力を与える。それを引き換えに寿命を削り、守り切った頃にはその命が尽きる】
「なんじゃと!? 何じゃそれは!!」
神久夜は冷蔵庫を揺さぶるが、文字はただ赤く発光している。
このままでは貴文が……そんなことさせるわけにはいかない。
「……閉じなければ……門を」
神久夜は冷蔵庫の正面に回りこみ、その扉に手をかける。
そして、力を込めて閉めようとするのだが……。
「……何故じゃ……!」
扉は閉まらなかった。
いや閉まらないどころではない。びくともしない。神久夜の力は普通の人間に比べると化け物のように強いものである。それをもってしてもびくともしない。
何だこれは……今までこの冷蔵庫の扉に手をかけたことくらいはある。その時はこんなに扉が動かなかったりはしなかった。
だけど、このままでは……。
「……やめてくりゃれ……貴文を……殺さないで欲しいのじゃあ……!」
神久夜は涙を流しながら、必死にその扉を閉じようとする。
だが、冷蔵庫の扉はその言葉を冷たく押しのけるように、ただ静かにその形を変えぬままであった。
***
フォルミーカは空中に打ち上げられる中、考えていた。
あの『呪怨』が恐れた世界。その恐れた理由は黒き劫火だけであったのか。
恐らく、違う。これだ……こいつを恐れていたのだ。
あの人の形をした化け物を……魔王を、この白蟻の魔王をいとも簡単に打ち上げるような化け物がいるこの世界を。
黒き人型の悪魔となったそれは、赤き眼光をこちらに向けると大きく跳躍する。
それは一本の矢のごとし。その体はばねのように縮み、そして一気に伸びると釘のように足を突き出し、それはフォルミーカの腹部に食い込む。
何だ……この執拗な腹部に対するダメージは……。
食を目的とするフォルミーカへの当てつけなのか、それともその部分にダメージを与えることが好きなのか。内臓をずたずたに引き裂くような衝撃が走る中、フォルミーカは自分の体をはじくようにのけぞらせ、なんとかして貴文から距離を取る。
フォルミーカの傷は一秒もあれば、完治する。今まで食べたものを消費しなければならないが、圧倒的な回復能力で一撃でやられることはありえない。
しかし……それをもってしても……。
「うぎゅぃ……!?」
貴文の攻撃の速度にはそろそろ追いつけなくなっていた。
頬にめり込んだ拳。フォルミーカはそれを防ぐことも出来ず、そのまま遥か下の地面へと一気に殴り飛ばされる。大地を砕きながらも、その攻撃をもろに受けたフォルミーカは頭の大部分が大きく削り取られていた。急いで修復するも目まで消し飛んだため、視界がつぶれている。何も見えない。
(このままでは……やられてしまいますわ)
フォルミーカといえど不死身ではない。回復能力も自分の中にため込んでいるものがなくなってしまえばそこで終わり。ましてや……直撃すればかなりのダメージを負ってしまう以上、早く決着をつけなくてはならない。
そんな状態の中で降り注ぐ無情の殴打。視界の潰れたフォルミーカの全身をミンチにするように容赦のない拳が振り下ろされる。
それはマシンガンよろしく行われていた。いくら修復を行っても、治ったそばから破壊される。確実に息の根を止める気でいる。剣を手に取る暇すら与えず、フォルミーカの命が確実に削られていく。
もう、自分は殺されてしまうのか……。まだあの魔女に報復出来ていないのに……。
頭の中で憎しみの記憶がフラッシュバックする中、フォルミーカのボロボロの体に熱がこもっていく。
まだ……終われない……このままでは……このままでは……!
「終われませんわぁあああああああっ!!」
フォルミーカは金切り声を上げながら、自らの指先に力を籠め、爪を肥大化させる。そして、そのまま千切られることを見越して、その手首だけを貴文の首元へと突き出した。
敗北覚悟の一撃は、腕をへし折られ、骨を一瞬で砕かれるが、その手首だけは貴文の……、
【……がっ……】
首元へと突き刺さる。
その瞬間……、貴文の動きは止まった。
今まで雨のような殴打はぴたりとやみ、その黒ずんだ肉の塊となった体は静止する。
口のように開いていた穴からはどろりと黒い液体が溢れ、貴文は……後方へと倒れ込んでしまった。
「……」
静寂が広がる中、体を完全ではないにしても形だけはもとに戻したフォルミーカが立ち上がる。
「……やりましたわ……」
目の前で止まっている貴文を見下ろしながら、フォルミーカはやっと笑みを浮かべた。
その笑みは先ほどの不快感極まりない笑みではなく、心の底から晴れ晴れとした笑み。
死んだ。あの忌々しい勇者がやっと死んだ。
まぐれあたりだったかもしれない。しかし、こいつはもう止まっている。動かない。やった。やっと殺せた。
「やってやりましたわよ魔女さん!! 貴方を守っている忌々しい勇者をわたくしが! この手で殺してやりましたわ!」
奇声に近い笑い声をあげながら喜びをあらわにするフォルミーカ。
その背後の異世界邸の残骸の影で声を失っていたものがいた。
「……貴文が死んだ?」
呆然と立ち尽くす、一人の少女。神久夜。
目の前で夫が殺された……化け物の姿になりながらも異世界邸を守っていた夫が……命を削ってまでも戦っていた夫がやられた。
信じがたい無情な現実に打ちひしがれ、神久夜は涙を落とす。
「嘘じゃ……貴文……死ぬわけないじゃろ? な?」
神久夜は後方の冷蔵庫を見てみる。
するとそこには……。
「……閉まっておる……さっきまであれほど閉めようとしても閉まらなかったのに!!」
いつもと同じように扉が閉まった状態の冷蔵庫がそこにあった。
それはつまり、もう貴文には力を供給していないということ。
そして……それは同時に別の意味も持つ。
すなわち……もう貴文には力を供給する意味がなくなってしまったということ。
つまり、死んだということ。
「嘘じゃ、嘘じゃぁああああああああああああ!!」
神久夜は走り出す。
ボロボロになってしまった夫の亡骸に寄り添うため。
いや……まだ夫は死んでいないとそんな非現実的な希望を抱き、それにすがったため。
だが、その神久夜を最悪なことにある人物が見つけてしまった。
「あら……まだいましたの?」
傷が修復されたフォルミーカ。
貴文に向かって走ってきた神久夜に向かって剣先を向ける。
「消えて下さいな……」
そして、その能力を静かに発動させる。
再び、世界は一瞬だけ黒く塗りつぶされた。
***
「力が入らない……俺はどうなったんだ」
暗闇の中で、貴文はまどろんでいた。
それもそうだろう。結局今自分がどうなっているのかも分からないまま、気づけば体に力が入らない。それどころか意識が遠のいている。
何が起こった? まさか死んでしまったのか?
【あぁ……死んじまったな……まぁ、まだ死んではいないけど、死んでいる最中だ】
またあの影の声がする。
しかし、貴文の周囲にはもう荒れ狂う意識の群れは存在しなかった。
何も見えない。暗闇の中で、あの影の声だけが響く。
【お前は使い切ってしまったんだよ。体に蓄えられた力をな……】
「……俺の意思じゃないんだが」
【まぁ、そうだな。体に染み込んだ使命的なものにしたがってその力を使い切ってしまった……もうあとは死ぬだけだ】
「……勝ったのか? あの魔王に?」
貴文がそう影に尋ねると、影は残念そうに低い声で、
【いや、負けた。あっちの方が一枚上手だったようだな。おそらくもう異世界邸は終わりだろう……】
「……は? ふざけんなよ?」
無責任な言葉を言う影に向かって貴文は怒鳴る。
「俺はまだ戦ってねぇだろうが……それなのに、勝手に負けにしてんじゃねぇよ!」
【いや、そんなこといって、力がないお前であればすぐにやられていたぞ?】
「知るかそんなもん! 勝手に体使っておいてふざけたこと言ってんじゃねぇぞタコ助が!」
【いや、俺に切れられても……】
影は困ったように言うが知ったことか。勝手に体使って、ボロボロにしてはい勝てませんでしたとかふざけんなゴルァの話である。
「クソが……まだ俺は終われねぇのに……神久夜を……こののを……異世界邸の馬鹿どもを守らないといけないのに……」
【館の心配はしないんだな】
「もう影も形もなかっただろうが。もう知ったことかそんなもの! というかなぁ……お前」
貴文は言う。
「ぶっちゃけな……もうあんな館なくなってもいいんだよ」
【なに?】
驚いたような声をあげる影であったが、そんな影に貴文は告げる。
「俺はな……あんな館よりも、そこに住む住民たちのほうが大事なんだよ。それがなんか館守るために体張れとか馬鹿じゃないのか。しったことじゃねぇよ。命に比べたらそんなもん屁でもないわ」
貴文は言う。
「俺はあいつらが大好きなんだよ! あいつらを守るために館を守ってるんだ。あいつらが路頭に迷わねぇようにあの館を切り盛りしてるんだよ。だからな……」
貴文は言った。
「まだ俺に命が残ってるなら……まだ俺が今生きているなら……戦わせてくれ」
【……正気か……お前……】
「まだ生きているなら……だがな……」
【……】
影はしばらくの間黙り込んでいたが……やがて口を開くと。
【仕方ねぇな。ラストチャンスだ。死んだつもりでいけ】
パチンと指を鳴らしたような音が響く。
その瞬間……。
貴文は現実へと引き戻された。
***
パァン……と打ち上げられる音が響く。
神久夜に向けられていた<喰魔の白帝剣>は空中を舞い、遥か彼方の地面に突き刺さる。
「……何で……死んだはずでは……」
「……貴……文?」
そこには、満身創痍の貴文が立っていた。
ボロボロの鎧のように纏っていた筋繊維が剥がれ落ち、内側から傷だらけのいつもの貴文の姿が見える。
服は纏っておらず、腰から下にはまだ焦げた筋繊維がこびりついている、そんな貴文の姿が。
「俺は……随分と眠っていたようだな……」
貴文は痺れる手に力を籠める。
全身が引き裂けるように痛い。おそらく、自分の意識がない間に何度も死ぬようなダメージを受けていたのだろう。立っているのがやっとだ。それほどに貴文の体はボロボロであった。
だが……、
「立てるなら……よし!」
そんな無理やりな精神論を叫ぶとフォルミーカの方へと向き直る。
「ずいぶんと……俺の中の奴らが自分勝手したみたいだが……、それでも倒れてないとはな……小娘」
「な、なにを言っていますの……そんなボロボロの姿でわたくしに勝てると思っていますの?」
フォルミーカは声を震わせながらそう叫ぶ。
さっきまで圧倒的な強さを見せながらも一度は死んだはずの貴文。それが起き上がったことには驚愕の一言に尽きるが、その体のダメージは治癒されていない。先ほどまでのバカげた再生能力がないところを見る限り勝てないわけではない。
いや、勝てる。そうフォルミーカは確信する。
しかし、そんなフォルミーカに貴文は笑みを見せると、
「あぁ……たぶん勝てない。だから……お前に勝つことはやめだ。お前をここから追放する」
「はぁ? 何……を……」
フォルミーカがそう言い返そうとした瞬間、貴文の右手に一筋の光がともる。
そして、次の瞬間には……。
「お前を殺すことを目的にするのではなく、家族を、住民を守る事を目的にする」
そういう貴文の手には一本の赤き槍が握られていた。真っ赤に塗りつぶされた、先端は三つに分かれ、それらが螺旋を描くように交差している槍。それを軽々と振り回すと……。
「だから……クソ痛いと思うが……耐えろよ?」
「何を言って……!?」
フォルミーカがそう聞き返そうとした瞬間、右腕に鋭い痛みを覚える。
そう、貴文が目にも止まらぬ速さで槍を振るっていた。それが右腕に打ち付けられていたのだ。
「ギィッ!?」
「痛いだろ? そりゃそうだよ。俺の元々の能力はな……自分と相手を同じレベルにしたうえで、正々堂々殴り合い。ダメージは同じ比率で加算される。能力が俺との戦闘中には使用できないうえに、俺とお前の身体能力は同じ程度に調整される……要は……」
武術のみで戦う試合。
貴文が異世界邸のステータスが壊れた奴らと戦う際に使用している能力。どんなに強い相手であろうとこれを使えば自分と同程度に落とすことが出来る。
ただし、この能力を使用するには普段は竹槍として出現させている己の武具を手に持った状態でなおかつ、相手が自分に対して戦う意思を持っていること。それに加えて、この能力の発現している間はお互い死ぬことはなく、気絶するほどのダメージが加算された時点で能力が解除され、相手は戦闘不能になり一日戦闘を行うことが出来なくなるという制約を与える。
ぶっちゃけた話。貴文が持っているこの能力は強いと言えば強いが相手を倒すものではない。一時的な場しのぎにしか使えないもの。
しかしそれだけでかまわない。今の自分にはそれくらいしかできることがない。
相手が自分よりも武術で優れていれば負けてしまう賭けのような能力。
だが……この能力は……。
「はぁああああああああああああ!!」
「がはっ!!」
鋭く槍で薙ぎ払い、フォルミーカを吹き飛ばす。
フォルミーカはその動きについてこれていなかった。そう。この能力は、普段能力に過信しているものほど効果がある。己の体一つで戦うことに慣れてないものには実に効果的。
「ちくしょう……なんでこんな人間風情に!」
フォルミーカは怒号を飛ばしながら、貴文の胴体に拾い上げた剣で切り付ける。
無論……死なないダメージは貴文にも通る。ボロボロの体に突き立てられた一撃は貴文の意識を一気にもっていこうとするが、貴文は歯を噛みしめ、なんとか堪える。
その戦いはなんとも古典的なものであった。
槍と剣の武術による試合。彼らの周囲には近づけぬように制御空間が広げられ、神久夜はその外で、結果がどうなるか……自分の夫は勝てるのかと不安げに見守る。
何百もの剣戟が繰り広げられ、ダメージが普通の人間のように蓄積されていく両者の動きはどんどん鈍くなっていく。
地面を蹴り上げ、顎を砕きにかかり。それを紙一重で避け、剣先で腹部を貫く。
何度も何度も魔王と勇者の戦いと呼ぶにはあまりにも小さく、力のない戦いであったが、その気迫はどんな魔王よりも、勇者よりも強く、鋭く研ぎ澄まされていた。
両者ともに勝たねばならぬ理由があるゆえに。両者ともに負けられない理由があるゆえに。
しかし……ついに……その決着の時が訪れる。
フォルミーカが大きく剣を振りあげ、そのまま貴文の頭部へと振り下ろした時……。
「……ここだ……これが……最後の……!」
貴文は己の頭の付近に槍先を回し、そのまま槍を右方へと投げる。その際に、フォルミーカの剣は巻き込まれ、そのまま右方の空中へと舞った。
それが……決着の瞬間であった。
貴文は槍を投げた手をそのまま脇腹付近へと移し、身を大きくかがめる。
なかば跳躍していたフォルミーカの下へと回り込むと、そのまま……。
自らが受けた風の力を手に這わせ、渾身の風圧を纏わんばかりに加速した拳を……。
「……そんな……!?」
フォルミーカの腹部へと打ち付ける。
その瞬間、爆風が彼らの間に生まれ、フォルミーカの体は最初に貴文が飛ばした時よりも高く、空のかなたへと打ち上げられる。
もう、彼女がどこに飛んだのかは分からなかった。
その拳を天を突くように掲げた貴文は、そのまま地面へと崩れ落ちる。
……これが決着だった。
白蟻の魔王率いる、白蟻の軍勢。貴文は満身創痍の体でなんとか白蟻の魔王にダメージを与え、一時的に動けなくするという成果を出す。
もう残りはどうしようもない。誰かが……動けない白蟻の魔王を倒してくれるのを願うばかり。
もう貴文の意識は保てなくなっていた。
やがて、貴文の目の前は真っ暗になった。