憑き物落とし【part山】
異世界邸の存在する山、その中腹を過ぎたあたり。
麓の街の異能集団・寺湖田組の車で限界まで登って来た瀧宮白羽は、降車した後やる気なさげにゆっくりとした歩調で沢沿いの林道を通り、実兄に指定されたポイントまで移動を開始していた。
「あーあー、だるいですわー、かったるいですわー」
だるい。
本当に、だるい。
大好きな兄に頼まれたためここまで来たは良いものの、正直なところ、白羽のやる気は最低レベルまで下がっていた。
「まったく、何なんですのー、あの黒炎。アレのおかげで白蟻は大体片付いてしまったみたいですし、麓からでも感じたヤバ気な気配もどんどん減っていくし、白羽がやることもうほとんどないじゃないですのー……あ、お魚」
こんな非常時でも沢の中で暢気に泳いでいる魚影に視線が移る。注意力の散漫もいいところである。
まだ一つ、指定されたポイント辺りから桁違いの邪な魔力を感じる。しかしそれと同等かそれ以上に強い清浄な気配も発生したことは既に気付いている。しかも激突までは秒読みと言ったところ。この二つがぶつかったら近付くだけでも危険だろうし、そうなれば本当に白羽にやることはなくなる。
いくら白羽の俊足を用いても、流石に現場に着くころには阿鼻叫喚の地獄絵面が待っていることは明白である。別にそこに飛び込んでもいいのだが、後でバレたら兄からは説教が、姉からは拳骨が約束されている。どっちも嫌だ。
「はあ、じゃあ、もうこの登山、本当に意味がないのではありませんの? ……あ、ダメですわ。羽黒お兄様へ報告しないといけないんでしたわ」
となると、巻き込まれないように遠くから見ているだけということになる。
それこそ、本当に白羽のガラじゃない。こんなことなら廃ホテルに現れた兄の弟子と遊んでいた方がよっぽど楽しかった。
「あーもー! 本当につまんないですわー!」
ズドン!!
頭上から振り下ろされた二振りの剣により、地面に二本の亀裂が奔った。
「……何ですの? レディーを背後から斬り付ける不届き者は」
「う……ぐぅ……!!」
数メートル先の木の枝に着地し、白羽は突如現れた襲撃者を見定める。
長身で細身の人間の男。歳は二十代前半のように見えるが、欧米風の顔つきのため白羽にはよく分からない。というかどうでもいい。
手には何やら強大な力の気配を感じる、豪奢な装飾の剣が二本。それに反し、山火事の中を突き抜けてきたかのように纏っている衣類は焼け、ほぼ半裸状態。その割に露出している肌は煤けて汚れてはいるものの、火傷らしい火傷は妙に少ない――否、たった今、目の前でなくなった。
「その超人的な再生能力、人間には見えませんわね。どういう仕組みですの?」
「あ……あぁ……! に、肉……」
「肉?」
「に、く……体……! 新しい、肉体、寄越せぇ……!」
「……ああ、なるほど」
この男、何か憑いている。
そして憑かれている男の体は見ての通り、そろそろ限界らしい。
そう確信した白羽はさらに襲撃者を観察する。憑いているモノが何のかはっきりしないと、迂闊に手を出せない。系統にもよるが、宿主を痛めつけても意味がないと言うことは聞いたことがある。
しかし襲撃者は大人しく観察されてもくれない。フラフラと覚束ない足取りで白羽の立つ樹木の元まで駆け寄り――縦に両断した。
「お、おお?」
バランスを崩し、メキメキと音を立ててへし折れる木から飛び降りる白羽。その着地を狙う襲撃者は、既に剣を振りかぶっていた。
「――抜刀、【白羽】」
言霊に応じ、手に切っ先から柄まで白一色の美しい太刀が顕現する。それを持つ細い腕と体を支えるか弱い脚に瞬間的に魔力を浸透させ強化し、迫りくる双剣を持ち手ごと弾き飛ばした。
思わぬ反撃を受けた襲撃者は一瞬たじろぎ、しかしすぐに切り替えて双剣を振るう。
「はあっ!」
右の剣を太刀の腹で受け止め、押し返す。
続く左の剣は柄で弾き飛ばす。
今度はこちらから突きを仕掛けるも、防がれた。
双剣と太刀がぶつかり合う激しい金属音は次第に間隔が狭まっていき、しまいには一つの音のように重なった。
「……は」
「……っ?」
「あは……あはは♪」
剣を合わせながら白羽――最も血の気の多い陰陽師・瀧宮の申し子たる彼女は、愛らしく笑った。
「楽しい、楽しいですわ! さっきの方ほどではないですが、思いのほか楽しいですわ!! これなら、もう少し速度を上げても良さそうですわね!」
言うが早いか、白羽は全身に込める魔力を増やす。その瞬間、白羽の繰る太刀の速度が数倍に跳ね上がった。
「ぬ、あぁ……!」
襲撃者もそれに食らいつこうと、なけなしの魔力を絞り出す。
双剣の手数を最大限まで生かし、迫る純白の刀身を何とかいなす。しかし元々満身創痍であった襲撃者はすぐに動きのキレがなくなってきた。切っ先が腕や胴体を掠り、出血する。かと言って強者を目の前にして傷を再生する余裕もなく、数が増えるばかり。
さらに肉体――宿主にも限界が見えてきていた。
全身の筋肉が音を立てて軋み、腕を動かすだけで筋繊維の切れる痛みが奔る。
自然と動きが鈍くなる。
「…………」
白羽は無言で剣撃に蹴りを混ぜた。
「ぐっ……」
幼女の細い脚からは想像もできない威力に吹き飛ばされ、襲撃者は近くを流れる沢に突き落とされる。
「なんか、思ったより早くガタが来てしまいましたわね……冷めましたわ」
「あ……あ……!」
「はーあ……せっかくテンション上げたのに、まるで白羽がバカみたいじゃありませんのー。がっかりですわー。期待外れですわー」
「か、らだ……! 新しい、体……!」
「もう、いいですわ」
白羽は沢へと近付き、太刀の切っ先を水辺につける。
その瞬間、沢の水の全てが凝縮し、蛇のように蠢き襲撃者を締め上げる。
「水を繰るのは『瀧宮』の基本技能。貴方にはこれで十分でしたわね。……あら?」
水で縛り上げられたことにより、襲撃者が纏っていた煤が落ちて全身が綺麗になった。それにより、全身を治癒してもなお残っていな胸の傷が白羽にも確認できた。
「ははーん。そこですの」
場所が分かれば、もう躊躇うことはない。
太刀を構え直す。
一歩。
沢の対岸に降り立った白羽は言霊を紡ぎ、太刀を体内に封印する。
「あ、ああ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! いたい、痛い痛いイタイイタイイタイイタイいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
「……うっさいですわね」
胸の傷を搔きむしり、水のなくなった沢を転げまわる襲撃者。
白羽はその光景を冷たい目で眺める。
「妖怪の滅殺に特化した八百刀流――その中でも憑き物だけを斬り殺す術は、白羽の十八番ですの。白羽に鞍替えしようと喧嘩吹っ掛けてきた自分の不運を恨みながら、さっさと死ね」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
断末魔が薄暗い山中に響き渡る。
宿主の喉が潰れるのではないかというほどの大絶叫を上げ、襲撃者はピタリと動きを止めた。そしてそのまま、地面へと倒れ込む。
「…………」
白羽は水による拘束を解き、沢を元の状態に戻す。すると意識のない宿主が水の戻った沢にぷかっと浮かんできて、ゆっくりと水に流されて下流の大きな岩に引っかかった。
「……はあ」
溜息交じりに宿主を引っ張り上げ、岸辺に寝かせる。そして念のため憑き物が完全に取れているか確認するため胸に手をかざした。
「……ん?」
白羽は何だか嫌な予感がし、鼻に手を、胸に耳を当てる。
「……あ、これ、止まってません?」
呼吸も鼓動も感知できない。
死んでる?
「い、いえ、操られていたとは言えそこそこ強靭な肉体の持ち主だったようですし、ショックで一時的に止まってるだけですわよね……えーっと……」
こういう時はどうすれば……。
そう言えばこの前、通っている学園の初等部全体の集会で蘇生法の授業を受けたと思い出した。
「確か、人工呼吸で酸素を……うわ、絶対嫌ですわ」
どうしよう、いきなり躓いた。
「……肺に酸素を送りゃーいいのでしょう? でしたら――」
水を操る技術の応用で空気の流れを起こし、無理やり送り込む!
相当繊細な作業だがきっとできる! という謎の自信の元、白羽は早速えいっと空気中の水分に魔力を通わせる。
――ひゅごおおおおおおおおおお
「うん、なんかちょっと強い感じもしますが、大丈夫ですわよね! その証拠に胸も空気が入って若干膨らんでますわ!」
さて、次。
心臓の上に手を置き、強く推してマッサージをする。
「……しまりましたわ。白羽の体重では軽すぎてマッサージになりませんわ」
かと言って身体強化を使うと心臓を破壊しかねない。まだまだ幼い白羽は微調整が苦手である。
「そうなると……そうですわ!」
いい案を思いついたと立ち上がり、白羽は履いていた靴の片方を脱ぎ、裸足となった片足を宿主の心臓の上に置いた。
「それ」
――ぐっ ぐっ ぐっ
「おお、いい感じですわ。これならちょうどいい感じに体重がかかってマッサージできてる気がしますわ! あとはこれを繰り返すだけですわ! ……はっ! 白羽天才! これなら両手が開くので蘇生させながら携帯電話で助けが呼べますわ!」
ポケットから子供用の小さな携帯電話を取り出し、山の麓まで車で送り届けてくれた寺湖田組の構成員の番号を呼び出す。確か万が一に備えて待機しているはずだ。
――ひゅごおおおおおおおおおお
――ぐっ ぐっ ぐっ
「あー、もしもし? 白羽ですわ。……ええ、ちょっと問題が」
――ひゅごおおおおおおおおおお
――ぐっ ぐっ ぐっ
「重傷の方がいらしたの。すぐに病院まで運んであげて頂けません?」
――ひゅごおおおおおおおおおお
――ぐっ ぐっ ぐっ
「場所は、さっき降りた林道をそのまま二十分ほど登った所ですわ」
「…………ぐっ、げっ……」
「あ、息吹き返した。……ええ、そうですの。念のため、急いでいただけます?」
通話を切り、携帯電話をしまう。
運良く心臓も再稼働したようだし、呼吸も戻った(何故かやたら荒いが)。これにより、本当に白羽にやることはなくなってしまった。
下車した地点からここまでは結構急な斜面だったし、寺湖田組が車を無理やり酷使して駆けつけるとしても結構時間はかかりそうだ。
「……退屈ですわー」
白羽は近くの岩に腰かけ、秋の冷たい水に足をつけてちゃぷちゃぷと遊び始めたのだった。