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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
魔王編
47/169

蟻天将 【part山】

「いきなり減ったな」

「やっぱアレが原因かね」

 羽黒と疾はかなり見通しの良くなった軍艦内の通路から下界を見渡した。そこでは何人もの術者により魔力が混沌とした状況になっていることと、いくつもの家屋が倒壊していることを除いて、特に異常は見られない。

 先程まで、文字通りの意味で、無数の白蟻が蔓延っていたとは思えないほどの静寂。ましてや、三十階建てビル程もある蟻塚が出現した地点とはとても考えられない。

「よく見えなかったが、あの蟻塚が白蟻を生み出す核だったらしいが、何で地上に転移させた? ……いや、それよりも、アレを一瞬で焼き尽くしたあの黒炎、一体何だったんだ?」

「俺が知るかよ」

 疾は既に地上に興味を無くしたらしく、荒れ果てた艦内通路を歩きだした。その歩む先には、人影どころか白蟻一匹存在しない。さっきまでは地上の物とは比べ物にならない強さの白蟻兵がワラワラと沸いて来ていたが、やはり羽黒の予想通り、先程の蟻塚が白蟻を生み出していたらしく、アレが地上に転移してから艦内に出現する白蟻の数は目に見えて減っていっていた。

「今後の経験のためにも、起きた事象の考察はしておいて損はないと思うぞー」

「後で安全を確保してからゆっくり考えるならな。この状況でちんたら考えてたら、今死ぬぞ。今後もクソもあるかよ」

「若いねぇ。ま、それも一理あるか」

 自分もまだまだ若いつもりだが、いささか実年齢に反した経験を積んで老練されつつあった羽黒は、疾の純粋な若さに羨ましさを感じつつ、その背中を追った。


「見つけましたでありますれば」


「「――っ!?」」

 追おうとして、羽黒は背後から吹き飛ばされた。弾丸のような速度で疾のすぐ脇を飛んでいき、突き当たりの壁を数枚破壊するまで速度が落ちることはなかった。

「何だ? 今全く気配がなかったぞ」

 疾は両手に持っていた二丁拳銃を構え、襲撃者を見定める。

 それは、不気味なほど色白で、無表情を通り越して生気その物を一切感じさせない、メイド服姿の女性だった。ただし、大股で床をしっかりと踏み、拳を固く握りしめて冷徹な視線をこちらに向けるその姿は、とてもではないがメイドには見えない。

「お前、下で暴れてた蟻天将とかいう奴の同列か」

「蟻天将が末席、ムラヴェイでありますれば。あなたが死ぬまでの一瞬の間、お見知りおきを」

「あーそうかい。俺も覚えといてやるよ、明日になったら忘れてるだろうけどな!!」

 引鉄を引き、銃口から抗魔の弾を連射する。

 弾は真っすぐにムラヴェイと名乗ったメイドの眉間に吸い寄せられるように跳んでいき――一瞬にして姿を消したムラヴェイを素通りして背後の壁をぶち抜いた。

「転移か!」

 次の瞬間、首筋へと迫る死の気配。

 即座に身を捩りつつ、対物障壁を幾重にも展開して衝撃に備える。しかし、いつの間にか背後に出現したムラヴェイが繰り出す手刀はそれらをいとも簡単に打ち砕いた。

 障子紙のように打ち破られ、消滅する障壁に違和感を覚える。

 ムラヴェイの手刀には特にこれと言って魔力回路を感じとれない。魔術的に障壁を破壊されているわけではないようだが、しかし膂力で無理やり打ち砕いているというより、これは――

「くっそ!?」

 あらかじめ仕込んでおいたいくつかの魔術を発動させ、手刀が完全に首に到達する直前に自分自身を吹き飛ばしてギリギリのところで回避する。背後に発動させた対物障壁で壁に大穴が開いたが、緩衝魔術で身体のダメージは最小に抑えた。

「最悪でありますれば……最悪でありますれば……」

 ムラヴェイは無表情のまま何やらブツブツと口にしている。

「やることなすこと、全て裏目に出ているでありますれば……姫様から〈グランドアント〉を任されておりながら、むざむざ〈マザー〉を失うという失態。更に、あれほど美しかった〈グランドアント〉も、見るも無残な姿になり果てておりますれば」

 ぐりん! と気味の悪い動きで首を巡らせ、壁を突き破った向こう側に立つ疾を見やる。

「せめて早々に侵入者を排除し、姫様のご帰還までに〈グランドアント〉を修復いたしますれば」

「っ!!」

 瞬きするよりも短い刹那の間に、ムラヴェイは疾の目の前に手刀を構えて出現する。それを横っ飛びで回避するも、その先に既でムラヴェイは拳を構えて待っていた。――転移先が読めない。

「うっぜえ!」

 犠牲覚悟に振りかぶられた拳を足場にし、十数メートルの距離を跳躍する。

 幸いにも、拳を蹴った足は無事だ。やはり膂力そのものは突出して化物じみているわけではないようだ。

 更に足場にした感触でおおよその仕掛けは読めた……が、これは少々疾には相性の悪い敵だ。長期戦になりかねない。

 疾1人ならば、だが。

「ちょこまかと鬱陶しい虫でありますれば」

「虫はてめぇだろうが!」

 距離を取ったところで改めて銃を構えて照準を合わせる。しかし、その先にムラヴェイは既に姿を消していた。

 また背後か――!!

 反射的に銃を背後に向け、僅かに的をずらして抗魔の弾をばらまく。案の定、弾はムラヴェイには掠りもせず真っすぐ背後の壁を抉った。

 ――狙い通り、真横にムラヴェイが出現する。


「ぐっ……!?」


 そして同時に、ムラヴェイが驚愕の表情で明後日の方向に飛んでいった。

「悪い、遅くなった」

「全くだ、休んでんじゃねえよボケ」

 先程までムラヴェイがいた場所に、背中をさする羽黒が立っていた。

「あー痛ぇ痛ぇ」

「壁ぶち破った程度でダメージが通る程度なのか、龍鱗ってのは」

「ンなわけねーだろ。あのメイド服に殴られたところだ」

 背中をさする手を止めずに、羽黒は悪態をつく。

 ……龍鱗越しの打撃でダメージ入ったのは、どっかの駄蛇と殴り合った時くらいだ。奴が調子に乗るから絶対に口にはしなかったが。

「――抜刀、【龍堕(リュウオトシ)】」

 羽黒の言霊に呼応して、手元に切っ先から柄まで深淵の如く黒い大太刀が顕現する。その大太刀の切っ先を床に突き付けるように立て、突進の勢いで拳を振るってきたムラヴェイを迎撃する。

「っどらぁ!!」

 拳を刃で受け止め、羽黒は強引に押し返した。

「やっぱな! こいつ、パワーよりも硬さがやべぇ!」

「へえ、刀でも駄目か」

 そこらの名刀よりよっぽど切れ味の鋭い【龍堕】の刃を殴ったはずなのに、ムラヴェイの拳には傷一つついていない。硬度だけで言えば、下手をしたら羽黒の龍鱗並か、それ以上か。

 再びムラヴェイが拳を握り締め、突進してくる。その拳は普通に振るわれただけでも脅威となりえることが判明したわけだが、疾は一つ違和感に気付いた。

 さっきまで執拗に瞬間移動で背後に回ってきていたのに、今は愚直に正面から突っ込んでくるのは何故だ?

「…………」

 戦闘は羽黒に丸投げして、周囲の魔力を辿る。

 さっきまでは詳細を探る余裕はなかったが、今になってようやく気付いた。

 今この場の魔力は全て、目の前に立つ黒い男へと収束していっている。

 そう言えば、風の噂に聞いたことがあった――八百刀流「瀧宮」は、空間制御の術式に長けている、と。

「さて、こういう場合、どうするね少年」

「作戦は二つだな」

 ムラヴェイを牽制しながら羽黒が出した問いに、疾は迷いなく答える。

「一つ、どちらか一人が足止めして、どちらかが軍艦の機関部を破壊しに行く。二つ、二人で連携してあの蟻天将を殲滅した後、悠々と機関部を破壊しに行く」

「まあ、そうだろうな」

「そしてこの二択なら、実質一択だ」

「その通りだな」

 羽黒と疾はニヤリと笑みを浮かべた。



     * * *



 異世界邸四階医務室。

 壁に開いた大穴の淵より白蟻がどんどん侵入してくる。しかしこれまでの白蟻とは異なり、妙に理性的な動きで医務室にいた七人を取り囲む。ギチギチと大顎を鳴らし、こちらを牽制してくる。

 そこに、ふわりと飛来してきたフードを被った蟻天将が降り立った。

「蟻天将・アーマイゼ」

「あ、あぁ……!」

「そんな……嘘よ!」

 ゆっくりとフードを取りながらそう名乗った蟻天将に、アルメルとカーラが顔を青褪め声を震わせた。

「何だ、どうしたんだ?」

「ん~……なんか、下の怖い人とは雰囲気違う気がする~」

 栞那の疑問に、フランチェスカが答える。

 下で暴れているヴァイスと呼ばれた蟻天将や、白蟻の魔王・フォルミーカはやけに色白な肌を持ち、加えて硬質的な雰囲気を持っていた。しかし、今目の前に現れた蟻天将は、そう言った異質感はほとんどない。

「あは♪ 魔力はすっごく淀んでるくせに、外見は完全に人間だね☆」

 セシルが簡潔にそうまとめた。

 アーマイゼから漂って来る気配や魔力は、完全に白蟻の魔物の物と同一――しかし、見た目だけは普通の人間と変わりない。

「参る」

 アーマイゼはそう短く口にし、マントの下から二振りの剣を引き抜いてこちらに突進してきた。

「ミーミちゃん♪」

 セシルの呼びかけに一瞬にして足元に魔方陣が展開される。そこから褐色の肌を持つミニスカゴスロリメイド服の女性が出現した。手には何故か、巨大な鉈と出刃包丁をナイフのように構えて握っている。

「…………」

「笑止」

 周囲を取り囲んでいた白蟻を蹴散らしながら、アーマイゼが振るった二剣を鉈と出刃包丁で受け止める。しかしそれらはバターのように両断され、双剣がミミの首に迫る。

「…………」

「ぬ」

 破壊された両刃を未練無く捨て去り、ミミは素手でアーマイゼの鳩尾に打撃を加える。その細腕からは想像もできない威力に、アーマイゼは勢いを利用して後方に退いた。

「やるな」

「…………」

 殴られた場所を気にしながら、アーマイゼは素直にそう言った。それに対しミミはスカートの端をちょんと摘まんで礼をする――と、思わせてスカートの中から長大な日本刀を一振り引きずり出し、今度はミミの方からアーマイゼに突撃する。

「すごい! アサシンメイドっぽい!」

「いや、どうなってやがるんですか、あのスカート……」

 こののが明後日の方向にテンションを上げる隣で悠希だけが冷静にそう突っ込んだ。

「…………」

「は」

 笑みを浮かべ、アーマイゼはミミを迎撃する。

 二剣と長刀がガキンガキンと激しい音を立ててぶつかり合う。しかし五回も打ち合わせる間もなく、長刀の方が真ん中からへし折れた。

「…………」

 ミミはやはり未練無く柄だけになった日本刀を捨て、今度はスカートの中からサブマシンガンを一丁取り出し、引き金を引く。

「は」

 飛来する銃弾をアーマイゼは器用に避け、時に双剣で払い落とす。しかし無理にこちらに突撃しようとはせず、大人しく牽制されている。

「フランチェスカ様。」

「ん? な~に?」

 サブマシンガンを撃ち続けながら、ミミはフランチェスカに声をかける。

「申し訳ありません。とにかく頑強な長物を頂けませんか。」

「ん~……あ、これとかどうかな~?」

 ズルリ、とフランチェスカは豊満な胸の谷間から一本の鉄パイプを取り出した。

「四次元谷間!」

「だから、あんたらどうなってやがるんですか!?」

 流石に二度目は冷静に突っ込めなかった。

「開発中の新合金パイプ~。理論上は折れず曲がらずよく斬れるはずだよ~」

「よく斬れる鉄パイプ!?」

「ありがとうございます。後で使用感をご報告いたします。」

「鉄パイプの使用感!?」

「よろしく~」

 ヒラヒラと手を振りながら鉄パイプ片手に再度アーマイゼに突撃するミミ。

 サブマシンガンによる牽制がなくなったことで、再び二人はお互いの獲物で激突を始める。フラン印の鉄パイプを装備したことにより、ミミは蟻天将相手に一歩も引くことなく戦っている。

「さてさて、情報が出揃ったところで考察しようか♪」

 セシルがそう暢気に口にして指を立てた。悠希が「は?」と眉間にしわを寄せる中、フランチェスカは「わ~」と拍手をする。

「あの魔物君は明らかに下の魔物ちゃんたちとは違うみたいだね♪ それに戦い方も違うっぽい☆」

「下の子は防御を自分の甲殻に全部任せてるみたいに見えたけど~、あの子は全部避けるようにしてたね~」

「加えて、ミミが単身で互角に戦えているのも不自然だ。下の蟻天将は格が違うと仮定しても、あの蟻天将の戦闘力は人間のそれを出ないように見える」

 栞那までもがセシルの考察討論に乗っかり、自分の意見を述べる。いつもはふざけている白衣三人組の真面目な雰囲気に突っ込むこともできずに、悠希は大人しく見守っていた。

「そしてあんたら二人の反応だ」

「「…………」」

「あいつの正体に心当たりがあるんじゃないか?」

 アルメルとカーラが息を呑み、沈黙する。

 それはほんの数秒のことだった。

 しかしそれは、彼女たちにとってはとてつもなく長く感じた数秒だった。

 認めたくない。

 顔を背けたい。

 しかし、その事実は変わりようはない。

 認めなければ。

 直視しなければ。

 その現実を、受け止めなければならない。


「戦神スティード……」


「知り合いか?」

「私たちの……仲間です。あの双剣も、私たちの世界の守護者の加護が宿ったものです」

 アルメルが震える声を絞り出し、そう答える。

「で、でも! 雰囲気が全然……スティードはもっと明るくて、いつも楽しい人だったはずなんです! あんな暗くて無口な感じじゃないし、そもそも魔王軍にいることがおかしいし……」

「その点に関しては、セシルちゃんにいくつか心当たりがあるよん♪」

 カーラが頭を抱えて錯乱に陥りかけた時、セシルが明るく――あえて明るくそう言って、指を三本立てた。

「一つは催眠系の魔術で操られている可能性♪ でもその割には意識も人格も動きもはっきりしていたから、これは低いかな☆」

 指を一本畳む。

「二つ目は、彼――スティード君の意思で魔王軍に従事して戦っていること♪」

「そんなことは絶対にないです!」

 カーラが責めるように声を荒げる。セシルはそれに対し嫌な顔一つせず、うんうんと頷いて指をもう一本折る。

「そうだね、この可能性は一番低いかな♪ そもそも二人の話と彼の印象がまるで違うしね☆ 脅されててもあんな感じにはならないよね♡」

「じゃあ、最後の可能性は……まさか!」

 セシルと同じく魔術に長けるアルメルが自分たちを取り囲む白蟻を見て、最後の可能性に気付いて声を上げる。


「そうだね……寄生虫系の魔術で、思考人格行動の全てを奪われている可能性♪ そしてこの魔術は蟲系の魔物との相性が最悪なくらい良い☆」


「「……っ!」」

 アルメルとカーラが息を呑む。対してセシルは最後の指一本を振り、指先に小さな魔方陣を展開させる。

「ミミちゃん聞こえるー?」

『はい、セシル様。』

 鉄パイプを振るってアーマイゼと戦い続けるミミの思考と繋げる。

「ちょっとその魔物君のフードの胸の辺りを破ってくれないかな♪ セシルちゃんの予想が正しければ……ただ寄生虫を取り除けばいいって話じゃないはずなんだよねぇ☆」

『……了解です。』

 ミミの思考との通信が途切れ、それと同時にミミの動きが変化する。

 先程まではどちらかというとアーマイゼを足止めしていたミミが、突如アーマイゼの懐に飛び込む。突如動きを変えたミミに対応しきれず、アーマイゼはミミの指先を躱しきれずに纏っていたフードを斬り裂かれる。

「あーあ……やっぱり♪」

「あれは……!」

 露になったアーマイゼの胸元――そこには、ずたずたに引き裂かれ、何かを無理やり捻じ込んだような大きな傷跡があった。

「心臓付近に寄生してるのか……あれじゃ、無理に引き剥がしたら宿主が死ぬぞ」

「そんな……!」

「ま、それも狙いだろうね♪」

 セシルは緊張感無く笑い、アルメルとカーラに向き直る。

「さてさて、セシルちゃんから二人に提案できることは二つだけだよん♪ 心身ともにまだまだボロボロだろうけども、二人は選択しなくちゃいけない☆」

「選択……」

「スティード君の処遇について♪」

 セシルは一切の遠慮なく、二人の勇者に迫る。

「一番簡単なのは、スティード君の一切を諦めて蟻天将・アーマイゼとして滅する♪」

「……っ! そ、それは……」

「もしくは、スティード君の体をとことん痛めつけて宿主として使い物にならない状態にする♪ こうすれば、もしかしたらアーマイゼの本体である寄生虫は新しい宿主を得るためにスティード君の体から出てくるかもしれないけど――その時に相応のダメージは受けることになるね☆ 多分死んじゃうかも♡」

「「…………」」

 セシルの残酷な選択に、アルメルとカーラは再び沈黙する。

 どちらの選択をしても、スティードを失うことになる。

「一応言っておくけど、アーマイゼを生け捕りにして手術で取り除くのは無理♪ そんな悠長なことをしている間に今度はセシルちゃんたちも死んじゃうからね☆ ついでに言うと、いくらセシルちゃんでもアーマイゼだけを滅するのは出来ないよん♡」

 さあ、どっちを選ぶ?

 セシルの選択に、やはり二人はすぐには答えられない。特に、アルメルは寄生虫系魔術の解除の困難さを知識として知っているため、なおさら選択できない。

「うーん、悪いんだけど、選択するなら早めにして欲しいな♪」

「え――」

「ミミちゃんが、そろそろ限界♪」

 その時。

 ずしゃあ! という音を立ててゴスロリメイドが吹き飛ばされて来た。何とか原形を留めていた医務室の内装が完全に吹き飛ばされる。

 それに触発されたか、今までずっと大人しく周囲を取り囲んでいた白蟻たちが一層激しく顎を鳴らし始めた。

「…………」

「ミミちゃん大丈夫?」

「…………(こくん――ふるふる)」

「だよね♪ まあ最初から強化魔方陣フルバーストで戦い続けて五分くらい? よく持ったよね☆」

 ミミを労い、今度はセシルが立ち上がる。表情はいつも通りのケタケタと貼り付けたような笑みを浮かべているが、心なしか無理をしているように見える。

「セシル……」

「セシルちゃん……」

「下手に動かないでね♪ みんなまとめて死んじゃうかもしれないから☆」

 栞那とフランチェスカを制し、セシルは全身に刻まれた魔方陣に魔力を通す。

「肉体強度強化。筋力増強。身体能力強化。動体視力強化。魔力増幅。魔力回路補強。魔力回復速度増幅。魔力回復量強化。対物障壁展開。対魔障壁展開。対物吸収結界展開。対魔吸収結界展開。障壁魔術強化発動。炎赤魔術装填。氷青魔術装填。風緑魔術装填。岩黄魔術装填。聖白魔術装填。闇黒魔術装填。召喚魔術発動準備――ああ、もう面倒くさい! いつでもおいで♪」

 返事は、対するアーマイゼの跳ね上がった魔力によって返された。

 奇しくも、ミミとの攻防がちょうどいいウォーミングアップになってしまったのか、アーマイゼの術式による強化の隙を与えてしまった。

 アーマイゼから発せされる魔力と威圧感は先程までの比ではない。

「……あーあ♪ こりゃまっじーぜ☆」

 冷や汗を流して身構えるセシル。

 それを甚振るように、アーマイゼは緩慢な動きで近寄ってきた。

 一歩。

 二歩。

 三歩――止まった。

「……?」

 アーマイゼは視線をセシルたちからその奥の壁に移している。

 その不可解な動きにセシルは視線は外さず、魔術による強化で敏感になっている感覚で背後の壁を探る。

 しかし別段何かがあるわけでは――否。

 ()()()()


 バチン!!


 凄まじい音と衝撃と共に、医務室と廊下を隔てていた壁が吹き飛んだ。

「は?」

 その場の誰もが理解できずに間の抜けた声が漏れる。

 何せ吹き飛んだ壁の向こう側には、やけに立派な造りの重厚な扉がそびえていたからだ。

「もう訳が分かんねーです!? 自分のキャパシティを完全にオーバーしてやがるんですよ!?」

 悠希が我慢できずに叫ぶのと、扉が勢いよく開いて中から小さいくせにがっしりとした人影が飛び出してくるのはほぼ同時だった。

「ぬ、う!?」

 人影は一瞬でアーマイゼと距離を詰め、人の身の丈よりも巨大な金属の塊を振るう。アーマイゼはそれを双剣の腹で受け止めるも、強化した身体能力をもってしても全ての衝撃を受け止められずに、壁に開いた大穴から異世界邸の外へと吹っ飛ばされていった。

「……はっ。他愛ない」

 人影が、数か月ぶりに声を発した年老いた鴉のようなしわがれ声で呟く。

「の、ノッカーさん……?」

 人影――ドワーフの老婆・ノッカーが巨大な金槌を肩に担いでズンズンと物理的に重い足取りで扉の方へと戻っていく。

 それを悠希たちが呆気に取られて見ていたが、それは白蟻たちも同様だったらしい。アーマイゼが吹っ飛ばされたのを呆然と眺めていた白蟻たちは、しかしいち早く正気に戻ってギチギチと顎を鳴らし始め、その上次々と大穴の外から後続が押し寄せてくる。うち何割かは制御する物がなくなったかのように、じわじわと悠希たちに迫ってきていた。

「ひっ!?」

 その不気味さに悠希は息を呑む。

 自分や、一応は一般人であるはずの母親には身を守る手段はない。

 かと言って、セシルやフランチェスカ、ノッカーでは小回りが利かずに小さい白蟻までは相手にできないだろう。アルメルとカーラは怪我が治ったばかりでろくに動けないし、ミミは戦闘続行不能だ。

 唯一こののは戦えそうだが――この状況で彼女に頼るのは愚行以外の何物でもない。

 ヤバい、詰んだ。

 そう思った。


 カラン。


 サンダルを踏む音が、ノッカーが飛び出してきた扉から聞こえてきた。

 音の主を見やり、その場の異世界邸に住まう全員が驚愕した。ノッカーの乱入など、もはや些細なことである。

「せっかくお越し頂いて恐縮ですが」

 彼女はあくまで柔らかに、そして礼儀正しく――しかし威圧するようにこう口にした。

「うちの子の教育に悪いので、お帰り願えますか?」

 カラン、と。

 扉の奥から可愛らしい赤ん坊を抱えた割烹着姿の妙齢の女性が現れた。異世界邸の良心にして聖母の異名まで最近は頂いた、風鈴家の女将・那亜。しかし一瞬、それが那亜であると誰もが理解できなかった。

「あらららら~……びっくり~……」

 彼女がこのように怒気の孕んだ瞳をしているのを、この場で異世界邸歴の最も長いフランチェスカでさえ見たことがない。

「お退きなさい」

 カラン。

 那亜が一歩踏み出すごとに白蟻は潮が引くように後退する。

 そして、カラン――という、最後の一歩。

 その瞬間、堰を切ったように白蟻たちがザアッと音を立てながら医務室から撤退していく。それはさながら、白い濁流のようであった。

「す、すごい……那亜さん、白蟻を追い払っちゃった……」

「子を守る母は強しって奴ですかね?」

 と、こののと悠希が溜息を吐くようにそう漏らした。しかし栞那はじめ白衣三人組は訝し気に那亜を――正確には、その腕で暢気に指をしゃぶる赤子に視線を集めた。

「那亜さん、今のは……それにその扉は、もしかして」

「後で説明します。今は避難を最優先に。他の方々は全員地下に移りましたよ」

「……分かりました」

「待って、スティードは!?」

 仲間を諦めきれないカーラがフラフラと壁の大穴へと近付こうとした。しかしそれをノッカーは許さず、抵抗するカーラを無言でひょいと片腕で担ぎ上げ、ズンズンと扉の奥へと消えて行く。

「奴は下の連中に任せるしかない。後は運任せ、私たちは生き延びることを最優先に考えるんだ」

「……はい」

 アルメルは消え入るような声で頷き、栞那に支えられながら医務室の大穴に背を向けた。

「行きますよ。全員が避難したら、この扉は消滅するので気をつけて」

 他の面々も那亜に促され、医務室の壁に突如出現した扉を潜り、何故か階を貫通するように生えていた螺旋階段を下りながら地下へと移動することとなった。


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