邂逅【part山】
「そう不貞腐れないでください」
「…………」
白銀もみじは一人の少女を背負いながら歩いていた。
辺りに人気は全くの皆無。せいぜい遠くから街の修繕と掃除をしている地元術者集団の荒々しい声が微かに聞こえてくるくらいで、結界が作用しているおかげか街を襲撃しているはずの白蟻一匹見当たらない。
「さっきの彼が言ったことをいつまでも気にしていてはだめですよ」
「…………」
「あれは単に性格が悪いだけです。あのレベルの敵を相手に単騎で三時間も足止めしたんですから、本来は褒められるべきなんですよ」
「…………」
「まあ、結果的にあの地区に白蟻が集まってきて避難が遅れたという側面もありますが、反面、そのおかげで他の地区への対処が想定以上にスムーズに行われていました。これは間違いなく、あなたの功績です」
傷だらけで今にも息絶えてしまいそうだった少女は、もみじが施した応急処置によってある程度の止血は済んでいる。自分で歩こうとしない限り、死にはしないだろう。
「それに、あなたはまだまだ若いんです。失敗してなんぼですよ。若いうちの失敗や苦労はお金を払ってでもすべき、なんて言葉もありましたっけ」
「…………」
ここまでの道中、少女は一言も口をきいていない。
それどころか、応急処置も背負われるのも嫌がり、なんとか視線を合わせ、無理やり大人しくさせたくらいだ。
今も背中を通して緊張と嫌悪感が伝わってくる。
「どんどん失敗してどんどん学びなさい。若者の失敗をフォローするために、私たち大人がいるんですから」
「…………」
「まあ、そうは言っても、自分では分からないものかもしれませんね」
「……さっきから」
おや、ともみじは耳を傾ける。
初めて、少女から反応があった。
「私のことを若い若いと言うが、あなたは? 何歳なんだ」
「私ですか? えーと、体感で五百歳ほどですかね。眠っていた時期を合わせると千五百くらいらしいですけど」
「なら、老婆だな」
「ぶっ飛ばしますよ?」
口をきいたらきいたで刺々しい。
よほど妖の類が嫌いらしい。
「……まあ、いいですけど。私も偉そうなこと言って、言うほど立派な人生は歩んでいませんし」
「妖のくせに人生を語るのか」
「あら、私これでも元人間ですよ?」
当時のことはあまり覚えていないけど。
「これは会って間もない私の印象ですから聞き流してもかまいませんが、どうにもあなたは人に頼るのが苦手なようですね。責務や期待を背負っているのは分かりますが、どうしようもないときは素直に周囲を――」
そこまで口にし、もみじは足を止めた。
「……? 何だ?」
「すみません、インカムのスイッチを押してもらえますか?」
両手が塞がっていたため、無線機の起動を少女に頼む。少女は言われた通り、もみじの耳にかけられていた小型のインカムのスイッチを押した。
「もしもし、羽黒?」
『……何だ、どうした』
若干のラグの後、ノイズ交じりの音声が耳に届く。
「ちょっと上空を確認してもらえますか?」
『上空?』
「少々まずいことになっているかもしれません」
* * *
「……少々どころじゃねえぞ、おい」
もみじからの連絡に応じ、即席の指令室とした廃ホテルの一室の窓から顔を出す瀧宮羽黒。若干白み始めた空に、一隻の巨大な軍艦が浮遊している。
それは現在この街に侵攻している白蟻の魔王軍の本拠地であり、それ自体はこの街に到着した時に既に確認してある。
だが、その時は沈黙していた主砲が、今は地上に向けられ、何やら不穏な気配を発しながら魔力の充填を行っていた。
「あんなのまともに喰らったら、街が消し飛ぶどころじゃ済まんぞ」
しかし、何故今になって?
白蟻どもが何かを探すように街中を破壊しながら徘徊していたのは、今現在周囲を覆っている結界で街と繋がっている羽黒は既に把握している。それが突如このような強攻に移ったということは、連中の探し物が見つかったか、街中には不在と判明したからか。
「……っ!」
その時、街の西側にこれまでにない巨大な衝撃が降り注いだのを感じだ。結界を通じて、その衝撃の余波が羽黒を襲う。左手がビリビリと電流が走ったように痺れている。
「ったく、ホムラの奴はこんなのを毎回体感してんのか……今度はもう少し労わってやるか」
自分が住まう街の土地神の顔を思い浮かべながら、羽黒は窓辺から離れる。
今の衝撃で敵の大よその位置は掴めた。よりにもよって街の反対側だが、それと同時に上空の主砲もなんとか対処しなければ。
「おい、お前ら!」
振り返り、未だに遊んでいた黒と白に声をかける。
「緊急事態だ、仕事してもらうぞ!」
「あは♪ あはははは♪」
「しつこい!」
しかし、二人――ノワールと白羽はチャンバラを止めることなく、比喩でも何でもなく目にもとまらぬ速さで部屋中を駆け回っている。
「…………」
羽黒は無言で顔を顰め、その戦場に足を踏み入れる。
「止 ま れ っ て 言 っ て ん だ ろ」
「きゃ♪」
「ぐ……」
今まさに再度切り結ぼうとしていた白と黒の二刀を素手で掴み、無理やり二人の動きを封じる。
「どうなさいました? 羽黒お兄様」
全く悪びれもせず尋ねてくる実妹に溜息を吐きつつ、羽黒は矢継ぎ早に指示を出す。
「事情が変わった。ノワール、お前にも動いてもらわねばならん」
「は? 何故俺が――」
「白羽、今から下山しろ。麓に寺湖田組の車をつけさせるから、この地図のポイントまで移動してくれ」
「おい待て、状況を――」
「了解しましたわ。到着したら、白羽の判断で動いてもよろしいですの?」
「許可する」
「あは♪ それでは、行って参りますわ」
そう言うと白羽は窓から飛び降り、そのまま道とも言えない雑木林の奥へと姿を消していった。それを確認し、羽黒も最も近いところにいるはずの班に通信機から車出しの指示を出す。
「おい、説明しろ」
「上空軍艦の主砲発射用意開始を確認。このままだとあと一時間もしないうちに麓の町は木っ端微塵だな」
「……いきなり攻勢に移ったな。切欠は何だ?」
「俺が知るかよ。とりあえず、屋上行くぞ」
ノワールを引き連れ、羽黒はホテルの屋上まで移動する。大よその街の状況は把握できているが、流石に上空の様子は不明瞭だった。
「白蟻に気を配りすぎて完全に後手に回っちまった」
悪態をついてももう遅い。鍵のかかった扉を蹴破り、羽黒は屋上へと足を踏み入れ――なんか五メートル以上はある巨大な肉の塊みたいなのが転がっており、邪魔だったのでざっくりと切り刻んで小さくしてから地上に蹴落とした。
「さーて、軍艦の様子はー、っと」
「おい」
「んー、ここからじゃ遠すぎて見えにくいが、あの規模の魔力砲が地上に降り注いだら、やっぱタダじゃ済まんよなあ」
「おい、さっきのアレ、スルー出来るものじゃないぞ」
「いいんだよ、どうせもう死んでた」
ゴキブリは頭を斬り落とした時の死因は餓死。コレ常識。ついでに白蟻はどちらかというとゴキブリに近い。
そんなことより。
「あの艦どうするか。下の連中も気付いたのか、結界の強化を始めちゃいるが……どうも心許ない。破られそうだ。……ノワール」
「何だ」
「お前、あれ防げるか」
羽黒が指差した軍艦を見ようともせず、ノワールは目を細めた。
「さっきは傍観していろと言っただろう」
「事情が変わったとも言ったろ」
「だとしても、地元術者で対処するのが筋だ」
「おいおい、あのいかにもヤバイ気配漂わせてる主砲を、この街の術者が力を合わせた所で防ぎきれると思ってるのか?」
「それが彼らの限界なら、この街はそれまでだったという事だろう」
冷淡としか言い表せない言葉に、羽黒がやれやれと息を吐いた。
「ノワールはこの世界の管理者だろ? 良いのかそれで」
「管理者は要請がない限りは積極的に干渉しない。この世界の魔法文明に影響を与えてはならないという条項がある」
「ふむ」
頑なに拒むノワールに、羽黒は考えを切り替えた。
この青年は職務に関してはクソが付くほど真面目だが、反面自分に害が及ぶとなるとしれっと掌を返す良い性格をしている。そこを突いてみるとしよう。
「んじゃ、結界が破られてここいら一体が更地になったら、復興費をお前んところの組織に請求しに行くぜ」
案の定、面倒事を察して嫌そうな顔をしてくれた。理解が早くて良い。
「……協会から自分がどういう認定されているのか知ってるのか。そんな請求、罷り通るわけないだろ」
「あー、何だっけ? 特定接触禁止生物とか、何かそんな感じの」
若さに任せてちょっぴりやんちゃした頃、この青年の所属団体がなんだかそんなことを言って騒ぎ立てていた気がする。全く度量の狭い。
「分かっているなら絡みに来るな。幹部でさえ、あんたと不用意に顔を突き合わせたら、いちいち面倒な議会に掛けられるんだ」
「お、じゃあ復興費はお前に集りに行くわ」
「…………」
嫌そうな表情を浮かべて顔を背けたノワールに、駄目押し。
「今こっちを手伝って収入を手にするか、このまま知らん顔して後で今回の全損害費支払うか。どう考えても前者の方がお得だぜ」
「……あんたがやるという選択肢はないのか。あるいは、今直ぐあの戦艦を消し飛ばす」
「俺一人の結界じゃ無理だな。あと戦艦を吹っ飛ばすのは捕虜がいるらしいんで却下。つーわけで結界いけるか?」
「…………」
深々と溜息をつき、ノワールはようやく軍艦を見上げた。暫しの間沈黙して目測を図り、やがて答えを出す。
「……発射までの時間による。時間があればどうとでもするが、あの収束率を見るに、着弾地点周囲の家屋は余波で多少壊れるかもな」
「構わん。最悪、人が死ななきゃそれでいい。今回は建造物補修立て直しのプロがスタンバイしてるから、その辺は考慮に入れなくていい」
「なら問題無い」
「そりゃ重畳。しっかり働けよ、防ぎ損なったら後処理が大変だぞぉ」
「……他人事のように」
ぶつくさと悪態を尽きながら、ノワールは屋上から飛び降りた。と思うと、瞬きの後には姿が掻き消える。転移魔術でも使ったらしい。
さて、これで万が一魔力砲が発射されたとしても被害は最小限に抑えられる。一番良いのは、そもそも撃たせないことだが、さてどうしたものかと羽黒は首を傾げる。
「流石にあの規模の空中要塞だ、地上から魔術で転移するのは厳しそうだな。どっかのバカ錬金術師みてえに自分から招き入れてくれれば楽なんだがなあ……あーあ、こんなことなら修二か真奈でも連れてくりゃ良かったぜ」
と、その時。
羽黒の背後に巨大な物体が降り立った気配がした。
「見知った気配がするから来てみれば、入れ違いだったか」
振り向くと、そこには巨大な白い虎がいた。
「……おお」
流石の羽黒もこれにはリアクションを取らざるを得なかった。なにこれデケエ。
加えてその背には、琥珀色の瞳と艶のある茶髪を持つ、やけに顔立ちが整った一人の青年が跨っていた。両手には型式不明の拳銃が二丁握られている。
その容姿は、先程もみじから報告を受けたものと酷似していた。流石に白い虎を連れているとは聞いていなかったが、結界を通して感じたその気配を、間違うはずがない。
「なるほど、お前か。さっきノワールが頑なに会うなって言ってた術者は」
「あ? あんた、奴と知り合いか。ノワールのシルエット違いみたいなナリしてっけど」
「実はあいつの格好は俺の影響だ」
「ねえわ」
「まあ、嘘だが」
俺の冗句に失笑を零しながら、青年は虎の背から降りた。
「俺は羽黒。しがない雑貨屋のオーナーだ。この街の人払いを請け負っている」
「ああ、あんたがそうなのか。この規模の結界を一人で維持してっからどんなタヌキ爺かと思ったら、想像以上に若いのな。この世界でこんな非常識に会うとは驚いたぜ」
「実はこれでも中身はいい歳したオッサンだぜ?」
「はぁん」
青年は興味なさげに頷き、虎の背を叩いて床に伏せさせた。……叩くと言うか手刀だったように見えたが、まあ気のせいだろう。
「疾だ」
それが一瞬、何のことなのか分からなかった。
が、すぐに思い至った。先程の羽黒の名乗りに対する返答なのだろう。
「疾か。知り合いにも同じ音の名前の奴がいるが、いい縁だ」
「そいつはどーも」
羽黒が手を差し伸べると、疾も素直に手を握り返してきた。何度か握り合った手に力を込めてから離すと、疾は「ふっ」と鼻を鳴らして笑った。
「あんた、相当できるな」
「何だよ」
「いや、試しに五、六回殺してみようとしたんだが、全然隙がねえから。何の準備もなしに殺り合うのは骨が折れそうだ」
「何しようとしてくれてんだこのクソガキ」
最近の若者は怖いねえ、と。
羽黒はわざとらしく肩を竦める。
「で、何の用だ? ノワールに用があったんなら、さっき出て行ったぞ」
「いや、別に用があったわけじゃねえよ。珍しくあいつがこっちに来てるみてえだったから、ちょっと嫌がら――顔を見ておこうと思ってな」
「…………」
ああ、こういうタイプの術者か。
羽黒は内心でニヤリと笑う。
このテの術者は、良い玩具を与えると、ノリにノっていい働きをしてくれる。
「なあ、疾。空を飛ぶ術は持ってるか」
「あ? それくらいなら、この虎が飛べるぜ」
「マジか、そいつは上等だ。なら」
羽黒は空の向こう――宙に浮く巨大な軍艦を指さす。
「ちょっとあの艦、落としにいかね? あとで一杯奢るからよ」