動き出す魔王【part夙】
異世界邸――医務室。
そこには急患診察用三台、入院患者用三台の合計六台のベッドが設置されている。聞く人によればブラックを通り越してダークな職場を想像してしまいそうなそこで、異世界邸唯一の医師である中西栞那は溜息をついていた。
働き過ぎな自分に嫌気が差したわけではない。
入院患者用ベッドに横たわる、二人の少女についてだ。
「我ながら本当によく命を繋いだものだ」
生きていることが不思議なくらいの重体だった少女たち。冷蔵庫に繋がった世界で一体なにがあったのかわからないが、非常に無茶な戦いをしたのだろう。今は峠を越え、あとは意識が回復するのを待つだけである。
そんな絶対安静な医務室の静寂を――
「どうでもいいですが……」
不意に響いた不機嫌な少女の声が打ち破った。
「なんで自分がこんな格好しなきゃなんねーですかッ!?」
そこには栞那の娘である中西悠希が、丈の短い純白のナース服を着せられて顔を真っ赤にしていた。
「叫ぶな。患者の容体に響く」
「なら叫ばせるようなことすんなです!?」
「そうはいかん。看護をする者として、清潔で適切な服装をしなくてはな」
「今までナース服なんて着なかったじゃねえですか!?」
「それはほら、ここの住民で運ばれてくるような馬鹿共には寧ろ雑菌浴びせて病気にでもなってくれた方が平和にな――」
「医者として最低なこと言ってやがるです!?」
静かにしろと言っているのに言うことを聞かない娘である。反抗期真っ最中のようだから仕方ない。次は丈を三センチほど短くしよう。
と――
「ん……」
ベッドに寝かせていた少女たちが苦悶に呻いた。
「ほら見ろ、お前が叫ぶから患者が苦しんでいる」
「自分のせいですかね!?」
そう凝りもせず悠希が叫んでいる間に、まずは魔法使い風の少女の瞼が痙攣した。もう一度小さく呻き、ゆっくりと持ち上がっていく。続いてその隣のベッドでも、騎士風の少女が同じように意識を取り戻した。
「ここは……?」
「わたしたちは……助かったの?」
ぼんやりとした残虚の瞳が栞那と悠希を映す。
「目が覚めたようだな。悠希、フランとセシルを呼んで来い。恐らく、ここからはあたしらだけじゃ頭の痛くなる話だ」
異世界の事情など聞きたくないが、患者の状況を知るためには必要なことだ。この異世界邸には様々な異世界人またはそれに関わる人物が住んでいる。とりあえずフランチェスカとセシルがいれば話を理解し易くなるかもしれない。
「ここは異世界邸。あー、お前たちのいた世界とは別の世界になる」
二人も混乱しているだろう。彼女たちの話を聞く前に現状を教えておくことにした。
「別の世界……? よかった、次元転移は無事に成功したみたいね」
魔法使い風の少女がほっと胸を撫で下ろす。どうやら異世界に渡ったことは彼女たちの意図したことだったらしい。そこから説明しなくていいのであれば随分と楽だ。
「あなたは誰?」
騎士風の少女が警戒を隠さない瞳で栞那を見る。
「あたしは医者だ。なにがあったのか聞かせてもらいたい。無論、言いたくなければ構わないが」
「……」
「……」
二人の少女は沈黙して顔を見合わせ、やがて意志が通じ合ったかのように頷いた。
「話します。この世界も無関係とは言えないかもしれないので」
強い意志と使命感、そして僅かな焦燥と深い恐怖。それらが混ざり合った感情が彼女たちの瞳に宿っていた。
と、タイミングよく医務室の扉が開け放たれる。
「やっほー♪ あの二人、目が覚めたんだったねカンナちゃん☆」
「ふあぁ、起きるなら朝にしてもらいたかったよ~」
深夜なのにいつもと変わらないテンションのセシルと、今起こされたばかりらしいパジャマ姿のフランチェスカが入ってきた。
セシルは最後に入ってきた悠希を指差して笑う。
「ねえねえ♪ なんか悠希ちゃんがとー☆っても愉快な格好してるんだけど弄っていいかな?」
「ダメに決まってんでしょってそのフリルどっから出しやがったんですか!?」
「ここは小悪魔風に~、羽と尻尾をつけると可愛くなるよ~」
「ならねえです!? だからその小道具はどこから出してんですか!?」
フリルと付け羽&付け尻尾を持ってにじり寄る二人に悠希は顔を真っ青にしていた。止めはしない。寧ろいいぞもっとやれ。
「あの、お話は……」
そうだった。
「こいつらのことは気にしなくていい」
「はあ」
向こうで娘が魔改造されていくのを横目に、栞那は話を促すことにした。騒いでいても聞くべきことはきちんと聞いているのがあの二人である。なんの心配もいらない。
「まずは、助けていただきありがとうございます。私はアルメル・アルファン。彼女はカーラ・バスティード。私たちの世界ではそれなりに名の知れた魔導師と竜騎士でした」
頭を下げる少女二人――アルメルとカーラ。魔導師とか竜騎士とか言われてもテンプレな想像しかできないが、だいたい合っている気がするのでそこを追求したりはしない。
「私たちの世界は、魔王に侵略されていました」
「おっと一気に王道ファンタジーだね♪」
諦めたように目を虚ろにして着せ替え人形になっている悠希にフリルを縫いつけながらセシルが言う。
「わたしたちは勇者の一行として魔王に立ち向かった。でも全く歯が立たなくて、結局世界を守ることができなかった」
「そこは王道じゃないね~」
説明を引き継いだカーラに、悠希の背中に羽を取りつけながらフランチェスカが眉を顰めた。
「えっと……」
「気にしなくていい」
「でも」
「気にしなくていい」
この異世界邸に流れて来た者にしては珍しい部類の常識人たちである。小悪魔風フリフリナースが誕生していく光景を気にするな、というのは少々無茶振りだろうか?
向こうをチラチラ見ながらも、アルメルが説明を続ける。
「リュファス――勇者は魔王に殺され、私たちだけでも逃げろって、仲間の一人が時間を稼いでくれて……最後の魔力を振り絞って次元転移したのです」
「そしてここに流れ着いた、というわけか」
やっと話が繋がった。栞那は顎に手をやって考える。普通は信じられない馬鹿げたことだが、ここが異世界邸である以上否定要素はない。
経緯は納得した。が、疑問もある。
「瀕死の理由はわかった。だが、この世界も無関係じゃないとはどういう意味だ?」
「それはきっと魔王も次元転移するからじゃないかな♪ そしてもしかすると☆ 君たちを追ってこの世界にやって来たりとか♡」
小悪魔風フリフリナースの悠希を完成させたセシルが満足そうに栞那の横に立った。椅子に座らされて脱力している小悪魔風フリフリナース少女☆ユーキちゃんの頬に一滴の涙が流れていたが……今はそれどころではない。
アルメルが頷く。
「……その通りです」
「わたしたちを追って来なくても、魔王は一つの世界を滅ぼしたら次の世界に移動する。それを繰り返しているからこの世界もいつ狙われるかわからない」
カーラがなにかを思い出したかのように身震いした。彼女たちはそれほどの恐怖を魔王に植えつけられてしまっているのだろう。
「その魔王って~、どんな人なんですか~?」
フランチェスカが緊張感のないのんびりした口調で訊く。ビクリと肩を震わせた二人だったが、意を決したようにアルメルが口を開いた。
「『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブラン。大量の白蟻の軍勢を引き連れて、世界の全てを喰らい尽くす恐ろしい魔王です。私たちの世界には、もう建物の残骸すら存在しないでしょう」
彼女たちの世界を滅ぼした口にするのも憚られる魔王の名。それを聞いた栞那には引っかかるものがあった。
「白蟻……?」
「どうしたの~?」
「いや、ちょっと前に翔から電話が」
「あ゛?」
「なぜそこにはしっかり反応するのかねこの娘は」
小悪魔から『小』が取れたような、絶対に花も恥らう女子中学生がしていい顔ではなかった。
「キレるのは最後まで聞いてからにしろ。その電話であいつが妙なこと言っていたんだ」
栞那は溜息をつき――電話で夫から聞いた内容をざっくりと説明する。
「なんかでかい白蟻が街に湧いて大変なことになってるから絶対山を下りるな、とか」
「「――ッ!?」」
アルメルとカーラの顔が恐怖で引き攣る。
「それって――」
フランチェスカがなにかを言いかけた、その時だった。
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
聞き慣れてはいるが深夜には珍しい、建物が崩壊する音が響き渡った。
***
数分前。
山中を彷徨っていた蟻天将・ヴァイスは、ついに標的が隠れ住んでいると思われる建物を見つけた。
山の中にあるにしては不釣合いな洋館だ。これほど広い建造物ならすぐに発見できてしまいそうだが、この辺り一帯には強力な結界が施されていた。
認識阻害に加え、方向感覚を狂わせる類、無意識に働きかけて近づかないよう誘導する類、それでも進入してくる者を物理的に外へと弾く類。
特定の存在以外はそれらの結界に引っかかって決して辿り着けない場所。
明らかに異常だ。
突破するのに苦労した。こんなことならあのアンドロイドを壊さずに捕まえておけばよかった。
「ナラクは戻っていませんが、襲撃を開始します」
何者かが空を飛んでいたのを見かけたので、蟻天将・ナラクにはそいつを追いかけるように命じた。魔女ではなさそうだったが関係者とは思われる。生け捕りが望ましいが、ナラクは蟻天将の中でも異能力という括りでは最強だ。さらに性格が少々厄介なため生け捕りなどという器用な真似はできないだろう。
それはそれで構わない。魔女を炙り出すことには繋がる。
「それでは、出て来ていただきましょうか」
ヴァイスは掌を前方に翳す。邸の中で生命の気配がない部分に敢えて狙いを定め、魔力を集中させて撃ち放つ。
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
宙空を焼き焦がす白い光線が洋館の壁を易々と貫いた。衝撃が二次的に爆発を引き起こし、木っ端微塵となった建物の一部が瓦礫の雨となって周囲に降り注ぐ。
ヴァイスは洋館の壁だった欠片をキャッチすると、匂いを嗅いで一口齧った。
「――これはッ!?」
驚愕。建物自体に魔力が通っており、品質もさることながら、口にした瞬間に広がる旨味は極上などという陳腐な言葉では表せられない。とろけるような舌触りに後味も悪いわけがなく、思わず溜息が漏れてしまいそうになるほどの幸福感に満たされる。
まさに至上。
今まで侵略したどの世界の建造物より遥かに美味だった。
「これは私が食すモノではありませんね。全て姫に献上しなければなりません」
名残惜しく思いながらもヴァイスは口元をハンカチで拭く。それから洋館のあちこちに灯った明かりを見た。
今の衝撃で目覚めた住民たちだろう。
その明かりがついた場所全てに、ヴァイスは躊躇うことなく魔力の閃光を射出した。勿体ないが、まずはやるべきことをやらねばならない。
「違います。これも。そこも。――発見」
嗅ぎ取った。
忌まわしき魔女の気配だ。
間違いない。魔女はここにいる。
「突撃してください」
一つの破壊された窓を指差して淡々と命令する。地面を這っていた小さな白蟻たちが一斉に動き出し、むくむくとその体を肥大化させていく。
隠密行動に適した変化の可能な白蟻兵たちだ。人間大となった白蟻兵が槍を握って洋館に群がっていく。
だが――
最初の白蟻兵たちが洋館に触れる寸前、月光を反射させた蒼銀が閃いた。
ただの剣や弓矢では傷一つ負うことのない白蟻兵たちの鎧殻が、そのたった一撃だけで綺麗に切断されてしまったのだ。
「これは魔物ですか? なんだか強そうな人もいますね。えへへ、襲撃者なんて久々でなんだか楽しくなってきましたよ!」
それは、白銀のドレスアーマーを纏った流れるような蒼い髪の少女だった。燃え盛る炎を詰め込んだような紅い瞳は好戦的な光を宿し、手に握った死神を彷彿とさせる大鎌が情け容赦なく白蟻兵たちを寸断していく。
ただの人間ではない。
いや、そもそも人間ではなさそうだ。
「この吐き気を催す清浄な気配…………神族の使徒かなにかでしょうか」
分析するヴァイスだったが、すぐに中断せざるを得なくなった。
白蟻兵たちを斬り飛ばしていた少女が、一瞬でヴァイスとの距離を縮めて大鎌を振ってきたのだ。文字通り、空を飛んで。
「なるほど、この建物のガーディアンと言ったところですか」
ガキィン!
腕を蟻足に変化させたヴァイスが大鎌を受け止める。見たところ『守護者』の力は備わっていない。
だが、強い。
打ち合った蟻足に、大鎌の刃が半分以上食い込んでいた。
「えへっ♪ 思った通り、なかなか強いですね。人間だったら〈英雄の魂〉候補でしたのに残念です」
そう言いつつもとても楽しそうに大鎌を振り回す少女。ヴァイスは何度も打ち合わせて行く内に【学習】する。
「その鎌ではもう私は斬れません」
硬度が上がる。自然治癒で蟻足の傷が塞がっていく。
「だったらこいつはどうだ?」
上空に熱源反応。
見上げると、背中に蝙蝠のような炎翼を生やした竜人が大口を開けていた。喉の奥がオレンジ色に発光し、次の瞬間には灼熱のブレスが地上に放射される。
白蟻兵が堪らず焼失していく。
「てめぇだな、俺の兄弟をやりやがった野郎は!」
一瞬なんのことかわからなかったが、一つ思い当たった。
地上に降りて早々に壊したアンドロイド。恐らくそいつのことを言っているのだろう。
「龍神族とは厄介な種族がいたものです。そこの少女といい、あなた方は本当にこの世界の住民ですか?」
地上に降りる前に一通りの情報は収集していた。この世界には『妖怪』と呼ばれる知的生命体の上位種こそいるが、ほとんどがどこの世界にも無駄に繁殖している人間種で占められていた。
思えばあのアンドロイドもそうだ。この世界の技術レベルではない。
となると、やはりこの場所は異常だ。
「この邸は『異世界邸』と申しまして、他の世界から流れ着いた人々が主に暮らしているのですよ」
執事服を着こなした老人が白蟻兵の頭を蹴り砕く。
「この魔力は魔族であーる! となると貴様は魔王の眷属であるな!」
ヴァイスや白蟻兵と似た気配――魔族の魔力を宿した巨大な犬が、その爪で複数の白蟻兵たちを薙ぎ裂いた。
「あービックリしちゃった♪ まさかいきなりぶっ放してくるなんてね☆」
建物の四階。
襲撃前から明かりのついていた部屋。魔力砲で撃ち抜かれたはずのそこには、無数の青白く輝く魔法陣が展開していた。
部屋自体は爆散している。だが、中にいた人間たちは傷一つ負っていない。
「嘘だろう。医務室はフランの実験が爆発オチしても堪え切れる仕様になっているはずだ」
「木っ端微塵だね~」
「はっ! 自分は今まで一体――ってぎゃあああああっ!? なんですかこの状況!? そして自分の格好もなんですかコレ!?」
女たちが騒いでいる。あそこにいるのはほとんどこの世界の人間のようだが、ヴァイスの魔力砲を防ぐほどの術者となると侮れない。
ヴァイスは完全に奇襲を成功したはずだった。
なのに明らかに対応されている。最初の一撃こそ威嚇だったが、それですぐにこのような戦闘態勢を整えられるはずがない。
「アレは、やっぱり『白蟻の魔王』の」
「蟻天将ヴァイス……ベツィーの仇!」
同じ四階部分の部屋に見覚えのある顔があった。一つ前に滅ぼした世界の英雄たちにそっくり……いや、本人だろう。まさか生きてこの世界に来ていたとは驚きだ。
奴らが襲撃を予見した?
あり得ない。姫が次の標的を決めたのは完全に世界を滅ぼした後だ。その情報は知りようがない。
「どういうことでしょう? 誰が我々の襲撃が予見されていたのですか?」
魔女か?
それとも、『呪怨の魔王』が裏切った?
「……違いますね」
ヴァイスはナラクに追わせた空飛ぶ人物を思い出す。
「よかった。なんとか間に合った。本当に母さんの言う通りになるなんて」
やはり、四階のあの部屋。
狐の耳と尻尾を持つ少女が、息を切らした様子でヴァイスを睨んでいた。
***
唐突に襲ってきた巨大な喪失感に、『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランの意識が一瞬だけ真っ白に染まった。
フォークを落とし、皿に盛られていた『てっきんこんくりぃと』を手で乱暴に払い除ける。皿が割れ、『てっきんこんくりぃと』は部屋の壁を突き破って地上へと落下していった。
「……冗談ではありませんわ」
テーブルを拳で叩き割る。覚えた喪失感の原因は即座に判明した。
「姫様、どうなされますれば?」
傍に控えていたムラヴェイが感情の薄い声で訊ねてくる。フォルミーカは一呼吸ついて心を落ち着かせると、自分の中からなにが失われたのかはっきりと声にした。
「ロウとトードが討ち取られましたわ」
「!」
それはムラヴェイの無表情にも驚きの色が浮かぶほど信じ難いことだった。
「あり得ないでありますれば。姫様を除きますれば、蟻天将・ロウ様は近接戦闘においては我が軍最強。蟻天将・トード様は随一の再生力と破壊力をお持ちでありますれば」
「この世界にはそれほどの人間が存在しているということですわ」
「蟻天将・ロウ様はともかく、再生力の強い蟻天将・トード様は本当に討ち倒されたのでありますれば?」
「首を刎ねられたようですわ。彼の再生力は〈食事〉に起因していますの。〈食事〉ができなければ再生力も働かず、そのまま餓死してしまうのですわ」
ロウとタイマンを張れる人間。トードの首を落とせる人間。今まで侵略した世界にそれほどの実力者がいたとすれば、それは『守護者』もしくはその加護を与えられた勇者だけだろう。
「確かに、この世界は今までとはレベルが違うようですわね。グロルの忠告を聞き流すべきではなかったのかもしれませんわ」
もう遅いし、だからと言って引き下がるようなことはしない。この世界に憎き『降誕の魔女』が居座っている以上、侵略を取り下げるという選択肢はあり得ない。
ロウとトードの犠牲で世界のレベルを測ることができた。
ならば、相応の行動に移行するまでである。
(姫、ご報告があります)
とその時、脳内に直接声が響いてきた。
「ヴァイスですの? 魔女は街にいるようですわ。そちらは構わないからもう戻って――」
(いえ、魔女はこちらにいます。確かに気配を感じ取りました)
「なんですって?」
ヴァイスにはフォルミーカの記憶を一部共有させてある。『降誕の魔女』の気配を感じたというのであれば、それは間違いなくそこにいるという証左だ。
では、街にいる魔女はなんなのか?
偽物。または魔女違い。
まんまと踊らされていたわけである。
「フフフ、アハハハハハハハハハハッ!」
(姫?)
突然笑い始めたフォルミーカに、ヴァイスが怪訝そうな声で問いかけてくる。これが笑わずにはいられない。ダミーの魔女に惑わされて、大切な蟻天将を二人も失うことになったのだから。
「ムラヴェイ」
「はっ」
呼ぶと響くように返事があった。
「あなたには〈グランドアント〉の全指揮権を与えますわ。『主砲』の使用も許可します。もう下の街は用済み。このわたくしに屈辱を与えた虫ケラどもを――まとめて消し飛ばしなさい」
「承知いたしますれば」
深々と一礼し、ムラヴェイはフォルミーカの私室を立ち去った。『主砲』を撃つには少々時間がかかってしまうが、フォルミーカの魔力砲と同等以上の威力がある。街一つ消すくらい造作もない。
フォルミーカも部屋から出て甲板を目指す。
「ヴァイス、そちらの状況は?」
(魔女の住処にいた異世界の者と交戦中です。一人一人が手強く、白蟻兵では歯が立ちません)
異世界の者? 魔女の手先だとすればヴァイスが苦戦しているのも納得できなくはない。
「ナラクも一緒だったはずですわ」
(彼には別件で怪しい者を追跡させております)
ヴァイスがそう判断したのであれば間違いはないだろう。ナラクにはそのまま『怪しい者』を追いかけてもらう。
ロウとトードは死に、ヴァイスは戦闘中。ナラクは何者かを追跡しており、ムラヴェイは街の殲滅にかかっている。
残りの蟻天将は二人。
「ヴァイス、今からそこにパイセとアーマイゼを召集させますわ。わたくしも出ます」
蟻天将・パイセと蟻天将・アーマイゼは街の南北から脱走者がいないか監視させていた。侵入者は何人かいたようだが、それを殺せとは命じていない。入ってくる分には構わないと思っていた。
(ですが姫、この場所は結界に守られております。位置はおわかりですか?)
恐らく戦闘中だからだろう、ヴァイスの声から余裕が僅かに削られていた。長年付き添ったフォルミーカだからこそわかる変化だ。
「あら? あなたはわたくしを馬鹿にしていますの? そこにあなたがいるのですから、わたくしがその場所を見失うわけがありませんわ!」
甲板に出たフォルミーカは、ヴァイスの現在位置――異世界邸のある場所を指差した。そこは山。本当に、ここからだとただの山にしか見えない。戦闘の様子も窺えない。
指先に凄まじい魔力が凝縮する。
刹那、指先から放たれた細い一本の光線が山を覆っていた結界と衝突した。
夜闇を吹き飛ばすような閃光と共に結界が消失する。先程までなにもなかった山の中腹に、立派な洋館が一つだけ建っているのを見つけた。
フォルミーカは凶悪に笑う。
「さて、行きますわよ。首を洗って待っていなさい、『降誕の魔女』」
***
同じ頃。
異世界邸のある街とは、また別の街。
しかし全く無関係とは言えないその街の、とある一軒家。
「誘波様の話によれば、現在レランジェの『あるばいと』先がとても不安定な状況にあるそうです」
薄暗い部屋の中、たまたま異世界邸のアルバイトのシフトが入っていなかったレランジェは、その者の背後に立ってメイド然と頭を下げる。
「ぶしつけ安定ですが、マスターのお力をお借りできれば安定です」
そう頼んでくる従者に、マスターと呼ばれた人影は眠そうに目の辺りをこすっていた。




