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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
魔王編
40/169

災厄【part 紫】

 最悪と管理者が顔を付き合わせているのとほぼ同時刻。

 麓街の北側に面する海を守るように建てられた大きな寺に、かなり駆除されたはずの白蟻たちが集結していた。

『破!』

 裂帛の気合いと共に白蟻が吹き飛ぶ。その隙間を埋めるように前進してくる白蟻は、続いて振るわれた錫杖に払い飛ばされた。

「くそっ、なんでこんなに……!」

 悪態をつきながら符を投げつけた術者が、不動印を結ぶ。

『喝!』

 半径3メートルの爆発に巻き込まれ、白蟻がまた爆ぜ飛んだ。

 連携も練度も、街で戦う術者とは段違い。巨大化した白蟻たちにも落ち着いて対処していく彼らは、一際大きな建物の入口を守るように固まっていた。

「決して通すな! ここで全て滅ぼせ!」

「応!」

 袈裟を纏った術者達が声を揃える。襲撃から3時間経って尚覇気を失わず、術者達は幾人もの怪我人を出しながらも、白蟻との耐久戦に挑んでいた。

 ……何故か、白蟻達の間をすり抜けるようにして地を這い進む、黒い蛇に気付かないまま。



***



 入口を守られた寺の一室。幾重にも張られた結界の中、パソコンの画面を覗いていた『魔女』は深く溜息を漏らす。

「全く、どうやって嗅ぎつけたんだか。完全にうち狙いじゃないか」

「外部の者をあれだけ動かせば、情報が漏れるのも致し方なかろう」

 詰るように返してきた『吉祥寺』当主に、『魔女』は醒めた視線を向けた。

「これだけ世話になっておいて、出てくる言葉はそれ? たった1時間半で街中の住人を避難させてもらって、白蟻の駆除も相当してもらってる。ここまで律儀に動いてくれた彼らが、情報漏洩なんてする訳がないだろう」

「……だが、他に原因が考えられんぞ」

 渋い顔で反論した当主に、『魔女』はうっそりと笑った。

「そう? 情報を得る手段なんて幾らでもあるじゃない。大体、この街をここまでの戦力でピンポイントに襲撃するなんて、何かを虱潰しに探しているとしか思えない。3時間もあれば見当も付いたって事だろ。それに——」

 何かを言いかけた『魔女』に応じるように、パソコンから電子音が鳴った。キーボードを叩いた『魔女』が、くすりと笑う。

「——ナイスタイミングだね、『嘉上』の情報だ。『霍見』の術者が2名、捕らわれているらしい。敵方に喋らされたかな。さて、どうする当主?」

 薄く笑みを浮かべたまま、『魔女』が当主を振り返る。

「助けに行かなければ、彼らは必要な情報を搾り取られて殺されるだろう。捕らわれた先は明白、頭上に浮かんでいる戦艦だ。ここまで白蟻が減れば戦力に余裕があると判断して助けに行くか、今後出てくるだろう大将格を警戒して見捨てるか。『吉祥寺』として、どう判断するのかな」

 当主は表情を消し、静かに『魔女』を見返した。

「——我らの使命は街の守護。情けで自壊する訳には行かぬ」

「……そう」

 『魔女』はシニカルに笑い、視線を落とす。溜息をつくように、呟いた。

「こうやって、私達はどれだけの命を見捨てるんだろうね」

「……」

 部屋の空気が重く沈んだその時、結界に皹が入る。

「っ、なんだ!?」

「白蟻は入っていないはずだけど」

 途端に身構えた2人の視線の先に見えたのは、一匹の黒い蛇。ちろちろと赤い舌を出して、木の廊下を這って進んでいる。

「妖蛇か。警備は何をしている!」

「いや……待った当主。これ、式神だ」

 見破った『魔女』にすり寄るように、蛇が魔女の足元へと近付いてきた。警戒する当主を尻目に『魔女』は膝を落とし、鎌首をもたげた蛇と対面する。


『——初めまして。『魔女』殿で合っているかな』


 蛇から軽薄そうな声が漏れた。『魔女』は首を傾げ、楽しそうに口元を持ち上げる。

「名乗るのはまず自分から、って言うじゃないか」

『こいつは失敬失敬。WINGオーナー瀧宮羽黒、『瀧宮』からの依頼を受けて住民の避難を任された』

 当主が息を呑んだ。『魔女』がくすくすと笑う。

「おやおや、随分な大物が動いたものだね。初めまして、『最悪の黒』さん。知識屋の『魔女』をお探しなら、私で合っているよ」

『そいつは重畳。無事に式神が届いて何よりだ』

「結界まで破るだなんて優秀な子だね。この鱗が術媒体かな」

 蛇の頭を撫でながら『魔女』が問うと、蛇が肯定するように舌をちろちろと出した。声の主——羽黒がくつくつと笑う。

『流石だな。世界中に名を響かせているだけはある』

「過分な褒め言葉をありがとう。……さて、そちらもなんだか大変そうだし、本題に入った方がいいのかな?」

 羽黒の声に、あまりに早すぎて1つの音になりかけた激しい金属音が混じっている。式は本来術者の声しか届けないが、術者の意識に強く残る音は式を介して届く場合がある。時折何かが破壊されるような音が混じっている以上、戦闘音である事は間違いないだろう。

「寺湖田さんを動かしているのが貴方なんだろう? 指揮者が襲撃されているとなると、こっちも急ぐべきかな」

『ん? あー、これが聞こえちまってるのか。襲撃じゃねえよ、ちっとガキ共がじゃれてるだけだ。……おっと』

 ひゅっと空を切る音に続いて、爆発音が響く。

『あーぶね。物騒なガキはやだねえ。ま、気にせんでくれ』

「ふうん? なんだか楽しそうだね。終わったら様子でも見に行こうかな」

『あー、時間が残ればいんじゃね?』

 楽しい騒ぎの予感を嗅ぎ取り、『魔女』がチェシャ猫のような笑顔を浮かべる。応じた羽黒に笑みを深めた後、『魔女』は一気に表情を引き締めた。

「さて、本題だ。住民の誘導と白蟻の駆除協力、本当にありがとう。お陰でこっちの準備も大分進んだ。残りの白蟻くらいは、何とかなると思う」

『そいつは良かった。住民の避難は後1区画だ、近いうちに終わると思うぜ。ただ、他の区画より戦闘が激しいらしく、苦戦しているようだ』

「ああ、蟻天将とか名乗る奴が暴れている区域だろ。まあ、そろそろ何とかするんじゃないかな……ちょっと、寺湖田さんが苦労するかもしれないけど」

『あん? どういうこった』

 怪訝そうな羽黒の声に、『魔女』が溜息をついて説明する。

「今蟻天将とやらと戦っている術者だと厳しそうだから、フリーの術者が向かってるんだけどね。……フリーだからというか、そもそもの性格というか、凄まじく自分勝手で傍若無人だから、派手に周辺を破壊すると思う。建物は壊すものって思ってる節がある馬鹿なんだ。他とは修繕の苦労が違うかも」

『おーおー、そいつはおもしれーな』

「冗談じゃないよ、全く」

 溜息をついて、「魔女」は続けた。

「愚痴は程々にして。腕は確かだ、そろそろ決着が付いていると思う。けど一般術者との相性は底辺も良い所。二次災害を防ぐ為にも、接触しないで事を進めるか、海よりも心の広い術者を接触させるようおすすめするよ」

『ますますおもしれえな、そいつ。後で会いに行ってみるか』

 羽黒が楽しげに声を弾ませた背後で、未だ続く金属音に叫び声が混ざる。

『あん? 知り合いか? ……悪いな、そいつの得物は銃かってよ』

「……うん、銃が厄介というよりは、あの性格が厄介なんだけど」

 顔を顰めた『魔女』の返答に、再び叫び声が上がった。

『落ち着けってさっきも言ったじゃねーか、何だよ? ……よし、なんか絶対会うなって言ってるから、後でぜってー会いに行くわ』

「物好きだなあ。喧嘩だけはしないでくれよ」

 呆れ気味に言って、『魔女』は羽黒に習い、何となく聞き覚えのあるような叫び声はスルーする事にした。

『さてと、こっちにゃ楽しくそっちにゃ楽しくないお話だ。今回当店WINGに依頼いただいた報酬をだな』

「ああ……だよね。ある程度蓄えはあるけど、大丈夫かな」

『一括が基本だからな、頑張れ。今回隣接する市町村丸ごと全部結界で覆って作業したし、人件費、術具費、技術料諸々合わせて相当かかるぜ。ま、『魔女』サマには瀧宮一門世話ンなってるし、今後も当店を贔屓にしてもらいたいっていう目論見の初回割引で、10億ってー所かな』

 当主が蛙の潰れたような声を漏らした。『魔女』でさえ一瞬遠くを見て、1つ深呼吸をして返答を返す。

「……分かった。瀧宮さんから聞いてると思うけど、今回元凶に折半させるつもりでいるんだ。支払いはどうしたらいいかな?」

『あー、そっちでまとめてくれ。こっちから取りに行くわ』

「了解。それじゃあ、悪いけどもう少しお願いね」

『うい。あーそうそう、言い忘れていた。結界張るのにこの辺の龍脈を利用させてもらったんだが、なんか歪みひっでえから適当に整えておいたぜ。もしなんか不都合が出たら言ってくれ、責任持って直すわ』

 『魔女』が息を呑んだ。しばしの沈黙後、やや掠れた声で返す。

「いや、助かるよ。ありがとう……本当に、お礼を言っても言い切れない」

『そりゃ良かった。それじゃ、今後ともWINGをご贔屓に』

 その言葉を最後に、蛇は沈黙した。

「ありがとうね」

 蛇に礼を言った『魔女』が、パソコンの隣に置いてあった菓子を差し出す。器用にそれをくわえた蛇が、身を捩って部屋を出て行った。それを見送って立ち上がった『魔女』は、溜息をついて立ち上がる。

「何から何まで、頼りっぱなしで情けなくなるけど。——片を付けよう。それくらいは、して見せないとね」



***



 『吉祥寺』が白蟻相手に善戦を繰り広げていく中、1つの勝負が終わりに近付き始めていた。

「はあ、はあ……あんってしつけーガキだ。ここまで手こずらされたのはマジで姫様に稽古つけていただいた時以来だぜ。姫様だと感動ものだが、ガキ相手と思うと苛立ちしかねーな」

「……っ、木偶のくせに、しつこい」

 互いに息を切らした人影が、悪態と共に睨み合う。

 蟻天将ロウは全身に傷を負っている。棍も棘が何本も折れ、あちこちに傷や小さな皹が入っていた。まだ余力は残っているようで、憎々しげに相手を見下ろしている。

 一方、応戦していた少女もまた深傷だらけだ。特に急所を庇ったからだろう、左腕は酷い有様になっている。全身で呼吸をする少女は、あまり表情に余裕がない。虚勢を張るようにロウを睨み付ける様が痛々しい。

「ちっ。バカスカと術使ってるくせにまだ力尽きないとか、化け物かテメー。人間の女ガキに苦戦してるなんてヴァイスあたりに知られたら、さんざ馬鹿にされるだろーが。とっとと死ねや!」

 声を荒らげたロウが、乱暴な動きで棍を振る。衝撃波で周囲に辛うじて残っていた塀を破壊し破片をも巻き込みながら、少女に襲いかかる。

『砕破!』

 少女が刀印を振り抜き、塀の破片を粉々に砕く。刀を捻り受け止めた棍を受け流そうとして、勢いに競り負け吹き飛ばされた。トゲに触れた肌から血が飛び散る。

『火神招来、炎斬!』

 道路に叩き付けられた少女の身体から霊力が吹き上がった。黄金に輝く炎の刃が、ロウの手足に絡め取るように食い込み、内側から灼き尽くしていく。

「あっつ゛! この、クソガキ!」

 悲鳴を上げたロウが棍を旋回させた。生じた風で強制的に火を吹き消し、巻き上がったコンクリの塊を掴んでぶん投げる。

「っ、ぐ……!」

 跳ね上がるように立ち上がっていた少女はそれを見て飛び退こうとしたが、顔を歪めてあばらの辺りを抑えた。

 咄嗟に翳した左腕に直撃した塊が、叩き付けるように発された霊力で吹き飛ぶ。同時に、少女の左腕から鈍い音が響いた。

「はあ……っ」

 呼吸を荒げつつ、少女が地を蹴ってその場を離れる。その場に次のコンクリがめりこむのを見つつ、ロウから遠ざかるように横に飛んだ少女は、その場に膝を落とした。

「はん、やっと観念したか。とっとと——」


「——やっと、成った」


「あん?」

 少女から漏れた呟きをロウが聞き咎めた、刹那。

 少女とロウを取り巻くように、膨大な力が渦巻いた。

「っ、なんだ……!?」

 狼狽の声を上げたロウは、そこで気付く。無尽蔵に見える力が、辺りに飛び散った少女の血から吹き上がっている事に。

「ってめえ、その為にわざと……!?」

 ばっと振り返った先、地面に手を押し当てた少女がつと視線を上げる。黒曜石の瞳に苛烈な光を浮かべ、少女はロウを視線で貫いた。

「……この血からこれだけの魔力……てめえ、マジで化け物か……!?」

 呻くような声に、無感情な声が答える。

「ああ、化け物だ。だからどんな手を使ってでも、貴様を葬る。——『万魔供伏、急急如律令!』」

 辺りに渦巻く力が青く染まる。少女から放たれた莫大な霊力と共にロウに襲いかかったそれが、爆発に爆発を引き起こして閃光をばらまいた。

「くっ……」

 少女の身体がぐらりと揺れる。なんとか両手を付いて倒れるのを防ぎ、少女は肩で息をしながら前方に目を凝らした。

「が、は……っ。くくっ、ガキと侮った結果がこの始末、か。……ったく、役立たずと言われても、無理は、ねーぜ……」

「……!」

 少女の目が見開かれる。それを認めたロウが、歪な笑みを浮かべた。

「おう、流石に限界か、化け物。まーだよな、人間の限界値、こえてらあ」

 血まみれで、足元もおぼつかず。喋る度に口から血を零しながら。それでも、ロウは蹌踉めくように1歩1歩、少女の元へ歩み寄っていく。

「……はっ、止めをさす余裕は、無さそうだな。俺も姫様の元に、戻れそーにねえが、冥土の土産に、てめーを連れて行けて良かった、ぜ」

「……く、……っ」

 呻きを漏らした少女が立ち上がろうとして、ふらりと身体を揺らす。まともに動けない少女の目の前に立ち止まったロウが、静かに唇を持ち上げた。

「っ、……ガキ、誇って良いぜ。人間で蟻天将を、ここまで追い詰めた、初めての術者、殉職、ってな。……じゃーな、土産に死ねや」

 振り上げられた棍が少女を肉片に変えようとする、直前。


「——生憎と、テメーみてえなウスノロに持たせる土産はねえな」


 ロウの頭部が、弾け飛んだ。衝撃に前のめった身体に、心臓、腹部と続けざまに穴が開く。

 呆然と目を見開く少女の前で、どしゃりと音を立てて崩れ落ちたロウの体が、じわじわと溶けるように消えていった。

「つまらん、脆すぎるだろコレ。魔王配下っつーから期待したけど、よっぽどアイツの方が魔王らしい」

 唖然としていた少女が、再び聞こえた声にのろりと顔を上げる。ロウの背後を取るような位置に佇む青年を認め、息を呑んだ。

 琥珀の瞳。磨き抜かれた木材のような艶を誇る茶の髪。柳眉が、高い鼻が、ややきつく吊り上がった目が、薄い唇が。これ以上なく完璧な配置で収まり、優美な曲線を描く輪郭が形作る、余りにも綺麗な——美しすぎる顔。

 見る者全ての心を震わせ目を釘付けにさせる美貌を誇る青年に、死にかけの少女ですら、束の間状況を忘れて言葉を失う。

 魂を抜かれたように仰ぎ見る少女を認め、青年が皮肉げに唇を持ち上げた。

「おい、くたばりぞこない。ぼけっとしてる余裕があるなら働け」

 声すらも美しい青年の、しかし棘だらけの言葉に、少女がはっと瞬く。

「誰だ……?」

「お前のようなくたばりぞこないに名乗る価値もねえな。何だそのザマは、見苦しいにも程がある」

 鼻で笑うように放たれた毒に、少女が見る間に表情を険しくした。

「……何を、分かったような口を」

「命の恩人に対して随分な態度だなあ? ……ああ、そうか。礼を言う事じゃねえからか」

 美しい顔に嘲りの色を浮かべ、青年は言葉の毒を少女に浴びせていく。

「折角相打ちになりかけてたもんなあ? 任務中の殉職なら、誰もが惜しみ感謝する。手柄を横取りされ、死に場まで奪われれば恨み言しか出てこねえよな、悪い悪い……とでも言うと思ったか? くっだらねえ」

「……!」

 少女の瞳に怒りが燃え上がった。それを見た青年が、はっと笑うように息を吐き出す。

「本当の事を言われて怒ったか? 馬鹿なガキはこれだからな。俺に言わせれば、お前は死に場所を探して周囲に迷惑を撒き散らす害悪だ。化け物とか言ってたが、格好付けるんじゃねえよ。お前の愚かさが全ての元凶だろうが」

「知った口を聞くな!」

 少女が声を荒らげた。青年は今度こそそれを笑い飛ばす。

「何が違う? どこの家の人間か知らんが、街の守護を担う術者のなり損ない。守護ってのはな、都合の良い死に場所じゃねえ。何が起ころうとこの街を沈ませねえ、一般人を死なせねえ、それが最優先される」

「そうだ、だから——」

「だから命をかけてでも、か? それが愚かだって言ってるんだよ」

 両手に握る銃を手の中でくるりと回し、青年は少女を見下ろした。

「今回の襲撃が終わっても、この特殊な街は多方面から狙われ続ける。どれ程多くの人間が体張って守ってるのか、お前の方が詳しいだろう。なあ、くたばりぞこない。お前が死んだら、そのしわ寄せはどこへ行く」

 少女が顔を強張らせる。それを鼻で笑い、青年は続けた。

「大体、ここでお前がここで無様にへたばってるだけでも良い迷惑だ。外部の術者が街の人間を避難させてるの、知らねえのか? 血の臭いに惹かれた白蟻どもが誘導と違う方へ動き、一般人と遭遇したら全て台無しだな」

「…………」

「今まで必死になって守っていた一般人が、お前のせいで死ぬ訳だ。それはお前が化け物だからじゃねえ、考え無しのガキが失態を犯したってだけだ」

 冷めた視線で少女を見据え、青年は口元を歪めた。

「自分の限界も見極めの付かん、力に振り回されてるガキなんざ、その辺で白蟻駆除に苦戦してる術者よりよっぽど足手纏いだ。そうやって地べたに這いつくばってるのがお似合いだぜ、負け犬」

「っの……黙れ!」

 少女の怒りが沸点を超えた。動けないはずの身体が怒りに引き摺られて跳ね起き、青年に食ってかかる。

「……はあ、ホントくだらねえ」

 少女の視界が回転する。背中から叩き付けられる衝撃と共に、少女の口から血が吐き出された。

「くたばりぞこないならくたばりぞこないらしく、大人しくしてろ。お前の死体処理になんか割ける労力があるかよ」

 片手で少女を投げ飛ばした青年は、興味を失ったように少女を視界から外す。呻き声にも眉1つ動かさず、顔を上空の戦艦に向けた。

「さーて、大将はいつお出ましなんだろうな。漂ってくる妖力からして、相当期待出来そうなんだが。なあ、そう思わないか?」

 好戦的な空気を醸し出した青年が、誰ともなしに問いかけたのに答えるように。


「あら、随分と勘の良い子供ですね」

 夜に溶ける可憐な声が、響く。


「気配を隠すでもなく、よく言うぜ。面白いか、こんな光景?」

「白蟻を片付けていたら目に止まったので、つい物陰から見ていたのですが。不愉快でしたら謝ります」

「いや、構わねえ。それこそあんたが面白そうだからな」

 口元に喜悦を浮かべ、青年がゆっくりと振り返った。つられて、少女も地面に横たわったまま視線を向ける。

 夜色の女性が、瓦礫の影からすっと姿を現した。

 黒髪に黒い瞳、女性らしい曲線を描く輪郭を黒で統一された衣装で覆った女性は、青年と対しても臆さずに、艶然と微笑んでいた。

 少女の宿す黒が黒曜石の弾く光なら、この女性の宿す黒は夜の空。夜闇を背景に浮かび上がる女性は、どこか人外じみた美しさを醸し出していた。

「で、誰だ?」

「こちらの術者一門から依頼を受けたWINGオーナーの補佐、白銀もみじです。術者のお一人でしょうか?」

「関係者、だな。そこに転がってる阿呆と同類ってのは勘弁だ」

 視線も向けずに放たれた侮辱に、少女の顔が怒りに歪む。だがもう本当に動けない少女は、ただ唇を噛み締めて睨むだけしか出来ない。

「ふふ、面白い方です。随分と長く生きていますが、久々に見ました——鬼狩りなんて」

「……へえ」

 青年が楽しげな声を漏らす。

「見ただけで分かるたあ大したもんだな。力を封じられてはいるようだが、流石は永きを生きる吸血鬼か」

 あら、と女性——もみじが目を見張り、口元に手をやる。

「貴方こそ、見ただけで分かるのですね。ですが、女性に対して年の話題は失礼ですよ」

「人外に対しても適応されるのかよ、それ。どーでもいいわ」

 苦情を切り捨て、青年はもみじを見据えた。

「依頼を受けたって事は、誘導が仕事だよな。今どの程度進んでるんだ? 『吉祥寺』の連絡が遅くて把握出来てねえんだ」

「私に聞いても良いのですか?」

「現在全ての指揮権を預かってるんでな」

 その言葉を聞いた少女が愕然と目を剥いたが、その場にいる二人共が視野にすら入れていなかった為に気付かれずに終わる。

「いえ、そういう事ではなく」

 にっこりと笑ったもみじが、ふと声の質を変えた。


「——狩る対象である私に、聞くのですか?」


 笑顔のまま、もみじの周囲の空気がざわつく。肌を焼くような敵意を宿したもみじに、青年は動じず肩をすくめた。

「俺の知り合いなら見た瞬間に殺しにかかってるだろうが、俺はそこまで仕事熱心じゃない。きっちり飼い慣らされてる以上は、魔王級だろうが何だろうが狩りの対象外だ」

 口調をやや異なるものに変えた青年の返事に、もみじは眉を下げる。

「あら、残念ですね。貴方と殺るのはとても楽しそうなのですが」

「それは同感だが、現状そういう遊びをしてる場合でもないしな」

 ひらりと手を振った青年に、もみじは敵意を収めた。

「本当に残念です。でも、確かにここで遊ぶと、羽黒に怒られてしまいますね。……避難はこの周辺以外は終わっています。念の為に街の周囲を見て回っていたのですが、問題は無さそうですね。住宅を守る術を張っている方は、中々優秀なようです」

「あー、これか。まあ筋は悪くないが、魔力の無駄遣いがちらほら目に付くからうざったいんだよな」

 指で弾くようにして、近くの住居を守る結界に触れる。青年の手を焦がそうとする結界は、けれど揺らぐようにして元に戻った。

「さて、白銀もみじと言ったか」

「私の名前を呼ぶなら、名前を教えて欲しいですね」

 にこにこと笑うもみじに、青年は眉を上げる。

「人外に呼ばせるほど酔狂じゃねえよ。——アンタ余裕があるなら、そこにすっ転がってる死にそこないを、中央の山近くにある病院に放り込めるか? そろそろ術者どもが用意してる術が発動する。避難を急ぎてえんだが、そこの馬鹿が血の臭い撒き散らしてて白蟻の誘導が上手く行かん」

「……ああ、やはりこれは、貴方のものだったのですね」

 感嘆の声を漏らしたもみじが、周囲を見回した。

 辺り10メートルほどに張り巡らされた、赤く光る紋様。生き物のように蠢くそれは、時折近寄る白蟻を炙り怯ませ、じわじわと白蟻の行く先を誘導していく。近くに聞こえだした野太い声の位置に合わせて紋様が動き、更に白蟻を追いやっていた。

「龍脈を利用した結界術の一種……といった所でしょうか。人間の作るものは複雑で分かりません」

「正確に言えば色々間違ってるが、そこまで分かれば十分じゃねえの。大した威力もねえ、怯ませる程度の代物だよ」

「あら、人型を一撃で倒せるのに、随分と控えめですね?」

 もみじがにこにこと尋ねると、青年は唇を片方だけ持ち上げる。

「倒す必要はねえからな。一般人を逃がすのが最優先だ。本当なら、全員逃げ切るまではあの蟻天将とやらも足止めで止めておくべきだったんだけど、なあ?」

 小馬鹿にする視線を横たわる少女に向け、青年は吐き捨てた。

「俺が居なきゃこの一画の一般人は死んでいた。それが無くとも、蟻天将を倒してその上が出てくる可能性くらい思い至れ。時間稼ぎと誘導が街の最優先だっつーのに勝手な行動取りやがって、馬鹿が」

「…………」

「あら、随分と慎重ですね?」

 顔を歪める少女を横目に、もみじが声を上げる。それに顔を向け、青年は息を吐きだした。

「白蟻は守護獣どもがその気になれば直ぐ消える。が……魔王とやらは、そうもいかないだろうよ」

 琥珀の瞳が、鋭く光る。


「——「外」で聞いた事がある。侵略を存在意義とする魔王は、大体がいくつもの世界を落とした破壊者だ。勇者がいても世界が滅びると言われている、あれがそのうちの1人だとすれば……この街の術者が力を合わせた程度で、どうにかなるとは思っていない」


 不吉な予言に、空気が震えた。青年を取り巻く気配が、剣呑さを増していく。それを見て、もみじがくすりと笑う。

「周りの方々は、それをよしとしていないようですね」

「……ああ、視えるのかこれ。まあ、守護の四神が黙ってはいられんだろ。それもあって、俺もこいつらも温存してるが……」

 周囲に鬱陶しげな視線を向けた青年が、そこで1つ欠伸を漏らした。


「ぶっちゃけ退屈だな。被害を出さないの最優先、街の被害を出すのもダメ、表に立つのも避けろ。あの精霊……、俺が動く意味ねえだろうが。勇者がいるなら早く動かせっての、ノロマ」


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