医務班始動 【part紫】
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
隣からの盛大な爆発音に跳ね起きた中西悠希は、消火隊当直並みの素早さで箪笥をこじ開けた。中から引っ張り出したガスマスクを手慣れた様子で装着する。
こんこんこん。
「おーい、退避よろしくなー」
「管理人っ! いい加減この部屋移動させてほしいんすよねえ!?」
くわっと牙を剥くように(ガスマスクをしているから相手には見えないが)噛み付いた悠希に、貴文は疲れた声で言い返した。
「いやぁ……残念ながら今まともな部屋が空いてないというか、ぶっちゃけ悠希がココにいてくれないとホント被害がシャレにならないからいて欲しいというか」
「なんつう本音!? 自分の迷惑考えて欲しいんすよ!」
ぎゃあと吠えた悠希をまあまあと宥め、貴文は悠希の腕を引く。
「取り敢えず、退避してくれな。どうやらミス・フランチェスカの今回のバイオテロは、吸うと視界が左右逆転するガスと、目がやたら乾燥するガスらしいよ」
「実験は安全管理大前提って自分いっっっっっっつも言ってますよね!!」
鬼のような形相で(ガスマスクをしているから以下略)怒鳴る悠希を、貴文は華麗にスルーした。
「ほら、悠希はセンセ呼んできて。朝から暴れてた馬鹿共は俺が一通りの処置しといたけど、多分ミス・フランチェスカがそろそろ——」
「ふきゅう〜」
「——だぁから、いつになったらガスマスク付けてから片付けるという当たり前の心構えが身につくんだてめえはぁっ!?」
言葉半ばで目を吊り上げた(ガスマスクを以下略)貴文が部屋へ飛び込んでいくのを見て、悠希はふかーく溜息をつく。諦めたように首を横に振って、悠希は踵を返して歩き出した。
階段1つ上った4階の突き当たり、扉に前衛的な紋様が描かれた部屋の直ぐ隣をノック無しに開ける。途端もわっと白い煙が溢れ出たが、構わず声をかけた。
「先生ー、急患。自分で発生させたガスに侵されて倒れた馬鹿1人です」
「ほっとけそんな馬鹿」
「いや気持ちは分かりますが、流石にまずいですよ。普通に重症じゃねえですか」
即答で返ってきたあるまじき発言にきっちり言い返し、悠希はガスマスクを付けた顔を部屋の主に向ける。
だらしなく布団の上に身を投げ出し、肘をついた手に頭を乗せた妙齢の女性。空いた手には細い煙をたなびかせる煙管を持ち、側にある灰皿に灰を落としていた。
「先生、いつも言ってますけど火事なんか起こさないでくださいよ。そして一応中西病院の代表として派遣されてんですから仕事しやがれです」
「あたしがんなミスすっかよ。んで、その程度の患者にあたしの出る幕なんか無いだろ。おら、とっととルートキープして点滴と必要薬剤ダダ流して酸素投与してこい」
「アホ抜かしてんじゃねえですよ! 酸素はともかく点滴しちゃダメに決まってんでしょーが! 医者が一介の中学生に何させようとしてんですか!」
悠希はくわっと目を見開いて(ガス以下略)怒鳴り、問答無用で女性の下の布団を剥ぎ上げた。ころころと女性が転がり落ちるが、寸前で灰皿に安置したらしい煙管は無事だった。勿論、想定範囲内である。
「……ってえな。悠希、それが仮にも一介の中学生が母親に取る態度かコラ」
柄悪く三白眼で睨み上げる女性医師、中西栞那の眼光は子供なら大泣き、怒り心頭の大人でも身を引くほどのど迫力だが、慣れきった悠希は怯まず両手を腰に当て胸を張った。
「既に目の前の母親が娘に取るべき態度を捨ててるから問題ねえんですよ。大体副流煙ダダ流すせいで娘が同室で暮らせねえって時点で論外です」
「娘? 男になりきった不良なら目の前にいるが」
「うるせえんですよ!」
やや顔を赤らませた(以下略)悠希は、さらさらの黒髪をベリーショートにしてTシャツジーンズもハンサムな、どこからどう見ても男の子な姿で母親にびしりと指を突き付けた。
「とにかく、仕事やりががるです! あんまりぐだぐだ言うと院長に言いつけますよ、あの外面腹黒にこれ幸いと給料ごっそりカットされてえんですか!」
「父親の目の前でそれ言ってみろ、一般的には自殺しかねんぞ」
はた、と部屋に沈黙が落ちた。
「…………あの父親が、ですか?」
「…………いやスマン、動揺のあまりちっとばかりぼけちまった」
目を逸らしてぼそぼそと言い、栞那はのっそりと立ち上がる。傍らの箪笥からハンガーに掛けられた皺1つ無い白衣をバサリと羽織り、腰まで伸びた髪を手櫛で梳いてきちっと1つに結う。
「さぁて、悠希が学校行く前にアホ患者を片付けっか」
威勢良く扉を開け、白衣の裾を翻し早足で医務室へ向かい始めた栞那を追いつつ、悠希はガスマスクを外し、ようやく晒したよく似た顔で母親を見上げた。
「あのー先生、何気に自分をこき使うの前提で時間調整するの、やめやがりませんか。宿題の時間もまともに与えられてねえのは両親譲りの頭が毎度試験満点叩き出してくれるから文句言わねえですが、毎朝毎朝マウンテンバイクで山駆け降りるの大変な上、噂になり始めてんですよ」
「そら悠希のツメが甘い。人目に付かないようにしれっと登校用のママチャリに乗り換えて女子中学生の外面くらい被れ」
「自分は母親似を目指してるんで、父親のような外面は欲しくねえです」
「阿呆、あたしに似るなら尚更だ」
悠希は無言で隣の栞那——頭の上から足の先まで立派な女性医師モード——を眺め、深い溜息をついた。
「……自分は何でこの両親の元に生まれて来ちまったんですかねえ」
「運悪いよなあ、娘よ」
「あの腹黒にとっ捕まった先生だって十分運悪ぃですよ」
「違いない」
くくっと2人で軽く笑い合う、その様子に険悪さはない。
「よっしゃ、働いてくださいよ先生!」
「おー、悠希をこき使ったる」
掛け合うように言い合って、2人は医務室に飛び込み、
「コラ待て、馬鹿研究者1人じゃなかったのか」
「なんで増えてやがるんですか管理人!」
何故かやたらと人影の多い医務室で、栞那のうんざりした声と悠希の怒鳴り声が合唱した。
注意(一応):本作品は喫煙を推奨するものではありません。