異界の美食【part夙】
白蟻たちが埋め尽くそうとしている街の遥か上空に、『白蟻の魔王』の居城である次空艦〈グランドアント〉は浮かんでいた。
無数の白蟻たちが転送陣で足元の街へ送られていくのを自室のモニターで監視しながら、フォルミーカ・ブランは面白そうに微笑んだ。
「あらあらあら、意外と抵抗が強いですわね。あの『呪怨』が畏れるだけあってなかなか楽しめそうな世界ではありませんの」
フォルミーカの最大の目的はこの世界にいるはずである〝魔王生み〟――『降誕の魔女』を見つけ出してこの手で葬ることだ。そのついでに世界を侵略してやろうと思っていたが、そちらの歯応えも並みの世界よりありそうで久々にワクワクしている。
「姫様、街へ先行した蟻天将・ロウ様が命令以上に勝手に暴れている様子ですが、いかがいたしますれば?」
フォルミーカの背後に佇むメイド服の女が冷えた口調で指示を仰ぐ。普段であればそこはヴァイスのポジションなのだが、彼女は魔女がいるらしい座標を調査するために出陣している。なにせ見た目はただの山だったのだ。『呪怨の魔王』に間違った情報を与えられていたら叶わない。
「ロウも楽しくなってきたのでしょう。好きにやらせればよろしいですわ。他の蟻天将にも好き勝手していいと伝えてくださいな」
「かしこまりますれば」
恭しく頭を下げると、メイド服の女は部屋の外に控えていた白蟻兵に指示を告げる。そして静かに戻ってきたところで、フォルミーカはクスリと悪戯っぽく笑った。
「ムラヴェイ、あなたも暴れたければ行ってもよろしくてよ?」
「いいえ。私は蟻天将・ヴァイス様より姫様のお世話を仰せつかっておりますれば。城を預かる将としても、万が一にも敵が攻め込んで来た時に対応できなくては蟻天将の名折れとなりますれば」
「真面目なところはヴァイスそっくりですわね」
同じ蟻天将でも格や役職の違いがある。ヴァイスはフォルミーカの片腕であり蟻天将の長を担っているし、ロウは切り込み隊長として常に先陣を切っている。そこにいるムラヴェイはヴァイスの補佐官と言ったところだ。
戦闘能力も非常に高く信頼できる部下たちである。魔王として誕生した瞬間のフォルミーカは一人だった。そこから己の魔力を切り分けて今の軍勢を生み出した。ヴァイスもロウもムラヴェイも他の蟻天将も、全てフォルミーカの分身とも言える存在。裏切りはない。必ずやフォルミーカの望みを叶えてくれる。
コンコン。
部屋が軽めにノックされた。ムラヴェイが対応し、扉の向こうの白蟻兵と一言二言かわすとなにかを手に抱えて戻ってきた。
「姫様、この世界の建造物が届きますれば」
「待っていましたわ!」
フォルミーカの口調が喜悦に変わった。新たな世界を侵略する時の最初の楽しみ。それは異世界の食べ物――つまり、人工物である。
テーブルの上に置かれた皿には、灰色の無骨な塊が盛られていた。
「これはなんですの? 木材とは全く違いますし、煉瓦……ではありませんわね? 石壁にしては変わった材質をしていますわ」
「捕らえた人間に聞きますれば、『こんくりぃと』と」
「『こんくりぃと』……名前はなかなか美味しそうな響きですわね」
問題は味である。今まで食べたことのない素材に期待しつつ、フォルミーカは魔力を通したフォークとナイフで塊を切り分け――そして、口へと運んだ。
「――ッ!?」
瞬間、口内で未知の味が爆発した。
肉厚の塊は確かな歯応えがあり、人の手が隅々まで加えられたと思しき繊細かつ怒涛の旨味が噛めば噛むほど溢れ出てくる。その辺の世界にある石材なんかとは比べ物にならない上質な食感はいっそ官能的で、飲み込んだ後も極上の風味がいつまでも後を引く。
美味い。美味過ぎる。
今まで食べたどんな世界の人工物よりも、恐らく最初に食べた世界よりも。
「ほわぁ~、これは素晴らしく美味しいですわ! 久々の感動ですわぁ! もっと、もっと食べたくなって来ましたわ! ああ、わたくしの白蟻たちは地上でこんな美味しい食事にありつけているのですわね! 羨ましいですわ!」
「じゅるり……」
あまりに美味しそうに白いほっぺを押さえるフォルミーカの姿は、それを見ていたムラヴェイの口の端から一滴のヨダレが垂れるほどだった。
「ムラヴェイ、あなたも一口いかが?」
「い、いえ、それは姫様のお食事であるなれば。私は後で別にいただきますれば」
必死に我慢するムラヴェイは可哀想に思えるが、『こんくりぃと』を口に運ぶフォルミーカの手は止まらない。
「困りましたわぁ。これでは勿体なさ過ぎて無闇に魔力砲で消し飛ばすこともできませんわぁ」
困ったと言いながらフォルミーカの表情は超絶ご機嫌だった。もうなにもかも放り出して地上に降りて貪りたいくらいである。
「姫様が出陣なさるのは守護者または勇者が現れた時なれば。今しばらくは城を動かないようお願いいたしますれば」
「わ、わかっていますわ!」
ただの人工物でこれなのだ。そこに守護者の力が宿っていればもっと美味しいに違いない。ああ早く守護者か勇者よ出て来い、と希うフォルミーカだった。
コンコン。
再び部屋がノックされ、ムラヴェイが対応する。
「姫様、お知らせがありますれば」
「なんですの?」
「捕らえた人間に聞きますれば、『魔女』と呼ばれる者が街の方にいるとのこと」
ピクリと、今まで決して止まらなかったフォルミーカの食事の手が停止した。
「やっぱり『呪怨』の馬鹿の情報はあてになりませんわね。その『魔女』を見つけたら生け捕りにしなさい」
「蟻天将・ヴァイス様の方はいかがいたしますれば?」
「念のためヴァイスにはそのまま調査を続けさせますわ」
「かしこまりますれば」
一礼し、ムラヴェイは部屋を出て白蟻兵に指示を伝達する。その間にフォルミーカは窓の傍へと歩み寄り、戦場と化した眼下の街並みを見下ろす。
「逃がしませんわよ、『降誕の魔女』」
* * *
街の様子を俯瞰する者は魔王の他にももう一人。
シャッターの下りた雑貨屋『活力の風』の屋根に上り、法界院誘薙は解き放った風を目に戦況のほとんどを把握していた。
「う~ん、これは街の術者だけじゃちょっと厳しいかなぁ」
転送陣から溢れ出てくる白蟻の群れは無尽蔵――止まるところを知らない。いくら実力があっても数に限りのある術者たちではやがて押し切られてしまうだろう。
一般人の民家は最優先で結界で保護されたが、それもいつまで保つかわからない。遅くても一晩が限界だろう。
「この世界の怪異じゃないよねぇ。この恐ろしいまでの侵攻速度は……魔王。あはは、異世界邸のある特殊な環境は魔王まで引き寄せちゃったのかなぁ?」
この街は厄介事が日常茶飯事だが、特に異世界絡みだと例のアパートが九割以上関わっている。さっきちょっと風で覗いてきたが、異世界の怪我人を治療して保護しているようだ。彼女たちがなぜ怪我をしていたのか……その原因が今まさに街を脅かしているものだとすれば、追ってきたという可能性が高い。
もちろん、無関係という可能性もあるが。
「敵の行動はただ侵略してるってわけじゃなさそうなんだよねぇ」
相手が魔王ならば世界を滅ぼすほどの軍勢だ。ただの侵略であれば、その軍団がこの街一つだけを集中的に攻撃している意味が説明できない。
なにかを捜している?
だとすれば一体、なにを?
異世界邸で保護されている少女たちか、はたまた別の誰か、なにかか?
「狙いが『世界の柱』なら僕も今すぐ動くべきなんだけど、どう思う? マイシスター」
誘薙は通話状態のスマートフォンを耳にあてて話しかける。すると向こうから鈴を転がしたような、おっとりした口調の声が響いてきた。
『その街は少々特殊ですからねぇ。私たち「世界の守護者」と言えど他の管理者と競合する縄張りで勝手をするわけにはいきません』
「僕の可愛い妹よ。そっちでは何度か魔王を退けたことがあるんだよねぇ? なにかいい知恵はないかい?」
『とりあえず、その気持ち悪い呼び方をやめていただかないと潰しますよぅ?』
妹がおっとりしていながらも究極に冷え切った言葉を投げかけてくる。それを聞いているだけで誘薙は背筋がゾクゾクして今すぐ屋根の上で悶え転げたくなった。
「はぁはぁ、大変だマイシスター。僕の動悸がはぁはぁ……激しく……体も熱くなってきたからちょっと暴れてきてもいいかな?」
『そのまま死ねばいいと思いますぅ。白蟻に食べられてしまうところは是非自撮りして送ってくださいねぇ』
「はふん!」
恍惚としながらビクン! と体を震わせる誘薙に、周囲から槍を握った二足歩行の白蟻が十匹ほど飛びかかってきた。
「おやおや、無粋だねぇ。せっかくいい気分になっていたのに」
誘薙は瞬時にシラフに戻ると、片手を人薙ぎして襲い掛かってきた白蟻兵をまとめて吹き飛ばした。
風が研ぎ澄まされ、刃となって周囲に溢れそうになっていた白蟻を切り刻む。ずいぶんと硬い。普通の武器では傷一つつかないだろうが、精霊の風刃はそんなことなどお構いなしに敵を斬断する。
『とにかく援軍は送りますぅ。ですけど、その街の問題はその街で解決することが望ましいですねぇ。こちらからの助力は本当に「ちょっとした手助け」程度になるかと思いますぅ』
雑貨屋周辺に湧いていた白蟻を粗方駆除した誘薙は、妹の通話に耳を傾けながら天を仰いだ。その闇空の先にある敵の本体を見据えつつ――
「うん、じゃあそうだねぇ。それならこっちはこっちで、僕の都合で、勇者を選出しよう。彼が胃を痛めて倒れてしまわないうちにねぇ」
異世界の関わる問題解決は、その専門家に押しつけるのが一番だ。




