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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
魔王編
37/169

麓町の奮闘 【part 紫】

 怪我人の治療は、丸1日かかった。明らかに訳ありの患者故に病院にも搬送出来ず、十分な設備のないにもかかわらず、1日で重体患者を重傷患者にまで立て直したのだから、寧ろたった1日と言うべきか。

 名も知らぬ客人の容態がようやく落ち着き、栞那と悠希、そして強制的に手伝わされていた貴文と、その貴文に駆り出されたポンコツの妹がやれやれと息をつけたのは束の間……具体的には、たった1時間ほど。

 午前2時、早く寝るべく書類作業を行っていた貴文は、ポンコツの妹、もとい【002】から「【001】が山の中で襲撃された」と連絡を受けた。

 「あああああ次から次へと、なんだってんだ畜生ぉ! 寝かせろよぉ!!」という、ある意味いつも通りの貴文の怒声(悲鳴?)が響いている同時刻、近いようで遠い場所に信号が飛んだ。


***


「あれ? ねーねー、光ってるよー」

 少女特有の高い声。それを発した本人は、机に置かれた掌サイズの透明な石が明滅しているのを覗き込んでいた。

 燃えるような赤い髪に、きらきらと輝く藍の瞳。幼さの目立つ顔立ちは、けれど良く整っていて可愛らしい。

 そんな少女が呼びかけるように発した言葉に、返事の代わりに爆音や金属音が響く。

 それらを気にする事無く少女はそのまま待ったが、返事はない。少女は、上気した白い頬を膨らませて振り返る。

「ねー、ノワってばー! 魔石がちかちかしてる時は呼んでって言ったー!」


 大きな声が爆音飛び交う道場内に響き渡り、そのままふつと音が止まった。


 立ちこめていた煙が引くと、道場の中心に2人の人影が露わになる。1人は茶髪の老人で、掲げていた巨大な両手剣を手元に引く。もう1人は黒で色彩を統一した青年で、同じく掲げていた黒い日本刀を引き寄せる。日本刀はそのまま溶けるように消え去った。


「通信か?」

 黒目黒髪の青年はそう言いながらも急ごうとはせず、道場の隅に置かれたタオルを手にとって汗を拭う。それを見ていた少女が、問いかけを受けてこてんと首を傾げる。

「つうしん? わかんないー」

「……フウ。いい加減、そのくらい分かれ」

「むりー」

 少女——フウの返答に溜息をついて、青年は先程まで打ち合っていた相手を振り返った。

「すみませんが、一旦中断させてください」

「ノワールの仕事だからな、仕方ないさ。儂は休憩しておくよ」

 妙に若々しい老人の返事を待って、青年——ノワールはタオルを放り捨てて少女の方へ歩み寄った。魔石を覗き込み、怪訝そうに眉を顰める。

「緊急信号……?」

「きんきゅうって、大変ですよーって意味?」

 外見に伴わぬ幼い問いかけに頷きながら、ノワールは手を伸ばして魔石を手に取った。


 明滅を続けていた魔石が強く光る。光は広がり、スクリーンのように四角形を形作った。


 ノワールが魔石を持つのと逆の手をすいと動かすと、スクリーンに文字列が走る。

「……管理世界、それもあの街か……今度は何なんだ、一体」

 面倒臭げに呟かれた言葉に、フウが首を傾げた。

「どこー?」

「魔術書の卸先」

「おろしさきって、なーに?」

 フウの問いかけに、ノワールが溜息を漏らす。

「……売りに出す所だ。あの場所はきちんと術者もいるのに、何故わざわざ俺の所に……」

 文句を零しつつ、ノワールは更に手を動かした。スクリーンを操作して映し出したのは、街の上空からの様子。

「……? 何も起こっていないように見えるが——」

 怪訝そうな言葉がふつりと途切れる。興味津々の様子で覗き込んでいたフウが、思わずといった調子で声を上げた。

「うわー、真っ白で気持ち悪い!」

「……まあ、緊急信号を出すだけはあるな」


 そこに映し出されていたのは、街の至る所で地面や塀を埋め尽くす、巨大な白蟻の集団だった。


 ノワールがスクリーンを操作し、白蟻の集まる場所をアップにする。犬猫程もある白蟻が集っているのは街路樹や道路、塀ばかりで、住居へは近寄ろうとしない。

 逆に、集られている街路樹は虫食いだらけで折れる寸前、道路や塀も穴だらけになっていた。

 けれどその様子には頓着せず、ノワールは目を眇めた。

「……ああ、住宅の保護陣はもう張っているのか。何とか一般人の被害は防げているものの、駆除が追いつかず道路や塀を食われている、と」

「ノワノワ、あれって虫だよね? おっきくない? きもちわるいよー」

 フウの問いかけには肩をすくめる。

「街路樹との比較を見る限り、犬猫……下手したら馬くらいありそうだな。道路が食い尽くされるのも時間の問題か。……それにしても、よくコンクリなんか食うな、臭いだろうに」

「馬鹿弟子よ、その感想はどうなんだ」

 窘めるような言葉が老人から飛ぶ。それに肩をすくめ、ノワールは老人を振り返った。

「今の所は対応出来ているようなので、しばらく様子見します」

「行かなくて良いのか?」

「基本こちらはかの世界には不干渉ですから。彼等が対処出来ない敵が現れるか、一般人の家が食われだしたら、仕方ないので動きますよ」

 冷淡な返答に、老人が顔を顰める。

「……本音は?」

「あんな蟲駆除如きに動くのが面倒臭いです」

「この馬鹿弟子が……」

「ノワってよく、めんどうくさいって言うねー?」

 老人とフウの相槌を無視して、ノワールは椅子に腰を下ろし、スクリーンのサイズを調整して傍観の体勢に入った。


***


 蟲駆除如き、とは部外者だからこそ言える言葉だ。

 実際に街の守護を担う術者達は、文字通り右往左往していた。

 緊急信号が入ったのは、夜の1時。『家』の仕事である巡回を行っていた術者の目の前で、「それ」は現れた。


 とぷん——。


 コンクリの地面に波紋が生じる。波紋は幾重にも重なりながら広がり、やがて現れたのは、白蟻の群。

 白蟻は一斉に広がると、硬直する術者の目の前でコンクリートを囓りだした。じゅうじゅうという音と共に、溶けて穴が開いていく。

 そこまで見て、術者は我に返った。素早く懐から呪符を取り出して、放る。


『滅!』

 鋭い声と同時に、呪符の触れた周囲の白蟻が吹き飛んだ。


 だが、白蟻は波紋から続々と現れてきて、減るどころか増え続けている。わさわさと身を蠢かすそれらは、瞬く間に道を埋め尽くし、塀に喰らいつき始めた。

 それを見た術者は、すぐさま携帯を取り出す。ワンコールで繋がる電話に、叫ぶように告げた。


「緊急事態! 白蟻の妖による大規模な破壊が予想される。当主へ連絡を!」


***


 それから街の全ての住宅に守護の術をかけ、人々が家から出ないように意識操作を終えるまでに1時間かかったことを、遅いと取るか早いと取るか。

 立場によって変わるだろう評価は、実働部隊たる術者達にとっては些末な問題であった。


『滅!』

 呪符が白蟻を吹き飛ばす。


『水神招来、急急如律令!』

 呪文と共に水の渦が竜巻の如くいくつも地面を走り、白蟻を巻き込んで押し潰していく。


 彼等はそれぞれに武器を手にしていたのだが、白蟻には通じなかったのだ。

 剣は刃が欠け、矢は弾かれる。

 それ故に、彼等は己の異能——術のみで戦う事を強いられていた。

 本来の実力を発揮出来ないながらも、彼等は必死である。被害が出ないように。少しでも早く、脅威を排除できるように、それぞれの術者達がそれぞれに、呪文を唱え、数珠を掲げ、呪符を放って白蟻を退治していた。

 それだけ見れば、立派に守護のお役目を果たしている……の、だが。


「下がってろ出来損ない!」

「煩い、坊主風情が!」

「まともな呪文も唱えられない輩が、何を偉そうに……!」

「なんだとこの!」


 ……時折飛び交う、「状況読めてんのか」と言いたくなる程に聞き苦しい悪態の数々が、いろいろと台無しである。


 彼等は、非常に仲が悪い。プライドが高すぎるからなのだが、物事は限度と状況を弁えなければならない。

 悪態をつき、睨み合いながら、見せつけるように威力の高い術を使って白蟻を駆除していく。一撃で倒しきれない者にはすかさず罵声を浴びせ、更に威力の高い術で叩き潰す。

 そんな非効率的な真似をしていては、白蟻が犬猫サイズまではなんとかなったが、熊、そして牛馬サイズにアップした途端、彼等を追い詰めた。

 慌てふためいた彼等は、そのままでは自爆しかねない程無秩序に術を放ち始める。


 だがそこで、すかさず指令が入った。

『それぞれ散れ! Aは北区、Bは南区、Cは東区へ! さっさとしろ!』

 怒声混じりの指示に、術者達は慌てて従う。

 指揮側の初期機動の遅さは如何ともし難いが、判断そのものはまともなのである。


 そうして、術だけでなんとか白蟻を駆除し続けていた術者だったが、単独で倒せるモノばかりが敵ではない。

 身内同士で上手く連携を取れていた術者達は、たった1人・・の妖に苦戦していた。


「くははは! いいね、いいね! 大した力も無い烏合の衆でも、退屈しのぎくらいにはなるわけかあ!」

 5人もの術者に囲まれて楽しげに笑う、筋骨逞しい男性。狂ったような笑い声を上げ、剥き出しの腕を振るって塀や地面を破壊している。破壊された塀やコンクリには、すかさず白蟻が群がり、喰らいついていた。

「くそっ、化け物が……『斬』!」


 悪態を漏らした術者が、手で印を切って唱える。鎌鼬が男性に襲いかかるが、剥き出しの太い腕を一振りするだけで鎌鼬が霧散した。


「煉爆!」

「くははッ!」


 赤い瞳を爛々と光らせ、男が地面に拳を落とす。飛び散ったコンクリートの一片を鷲掴むと、思い切りぶん投げた。術者が放った炎の塊に飛び込んだそれは弾け、赤く燃える破片が周囲に撒き散らされる。


「うわあ!」

「しょ、消火を……危ない!」

 悲鳴と共に、鈍い音が響く。辛うじて築かれた障壁が砕かれ、反動で術者が吹き飛んだ。受け身を取った術者に詰め寄ろうとする男に向けて、別の術者が符を投げる。


「火炎!」

「うおっとぉ」


 腕に張り付いた符が燃え上がった。男がそちらに意識を向けた隙に、術者が距離を取り直す。その間に、他の術者達が破片の消火を終えていた。


 息の合った連携を見せながらも、決定打が与えられない。男からの攻撃はじわじわと術者達を消耗させているというのに、術者の攻撃に男が堪えた様子がない。

 歯噛みする彼等を楽しげに睥睨し、男はのんびりと口を開く。


「蟻天将が一として、姫の遊びにはさんざ付き合ってきたが。お前ら割と頑張るなあ? 前の世界じゃ、勇者サマでさえ消しクズになってたってのに」

「……っやはり、異世界の妖異か……!」

 武器の通じぬ肉体、共存など欠片も考えない侵略。この街を知る妖にはあり得ない行動から立てた予想が当たったと知り、術者が呻くような声を上げた。

「おうよ。白蟻の魔王が部下、ロウってんだ。覚えとけ……っても、てめーらはここで喰らわせてもらうがなあ」


 下品な舌なめずりをした男——ロウは、飛んできた呪符をひょいと避けた。


「これ、当たんなきゃいーんだろ。不便だな」

「っ、くそっ」


 焦りを見せた術者が、素早く後退する。直前まで立っていた場所に白蟻が群がる。


「……蟲使い。何が狙いだ」

 低い声で問われ、ロウは頭をかいた。

「そりゃーお前、魔王の侵略なんだから、世界を滅ぼす事に決まってんだろ。アホか?」

「っさせるか!」


 激昂した術者が、素早く印を切って小刀を投擲する。ロウが無造作に小刀を掴んだ。

「んなもん、今更……」

『砕破、爆砕陣!』

「お?」


 術者3人の呪文が重なる。ロウが握っていた小刀が白く光り、一気に膨張した。無音の爆発がロウを呑み込む。


 緊張した空気が場に流れる。爆風が消えた先、どの程度の損傷を与えられたのか——


「——いやはや、驚いたぜ」


 今までよりも軽い気配の消えた、それでいてやけに楽しそうな声。


「お前さんら、やるじゃねえか。俺を精霊の武器以外で傷つけた奴ぁ、初めてだぜ」

「な……」

 唖然とした声は、術者の誰かが零したものか。


 全身に裂傷を負いながらも平然と佇むロウが、凶悪な表情でにぃと笑った。

「お礼をしねえと、なぁ? ——久々に、『粘土遊び』すっかあ!」

 そう言って、ロウが叩き付けるように地面に掌を押し当てる。


 ——ぐちゃり。

 白蟻と、コンクリが、形を歪めた。

 白蟻もコンクリも形状を無視して、吸い寄せられるようにロウの元へ集まる。粘土のようにぐにぐにと形を変えたそれは、やがていくつもの棘を生やした棍へと変化した。


「俺のオモチャは、ただの棒きれとは違うぜ? ああ、それと」

 愉しげに嗤ったロウが、棍の先を乱暴に地面へ下ろす。


『おう雑魚共、いつまでもちんたら囓ってんじゃねーぞ!』


 荒々しい声を合図にしたように。

 ——ぼこり。

 白蟻が、肥大化した。


 今や5メートルを越える白蟻は、互いにぶつかり合い、ひしめき合う。巨大な白蟻同士が押し合いへし合いする様子は、醜悪の一言に尽きた。

 そして——メキッ。

 不吉な音と共に、塀に皹が入る。すかさず喰らいついた白蟻によって、あっという間に塀が崩れていく。


 その様子を見た術者の1人が、迷わず携帯を取りだしたのは勇断だったのだろう。

『報告します! 白蟻が肥大化して道路がっ……。人型も急に様子が、うわあっ!』


 だが、あくまでそれは、相手がその隙を与えてくれれば、だった。


 無造作な、一撃。技術も何も無い一振りを、術者は確かに避けたはずだった。

 ——だが、その衝撃だけで、術者は何メートルも宙を飛ぶ羽目になる。

「この……っ」

 腰が引けそうになるのを叱咤し、術者が術を放つ。


「言っただろ」


 だが、それすらも悪手。ロウが、飛んできた水の渦を棍で受け止めた。


「俺のオモチャはひと味ちげーんだよ!」


 再び振るわれた棍に弾かれて、術が反射した。

「なっ……っ!」

 愕然としながらも術者は障壁を張るが——バリン。

 硝子の砕けるような音と共に、障壁が砕けた。術者が血を吐いて吹き飛ぶ。

「ば……化け物……っ」

 これまでのような抵抗すら許さない、暴虐。引き攣れた様な吸気が響く。


『距離を取って、膂力では叶わない筈だ。遠くからひたすら棍の動きを阻害するように術を放ち続けて。もうすぐ援軍が来るから、頑張って』

「わ……わかりました!」


 反射的に指示に応じながらも、術者達の動きは鈍い。勝てない、と悟ってしまった実力差が、彼等の意気を削っていた。

 それを見逃す敵ではない。ロウはすかさず、白蟻たちに襲わせる。


「く、来るな! 『斬!』」

 悲鳴混じりに放たれた術は、白蟻を傷付けながらも一撃で倒せない。何度も放ってようやく倒せる相手に、術者達は顔を青醒めさせる。

 その間にも、ロウは何度も棍を振るって、術者達の命懸けの抵抗をあしらい、追い詰めていった。次第に、術者達の怪我が増えていく。


「駄目だ、誰か……!」

 堪えきれずに1人が呻きを漏らしたのに、答えるように。


『——万魔供伏!』


 高い声が、鋭く唱えた。青い青い光が辺りを満たす。

 光がはけると、その場にいた白蟻は残さず消滅していた。


「げほ……っ、誰だ」

 誰何をしつつ、ロウが血を吐き出す。今までまともな傷1つ負わなかった彼が、確かにダメージを受けていた。

 それを為したのは——


「援軍だ。遅くなった」


 幼さの欠片もない声でそう告げた、少女。


 艶やかな黒髪をうなじで括り、黒曜石のような光を発する黒い瞳を鋭くロウに向ける姿に、怖じ気づいた様子はない。真っ直ぐロウを見据える少女を見た術者達は、小さく息を呑んだ。


「化け物……」

 その言葉を聞いて視線を向けた少女は、感情のこもらない声を発する。

「撤退を。動けるならば、白蟻を倒せ」

 遠慮の無い言葉に術者の1人が気色ばんだが、傍らにいた術者が肩を叩く。そして、少女に言葉を向けた。

「周囲の白蟻は我らが倒す。化け物は任せるぞ」

 どこか高慢な物言いにも頓着せず、少女はロウに向けて刀を構える。

「そいつは武器は効かん!」

 慌てたように忠告する術者を無視して、少女は地を蹴った。それを見たロウが、興ざめしたような表情で棍を構える。

 無造作に振るわれた棍に少女が吹き飛ばされる姿を、誰もが予想した、が。


 甲高い音を立てて、刀と棍が衝突する。衝撃に体勢を崩す事無く、峰を滑らせるようにして棍をいなした少女は、勢いのままロウに刃を走らせた。


 鮮血が、飛ぶ。


「な……にっ!?」

 身を捩って距離を取ったロウが、目を見張る。術者達も驚愕に硬直せずにはいられなかった。


「……白蟻を倒せないなら、失せろ。邪魔だ」

 少女の僅かに苛立ったような声に、術者達が我に返る。慌てて呪符を放ち、この短い間にまたも生じた巨大白蟻たちを攻撃した。

 先程まで数撃放ってようやく倒せていた白蟻が、あっさりと消し飛ぶ。


「……てめえ、何かしやがったな?」

 ロウが少女を問い詰めた。少女は無表情のまま返す。

「化け物に答えてやる義理はないが、お前の能力を封じた。長が弱体化した以上、雑魚は弱る」

 そう言って、少女は刀を右手だけで掲げ、左手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、後の指を握り込んだ。刀印と呼ばれる手印を切り、少女が鋭く唱える。


『斬!』

 風の刃がいくつも生じてロウに襲いかかる。ロウが痛烈な舌打ちを漏らし、棍を回転させて受け止めた。


『不動縛』

 詠唱によって、ロウの体が硬直する。すかさず、少女が刀を振るった。


「くっそ……なめんなぁ!」

 ロウが吠え、全身に力を込める。パキン、と割れる音が響くと同時、ロウが棍を振るった。

「っ、く」

 少女が呻く。それほどに棍に込められた力は強く、少女の両腕が震える。

 いなす事が出来ないと判断した少女が、素直に後退した。棍の振るわれた衝撃は、築かれた障壁が容易く弾く。


『雷神!』

 白い稲妻が落ちた。敢えてロウの左腕を狙った雷は、不意を突いて命中する。肉が焼け焦げる臭いが辺りに充満した。


「……てめえ、正気か? こっちの力削る結界張りながら、んなバカスカ術を使うとか、人間が保つ訳がないってこともわからんのか」

 苦々しげに吐き捨てたロウに、少女は簡潔に答える。

「私の霊力が尽きる前に、貴様を倒せば良いだけのこと」

 さらりと告げられた、余りに不遜な言葉に、ロウの額に青筋が浮かんだ。

「……やってみろやあ、ガキがぁ!」

 鼓膜が痛い程の怒声と共に、両者は再び衝突する。


***


 彼等の一部始終をパソコンの画面越しに見ていたのは、今回の全体を指揮する人物だった。

「応援が必要だって判断するだけで、何で10分も必要なんだか……大きな怪我人が出なかったから良いものの。これだけの緊急事態で意地を張るなんて、馬鹿じゃないのか」

 呆れ気味にそう言って髪をかき上げたのは、黒い髪をショートボブにした若い女性。古典柄の和服をきっちりと着こなした彼女は、1つ溜息をついて振り返った。

「当主。それで、どうするのですか?」

 当主と呼ばれた老年にさしかかる年頃の男性は、同じく渋茶色の和服の両腕を組んだ。

「勿論、殲滅する。このまま街を食い荒らさせるわけにはいかん」

「それは承知しています。ではなくて、その方法やその後の事です。このまま朝までに全て駆除し、被害地域を元通りにするとは思えませんが」

「…………」

 慇懃無礼とも言える態度で男性——守護を司る家が一、『吉祥寺』家当主に意見した女性に対し、男性は苦虫を噛み潰したような表情になる。それを見た女性が、うっそりと笑う。

「仕方が無いでしょう? 些細な事でいがみ合うばかり、連携を取らせるだけで精一杯。そのくせ、個々の能力は伸びない。大規模な襲撃に弱い現状を、何度か申し上げたはずですが」

「煩い、次期。調子に乗るんじゃない」

「失礼しました」

 睨み付ける当主に、女性はあくまで飄々と謝った。しかし、そのまま涼しい表情で続ける。

「さて、過去は過去、現状は現状です。ひとまず、住民を街の外に一旦避難させる必要があるかと。方法は如何しますか?」

 当主が渋い表情で黙り込んだ。ややあって、女性を睨み付ける。

「……お前が動けば、避難の必要は無い」

 その言葉に、女性は目を見張った。

「『家』を背負う者の命が散ってはならない、でしょう?」

「状況が状況だ」

「その言葉を今になって使うのは、卑怯というものです」

 女性がさらりと言い放った言葉に、当主の表情が歪んだ。


「……黙れ、『魔女』。分かった口を聞くな」


 途端、『魔女』の通り名で通る彼女は、不敵な笑みで対峙する。

「魔術大嫌いな貴方が、私を次期に任命するのに相当抵抗があったのは分かるけどね。次期の仕事は当主の指揮補佐。ここまで増えた白蟻を相手にしながら、全体の指揮は執れないよ」

 スイッチが切り替わったように口調を変えた『魔女』に、当主が気圧されたように身を引いた。それを見た『魔女』が、溜息をつく。

「やれやれ……梗の字が折角頑張って、街の住民誰も外に出ず、外の様子を見ないよう、大規模な魔術を維持してくれてるんだけど……やっぱり、『門崎』が瓦解しているのが痛い」

 その言葉を受けて、当主が視線でパソコンを示す。

「その『門崎』の化け物が、アレを何とかしているだろう」

 それを聞いた途端、『魔女』は軽蔑の眼差しを当主に向けた。

「……当主。その己の基準に合わぬもの以外を術者と認めぬ狭量さ、いつになったら直すんだ? 『吉祥寺』の有力者を複数失いながら、よくもまあそんな事を言えるね」


 当主の顔が怒りに染まる。その様子に冷たい一瞥を投げ掛けた後、『魔女』はパソコンの画面を再び見下ろした。少女の善戦を確認してから、とんっと机を指で叩く。


「とりあえず、『門崎』に支援を送れと言って」

「は」

 控えていた家人に命じて、『魔女』は袖が崩れるのも気にせず腕を組んだ。

「『嘉上』の衛星画像と防犯カメラのジャックも、あんまり長くはさせられない。一気に片を付けたいけど、それには一般人の目が怖い。……避難経路の修繕と、住民が出て行くよう誘導する手立てがなあ……」


 弱ったように『魔女』がそうぼやいたのに答えるように、『魔女』の袖から着信音が鳴った。袖から多機能携帯端末——所謂スマホを取り出した『魔女』は、おやという表情を浮かべて指を滑らせる。


『お久しぶりです、『魔女』の姐さん! ははははは!』


 スピーカーにしてもいないのに、くっきりと音声が響き渡った。『魔女』が苦笑して答える。

「姐さんは勘弁してって言っているじゃないか、寺湖田の畔井さん」

『おっと、こりゃ失礼。けど姐さんは姐さんだからな! ははははは!』

 耳に痛い程やかましい笑い声。貴文が聞いたらそれだけで胃痛に腹を押さえるだろう人物——畔井松千代だ。

 無駄に明るくやかましい声に、当主が不快そうな表情で睨み付ける。

「そんな不愉快な輩と暢気に話している場合か」

 窘められた『魔女』はちらりと当主を見、頷いてスマホに向き直った。

「それで、畔井さん、何の用? 申し訳ないんだけど、ちょっと立て込んでるんだ。『知識屋』の話ならまた後日にしてくれないかな」

『違いやすよ、姐さん! その立て込んでる事で、お力になろうってえ申し出ですぜ!』

「……おやおや」

 意外そうな声を漏らし、『魔女』は首を傾げた。

「私達には口を出さないって言うのが、寺湖田さんが縄張りを置く条件だろ? どうしたんだ、そんな事言って」

 『魔女』は軽やかに問いかけるだけだったが、当主は「今直ぐ断れ」と身振りで訴え続けている。それほどに、電話相手の申し出には問題があった。

『分かってますよ、ウチが……瀧宮組がしゃしゃるとマズイってえのは! けどねえ姐さん! 貴重な術書を入手したら融通してくれる恩人が、困ってると分かってて何もせずにいられる程、ウチの仁義は薄くないんですぜ! ははははは!』

「……なんというか、うん。まあ、ありがたいけどね」

 その物言いに苦笑せずにはいられなかった『魔女』が、「本当に極道だよなあ」と小さく独りごちる。1つ首を振って、『魔女』は返事をした。

「うん、正直助かるよ。寺湖田さんが動いてくれるって事は、道路の修繕を担ってくれるんだろ? あの困ったアパートのように」


 異世界邸の存在を当然のように口にした『魔女』に、当主は硬直し、電話相手は束の間沈黙した。


『……あいっかわらずの情報把握ですね、姐さん。それ、姐さんのお家では御当主の旦那しか知っちゃ駄目でしょうに』

「あはは、私がその程度も知らないと?」

 軽やかに笑った『魔女』に、電話相手が大笑いする。

『ははははは! さっすが姐さん! ですがその通りですよ! 壊れた建物の修繕は、建築会社瀧宮組をご贔屓にってね!』

「うん、お願いするよ。……ただ、費用がなあ……」

 松千代の扱う呪符の値段を知っている『魔女』が、やや苦い声を漏らす。すかさず、松千代から声が届いた。

『姐さんは恩人だからタダですぜ! ははははは!』

「それはそれは。今度術書が来たら勉強させてもらわないといけないね」 

『そりゃーありがてえ! ああ、それから、瀧宮の旦那からの伝言ですが、一旦住民を避難させたいなら力を貸しやすぜ!』

「え?」

 今度こそ、『魔女』が驚いた声を上げた。傍らで苦い表情で『魔女』の決定を黙認していた当主も、目を剥く。

『本家も、術書はありがたく思っておるようで! 姐さんへの恩を返す時って仰ってるんで。ただ、本家から何とかしてくれる伝手を使うってーだけで、費用は姐さん持ちになっちまいますが』

「ああ……それは、構わないよ。今まさに、それで困っているところだから」

 そういう『魔女』の顔には、言葉通りの安堵が広がっていた。

「どうもこの襲撃、余所の世界から来てるみたいなんだ。つまり9割方あのアパートへの客人だろうし、数割は負担させるからそのつもりでよろしく」

 さらりと異世界邸の予算未来を決定した『魔女』に、松千代が快諾する。

『合点承知! 上手く分配して領収書回すよう言っておきやす! なるたけ急ぎますんで、姐さんも頑張ってくだせえ!』

「ありがとう。それじゃあ、よろしくね」

 礼を口にして、『魔女』は電話を切った。1つ息をついて、振り返る。


「この際だ、潔く外部の力を借りよう。後は——吉祥寺の術者全員に連絡を。住民が避難次第白蟻を殲滅する。術の準備を急いで。『嘉上』と『霍見』、『門崎』にも伝えて頂戴」

「は!」

 隙の無い身のこなしで踵を返した家人を見送り、『魔女』は当主に向き直った。

「これ以上出来る事はないかな。後は、怪我人が出ないよう祈るしか——」


 ない、と言いかけたその時、再びスマホが着信音を奏でる。怪訝な顔でそれを見下ろした。


「……知らない番号だな」

 少し迷いながら、『魔女』は画面に指を滑らせる。

「もしもし?」


『今から言う条件を呑み込むなら、手を貸してやらんでもない』


 尊大で、傲慢な声。それを聞いた途端、『魔女』の手に力がこもった。

「……守護獣を勝手に従えておいて、随分な物言いだな。従えるものの義務だろ」

『守護獣に見向きもされねえ癖に、口だけは達者だな。助力は『家』が加護をもらう対価だろうが。勝手に付きまとわれてる俺が動く義務はねえ。大体、ンな悠長な事言っていられる状況か? そんな事も弁えられない脳みそだからこそ、ぺらぺらと軽々しく口が動くんだろうな』

「…………」

 飄々とした態度を崩さなかった『魔女』が、表情を崩した。怒りを懸命に抑える『魔女』に構わず、電話相手は言葉を続ける。

『ま、4つもデカい家があって、虫駆除1つまともに出来ねえ能なしどもに何を期待しても無駄か。下らないプライドに拘って一般人の被害を出すのも構わんというなら、俺の出る幕はないだろうよ』

「……そんな事、思ってない」

『じゃあどうすんだ? 悪あがきしても所詮雑魚は雑魚、時間稼ぎが精一杯ってトコだろ。俺の知る限り、あっちには学習して対処する異能があるようだぜ? 切り札が通じると良いな』

 嘲るような声に、『魔女』はぎゅっと目を閉じて深呼吸する。電話相手に、低い声で答えた。

「……条件とやらを、聞こう」

 くくっと、低い笑い声が電話から漏れる。歌うように、電話相手が言葉を紡いでいく。

『ひとつ、こっちの指示には最優先で従え。ひとつ、普段のお前らの守護任務には一切付き合わん。ひとつ、手を貸してやるのは俺の仕事に関わる時と、必要と判断した時だけだ。ひとつ、手を貸した場合は対価を頂く。これら全て頷くなら、仕方ねえから動いてやる』

「巫山戯るな!」

 余りにも一方的な要求に、『魔女』が返答するより早く、当主が吠えた。『魔女』が引き留める間もなく、怒りのまままくし立てる。

「若造が、調子に乗るな! 我らの誇りを踏みにじっておいて、貴様の気分1つで好き勝手に引っ掻き回し、あまつさえ対価を寄越せとは、巫山戯るのも大概にせい!!」

『誇り、ねえ』

 楽しげな声が、繰り返した。ふっと、声から温度が消える。


『——その誇りとやらが衝突した結果が、くだらないいがみ合いを招いて指揮系統を麻痺させているんだろう。街1つ守れもしない癖に、礼の1つも出来ないのか。つくづく愚かだな、『吉祥寺』よ——今直ぐ潰して、指揮権乗っ取っても良いんだぞ』


「この……っ出来るものなら」

「当主!」

 鋭い声が、制止を呼びかけた。辛うじて言葉を呑み込んだ当主に安堵の息を吐き、『魔女』は向き直る。

「本音が聞けて良かった。……結局、選択肢を残す気は無いわけだ」

『選択させてやっているだろう? 被害無く指揮権を手放すか、家ごと沈んで指揮権を失うか。その差は歴然だ』

 しゃあしゃあと言い放つ言葉に強く目を閉じ、それでも『魔女』は頷いた。

「——諾。ここまでの指示は聞く?」

『大体想像は付くがな。避難は目処ついてんのか』

「瀧宮の助力を依頼した。1時間もかからないと思う。問題は人型の妖、今は『門崎』抱えの術者が単独で戦ってる……厳しいと、思っている」

 へえ、と楽しそうな相槌が返る。

『流石に『魔女』は、その程度は状況読めるのか。良いだろう、その人型は俺の獲物だ。白蟻の殲滅に術使うなら準備しておけ。ま、倒しきれなきゃ守護獣動かしてやるよ』

「是」

『そのやけに短い返事は、本音が漏れないようにって努力か? 涙ぐましいな。——ああ、対価は成果報酬だからな』


 楽しげに言うなり、電話は一方的に切れた。スマホを叩き付けるように机に置いて、『魔女』は吐き捨てる。

「……性悪が」

「あんな輩に頼るなど——」

 当主の批難に『魔女』がまくし立てるように言った。

「有言実行で潰されたくないなら、従うんだね。実力は本物だ。街の術者全員でかかったって、あしらわれて終わり。当主だって分かっているだろう?」

 仏頂面で押し黙った当主を一瞥して、『魔女』は深々と溜息をついた。

「——それでも、殲滅の目処は付いたんだ。後は彼が行くまで、あの子が保ってくれる事を祈ろうか」

ノワ「……何か今、嫌な予感がした」

フウ「よかんー?」

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