柱時計 【part 山】
深夜。
常にどこかしらで騒ぎが起きていると言っても過言ではない異世界邸においても、この時間帯ばかりは屋敷全体がシンと静まり返る。聞こえてくるのはどこかの部屋で寝ている住民の高鼾と、徹夜の書類仕事に追われている管理人のペンを走らせる音。
後はせいぜい――
「ねえ、ねえ、ねえ」
「なに、なに?」
「うん」
玄関ホールにそびえ立つ、巨大な柱時計から聞こえる駆動音くらいである。
「チョーちゃん、タンちゃん、ビョーはあそびたいよ!」
「えー、またー?」
「ねむい」
「ビョーはねー、うんとねー、かけっこしてあそびたいんだー!」
「ビョーちゃんあしはやくておいつけないから、チョーはやだなー」
「うごきたくない」
「むー、つまんない、つまんない!」
その駆動音は、幼子同士の会話に酷似していた。
やけに早口でせっかちそうな音。
生真面目で落ち着いた音。
気だるげでとてものんびりとした音。
三つの駆動音を発しながら、柱時計は誰もいないホールで時を刻んでいる。
「つまらないって、チョーたちはここからはなれちゃダメなんだよ?」
「うん」
「えー、いいじゃーん、ちょっとくらーい!」
「でもまた『シューリ』でなかをみられるの、チョーはイヤだよ?」
「……はずかしい」
「むー、むー、むー!」
納得がいかないのか、せっかちな駆動音が心なしか早くなる。
「あー、こらー!」
「ずれる」
「ひまー、ひまー、あそびたいー!!」
「もー、ビョーはわがままばっかりなんだから!」
生真面目な駆動音が一際大きな音を立て、せっかちな駆動音を無理やり遅らせる。
それにほっと安心した気だるげな駆動音がふと何かに気付いた。
「ねえ」
「なに、なに、なに!?」
「タンちゃん、どうしたの?」
「あれ」
気だるげな駆動音がホールの中央を指し示す。
するとそこには、見慣れない物体がいつのまにか置かれていた。
「なに、なに、あれ!?」
「チョー、しらない」
「タンも」
「あっ、まって、ビョーしってるかも!」
「え、しってるの?」
「なに?」
「えっとね、たしか、『レーゾーコ』!」
「『レーゾーコ』って、なに?」
「なに?」
「たべもの、ヒエヒエって、ひやす!」
「ヒエヒエで、それからどうするの?」
「それだけ?」
「あとね、いろんなひとがね、たくさんでてくるの!」
「え、あのなかから?」
「こわい」
「だから、たぶん、あのなかにもひとがはいってるの!」
「たべものを、ひやすんじゃないの?」
「さっきいったじゃん」
「たべものも、ひとも、たっくさんはいってるの!」
「でも、なかはヒエヒエなんだよね?」
「うん」
「うん、たぶん、そう!」
「たいへん、かぜひいちゃう!」
「あ」
ポロリと。
生真面目な駆動音が柱時計からこぼれ落ちた。
「あー、チョーちゃん、ずるーい!」
「だしてあげないと、かぜひいちゃう!」
「もう……」
ポロリ、ポロリと。
二つの駆動音も続いてこぼれ落ちた。
柱時計はしんと静まり返り、動かなくなる。
「せっかくでたんだし、あそぼ、あそぼ!」
「さきになかのひと、だしてあげてから!」
「かえりたい」
柱時計からこぼれ落ちた三つの駆動音はホールの中央に出現した「レーゾーコ」に駆け寄り、扉と思しきソレに手をかけた。
「よーし、それじゃあ、いくよ!」
「いち、にーの!」
「さん」
三つの駆動音が音を合わせ、扉を引っ張る。
すると思いのほか扉はすんなりと開き、中からぶわっと冷気が溢れてきた。
「うわ、わ、さむい!」
「さむい、さむい!」
「ねたい……」
駆動音が口々に不満の音を上げる。
しかしそれも「レーゾーコ」の中から転がり出てきたものを前にして、ピタリと止まった。
「…………、…………、…………」
「…………、…………」
「……ひと」
せっかちな駆動音が最初に鳴らした通り、「レーゾーコ」の中からは本来は食べ物を冷やすはずの冷気と共に、人が入っていた。
「…………、…………、…………」
「…………、…………」
「……ふたり」
しかも、二人。
ただしどちら、全身ボロボロの傷だらけで、身に着けている物もズタズタに引き裂かれていた。
「ど、ど、ど!?」
「し、しんでる!?」
「…………」
「もしかして、『レーゾーコ』でひやすたべものって、ひともはいるの!?」
「こわいこといったら、めっ!!」
せっかちな駆動音と生真面目な駆動音は慌てふためき、辺りをバタバタと忙しなく駆け回る。
まさか「レーゾーコ」から人の死体が転がり出てくるとは完全に予想外だったため、混乱の境地に陥っていた。
「いきてる」
と、沈黙していた気だるげな駆動音がそう鳴った。
「え、え、え?」
「タンちゃん、いきてるって?」
「うん」
気だるげな駆動音が静かに頷く。
慌てていた二つの駆動音も、落ち着いてよくよく耳を澄ませると、確かに二人の胸からは微かに心臓の鼓動が聞こえてきた。
ただし、今にも消え入りそうなほど小さな音ではあったが。
「えっと、えっと、どうしよう?」
「こういうとき、どうすればいいんだろう?」
「…………」
せっかちな駆動音と生真面目な駆動音は考え込む。
しかしこんな状況、生まれてこの方百年近いが初めてのことである。
どうしたらいいのか何も思いつかない。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう?」
「どうしよう、どうしよう」
「はこぶ?」
「え、ビョーたちで、どうやって?」
「チョーたちじゃおもすぎて、はこべないよ」
「じゃあつれてくる」
そう鳴ると、気だるげな駆動音は柱時計の中に戻っていった。
そして少しの間ゴチャゴチャと柱時計から異音を響かせた後、ある物を携えて再び出てきた。
「タンちゃん、それ、かね?」
「かねなんて、どうするの?」
それは柱時計が時刻を知らせるために内蔵された真鍮製の鐘だった。
「ならす」
「ならして、それで、どうするの?」
「まだ、ならすじかんじゃないよ?」
「おいしゃさん」
気だるげな駆動音がそう鳴ると、二つの駆動音も何をしようとしているのか大よそ把握したらしく、なるほどと頷いた。
「そっか、ビョー、わかった!」
「おいしゃさんのへやで、ならすんだね!」
「うん」
「さっすが、タンちゃん、あったまいいー!」
「すごい、すごい!」
「…………」
褒められて恥ずかし気に俯く気だるげな駆動音。
そして三つの駆動音は早速、四階で寝泊まりしているはずの医者の元へと向かったのだった。
***
「うっさいわ!?」
突如耳元で鳴り響いた鐘の音に叩き起こされた栞那。枕元の時計を確認すると、まだ午前三時になったばかりだった。
「こんな時間にこんな悪戯を仕掛けるのは誰だ……フランか? セシルか?」
有休明けで帰って来たばかりの友人に対して大した歓迎だと歯ぎしりしながら布団から這い出る。とりあえず二、三発ぶちかましてやろうと夜風に冷えないよう上着代わりに白衣を羽織り、廊下に出た。
「あ?」
すると栞那の予想に反し、周囲には悪戯を仕掛けたであろう人影どころか、生き物の気配一つしなかった。
もしかして鐘が耳元でなる悪夢に対し、寝惚けて自分でツッコミを入れてしまったのだろうか。いやそれにしたって何だ耳元で鐘が鳴る悪夢って。相当疲れているのだろうか。
「寝よ寝よ……」
どうせ明日も仕事で忙しくなる。具体的には騒ぎを起こした馬鹿どもの治療とかで。
「はあ……」
それにしても、妙にリアルで耳鳴りのする夢だったと溜息を吐く。それも、どこかで聞いたことのあるような鐘の音で――
「ん?」
部屋に戻ろうとしたとき、廊下の奥の階段から物音が聞こえた。
それこそ、さっき夢で聞いたばかりの鐘の音だ。
「…………」
その音が妙に気になった栞那は、薄暗い廊下と階段を足元に注意しながら進んでいく。その間にも、鐘の音は絶え間なく栞那の耳に届いていた。
「……? 一体なんだって――」
二階から一階玄関ホールへと続く階段まで降りたところで、栞那は息を呑んだ。
ホール中央、巨大な柱時計の前に二つの人影が転がっていた。
しかも、遠目で見ても瀕死の重傷と分かるほどボロボロだった。
「……っ! おい! 管理人! 起きてるな!?」
「え、何事!?」
いつもなら娘を叩き起こして手伝わせるが、今は三階の寝室まで行く手間も惜しい。すぐそこの管理人室の扉を蹴破り、書類に埋もれていた異世界邸管理人・貴文を引っ張り出した。
「ちょっと手ぇ貸しな! 片方医務室まで運べ!」
「え、あ、はい!」
状況がつかめていない貴文を勢いで押し切り、倒れていた二人のうち片方を押し付ける。そして自分も残る一人を抱え上げ、ふと気になって柱時計に視線をやった。
時刻は三時十分――微妙にずれている。
「……次起こす時は、もう少し静かに起こしてくれ」
カチっと三つの駆動音が同時に鳴り、ゴーンという鐘の音と共に指針が三時ちょうどに合わせられた。




