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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
魔王編
34/175

『しろあり姫』【part夙】

 むかしむかし、とある国に、それはそれは大層美しいお姫様がおりました。

 強く、気高く、とても優しくて品もある、けれど少しわがままなお姫様。彼女はいつも国民の声に耳を傾け、親身になって彼らの悩みを解決してきました。

 そこに裕福な人や貧乏な人、善い人や悪い人、子供や大人の区別はありません。誰の声にもお姫様は一生懸命でした。

 そんなある日のことでした。お姫様は病気で倒れてしまったのです。

 無理がたたったのでしょう。お姫様は何ヶ月もの間を寝たきりで過ごしました。その間にも国民たちのお姫様を求める声は絶えません。お姫様は早く病気が治るように願いました。

 やがて、お姫様の病気は治りました。ですが、王様はお姫様がお城から出ることを許しませんでした。王様はお姫様がまた倒れてしまうことを心配したのです。

 お姫様は悲しみました。これでは国民の声が聞けません。

 何日も、何ヶ月も、何年も。

 美しいお姫様は、まるでお城の宝物のように大切にされながらも、やはり宝物のように閉じ込められたままでした。

 お姫様の助けを求めていた国民の声も、いつの日かお城から出て来ないお姫様を責めるようになっていました。

 そのことを使用人から聞いたお姫様は深く傷つき、涙を流しました。

 どうして自分がこんな目に会うのか?

 どうして外に出てはいけないのか?

 どうしてみんな自分を傷つけるのか?

 ――こんなお城なんてなくなってしまえばいいのに。

「その願い、叶えて差し上げましょう」

 どこからともなく声が聞こえました。

 すると、お姫様の目の前に魔女が現れました。お姫様は驚きましたが、すぐに魔女に問いかけます。

「私をここから出してくれるのですか?」

「いいえ、私はあなたにここから出る力を授けるだけでございます」

 魔女は首を振ると、持っていた杖をお姫様に向けます。

「よく聞きなさい。お城の壁はクッキーです。床はケーキ、扉はチョコレート、柱はビスケット、装飾はキャンディー。このお城はあなたにとっての〈お菓子の家ヘキセンハウス〉」

 不思議なことに、魔女の言葉を聞いているとお姫様には本当にお城がお菓子に見えてきました。

 お腹がどんどん減ってきて、お姫様はもう食べることしか考えられなくなりました。

「さあ、思う存分食べ尽くすのです」

 そして次の日の朝、お城はお姫様だけを残して消えていました。

 気がついた時、お姫様はもうかつての美しいお姫様ではありませんでした。

 お姫様は自由を手に入れた代わりに、白く醜い蟻の姿となっていたのです。

 ですが、お姫様は悲しみません。むしろ世界中の全てが美しく、そして美味しく見えました。

 ――世界はお菓子でできている。

 こうして、自由になったお姫様は世界から家という家がなくなるまで食べ続けたのでした。それを幸せに感じながら――。


        ――異世界童話『しろあり姫』――


        ***


「――という感じのことが書かれてたですにゃ」

 朗読を終えた三毛が古びた絵本を閉じて顔を上げた。

「なんか、なにを伝えたかったのかよくわからん話だったな。ハッピーエンドみたいに描かれてるけど実際バッドエンドだし。翻訳合ってるのか?」

「失礼ですにゃ。完璧ですにゃ。たぶん」

「たぶんかい」

 貴文はガクリと肩を落とした。

 つい先ほどのことだ。有休を終えて帰って来た中西栞那と話をしていた時、土産のケーキを冷蔵庫に仕舞おうとしたら意味不明な物が置いてあった。

 それが三毛に翻訳・朗読してもらった古びた絵本である。当たり前だが冷蔵庫に入れるような物じゃない。またどっかの異世界から流れ着いて来たものだろう。

「まあ、本当にただの絵本みたいだし、害になるようなことはないか。ちなみにどこの世界のものかはわかるか?」

「それが謎にゃんですにゃ。情報の神の世界録ワールドデータを参照したら複数の世界がヒットしたですのにゃ。可能性としたらヒットした全ての世界をこの絵本は旅したってことですかにゃあ?」

「へえ、複数ってどのくらいなんだ?」

「約三千万にゃ」

「多っ!?」

「下手すると世界録にも乗ってない世界も旅しているかもしれにゃいにゃね」

 それはなんとも年期というかなんか凄まじいものが籠った絵本である。ちゃんと読めるのが奇跡に思えてきた。 

「しろあり姫、ね。一夜で城を食い尽くすとか、もしそんな奴が迷い込んで来たら修理費がいくらあっても足りねえな」

「馬鹿ですにゃあ、管理人。これはおとぎ話ですにゃ」

「わかってるよ。ただこれ以上邸を破壊する奴は増えないでほしいってことだ」

「あ、今フラグ立ったですにゃ」

「やめて!?」

 貴文は心の底で「絶対来るなよ! 絶対だからな!」と存在するともわからないしろあり姫に向かって叫ぶのだった。


        ***


 異世界〈ベーレンブルス〉――ベーム帝国帝都。

 

 百万の人口を誇る世界最大の都市は今、未曽有の危機に陥っていた。

 いや、危機というなら都市だけではない。国が、世界が、滅びの寸前を迎えようとしていた。

 既に世界で『国』と呼べるのはベーム帝国だけである。他の国々は、信じられないことに、彼の侵略者が現れてからたった数日で壊滅してしまったのだ。

 まるで、そこに人の営みなど最初からなかったかのような更地と化して。

 そしてこの帝都もまた、恐ろしい侵略者の餌食にされている真っ最中である。

 都市のあちこちから炎や煙が立ち昇り、戦っている兵士たちの怒号や悲鳴が途切れることなく響く。

 天を衝くように高く聳える帝城は、無数の蠢く白い物体で覆われていた。

 蟻である。

 白い蟻の大群が城を覆い、都市に蔓延っているのだ。

「はあ、この世界も今までと大差ない味でしたわね。そろそろ飽きてしまいましたわ」

 白蟻で埋め尽くされた帝城を見上げながら、一人の少女が小さく溜息をついた。

 先端だけ少しカールした輝くようなホワイトブロンドの髪は腰よりも長く伸ばし、頭頂部から二房だけぴょこんと触覚のように跳ねている。女性的な美しい肢体を包む純白のフリル過多なドレスには戦場のど真ん中にも関わらず汚れ一つ見当たらない。整った小ぶりな顔に収まるガーネット色の瞳は退屈そうな憂いを帯び、悍ましく建造物を食い荒らす白蟻たちをただ見詰めていた。

 彼女はお洒落なティーテーブルにコトリとカップを置き、隣の高級そうな皿に盛られたクッキーを一つ摘む。

 否、それはクッキーではなく、クッキーのように形を加工した木片だった。

「これでしたら、一つ前に滅ぼした森然世界の方が素材がよかった分美味しかったですわぁ」

 パキリ、とクッキー……もとい木片を齧る白い少女。

「それであれば姫、今後はお気に召した世界は完全に滅ぼさず残されてはいかがですか?」

 そんな彼女に、傍に仕えていた執事服の女性が進言する。ボーイッシュなショートカットの髪にキリッとした表情と佇まい。彼女は中身のなくなったティーカップに優雅な仕草で手早くおかわりを注いだ。

「やーですわ。わたくしは魔王……世界を滅ぼすのは宿命でしてよ。寸止めなどしたらいい笑い者にされてしまいますわ。わたくし、馬鹿にされるの超キライですの」

 白い少女はぷくっと頬を膨らませてテーブルにしなだれかかり、足をバタバタさせる。そんな仕草は見た目の年齢よりもずっと幼く映った。

「はぁ~ん、最初に食べた故郷の世界みたいな衝撃が欲しいですわぁ~!」

 今にして思えば最初の世界も大した味ではなかったが、それでも初体験の感動は凄まじいものだった。世界は無限に存在する。どこかにあの時の衝撃を上回るほどの美味があってもいいはずだ。

 と――

「い、いたぞ! 魔王だ!」

「討ち取れ! 奴を倒せば戦いは終わる!!」

「そこを動くな魔王!!」

 崩れた城門の方角から怒声が聞こえた。十人前後の帝国兵が鎧をガシャガシャと鳴らして突入してきたのだ。

「あらあらまあまあ、見つかってしまいましたの」

 白い少女は緊張感皆無でしなだれていた上体を起こすと、つまらなそうにヒラヒラと手を振った。

「わたくしが相手する必要はないですわね。ヴァイス、あなたにお任せしますわ」

「御意に」

 ヴァイスと呼ばれた執事服の女性は恭しく一礼すると、槍を持った白蟻の兵士を引き連れて帝国兵の前に立ちはだかった。

「構うな! 魔王の首が優先だ!」

「ですが兵士長! 奴は〈蟻天将〉の一人です!」

「だったら殺せ! 蟻どもは一匹残らず駆除してくれる!」

 怯まずに突撃を続ける帝国兵。ヴァイスも手振りで白蟻兵に突撃を指示し、人間と白蟻の乱戦が勃発した。

 帝国兵が剣で白蟻兵を斬りつける。が、白蟻兵の体には傷一つつかず、逆に剣の方が玩具のように折れてしまった。後方部隊の帝国兵が銃撃するも、白蟻兵の生身という名の装甲を貫くには至らない。そのまま一方的に人間たちは白蟻の餌食になっていく。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 兵士長と呼ばれていた大男が槍を刺突に構えてヴァイスに突進してくる。ヴァイスは闘牛士のようにヒラリとかわし、魔力を込めた掌底で兵士長の横面を殴打した。

 パァン! と風船のように血と肉塊を撒き散らしながら爆ぜ飛ぶ兵士長。

「姫には指一本たりとも触れさせはしません」

 血の雨が降り注ぐ中で帝国兵を睨むヴァイス。瞬殺された兵士長を見た部下の帝国兵たちに動揺が走った。悲鳴を上げて逃げ出そうとする者もいたが、その前に群がった白蟻兵によって食い殺されてしまう。

 十人ほどいた帝国兵が残り三人となった時、天から獣のような咆哮が響いた。

 次の瞬間、帝城を埋め尽くしていた白蟻たちが激しく炎上した。

「なんですの?」

 見上げると、一匹の飛竜が帝城上空を旋回しながら炎の吐息ブレスで白蟻たちを焼き払っていた。

 その飛竜の背には四人の人間が乗っている。そのうち手綱を握っている少女以外が一斉に飛び降りた。普通の人間なら即死するだろう高度だったが、三人は軽やかに着地をきめた。

 三人の背後にゆっくり降下した飛竜が並ぶ。

「なんてこった。俺たちが神器取得の試練を受けている間に帝都が陥落寸前じゃねえか」

 身の丈ほどもある大剣を背中に担いだ青年が周囲を見回しながら言う。彼の両隣に立つ杖を持った少女と双剣を握った軽薄そうな男も被害状況に顔を顰めた。

「帝国の兵士もほとんどやられてしまったみたいね」

「なのに白蟻の数が全然減ってないのがねぇ。あはは、帝国兵の練度の低さが露見したかな?」

「無駄話しない! 今はそこにいる魔王の討伐が最優先事項!」

 飛竜の上で槍を構える少女から叱責が飛ぶ。四人は状況確認をやめ、真っ直ぐに優雅にティーカップで紅茶を啜る白い少女を睨んだ。

「四英雄だ! 四英雄が神器を持って帰ってきたんだ!」

「剣聖リュファス、大魔道アルメル、戦神スティード、竜騎士カーラ……た、助かった! 」

「やった! 俺たちは勝つぞ! ざまあみろ魔王!」

 生き残っていた帝国兵たちが歓声を上げる。その歓喜の表情からはもはや自分たちが敗北することなど考えていないことが窺えた。

「よく持ち堪えてくれた! あとは任せてくれ!」

 青年――剣聖リュファスが帝国兵たちに叫び、背中の大剣を抜いた。

「行くぞ! アルメル! スティード! カーラ! 俺に続け!」

 そのまま勢いよく空気を薙いだ大剣から放たれた衝撃派が、普通の剣や銃弾で傷つけることすらできなかった白蟻兵たちを真っ二つに両断する。

「――聖なる雷よ!」

 杖を持った少女――大魔道アルメルが呪文を唱え、青白い雷撃が奔り数多の白蟻兵を貫く。

「うっひゃあっ! 流石神器だねぇ! あのかったい蟻が紙みたいに斬れてくよ!」

 その隙間を双剣の青年――戦神スティードが軽やかな身のこなしで縫うように走り抜け、擦れ違い様に次々と白蟻兵を斬り倒していく。

「ベツィー、焼却処分!」

 槍の少女――竜騎士カーラがベツィーと呼んだ飛竜に命令し、放射されたドラゴンブレスが無数の白蟻兵を焼き尽くしながらその先――ヴァイスにも迫る。

「まずは幹部一人!」

 全てを灰燼と帰す圧倒的な業火が魔王軍幹部〈蟻天将〉の一人を呑み込み、骨も残らず焼滅させる――ことはなかった。

 竜の業火はヴァイスが軽く手で払い除けただけで掻き消された。

「馬鹿な!?」

 竜騎士カーラが驚愕の声を上げている間に、ヴァイスは彼女とベツィーの眼前へと迫り――

「姫の傍で火遊びをしないでください」

 刺々しい昆虫の足のように変化した腕が、硬質な鱗で覆われていた飛竜の首をなんの抵抗もなく斬り落とした。

「いやぁあああああああああああベツィーーーーーーーーーーーッ!?」

 崩れ落ちた飛竜から振り落とされたカーラが悲壮な表情で絶叫する。ヴァイスはそれを無表情で見下し、彼女の首も刎ねるために腕を振り上げる。

 と、そこに雷撃が迸った。ヴァイスは咄嗟にバックステップでかわすが、雷撃は追尾して襲ってくる。仕方なく昆虫化した腕は弾くと、目の前でスティードが双剣を振るっていた。

 クロスを描くように同時に閃く双剣。だがヴァイスは表情一つ変えず後ろに大きく飛んで回避した。

 だが――

「はぁあああああああああああああああああっ!!」

 気合い一閃。

 剣聖リュファスの大上段からの一撃が、ヴァイスの昆虫化した右腕を切断した。

「なるほど」

 納得したように呟くと、ヴァイスはさらに四英雄から距離を取った。

「姫、どうやら彼らの武器には『守護者』の加護が宿っているようです」

 腕を斬り落とされたというのに、ヴァイスの表情や態度から余裕は全く消えていない。隻腕となっても時が経てば修復するが、この戦闘中には無理だろう。

 それでもなんの問題もないのだが――

「お下がりなさい、ヴァイス」

 白い少女は椅子から立ち上がると、白い日傘を差してくるくる回しながらヴァイスの下へと歩み寄った。

「お言葉ですが、姫。彼らは姫が直接手を下すほどの相手ではありません」

「ええ、わかっていますわ。ですが『守護者』亡き今、その力を受け継いだ彼らこそがこの世界の最高戦力ですのよ? わたくし自ら相手することが礼儀ではなくて?」

 白い少女は戦場の中心とは思えない優美な足取りで歩く。少し不満そうなヴァイスの横を通り過ぎ、四英雄の前で立ち止まった。

「それに、たまにはわたくしも運動しないと太ってしまいますわ。その辺の兵隊さん程度じゃ椅子から立つ必要すらありませんでしたが……」

 にっこりと可憐な笑顔を四人に向ける。


「あなたたちは、軽い運動くらいにはなりますわよね?」


「「「「――ッ!?」」」」

 その笑顔が、その柔らかな口調が、四英雄たちには逆にゾッとするほどの悍ましさに感じたのだろう。唇や手が震え、表情も恐怖に青ざめている。

「うひゃー、超美人。世界の半分くれるって言われたら裏切っちゃうかも」

「スティード!!」

「冗談だよ。そんな怒鳴んなって」

 スティードが軽薄な冗句で恐怖の束縛から解放しなければ、もうしばらく四人とも動けなかっただろう。

 リュファスが数歩前に出る。

「リュファス!?」

 アルメルが悲鳴を上げるが、リュファスは振り向かず手で彼女を制した。

「まず俺が行く。三人は援護を頼む」

 そう言って彼は大剣を構え――

「剣聖リュファス――参る!」

 爆発的に地面を蹴って一直線に白い少女へと切迫した。

「わたくしは『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランですわ」

 ドレスのスカートをちょこっと摘んで一礼する白い少女。そんな可憐で優雅な姿には騙されず、剣聖リュファスは大剣を大上段に振り上げる。

「この一撃で、葬ってくれる!」

 振り上げた大剣が強い輝きを放つ。薄ら怖い微笑みを浮かべたまま避けようともしない白い少女――魔王フォルミーカに情け容赦なく振り下ろす。

 刹那――とてつもない量の光が爆発した。

 神器による剣撃は大地を裂き、燃え尽きた帝城を両断して、後ろに聳える標高ある山岳を跡形もなく消し飛ばした。

「やった! リュファス、やったよ!」

「すげえ、なんつう威力だ。あはは、援護の必要ないじゃないか」

「これが神器……魔王を一撃で……」

 魔王を取り囲むべく移動していた英雄三人が嬉しそうに破顔した。

 だが。

 しかし。

「……嘘、だろ」

 当のリュファスは、大剣を振り下ろした格好のまま顔を青くしていた。

 巻き上がっていた土煙が晴れていく。

 まず、リュファスの大剣の刃を軽く掴む白く細い片手が見えた。続いて汚れてすらいないドレスの裾が、白い足が、爆風に靡くホワイトブロンドが、ガーネットの瞳を宿した美しい顔が露わになっていく。

「ねえ」

 可憐な桜色の唇が開く。


「わたくしを葬る一撃というものは、まだですの?」


 その瞬間。

 剣聖リュファスは悟った。

 ――勝てない、と。


「……残念ですわ」

 バキリ!

 小枝のように細い指で受け止められていた大剣に罅が入った。罅はあっという間に全体に広がり、『守護者』の加護を受けた神器は乾き切った泥団子のようにボロボロと崩れ去った。

「もう少し、いい運動になると思っていましたのに」

 絶望の表情で悲鳴を口にできないリュファスに、フォルミーカは掌を向けた。


 ボン! と。


 一瞬だった。

 リュファスの立っていた場所から遥か彼方の地平線が見えるまで、とんでもなく巨大な爪で抉り取ったようになにもかもが消滅したのは。

「……え? リュファス? 嘘でしょ? うわぁああああああああああああああっ!?」

 アルメルが泣き崩れて膝をつく。

「これは、あはは、冗談きついねぇ」

 スティードも両手の双剣を落とした。

「リュファスと、ベツィーの仇!」

 カーラだけが槍を構えてフォルミーカに突撃する。既になにも考えられない、闇雲で我武者羅な突進だった。

「大袈裟ですわねー。くすくす、わたくしはただ魔力砲を撃っただけですのに」

 フォルミーカはおかしそうに笑いながら、くだらなそうに言う。


「次は、三人まとめてかかって来ることをオススメしますわ」


        ***


 数時間後。

 人工物という人工物が根こそぎなくなった帝都を見下ろす遥か上空に、一隻の巨大な船が浮遊していた。『白蟻の魔王』フォルミーカ・ブランの居城にして、数多の次元を渡り飛ぶ次空艦〈グランドアント〉である。

 その頂に掲げられるは、風を受けて激しくはためく二本の旗。

 一つは、赤地に三日月状に欠けた黒い太陽をシンボルとする『連合旗』。

 一つは、黒地に白抜きで剣を交える二匹の蟻が描かれた『軍旗』。

 絶対的な存在感を示す次空艦内の私室で、白い少女――フォルミーカは優雅にディナータイムを過ごしていた。

 壁も床も天井も調度品も全てが染み一つない真っ白な部屋で、一口サイズに切り分けた槍の神器の柄をフォークで刺して口に運ぶ。『守護者』の加護を宿した神器なだけあって、同世界のその辺にあるような人工物なんかより格段に美味だった。例えるなら、霜降りの肉とそうではない肉くらい違う。

 一番美味しそうだった大剣の神器を持ち主と一緒に消し飛ばしたのは少々勿体無い気もしたが、美味だと言っても感動するほどのものではない。『守護者』の加護を宿した特殊な人工物も正直食べ飽きている。

「姫。お食事中、失礼します」

 コンコンとドアがノックされ、執事服の女性――ヴァイスが部屋に入ってきた。彼女の斬り落とされた腕は既に再生しており、執事服も新調して元通りの姿となっている。 

「あら、ヴァイス。なにかありましたの?」

「『呪怨の魔王』グロル・ハーメルン様より通信をいただいております」

「うげっ」

 嫌な名前を聞いてついつい品のない声を漏らしてしまうフォルミーカ。だがすぐに咳払いして体裁を取り繕い、彼に頼んでいた案件を思い出す。

「あの道化師の方からわたくしに連絡を寄越すなんて、やっと『見つかった』ということですわよね?」

「お繋ぎします」

 言うと、ヴァイスは黒紫色の宝石が埋め込まれた掌サイズの装飾品をテーブルにそっと置いた。

 すると宝石から光が放たれ、そこにシルクハットを目深に被った男の顔が投影される。

『ヒャホホホ! ご機嫌麗しゅう、シロアリの姫。その美貌を此度も拝められるとは私はなんと幸せ者か!』

「当然ですわ。世の者は美しいわたくしを見られるだけでも至高だという自覚を持つべきですの。ただあなたの誉め言葉ほど信頼できないものはありませんわね」

『これは手厳しい』

 可笑しそうに汚い声で笑う通信相手にフォルミーカは嫌そうに顔を顰めた。

「手短に用件を仰りなさいな。『彼女』が見つかったのでしょう?」

『ヒャホホ、ああ、その通りだ。一つの世界に留まらない「次元渡り」を探すのは大変だったぞ。ようやくある世界に長期滞在しているのを掴んだのはついさっきだ』

「ご苦労様ですわ。それで、『彼女』はどこに?」

『ああ……』

 急かすように問うフォルミーカに、通信相手の魔王は珍しく言い淀んだ。

『教えはするが、行くことはあまり推奨できんな』

「いいから早く教えなさいな!」

 苛立ちを隠さず怒鳴る。シルクハットの男はわざとらしくおどけて情報を口にした。


『次元座標U2565345346.123234.2563442.43C-32。通称「ガイア」または「地球」と呼ばれる世界だ。ヒャホホ、そこに姫様が捜してるいる異世界童話作家――〝魔王生み〟「降誕の魔女」がいる』


 聞いた途端、フォルミーカの唇がニヤリと綻んだ。

『詳しい座標は後ほど送ろう。だが、やはり行くことはよく考えた方がいい』

「なぜですの?」

 フォルミーカは小首を傾げた。『呪怨の魔王』……フォルミーカも加盟している魔王連合の中でも古くからかなり高位に居座る強力な魔王が、さっきからまるでなにかを恐れているような態度である。

『彼の世界はどうも特異点になっていてな。「黒き劫火」の縄張りでもある。迂闊に攻め込めば冥竜王や柩のガキみたく――』

「どぉーでもいいですわ!」

 聞いて損した。実にくだらない心配だった。

「降りた〝魔帝〟の血族ごときを恐れるわたくしではありませんわ! あなたもその程度だったのですわね。正直がっかりしましたわ!」

 フォルミーカは心の底から軽蔑の言葉をぶつける。

「報酬は約束通り、わたくしの縄張りを一部譲渡いたしますわ。ですが金輪際、わたくしに関わらないでくださいな!」

 そう言い放ってその場で指を弾く。するとテーブルの上の通信具だけが不自然に吹っ飛び、壁にぶつかって粉々に砕け散った。

「次に攻める世界が決まりましたわ。ヴァイス、すぐに次元転移の準備を始めなさい。それと他の〈蟻天将〉も全員召集しておくこと」

「御意に」

 少々苛立ち気味の主に恭しく頭を下げ、ヴァイスは静かに部屋を出て行った。

 フォルミーカは窓から外の景色を見下ろしつつ、ようやく居場所を掴んだ『魔女』との再会を想像し微笑む。

「わたくしを魔王にしたことについては感謝しますが、あのような醜い姿にさせられたのは堪え難い苦痛でしたわ」

 フォルミーカは人間から魔王になった際、一匹の白蟻だった。元の美しい姿を取り戻すまでの苦労を思うと感謝より殺意が沸いてくる。

 

「見つけ次第、ぶち殺して差し上げますわ!」


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