まだ始まりに過ぎない 【part山】
「やー、こりゃまた見事にぶっ壊しましたなあ! ははははは!」
すっかり顔馴染となってしまった、妙に脳内に響き渡る笑い声の色黒の大男。明らかに身長二メートルは超えているくせに巨木のようなガッチリムッキリとした体つきに暑苦しさを感じながら、貴文は乾いた声で相槌を打つ。
「ああ、またなんだ」
「今度は誰が何やらかしたんで?」
「バイオハザードとサイバーテロが同時発生した」
ちなみにテロリスト二人は未だに目を覚まさないので、治療室で処置を施した後いつから掃除していないのか分からない館の一番奥のトイレに縛って放置してきた。当然の報いである。
「なるほど合点がいった! ははははは!」
男は腹の底から笑いながら背負っていた巨大な木箱をドスンと地面に置いた。その衝撃だけで冗談抜きでひょいっと足が地面を離れ、周囲の木々と半壊した屋敷が揺れた。というか柱が一本また折れた。
「大工がこれ以上壊すな!」
「ははははは! ここまで壊したら柱の一本や二本変わりませんぜ!」
ゴソゴソと木箱の蓋をあけ、中からヌウッと金属の塊のようなものを取り出す。
その異質さに貴文は息を呑む。
黒く重厚な鉛の塊を溶かし固めて作ったような巨大な金槌。
冗談抜きで数トンはあるだろう代物を、男はヒョイと小枝でも扱うように右手だけで持ち上げ、肩に担いだ。
「んじゃ大将、危ねぇんで離れててくだせぇ! ははははは!」
「誰が近付くか、阿呆」
「ははははは!」
貴文の悪態に気にするでもなく、砕け散った館の壁の一部に近付く。そしておもむろに懐に手を突っ込んだかと思うと、一枚の古びた紙切れを取り出した。
複雑奇怪な紋様が書かれた紙切れを壊れた壁に貼り付けると、男はブツブツと何やら唱える。
「……うっし、んじゃあいっちょ派手に行きますぜ! ははははは!」
豪快に笑うと、大男は担いでいた金槌を上半身を大きく捻って中段に構え、
「ふんっ!!」
遠心力を最大に働かせて金槌を壁に叩き付ける。
地面に置くだけで大地が揺れ動くような物を叩きつけて無事で済むはずがない。
本来ならば。
スコーン
しかし壁に思いっきり叩き付けられた金槌からは、なんだか膝の力が抜けるような間の抜けた軽い音が発せられただけだった。
そこからは劇的だった。
まるで逆再生映像を見ているかのように崩壊した壁や柱、窓、家具などがあるべき姿に戻っていく。
実に滑らかな動きで元の姿に戻っていく館を、そりゃ昔は「なにこれすげぇ!」と感動したものだが、貴文は既にこんな光景は見慣れてしまった。
それよか、これからどうしようかという悩みで頭が一杯である。
「うっし、完了! ははははは!」
のしのしという擬音がぴったり合う歩調で大男が戻ってくる。後ろの館はすっかり元の姿を取り戻した。
「いつもいつもありがとさん」
「いいってことよ大将! ははははは!」
豪快に笑いながら、大男は金槌を木箱に戻した。その時の衝撃でまた地面が揺れたが、館の方は微動だにしなかった。流石だ。
「ほい、じゃあいつもの呪符使ったんで、五百五十万こっきり! よろしく大将!」
「…………」
悩みの種とはこれである。
いや、まあ、この大きさの館が半壊して、修理費が五百万ちょっとで済むのだからかなりお得なはずなのだが……決して安くはないのも事実だ。いい大人が首を吊る金額だ。
「……いつもの口座に振り込んどく」
「毎度! 一週間以内にお願いしやすぜ! ははははは!」
豪快に笑い、大男が木箱を担ぐ。
「そんじゃあ俺っちはこれで! これからも建築会社瀧宮組をご贔屓に! ははははは!」
頭に響く笑い声を残し、大男の去りゆく後ろ姿を睨み付けながら「できれば金輪際関わりたくねえよ!」と心の中で悪態を吐いた。
「はあ……朝っぱらから疲れた……」
この疲労は喧嘩の仲裁(控えめな表現)と壊れた館の改修と出費よりも、あの男のキャラクターと笑い声によるところの方が大きい気がする。何だあの笑い声、耳鳴りがヤベえ。
「あーもう……二度寝するか……」
幸い今日は特にこれといった用事もな
ちゅどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「…………」
三階の窓が吹っ飛んで目の前に落ちてきた。
「あ~、フミフミ君だ~。おはよ~」
「……ミス・フランチェスカ。おはようございます」
窓と窓枠が消え去った元窓の穴から、もうもうとピンクと紫の毒々しい煙が溢れだす。そして煙の隙間から、ネグリジェ姿の年齢不詳の美女が上半身を乗り出してきた。肉付きの良い体とスケスケな色っぽい衣装に、いつもなら眼福眼福~、とか目の保養~、とか考えるところだが、何かもう、どうでもよくなった。
「また実験に失敗しちゃった~。お部屋のお片付け、手伝ってくれるとお姉さん嬉しいな~」
「……ガスマスク取ってくるから少し待っててください」
「うんうん待ってる~。よろしく~」
「…………」
地面に膝をつきたくなったが、これくらいで折れてはならぬと何とか身を奮い立たせる。
「ガスマスクの準備と……あと、周辺の部屋の連中の避難からだな」
管理人・伊藤貴文の一日は始まったばかりである。