ペインター・アルバイター【part紫】
日の傾いた異世界邸の廊下を、少女が軽やかにスキップして進んでいた。
頭のてっぺんより少し横のところで1つに括った鮮やかな紅色の髪が、スキップの度にぶんぶんと揺れる。小さな鼻歌を漏らす少女は、猫のように吊り上がった髪と同色の瞳をふと天井に向けた。途端、良く日焼けした顔にぱっと幼い笑みを浮かべる。
「むむっ! 管理人さんのご先祖様ってば、イイ物残してるじゃないの〜」
そう呟いて、少女は手を天井に差し伸べた。フリル袖に覆われた手を、くいと招き猫のように動かす。
メリッ! バキバキバキッ!
不吉な音と共に、天井から木材が降ってきた。器用にキャッチした少女は、にっと笑ってその場で宙返りする。首のチョーカーに付いた石がきらりと輝いた。
「素敵な画材げ〜っと! このちょーしでしばらくアパートを探検しちゃおーっと——」
「させるか馬鹿野郎!?」
「にゃあ!?」
いきなり髪を引っ張られて、少女が些か奇妙な悲鳴を上げた。
「いたたたたた、いたいイタイ痛い!? 管理人さんってば、らんぼー!!」
「当たり前のように天井破壊しておいてなにが「らんぼー!!」だ!? 駄犬が大人しくなったと思ったら今度は駄猫か!」
目を吊り上げた貴文が怒鳴りつけると、髪の毛を持って吊り上げられた少女は涙目で貴文をきっと睨む。
「壊してないし! 猫じゃないし! よく見てよ天井、なおしたのにー!」
フーッ! とどこから出しているのか謎な音を出しながら、少女が天井を指差す。つられて貴文が見上げれば、確かに天井は元通りだった。
「あぁ?」
目を眇めて少女の手に収まる木材を確認すると、何やら木材がもぞもぞと動いていた。
…………もぞもぞ?
「なんっじゃこりゃあああ!?」
「フニャッ!? べべべ別に驚く事じゃないし! 画材が動くとかよくある事だし!」
「あるか!? お前何しやがった!?」
「ナニモシテナイし!」
「ダウト!」
ぎゃあぎゃあと言い合う貴文と少女のやり取りに終止符を打ったのは、明るい声だった。
「あっれー♪ 夕方なのに元気だね、管理人☆ いっつもこの時間帯には疲れ果ててるのに♡」
いつも通りの改造白衣を着てミミを従えたセシルの声に、貴文は振り返ってぎっと睨む。
「住人達のお陰でな。昨日駄ルキリーと大暴れしたお前含む!」
「あはっ♪ やっだなー管理人☆ ……あんの胸糞悪い脳筋の事思い出させないでくれないかなあ……?」
「……相性悪かった事に寧ろ驚きだ、俺は……問題児仲間のくせに」
笑顔のままドス黒い何かを漂わせるセシルに、貴文はやや呆れ気味にそう呟いた。何となく気が削がれて、少女を解放する。
「ぎにゃっ!?」
そこで何故か潰れたような声を出した少女に視線が集まる。少女は青醒めた顔で管理人……否、管理人の背後にいるセシルを凝視していた。
「……何だ魔術師、この新入りメイドと知り合い?」
ミミとお揃いの神久夜特製ミニスカメイド服を纏った少女とセシルを交互に眺めつつ貴文が訊くと、少女がびょっとその場で飛び上がった。
「いやいやいやいや、まさかまさか! ウチの知り合いがここにいる筈なんてないないし!!」
「あはっ♪ ひっさしぶりだねーミヤちゃん☆ セシルちゃん久々に会えて嬉しいぞ♡」
「うにゃー! 覚えてる!?」
ばっちり名前を言い当てられた少女——蘭水矢の悲鳴に、セシルが声を上げて笑う。
「うんうん♪ 相変わらず良い反応☆ ねぇねぇミヤちゃん、折角だからまた協力しーてねー♡」
「いーやあああ! 能力絞りかすにされるぅ!?」
「……取り敢えず、落ち着け」
どうやってるのか結い上げた髪をぴんっと縦に持ち上げた水矢の額をびしっと指弾する貴文。
「にゃうっ! ……うー……やめたい……」
デコピンで我に返った水矢がテンションをダダ下げるのをみて、セシルが苦笑した。
「うーん……仕方ないな♪ とりあえず研究のお手伝いお願いは撤回するよん☆」
「にゃぁああ……」
思いっきり安堵の吐息を吐き出す水矢に聞こえないよう、「今はね♪」と呟いたセシルの声をばっちり聞き取った管理人がセシルを睨む。
「おい魔術師、貴重な貴重な働き手を追い出しかねねえ真似するなら賃金上げるぞコラ」
「うー……それ言われると弱いよう……分かったよう……」
途端塩をかけられたナメクジの如くずるずるとテンションを下げたセシルにふんっと鼻を鳴らすと、貴文はちらっと水矢を眺める。
「つーか、水矢。俺はお前に、ここ一画の「掃除」を頼んだよな?」
「ぎくっ」
「……なぁに堂々とサボってやがんだコラァ!」
「だってだってー! センセーに言われてアルバイターになったけど、ウチキライだもん家事全般! のんびり画材の回収してるのが好きなんだー!」
「働け!! つーか画材の回収って言いながらアパート壊すんじゃねえ!?」
「あー管理人、それは大丈夫☆大丈夫! それミヤちゃんの能力だよん♡」
「……は?」
ぎゃあぎゃあと喚き合う2人に頓着せずそう言ったセシルに、貴文は目を見張った。
「ほいっ」
軽い掛け声と共に、水矢が手に持っていたもぞもぞと動く「画材」を宙に放り投げる。自由落下する筈の「画材」は微妙に揺れながらも、水矢の頭上に留まる。
「これを、こーして」
水矢が「画材」に翳した手をぐっと握ると、「画材」はぐにぐにとスライムのように伸びていった。生き物のようにぐねぐねとうごめいていた「画材」を、水矢が楽しそうな表情で見つめている。
「うー…………」
水矢が目を閉じて、精神集中する。そのまま5秒、10秒。そして——
「みゃあ!」
パァン!
弾んだ声と共に水矢が握っていた手を開き、大きく振った。それに呼応するように、「画材」が弾ける。
すると。
「おお、こいつぁすげえ」
「おー♪ 相変わらずミヤちゃんのお絵描きスッテキー☆」
「……」
黙って事の始終を眺めていた貴文、セシル、ミミが歓声を上げた。いやミミは無言だが、僅かに感嘆の気配が滲んでいる。
弾けた画材は、色鮮やかな油絵の風景画に姿を変えていた。天井と同色の木茶を基調としてはいるが、濃淡だけでなく黄色、赤色、橙色などで彩られ明るさを添えている。
溌剌とした明るさが前面に出た、見事なアートだ。
「ありがとー。ウチはこーやって画材見つけてはお絵描きするのが大好きなんだなー」
「つまり、その辺にあるものを「画材」として毟り取ってはその「画材」に含まれる色でペイントするって事か?」
水矢がにっこりと笑うと、貴文が首を傾げて問う。それを受けて、水矢がぷうと頬を膨らました。
「人聞き悪いよ管理人ー。むしりとってないし、天井は壊してないしー」
「ミヤちゃんの異能は『自然物から色素を抽出し、イメージ通りの絵にする』だもんね♪ 抽出した自然物はチョーカーに組まれた魔法陣が直してるのかな☆」
セシルが生き生きと解説すると、水矢が顔を引き攣らせてずざっと後ずさる。
「みみみ見せないし! 貸さないし! これもらい物だし!」
「え、そうなんだ♪ 作成者紹介して欲しいナ☆」
「にゃー! にゃー!」
「そのくらいにしとけセシル、落ち着いて人間語取り戻せ水矢。壊さずにペイントするのはかまわねえから、仕事はしろ仕事は。それから……」
セシルと水矢のやりとりを遮った貴文は、水矢への言い聞かせを敢えて区切り、ゆっくりと視線を水矢の作品に向けた。
「この、絵だが。でかでかと壁に描いてくれたが、勿論落とせるんだよな?」
「…………にゃは☆」
「誤魔化してんじゃねーぞコラ!? 廊下の壁をなんて事にしてくれやがる!?」
「だいじょーぶだ管理人、「あたしの部屋の扉以外なら好きにしろ」って栞那は廊下の壁の自由権譲ってくれた!」
「つまり居住区の廊下は既に浸食済みってか!? 巫山戯んなコラ!!」
「にゃー! 管理人が怒ったー!」
「あっはは♪ ミヤちゃんも管理人もたーのしそ☆」
常通りいつも通り貴文の怒声が響き渡る異世界邸は、赤く染まった夕焼けが闇に覆われ始めていた。