女子会は姦しく【part紫】
「こういう時ばっか支度が早いってーのがムカツクんですよねえ」
「まあそう拗ねるな娘よ、今朝の仕事は免除してやるんだから」
「そもそも、そーやってちゃんと起きられるんだったら、自分が毎朝仕事に呼びに行く必要も、更にそこから手伝う必要もねーんですがね!」
「そこはほら、健気な娘(笑)のお手伝いってことだろ」
「笑いながら抜かすんじゃねーですよ!」
噛み付いてくる娘を片手であしらい、栞那は促した。
「ほら、こののが待ってんぞ。たまにはゆっくり学校での朝を過ごしてこい」
「言われるまでもねーんですよ」
ぷいっと可愛げなく歩き出した悠希の背中に、栞那はいつもと同じ口調で尋ねる。
「伝言あるなら預かるぜ」
悠希の肩がぴくっと揺れた。その場に佇んだまま、悠希はおどろおどろしいオーラを漂わせる。
「——2度とくんな変態、こののに近寄るな腹黒、進路先ばっか口出してくんな馬鹿、気持ち悪いから——」
考える間も置かず紡ぎ出される罵詈雑言をハイハイと聞き流していた栞那は、しばらくして言い淀んだ悠希に切っていた集中を復帰させた。
悠希ー、と遠くからこののが呼ぶ声が聞こえてくる。その声に応じて歩き出した足音に掻き消されそうな声を、栞那はしっかりと聞き取った。
「……ケーキと紅茶、ご馳走様でした」
栞那が何か言う隙を与えず、悠希は一目散に駆けだした。苦笑して見送った栞那は、身を翻し軽やかに階段を上る。
医務室に戻って珈琲を淹れた栞那は、途中いつもの馬鹿コンビが負傷して担ぎ込まれたのに妥当な処置を施しはしたものの、おおむねカルテ整理に時間を費やした。
流石の栞那も、経験豊富とは言え中学生に丸投げする気はまるでない。代理で頼む人間がいるのはいるが、いかんせん今までの患者情報に疎い。よって、最低限状況を把握出来るよう、自分が読めれば良いだけだった走り書きカルテを整理していた。
「……中西病院時代を思い出す」
夫に文字通りこき使われていた時代の山のような事務仕事を懐かしく思いながら遠い目をするも、栞那の作業の手は早い。慣れのなす早業が誰にも見られる事なく終わる——かに思えた、その時。
「あ♪ カンナちゃんが珍しくカルテ書いてるー☆」
「ほんとだ〜。お休み貰ったって言ってたのに、カンナちゃんらしいね〜」
ノックもなく失礼な事を言う乱入者に、栞那は目もくれず、手を動かしたまま素っ気なく言った。
「あっちで珈琲でも淹れて待ってろ、あと10分で終わる」
「は〜い」
「んもう、相変わらず素っ気ないなーカンナちゃんは♪ あ、フランちゃん、ミミちゃんが淹れてくれるから大丈夫☆大丈夫!」
わいわいと騒ぎながら奥の給湯室に向かったフランチェスカとセシル、そして見覚えのないゴスロリ服のメイドを横目で見やり、栞那は作業の手を少しだけ早めた。
「……おい、誰だ紅茶淹れた奴。珈琲つったろうが」
ようやくカルテ記載を終えた栞那が奥に行くと、琥珀色の液体が揺れるカップが湯気を上げていた。眉を顰めて苦情を言うと、セシルが振り返る。
「だって美味しそうなクッキーだったんだもん♪ クッキーにはやっぱ珈琲じゃなくて紅茶っしょ☆」
「その発言は珈琲への侮辱だな、クッキーと珈琲は合う。そうじゃなくて、その高級茶葉を勝手に使うな」
「あ♪ それは問題無し☆ ミミちゃんが出してくれたんだよん♡」
そう言われてセシルが後ろに控えるミニスカメイド服の女性を指した。女性は無言で頭を下げるだけで何も言わない。
「……メイド? ああ、管理人が増やしたってやつか?」
「そうだよん♪ でもミミちゃんは私専属なのだ☆」
びしっと親指を立てて断言するセシルに、栞那は肩をすくめた。
「どーみても管理人が欲しがりそうな人材なのにな、勿体ない。というか、使用人集まるなら医師も増やせないのか」
「それは〜、カンナちゃんが優秀だからじゃないのかな〜?」
にこりと笑ったフランチェスカの差し出すカップを受けとり、栞那は椅子に腰を下ろして言い返す。
「それは事実だが、悠希よかマシに動ける奴の1人や2人くらいなら引っ張ってこれんだろ。なんでここでまで使えない新人教育押しつけられるんだ」
「あは♪ 何だかんだ面倒見が良いもんね☆」
「カンナちゃん程優秀なお医者さんと〜、一緒に働きたくないんじゃないのかな〜?」
他人事感満載で笑う2人に、栞那は溜息で答えた。気分を切り替えて、フランチェスカを見やる。
「それはそうと、フラン。あたしがいない間は頼むぞ。カルテ整理しておいたから、診断と指示を任せる。基本的な技能は悠希に叩き込んであるから、存分に使ってくれて構わない」
フランチェスカが困ったような苦笑を浮かべ、首を傾げた。
「私の医師免許は研究の為にとったから〜、ほとんど役に立たないと思うけどな〜」
「知ってる。管理人とこっちとで代理探してるから、見つかるまで頼む」
栞那が軽く頭を下げると、フランチェスカはにっこりと笑って頷く。
「カンナちゃんに言われたら断れないよ〜。任せてとも言い切れないけど〜、頑張る〜」
「助かる」
滅多に見せない笑みを浮かべて、栞那は礼を言った。
「それにしても、カンナちゃん♪」
「なんだ?」
呼びかけに応じた栞那ににかっと笑い、セシルは楽しげに尋ねた。
「やっぱり、久々のお休みは旦那様に会いに行くのかな☆かな?」
「当然だろ」
「わ〜、迷い無いね〜カンナちゃん」
「即・答♪ 愛してるねえカンナちゃん☆」
手を叩きながら笑うセシルを呆れ顔で眺める栞那からは、照れが一切見えない。どころか「何言ってんだこいつら」の視線で2人を眺め、さらりと言い切った。
「当たり前だ。この世であいつを一番愛してるのは、あたしだからな」
束の間、部屋に沈黙が落ちる。栞那は意に介さずクッキーをつまみ、紅茶の香りを楽しんだ。
やがて、セシルが盛大に吹き出す。
「あははははっ、さっすがカンナちゃん格好いい♪ このセシルちゃんから言葉を奪えるのなんて、管理人とカンナちゃんくらいだよ☆」
「管理人には弱いのは、金か」
「セシルちゃんはすっごくお金稼ぐけど〜、ものすっごくお金使っちゃうもん〜。フミフミ君が家賃釣り上げ要求したら弱いよね〜」
フランチェスカがふわふわの髪の毛を弄りながら笑うのを虚ろな目で見やって、セシルは溜息をついた。
「ホントにね〜……お金って貯まらないよね……稼いでも稼いでも集まらないのに守銭奴とか言われるし……」
「100%自業自得だな」
一刀両断され轟沈したセシルに栞那がけらけらと笑う。珍しく上機嫌な友人にしてやられたセシルに、フランチェスカが声をかけた。
「ところで〜、セシルちゃんは今朝リッ君とダンジョン見に行ったんでしょ〜?」
「へえ、珍しく管理人がセシルを駆り出したのか。それでどうだったんだ、魔術師殿?」
「……カンナちゃんの切り替えの早さに、セシルちゃん惚れ込みそう」
「悪いな、二股はしない主義だ」
さらりとセシルの詰りを交わし、栞那は腕を組んで顎をしゃくった。
「おら、きりきり話せ。それもコミで情報収集してくる」
「あはは……カンナちゃん、なんかその雰囲気覚えがあるよん♪」
苦笑気味に、それでも調子を取り戻したセシルが、突っ伏していた上体を起こす。セシルのささやかな反撃に顔を顰めていた栞那も、2人のやり取りをにこにこと眺めていたフランチェスカも、ほんの僅かだけ空気を真剣なものにして耳を傾ける。
セシルの説明の途中、ミミが1度紅茶を入れ直した。めいめいが自分のペースで紅茶を口に運びながらも、セシルの説明は途切れる事はなかった。
「……ってところかな♪ 質問受け付けまっす☆」
やがて話を締めくくったセシルを軽く睨み、栞那が口火を切る。
「その様子だと割と深い階層までありそうだが、なんでわざわざ通れるようにしやがった。管理人キレたろ」
「それはもー盛大に♪ でもでも、どうせこののちゃん辺りが力業でこじ開けそうじゃん☆ それよか安全に通れる方が良いかなって思ったのだ♡」
「リッ君も楽しそうだったしね〜。色々見られる方がよさそう〜」
セシルとフランチェスカのあっけらかんとした様子に、栞那が溜息をつく。
「あたしもその意見には賛成したいが、悠希がこののに巻き込まれそうなんだよな」
「あはは♪ 悠希ちゃん、あいっかわらずこののちゃんに振り回されてるみたいだね☆ 昨日の騒ぎもこののちゃんに引っ張られたらしいじゃん♡」
「こののちゃんが暴走すると〜、管理人の奥さんしか止められないもんね〜。奥さんも暴走しがちだし〜」
「……違いない」
もう1度溜息をついて、栞那は1つ首を振った。
「取り敢えず、今分かるのはそのくらいなんだな。で、魔術師セシルにもう1つ質問だ」
「お任せあれ♪ フランちゃんは聞き流してね☆」
「分かってるよ〜」
明確な線引きにも動じず、フランチェスカはここぞとばかりにクッキーを食べる手を進めた。それを横目に、栞那が短く尋ねる。
「魔術的要素と、魔術の所属世界は分かったか?」
魔法陣の入れ墨の入った右頬を歪ませて笑ったセシルが、やや冷たい声で答えた。
「魔術はセシルちゃんの元所属してたトコとは無関係だよん♪ あの組織は余所の世界との接触は大☆失敗してるから、所属世界は分からないのだ♡」
「……それもそうか」
肩をすくめて、栞那は首を鳴らす。
「こーなったら、気は進まんが実家帰るか……あの翔がダンジョン開拓直前に来てたってのも引っかかるしな」
「あ〜、そういえばかーくん、昨日こっそり来てたんだってね〜。久々に顔見たかった〜」
話が終わったのを敏感に察したフランチェスカの相槌に、セシルがきょとんと目を見張った。
「はえ? フランちゃんフランちゃん、カンナちゃんの旦那様と面識あったの? 意外♪ どんな人なのかな☆かな?」
話題にガンガン出てくるのでおおよその事情は知っていても会ってはいない為に顔を知らないセシルが、興味津々で身を乗り出す。栞那も意外だと瞬き……ふと何かに気付いて乾いた笑みを浮かべた。
そんな対照的な2人を交互に見やり、フランチェスカはにこっと笑う。
「かーくんはね〜、いつもニコニコしてるけど〜、いきなり建物吹っ飛ばして〜、殴りかかる管理人を「実験失敗しちゃったよ」って笑って躱すのがいっつもだったよ〜」
「……へ?」
「いや、あの時期は本人も若かったっつってたからな……」
ぱかりと口を開けてフリーズするセシルに、栞那が乾いた笑みのままフォローを入れる。
「たまに管理人に「鬼ごっこ」仕掛けてたもんね〜。あの時期は悠希ちゃんみたいにマウンテンバイクで自由に山を駆け下りるなんて、危なくて出来なかったな〜」
「……なんか、すまん」
気まずげに視線を彷徨わせる栞那の横で、セシルが復活して笑い出した。
「あっははは♪ カンナちゃんの旦那様ってば愉快だね☆ 是非とも会ってみたーいな♡」
「やめとけ。セシル程優秀な魔術師見たら、迷わず利用の方向に走るぜ」
軽い口調ながら本気の忠告を向けて、栞那は2杯目の紅茶を飲み干した。
「ミミだったか? 紅茶ごちそうさん」
「…………」
無言で頭を下げるゴスロリメイドを改めて眺め、ふと思い付いたように栞那がセシルに目を向ける。
「そうだ、たまにでいいからミミに悠希の様子を見て貰うのは可能か?」
セシルはにっこりと笑い、広げた掌を栞那に突き付けた。
「5億で考えたげる♪」
「……あのドケチ院長が、そんな大金をぽんと出せる程の給与払ってるわけないだろ」
速効で諦めた栞那が溜息をついた瞬間、激しい轟音が隣の部屋から聞こえてきた。
「……患者か」
「カンナちゃん頑張って〜」
「頼れるお医者サマは忙しいね♪」
完全に他人事な声援を背に栞那が診察室に顔を出すと、白銀のドレスアーマーを纏った少女が今まさに投げ込まれた姿勢で床に伸びていた。
「センセ、この駄ルキリーを包帯でぐるぐる巻きにしておんぼろトイレに監禁してくれっ!」
貴文がドアから鬼のような表情で怒鳴ると、駄ルキリーもといジークルーネが身軽に跳ね起きる。
「そんなっ!? 貴文様酷いです約束と違います、私と戦ってくれるって言ったじゃないですかあー!」
「だ か ら、殺し合いはしねーって言っただろうがぁああ!」
ぎゃあぎゃあと喚き合う2人にこめかみを押さえた栞那は、低い低い声を出した。
「ウチは怪我人病人以外は相手しねえといっただろ」
「だって貴文様が!」
「この駄ルキリーが!」
「やかましいっ! 診察室で騒ぐな!」
怒りも露わな一喝に、貴文とジークルーネが一瞬で口を閉じる。給湯室からそれを見たセシルが手を叩いて笑った。
「あははっ♪ カンナちゃんってばハ・ク・リョ・ク☆ さっすが中西病院で屈指の腕を持つと言われた外科医だね♡」
「かーくんが気に入ったのも納得だね〜」
わいわいと騒ぐ2人をみて、ジークルーネは首を傾げる。
「なんですか? そのいかにもよわっちそうなのに〈英雄の魂〉の気配がする2人は」
その発言の途端、ふつと笑い声が途絶えた。それを見た栞那が、そそくさと扉に歩き出す。
「あはっ♪ よわっちそうだって〜☆ ミミちゃん聞いた? 聞いた? セシルちゃん初めて言われたよ♡」
「うふふ〜、私も〜」
「…………」
にこにこと笑いながらどす黒いナニカをにじみ出し、椅子から立ち上がる2人を視界の端に捕らえ、栞那がぽんと管理人の肩を叩く。
「じゃ、後はガンバレ管理人」
「え”……待ってくれセンセっ!」
制止を振り切って全速力で自室にまとめて置いた荷物を回収した栞那は、いざ休暇開始と荷物を片手に階段を駆け下りた。
丁度栞那が異世界邸を離れ、庭を通って歩き出したその時、
ちゅどおおおおおん!
いつも通りの爆発音が響き渡る。
「……あの2人の逆鱗に触れるたあ、豪気な駄ルキリーだ」
呆れ気味に独りごち、栞那は止めていた歩みを再開する。
「さあて。まずは実家で情報を集めて、手土産持参で翔の面拝むか」
久々の外での休暇に、少しの緊張と不安と、遥かに凌ぐ高揚を抱え。
栞那は、何年ぶりかに山を下りた。