竜の尾を踏んだ結果【part 紫】
大きな揺れに顔を上げた魔女は、血相を変えて飛び込んできた家人に目を向けた。
「報告です! 例の邸が、一瞬で元通りに!」
魔女はそれを聞いて、無表情に一つ頷いた。
「……寺湖田さん、じゃないね。やっと自分たちで修理出来るようになったのか。よかったね支出が減って」
抑揚の一切ない声でそれだけを返して顔を戻す魔女に、家人は顔を引き攣らせて視線を巡らせる。同室で控えていた吉祥寺の首脳陣は、静かに首を振り、手振りではよ逃げろと示した。
脱兎のごとく部屋を飛び出ていった家人をやはり無表情で見送り、魔女はゆるりと視線を周囲に巡らせた。
「さて。そういうわけで、あっちからのお客さんはもうないと思っていい。私たちは街と病院の復旧だ。何せ一晩でどうにかしなくちゃいけない」
そう言って部下たちを見回して、魔女は軽く肩をすくめた。
「寺湖田さん、ひいて瀧宮からの援助申し出は今回はない。つまり私たちだけで復旧する必要がある」
「……今回、呪いに倒れた術者が多く……」
「そうだね。動ける術者を総動員してもかなりの負担になる」
そう言って、魔女は一冊のノートブックを取り出した。
「前回の寺湖田さんが街の建築物を修復した術式を参考にして作った、魔導書だ。これを、ある魔術師に依頼して魔道具にしてもらっている。そろそろ私の個人的に貯めていた魔石と一緒に届くはずだから、それで補うように」
「それは……」
「今から呪符を一枚一枚書いてたら、それだけで朝が明けるよ。緊急事態なんだ、目を瞑ってほしいね。すでに準備があるというのなら別だけど」
有無を言わさぬ迫力の魔女に、難色を示しかけた家人の一人は口をつぐみ、苦い顔で無言で頷いた。
「次。各方面からの問い合わせは、私が主体になって対応する。最低限の復旧作業が一段落したら、嘉上と門崎に連絡するよう伝えて。いくつか確認事項を擦り合わせる」
「霍見はいいのか」
「彼らには異界の警戒に集中してもらう。結界は緩んでいないはずだけど、起きたことがことだから」
「……お前も、あれは土地神のものと考えるか」
「他に考えられる?」
魔女の声に初めて感情が滲んだ。問いを投げた主──吉祥寺当主は静かに首を振る。
「少なくとも私には思いつかん。例の守護者にまつわる噂は気になるが」
「……ああ、そうだね。けど、あれは土地神の御業だ。四神とは気配が違う」
「同意見だ」
次期当主と当主のやり取りに、側近たちは息を呑む。
「封印が追いついていない、ということですか……」
「いや、それは違うと思うよ」
恐怖の滲んだ声には、魔女ははっきりと首を振る。無感情な声に戻り、淡々と続けた。
「これは土地神の暴走というよりは、空の魔石の力だと思う。結界をすり抜け、持ち主の願いを叶える力を持った土地神の力を引き出した」
空の魔石と名付けられた、無属性魔石にはそれだけの力がある。ただ、神の力の一部を増幅し変質させた砲撃を、誰も死なないように防いでほしいという「願い」を、封印も解かずに叶えられる土地神の存在も、また事実だ。
「その点、古老たちにはうまく説明しないとね。封印には何の影響も与えていない、魔石の仕業と強調して伝えてもらわないと。これは当主、あなたの仕業だ」
「無論だ。そちらはどうとでもしてみせる」
この激動の時代に、変化を厭う老人たちに口出しをされては敵わない。それは老人側に立つ吉祥寺当主ですらも、同意見だと頷いた。
「……しかし、やはり頭が痛いのは魔石の方だぞ。何せ、持ち主は例の邸の住人だ。特殊すぎる場所だが、建前では紅晴の街の一部ということになっている。問い合わせはこちらに来るだろう。……それ以前に、今後も同じことが起きる可能性が無視できん」
顔を顰めて、当主が指摘する。これが一回きりの奇跡であってくれれば各所の胃に優しいが、そんな都合のいい展開はないだろう。ましてや、魔石が消失したとは誰も考えていないだろう。
持ち主の願いを叶える魔石の持ち主は、まだ中学生。しかも、街に根付く「中西」の家系だ。街から出ていってくれと言える相手でもない。
どう扱っていくべきか、関係各所への説明はどうするのか、頭の痛い問題は数知れない。
だが。魔女はその言葉を、少し別の意味で受け取った。
「今後も、同じことが起こる……ふふ。そうだね」
ずっと無表情だった魔女が、笑った。
チェシャ猫のようなその笑みは、愉しげであり、世界を嘲笑うようであり、万物を呪うようでもあった。
「また、魔石の持ち主やその周囲を狙うハイエナどもがうろつくと、何が起きるかわからないね。恐ろしい話だ」
言葉とは裏腹に、魔女の笑みは深く、愉しげになっていく。側近たちは、青ざめた顔に、鍛えられた背に、汗を流す。当主だけは、苦虫を口一杯に放り込んでじっくりと噛み締めたような顔になった。
(……全く、余計なことをしてくれた)
魔石の持ち主を攫おうとした魔法士の報告には、すぐに保護者が救出に動いたのもあり、魔女も冷静に対処していたが。病院が砲撃され、土地神によって救われた後から、魔女の纏う空気は絶対零度のそれだったのだ。
──魔石の持ち主の保護者を狙い、身を隠していた病院もろとも焦土にしようとする。
吉祥寺当主からしても、狂っているとしか言いようがない。戦争ですら非難される行いを、敵対すらしていない街相手に仕向けてきたのだ。当主とて、はらわたが煮え繰り返るような怒りを感じている。犯人が過去に仕掛けてきた「とある事件」も含めて、憎しみに近いものを抱えているのだ。
だが。今目の前で笑顔を浮かべている魔女の激情は、そんな優しいものではないのだ。
「魔石を狙う輩がどうなったのかも含めて、情報は逐次仕入れる必要はある。おそらく相手は魔石の持ち主を不当に所有しているだの、この街にいる誰かさんの居住を許容しているだの、難癖をつけて正義面をしてくるだろう。下手に抗議をすれば、今度こそ敵認定で戦争かな」
歌でも歌い出しそうなテンポで言葉を続けている魔女を、しかし機嫌がいいだの不謹慎だの言う馬鹿はいない。そんな命知らずはこの場には存在できない。
目が合ったら殺されるとばかりに無言で顔を俯ける側近たちをゆっくりと見回して、魔女はご機嫌に笑む。
「ふふ。もちろん、街を巻き込むわけにはいかない。これ以上、魔石に仕事をさせて我らが大事な土地神様を煩わされても困る。さあ、どうしようかな?」
「考えがあるのか。何せ相手は」
「知っているよ」
皆まで言わせず、魔女は笑顔で。
「かつてこの街を引っ掻きまわし、その癖、街の危機に付け込んで脅迫を行い、うまくいかなければ他所を牽制してでも手出しさせず滅ぼそうとした、──魔法士協会だ。そうだろう?」
じっくり煮込んでとことん練り込んだ丸薬のような固く苦い殺意を持って、そう言いきった。
「滅ぼすのに失敗してさっさと手を引いたかと思いきや、また欲しいもののために、興味本位で手出ししてきたわけだ。今度は、街全てを引き換えに身柄を要求してくるのかなあ。とんでもない連中だね」
殺意がコロコロと音を立てて転がるような声だ。周囲の側近たちは玉のような汗を浮かべながらそう思う。当主ですら、じわじわと追い込まれるように身を引いていた。
「とはいえ、私たち四家だけで太刀打ち出来ないのは、分かりきっている」
ふと、声が静まる。台風の目のようなそれに視線を向けた当主は、己の行いを深く後悔した。
笑顔の奥、魔女の目に、磨き抜いた黒曜石のような、鋭利すぎる光がぎらりと輝くのを見てしまったのだ。
「だから、頼りになる隣人みんなに協力をお願いするよ。うちには、神様の侵攻にも対抗できる素敵な住人たちや、この戦争に先陣切って挑む素晴らしい住人がいるんだからね」
チェシャ猫のように笑って、魔女は言い切った。
***
「──うん、うん。それでオッケーだ。もうしばらく任せたよ。電話はいつでも出られるようにしておくから」
『頼みますよぉ院長、早く帰ってきてください。俺の胃が死にそう……』
「ははは、これも経験だと思ってくれ。いつも俺が指揮できるとも限らないからね」
『いえ、こんなこと、これっきりにしてもらわないと困るんですけどぉ!?』
「俺も同意見だけど。その為に僕たちも少し動く必要があるね」
『それ! その件! さっきからうちの女傑たちがピリピリしててホント怖いんです!! それもあって早く戻って欲しいんですよ!?』
「それは頼もしい。俺が戻ったらしっかり打ち合わせするから、準備は任せたよと伝えてくれ」
『…………そうでした。先輩はそういう人でしたよ。思い出したくなかった……』
「懐かしいだろう? それじゃあ頼んだよ」
そう言って電話を切った翔を、セシルのベッド脇の椅子に腰掛けていたミス・フランチェスカがじっと見上げた。
「かー君、悪い顔してる〜」
「おや、そうかな」
「かーくんは悪い顔してる時が、一番キラキラ笑顔だよね〜」
「……懐かしい言葉だ」
翔は寂しげに目を細めてから、一つ息をついた。
視線をゆっくりと見回す。貴文が一瞬で異世界邸を完全復旧させたので、とりあえず応急手当てが必要そうな住民たちを運び込み、翔があっという間に処置を済ませたところだ。ここ最近ですっかり栞那の城となっている医務室だが、翔にとっては己のテリトリーのように全ての置き場所がわかる快適な空間だ。特別室対応で処置した貴文がドン引きする速度で片付いた。
機械に関しては門外漢なので、こちらは後片付けが落ち着き次第、フランとレランジェが一時的に専門施設に籠る形となるらしい。
だから翔は、今のうちに──病院に戻る前にやるべきことを片付けて、腰を据えてフランと話しておきたかった。
一度、悠希の様子を確認する。安心しきった顔ですやすやと眠る娘の姿に目を細めてから、翔はくるりと椅子を回し、行儀悪く足を組んだ。
「さてと、フラン。そして、元魔術師連盟・大魔術師セシル・ラピッドさん」
「は〜い」
「なーんで正体バレてるんだろ♪ 栞那ちゃんの旦那さん、やっぱりヤバめの人っぽいな☆」
フランは椅子の向きをガタガタとかえ、セシルはベッドに横になったままニヤリと笑い、呼びかけに応じた。セシルの揶揄混じりの言葉に応えるように、翔はにっこりと笑った。かつて悪友たちに「死ぬほど胡散臭い爽やか笑顔」と言わしめたその表情で、二人に告げる。
「うちの病院は、これからしばらく戦争態勢に入る。そこに君たちの技術をお借りしたい」
一地方病院による、宣戦布告。
悠希が起きていれば、あるいは後始末に忙しい貴文が聞いていれば間違いなく全力でツッコミを入れただろうその発言に、けれどマッドサイエンティストたちは嬉しそうに笑うだけである。
「うんうん、かーくんはやっぱりそうでなくちゃね〜」
「ここで日和るようだったら、栞那ちゃんの旦那様に相応しくないよん♪ って、折るところだったぜ☆」
「怖い怖い。何を折るつもりなんだか」
セシルの物騒な言葉にもチラとも怯えず、翔は爽やかさを全面に振りまいたまま続ける。
「かの連中はこれまでにも、魔術師や異能者の治療技術を持つ我が病院が、随分と気に入らなかったようでね。物資流通や政治を通して、何度も圧力をかけてきたという経歴があるんだ」
「かーくんが全部対処してたんでしょ〜? この間のおもちゃの修理もそれだよね〜?」
「うん。あの程度の圧力で、うちの職員の手を煩わせるつもりはなかったからな。けど、──病院を攻撃してくるのなら、話は別だ」
怒れば怒るほど爽やかな気配をキラキラと振りまく翔に、フランが嬉しそうに頷く。セシルも笑った。
「うんうん、黙ってやられるかーくんは解釈違いだも〜ん」
「あはっ♪ 医者のくせに血の気多くて最高だぜ☆」
「解釈違いって何?」
少しだけ苦笑した翔は、改めて笑顔を戻し、二人に順繰りに視線を向ける。
「栞那の人望はかなりなものでね。当院スタッフ有志含め、それなりの数が全面バックアップ体制に入る。人体についての知識ならそこんじょそこらに負けない……けど、その他は門外漢だ」
というわけで、と。人を従えるのに慣れた口調で、翔は二人へ告げる。
「フラン。MRIをおもちゃと言い切れる、この世界で君しかもたない知識と技術を是非とも振るって欲しい。
セシル・ラピッド殿。貴女には魔術面の協力を得たい。ただし、その協力で得た知識や技術を売り払うのは一切禁じる」
「おっけおっけ〜。今回あっちの世界で拾ってきたものが色々あるから、セシルちゃんと分担してたくさん流すね〜」
「喜んで――って言いたいけど、売れないのは論外かな♪ 栞那ちゃんの旦那さんのお願いでも、そこだけは退けないね☆ セシルちゃんはただ働きが死ぬより嫌いなんだな♡」
フランがニコニコと受け合う傍ら、セシルが魔法陣の入れ墨が入った頬を歪ませながら返す。翔はやや大袈裟に両手を広げた。
「君の資金供給元が、決して魔法士協会に情報を流さないという確証があると言うのならば別だがね。先に言っておくが、この街は魔術師連盟ともあまり仲が宜しくない。無駄に大きくなるだけなって制御不能な組織が出ているあの連中に、背中から撃たれるのはごめんだ」
「ふふ〜ん、なるほど♪ じゃあ、その辺はフランちゃんと相談しながら資金にしていい知識と技術は選別するってことで☆ それでいいならサービスでダミー魔導書とか垂れ流しちゃうよ♡」
「僕の知人が聞いたら発狂しそうだなあ。それで手を組もう」
前半と後半で言うことを反転させつつ、翔はしっかりと頷いた。ふと、フランが気になったことがあり、手を挙げる。
「ねえねえかーくん、さっきからバックアップの話ばっかりだけど〜。実際に殴り合うのは誰になるの〜? 栞那さんの妹分さん?」
「彼女も今頃、家をまとめ上げて戦争体制を作ってるだろうね。でも彼女はこの街を守らなければならない。防衛戦だ。あちらとは元々協力体制だけど、うちの女性陣を通して改めて協力を深めていくよ」
後で連絡しておく、と言い足すと、フランは首を傾げた。
「じゃあ、まさかかーくん?」
「ははは、そうしてやりたい気持ちは大いにあるけどな。流石に無理があるよ」
「そうかな〜?」
「なんかいけそうな気がするよね♪」
二人のツッコミは流しつつ、翔は続けた。
「一人、とても頼りになる戦力がいる。僕たちは、彼を全面的にバックアップする形で戦おう。面白い武器ができたら、ぜひ流してくれ。きっと上手く楽しく使ってくれるだろう」
「おっけ〜。セシルちゃんと一緒に、楽しく作っちゃうよ〜」
「君が頼りにするって、一体どんな御仁なのか興味あるぜ♪ 管理人系の人外かな☆」
「いやあ、人間なんだけどね。なかなか面白いよ」
そう言ってから、翔は改めてフランを見た。
「そうそう、いくらか君には医療系の相談もしたい」
「かーくん、珍しい〜。この世界の枠を超える技術は手出ししないじゃなかったの〜?」
これまで一度も、逸脱した知識を求めてこなかったのは、栞那と同じ医師としてのプライドだ。それを踏み越えようとすることに訝しく思っていると、翔は小さく笑った。
「一人、ちゃんと治してあげたい患者がいてね」
「……ん。わかった〜」
深くは問わずに、フランは頷いた。頷き返してから、翔はパンっと手を叩く。
「さあて、忙しくなるぞ。栞那は身重だ、今回は自分と我が子を第一にしてもらえるよう、基本は秘密で動くからそのつもりで」
「栞那ちゃん、絶対気づくよ〜。バレた時、隠したことも含めてめちゃ怒りそう〜」
「管理人も激怒しそうだぜ♪」
二人の適切な──しかし悪びれる様子もない──揶揄に、翔はにっこりと笑って返す。
「そうだね。全部終わったら、君たちも一緒に、栞那と貴文に怒られてくれ」




