襲撃の爪痕【part山】
『疑問を呈示。復旧に此方の力を行使しない理由の如何を確認』
瓦礫の山を通り越して荒れ地と化した異世界邸跡地で指示を出していた貴文を覗き込むように浴衣姿の半透明の少女が現れた。逆さ向きに。
異世界邸の意志ことコナタである。
いつもならそのホラーチックな出現の仕方にきゅっと喉の奥が縮こまるところだったが、流石に疲労の方が大きいためか、さほど驚くことなく答えを返した。
「お前も知ってるだろ。小規模な修繕ならともかく、この規模の復旧はまだできないって」
『先日のセシル・ラピッド及びフォルミーカ・ブランを交えた修復反復練習は此方も把握。確かに、極めて限られた範囲を指定し定められた物質を創造するのは其方には不適格』
「やかましい」
『驚愕するほどに不適格』
「不適格って重ねるな。悲しくなってくるだろ」
『しかし大雑把かつ粗削りな力の行使であれば、現異世界邸住民の中でも最上位と認識』
まあ確かにと皮肉交じりの感情で頷く。
術式がどうだ、魔力操作がどうのといった小難しいことは苦手だが、それでも異世界邸管理人として問題児たちを統率できているのは力技による制圧が可能だからだ。コナタの言う通り、蹴って殴って大団円は貴文の最も得意とするところだ。
『故に、この規模の復旧ともなれば逆に其方の得意とする作業と推察』
「……できるのか?」
自分の力の行使に異世界邸という存在概念に可否を問うのは自分でもおかしな話だとは思いつつ、そう問いかける。
しかしそれと同時にコナタに可能性を示唆された瞬間、自分でもなんとかできるような気持になるのだから不思議なものだ。
『可能』
そして肯定の意を示しながら、コナタは頷いた。
『しかし今の其方の状態では少々不安定であることもまた事実』
「……何が必要だ」
『此方の――異世界邸の〝空間〟の権能にもう一つ、他の権能の合算を提案』
ぎい、と貴文の背後から扉が開く音が聞こえた。
振り返るとそこには見上げるほどの冷蔵庫が出現し、その中に見覚えのある物がすっぽりと収まっていた。
「玄関ホールの柱時計?」
『肯定。異世界邸で百数余年の時を刻んで部品の一部が付喪神となった柱時計。付喪神としての日は浅いものの、間違いなくそこには〝時〟の権能が所在』
「柱時計の付喪神……俺は直接見かけたことはないが、なんかたまに出歩いてるらしいな」
『彼女らは現在、機械仕掛けの神の強制支配の影響で存在概念が揺らいで希薄。機械仕掛けの神出現以前にTX-002の手により地下迷宮に移されていたため物理的な被害は被ることはなかったが、このまま放置すればいずれ消滅してただの柱時計へと回帰』
「つまり?」
『彼女らを異世界邸管理人たる其方の眷属として取り込むことを提案。それにより彼女らの消滅を回避し、同時に彼女らの持つ〝時〟の権能を此方に付与。〝空間〟と〝時〟の権能が揃うことで異世界邸の復旧は容易』
「なるほどな。その力が揃えば、後は俺が魔力ぶち込めばコナタがフォローしてくれるってことでいいんだよな?」
『肯定』
さて、と貴文は柱時計を見上げる。
提示された案に対して妙にクリアな思考に違和感を覚えることもなく、頭の中で整理していく。
機械仕掛けの神の影響で柱時計が魔力的損傷を受けたというのは事実のようだ。一見すると指針は平常通りに時刻を示しているように見えるが、その奥に宿る魔力には不純物が混じっているような感覚があった。
であるならば彼女らが消滅の危機に瀕しているというのも間違いないのだろう。
それは――それは駄目だ。
受け入れがたい。
認められない。
貴文は面識はなくとも、この柱時計は祖父の代から異世界邸に置かれて時を刻み続けている。
立派な異世界邸の住民であり、家族も同然だ。
家族を救うためなら手段を選ぶ必要はない。
それが異世界邸管理人の本懐だ。
「安心しろ」
名も知らない柱時計を労うよう指でなぞり、そして静かに冷蔵庫の扉を閉めた。
「お前を異世界邸の一部として再構築する」
* * *
そんな貴文とコナタの様子が見えていないかのように、異世界邸だった瓦礫に背中を預け、隣に腰かけるフランチェスカにセシルが問いかけた。
「んでさ、実際のとこフランちゃん何しに帰ってたん?」
焼き切れかけた魔力回路の調整を翔に処置されたとは言え、安静にしているに越したことはない。異世界邸の復旧――というか、瓦礫の撤去はフォルミーカとグリメルにおおよそ任せることとした。
「うん、絶対作りたいな~って思いついたものができたんだけど~、どう頑張っても手持ちの素材と技術じゃ代用できないところがあってね~。それで元居た世界に帰って調達する必要があったんだよ~」
「フランの目的は純粋な科学力による異世界渡航だろう? それさえ下地にして作りたかった物があったのかい?」
同じく貧弱な医療関係者でしかない翔は瓦礫撤去作業の邪魔にしかならないと判断し、セシルとフランチェスカの傍に控えて会話に混ざる。
本当ならすぐにでも麓の病院に駆け戻りたいところだが、魔石に願って麓を救った影響か、緊張の糸が切れたのか、眠る悠希はまだ目を醒まさない。今は那亜が見てくれているが、かと言って任せきりしてこの場を離れる気持ちにもなれなかった。
さらに麓も状況が安定したらしく、病院とも連絡が取れた。栞那やスタッフ、患者、避難民の無事も確認できたため、しばらくこの場に残ることとした。もう少し状況が落ち着いたら寺湖田組の畔井が避難住民を連れて戻るとのことで、その時に一緒に下山することにしたのだ。
「うん、そうなの~。本当は栞那ちゃんに直接渡したかったんだけど~、私これから忙しくなりそうだから、かーくん、代わりに渡してもらえない~?」
「ん?」
「はい、これ~」
そう言ってフランチェスカが豊満な胸の谷間から腕時計を取り出し、翔に差し出した。
「……その収納術、まだやってるのか」
「何だかんだ便利なんだよね~」
「人肌に温まってて受け取りにくいんだよなあ」
とは言え、フランチェスカが元居た世界に戻ってまで作り上げた作品を受け取らないわけにはいかない。しかも聞く限りでは栞那のために用意したもののようだ。
「それで、これは? 見た目通りの腕時計じゃないんだろう?」
「ん? あれ、それ……」
やり取りを横から見ていたセシルが怪訝そうに眉を歪める。
フランチェスカの発明品だけあって、そこに魔力回路の類は一切ない。しかしながら素材には微量ながら魔力の気配が感じられた。
「もったいぶっても仕方ないから単刀直入に言うとね~、科学技術による魔力ジャミング装置~」
その言葉に、さしもの翔も目尻がピクリと揺らぎ、その腕時計を持つ手が震えた。
「前にセシルちゃんが言ってたでしょ~。赤ちゃんとか小さい子にとって強すぎる魔力ってよくないんだよね~? でも魔術でがっつり隔離しちゃうとそれはそれで悪影響があるって~。だから科学で――私の力で保護できればいいなあって~」
「フラン……フランチェスカ。これが何を意味するか理解しているのか?」
思わずフランチェスカに視線を落とす。
しかし当の本人は変わらずのほほんとした笑みを浮かべ、ふわふわの栗毛を指先で弄っていた。
「私が作った科学による異世界渡航技術の延長線上のおもちゃだよ~。魔力を仮定義して概念固定して、それを程よく打ち消す周波数のエネルギーを放出するだけの、ただの玩具――まあその仮定義のために科学が優勢の世界で魔力を含有する矛盾物質が必要だったから、その採掘のための里帰りだったんだけど~」
「……フランちゃんのいた世界って聞く限りじゃ魔力が存在しないんじゃないの? それ、純度はかなり低いけどちゃんとした魔石じゃん♪」
「数学的には『0』とは『完全に存在しない』ということを指す言葉ではない、という話かな」
一度深めに息を吸い、吐き出してからいつもの口調を意識して言葉を挟む。するとフランもいつものように頷き返した。
「この邸で魔力サンプルはいくらでも蓄積できたからね~。元居た世界の人類史数千万年で全く魔力が存在しないなんてことは流石にあり得ないよねって思って、サンプルデータを照らし合わせながら惑星単位で探知して見つけてきたんだ~」
「そりゃ帰ってくるのに時間がかかるはずだぜ♪ でもそういうことなら一言残していってほしかったな☆」
「んー、実はね~、事前の探知シミュレーションだと5時間以内に終わって帰って来れるはずだったんだけどね~」
一呼吸挟み、くりくりと髪の毛の先を弄りながら、どこか気まずそうに言葉を続けた。
「私のいた世界に魔王が侵攻してきてて、地表が魔力汚染されててさ~。持ってった計器がバグりまくってて大変だったんだ~」
「「は?」」
翔とセシルがポカンと呆けた表情を浮かべる。
「それで探知機の修理にどうしても魔王が邪魔だったから、こう、えいっ、ってして~。それから汚染されてない地中100キロ以上の深さから探して採掘しなきゃいけなかったから、時間かかっちゃったの~」
「「…………」」
「しかも信じられる~!? 私がこっちに来てすぐに魔王が侵攻してきたらしくって~!! 魔王に対抗するためにこの20年のうちに科学技術に汚染元のはずの魔力を取り込んでるしさ~!! 昔の知り合いに『純粋な科学技術なんて時代遅れ』とかって鼻で笑われたんだけど~!! それがムカついちゃったから、純粋な科学技術だけで魔王をえいってしてやったの~! 用も済んだから帰ろうとしたら半泣きで引き留められたけど、時代遅れのロートルがいる場所じゃないのでじゃあね~、って」
両手で握り拳を作りながらぷんぷんと上下に小さく振り、憤りを表すフランチェスカに、セシルと翔は思わず顔を見合わせた。
栞那とフランチェスカの共通の知人というだけで顔を合わせたのは今日が初めてのはずなのだが、何と言うか、その胸に沸き上がった気持ちは全く同じのようだ。
「全くフラン。君ときたら……」
「ホントにもう、最高だぜ♪」
ズン
そして脈絡なく、世界が揺れた。
* * *
異世界邸のあった場所からさらに標高の高い地点に、機械仕掛けの神の粛清から逃れて残された樹木があった。
その枝を掴むように、一羽の黒い梟がとまっていた。
ぎょろりとした虚ろのような瞳を通し、その光景を麓から術者――寺湖田宗喜は口元をへの字に歪めながら観測していた。
「ふむ。ふぅむ……」
肉付きの薄いしわの深い顎を撫でながら、これからの自分たち寺湖田組の身の振り方を考える。
「今回の襲撃を経て紅晴はさらに好奇と奇異、いや、畏怖の目に曝されるだろう。この街に対する『目』として先代が楔を打ち、私があの邸で那亜を見つけたことで本家に認められ、兄弟杯を交わすほど組を大きくしたわけだが」
独白を重ね、寺湖田宗喜はぎょろりと梟の瞳を巡らせる。
「些か大きくなりすぎたか。街のほぼ全ての基礎に瀧宮の手が入ったのはやりすぎた。あの時はあれが最善であったのは疑うべくもない。しかし膨れ上がった利権管理に対し、あの邸から流れる金で辛うじてトントンであったが」
パチン、と梟の瞳が瞬く。
それと同時に視覚の共有を閉じ、寺湖田宗喜は事務所のソファに深く背を預けた。ギュっと革張りの背もたれが音を立てる。
そしてその場に揃って待機していた寺湖田組の幹部たちに視線を向けた。
今日は「休暇」ということで不在の畔井松千代を除く全員が揃っている。
「羽黒がちょろまかしたうちの術札の行方は掴めてるんだな」
「ええ。『白蟻』の時に街に来ていた勇者の手に渡ったようです。古着屋の糸島の姐さんに確認が取れています」
「ってぇと札その物が邸に取り込まれたって線もナシじゃねぇのか」
「対外的にはそうなりますね」
「実際はうちの術式とは根源から異なるわけだが、外からしたら似たようなもんだろうしな。関係ねぇ連中にやいのやいのと痛くもねえ腹を突かれるのも面白くないな」
とん、と寺湖田宗喜は椅子の肘掛けを指で弾く。
そしてぎょろりと雁首揃えた幹部たちを見まわした後、「決めた」と決断を下した。
「畔井が戻ったら最低限の『目』を残して本家に退去する。チリ紙一つ残すな」
『『『へい!』』』
揃って頷き、幹部たちは一斉に立ち上がって各々の部下への指示に走り出す。
それを感情の読めない目つきで眺めながら、寺湖田宗喜は小さく言葉をこぼした。
「悪く思うなよ、異世界邸のお方々。流石にソレは看過できねぇ」
もう一度瞳を伏せ、山に放った式神と視界を繋ぐ。
竜が溢れて機械神の砲撃が降り注ぎ、呪いが押し寄せた痕跡が綺麗さっぱり消え去り、際を境界として山全体の時間が巻き戻ったかのように修復された異世界邸が聳えていた。




