神殺し【part山】
ちゅどおおおおおおおおおおんっ!!
もう本日何度目か分からない爆音が響く。
それと同時に異世界邸の前庭でイチゴの蔦に絡まれながら取っ組み合っていた機械仕掛けの神と虎仮面の巨漢――〈苛烈なる猛虎〉の戦闘が一区切りついた。
「おおおおおおおおおお!!」
ひび割れた虎仮面の下から猛々しい咆哮が轟き、隆々とした右腕を天へと掲げる。その手には機械仕掛けの神の機体から引き千切るように抜き取られたエネルギーコアが握られていた。
「あの虎男、あんなに強かったんじゃのう」
イチゴーレムの肩に乗った神久夜が異世界邸を守るように立ち位置を調整させつつ感心するように頷く。その呟きに対し、ラピはくるりとステッキを回しながら反対側の肩に飛び乗った。
「彼奴は〝力〟の体現者。特別な異能は与えられていないが、それを補って有り余る暴の力によりノルデンショルド地下大迷宮第五階層を守護する闘技場の頂点者である」
「おお、かっこいいのう!」
「……故に、此度の騒動では気付いたら塩漬けにされ、我が主君に再顕現させていただいたと思ったら力を還元され、見せ場がなかったため張り切っておるのでしょう」
「急に可愛らしく見えてきたのう」
ちゅどおおおおおおおおおおんっ
「「あ」」
この日何度目か分からない爆音と共に、機械仕掛けの神が機体を交換して降ってきた。
「虎男おおおおおおおおおお!?」
「……不憫な」
その着弾点にいた〈苛烈なる猛虎〉は消滅した。
「というか、アレ本格的にどうにかしないといけませんわよ!?」
「倒しても倒しても湧いてくるのはじり貧ですね」
「もう満腹だよ~」
機械仕掛けの神着弾の衝撃で緩んだイチゴの蔦から脱出したフォルミーカ、ジークルーネ、カベルネが神久夜のイチゴーレム腕にしがみつく。敵味方関係なく搦めとるイチゴの蔦だが、栽培者の神久夜だけは区別がついているらしく、彼女の周囲が唯一の安全地帯だった。流石に三人とも学習した。
「待たせたのだ。あっちの問題はあらかた片が付いたのだ」
とん、と空中を足場として褐色肌の青年が降り立つ。
右肩に鋸のような大剣を担いだグリメルだった。
「……随分と成長しましたわね」
「一時的なものなのだ。急ごしらえの肉体再創造で全身の関節が痛くて仕方ないのだ」
「それで~、問題ないってどういう意味~?」
グリメルの底知れない力に警戒を示しながらカベルネが尋ねる。対し、グリメルは実に愉快そうに破顔して答えた。
「フランチェスカが帰ってきたのは貴様らも見たであろう。もはやあの〝炉〟を守る理由はない。製作者本人が手ずから破壊したのだ」
「破壊って……機械仕掛けの神の砲撃を直撃しても機能を保っていた〝炉〟をどうやって壊したんですか?」
「自爆装置でもつけおったのかのう?」
「「「…………」」」
神魔三人が神久夜の言葉に背筋が凍る。ばっと振り返って骨組みがなんとか残っている異世界邸の一室を見ると、表面は熔けているが〝炉〟は原型を留めている。爆発の予兆は今のところない。
が、駆動する〝炉〟に先程まではなかったものが宿っているのが見て取れた。
「魔力……?」
「あのマッドサイエンティストの作品に魔力回路~?」
「あ、なるほどですね!」
ジークルーネがポンと手を叩いて納得する。
「科学力による世界渡航を神が理外と断じたならば、魔力機構を付与して面白くもなんともない魔導具にしてしまえば神罰の理由もなくなります」
「そういうことなのだ。と、言うわけで」
ニィ、と口元を吊り上げたグリメルが大剣を前方――機械仕掛けの神へと突き付ける。
「もうこの世界には貴様が侵攻する理由はないのだ。さあ、お引き取り願おうか」
《…………》
前庭でイチゴの蔦に搦めとられていた機械仕掛けの神が首を持ち上げ、眼球を模したセンサーを〝炉〟に向ける。そして機能を維持するエネルギーが電力から魔力へと置き換わり、何の変哲もない世界渡航の魔導具へと落ちぶれたのを確認すると――バチリ、と頭部から火花が散った。
そして次の瞬間。
《神んん×ををををを解、開始。最優先鹵△▽獲。標的目標検けしケ出。ロ衣ロ矢。01010 100000111 01 0110100 1 1 110 01101101010001 110110110 101011110 0 000100100001111 100011101001100 11101000001101001010――げ再110101000 0011001――1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 1000 0100 01 》
理解不能な電子音を吐き出し始めた。
「ん!?」
その様子にグリメルが表情を引きつらせる。
「何が起きていますの!?」
「様子が変ですよ!?」
「なんかバグってるみたいだね~?」
「…………」
カベルネの発した単語に内心滝のような汗を流すグリメル。
戦闘の最中、グリメルが意図的に引き起こしたバグは機械仕掛けの神に本来存在しない行動を起こさせた。
粛清対象の接収の提案――それは「理外の力に依らない理外の力」を管理下におきたい、有体に言って手元に置いておきたいというある種の「欲望」に近い感情だった。
当然ながら、機械仕掛けの神に感情や欲望のような不要なプログラムは存在しない。0だ。
そして本来存在しない行動理念が求めた対象が虚構と成り果てたことで、バグにバグが重なってしまった。
その結果が――
ちゅどおおおおおおおおおおんっ
「何事ですの!?」
フォルミーカが絶叫する。
機械仕掛けの神だったガラクタの頭上から、新たな機械仕掛けの神が落下してきた。
しかしその新たな機体も火花を撒き散らしながらガラクタとなり、それを補うようにさらに新たな機械仕掛けの神が次々と降り続ける。
《遘√?√?繧ュ繝奇シ諱九↓諱九☆繧倶クュ蟄ヲ莠悟ケエ逕滂シ》
落下と同時に周囲に奇怪な電子音が響く。
《譛?霑代ユ繝九せ驛ィ縺ョ蜈郁シゥ縺ョ繧ィ繧ッ繧ケ蜈郁シゥ縺ョ縺薙→縺後■繧?▲縺ィ豌励↓縺ェ縺」縺ヲ繧九s縺??√??縺ァ繧よ怙霑代♀髫」縺ォ蠑輔▲雜翫@縺ヲ縺阪◆繝?え繧ケ縺上s縲∵?繧医¥荳?邱偵↓驕翫s縺ァ縺溷ケシ鬥エ譟薙↓縺昴▲縺上j縺ァ縺ゥ縺阪▲縺ィ縺励■繧?≧?√??驕?縺上°繧臥惻繧√※繧九□縺代〒繝峨く繝峨く縺励■繧?≧繧ィ繧ッ繧ケ蜈郁シゥ縺ィ縲∽ク?邱偵↓縺?k縺ィ縺ス縺九⊃縺九@縺。繧?≧繝?え繧ケ縺上s?√??遘√↓縺ッ縺ゥ縺」縺。縺九↑繧薙※驕ク縺ケ縺ェ縺?h?√??縺ゥ縺?@縺溘i縺?>縺ョ??シ》
絶え間なく続く神の投身自殺にその場の全員が固唾を飲む中、あることに神久夜が気付いた。
「の、のう。落下地点が少しずつ邸に近付いて来ておらぬか?」
「……っ!」
グリメルが顔を上げる。
未だに異世界邸上空で浮遊を続けている空中要塞は無傷で健在であり、今も次々に機械仕掛けの神を吐き出し続けている。
流石に砲撃ほどの威力はない。しかしあの高度からの超重量の自由落下は地を揺さぶるほどであり、異世界邸の〝炉〟を目指して落下地点を補正しているとしたら被害は馬鹿にならない。
「う、受け止められる迷宮を創造するのだ……!」
「スペアを格納しているあの空中要塞を墜とさないといたちごっこですわよ!」
「えぇ~、どうやってあんなの墜とすの~。機械神のお城なんて入るだけでも大変だよ~」
「侵入できたとしてもセキュリティ用の機械兵でみっちみちでしょうね。無機質で魂もない人形と戦っても楽しくないのでパスしたいところなんですが」
「ま、待っておれ! 今イチゴの蔦を天まで伸ばしてみるのじゃ!」
全員が慌ただしく無為に騒ぐ。だが騒ぐだけでは打開策など出てくるわけもなく、その間にも機械仕掛けの神の落下地点は徐々に異世界邸へと近付きつつあった。
その時――
『ハロハロ、ラジオの前の皆さまこんばんわー。今週も「ぐーすぐーすラジオ」のお時間がやって来ましたー』
軽快な音楽と穏やかな声音が頭の中に直接流れ込んできた。
「いきなり何なのだ!?」
「ラジオ番組~?」
「精神系の伝達魔術ですの……!?」
その精神伝達魔術は異世界邸から様子を窺っていた面々にも届いていた。
「うわなにこれ気持ち悪いんですが!?」
「精神干渉系のチャンネルが基本的に閉じてるはずの魔王級の魔力の持ち主まで関係なく強制的にメッセージを届けるなんて、なかなか馬鹿げた伝達範囲だな」
急に聞こえてきた謎の声に反射的に耳を塞いだ悠希と、それを眺めながら不愉快そうに眉を顰める翔。しかし謎の声は受信者の都合など関係なく、流暢に言葉を続ける。
『本日の紅晴市の天気は晴れ時々塩、所により呪いとなっていました。局所的に降り続いていた砲弾も明け方には止む見込みとなっています。なかなかの荒れ模様でしたが甚大な被害とならずに良かったですねー』
「既に邸に甚大な被害出てますけどね!?」
「悠希ちゃん、つっこみが律義ねえ」
『それでは早速ふつおたのコーナーに参りましょう。ラジオネーム「ねばねばネバーランド」さんからです』
「……っ!」
その名前を聞いた瞬間、セシルが手を挙げる。
それを見た翔が悠希の口をそっと塞いだ。
「もがっ」
「悠希、静かに」
『「最近、暇つぶしに職場の機密文書を盗み見するのにハマっています」――あらあら、お転婆さんですねー。「その中で〝神様の空飛ぶお城〟の構造についての報告があり、何かに使えないかと思わず熟読してしまいました」』
「!?」
その場の全員が一様に空の上を、機械仕掛けの神の空中要塞を見上げる。
『「その報告書によると、お城は〝天使の羽〟によって空を飛んでいるのだそうです」――天使の羽ですかー、素敵な響きですねー。「その羽はお城の中核に保存されていて、多少お城に見た目に違いはあっても中核の位置は同じなのだそうです」――あらあら。それではその羽がある場所を壊してしまえばお城を墜とすことができてしまうんですねー。おや? お手紙の最後に意味深な数字が書かれていますねー。『335913149854627745-1304148110057841388601-35840007-N』――ふふ、一体何の数字何でしょうねー?』
「フランちゃん!」
「ん、おっけ~」
セシルの掛け声とともにフランチェスカが装備していた機械腕を操作する。
三対六本の腕はガコガコと音を立てながら変形し、その場で人の頭がすっぽり入るほどの大きさの砲台へと変形した。
「即席だけど威力は十分だと思うよ~。でも流石にあの高さの的に当てられるくらいの微調整は難しいかな~」
「ひっひっひ、問題なしだぜ♪」
左目の魔法陣を起動させながらセシルが笑う。
「座標固定と調整はセシルちゃんにお任せあれ♪ セシルちゃん一人だと威力に不安があったけど――」
「私たち二人が組んだら、無敵だね~」
フランチェスカのその言葉に、セシルが魔力反応で光を放つとろりと瞳を歪ませた。
「本当にフランちゃんは最高だぜ♡」
ギュイィィィィィィィィ、と凄まじい光が砲台に収縮していく。
それと同時にいくつもの魔法陣が浮かび上がり、その角度をミリ以下で調整を完了させた。
「……ん?」
ふと、悠希は首を傾げる。
何かが引っ掛かる。
何かを失念している気がする。
多少調節はされたものの、ほぼほぼ垂直に聳え立つ砲台を眺めながら、しかし脳内に流れる謎の声に集中力を削がれる。
『それでは今週の「ぐーすぐーすラジオ」もお別れの時間となりました。お相手は〝密告者〟ことリーゼル・レイヴンでした。それでは皆様、引き続き頭上に注意しながら週末をお過ごしください』
「あ”!?」
ようやく気付いた。
異世界邸のほぼ頭上に浮遊しているあの要塞をそのまま墜落させたら、その下にいる自分たちはどうなるか。
そんなこと、考えるまでもない。
「ちょ、待っ、二人とも、待った!?」
「3~、2~、1~」
「ファイア♪」
ちゅどおおおおおおおおおおんっ!!
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!?!?!?」
砲撃の爆音にも負けないくらいの悠希の絶叫が響き渡る。
放たれた極太レーザー光線は大気を焼きながら光の速さで空中要塞へと到達。その堅牢な外殻をバターのように貫いた。
口径は極太でも空中要塞全体から見れば針であけた穴よりも小さな損傷である。
しかしその風穴からバチリと異音と火花が放たれ、グラリ――と傾き始めた。
そして最初は指先ほどの大きさに見えた空中要塞は徐々に巨大化していく。つまり浮遊する機構が破壊され、自由落下が始まった。
「馬鹿あああああ!! あんなもの落ちてきたら自分たちまでぺしゃんこですが!?」
「ぺしゃんこどころか隣接市町村ごと消し飛ぶだろうねえ」
「ぎゃあああ――」
「こンのボケどもがぁぁぁぁぁあああああっ!!」
場違いにのんびりと笑みを浮かべる翔の言葉に悠希が悲鳴を上げる。だがそれを打ち消すほどの声量の怒号が割り込まれた。
同時に、辛うじて悠希たちが立っていられるだけが残っていた床の残骸の隙間から、右手に竹槍、左手に角の生えた少女の襟首を掴んだ青年が飛び出してきた。
言わずもがな、異世界邸管理人の貴文、ついでに地下迷宮に引きこもっていたティアマトである。
「地上でどんちゃんやってたのは聞いてたが、こんなことになってるとは思わなかったぞクソが!!」
「ぷきゅぅ」
貴文が空いているスペースにティアマトを放り投げる。迷宮の最下層からここまで引きずられてきたのか、ティアマトが目を回していた。
そう言えば少し前から新たな亜竜の発生が止まっていたが、貴文がなんとかティアマトの対処に成功したようだと遅ればせながらも気付く。ちなみにティアマトは紅蓮色の卵だけはしっかりと放さないよう抱き抱えているのは立派である。
「あ、フミフミ君だ~。久しぶり~」
「…………」
そして暢気に手を振るフランチェスカに対し、貴文はじっとりと目を細めた。
しかし大きな溜息とともに足元に視線を移し何も言わず、左手でガシガシと頭を掻く。さらにもう一つ溜息をこぼすと、呆れ顔でフランチェスカに向き直った。
「どんだけ無断外泊したと思ってんだ不良娘が」
「ん~、2年半くらいかな~」
「いやそんなには長くねえけどな!? せいぜい1か月くらいだわ!? やめろよ、実際より長い期間口にして出鼻挫くな!?」
「あ~、意外とそんなもんか~」
「いやなに普通にお喋りしやがってんですかそんな場合じゃないんですよ!? 管理人、上、上!!」
「え?」
半泣きの悠希に襟首捕まれ揺さぶられ、その時になって貴文はようやく頭上を見上げる。
そしてぎょっと目を見開いて顔を青ざめさせた。
「おわぁっ!? 何だアレ!?」
「き、機械の神様の空飛ぶお城で、すんごいビームとかドッカンドッカン撃ってきて、馬鹿みたいな数の機械人形出てきたし、あ、それとポンコツと妹が全部なんか乗っ取られて――」
「え、すまんつまり!?」
「「会報12月、ウイスキー、25行目」」
「は!?」
「天才はちょっと黙りやがれです!?」
フランチェスカと翔が謎単語の羅列と身振りで現況を報告しようとしたが、平凡な頭脳の貴文には伝わるはずもない。しかしそんな二人に対するツッコミを挟んだことで熱のこもっていた頭が一瞬で冷え、悠希は改めて声を荒げる。
「あのクソでけー城がここ目掛けて自由落下中です!!」
「なんでそんなことになってんだ!?」
「理由はいいからアレどうにかしないとマジでヤバいんですよ!!」
「管理人!!」
宙を足場にしながらグリメルが駆け寄る。
しかしグリメルが肉体を再創造したくだりを見ていない貴文は訝しげに顔を顰めた。
「……誰だお前」
「余はグリメルなのだ!? もー面倒くさいなあ!? そんなことよりどこか適当な異世界とつなぐのだ!!」
「グリメル!? お前またデカく……じゃねえ、異世界につなげる!?」
「あの質量の物体を受け止めるのは今の余の力では無理なのだ! ならばどこか人がいない異世界につないでポイしちゃうしかないのだ! でもあのサイズの門の創造となると迷宮、というか異世界邸の管理者権限を持つ管理人でないと難しいのだ!」
「そ、そんな急に言われてできるか!?」
「異物排除は管理人の方が手早いであろうが! ごちゃごちゃ言ってる間に空中要塞はすぐそこなのだぞ!?」
「え、おっわ近っ、てかデケェ!?」
悠長なやり取りの間に落下する空中要塞は既に空を覆い尽くさんばかりのサイズになっていた。実際にはまだ地表までは距離があるのだが、いかんせん規模が巨大すぎる。
「管理人!」
見上げるだけで眩暈がしそうなその光景に悠希はもはや立っていられなくなった。ペタンと腰が抜けてしまったのを那亜と翔が両サイドから支えた。
「ああ、クソ! グリメル、フォルミーカ、ついでにセシル! 異世界の座標固定の補助!」
「任せるのだ!」
「わ、分かりましたわ!」
「了解だぜ♪」
その光景を視界の隅で捉えていた貴文が悪態交じりに決意を固める。
そしてイチゴーレムにしがみついていたフォルミーカを呼び寄せると、彼を中心に幾重にも魔法陣が浮かび上がった。呼応するようにセシルの右目に魔力の光が燈っている。
「人類の存在しない全くの未開拓世界を選出しましたわ!」
「座標軸の固定、完了したのだ!」
「疑似〈異界の門〉の術式準備完了♪ 管理人が権限付与した魔力をぶち込めばいつでも発動可能だぜ☆」
「お、おう! よし!」
やけに手早く補助を完了させた三人に若干気圧されつつ、貴文は自身の魔力を練る。
途端、貴文自身の深緑を彷彿とさせる魔力に迷宮由来の橙色が混じりながら渦巻き始める。
そして――
「これから生まれるかもしれん異世界の人類すまん!? ちょっと粗大ゴミ捨てさせてくれ!!」
ありったけの魔力を足元の魔法陣に叩き込んだ。
その直後、ピシリとひび割れるような音と共に異世界邸と空中要塞の間に一本の線が奔った。
ギ、
ギギ、ギギィ
ギィ ィィ――
世界そのものが軋むような耳障りな音が降り注ぐ。
直後、空が割れた。
その大きさは落下する空中要塞を丸ごと呑み込んでも有り余るほど巨大な異空間の孔を形成する。
空間が裂けて片開きで押し広げられたその様子は、門というよりも何らかの扉を髣髴とさせた。
異世界とつなぐ冷蔵庫――だが空中要塞は誰もが想定しない形で呑み込まれることとなった。
* * *
同時刻、紅晴市上空。
「なんだ、アレは……」
大魔術師はその異形に困惑の表情を浮かべるしかできずにいた。しかしそれでも貫禄の立て直しの早さを発揮し、近くで気配を殺して控えていた二人に指示を出した。
「アリス君、ミミ君。すぐに現地に向かって情報収集を! 場合によっては……〝大団円〟の開放を許可する!」
「りょ、了解しました!」
「……セシル様、どうかご無事で。」
* * *
同時刻、紅晴市上空別座標。
「あんなものをお腹の底に抱きかかえていたんですか。流石にアレは看過できませんよぅ?」
「…………」
冷たい微笑みを浮かべる世界精霊の一柱を前に、その兄を名乗るもう一柱は気まずそうに視線を落とすしかなかった。
* * *
同時刻、市境山中廃墟。
「え……?」
「アレは一体……」
「……腕、でありますれば?」
「…………。もみじ、いつでも動ける用意をしておけ」
「了解です」
巨大な冷蔵庫の扉を内側からこじ開けるように伸びた一対の腕を目の当たりにした瀧宮当主と魔王の眷属は呆気にとられ、最悪を冠する男と吸血鬼は静かに目を細めた。
* * *
同時刻、吉祥寺。
「……次は何がお出ましかな」
巨大な腕が空中要塞を鷲掴みにする様を見上げ、魔女はこめかみの辺りを抑えながら小さく嘆息した。
* * *
同時刻、紅晴市某所。
『……あれ、は……?』
「…………。読めないものを、持ち込みやがって」
守護獣は息を呑み、男は琥珀色の瞳を忌々しそうに伏せた。
* * *
「え……?」
空中要塞を掴んだ巨大な腕を異世界邸から眺めながら、貴文は間の抜けた声をこぼした。あまりにも規模が大きすぎて理解するまでに十数秒の時間を要したが、それはそうとしか表現できない光景だった。
冷蔵庫の中から伸びたその腕は空中要塞を受け止めると言うより、握り潰しているように感じられた。空中要塞の外殻はあちこち弾け飛び、宙を舞う。熟れた果実を潰す様に大小様々な部品、砲台、格納されていた機械兵の残骸が飛散する。
そして腕は空中要塞を乱暴に握りしめたまま、現れた時と同じように――冷蔵庫の内側へと消えていった。
――ドクン
その瞬間、貴文の鼓動が大きく跳ねた。
「…………」
じっと、手を見る。
体に異変はない。
むしろこれまで積み重なってきた不調がいっぺんに解消されたかのような晴れやかさすらある。
「か、管理人……?」
貴文を心配するような声がする。そちらに視線を向けると、腰を抜かしたままの悠希が見上げていた。隣で悠希を支えている翔が、訝しげに、どこか心配するように眉を寄せている。
「だ、大丈夫ですか? ていうか、さっきのは一体……」
「さあな。だが大丈夫だ。何も問題はない」
緩慢に頷き、貴文は空を見上げる。
先程腕が掴んだ時に零れた空中要塞の部品が未だに宙を舞っていた。地上から見れば小さな欠片だが、実際は最低でも大型車両ほどもある。地上に降り注ぐと甚大な被害が生じるだろう。
――麓に落下する分にはどうでもいいが、それでは悲しむ住民もいる。
「仕方ない」
貴文はそっと手を掲げる。
すると開かれたままだった冷蔵庫の扉の奥から、再び腕が伸びた。
先程のものとは比べ物にならない細い。しかしその数は尋常ではなく、百や二百を優に超えているように見える。
その大量の細い腕が飛び散る欠片を一つ一つ丁寧に拾い上げ、順々に冷蔵庫の中へと呑み込んでいった。
「…………」
悠希はその光景を呆けた表情で見上げながら、とりあえずの危機は去ったと安堵の溜息を吐く。
けれども――それでも何か、致命的な取り返しのつかない何かが起きてしまったかのような、言い表せない焦燥感がぽつんと心の中に浮かび上がり、拭えないでいた




