神への対価【part山】
「なに、が……うっ!?」
手にした大鋸の魔王武具を盾のように突き立て、グリメルは身震いした。
侵攻を食い止めていた機械仕掛けの神が遥か上空の空中要塞へと退避し、ほどなくして主砲に凄まじい神力のチャージが開始された。それが中途半端な装填時間で早々に発射されたため、ラピの魔術による障壁を展開し迎撃したが、それも一瞬で貫通されてしまった。
それを見て咄嗟に防御姿勢をとったものの、神力砲の着弾による衝撃はほぼ皆無。邸の周囲では戦闘機械たちを蔦で締上げるイチゴの化け物たちの戦闘音と、それに交じって「ででででで出やがりました!?」「イチゴ……イチゴ……う~ん……」とジークルーネとカベルネの悲鳴が聞こえてくるが、それだけだ。それ以外、そよ風一つ感じられない。
よもやイチゴの蔦が砲撃を防ぎ切ったわけではあるまい。神久夜の家庭菜園産謎植物と言えどそんなことできてたまるかと顔を上げると、目の前の光景に目を見開いた。
既にあってないような状態だった屋根と上階は完全に消滅し、グリメルたち異世界邸の住人たちが守ってきたフランチェスカの〝炉〟の表面がドロドロに熔けている。
それでも辛うじて、一度その姿を目にした者であれば判別可能な程度には原型をとどめてはいるが、それよりも何よりも、ゴウン、とあちこちから唸り声のような駆動音が漏れ出ていた。
「我が主君、これは……」
「〝炉〟が再起――」
《――これは。これハ》
「……ガっ!」
ズドン、と超重量の物体が落下してきた。
運悪くその落下地点に頭部を横たえていた巨蛇の階層支配者が巻き込まれ、絶命する。
「〈大地削ぐ蛇腹〉!?」
「ぬぅっ……!?」
砲撃時とは異なりきちんと周囲にその衝撃を振りまいたのは、機械仕掛けの神だった。
大気の震えに黒兎のぬいぐるみでしかないラピはコロリと転がり、マジシャンハットの隙間から親指ほどの小さな人形が零れ落ちる。
「…………」
人形が光に包まれると瞬く間にその姿が元に――セシル・ラピッドへと戻った。しかし意識がまだ朦朧としているのか、うっすらと瞼を持ち上げるだけで呻き声一つ上げられず、そのまま床に伏している。
それを視界の隅で捉えつつ、グリメルは異世界邸へ再臨した機械仕掛けの神への警戒を緩めない。
《素腫らシい》
ジリリと耳障りなノイズと共に、口腔を模した発声機器から音が漏れる。
《不完全トは言え当機の〈天の火〉を受けても猶、機能を留滅るとは。素晴らし射。棲晴らしい。素ば素晴ら腫らしい素晴螺しい素晴ら偲い晴らしい。……素晴らしい!!》
ゴキンと首が90度傾き、背後のグリメルの方へと体はそのままに向き直る。
グリメルによってバグらされた存在概念の修復が完全に終わっていないのか、それとは関係なくバグっているのか、機械音声のノイズが酷い。加えて全身の挙動が明らかにおかしいが、その眼球を模した視覚機器は変わらず冷たい光を放ったままだ。
素晴らしい、と再び機械仕掛けの神は讃えるような音声を発する。
《魔王。一つ、神たる当機から妥協点を提示しマす》
「何……?」
予想だにしない提案にグリメルは眉を顰める。
機械仕掛けの神と言えば、神界でも指折りの秩序至上主義の神である。
規律と法則性を何よりも重んじ、混沌による世界の成長を是とする一部の神々とすら対立し、魔王を徹底的に叩き潰す。そんな彼女から魔王に対し提案とは、本来あり得ないことだった。
《魔王よ》
機械仕掛けの神はグリメルに一方的に呼びかける。
《この〝炉〟の接収ヲ提示。異界渡りの〝技術〟を当機ノ管理下に於くコトで、新たな世界の理トシて容認イ確ましょう。そう摩ルことデ当世界に対する粛清ハ停止しまス》
「……!」
息を呑む。
機械仕掛けの神は神々の中では歴史は浅く、神格としても中程度だ。にもかかわらず様々な勢力がその存在を格別の警戒対象としているのは、彼女は末端だけでなく本体までもがいくらでも代替可能であるという点だ。
潰しても潰しても、退けても退けても、機械である彼女の代わりはいくらでも存在する。
それは彼女の保有する神兵たちもまた同様であり、純粋な物量戦においては神界でも最強クラスだ。
そんな彼女が〝炉〟一つを差し出すだけで兵を退け、世界に対する粛清から手を引くと言う。
「…………」
大きく息を吸い、吐き出す。
今の戦況を考慮すると、神久夜の参戦により盤面としては異世界邸側に大きく傾いている。しかしそれも機械仕掛けの神が再度本気で神罰を下そうと思えば簡単に覆されるだろう。
〝炉〟は差し出すべきだと、己の中の天秤の片皿に乗せる。
ここまで守ってきた物を犠牲にするということは敗北を意味し、口惜しいが、それでも一度神罰に乗り出した機械神軍の撤退とは、対価があまりにも大きすぎる。
唯一、〝炉〟を通ってこの世界を去ったフランチェスカの所在が気がかりではあるが、それは異世界邸が平穏を取り戻した後に捜索すればよい。世界は無数に存在するため骨は折れるだろう。彼女がこの世界に残した作品は全てが〝炉〟に集約していたため、徴収されてしまえば痕跡はほとんど残らないが、世界が繋がる可能性はゼロではない。
魔王の力を手にした貴文もおり、異世界邸の謎の冷蔵庫についてもセシルの解析が進んでいる。
だから問題はない。
問題はない。
おおよそ人類の到達しえる技術の更にその先にあるであろう〝炉〟を差し出して、平穏が手に入るならば――
《さあ》
機械仕掛けの神が問う。
口腔を模した発声機器の端を大きく吊り上げ、嗤うように。
そして。
「「お断りだ」」
声が二つ、重なった。
《…………》
機械仕掛けの神の表情が停止する。
「ふん。オイル臭い中級神が、余を誰と心得る!」
グリメルは右肩に大鋸を担ぎ、左手を突き出して中指を立てた。
「余は『迷宮の魔王』、グリメル・D・トランキュリティ! 建築家の末路にして人類の技術の粋である! そんな余が異界渡りの〝炉〟をそう易々と差し出すと思われているとは、笑止なのだ!」
「それ、にぃ……♪」
グリメルの背後から弱々しくも傲岸な声音が続く。
べろん、とセシルが魔法陣の彫り込まれた舌を伸ばして上下させていた。
「フランちゃんの……最高傑作なんて……バネ一つ、螺子一つ、てめぇには勿体ないんだぜ♪」
《…………。哄笑……言語機能再インストール。111100111010001101101101110110――交渉決裂》
ギシリと機械仕掛けの神の全身から異音が響く。
そして右の腕部が大きく空へと向けて掲げられた。
《粛清を再開します》
世界を断つように振り下ろされる右腕。
それが
ギャイン!!
耳障りな金属音と共に、右肩からポロリと落ちた。
《……???》
ギャイン! ギャギャギャギャギャギャ!!
鼓膜を突き破らんばかりの轟音と共に機械仕掛けの神の背後から火花が散る。
そして欠落した右腕部のパーツを視覚機器で追う間に、今度は左腕、そして次いで首が落下した。
床の残骸上をコロリと冗談のように転がる機械仕掛けの神の頭部。その視覚機器が彼女の背後――ドロドロに熔けた〝炉〟の扉部分を内側から突き破った巨大な丸鋸を捉える。
次の瞬間。
ガイン!!
切断された分厚い鉄の扉がゆっくりと傾き、機械仕掛けの神の残されたボディと頭部パーツを押し潰すように倒壊した。
「…………」
濛々と埃や謎の部品を撒き散らしながら〝炉〟の奥から何かが姿を現す。
最初に見えたのは、鉄の扉をこじ開けた丸鋸を支える巨大な腕を模した機械。それが様々な工具を携え、全三対計六本が現れた。
そしてその中央には、厳つい機械腕には不釣り合いなほど女性的な豊かな丸みを備えた一人の美女が立っている。……ただし、薄いネグリジェに薄汚れた白衣を一枚羽織り、足元はビーチサンダルというあまりにもアレな格好に加え、ふわふわとした栗毛は爆風でさらにもこもこになり、口元はガスマスクで覆っているため、その美貌は残念ながら損なわれているとしか言えない。
だが。
「あ……!」
その姿に、その場にいた全員――遠くでイチゴの蔓に搦めとられて身動きが取れなくなった白蟻の魔王・駄ルキリー・駄天使含む――が息を呑んだ。
「ただいま~。うわぁ、これどういう状況~? ……くっしゅん」
きょろきょろと周囲を見渡してのんびりと首を傾げた〝炉〟の制作者――フランチェスカ・ド・フランドールは土埃で小さくくしゃみをした。
「……フランちゃん」
「あ、セシルちゃん~」
よろりとセシルが立ち上がる。
魔力はとうに底をつき、全身の魔法陣やそれを形成する回路も焼き切れる寸前だ。
しかし彼女は己の足でフランへと歩み、鉄の扉の下敷きになった機械仕掛けの神の残骸を踏みしめ、友の体をぎゅっと抱きしめる。
オイルと煤と、ほんのり香水のような甘い香りの混じった匂いがした。
「あ~……もしかして、結構時間経っちゃった感じかな~」
「……うるさいこのマッド!」
「ごめんね~? で、これどういう状況? 栞那ちゃんの赤ちゃんには間に合った~?」
「それは間に合ったよ」
聞きなれない声にグリメルがハッと顔を上げる。
そこには顔色の悪い白衣の男がポケットに手を突っ込みながら立っていた。一体誰ぞと身構えかけたが、その背後に見慣れた少女のが二人控えているのに気付く。
「那亜!? それに悠希!? どうしたのだ、麓に避難したのではなかったのか!?」
「そ、そのつもりだったんですけど」
「病院までは無事に辿り着いたんだけど、そこから悪い魔法使いに攫われちゃったのよねえ。翔くんのおかげで無事だったけど」
「はあ!?」
「それはともかく。フラン」
白衣の男――翔がセシルに改めて声をかける。
「部品。神。部誌239ページ。2枚。EからC」
「ん、了解~」
「はい?」
自分の父親が謎の手ぶりを交えながら訳の分からない単語を羅列する。するとフランは心得たとばかりに頷くと「ちょっとごめんね~」と抱き着いていたセシルを一旦剥がし、こじ開けた〝炉〟に頭を突っ込んだ。
その言葉の意味分からなかったのは悠希だけではないらしく、那亜やセシル、グリメルも首を傾げていた。ただ一人(?)、グリメルの足元にぴょんと飛び跳ねながら控えていたラピが渋いバリトンボイスで納得する。
「特定の身振り手振り、相互共通認識の書籍からの引用文、単語の組み合わせによる暗号か。魔力を一切介さないため盗聴されても解読できぬ仕組みになっているのか。察するに、今のは状況説明と打開策の提示であろうか」
「おや、バレてしまったか。学生の頃に遊びで作ったんだけど、フランがまだ覚えてくれていてよかったよ」
「何その頭おかしい遊び……」
頭が良すぎて気持ち悪い。一介の女子中学生に過ぎない悠希は父親の精神構造に改めてドン引きし、物理的にも心情的にも一歩間が空いた。
「かーくん、おっけ~」
一分にも満たない間、〝炉〟をガチャガチャと弄っていたフランが表に顔を出す。そして中から大量の配線と共に引きずり出したのは、丸い物を嵌め込むような台座だった。
「急ごしらえだけど機能的には問題ないよ~」
「流石フランだ。……だがいいのかい? 提案しておいてなんだけど」
「んふふ~。卒アル18番、Wの2、あんぱん、だよ~」
「……ありがとう」
悪戯っぽく笑いながら暗号で返したフランチェスカに、翔は小さく苦笑を浮かべる。
そして「悠希」と己の娘に呼びかけ、手招きする。
「ちょっと手伝ってくれないか」
「え!?」
父親からの予想外の頼みに、悠希は大きく瞬きをした。




