切り札【part紫】
時は少し遡る。
翔を背に乗せて異世界邸へと駆け上がる途中、白虎は翔にとある「加護」を授けていた。
『私も主人の命令を受けてお前をここまで連れてきた以上、最低限の助力をする義務がある』
いやいや、渋々、なんでこいつにという意思を隠しもしない声で告げる白虎に、娘のことで頭いっぱい相手の心情などクソ食らえモードの翔が一声で応じる。
「で?」
無礼のお手本のような相槌を受けて一瞬沈黙するも、白虎は続けた。
『例の魔法士の呪いは、認めるのも癪だが「侵食」に特化している。呪いの領域に入るのももちろん、奴に触れるだけで呪いを受け、お前は跡形なく溶け落ちるだろう』
「で?」
『……』
こいつ振り落としてもいいんじゃないだろうか。白虎は一瞬真剣に逡巡した。
『……一度だけだぞ』
なんとか己の義務感を搾り出し、白虎は神通力を振るう。
風が翔の周囲を渦巻いた。守るように包み込むそれは、あらゆるものを浄化せしめる風だ。
『一度だけ、奴の呪いを弾くことができる。ただそれ以降はお前の身を守るものは何もない。覚えておけ』
「感謝するよ」
***
「と、いうわけだ。さっき蹴り落とした時はその風の勢いも乗せて吹き飛ばしたんだよね。まあもう二度と使えない手だけどな、あっはっは」
「この期に及んでボケ散らしてんじゃねえですよクソ親父」
「ちなみに那亜なら一回くらいは防げるっぽいってことまで教えてくれたから、珍しく親切だったよあの虎」
「手助けしてもらったのに虎呼ばわりすんなです」
蹴り落とした魔法士が戻ってくるまでのわずかな間。
悠希を助け出す際に気前よく蹴り落とした父親が呪いを受けていない理由が気になって尋ねた回答がこれである。先は結構、いや少しは、まあ格好良くもないことはない、かな? と思っていたというのに。爽やかにボケられて、悠希の声は氷点下である。
「まあどのみち不意打ちが上手くいっただけだ。いくら魔法士の大半が遠距離特化型とはいえ、仮にも幹部に成り上がるだけの腕の持ち主が近接戦が雑魚なんてことは基本ありえないからなあ」
「それにしても翔くん。あんな動きをして、腰は大丈夫なの? 久々に大暴れすると、後でくる年になったでしょう」
「……那亜、今はそういう現実は置いておこう。後でくるものは後でくるんだ。正直にいえば、随分と力を取り戻している君が羨ましい」
「あれまあ」
「いや呑気ですけど状況わかってます!?」
なんだか年寄り同士で盛り上がり始めたのを遮って中学生はたまらず叫ぶ。
「勿論。だからこうして準備しているだろう?」
そう言いながら、腰を折って作業していた翔は体を起こした。うーんと腰を伸ばす仕草をしてから、靴で土を均す。
「さてと。やっときたなあ」
「結構吹っ飛んだわね」
改めて出刃包丁を構える那亜が一歩前に出る。それを見ながら、翔は悠希を背中で庇える位置に佇んだ。
「……ひひ。怖いなあ」
震え声が眼下から聞こえてくる。息を詰めて、悠希は目を凝らす。
「僕を吹き飛ばす神の力か……嗚呼、本当にこの街は怖いなあ。たかが神のしもべである獣如きが、僕の呪いを吹き飛ばすなんて、面白い神様だな──ぶべっ」
ぶつぶつ言いながら呪いを纏って滑るように斜面を登ってきていた魔法士が、眉間に強い衝撃を受けて黙り込んだ。
「……っ、っぶしゅ!? へくしゅ!?」
否、盛大にくしゃみを撒き散らした。
「口上ばかり長い。しかも陰鬱で鬱陶しい。聞く価値がないな」
「全くね」
「ちょっ!?」
しれっと手の中に入れていた投擲用の暗器で黙らせた翔の毒舌に那亜が同調する。あわあわしかけた悠希だが、言ってる場合じゃないと気づき口をつぐむ。
「へっくしゅん……ひひひ。怖いよう。でもやっぱり、この街は怖いからこそ──呪える」
とぷん。
底なし沼のような粘性のある水音が響く。地面に溶け落ちるように姿を消した魔法士が、次の瞬間那亜の目の前に立つ。
「那亜!」
「っ!」
翔の警告の声より早く包丁が振るわれる。が、それはあっさりと魔法士の胴体を通り過ぎた。
「!?」
「ふふふ……呪いが僕の体にもいい感じに馴染んだよお……怖いなあ……!」
笑いながら那亜の首を掴もうとした魔法士は、その時何かに気づいたように地面を見下ろす。
「……ん……なんだあ?」
「那亜、目だ!」
「とっとと離れな変質者!」
出刃包丁が今度は目を横一閃する。するとガツンと手応えのある音が鳴る。
「ぎゃっ」
思わずと言った様子で目を覆う魔法士から離脱して那亜が駆け上がる。翔が悪辣に笑った。
「粉末が目に入るなら攻撃も通るよなあ。視力を確保するためには必要なんだろう──とっとと落ちろ、クズが」
その言葉と同時。
ズズズズ────ズドオオオオオオオオオン!
地響きとともに、地面が爆ぜる。
「な──!?」
呪いの染み込んだ地面が崩れ落ち、呪いの主を巻き込んで土石流となって雪崩落ちていった。
「……は?」
「あらうまく行ったわね」
「あとはもうここの連中に任せるよ。さて、後の問題は──」
「えっ待ってください、今のなんですか!?」
状況に一人ついていけない悠希の問いかけに、翔はしれっと答えた。
「ん? さっき埋め込んだだろ? あれニトロだよ」
「は!?」
「ちょっとコーティング剤の調整しておいたから、いい感じに足元崩れただろ? こっちは無事だし」
「翔君はこういうことさせたらピカイチねえ」
「……!?」
サラッととんでも罠で魔法士を文字通り二度落とした翔は、絶句する悠希を尻目に異世界邸を仰ぐ。
「邪魔者も消えたけど、今は下に降りるのは無理だし、そもそも悠希の身を守るのに俺たちだけだと心配もある。いっそ登る方がいいな」
「誰のせいで降りれないと思っていやがるんですか!?」
「とはいえ戦場だしなあ。どう──」
悠希が我慢できずにツッコミを入れるも華麗にスルーし、翔が目を細めたその時。
──天から一条の光が降り注ぐ。
まさに神罰のようなそれが、異世界邸に突き刺さった。
「……は……?」
「……これ、は……?」
悠希と那亜が呆ける。凄まじい威力が突き刺さったとわかるのに、なぜか悠希たちの身にはそよ風ひとつ届かない。それは、それだけ収束されたエネルギーがただ一点に突き刺さったということで。
「……戦況はこちらに有利みたいだったけどな。神が本来の目的であるフランの研究作品の破壊を優先しだしたってところか」
低い声でつぶやいて、翔は白衣を翻した。
「行先決定だ。フランの「炉」に向かう」
「は!?」
「そもそもの元凶があれだし、俺の勘だけど悠希の「石」の問題も同時に解決できそうな気がする」
戦地ど真ん中に行こうとする頭のおかしい父親に呆気に取られる悠希を横目に、那亜が眉間に皺を寄せる。
「あんな攻撃がまた降り注ぐかもしれないところに向かうのは危ないわよ。それに、今ので「炉」が吹き飛んだ可能性の方が高いんじゃないの」
「それはないさ」
少し振り返って、翔は楽しげに笑う。
「フランの発明品があんなガラクタの攻撃で吹き飛ぶわけがない。俺の知る限り、あいつは自分の作ったものを他人に壊されるのは、その相手を殺そうとするほど大嫌いだからな」
***
「一体なんだったのであーる!」
いきなり竜巻に包まれ、唐突にペイッと放り捨てられたジョンはご立腹だった。しかも竜巻からはジョンが大嫌いな神の気配までしたというのに、力づくでは引き剥がせなかったのがまた腹立たしい。
とはいえ、怒っている場合ではない。
「……」
「……ふふふ」
のそりと起き上がるウリディンムと、ゆらりと体を持ち上げるサリーがジョンを見据えていた。
「我が主の邪魔をする犬ころに猫もどき。鬱陶しいばかりですし、やはり呪い殺さねば」
そう言うなり、サリーは両手を胸に添えて。
「いつまで眠っているのです──メリー」
ずるり、と少女を引き摺り出した。
「わう!?!?」
ブワッと毛を逆立てるジョンと、無言で身を低くするウリディンムの目の前で、それはべちゃりと音を立てて地面に落ちた。
「……不覚」
「うふふ、人間相手に情けないですね。我が主に死んで詫びなさい」
「終わり次第そういたします」
サリーと言葉を交わしたそれ──メリーは、ゆっくりと体を起こして立ち上がる。二人が並んだ途端──ドロリと地面が波打った。
「ひっ!? 気色悪いであーる!」
悍ましい呪いの気配にさらに毛を逆立てたジョンは、咄嗟に口から炎を吐き出して吹き飛ばそうと息を大きく吸い込む。
一方ウリディンムは怯まない。単純な相性として、神の僕である神龍は呪いには強い。構わず卵の害になりそうな呪いを食い殺そうと地面を蹴った。
骨をも溶かす豪炎と、竜の突撃。いずれかだけでも喰らえば並みの存在では跡形も残らないコンビ攻撃に、サリーとメリーは不気味に笑う。
「うふふ」
「無意味な攻撃」
サリーは両腕を広げてウリディンムの攻撃を無防備に受け止める。メリーを引き出した胸の中へウリディンムを包み込み、抱きしめるように拘束した。
「いらっしゃい。アナタを呪いに染めて、ドラゴンゾンビにしてあげる」
どぷん──と。沼のような水音を立てて、竜を呪いに落とす。
「わう!?」
仮にも神の眷属を躊躇いなく呪いに落とそうとするサリーに戦慄したジョンだったが、すでに吐き出した地獄の豪炎は波打つ地面を這って焼き固めた。それを見て追加のブレスをメリーに吐き出そうとして──いない。
「──私、メリーさん」
と、ジョンの耳元に女の声が囁く。
「今、アナタの後ろにいるの」
都市伝説の怪異が呪いで具現化した存在であるメリーが、にいっと笑ってジョンの腕に首を回す。
ジョンの全身の毛がぶわわっ!! と逆立った。
「わおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!?!?!?!?」
思わず那亜の言いつけに逆らい遠吠えをしてしまったジョンが、メリーを振り落とそうと闇雲に首をぶん回す。が、メリーも呪いらしいしつこさで憑いて離れない。
と、その時。
──パキン。
音を立てて、地面が塩に変わる。
「!?」
「わうっ!?」
「これは……」
三者三様に警戒の視線を向けた先──バキン!
地面を割り、ウリディンムが飛び出した。その勢いのまま、サリーへと噛みつこうとする。
「くっ」
先程は余裕の表情で受け止めたサリーも、これには渋い顔で回避する。避けた先、ウリディンムは即座に方向転換したが、掠めた樹木が音を立てて塩漬けになり、その場に崩れ落ちた。
「怖いのであーる!?」
思わずジョンの尻尾が丸まる。塩化によって呪いを浄化したのであろうが、ただの自然物が形すら保てなくなるほどの浄化の力は、呪いの化身であるサリー、メリーだけでなく魔王の眷属であるジョンにすら猛毒だ。
メリーもこれには警戒せざるを得ず、一度ジョンから離れてウリディンムへと臨戦体勢をとる。
慎重に距離を取る三者に対して、ウリディンムは竜の権威を振りかざすように悠然と構え──
キンっと、刃物が鳴る音が微かに響いた。
瞬きののち、その体が塩と化す。
「!?」
「え……?」
「何が……」
驚く一同の前で、ウリディンムは塩へと還った。何が起きたのか分からず呆然とするサリー、メリーより僅かに早く、ジョンはその正体を推測できた。
「……これは、きっとあの小娘であーる」
時折フラッと異世界邸に顔を出しては泊まり込み、医者先生の娘や管理人の娘たちとつるんで遊んでいる白髪の少女。その魔力の残滓をうっすらと嗅ぎ取ったジョンは、改めて呪いの二体へと向き直る。
「さて、こうなれば話は簡単であーる。吾輩と其方ら、互いに主人を持つ者同士、力比べであーる!」
浄化の特性を持つ竜が消えたのならば、ジョンが負ける気はしない。不気味は不気味だが、呪いに対して炎の相性は良い。一体二であろうと我が主君から託された力ならば絶対に勝てる!
意気揚々と胸を大きく膨らませ、ジョンが豪炎を吐き出そうとした──その時。
「ふむ。受け入れると見せて呪いに落とす人形に、背後に徐々に迫る人形か。やんでれぷれいとすとーかーぷれいというやつであるな。実に愛いことよ」
声の響きだけで悍ましいそれが聞こえた瞬間、ジョンは全速力で戦略的撤退を開始した。
「は?」
「何を……」
思わず胡乱な声を上げるサリーとメリーの前に、それが立ち塞がる。
「とれんどからは外れているが非常に愛らしいおなごたちだ。呪いも良いすぱいすとなろう。──我が君の頼みとあらば、やつがれ喜んで興じようではないか」
芋ジャージに羊頭。
奇怪としか言いようのない化け物が、呪いを前にしてニタリと笑った。




