参戦【Part夙】
機械仕掛けの神の眷属である主天使級戦術機巧神兵――識別ナンバーNAJS59632は、隊を率いて粛清対象に指定された街の上空を飛翔していた。
総員五百機の二個中隊。それぞれ隊を纏める力天使級と能天使級が一機ずつ。権天使級が三十機、大天使級が五十機、一般兵の天使級が残り四百十七機といった構成である。
並の世界であれば七日七晩もあれば粛清可能な戦力。それをたった一つの街にぶつける異常さを機械の知能は理解している。だが、疑問を覚えることはない。彼らは与えられた指令を全うするだけの充実な兵士だからだ。
既に粛清は開始している。街の人間が抵抗しているようだが、今のところ天使級相手にも苦戦するような脅威レベル1にも満たない有象無象でしかない。
しかし――
《警告。粛清範囲内に存在する人間の数が想定を大きく下回っています。術式を検知。異空間への隔離と推測。特定開始。――失敗。脅威レベル3以上の存在に警戒してください》
あらゆるレーダーを搭載している戦術機巧神兵の索敵能力は非常に高い。世界の裏側だろうが別の惑星だろうが位相の異なる空間だろうが、問題なく検知できる。
なのに見つからない。この街にいた人間はどこへ消えたのか? 索敵が妨害されているか、もしくは機械では認識できない特殊な空間が存在しているか。どちらにしても、それをやってのけている人間の脅威レベルは高い。
レベル3までは主天使級以下で対処可能である。仮にレベル4となれば上位魔王クラス――座天使級または智天使級の投入が検討される。レベル5以上となってしまえば、もはや最高位である熾天使級の戦術機巧神兵が対応しなけばならない。
《警告。脅威レベル2の群体を検知。亜竜千頭を確認。始祖竜ティアマトの竜軍による増援と判断します》
先に街を襲っていた亜竜とは今も交戦中である。亜竜一頭と天使級一機に戦力差はほとんどない。大天使級以上であれば問題なく処理できるため、趨勢は機械神軍に大きく傾いていた。
しかし、ここに来て千頭の追加。
亜竜は始祖竜ティアマトを倒さない限り〝塩〟から無限に生まれてくる。数の優位は竜軍にあるようだ。
《指令。力天使中隊で竜軍を撃退してください》
《指令を受託》
《指令。能天使中隊は街の粛清を続けてください》
《指令を受託》
主天使級が命令を下すと、戦術機巧神兵たちは編隊を組んでそれぞれの任務を遂行していく。
千の亜竜と約二百の天使級が激突。物量差で蹂躙されるかと思いきや、大天使級が放つレーザーが十頭単位で撃墜、権天使級が魔導術式を発動させて一網打尽にしていく。
街の方も至るところで爆発が発生している。制圧率は40%。脅威レベルの高い術士はまだ出てきていないが――ズン、と。
街の一区画から噴き出した泥のようなナニカが天使級を呑み込んだ。紫色に変色した機体がボロボロと空中で分解されていく。
《エラー。街に蔓延している呪いの根源を確認。脅威レベルを暫定で特5に指定。上位機体に応援を要請し、速やかなる排除を推奨しま――》
それだけではなかった。
《警告。警告。脅威レベル5以上に該当する魔力が出現。魔王因子を検知。データベース参照。アクセス権限エラー。権限の申請。――承認。『呪怨の魔王』グロル・ハーメルンの魔力と99%一致。暫定特5と接触しています。熾天使級の出動を要請。――却下》
ネットワーク通信で最高位機体を呼ぼうとしたが、その申請は即座に棄却された。現存戦力で対応しろとの指令を受諾する。
《警告。古竜種の接近を検知。脅威レベル推定4。始祖竜ティアマトの神竜を二頭確認。毛蛇竜ラフム及び魚竜人クルールと推測。再度熾天使級の出動を要請。――却下》
やはり援軍は呼べなかった。主天使級以下二個中隊で対応可能な脅威レベルを超過している。それでも指令は絶対である。負け戦だとわかっていても突撃しなければならない。
《指令取消。能天使中隊は魔王と暫定特5を優先してください。力天使中隊は半数を古竜種の対応に回してください》
《《指令を受託》》
街中を飛び回っていた戦術機巧神兵たちが一斉に魔王と暫定特5を検知した方角へと飛び――
「あらあらぁ? 私たちの相手はしてくれないんですかぁ?」
おっとり間延びした声と共に吹き荒れた裂風により、半数以上が一瞬にして斬断された。主天使級は慌てない。慌てるような感情はプログラムされていない。
《警告。新規の敵性勢力を検知。脅威レベル不明。暫定レベル3とします》
主天使級の視界に確認できた存在は、色鮮やかな十二単を纏った緑髪の少女だった。風を纏って宙に浮かんでいる彼女からは、即座には測定できないレベルの魔力を検知する。
だというのに、ここまで接近されるまで察知できなかった。恐らく索敵対象範囲外から転移してきたものだと推測される。
「警告ばっかり言ってますねぇ。尺度はわかりませんがぁ。レベル3というのは――」
すっと少女が片手を挙げた。瞬間、地上から光線や雷撃や影や衝撃波といった様々な攻撃が放たれ、戦術機巧神兵を次々と撃ち落としていく。
「あなた方が全滅する程度、ということですかぁ?」
にっこりと柔和に笑う少女に、主天使級は存在しないはずの恐怖の感情が込み上げてくる。
《……データベース参照。アクセス権限通過。世界の守護者の参戦を確認しました。脅威レベルを特4、訂正、5に修正します。再度熾天使級の出動を要請。――却下》
「あちらはあちらで大変そうですからねぇ。あなたたち木っ端人形に援軍を送る余裕なんてないと思いますよぅ」
少女が西側の山に視線を向けた。そちらでは神軍の本隊が邸を対象に粛清を行っている。邸の抵抗が激しいことは主天使級にも伝わっていた。
「ふふふ、本当は竜と潰し合ってくれたら楽だったのですがぁ」
「それだとおっさんたちの出番がなくなっちゃうでしょうよ」
少女の隣に水平の魔法陣が描かれる。そこに転移してきたのは、魔術師のローブを纏った中年の男だった。
戦術機巧神兵が減ったことで潜り抜けてきた亜竜たちが、地上から放たれた魔術と多種雑多な人外たちによってあっという間に排除された。
《警告。新たな魔術師勢力及び幻獣の参戦を確認。脅威レベル2~5と推定します。再度熾天使級の出動を要請。――却下。再度要請》
何度も要請を繰り返す主天使級。だが、本隊からの応答が変わることはなかった。
「ところでぇ、勝手に参戦していいのですかぁ? 連盟はこの街の偉い人に嫌われていると聞いていますよぅ?」
「お互い様でしょうよ。監査局はうちほどじゃないにしろ、そもそも外部勢力自体が歓迎されない街だからね。てか、その嫌われてる理由がおっさんの与り知らぬところだから知ったこっちゃねえんだぁよ!」
要請。却下。要請。却下。要請。却下。要請。却下。
「そうですねぇ。この地は守護者としても不可侵の領域。今回のような事態でなければ介入したくてもできませんからねぇ」
「よく言う。あっちで戦ってる精霊の彼はこの街に住んでんじゃないのよ。お兄さんだっけ?」
「あらぁ? 私にビチクソドヘンタイのアホ愚兄なんていませんよぅ♪」
「可愛らしい笑顔してんのにすんげえ汚い言葉使う!?」
要請。却下。要請。却下。要請。却下。要請。却下。
「まあ、あんたらもおっさんたちも別に街を助けようってきたわけじゃあない。ついでだついで」
主天使級は要請を諦めた。
《申請。当機の指揮権を各中隊長に委託。及び当機の戦闘許可。――承認》
ガコンガチャガチャと体が組み変わり、全身から砲台を出現させる主天使級。
「あらあら、世間話している間に戦闘モードに入っちゃいましたよぅ」
「人形はあんたらの管轄だぁよ。おっさんは……またこっち来てる亜竜の群れをやっちゃいますよっと」
中年魔術師が魔法陣を蹴って主天使級の脇を擦り抜ける。むざむざそれを逃すつもりはない。
《粛清開始!》
翼の砲台からレーザーを放つも、それは風によって屈折され魔術師に届くことはなかった。
「余所見なんて酷いですぅ。あなたのお相手は私ですよぅ♪」
《指令。天使級未満の使徒を招集。壁となりなさい》
周囲に現れた転送陣から戦術機巧神兵とは違った作りの人形たちが出現した。この世界に来てから神がクラッキングした機械人形たちである。上位機体の要請は通らなかったが、所詮は使い捨てとなる彼らなら主天使級の権限で呼び出せる。
人形たちは主天使級を守るように整列した。
「これらは……あのお邸に保管してあった機械兵ですかぁ? 制御を乗っ取られているのでしょうか。だったら壊すと怒られちゃいますかねぇ」
少女は困った風に眉を顰めながら、片手を前方に伸ばし――ぎゅっと拳を握り締めた。
すると凄まじい風が吹き荒れ、渦を巻き、人形たちはあっという間に竜巻の中へと封じ込まれてしまう。
「レランジェちゃんを連れて来なくて正解だったようですぅ」
呼ぶだけ無駄だった。これでは壁にもならない。主天使級は全身の砲台を一斉に少女へと向ける。
《撃滅》
「無駄ですよぅ」
スパァン!
吹き抜けた風の刃が主天使級の砲台を一つも残さず斬り裂いた。さらに視界が半分からずれ動き、徐々にスライドしていく。
頭部を両断されたと認識した時には、主天使級の体はサイコロ状に滅多斬りにされてしまっていた。
「あなたごときに敗れるほど、この世界の守護者は弱くありませんのでぇ」
呆気なく分解され、落下していく主天使級。この街で暴れているのは機械の神兵たちだけではない。亜竜の群れや呪いにどう対抗するか。完全にシャットダウンするまで見届け、そのデータを本隊に送信しなければならない、
「そこのおじさーん、手こずっているのなら手伝いましょうかぁ?」
「必要ないやい! つっても、やっぱ数が多いんだぁよ。街の被害考えながら戦うのはおっさんにはちょろっと骨が折れる」
苦戦とまではいかずとも、やり難そうに亜竜と戦っている魔術師。彼はどういうわけかニヤリと笑うと、手に持っていた杖を高々と掲げ――
「というわけで! 予定通りやってしまいなさい、羽黒青年!」
「…………」
《…………》
「あ、あれ?」
シン、と砲撃と咆哮と風音が刹那の間止まり、高らかに上げた杖に灯る合図の魔力が空しく霧散した。
「え、あれ!? 羽黒青年!? ちょ、羽黒青年動いて!? ねえってば!?」
「おじさん、ダサいですぅ♪」
《…………》
「ちょまあああああ!?」
何やら慌てふためく魔術師とそれをからかう少女。
落下していく主天使級が最後に本体へ送信したデータは、そんな有益情報の「ゆ」の字もないどうしようもなくくだらない視覚データと――
『なんで俺があんたの都合に合わせて動かにゃならんのだ。まだ責任者と交渉中だっつーの』
思念伝達の術式に乗せられた軽薄な笑い交じりの皮肉だった。
***
街の西区画。
呪いの泥が蔓延したそこでは、無数の人形たちが瓦礫となって積み上がり、さらに魚の姿をした竜人が白目を剥いて倒れていた。
魚の竜人――クルールが〝塩〟となって風に流される。
「ヒャホホ、あの魔法士、神竜を一匹倒してどこかへ消えてしまったか!」
泥の中で優雅に茶を飲む道化風の魔王は、愉快に笑って西側の山を見やる。『どこかへ』など最初からわかり切っている。
「フラれてしまったのなら仕方がない。私はまた傍観勢に戻るとしよう!」
グロル・ハーメルンは魔法士を手伝うつもりも妨害するつもりもなかった。知り合いの白蟻姫、そして自分が仕える〝魔帝〟に対する義理は『ほんの少しの時間稼ぎ』だけで十分だったからだ。
ギャオオオオオオオオオオオオン!!
帰ろうとすると、背後から竜の咆哮。毒を含んだ息吹が吹きつけられ、周囲の建物がドロドロに溶解していく。
「おや?」
グロルも毒を浴びてジュワジュワと全身から煙を噴き出した。
道化の服が焼け落ち、皮膚が爛れ、やがて地面の染みと化す。
ギャオオオオオオオオオオオオン!!
毒の息吹を吐いたのは三対六つの巻き毛をした毛深い蛇――神竜の一体であるラフムだった。神クラスの竜の毒ともなれば、流石の最上位魔王でもひとたまりもなかったのである。
そのラフムが次の獲物を探すため進路変更した、その直後――そこらのビルほどもある巨体の全身が赤紫色に爛れ溶け始めた。
ギャオオオオオオオオオオオオン!?
「ヒャホホ! 毒殺はなかなか得難い経験だった!」
苦しげに呻くラフムの背後。そこに先程溶けて死んだはずのグロルがティーカップを持って浮かんでいた。
「爬虫類のくせに不思議そうな顔をする! 自分に毒は効かないとでも思っていたのかね?」
毒殺された、という結果を呪いとして跳ね返したのだ。毒抵抗なんて無意味。ラフムの巨体は骨ごと完全に溶け切る前に〝塩〟と化し、呪いの泥と混ざり合ってわからなくなる。
と、その部分の呪いが相殺されたように綺麗に消え去った。
「ん? なるほど、あの〝塩〟には強力な浄化作用があるのか。ヒャホホ! 私が浴びなくてよかった!」
愉快そうに嗤うと、〝呪い〟の概念魔王は今度こそ紅晴の街から存在を消すのだった。
***
異世界邸――裏庭。家庭菜園。
「よし、準備完了じゃ!」
戦いの最中、一人なにかを行っていた神久夜は腰に手をあててニヤリと笑った。