街の足掻き【part紫】
場所は変わり、麓街。
そこはもはや地獄だった。
「今度は呪いの概念たる魔王……ね」
報告を受けた魔女は、流石に込み上げた苦笑いを噛み殺し損ねた。
「かの魔法士の呪詛と魔王の呪詛がぶつかり合い散乱することで、これまで辛うじて保てていたバランスが崩れております」
「そうだね……」
神の砲撃と、竜の咆哮と、呪いの侵食。
一度に起こるはずのないそれらは三つ巴に喰らいあい、結果的に奇跡的なバランスで街への被害を最小限に食い止めていた。
もちろん四家も指を咥えて見守っていたわけではなく、呪いの中で動ける数少ない術者全員が力を振り絞り、封印を守るべく土地の汚染に抵抗してきた。が、こんな世界を何度でも滅ぼせそうな敵相手に、自分たちの力だけで対処できていたと自惚れる気はない。
現に今──外部勢力として傍観するはずだった魔王一人が降臨しただけで、土地は一気に汚染を進めていた。
「さてと……」
こめかみをトントンと叩きながら、魔女は思考に耽る。ここから先、守り抜くために何をするべきか。
「……病院の避難状況は?」
「浄化結界の外に出せる状態の一般人は、既に門崎と嘉上によって避難済みです」
「寺湖田さんのところの畔井さんが、「たまたま」休暇中で道を整備してくれたのも大きいね」
「病院に残っているのは、体調や諸事情で「動かせない」もののみです」
「……そう」
その中に、「眞琴」が敬愛する栞那も含まれているのは間違いない。彼女を助けに全てをうち捨てて病院へ駆けつけたい気持ちは際限なく膨らみ、けれど決して弾けることはない。
この街を命懸けで守った人の意思を身勝手に継いで、眞琴は魔女として、吉祥寺次期当主の座にいるのだから。
「──封印は幸いまだ影響が出ていない。……四神が顕現して力を振るってくださっているのも大きいみたいだね」
「……その四神の契約者は、どこで何をしているのだか」
側近の一人が吐き捨てる。積もり積もった不満がついに噴き出たらしい。魔女は苦笑して肩をすくめた。
「何度も連絡は試みているんだけど、全く応答がないんだ。というか携帯の電源は切ったままみたいだし……連絡が届かないくらい遠くにいる可能性もあるね」
「無責任な……!」
暗に異世界で暴れている可能性を示唆すると、側近は怒りを燃やした。軽く手を上げて、魔女がそれを制する。
「四神はきちんと動いてくださっている、それは確かだ。最低限の指示は受けている可能性が高い」
「ですが」
「それに、今彼が直接動くのは拙いんだ。──魔法士に炙り出された形になると、それに便乗して魔法士協会が動き出しかねない」
「く……!」
「彼も見え透いた誘いには乗らないだろうし、今回直接の参戦はないと思っていた方がいい。……あの組織は本当に、うちの街がお嫌いらしい」
魔女が薄く笑う。笑みに込められた薄暗さに、側近は気圧されて黙り込んだ。
「……ん、連絡だね」
窓から飛び込んできた折り鶴に魔女が指先で触れると、折り鶴から届く声が端的に告げる。
『門崎より吉祥寺に報告です。現在街を侵している呪いに、僅かではありますが浄化が効果を持ちます』
「……魔王が関与したことで「魔」の領域に入ったか。それは朗報だね」
1つ息を吐きだして、魔女は告げる。
「吉祥寺より門崎に通達。浄化の範囲をこれより街全体に広げる。術は浄化の強度よりも範囲を優先して。吉祥寺からも援軍は出すよ」
『霍見にも応援要請を出して良いでしょうか?』
「……そうだね。竜と人形は、どうやら私達よりも適任者が手を貸してくれるみたいだし。嘉上はそちらとの折衝を依頼しよう」
『承知しました』
折り鶴がふわりと広がり、一枚の符になる。それを手に取り、側近から受けとった筆で素早く文字を記す。符は独りでに蝶の形に折られ、ひらひらと飛んでいった。
「よし、後は、と」
そのまま素早く魔法陣を展開した魔女は、淡く明滅する魔法陣に向けて声をかける。
「梗の字、聞こえるね?」
『ああ』
「門崎から浄化の術式は呪いに効果があると報告が来た。今の呪いを浄化するんじゃなくて、これ以上の侵食を防ぐために術式を街全体に広げる」
『それで、俺に何をさせる』
「勿論──浄化の術式を、君にも使ってもらう」
側近が息を呑んだ。声の主も束の間黙る。構わず魔女は続けた。
「君が魔術に拘ってるのは私もよく知ってるよ。けど、現状では、魔術はあの魔法師の呪いに食われるばかりだからね。必要なのはこの街の術者が扱う術式だ」
『……俺に、術を扱えと』
「使えないとは言わせないよ」
『……』
「梗の字」
魔女がうっすらと笑う。
「私がこの状況に、どう思っているのか。梗の字なら説明するまでもないよね?」
『……はあ。分かった、準備する』
「よろしく」
魔女が魔法陣を打ち切る。側近が恐る恐る声をかけた。
「……彼のものを、四家として動かす気ですか」
「いいや。使えるものは何でも使うだけだよ」
あ、これはだめなやつだ。
自然と察した側近は、それ以上何も言わずに引き下がった。
***
ジョンが目から放った光線を避けて、ウリディンムが距離を詰める。そのギザギザの牙で食い破らんと大きく口を開き、ジョンが負けじと炎のブレスを吐き出そうとして──
頭上から降り注ぐヘドロのような紫色の淀みに、攻撃を中断して距離を取るように避ける。
「主の敵はしぶといですね」
赤い瞳に嗜虐の色を浮かべ、サリーは嗤う。
「我が主君の命令であーる! とっとと消し炭になるのであーる!」
「……」
ジョンが吠え、ウリディンムは無言で地面を蹴る。三者それぞれが、仰ぐ主人のために一歩も譲らぬ戦いが繰り広げられた。
豪!
唐突な突風が三者を取り囲む。
「何事であーる!?」
「これは……」
「……」
彼らが身構えるも、目的は攻撃ではない。だからこそ、反応が遅れた。
『──主の命だ。これ以上戦端を伸ばすな』
凛とした女性の声と共に、風は三者を取り囲んだまま山を駆け上っていった。
「……流石は神獣。あれほどの敵をまとめて吹き飛ばせるんだねえ」
『……滅ぼせないのは私の力不足だ」
背に乗ってそれを見ていた翔が呟くと、風の使い手──白虎は苦々しげにそう返した。それに肩をすくめ、翔はするりと滑り降りた。
『おい?』
「君の目的は病院へとつながるこの一帯を封鎖することだろう? あまり上りすぎてはすり抜けていくネズミが出てくるよ」
そう言って迷いなく山頂へと足を踏み出す翔に、白虎は低い声で告げる。
『……お前もまた私たちの守るべき民だから一度だけ告げる。ここから先はただの人間が踏み入れていい戦場じゃないぞ』
「おや」
と、少し意外そうに翔は振り返った。
「君が俺にそんなことを言うとは驚きだ」
『……』
「まあ良いか。俺も一度だけ言うけど、そこに大事な娘が連れ去られたんだ。はいそうですかとおとなしくしているわけがないだろう?」
何ら力の入っていない、いつもの口調でそう言いながらも、翔は常の笑みすら消え失せた顔で、静かに唇の端を歪めた。
それだけ言って、翔は静かに山を登り始めた。
『……ん? この匂いは火薬……おい待て山の中で何をする気だ!?』
***
魔法士の呪いと魔王の呪いが絡み合い、広がり、土地を穢す。
その穢れは少しずつ広がり、結界を超えて、封印へと迫っていた。




