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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
三つの脅威・2
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人攫いの怪異【part 紫】

 ウリディンムは母であるティアマトからの命令を受けて空を駆けていた。

 ワゴン車で逃げた住人を捕らえ、敵として潰すよう命じられたウリディンムは、その命令を確実かつ速やかに遂行すべく、山を降りてからはやや不思議な経路を辿って走るワゴンに飛び掛かった。


 が。


「おや、異物がいますね」


 うすら笑いを含んだ声が、ウリディンムのすぐそばで響く。ウリディンムが顔を上げると、褐色の髪の奥に血色の瞳を覗かせた女が、宙空を滑るようにウリディンムと並走していた。

 女──サリーの笑みをかたどる唇が開く。

「神を気取った竜などに我が主が苦労するはずもございませんが、煩わせる前にここで呪い殺してしまいましょう──」

 そう言って、呪いを込めた指先がウリディンムに届くより先。


「控えおろう!!! 我が聖母(マイ・マザー)に手出しする不届きものは、吾輩が焼き尽くすのであーる!」


 威勢のいい声と共に、業火がウリディンムとサリーに勢いよく吐きかけられる。それぞれ回避と防御に気を取られている間に炎を吐き出した犯人である巨大チワワ、ジョンは山の麓側に回り込んで、足を踏ん張った。

 ジョンは胸を張り、犬の姿をしたティアマトの配下を睨みつける。

我が主君(マイ・ロード)にも託されたのである。 我が聖母(マイ・マザー)には指一本触れさせないのであーる!」

 そう言って、目から光線を放った。




***


 ちゅどおおおおん!

 

 背後で聞き慣れた非常事態の音が響く中、バスのようなワゴン車は山道を走っているとは思えぬ滑らかさで進み、やがて停車した。

「はいよ到着ですぜえ!」

 こんな時でも元気いっぱい、鼓膜に突き刺さる声に案内されるように、一同は降車した。

「あ、お父さんが前に入院してた病院だ!」

「そうですね」

 それはとりもなおさず、栞那の元職場であり、翔の現職場でもある。舞い戻ってきた形になる当人たちは平然とした顔をしている。

「ま、この住人たちをトラブルなく受け入れられる施設なんて他にないわな」

「まあね。後、今は街での唯一の安全地帯でもある」

「何?」

 栞那が問い返すと、翔は腕を伸ばして病院の敷地外を指す。釣られて目を向けた悠希とこののは思わず息を呑んだ。


 地面がドブとも言えぬ形容し難い悍ましい色に染まり、不自然に波打っていた。


 異世界邸でカオスな魔力を見慣れた悠希ですら忌避するような悍ましい気配に、思わずこののと二人、手を握り合う。

「うわー……これはまた、異常な呪詛ですねー……」

 ソーニョが嫌そうな顔で敷地ギリギリの部分で覗き込んだ。シルクハットがわずかに敷地の外に出た途端、ドロリと溶け落ちていく。

「うわっ!? えっこれ地面に触れてなくても効果出てるんですか!? うわー、こわー……」

「これはまた、品のない魔術を操る慮外者がいた者ですね。防いでいる結界も相当なものですが」

 慌ててシルクハットを脱ぎ捨てたソーニョに並び立ち、ウィリアムが顔を顰める。ノッカーは興味がなさそうに、建物の中へのっしのっしと歩き出していた。


「はぐれか?」

「わかっていて聞いているんだろう? 協会だ」

「……あの碌でなしどもか。道理でな」

 翔と栞那が低い声で言い交わす会話の中身はわからない。分からないけれど、悠希はこののと握った手に力が籠る。


「とりあえず、中へどうぞ。申し訳ないけれど、隔離スペースを用意させてもらった。事情を知るスタッフが待ってるから、怪我の確認をさせてくれ」

「当然です。ご配慮に感謝しておりますよ」

 ウィリアムが翔に一礼して、踵を返してノッカーの後を追う。リックも「死ぬかと思ったよお……」と呟きながらその後に続く。他の面々もゾロゾロと後を追うのをぼんやりと眺めていた悠希は、こののに手を引かれて我に返った。

「悠希、私たちも入ろう?」

「えっ、あ……そうですね」


 慌てて足を早める。が、すぐに視線が翔と絡み合い、足を止めた。


「悠希?」

「……このの、先に入っててください。先生をお願いしてもいいですか」

「……うん、わかった」

 こののは見通したような笑顔で頷いて、栞那と手を繋いで支えるように歩き出した。見た目は微笑ましいが、いざという時には担ぎ上げてでも駆け込んでくれるだろう友人に母を任せた。悠希達を見守るように、那亜が微笑んで佇んでいる。


 そこまで見届けてから、悠希は俯いた。


「悠希、中に入ろう」

 声をかけてくる父親に、どうしても顔を向けられなかった。


「……何で、今更」


 それだけは、聞いておきたかった。


「……何でだろうねえ」


 返ってきたのは、苦笑が滲んだような声。


「だって、自分はもう小さい子供じゃなくて」

「うん」

「こののも、住人も、強い人がたくさんいて」

「うん」

「自分のこと、守ってくれる人が、ちゃんといて」

「うん」

「……それでもあのアパートにくる危険なんて、そんな強い人でも苦戦するようなものばっかで、今更、医者やってるだけの人間が一人来たって、どうにもならないです」

「うん」

「でも、だから、なんで」


 父親にいて欲しかった時期には放置していたくせに、悠希も自分の身を守れるようになってきたのに、父親の手に負えないような事態になった今になって、どうして。


 聞きたいことはまとまらないままに、途切れ途切れの言葉を繋ぎ合わせる悠希に、丁寧に相槌を打っていた父親が、小さく苦笑する気配がした。


「……俺も分からないなあ」


 その声が少しだけ揺れていた気がして、悠希が顔を上げる。困ったようにほおをかいて、父親はぎこちなく笑う。


「悠希の言うとおりで、本当に、今更父親面ができる立場じゃない。貴文も、あのアパートの住人も、ちゃんと栞那と悠希を守ってくれるんだから、俺の出る幕はない。分かってた、分かってたんだけど……なんでかなあ。気づいたら走ってたよ」

「……」

「……でも、二人が無事でいてくれて、本当に良かった。それは嘘じゃない」

 ほんと、なんでかな。ぎこちない笑顔のまま、父親がそう呟くのを悠希はじっと見つめた。


 なんで、の理由は、多分悠希が期待したもので。それが嘘じゃないなんて、さっき栞那へむけていた眼差しを見れば分かりきった事だ。

 でも、たぶん。本人だけが、分かってない。


「……嘘なんて、思ってません」

「……」

「嘘つき野郎だけど、さっきのは、嘘じゃねえです」

「……うん。そうだな」


 多分この父親は、どうしようもなく不器用なのだ。自分の気持ちもちゃんとわからない、分かっても言葉に出来ないほどに。


「……中、入りましょう。抜け出してきたなら、先生を待ってる患者さんがたくさんいるんでしょう」

「……うん。あー……怒られるだろうなあ」

「それは当たり前です。自分も謝ります」


 この人は、自分たちを助けたくて、仕事を放り捨ててきたのだから。


「……そのあとで、ちゃんと謝ってもらいますからね」

「……」


 驚いたような顔をした父親からぷいと顔を背けて、悠希はそれでも父親に追いつくと、肩をどつくようにして押しやった。

「ほら行きますよ! 怒られにいくんでしょう!」

「……うん」

 小さく笑うような気配がして、翔は悠希の歩調に合わせて隣を歩き出す。すぐに建物入り口が見えてきて、中から出てきた白衣の女性が怒鳴る。

「院長!! 説教は後です、早く入って!!」

「はいはい、今いくよ。那亜さん、よろしくね」

「はあい。じゃあ行こうか、悠希ちゃん」

「え、あ、はい……」

 さっきまでの気まずい空気は何処へやら、半ば引き摺り込まれるように中へと入っていった翔に呆気に取られつつ、悠希は那亜に促されて階段に足をかけた。


「みーつけた」


 その時。

 いまの今まで全く影も形もなかったソレが、悠希の背後に、いた。


「今、あなたの後ろにいるの」


 くす、と嘲笑い混じりの声が耳元で聞こえるのに、悠希は動けない。

 ゆっくりと目を覆うように近づいてくる手のひらを、ただ見ていることしか出来なかった。


(あ──)


 助けて、と声に出すこともできず。


「悠希ちゃん!!」

 那亜の声を最後に、悠希の視界は暗転した。



***



『ご主人様。「石」の持ち主を捕らえました。余計なものまで一匹ついてきましたが、これより「邸」へ向かいます』

「ひひひ……流石メリーだねぇ……怖いねえ……怖い怖い……民話に僕の魔法(呪い)を込めただけのことはあるねえ……」

 引き攣ったような笑い声を漏らし、魔法士は歩き出す。呪いを撒き散らしながら、呪いの込められた魔法陣で、転移魔法陣を描く。

「じゃあ、行こうか……この呪いを使って、あの邸をどこまで僕のものにできるかなあ……」



***



「……悠希?」

 那亜の悲鳴に振り返った翔は、そこにいるはずの娘が消える瞬間を見た。ゆっくりと目を見開く。

「……あ」

 消える直前、那亜が悠希に飛びついて一緒に消えたから、ひとりではない。だが、結界内に広がった呪いを、それを慌てて消そうと現れた神獣を見れば、どんな敵が悠希を害そうとしたのかなんて、疑問すら必要はなかった。


 魔法士協会。

 因縁のある組織が、また、翔から大切なものを奪う。


「おい」

『なんだ人間、放せ!』

 気づけば、呪いを浄化し終えた四足の神獣──おそらく白虎の頭を掴んでいた。

「連れて行け」

『は?』

「お前達が守るはずだった人間が攫われた。俺も、連れて行け」

『……! なにを、言うか……! 人間如きが』


『ハク、行け』


 翔の言葉にいきりたっていた白虎は、直接脳内に響いた声に毛を逆立てた。

『主!? 私は──』

『呪いの大元が邸に向かっている。残していった術式からして、この街の特性を利用して邸ごと乗っ取る気だ。なんなら石も利用するつもりだろ。その前に持ち主を連れ戻せ』

『だからって──』

『加えて、その住人どもを追った竜の軍勢が近くまで来ている。足止めはされちゃいるが、結界内に入り込まれる前に邸まで押し戻せ。そのついでにそいつ下ろせばいいだろ』

『主!』

『うるせえごちゃごちゃごねんな命令だ』

『……!?』


 ぐぐぐ……と白虎はしばし唸るが、撤回はされず、ついでに言葉が付け加えられることもなかった。渋々、本当に渋々と背を伏せる。

『……主の命だ。仕方がない、乗れ』

「どうも」

 聞こえなかったものの、白虎の様子からなんとなくやりとりを察した翔は笑顔を浮かべる程度の冷静さを取り戻し、素早く白虎に跨った。



***



『よろしかったのですか?』

「お前が行きたかったのか? セイ」

『いえ、白虎が適任かと。ただ、主は動く気がなかったようでしたので』

「こんな明け透けな罠に乗るほど馬鹿じゃねえ。俺が動けば次の手が打たれる。多分、ノワールあたりに街を焼かせる気だろうな」

『……』

「とはいえ、魔石が魔法士協会の手に落ちるのは避けたい。あの呪詛撒き散らしてる魔法士はもはやこの街の敵だ。守護の神獣が動く理由はある」

『主個人では動かずとも……ですか、なるほど』

「近づいてる竜も神も抱えてる軍勢が軍勢だからな。最悪即時撤退できるハクが適任だろ」

『伝えておきます。……大丈夫ですか、主』

「主言うな。問題ねえと言いたいが……ああくそ、うるせえ」

 舌打ちをこぼして沈黙した主に、青龍は無言で付き添った。



***



 それは、深い眠りの中で、ぼんやりと喧騒に耳を傾ける。

 眠りを妨げるほどではないものの、どうにも寝心地は良くないな、と。

 うっすら思いながら、それは眠り続けていた。



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