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異世界アパート『異世界邸』の日常  作者: カオスを愛する有志一同
三つの脅威
152/177

避難路【part山】

「下山する、だと?」

「ああ」

 機械の神軍の猛攻を掻い潜り、ほぼ唯一原型を留めていた異世界邸管理人室に辿り着いたドラクルからの提案に栞那は眉をひそめた。

「外はもはやあんたらを守りながら戦える状況にねえ。そのうえ、地下からもティアマトの竜軍が次々湧いている。この管理人室も安全とは言い切れない」

 異世界邸と地下のダンジョンは混合して久しい。今のところは異世界邸が主体でダンジョンは副構造物という扱いのようだが、そのダンジョンを占拠しているのが始祖竜ティアマトだ。彼女の〝塩〟の領域が管理人室を呑み込むまでもはや秒読みだろう。

 だから逃げろ――そう説くドラクルは、普段の彼からは想像できないほどの苦渋の表情を浮かべていた。

「先ほど麓の知人にも言われたが、だがどうやって逃げるんだ」

 管理人執務机の端に腰かけ、腕を組みながら栞那が訊ねる。

「外には竜も機械兵もうじゃうじゃいて、ポンコツ共も制御を奪われて誰が敵か味方かすら判別できない。さらに先程の範囲砲撃で地形ごと吹き飛んだ。ここに引き籠っても解決しないのは分かるが、それでも外に出るのも危険すぎる」

「俺が麓まで送っていく。それがあのポンコツと、兄弟との約束だ」

「守りながら戦える状況にないと言ったその口でか」

「そ、それは……」

 栞那の言葉にドラクルは口を噤む。

 二人のやり取りを見ていると、きゅっと、悠希の左手を小さく握る感触があった。ちらりと見ると、このの不安そうに悠希を見上げていた。いつもは元気にピンと立っている獣の耳もしおしおと伏せっている。

 これは多分、栞奈の意地だろう。いつ負傷者が出るか分からない異世界邸を自分は離れられない。離れるつもりがない。それが医者という栞那の役目だから。それが医者という生き物だから。悠希はそのことを嫌いになるほど知っている。


「安全が確保できれば、あんたは逃げてくれるんだな?」


 と。

 栞那とドラクルの言い合いを同じく眺めていたリックが口を挟んだ。

 手には鞄の底から出した紙が握られていた。

「リック?」

「ウィリアム。ちょっと頼まれてくれないか?」

「わたくしめに出来ることでしたら、なんなりと」

 管理人室に集まった非戦闘員を守るために留まっていたウィリアムが恭しく低頭する。

「一瞬で良い。外の状況を確認して来て欲しい。さっきの砲撃でどれくらい地形に変化が起きたか把握したい」

「かしこまりました」

 とぷん、とウィリアムの姿が影へと消える。

 そして五秒と間を置かず、再び管理人室に姿を現した。

「ただいま戻りました」

「は、早いな」

「瞬時の状況把握は怪盗の基礎技能ですよ」

 ほっほっほと柔和な笑みを浮かべ、リックが広げた大きな紙――異世界邸周辺の地形が事細かに記された地図にペンを奔らせる。

「彼の機械神の位置は異世界邸北東100m地点。砲台もここに。そこから360度平面方向全方位に向けて計30の砲撃が放たれたようでございます。射程は半径20km、一本当たりの直径は20mといったところでしょうか。射線上にあった木々や山肌は完全に消し飛んでおりました」

「……ほんと、頭が痛くなるバ火力だな」

「とは言え、異世界邸へ向けられた砲撃はグリメル様とラピ様が相殺に成功しております。そのため砲台から異世界邸を挟んだ南西方向は地形変化はほぼありません」

「ルートを取るとしたらそっち方面だな」

 リックは顔をしかめるも、手は休ませない。ウィリアムが確認した状況を元に次々と書き込んでいく。

「ここの林道はダメ。多分下の方で進めなくなってる。こっちの沢は……いや、地盤を考えると流石に危ないか。それなら旧作業道から一度尾根に出るルートは……」

 地図に次々にバツ印が付けられ、下山ルートが厳選されて行く。元々戦闘など弓矢を多少扱える程度のリックだが、生まれ故郷の世界ではその身一つで数多のダンジョンを攻略してきた名うての冒険者だった。()()()()の危険なエリアをどうすれば安全に行軍できるかを選定するのは、彼の得意分野だ。

 かくして、地図上にうねうねとではあるが一本の一筆書きの道筋が記された。

「このルートでなら最小限の戦力で下山できるはずだ」

「…………」

 リックが示した地図を前に、それでも栞那は厳しい表情を崩さない。

 偶然か、必然か。彼が書き記したルートがかつて旧友から伝え聞いた異世界邸への侵入路と酷似していたのを見て思わず喉から声が漏れかけたが、それでも。

「それでも、流れ弾が来ないとは限らないだろ」

「そ、それは俺とじーさんで何とかする!」

「ええ。それくらいであればこの老骨でも何とかなりましょう」

「だが――」

「栞那さん」

 今までいきさつを見守っていた那亜がついに口を開く。

 その声音には多少の圧が含まれていた。

「あなたはもう、あなた一人の体ではないんですよ。悠希ちゃんだけじゃない。生まれてくる子も守らないといけないのよ」

「分かってる……分かってるが」

「栞那さん」

「栞那様」

「頼む、医者先生! 逃げてくれ!」

 なおも意地を通そうと難色を示す栞那に三人が声を揃える。

 その時――ふわり、と仄かに甘い香炉のような煙が漂った。

 それを嗅いだ瞬間、がくん、と栞那の体が脱力したように芯を失った。

「先生!?」

「おっと」

 倒れそうになった栞那を横から背の高い男が抱き留めた。シルクハットにタキシードを着こんだ夢魔――ソーニョだった。

「話しが拗れそうだったので多少強引に眠ってもらいましたよ」

「眠って……って、えぇ!? 先生大丈夫なんですか!? 爆発とかしやがりませんよね!?」

「ご安心を。これはボクの師匠が調合した、妊婦さん向けの魔法薬の備蓄ですから。副作用もありません。ちょっとだけ眠気が強くなるだけのお香です。ほら、他の皆さんは何ともないでしょう?」

 そう言って悪戯っぽく笑うソーニョ。確かにお香は管理人室全体に広がりつつあるが悠希たちは何ともない。

「とは言え在庫僅かのほんの一匙です。一時間も経たずに目を覚ましますよ。その間に麓へと避難しちゃいましょう」

「お、おう。そうだな」

「……寄越しな」

 太く逞しい腕がソーニョに支えられていた栞那に伸びる。ドワーフのノッカーだった。

 彼女は栞奈を横向きに抱きかかえると担架よりも安定した足取りで管理人室の扉へと向き直った。

「おし、それじゃあ行くぞ!」

 ドラクルを先頭に、異世界邸の住人たちは意を決して外へと足を踏み出した。



          * * *



《離脱者を観測》

 それまで不動の姿勢で空中要塞や戦闘機械たちに指示通知を出していた機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)がぎゅるんっ! と人体では不可能な動作で首を巡らせた。

 視覚センサーの先に捉えたのは半壊した異世界邸。魔術で偽装しているものの、そこから数人分の熱源が移動を開始しているのを察知した。人数は10。その中には先ほどまで小蠅のように戦場を飛び回っていたドラゴニュートもいたが、それ以外は吹けば飛ぶような小物ばかりだ。

 とは言え、機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)の目的は「炉」及びその周囲の環境に対する粛清である。環境の中には当然彼らも含まれる。それが「炉」の開発者だろうが無垢の人民だろうが関係ない。

神力(エネルギー)チャージ開始。並行して空中要塞太陽の翼(ラピュータ)亜型の機構変更。広範囲砲撃装填開始。発射まで25秒――》


 ざり。


 機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)の思考回路にノイズが奔る。それと同時に唸り声をあげて歯車が回っていた空中要塞がピタリと動きを止めた。

《エラー。砲撃装填一時中断。原因の解析開始。――解析完了。侵攻中の第三勢力による呪術と断定》

 ぎゅるんっ! と首を、そして遅れて体ごと麓へと向き直る。

 機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)が粛清の神託を下すのと時をほぼ同じく出現した第三勢力。彼らは麓の街で派手に呪術を撒き散らしながらじわじわと異世界邸へと歩みを進めていた。

 明らかな外的要因であったためこれまで率先して排除はしてこなかったが、粛清の障害となるのならば話は別だ。

《第三勢力を神敵と暫定的に認定。『炉』及びその周辺環境の一つとして看做し粛清――》


「うきっ?」


 突如機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)の視覚センサー一杯に黒毛の猿の顔が映り込んだ。即座に発射可能な砲台や銃口を向けて一斉掃射する。

「きゃきゃきゃきゃっ!」

 何が楽しいのか、猿は笑いながら宙返りをし距離をとる。不可解なことにどれも掠りもせずに虚しく大気を揺らしただけだった。

 そもそもこの猿はどうやって現れたのか。機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)のありとあらゆるセンサーを掻い潜っていつの間にか目の前に湧いたように見えた。例え各センサーが第三勢力の呪術により万全に稼働していなかったとしても、直前まで接近に気付かなかったというのはおかしい。

《質問を開始。何者ですか》

「きゃーきゃきゃきゃきゃ!」

 しかし猿は言語を解さないのか、はたまた理解したうえで惚けているのか、尾のない尻を向けて挑発的に体をくねらせるだけだった。

《…………。理解不能。粛清対象の一つと看做し殲滅を開始します》

「きゃっきゃっきゃー!!」

 空中要塞の砲台を全て猿へと向ける。既に呪術によるジャミングは対策済みだ。今度は滞りなく動作し、神力が込められていく。

 そして瞬く間に装填完了し、万物を焼き尽くすエネルギー砲が――発射されなかった。

《エラー発生。原因を解析》

「うきっ」

 意味不明なダンスをしていた猿が突如動きを止め、ゆっくりと振り返り機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)を見る。そしてにんまりと邪悪な笑みを浮かべたその口に、一本の螺子を咥えていた。

 小さく、いくらでも代替可能な部品のはずだった。

 しかし周囲を侵食する呪術と相まって、その一本が欠落しただけで連鎖的に不具合が生じ要塞全体の砲台が機能を停止した。

《解析結果。『迷宮』の魔王グリメル・D・トランキュリティ配下の魔獣『絶望の猿猴』。理解。エクストラスキル『幸運狂(アンラッキーセブン)』の発動を確認。因果律の集束を観測。――これより特レベル5-A対応を開始します》

 がちゃんがちゃんと歯車が音を立て、機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)の両腕が組み代わる。ナイフとフォークしか持ったことがないような非力な見た目だった細腕が、瞬く間にアンバランスに強靭な機械鎧のような剛腕に変形した。

 両脚を大きく開き、空中にありながら大地を――世界を踏みしめるように構える。


《撃滅開始》

「うっきぃ♪」



          * * *



 リックの目論見通り、設定した下山ルートは地形の起伏も損傷も少なく行軍はスムーズに行われた。当初警戒していた流れ弾に関してはどういうわけか不自然なほどに少なく、ウィリアムが念のために張った申し訳程度の防御用の魔術も一度もかけ直すことなく中腹まで来ることができた。

 とは言え全くの無警戒で進めるかと言えば、決してそんなことはない。

 危うく哨戒中の戦闘機械とエンカウントしかけたことは一度や二度ではなかった。

 その度に一行は歩みを止め、ドラクルやウィリアムが奇襲を仕掛けて対処した。


 ――ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 

「ぬっ……!」

「ちっ!!」

 そして都合五度目の不意打ちで、トラブルが起きてしまった。

 ウィリアムが影からナイフを投擲しカメラを破壊、その隙にドラクルが稼働できなくなるまで焼き尽くすという戦法を繰り返していたが、二人のタイミングがほんの僅かにずれた。戦闘機械は完全に機能停止する直前、けたたましい警報音を鳴らして力尽きる。

「や、やばい!」

「皆さん、一箇所に!」

 ショートボウを構えたリック、懐から出刃包丁を取り出した那亜が悠希とこののを守るように身構える。栞那を抱えたノッカーも鋭い眼光で周囲を警戒するように睨みつけた。

「……っ! 来ます! 向かって九時方向!」

 ソーニョが警戒を発する。視線を向けると、機械仕掛けの神(デウス=エクスマキナ)の戦闘機械三体が木々を薙ぎ倒しながら飛来してきていた。

「じーさん!!」

「は、速い……!」

 ドラクルが炎の翼を広げ、ウィリアムが影に潜り転移しようとする。しかし二人の想定を上回る速度で接近する戦闘機械にさっと血の気が引く。――間に合わない。


 ぴんっ


 何かが弾ける音。

 その瞬間、ガシャン!! とけたたましい音を立てて一体の戦闘機械が墜落した。

「え……?」

 こののを守るように抱き留めていた悠希が思わず声を漏らす。

 慣性により目の前三メートルほどまで山肌を削りながら転がる戦闘機械。その人型の殺戮兵器は――人の首に当たるパーツに、一本の小さな枝が突き刺さっていた。


『ドラゴニュートの君。それにウィリアム。皆をここまで送ってくれてありがとう』


 どこからともなく声がした。

 ぶわりと、悠希の心の奥底に何かが灯る。

 その声に二度とその感情を抱くことはないと思っていた。しかし目の前にまで迫っていた生命の危機により沸き上がったその感情は――安堵。

「だ、誰だ!?」

「この声は、もしや……!」


『この先100m地点に知人が車を寄せている。麓からここまで直通の即席車道を作ってね。君たちも知っている男だ。すぐに分かるだろう。……もう一息だ。そこまで行ったらもう安全だ。足止めは私がやろう』


 ぴんっ


 姿なき声が言葉を区切ると再び何かが弾けるような音がした。

 その直後、味方が突如機能停止したことにより周囲を警戒していた戦闘機械二体のうち一体が、膝から崩れ落ちた。


『さあ。行くんだ』


「……ここはお任せいたします!」

「誰だか知らねえが恩に着る! 助かったぜ!」

 ドラクルとウィリアムに連れられ、悠希たちは駆け出す。

 一度、悠希は振り返ったが声の主の姿はなく、代わりの残り一体の戦闘機械が機能停止したのが見えただけだった。


『さて』


 声の主は木々の枝の上からじっと周囲を見渡す。

 突如として応答がなくなった戦闘機械たちの確認のため、周囲から何体か増援が近付いていた。


『機械の相手をするのは好きだ。嘘を吐かないからな。……何体でも来なさい』


 ぽきんと手近の枝を折り、ポケットから取り出した糸に括り付ける。

 それが周囲のありとあらゆる場所に秘され、鏃のように引き絞られていた。


『人を模しているのか、あるいは神とやらを模しているのかは知らないが――君たちが鉄の体でその形をしている以上、その構造は非常にシンプルだ。どのように信号が伝達され、四肢が稼働するかなど見れば分かる。君たちは人間と違って、素直だ』


 ぴんっ、と手元の糸を弾く。

 それに反応し周囲に隠されていた即席の弓矢が一斉に飛び、接近していた戦闘機械たちの信号中枢を的確に打ち抜いていく。

 あっと言う間にガラクタ同然と化した機械の山が辺りに積み重なっていく。


『私の妻と娘に手を出して、無事で済むと思うなよ』


 声の主は姿を見せず、そう呟いた。



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