街に残る者たち【part紫】
機械仕掛けの神による無差別光線攻撃は、麓町にも大きな爪痕を残した。深々とアスファルトに傷が刻まれ、放射線上に広がって──とある区域から、線を引かれたように侵食を止めていた。
「あぁ……怖いなあ……ひひひ」
嘆きながら、怯えながら、しかし魔法士は笑う。
「ひひ……本当に素晴らしい……この街の力は、本当に恐ろしいなあ……!」
空の魔石という希少素材に惹かれてやってきた魔法士が、いまだに麓に止まっている理由は、この街そのものにあった。
──紅晴の土地神は、全てのものを祝福する。
これまで一部を除いて伏せていた事実だが、先日の魔王防衛戦と百鬼夜行で注目を集めすぎた結果、かなり広く知られてしまった事実だ。それに魔法士は文字通り魅了されていた。
「僕の魔法も強化される……怖いなあ……呪いだけで、神の砲撃を飲み込めるなんて……ああ、恐ろしい……素晴らしいなあ」
引き攣ったように笑いながら、魔法士は両手を掲げる。ゴポゴポと沼のような音を立てながら、呪いが街全体に注がれていく。
「僕の呪いで、この街の力をどこまで引き出せるか……ああ、恐ろしいなあ……でも、魔石も横取りされたくないなあ……」
龍の息吹が西の山から噴き上がり、機械仕掛けの神による機械人形の軍勢が巨大化している。彼らの狙いが魔石なのかは不明だが、何かの拍子に横取りをされては敵わない。
「サリー、メリー」
「「はい、<恐怖の略奪者>さま」」
声に応じて、魔法士の背後に黒いシスター服の二人が現れる。恭しく頭を垂れる二人に、魔法士が告げる。
「魔石……あの恐ろしい魔石の持ち主の元へ……うっかり巻き込まれて奪われないように……ひひひ……攫ってきて……殺してもいいよう……」
「「御意」」
声を揃えた二人が、呪詛に飲み込まれるように溶け落ちた。気配が西山へ向かうのを感じて、魔法士は笑う。
「ひひひ……さて……怖い怖い街と、その守護者を炙り出そうか……」
***
紅晴市、中西病院。
ほとんどの一般人が夢殿に避難する中、病院のスタッフたちはかなりの数がその場にとどまっていた。
夢に逃げ込んでいる間に生命の危機に陥りかねない患者たちの治療と、どうにか逃げ出す手段がないかの問い合わせ。轟音に怯える患者たちへのケア。緊急事態でも命一つ取りこぼすまいとスタッフたちは駆け回る。
その一方で、この街を守るべく駆け回る術者たちの傷病対応にも追われていた。先の砲撃を防ぐ術式の反動で倒れたものや、余波で負傷したものたちを持てる技術全てで診療し、現場に戻せるかどうかの判断にまで携わっていた。
「── HCUは空床10。ICUは即応3、移動させれば5はいけます」
「ECUはまだ余裕がある?」
「かなり埋まってきて、残り3です。」
「わかった。外来ベッドもなるべく回して行こう」
「はい」
指示を飛ばしていた医師は、ふうと溜息をついた。慌てて周りを見回したところで、側にいた看護師にくすりと笑われた。
「先生、大変ですね」
「はは……まあね。これを毎回顔色ひとつ変えずにやってる院長は化け物だ」
駆け出しの頃から知っている看護師に見透かされたような言葉をかけられ、若手から抜け出して随分経つはずの医師は苦笑いを浮かべつつも率直に答えた。
「あの人がいないせいで助からない命もあるかもしれない。俺の判断が甘くて落とす命があるかもしれない。けど、それじゃあ駄目だよ」
頼りきりになっていた、と苦笑いのまま医師は言葉を重ねる。
「誰でもとは言わないけど、院長一人抜けただけで回らなくなるシステムなんか作っちゃ駄目だ。あの人は、わかっていても働くのを止められない人だからねえ」
「……そうですね」
医師としてあるべき姿を体現し続け、憧れの対象になっていた院長が、この大事に仕事を捨てて家族の元へと走った。それは間違っても褒められたことではないし、スタッフの中には失望した者も少なくはない。
けど、長く中西病院で働いていたスタッフたちは、むしろ背を押した。自分を捨てて医療に身を捧げてきたかをよく知っていて、友を失っても愛娘に嫌われても「医者」であり続ける覚悟を肌で感じていた彼らは、だからこそ。
──西山の異変に気づいた時、鳴り響くPHSを片手にその場で棒立ちになった院長を見て、「行け」と言ったのだ。
弾かれたように脇目も振らずに走り出した背中に、笑顔になったのは自分だけではなかったと医者は少し笑う。
「さて。避難してきた玖上先生に「なんだこの体たらくは」と怒鳴り倒されないくらいには頑張ろうか」
「またそんな、自分でハードルを上げてから」
揶揄うようにいった看護師に苦笑いを返して、医師は意識を目の前の現場に戻した。モニターに目を滑らせる直前、チラリと窓の外を見る。
「……医者がこんなこと言うのもなんだけど、俺たちのことは神様が守ってくれるみたいだしな。安全確保がされてるなら、最優先は目の前の患者だよな」
弱いながらも見鬼の才を持つ彼の目には、病院の正門を背に、彼らを守るように佇む異形の姿が映っていた。
***
『玄武、青龍。大丈夫?』
『大丈夫ですよ、朱雀。……とはいえこれほどの水魔法の使い手とは予想外でしたが』
『ん』
こくりと頷くのは、玄武だ。水を司る神獣をもってしても、今街を喰らい尽くそうとする呪いは一際性質が悪いものだった。
『おそらくだが、我ら神獣が呪いと相性が悪いことも承知の上での侵攻だろうな。舐めた真似を……』
『白虎、早まるな。私たちが今出来るのは、この敷地の守護──それに繋がる浄化までだ』
『分かっている。……あくまでも、主の負担にならない範囲で主の役に立つ、だろう』
朱雀の諌めに頷いた白虎は、目の前の光景を睨み据えた。
魔法士の呪詛は、今や紅晴の街半分以上に及んでいる。触れるだけで魔力を侵され飲み込まれ、激痛と吐き気の中で意識を失い、そのまま命を落とす。そんな呪詛に抗い、まともに動けるものは、術者の中でもほんのわずかだ。
その上神軍や竜軍の襲撃もある。皮肉なことに魔法士の呪詛が街への攻撃を飲み込んでしまっているが、それでも被害は軽くない。しかし、それをまともに防げないほどに術者たちの力は削がれており──必然、中西病院の防衛に力を回す余裕は、どこにもなかった。
それでも病院が今も機能を保てているのは、四神がその力を撚り合わせて結界を張っているからだ。神は呪詛に弱いという欠点はあるものの、長くこの街を守護してきた四神の結界は、魔法士の呪いを弾いて受け付けない。結界内を清浄な気で満たすことで、治療の手助けにすらなっていた。
『……街全体の守護を、したいところなのだが』
『まだ待て、という指示でしたね』
朱雀の呟きに青龍が返す。朱雀は頷いた。
『中途半端に手出しをしてこちらが飲み込まれかねないと、主はそう判断している』
『我々すら飲み込もうとする恐れ知らず……異教とはいえとんでもない敵ですね』
『その敵にすら怖れられるのが主なんだけど……』
朱雀と青龍の間に、一瞬沈黙が落ちた。
『……。今回は、どうするつもりなのでしょうか』
『さあ……』
毎回毎回、何を考えてどう動くつもりなのか全く分からないし伝えてくれない主に少し溜息をついて、青龍は背後をチラリと振り返る。
──ノイズがうるさい、と。
聞こえないくらいの声で小さく落とされた呟きを思い返しながら、青龍は結界に力を注ぐことに意識を集中させた。




