引き籠り駄竜とかつてない危機【Part夙】
ティアマトがダンジョンの最下層に引き籠ってから数日が経過していた。
「どんな様子だった?」
「ダメだなありゃあ。侵入を許可されてる俺でも近づけるのは最下層ボス部屋の前までだしよ」
トカゲもとい竜神からの芳しくない報告を聞いた貴文は、長く深い溜息を吐いて管理人室の椅子の背凭れにしな垂れかかった。
ティアマトは卵が孵るまで、いや孵ってもしばらくは誰とも会わないと言って自らを封印している。神久夜の家庭菜園で異世界邸の影響を受けたイチゴを見たことで、子供にもどんな悪影響があるかわからず恐ろしくなったからだ。
唯一、近い魔力を持つ竜種だけは近づくことを許可されている。つまり、うちの問題児であるトカゲだけが様子を確認できる状況なのだ。
「こじ開けたりは?」
「俺を殺す気か!? ボス部屋の扉が〝塩〟で固められてんだよ!? 触れたら最後、〝塩〟の石像になってお陀仏だ!?」
「そうか。困ったな」
封印の影響か、それともダンジョンの特殊な空間環境のせいか、あれだけやかましかったティアマトの心の声も一切聞こえなくなってしまっている。情報が一切入って来ないため貴文以外にも心配する住民が出始めてきた。
「たまにはお日様の光を浴びた方がよく育つのにのう」
ママ友の神久夜もその一人である。
「いや植物じゃないんだから。でもずっと引き籠ってるのも体に悪いよな」
幻獣でドラゴンだからそんな心配はないのかもしれない。「愛する妻に心配をかけやがってこの駄竜が!」って怒鳴りたくもなるが、変な存在が生まれてくるのもそれはそれで困る。
このまま黙って見守るべきか。
それとも引きずり出すべきか。
「……まったく、強大な力を持った豆腐メンタルがここまで面倒だとは思わなかったぞ。とりあえず、アリスが有休から戻ってきてから考えよう」
何度目かの溜息。今は保留にして、しばらく見守りつつ検討しようと決める貴文だった。
が――
「大変なのだ!?」
ドバン! とドアが開け放たれ、十歳前後まで成長したグリメルが管理人室に飛び込んできた。その後ろにはニヤニヤした笑みのセシルを連れ添っている。嫌な予感しかしない。
「余のダンジョンが制御不能になっているのだ!?」
「制御不能? どういうことだ?」
グリメルは『迷宮の魔王』だ。全盛期には遠く及ばないようだが、子供の姿でも上位魔王クラスの力を有している。そんなグリメルが自分の権能をコントロールできなくなるとは思えない。
「きっと〝塩〟の影響だね♪ ほら、古来より〝塩〟には魔除けの力があるでしょ☆」
貴文の疑問にはセシルが答えた。
「〝塩〟って、ボス部屋の扉が固められてる奴か?」
「いんや♪ セシルちゃんもずっと観測を続けてるんだけど、〝塩〟の範囲が急速に拡大してるっぽいぞ☆ そこのトカゲくんが視た時は最下層ボス部屋の扉までだったみたいだけど、今は最下層全域が〝塩〟の領域だね❤」
興味深そうに笑いながら告げるセシルに、貴文と竜神はさーっと蒼白して顔を見合わせた。
「おいおい、マジかよ。あのまま最下層に残ってたら俺もやばかったってことか」
「てか、『迷宮の魔王』の迷宮だぞ? そんな簡単に乗っ取れるのかよ?」
「ぶっちゃけると、今のグリメルちゃんよりティアマトの方が強いからね♪ なんてったってアレは始祖竜で神なわけだし☆」
当人を見ていると俄かには信じられないが、そういえばそんな話だったことを貴文は思い出す。全ての竜の母だからこそ、セシルの古巣が卵の育ての親として派遣してきたわけである。
「余にはわかるのだ。今も底の方からどんどん制御を奪われていっているぞ。このままではこの邸が塩漬けになるのも時間の問題なのだ」
「それはふざけんなよあの引き籠り駄竜!?」
「漬物石が必要じゃな!」
「マジで漬けようとしないで!?」
もしかするとティアマトの方も塩化を制御できなくなっているのかもしれない。故意にせよ事故にせよ、一度彼女を引きずり出す必要が出てきてしまった。
「セシル、至急動ける住人を召集してくれ。塩化ダンジョンを突破して、力づくでもティアマトの引き籠りをやめさせるぞ!」
豆腐メンタルでも相手は始祖竜。異世界邸の総力を持ってして相手をせねばならないことを覚悟し、貴文は管理人室を飛び出した。
***
ノルデンショルド地下大迷宮――第十三階層。
最下層にして玉座の間。かつての名を『ノルデンショルドの森』と呼ばれた薄暗い大森林は現在、階層全体が白銀に染まっていた。
雪が降ったわけではない。
土も木も草も全てが白化――〝塩〟と化している。覆われているのではなく、中身まで〝塩〟そのものの彫像となっているのだ。
その原因となっている原初の竜ティアマトは、かつて赤子のグリメルが発見された掘っ建て小屋……はちゅどんして木っ端微塵になっていたので、森の最奥部に位置する洞窟の中に聳えていた巨大な『城』に引き籠っていた。
ここが本物の迷宮の『玉座』である。
城も、洞窟も、洞窟の入口を閉ざしていた大扉も、当たり前だが〝塩〟と化している。魔除けの力がある〝塩〟の空間に包まれていれば、卵が余計な魔力に侵されることはない。元気で立派な竜の子を正常に孵させるには最早こうするしかないとティアマトは判断したのだ。
だが――
「妙なのだわ。塩化が妾の意思を離れて広がり続けているのだわ」
卵を抱いたまま城の玉座に腰かけたティアマトは困惑していた。
「このダンジョンがそもそも魔王の産物なのだわ。まさか、妾の〝塩〟が魔を喰らい続けて暴走しているのだわ?」
塩化はティアマトの特性を反映させた個種結界だ。範囲は広くてもこの最下層全体が限界だったはずである。今まではこのようなことなど起きなかった。異世界邸の特殊な環境がティアマト自身にも影響を及ぼしてしまったと考えるしかない。
「だったら、それでいいのだわ。我が子を守るために徹底してやるのだわ」
塩化が広がれば広がるほど、卵が受ける余計な影響は少なくなる。ダンジョンが〝塩〟になるだけなら貴文もきっと許してくれるはずだ。
そう、思っていた。
「――ッ!?」
広がっている塩化が急速に速度を落としたのをティアマトは感じた。それどころか、押し返されている。
ダンジョンの再生機能が働いた?
いや、違う。雑多で膨大な魔力がダンジョンに侵攻している気配を感知する。
「貴文たち? なぜ? 竜種以外は近づくなと言ったはずなのだわ」
どうやっているのかわからないが、彼らがダンジョンを正常化しているようだ。向こうにはダンジョンの主である『迷宮の魔王』に加え、有能な魔術師もいる。魔を祓う〝塩〟を掃う対抗術式を組み上げたのだろう。
そこまでして、このダンジョンを取り戻したいのか?
我が子が無事に生まれてくることより、ダンジョンの方が大事なのか?
もしくは、別の狙いが――
「まさか、我が子を狙っているのだわ!?」
あり得ないことではない。竜の卵なのだ。装飾的価値も魔術的な価値も膨大。貴文は優しい言葉をかけていたが、全てが嘘だったとしたら? その時は本心だったとしても、度重なる出費のせいで邸の首が回らなくなってやむを得ず卵を売り払おうという考えに至ってしまったら?
または、悪影響を与えまくった竜の子を孵すため?
家庭菜園で発生したイチゴーレムを思い出す。
「我が子をあのようなバケモノにして、狩りを楽しむつもりなのだわ!?」
許されないことだ。
裏切りだ。
「妾をここに派遣した連盟の者も言っておったのだわ。『異世界邸の住民には注意しろ』と。化物指数が高めだからだと思ってたけど、こういうことだったのだわ!」
守らなければ。
我が子を、なんとしてでも。
たとえ、原初における神話の力を解放してでも。
「――我が子たちよ、目覚めの時なのだわ! まだ生まれてすらいないこの子を守るために――」
ティアマトは玉座から立ち上がり、手を翳して命令する。
「向かって来る者を殲滅するのだわ!」
***
入念な準備を行ってダンジョン攻略に臨んだ貴文たちは、第五階層の闘技場まで降りて来ていた。
塩化は四層の半分ほどまで侵食していた。即席だが、セシルとグリメルが塩化への対抗術式を編み上げてくれたおかげで〝塩〟を掃除しながら進められている。
五層は完全に〝塩〟の世界だった。
美しいが、地獄にも見える。
闘技場の中心には番人である虎男が白い石像と化して鎮座していた。アレはジョンたちとは違いシステム色の強い番人だが、あんな姿になってしまうと忍びない。
「セシル、グリメル、ここも頼む」
「りょ~かい♪」
「任されたのだ!」
セシルが足下に青い魔法陣を高速展開し、そこへグリメルが大量の魔力を注いでいく。
「幻獣の特性殺しを付与した魔法陣だぞ♪ そこへグリメルの迷宮制御を魔力に乗せて流し込めばあら不思議☆ ただの塩になって迷宮外へと自動的に排出……あれ?」
セシルが戸惑った声を上げた。
四層の時は流れるように塩が引いて行ったのだが、五層ではそうならなかった。
それどころか――
「まずい! みんな四層に戻れ!」
貴文が咄嗟に号令を出した次の瞬間、五層を埋め尽くしていた〝塩〟が――ザッパーン! 一瞬で液状化して〝潮〟へと変貌したのだ。
荒れ狂う海水の奔流。だだっ広い闘技場があっという間に海の底へと沈んでしまった。
「なにが起こったんだ?」
四層へ続く階段から呆然としつつその様子を眺めていた貴文の眼下で、コポコポと泡が立ち上ってくる。
いや、泡だけじゃない。
海の底から、なにかとてつもない巨大で強大な存在が浮上してくる。
「……うっそだろ」
海面を突き破るようにして現れたそれらは、十一匹の竜だった。
「ムシュフシュ、ウシュムガル、ギルタブリル……うっひゃあ、全部神話級のドラゴンだーよ♪ こいつはやべーぞ管理人☆ 一旦撤退するべきだとセシルちゃんは進言するよ❤」
――是。
慌てながらもどこか楽しそうなセシルに同意するように、異世界邸の意思――コナタの声が貴文の脳内に響く。
――蠍の尾をした竜はムシュフシュ。
――翼と四本の足を持つ大蛇はウシュムガル。
――蠍と鳥がキメラ化した竜人はギルタブリル。
――七岐の大蛇はムシュマッヘ。
――マムシに角が生えたような毒蛇はバシュム。
――三対六つの巻き毛をした毛深い蛇はラフム。
――巨大な獅子竜はウガルルム。
――獰猛な犬面の竜はウリディンム。
――嵐を纏う鷲竜はウム・ダブルチュ。
――普遍的な精霊にして魚の竜人はクルール。
――有翼の雄牛竜はクサリク。
――どれも一柱で神と渡り合える強大な魔物。体勢を立て直す必要ありと判断。それと、脅威は彼らだけではないないと警告。
「こいつらだけじゃない? どういうことだ、コナタ?」
聞き返すが、まるで通信が途切れたようにコナタからの返事はなかった。貴文はかつてないほどの嫌な予感に心が焦る。
「まだ海面がコポコポしているのだ!」
グリメルが指差して叫ぶ。最初の十一匹ほどではないが、海の底から大量の飛竜が次々と飛び出してきたのだ。
「……まるでわたくしの蟻塚のようですわ」
そう言ってフォルミーカが苦い顔をする。この海が竜を生み出す母体になっているというのだろうか?
と、最初の十一匹が一斉に天井を向いた。凄まじい魔力がそれぞれに収斂していく。
「おい、待て」
それはダメだ。邸の住人は念のため避難させているとはいえ、奴らがダンジョンをぶち抜くほどの攻撃を放ったら……
「くそっ!」
貴文は階段を蹴って竜たちの頭上へと跳んだ。同時に十一匹の竜がブレスを吐き出す。
「もう二度と、みすみす邸を全壊なんてさせねえぞ!」
竹串を握る。勇者と魔王の魔力を混合させる。迫る十一本のブレスを、野球バットをスイングする要領でバチコーンと打ち返した。
邸に直撃する軌道は逸れたが、斜めに大穴が穿ってしまった。ダンジョン五層分を易々と突き破った威力に、よく返せたと戦慄する貴文。
だが、安心するのも束の間だった。
飛竜たちがその穴を通って次々と外へ出て行ったからだ。
「ちょっと待て!? そいつはもっとまずいぞ!?」
こんな怪物たちを外に出したら異世界邸だけではない。麓の町、最悪世界全体を危機に陥らせてしまう。
「お前らは早く外に! 出ちまった竜に対処してくれ!」
「貴文はどうするのじゃ!?」
神久夜が心配そうに叫ぶ。貴文はフッと微笑みを返すと、こちらに気づいて戦闘体勢を取っている十一匹の竜に向き直る。
「俺は、これ以上こいつらを出さないようにここに残る!」
悲鳴を上げる神久夜を住人たちが引きずっていくのを後目に、貴文は竹串を構えるのだった。
***
同時刻。
街の上空に次空の歪みが発生し、さらに地上からも異質な魔力を持つ者たちが迫っていた。
地下から湧き出る竜の群れと合わせ、紅晴市はかつてない危機に見舞われようとしている。